センチメンタル ジャーニー 第三話

七瀬 優
YUU NANASE
〜 星降る夜の天使 〜
Novelize: 神木(version 1.3)

天使って、‥‥ 多分、いる。
たとえばこんな、めったに降りる人のいないような駅に ‥‥
あれは、女の子の姿をした、もしかすると、ううん、きっと天使。
そう、確かにいた。
ある夏の夜に、私はその子に出会った。

あれは、ちょっとした事情でまだ家に戻りたくなくて 東京に戻る最後の新幹線を見送り、「さて?」と首を捻った時のことだった。 新潟駅の夜も 10 時に近いというのに、 バスターミナルに並ぶ人の列が切れないほど騒がしい街にあって、 その列車だけが別世界にあるようだった。

22 時 16 分新潟発大阪行き、急行「きたぐに」。 案内板を見上げれば、まだ 30 分以上もぼけっとその場に佇むことになるらしい その列車は妙にその時の私の気分に合っていた。 闇の中に煌々と浮かんだその列車に人はほとんど乗っておらず、 ややくたびれた車内に乗り込んだ私は さっそく駅前で買い込んであったビールで宴会を始めた。

── その子がどこから乗り込んだのか、あるいは最初から乗っていたのか私は知らない。 私が気付いたのは夜も 0 時を回り、直江津に近付いてからだったから。


カタンコトン ‥‥、カタンコトン‥‥、カタンコトン ‥‥

単調な列車の音に身を任せ、何本目かの、 あるいはもう 12, 3 本位いってたかもしれないが、ビールをあおりつつ 私は外をぼんやりと眺めていた。 懐の深い 4 人掛けのボックスシートは独りで座るにはやや広かったが、 気分はそんなに悪くなかった。
窓の外ではまばらな光の点々が脇を流れ、 すっと速度を落したかと思うとそれにあわせて家並が密になりアナウンスが入って停車、 そういうリズムで列車は走っていた。

そんな感覚にも次第に飽きてきたころ。 新潟で買い込んであったビールが無くなり、 長岡でいちおう補給してあった袋に手を伸ばした時、すっとんきょうな声が上がった。

「おお、あれー、」

その声は明らかに酔っていた。

「かわいい子がいるねー」

私のことだろうか。私が首を捻っていると、

「女子高校生? ひとりー?」

── 私ではないらしい。
なんとなくむっときて伸び上がって背凭れから顔を出すと、 一番はしの席に座っている女子高校生? に酔っ払った風のおやじが絡んでいた。

「おじさんいちごう、かちょうだいり、 ええへー、えらいのー、まーえらいからゆーけど、 なんなのじーぱんとは、若いんだから、ミニスカで、 ふとももだしてね、めのほよーさしてくんなくちゃー」

後になって思えば、その上、微かに酔っ払った勢いもあったのだろうか。
私は立ち上がってつかつかと歩み寄ると、

「いいかげんにしなよね!」
「ん?」

手に持ったままだった飲み掛けのビールをおもいっきりその男に浴びせ掛けた。

「なにすんだ、この」
キー、ガタン、
「きゃあっ」
プシュー‥‥
‥‥ 直江津 〜、直江津 〜

この程度の酔っ払いをあしらう位なんでもない ‥‥ はずだったのだが、 列車が急にブレーキを踏み、私は姿勢を崩して腕を取られてしまった。 妙に間延びしたアナウンスが癪に障る。 私の左手首を取った男の力も思っていたより強い。腕が抜けない。

「どういうつもりだ!」
「こっちのセリフよ、離して!」
「車掌につきだしてやる」
「やってもらおーじゃないの、 どこまでバカなの、よっぱらい!」
「なにおー」
「いたー止めてよ、ちょっとぉ」

二人してデッキドアの前で揉み合っていると、

「あの、‥‥ 乗り越すと折り返し、無いですよ?」

定期券を掲げて、そう彼女が告げる。
彼女の声を聞いたのは、それが最初だった。 大人しげな、おずおずといった、でもまるで何事も無かったかのように 怯みもなにも感じさせない言葉で、男と私は動きを止めた。

ジリリリリリリリリー

「う、直江津? んが、わ、」

そのおやじは発車ベル音で飛び上がり、彼女の手から定期をひったくると あたふたと慌てて降りて行った。

「豆腐の角に頭ぶつけて死ねっ、くそおやじ!
ったく、酔っ払いは急行に乗るなよってのよねぇ」

自分で売った喧嘩をまとめられなかったことに私はやや照れながら、彼女を振り返った。
年の頃は 17, 8 というところだろうか。 グレーの服に白いリボン、赤い襟のアクセント、 白い中袖の上着とベージュの細いタイトなスラックスという格好で、 網棚の上に大きな赤いデイパックを載せていた。 髪はざっとウルフカットされ、 十分にかわいいという範疇に入るだろう。 見つめる視線は穏やかで、けれど実はなにごとにも臆しそうにない くりっとした大きな瞳が印象深い。

「はあ ‥‥」
「やあねえ、も、しっかりしてよー」

さっき感じた芯の強さは勘違いだったか、 やたらに頼りない返事で気をそがれた瞬間、

ガタン
「わ、っと、
大丈夫大丈夫。
じゃあね ‥‥ はは」

列車が動きだし、おもわずよろけてものすごく気まずくなった私は、大人しく退散した。 席に戻って腰を落ち着け、とりあえず新しいビールを開ける。

「若いんだよねー ‥‥ 一人旅なんて無理しちゃって。
いいよねぇ青春は。青くて、春で」

酔っ払いもいなくなり再び静かになった車内。 外は暗く窓は鏡になっている。自分の顔がガラスに映っているのを眺め、そして思う。
── 出会った時の私の顔、たぶん最悪 ‥‥。

私はビールを一気に飲み干した。


時々背凭れから彼女のことを遠目に様子を窺うと 彼女は何をしているのかじっと座ったままにいる。 さらにビールを 2 缶ほど空けたところで私は心を決めた。 まだいくらか缶が残っている袋からひとつウーロン茶を取り出し、 残りをまとめて立ち上がった。

「よし」

彼女は本を読んでいた。私に気付き、微笑む。
先程のこともあり、私は仲間うちのような気安さでウーロン茶を掲げて、

「飲まない?」
「え?」
「余っちゃって」
「でも ‥‥」
「ここ、いいかな」
「あ、はい」
「さっきみたいなことがあるしさ、」

ボックスの向かい側に座り、手に持っていた缶を差し出した。 受け取った彼女にウインク。

「二人だと安心でしょ?」

私も袋からビールを取り出し蓋を開け、

「じゃまあ、とりあえずかんぱーい!」

あまり慣れないことをやったことも手伝って一気に空けた。 味は、しなかった。自分でも少しハイになっていることが分かる。
どうしてだろう。
彼女は缶を受け取った形のままで静かに苦笑を浮かべていた。 いきなり押しかけた私に眉をひそめるでもなく、 その瞳は私の仮面を気にすることもなく、心の奥底まで素通りしている気がした。

「やっぱビールはのどごしよねー、って未成年にいっちゃまずいか」

彼女もフタを開ける。

「いただきます」

プシュ

「未成年だよね ‥‥? じゅーはち、くらい?」
「17 です」
「じゅーななかあ、いいよねぇ」
「なにがですか?」
「だってじゅーななっつったら、もーピキピキでパツパツじゃない?」
「は?」
「あたしだってねー、ほんの 7, 8 年前まではそうだったんだからん」
「ピキピキでパツパツ ‥‥、ですか」
「そ、ピキピキでパツパツで、しかもピュアだったんだけどね、んん ‥‥
あー、今笑ったでしょー?」

なに言ってんだろう、と思いながら、 同時に、少し身体が軽くなる。手に持っているビールも、美味しかった。


ファーーン ‥‥‥‥

夜行列車の夜はどこかせつなくて、そして果てしなく長い。 寝台車の方では宵っ張りな人達でも多分もう寝静まっただろう。 窓の外は真っ暗で、明りもない。 私と彼女しかいないがらんとした車内で、彼女はずっと私の愚痴に耳を傾けてくれていた。

「ようするにさー、男なんて信じない方がいいってことよ」
「そうですか」
「そうよ、ロクなもんじゃないんだから、」
「あ、こぼれますよ」
「おとこにはさー、ピュアな愛ってもんがないの」
「このハンカチどうそ」
「あたしだって信じてたけどね、あんたぐらいの時は‥‥」
「今は、止めちゃったんですか」

微妙な突っ込みに少し慌てた。

「だから、あたしはね、別に、あれなのよ、‥‥
でもさ、向こうがアレだからしょうがない訳よ」
「むこう?」
「むこうてのは、おとこよ、ひどいおとこのこと」
「ひどいんですか」
「ひどいなんてもんじゃないわよ。
あたしが、どんな気持ちでいるかなんて全然 ‥‥ っ、あ、あ、またこぼれた ‥‥」
「あ、これでふいてください」
「ま、あたしも悪いんだけどね」
「そうなんですか」
「はあ、真面目ねーあんた。ここはうそでもさー、うんうん、
わるくないですよー悪いのは男の方です、て言うもんよ?」
「でも、本人が言うから」
「そうだけどさー、酔っ払いの愚痴なんだから、さー」
「でもそんなに酔っ払ってないんじゃないですか?」

微笑みながら軽く言うその言葉は、お酒に酔えなくなっている私には重かった。

「‥‥ 酔ってるよ」

八年も付き合った男と別れて、すごく悲しいんじゃないんですか、そう云われた気がした。

「でも、男の人だってピュアなところはあると思います」
「わっかいからー」
「若くなくても、同じですよ」
「幸せね、そう思えるって」
「思えるっていうか、」
「思えなくなるのよ、だんだんね」
「でもピュアな愛はありますよ」
「大人になってさー、いろんなことすると、どーなんのかな」
「したって、同じです」
「はっきり言うじゃない」
「だって、ありますから」
「‥‥ 無いよ」
「私は、信じてます」
「どして」
「今日があるから、かな」
「え」
「信じてるから ‥‥」
「私は信じない」
「信じなくても、‥‥ ありますよ」

言葉が、途切れる。横になって見上げた天井のライトが点滅した。

「あ、もうじき長浜か ‥‥」
「なんで分かるのよ」
「交流区間から、直流区間に入ったから ‥‥」
「あたし寝る ‥‥」
「おやすみなさい」

── 寝られる訳なかった。


もう夜明けも間近だったらしい。 うつらうつらしだしたころ、太陽が山の陰から顔を出すとまもなく列車は京都に入った。 私は彼女を起こさぬようにそっと抜け出し、床や窓枠に散乱した缶を片付けた。 シャワーがあるわけでもなし、簡単に顔を洗い、自分のデイパックから携帯を取り出す。 そしてデッキに抜けてもう起き出しているだろう自分の家に電話を掛けた。 一応、予定では昨夜のうちに家に戻っている筈だった。
ドアの窓の外には、そろそろ大阪の地名の看板が朝日にあてられて光り、 列車も速度を落し始めていた。電話はすぐに繋がった。

「‥‥ だから今、大阪。ん、なんとなく来ちゃったの。
もういいよ、おかあさんうるさい。 夜には帰るから。じゃね」

案の定、小言が続きそうな電話を切りアンテナを仕舞うと、デッキの戸が開いた。
彼女。

「あれ?」

意外に思う私に彼女は、

「あの、私は新幹線に乗り換えて、広島なので ‥‥」
「‥‥ そっか」

‥‥ 新大阪 〜 新大阪 〜

6 時 41 分、新大阪着。定刻通り。
もちろん彼女には彼女の予定があるのだろう。 まだ大阪駅には少しあり、心持ち早い宴の終りを私は残念に思った。

「お茶とお菓子、ごちそうさまでした」
「じゃあね」

ファアーーーン‥‥ ピンポンパンポン‥‥

そのとき、私がどうしてそういうことをしたのか、今も分からない。 あえて言えば、とりたててどこかに行きたくてこの列車に乗った訳ではない、 だから、かもしれない。
胸に急速に広がる焦燥感、なにかしなくちゃいけないと思う気持ち。 私は通路をとってかえし、自分の席につくや網棚からデイパックを掴み落すと、 列車から駈け降りた。

背後のドアが閉まる音も気にせず、私は走った。 新幹線乗り換え口脇の精算所はこの朝早くから列が出来ており、 動きの鈍さを見てとると私は諦めて左手の改札から外に出た。 そのまま走ってぐるりと新幹線入口に回りこみ、 自由席広島までを券売機を叩くようにして買いもとめ、 再び改札をくぐる時にちらと上を見上げるまでもなく博多行きのアナウンスが入る。 右側に見えるエスカレーターを一気に駆け登ると、 そこにはめまいがするほど長い列車があった。

「はあ、はあ、はあ、‥‥ ちっ」

発車まであと 10 分、私はいったん後ろにとってかえし、一号車から順に見て行く。
この列車しかない。そうは思っていても ‥‥

「いた!」

幸いなことに彼女の姿は半分もいかないうちに見つけることができた。
思わず窓を叩いた私に、こちらを向いた彼女が怪訝そうな顔をする。 私は車内に駆け込み、彼女の前に立つ。

「あの ‥‥」
「ピュアな愛はあるっていったよね」
「はい」
「信じなくてもあるって言ったよね!」
「はい」
「だったら、証拠みせてよっ!」

何を怒ったのか、自分でも分からない。 混乱していただけ? いや、違う。確かに何かがあったのだと思う。
彼女も目を丸くしていた。 ただ、その表情のどこにも私を疎む感情は現われていなかった。 私はそのことに、あとあとまで気付かなかった。ほんとうに。


気を落ち着けてみれば、これでは私はただの変な人。 車内販売にまわってきたワゴンから適当に駅弁を選んで朝食代わりにぱくつきながら、

「ごめんねー、あたしお酒が残ってたみたい」
「いえ、」
「みせろったってみせられるわけないもんね、そんなの」

彼女は箸を置いて首を傾げるようにして、

「でも」
「ん?」
「もしかしたら今夜 ‥‥」
「今夜?」
「私、これから宮島行くんです」
「宮島?」
「今日、何の日だか知ってます?」
「今日? きょう ‥‥ えと、まってよ? 言わないでよ、思い出すから ‥‥」

視線を外に向けて考えこむ。会話が止んで列車の騒音が耳に入って来た。 夜行列車の旅は長く単調なリズム、新幹線の旅はそっけなくやかましく。 頭の片隅でいろいろ考えていても走る音が耳に障る。 なんとなく身体がだるく、周りの煩さも睨み付けたくなる ── などと、 どうも集中できない、のはやっぱり昨夜はほどんど徹夜で少し疲れたからだろうか。
カサ
ふと目を戻すと、彼女がお弁当を食べ終ったところだった。 私は箸を動かしながら尋ねた。

「宮島ってさー、あたし一度だけ行ったことあるんだけど、 でもどんなだか覚えてないんだ。 どんなとこ? あ、でも、ヒントになりそうなこと言っちゃダメよ?」


岡山などで少し人を増やしながら、列車は考える間もなくあわただしく広島に着いた。 二人とも荷物はデイパックだけで、荷物を降ろすと座席を元にもどす。

「少し、案内しますね。広島市内」

ホームに降り立つと「そこは広島だった」。
新潟でも同じ格好だったとはいえ、 「きたぐに」と新幹線と冷房の効いた車内はどちらかといえば半袖の Y シャツ一枚では少し寒く、いきなりの熱気に私はややほっとしつつも圧倒されながら、

「うん、よろしく、お願いします」

夕方すぎに宮島に入ればいいということで私達には少し時間があった。 私は広島は日本酒とお好み焼きと原爆ドーム位しか知らない。 私はありがたく彼女の申し出を受けた。

「どういうところに行きたいですか?」
「そうねえ、あたし、良く知らないから ‥‥ っと、そうだ、 あんたさー、よく旅行するって言ってたよね?」
「はい」
「したらさ、初めて行ったところって、まず何をする?」
「私は、眺めのいいところに登ります」
「じゃあ、まず、ここが眺められるとこ」
「ああ。はい」

駅前から路面電車。その行き先の文字板が読めず、私は彼女に尋ねた。

「うしな? うじな?」
「宇品(うじな)、です。ああ、そうか ‥‥」

ふと彼女が何かを思い出したように、

「船、どうしますか?
宮島は広島港からも行けるし、その方が早いんですけど、大鳥居の前、通らないんです」
「それ、お勧め?」
「はい」
「じゃ、通るほうにしよ」
「はい」

そんなやりとりの後、私達が登ったのは比治山というこんもりとした丘で、 遠くはやや霞んでいるものの、広島の洲と川、 小さく見える原爆ドームの脇の大きな公園の様子は十分に見通せた。

「あれ、原爆ドームだよね」
「はい。左側が平和記念公園、右のが広島市民球場です。その右に広島城 ‥‥」

それから私達は水上バスで原爆ドームに行き、平和記念公園に回った。 そういう時、ちょっとした時間に、私は「今日」について考えたりもした。


ボッボッボッボッボッボッボッボッ ‥‥

昼も少しまわったところ、記念公園の河岸に私達は腰を降ろした。 くる時に乗った船が目の前を行く。ぽかぽかと気持ちのいい河岸。

「んーだめだあ、‥‥」

私は陽を仰いだ。朝早くから走り回った疲れがそっと浸み出てくる。 そんな疲労感とともに、 私はさきほど近くで手にいれた土地のカップ酒をあおった。

「降参 ‥‥ 教えて、今日ってなに?」
「今日は、年に一度の出会いの日」
「え?」

旧暦の七夕は先週。

「年に一度、ペルセウス座流星群が見える日なんです」
「なんだあー、あたしの脳味噌にインプットされてない日だ」

そう声をあげる私にかまわず彼女は淡々と説明を続けた。

「正確には、今夜から明後日にかけてなんですけど
月が隠れ始めた夜明けごろ、空からまるで天使が何人も降りてくるみたいに、
光が流れるんです。はじめまして、こんばんはって」

はじめまして、こんばんは ‥‥ と?

「あ、そういえばさ、自己紹介まだだったっけ ‥‥」
「はい、そういえば」
「あたし、芹沢琴音、おくればせながら、よろしく ‥‥」

私はそのまま隣に座った彼女に凭れるようにして、 彼女の自己紹介を子守歌としながら寝入ってしまった。

── 私は、七瀬優です ‥‥


ふと目が覚めてみれば彼女はずっとそのままの姿勢でいたらしい、 私は両手を合わせて謝った。

「ごめんっ!」

それから私達は新天地のお好み村?に向かった。
そのビルはお好み焼きの専門店でできている。適当に 4 階までのぼり、 彼女はまっすぐある店に入った。

ヘラで焼きあがった皮を押し付けながら、

「でもさー、宮島でそれを見るってのがどうしてピュアな愛の証拠になるの?」
「初めて見た日の出会いを信じてるから」
「うん?」
「私が旅を好きになったのも、その人が楽しさを教えてくれたからなんです」
「ふうん」

頷きつつ。トントンと私は最初の一切れをきりわけた。

「宮島の高台で私が夜空を見上げてた時、その人は来たんです」

ふと彼女は手を止めて、なにかを思い出すかのような。

「最初はびっくりしたけど、不思議とすぐにうちとけて、いっしょに流星群を見て、 いろんな話をして、‥‥
その年はちょうどスイフト = タットル彗星が現われた年で、 ものすごくたくさんの星が流れたんです。
また一緒に見たいねって別れたけど、 その子は引越しちゃって」
「そか ‥‥ 今日、その高台へ行けば、またその子に逢えるのね」
「会えるかなって ‥」
「かなあって、約束してないの?」
「はい」
「はいって」
「でも、あの流星群がみえたら、またきっとどこかであえる気がするんです」

と、店の人が口を挟んだ。

「あいにくじゃけどねー ‥‥ 今日はだめかもしれんよ? ほれ」

── なみの台風 17 号は四国を北上して、さらに勢力を落しながら瀬戸内海を通過し、 明日の明け方には中国地方に上陸 ‥‥

テレビは台風の進路が広島の真中をつらぬいている様子を映し出していた。

「なんだあ、残念だけどあれじゃねー」
「大丈夫ですよ」
「え?」
「私は行きます」
「あんたねー、今の見たでしょ、」
「はい」
「台風よ、台風、」
「はい」
「すぐそこよ、すぐそこ」
「はい」
「どう考えたって無理でしょ」
「うまく ‥‥ 台風の目に入るかも知れません」

何を考えているやら、

「あんたねー台風の目に偶然に入るなんて、すごく難しいんだって、 気象予報士の福井さんも言ってたわよ?」
「でもいってみます」
「どおしてよ?」

新天地から広島駅にもどる途中で縮景園に寄り、 それから私達はやはり宮島へ向かうことになった、というより それが当然だというかのように振る舞うのだ。彼女は。

宮島口に降りると すでに空気は黒ずみ始めていた。 瀬戸内海特有の乾いた陽気がべたっとした湿気にとってかわられている。 港に着いてみれば、岸に当たった波しぶきが小雨のようにふりかぶるほど波も荒れている。 それでも港は閉鎖させてないらしく、彼女は安堵するように、

「よかった欠航にならなくて」
「よかったんだか悪かったんだか」
「こんど来る船が大鳥居沖を経由する最後の便なんです」
「だからさー ‥‥」

すでにそういう問題ではなく。 欠航を心配するほど海が荒れている時に、 わざわざ遠回りしてまで大鳥居を見たいと思うだろうか。
やや離れたところに立ち、私は彼女の様子を眺めた。 曇り、そして台風が来る中を宮島まで流れ星を見に出かけるという彼女。 船を待つ間、 彼女に出会ってからどこか浮かれていた自分の心が少しずつ冷えていくのを私は感じていた。

ボー‥‥

乗りこんだ船はガラガラで、観光客と思える人は数えるほど。 実際、大鳥居の前で船がゆっくりとターンしていく間 デッキに出ていたのは私達だけだった。
ただ、薄暗い中でも赤い鳥居は良く映えて、孤独に波に耐える姿は何か厳粛だった。


宮島に入り、神社前の商店街で夕食をとる。 食べ終えて店の外に出てみれば空の様子はさらに悪くなったように感じた。 黒々とした厚い雲で覆われ、空の風の烈しさを見せつけるかのようにその流れも速い。
山の中腹まで登るロープウエーはすでに止まっていて、 私はややうんざりしながら、坂を登っていく彼女のあとを少し後れてついていった。

「絶対無理よ、これじゃ、丁度いいタイミングで嵐になるって」
「大丈夫ですよ」
「だって雨もふり始めたし」
「どうします」
「やめるに決まってるでしょ」
「そうですか。じゃあ」

そしてまた彼女はすたすたと山道を登り始める。 苛ついて私は両手をふりおろした。

「あんたばかぁ? 無理だって!」
「大丈夫ですよ」
「付き合いきれないっ!」

大丈夫なわけはない! 空はすっかり雲が覆い、そして今、雨も降り始めた。 風もしだいにその強さを増す。 雨粒が細かく、 顔が痛くなるほど吹きつけながらも道が乾いたままなのが唯一の救いだった。 道がぬかるむと降りるのもままならなくなる。

にもかかわらず、行けば確実に見えるとでもいうかのように彼女は揺らぎない。 まるで私にみせつけるかのように。


「もう諦めなよ!」

弥山の上の本堂から少し降りたところにある展望台。 雨足がさらに強くなりそうな予感の中、 その展望台のいちばん端に立って彼女は一心不乱に前方の空を見上げていた。 吹きさらしのその場所には屋根もない。 もっとも、背後にある休憩所の下に入っても こう横なぐりの雨では関係なく、そこにあるベンチは濡れていた。

「ねえ、もう諦めて帰ろ?」

なにも答えない彼女に、 後味が悪いかと思いつつ、本気で帰ろうかと思う、その時。

「あれ ‥‥」
「え?」

雨足が切れるようにすうっと止んだ。

「うそ ‥‥」

彼女の視線を追って空を見上げると、 灰色に濁った雲が大きく巻きながら割れて次第に薄くなっていく。 扇の形、みるみるうちに大きな掌の形に流れ吹き飛んでいく雲の切れ間から ‥‥ ついに暗紺の空が顔を覗かせ始めた。

雨が完全に切れ上がって見上げるのに眼を細める必要もなくなるころ、 空にまるで玉座が浮かぶかのように雲が取り巻き、澄んだ夜空が次第に広がっていく。 あんなに荒れ狂っていた風も、今は湿気った生暖かな空気をゆらすだけになり、 ところどころ薄くなった雲の合間から星も瞬き出す。
そして、星々を時々さえぎっていた雲にも煩わされなくなり ‥‥‥‥‥

「は、流れた、いま流れたよね!」
「‥‥ はい ‥‥」

流れ星が、輝きだした。夜空を切り裂く光の刀として、音もなく一つ、そしてまた一つ。 天頂に輝く明るい星の近くを、左から右へ。 次第に目と感覚が慣れてくると、目の端を横切る暗い流れ星まで感じとれるようになる。 そこ。 こちら。 あそこ。 そこにも。 あ。 あれも ‥‥
いつのまにか、もう、無数の星が流れていた。

── はじめまして、こんにちは ‥‥‥‥‥‥

どれくらいの時間が経っただろうか。
私達はいつのまにか手を繋いでいた。

流れ星の生まれるあたりの雲が無くなって少し興味をもってそのあたりに眼をこらすと、 雨が一粒、眼に入った。 ふと気付くと、また空も狭くなってきている。
ぽつりぽつりと雨音がまた感じられるようになってきた気がして、 私は握っていた手をゆっくりとほどいた。

「‥‥ 行こか」
「‥‥ はい」

それから、再び本降りとなるのに 10 分と要しなかった。


一夜明けてみれば嘘のように冴えわたった空が広がる。 昨夜遅くに泊めてもらった彼女の以前からの知合いらしい民宿のおばさんに 礼を述べて私達は宮島を後にした。

「勝ったつもりでいるだろうけど、偶然だからね。偶然」
「はい」
「え、は、はいって、」
「偶然だけど、よかったじゃないですか」

分かってはいたんだろう。 私にもようやく少しずつ感動が広がった。まだ言葉にはしたくない想い。 見掛け通りのそんな単純なものではなく、 私のために行ったにせよ、 私がいたからそれに拘ったにせよ、 あるいはまったくそうでなかったにせよ ‥‥

「ふん、あんたって ‥‥」
「へへっ」
「でも人生ってもんはねー、そんな甘くないんだからねー」
「そうかもしれませんね」
「でもだから人生は面白いって説もあるけどね」
「ずっと信じていたいな ‥‥
じゃ私、広電で行きます。さよなら。琴音さん」

ぺこっと頭を下げ、彼女は横断歩道を駆けていった。

「あれ、そういえば、あんたの名前 ‥‥」

ゴゴー ‥‥

信号が変わり車道が空くと、もちろん彼女の姿は消えていた。 私はなんとなく苦笑いを浮かべ、 そして背後の JR 宮島口駅を見上げリュックをとんっと背負い直した。
さあ、私も帰ろう!


── ただの、変わった女の子だったのかもしれない。 でも私には彼女が愛を信じて旅をつづける天使のように思えた。 そして私の顔もいつのまにかちょっとだけいい笑顔になっていた。

今でも流れ星を見ると彼女のことを思い出す。 ペルセウス座流星群(家に戻ってから本で調べた!)の降ったあの夜、 結局は、彼女は「彼」に出逢うことは無かったのだから、 もしかしたら 8 月、また流れ星の降る夜に宮島に行けば彼女と会えるのかもしれない。

でもそれは私にはすごく不遜な気がするのだ。
あれから私はもう一度、宮島を訪れたけれど、 それは流れ星の降る夜のことではなかった。

またどこかへ旅をして、もしも彼女に逢えたら。
私は言えるかもしれない。
なんとなくだけど、信じてるよって ‥‥

── FIN.


データシート。
製作: サンライズ
放送: テレビ東京 Apr. 22, 1998; 25:45 - 26:15.
CAST: 芹沢 琴音三石 琴乃
七瀬 優西口 有香

参考ホームページ。


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