センチメンタル ジャーニー 第三話

七瀬優はどこに住んでいるのか

Author: 神木(version 1.1)

七瀬優はサンライズのホームページによれば、現在、広島県広島市に住むという。 放送されたアニメでは私はかつては広島に住んでいたが現在は広島に 住んではいないという印象を受けた。 その理由を分析した。

一般的な事実 .... 本論にはほとんど関係ないけど

  1. 流星群は一般に夜明け前が観望好機である。地球の公転と太陽との関係から 自動的にそうなる。流星群の親彗星の軌道と地球の公転軌道の交差の瞬間に ちょうど夜明け前になる地域に出かけて行く人達がいるほど 夕方と夜明け前の差は大きい。
  2. ペルセウス座流星群は毎年 8 月の初旬から中旬過ぎまで見え、 12 日あたりの 2,3 日がピークになる。 8 月にペルセウス座は夜半前に東の空に上りはじめ、夜明け前に西の空に移る。 ペルセウス座流星群が「ペルセウス座」流星群と呼ばれるのは あたかもペルセウス座の方角から流れるように見えるからだが、 空の位置関係から夜半前のペルセウス座流星群の流れ星は 天空を長い距離を走り、明るい流星が多いこともあってよく目立つ。
    ついでだけど、流れ星は夏のものというイメージがあるとすればそれは このペルセウス座流星群のおかげ。
  3. 台風の目が一つの場所を通過するに要する時間は 20 分からたかだか 1 時間である。

話の中の明らかな事実関係

  1. スイフトタットル彗星の回帰は 1992 年 9 月。 したがって、宮島の高台で優がペルセウス流星群 を眺めていたときに「彼」が現われたのは 1992 年 8 月のことである。
  2. 「月が隠れ始めた夜明けごろ」というセリフから この年の 8 月 10 日すぎは、月は上弦〜満月である。 1992 年以降で該当するのは 1997 年だけで、 芹沢琴音と「きたぐに」で知り合ったのは 1997 年 8 月のことである。
  3. 1997 年 8 月の時点で 17 才だったので、1992 年 8 月の時点では 12 才である。
  4. 宮島航路は 6 時台から 22 時台の運行である。
  5. 宮島航路の大鳥居沖経由の観光便の最終は第 41 便の 16 時 10 分発であり、 七瀬優、芹沢琴音の二人はこれを使って 16 時 20 分に宮島入りした。

1992 年の住所

この時の装備と旅行としての規模

1992 年の流星観望では優は手ぶらの状態だった。 背後に荷物を置いていたという可能性もないでもないが、 1997 年の観望時には雨が降っていたにもかかわらず デイパックを背負ったままだったところからして、 背後に荷物をおく習慣はないものと思う。

広島の 8 月とはいえ、流星群に一晩つきあうには防寒対策が必須である。 夜半過ぎには家に戻るつもりでいた、と考えるのが自然だろう。
それに現実には 最終の船で宮島入りしたとしても夜明けの 6 時台まで流星観望を 12 才の子供一人で続けるのはそもそも親が許すまい。... まあ、いずれにしてもかなりの放任主義のようだけれども。
ついでに言えば 1992 年のペルセ群は満月と観望には最悪の条件だったので、 流星が多いことは予想されていたにせよ、 よほど熱心でなければ一晩付き合う予定で山入りすることはないと思う。

七瀬優が旅行好きになったのは「彼」と会った 1992 年以降のことである。 この年に広島市に住んでいて宮島に出て来ていたとすれば、 夜半過ぎに宮島から外に出ることはできないので、 22 時前に宮島を出るスケジュールで一人で星を宮島まで観にきたという形になるが、 .... これは 12 才の子供としては立派な旅行好きの範疇に入ると思う。 広島市街から宮島口まで約 20km もある。 星を観にホイホイと出かけられる距離ではない。
── 「旅行好きになった」件については、 もともとそういう傾向があり、それが単にこの年以後はっきりしただけだ という解釈が個人的には好き。 星の観望は市街地では困難であり、 とりたてて何のきっかけもなくても自然と郊外に足が向くようになる。 「旅行好きになったのは彼のおかげ」というのは優の思い込みと思う方が 想いとしての構図が素直*^_^*

七瀬優と芹沢琴音が別れた場所

七瀬優と芹沢琴音が別れたのはどこか? 「じゃ私、広電で行きます」というセリフから、 芹沢琴音は広電を使わないことが暗黙の諒解になっていたが 七瀬優が広電を使うことはその時点まで芹沢琴音は知らなかったといってよい。

JR で戻り、広島駅で別れたのなら、優が駅前で言う言葉ではない。 JR 広島駅の構内から駅前まで琴音をひっぱりだす理由が必要であり、 したがって駅構内で琴音は優が広電を使うことを知ったはずである。
宮島口からは広電で広島市に戻るルートもある。 しかし、琴音が JR を使うことがわかっているなら広電で 広島駅まで連れてくるのはかなり不自然である。
宮島から広島港まで直に戻り、そこから広電で広島駅に戻るルートの場合。 夕方、宮島入りする時でさえ広島港からの高速船ルートは使わなかった。 ましてや、時間の制約のすくない帰りに使う筈はない。.... 高価だし :-)

ゆえに、二人が別れたのは JR 宮島口駅前であり、七瀬優は港の方へひきかえして 広島電鉄 宮島口駅から広電を使ったと考えられる。

これから分かることは、優は宮島口〜広島駅間に 流星観望とは別口の用事があるということである。
「きたぐに」を使って広島入りし、それから宮島で流星を観るまでの約 20 時間には もともとなんらかの用事がはいっていたはずである (でなければ「きたぐに」ルートは使われない)。 琴音と同一行動を取ったためにその用事は先延ばしになった訳であり、 その用事が「宮島口〜広島間」にあるということでこの辺に矛盾はない。
では それは自宅だろうか? 広島市も宮島寄りの場所に住んでいたのなら、1992 年 8 月のこの「旅行」は 親の許容範囲だった可能性がある(広島市最西端から宮島口まで約 10km)。 これが棄却されるのは、 広島市も最西端に住んでいたのなら、 そもそも星が良く見える場所として宮島にまで出かける必要は無いことによる。

以上から 1992 年には七瀬優は宮島(広島県宮島町)に住んでいたと考えられる。

1997 年の住所

優と琴音の二人が流星を観たのは何時ごろか?

「台風の目」は優の正面から来たのだから、高台は南〜西を向いている。 この状態で流星は天頂を右(西〜北)から左(東〜南)に流れていた。 したがって輻射点のペルセウス座は西〜北の方角にあったはずである。 ペルセウス座はこの時期、西の空に移るのは夜明け前であり、 ゆえに二人が台風の目に入ったのは、流星観望好期の夜半過ぎである。 粘ったかいのあった連中だことよ ...
とはともかく、ほとんど一晩中、山の上にいた訳だ。 なんの覚悟もなかったただの素人の芹沢琴音がネを上げるのも当然といえよう :-)
ところで、うるさいこといえば台風の目に出会う様子はああいう風にはならないと思う。 なんて下手な絵だ。

宮島では何処にいたか

宮島入りしたのは 16 時台。星を観ることに成功した 4-5 時台にはかなりの間がある。
嵐の中で台風の目に入るのを待つにせよ、目に居られるのはたかだか 1 時間に満たない。 傘をはじめとするいっさいの装備の補充なしで高台に登ったこと、
そして、 「明日の明け方には中国地方に上陸 ‥‥」する台風の目が宮島を通過した時刻は 不明だが、やや早めに宮島を通過したとしても 16 時台に宮島入りした二人が 夜明け前まで荷物を置いておくところもなかったのなら、
1997 年現在、優は宮島に基地をもっていない。

余談だけれども、星の観望で旅行に出かける場合、宿はつねに問題になる。 夜半前まで観望し、それから宿入りするのならまだしも、 といっても午前 1 時にチェックインさせてくれるとは思えないが、 夜明け前に観望するために午前 3 時にチェックアウトを許してくれるところは あまりない ...

広島に向かった時の彼女の事情

七瀬優は新潟〜直江津(の一つ手前の柿崎)間のどこかから「きたぐに」に乗車し、 新大阪経由新幹線で広島に向かった。 このルートでは 9 時前に広島入りできる。 本人も言うように、宮島で流星をみるとすればそれは夜明け前になり、 その間およそ 20 時間。彼女はどこで何をするつもりだったのか。

広島市の自宅に戻るつもりがあったのなら、 彼女の装備は観望のためでなく琴音と出会う前の旅行のもの、新潟方面、それも 厚手の服装(琴音は半袖の Y シャツだった) からして秋田〜北海道といった地域のものに思えるが、 デイパックで出かけられる限界(by definition, 1 日程度の小旅行用)を考えるに 北海道まで出かけていった格好ではないし、それなら新潟経由「きたぐに」での帰宅は そもそもかなり変である。新大阪からは新幹線を使ったのだから、 朝に広島入りしたかった理由がある訳で、それなら飛行機の利用の方が素直。

とはいえ、旅行慣れするとデイパックで 1 週間以上の規模の旅行に出かけたりするから この辺はなんでもありかもしれない。 広島に朝のうちに帰りつきたかったのは、装備の交換という目的があったとすれば、 広島市に自宅があってもいい ... のだが、
彼女は傘を持っていなかった。星を観にでかける時、 傘を持って行くことはあまりない。 雨らしい気配(雲がでる等)でもあれば そもそも星を観にでかける筈はないからである。
普通の小旅行で、旅慣れた彼女が傘を持って出ていないとは考え難く、 「きたぐに」 に乗っていた時点ですでに彼女の装備は星を観に出かけるためのものであったと思える。

つまり、「きたぐに」で 「広島に行った」のであり、「広島に帰った」のではない。

「宮島口〜広島間」のこと、余談

1992 年には宮島に住んでいたとして、 その後「宮島口〜広島間」の広島市に住所を移した可能性はどうか。 これが、ありそうなんだよなぁ。 アニメを初めてみた第一感は親戚の家でも「宮島口〜広島間」 にあるのかと思ったのだけど、良く考えてみれば自宅でもおかしくない。
とくに、 「自宅」とは思わなかったのは「広島に旅行に行った」 のだという思い込み(あとがき参照)がすでにあったからだということが分かってみれば。

まあ、旅行帰りで自宅によるつもりでいて広島に戻り、そして予定を変更して 装備補給せずに そのまま宮島に向かうのはデイパックの容量上、ほとんど不可能だと思うけど、 もし予定を変えてまでそうしたのなら、七瀬優は芹沢琴音がそう思った以上に 親切だったということでもある ──


あとがき。

実は広島在住でないと思ったのは、 そもそも最初に優が夜行「きたぐに」で広島入りしたからである。 夜行は旅行に行く時に使うものであって帰る時に使うものではないという思いこみから そう思った。

東京を中心とする夜行列車はふつう 下りの方が満席であっても上りは空いているから、 パターンとして夜行は帰りに使うものではないという考えはそれほど変ではない のだろうと思う。
しかし私自身つい最近の旅行では夜行「アルプス」で東京に帰ってきた訳だし、 同じ車両には明らかに帰りの客とおぼしき人達で一杯だったので これを理由に広島に住んでいないと断言することはできないのだろう。

ここで使った論理展開はもちろんすこしずつ飛躍があって、 適当に修正すれば現在も広島市に住んでいると結論できなくはない。
描かれていないことについて何を「自然」とみなすかによって結論はいろいろと 変わりうるのは当然のことだ ... たかだか 30 分たらずしか描かれなかった訳だし。
しかし、アニメの表現をもって広島市に住んでいることにするという感覚の持ち主が この話を組み立てているのなら、私は七瀬優の他の話に手を出す訳にはいかない。 これ以上は感覚のズレが問題になりそうだから ...


[日誌へ] [ノベライズ版へ] [音声トラック原文へ] [関連 時刻表へ]