Genesis y:2.9 態度
"Relations between them"


「うああ、」
「きゃあ!」

朝、僕は抱えていた布団とともに突然ベッドからころげ落ちた。
痛いけど起きるの面倒いのでそのまま ‥‥ え? 『きゃあ』?

「えーと、なんだ?」

のそのそっと布団を退けると、人が下敷になっている。

「え、アスカ?」

血の気が引いた。これは痛そう ‥‥ 僕の頬が。
心の中で、頬のために十字を切る。

「なにすんのよ! エッチ! バカ!」

痛い。 やっぱり叩かれた。覚悟はしてたけどやっぱり痛い。頬を押える。

「いきなり、なんだよお、‥‥」
「文句ある?」
「‥‥ ないです」

朝、アスカが起こしにきたところで僕がベッドから床に転落して、 アスカを下敷にしたことは謝ってもいい。
しかし、多分、おそらくは、僕がベッドからひっくりかえされたのって、 アスカのやったことなんだろうと思う。
どこか理不尽な思いを引きずりながら、僕は着替えた。
なにげなく時計を見て ‥‥

「アスカぁ! なんでこんな時間なんだよぉ!」

珍しくすぐに起きたつもりでいたのに、いつもより 10 分も遅い。


テーブルの上に僕の朝ご飯は無かった。
さもそれが当然のように、母さんもアスカも物事を運んで行く。
もちろん僕が朝ご飯を食べられるのは、 アスカが起こしに来てすぐに起きられた場合に限られる。
遅れた時でも、 大抵はテーブルに並んだご飯を横目で恨めしそうに眺めながら登校するのに、 今日はそんな気配もない。
‥‥ 起きた時は、今日は食べられると思ったのに。

「いってきまーす」

アスカの声はいつも元気一杯。

「あ、ちょっと待って!」

母さんが台所から顔を出して、呼び止めた。
手に弁当箱を二つ持っている。

「‥‥ お弁当ですか?」
「シンジの面倒見てくれたお礼よ」
「ありがとう、おばさま!」

そうすると僕のお弁当はアスカの面倒を見た、誰のお礼なんだろう、 と思っていると、

「アスカちゃんのお弁当の残り」

実に明解な答えが返って来た。
はいはい ‥‥


自宅-学校間マラソンのタイム更新はならなかったけど、結局は間に合った。
ミサト先生の遅刻癖は今日はとくに酷い。
そろそろホームルームの時間も終りなのにまだ来ない。
ガラガラガラ‥‥
来た。あれ? なんで? 車は?

「さ、ホームルーム始めるわよ!」

そんな僕の疑問も関係なく、先生は単刀直入にホームルームに入った。
さすがに後ろめたいらしい。

「きりー、れー、着席!」
「連絡事項は特になーし、欠席してる人は手挙げて!」

そこでなんで僕を見るのか、と思ったけど、 そういえば先週の金曜は風邪で休んた。
そのことを僕は遥か昔のことのように思い出した。

「いないのね! じゃ、ホームルーム終り! 洞木さん!」
「‥‥ きりーつ、れー、着席 ‥‥」

ひっじょーに簡潔なホームルームが終った。
やっぱり、どこまでもミサト先生だった。
先生が出て行った後で、さっき気になったことを僕はケンスケに尋いてみた。

「ケンスケ、ミサト先生が学校に来たの知ってた?」
「車の音、しなかったよなあ。
俺も知らない。‥‥ 裏から来たのかな」
「ケンスケがつきまとうので裏に回った!」
「んなわけないじゃん、いっつも笑顔向けてくれてるのに」
「そうそ、ええ先生やなあ ‥‥」

トウジが浸っていると、その背後から委員長の殺気。
僕は少しトウジから離れた。

「鈴原、バカなこといってないで花瓶の水、換えてきなさいよ!」
「わ、いいんちょー、今週、わし、週番ちゃうで、わしは来週 ‥‥」

委員長の大声にトウジが跳び上がる。

「ぐだぐだ言ってないで! プリントとかいっぱい他にあるんだから!」

‥‥ 可哀相なトウジ、週番でもないのに。
そんなことを思っていると、後ろから刺のある声がかかった。

「同病相憐むぅ?」

アスカの声。 なぜかいっつもホームルーム前とかにアスカはつっかかってくる。


昼ご飯は購買にパンを買いにいくことにしているけど、 あの混雑の中では、やむをえず学校の外まで買いにいくこともある。
4 時間目に話の分かる先生にあたると、授業時間が微妙に短くなっているのだけど、 今日はそういう先生ではなかった。

「シンジ! 買いに行こうぜ」

だからケンスケの声にも微かに焦りがある。

「うん」

トウジは委員長からお弁当が貰えるので、買いにいくのはケンスケと僕の二人。
ただ、買ってくるのはなぜか三人分になる。 今日もアスカの方を見ると、やっぱり頼む表情。
はあ‥‥ いや、べつにいいんだけど。

「はいはい ‥‥ いってきます」
「いってらっしゃーい」

疲れた僕の後ろから、楽しそうなアスカの声。
ケンスケはそれを無表情に眺めながら、 教室の入口のところで僕を待ってくれていた。
カメラは構えていない。 購買部の競争をくぐり抜けるのは、カメラにとって危険すぎるからだそうだ。

「被写体としても、面白くないしな」

というのがケンスケのコメント。
購買部の前には、すでに黒山の人だかり。

「出遅れたからな ‥‥ 外行くか?」
「しょうがないね ‥‥ たどりつけても、何も無いだろうし」

とはいっても、無理に割り込めば、まだいくらかあるだろう。
しかし、 そういう不人気なもの(美味しくないもの)を買ってアスカに渡すのは恐い。
教室に戻るのが遅れる方がまだましだった。
学校の外すぐのところにコンビニが一軒あり、 昼休みの時間にはうちの学校の人で一杯。
もしかして、経営はうちの学校の生徒でもってるんじゃないだろうか、 ということを新聞部が取材に行ったことがあるけど、 そうでもないらしい。
実際、 レジには列ができているとはいっても、流れるように列が進んでいく。

「ひとりひとりの買いものがたいしたことないからなあ」
「そうだね」

めあてのパンを買って外へ出る。
混雑から抜けてほっと一息。

「トウジはいいよな、弁当あって」

別にトウジや、トウジの母親が作っている訳ではないけど ‥‥
いないから当然だけど、母さんがいても ‥‥ あ。

「どした、シンジ」

ケンスケが振り返って、立ち止まった僕をけげんそうに見る。

「‥‥ 僕もあったんだ」
「? ‥‥ 弁当が?」
「うん。‥‥ これ、どうしよ?」

手のビニール袋を持ち上げて示す。

「食べ切れないんなら、トウジにあげれば?」

ケンスケが呆れながらも、妥当な線を教えてくれた。
あ、いや、けっこう酷い言い草かもしれない。


アスカの分のパンまでトウジに渡したのはちょっとした冒険だった。
お弁当のことを思い出していなければ、教室で僕を待っているはずだから、 お弁当に気付いていたのだろうとは思う。
アスカと洞木さんが教室に戻ってきたとき、僕はそんなことを思いながら、 教室の入口を眺めていた。

「なによ?」

とりたてて僕につっかかって来る様子は無い。
お弁当を食べたと見てよさそうだった。

「酷いじゃないか ‥‥ 買いに行かせるなんて ‥‥」

覚えていたんだったら、思い出させてくれても良かった。

「買いにいけ、なんて言った覚えはないわね。
冗談を真に受けてそのまま買いにいくのが悪いのよ。
あんただって忘れてたんでしょ?」
「え、うん」
「‥‥ で、どこで気付いたの? まさか、買って来ちゃったとか?」

僕はそっとトウジの方を見た。

「‥‥ あんたバカ?」

これだけで僕がどうしたか分かるというあたり、
トウジがどう思われているか良く分かる。


学校からの帰り道。久しぶりにアスカが一緒。
トウジは何故か教室に残されているし、 ケンスケは今日はカメラの整備日ということでさっさと帰ってしまった。

「でも、こういうのもいいわよね」

アスカがカバンを叩きながら言う。
いつもは僕が買って来たパン。トウジがいつも食べてるお弁当もおいしそうだし、 多分アスカと一緒の洞木さんのもそうだろう。
そういうのを目の前にしていると、たまにはそういうのも食べたくなる。
‥‥ でも、良く考えたら、両方とも洞木さんの作ったお弁当だな。

「うん。母さんに頼んでみようか?」
「悪いわよ、そんなの。シンジ、あんたが作んなさいよ」
「え、僕?」
「だめか、朝、起きられるはずないもんね」
「じゃ、アスカが作るとか ‥‥‥」
「なんであたしがそんなのしなきゃいけないのよ」

アスカが即断する。僕だと何でいいんだろう?
でも試してみるのも悪くないかもしれない。
料理そのものはそんなに嫌いじゃない。

「明日、作ってみよう ‥‥ か?」
「いいわよ、そんなの。どうせあんた起きられないでしょ」

しごくもっともなので、僕は諦めた。
アスカに早めに起こしに来てもらう ‥‥ 訳にはいかないだろう。


ピンポーン ‥‥

「はい? あ、シンジ?」

ドアのすぐ裏で返事。ちょうど出かけるところだったらしい。

「どっか行くの? ごめん、その前にお弁当箱、返してくれる?
明日も母さん、お弁当、作ってくれるっていうから」
「‥‥ ちょっとまってて」

いきなりアスカの表情が消える。
お弁当箱をアスカが取りに戻った間、それがちょっと気になった。

「はい」
「ん、じゃ、また明日」

バタン!
鼻先でドアが勢い良く閉まる。

「‥‥ 何も悪いことはしてない ‥‥ よな?」

お弁当箱、返してもらっただけ ‥‥ だ、と、思う、多分 ‥‥


作者コメント。 5 万ヒット記念、シンジバージョン。
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