Genesis y:2.8 二律排反
"Do you prepare them?"


「きゃあ、なんでこんな時刻なの!」

シンジに約束させた一週間も先のデートのことを考えていて、 つい寝るのが遅くなったのが、

「まずかったかしらね!」

シャワー浴びて、朝食つくって、と考えていくと学校に少し間に合わない時刻。
でもシャワーは浴びた。


呼び鈴一つ、合鍵でシンジの家へ入る。
おばさまから合鍵を渡されて以来、何度かこれで入っているけど それでもまだ気が引ける。

「おばさま、おはようございます!」
「あら、おはよう、‥‥ 珍しいわねぇ、アスカちゃんが遅れるなんて」

台所のおばさまへの挨拶もそこそこに、シンジの部屋へ向かう。
陽の光を浴びながらシンジが平和そうに寝ているのはいつもと同じ。
違うのは、そろそろ出る時刻だということくらい。

今日は最初から最終手段。よけいな時間はかけてられない。
シンジが尋常な方法では起きないのは分かってる。
ほんとはもっと優しい方法で起こしたいんだけど!!
‥‥ 起きないだろうけど。

「ほら、おきろ! バカシンジ! ‥‥」

おもいっきり掛け布団を手前に剥ぐと、

「きゃあ!」

シンジが一緒に手元に転がり込んできた。

「痛ったあ ‥‥」

もそもそとシンジがあたしの上で起き上がる。

「‥‥ え、アスカ?」
「なにすんのよ! エッチ! バカ!」

あたしは身体を捻ってシンジをふり落とした。
ついでにおまけもつけて。

「いきなり、なんだよお、‥‥」

頬を押えたシンジを睨みつける。

「文句ある?」
「‥‥ ないです」
「さっさと着替えてきなさいよ!」

それだけ告げて、あたしは部屋を出た。
ドアを閉めて、シンジの部屋の前で 押し倒されてくしゃくしゃになった服を整えていると、
ドアの向こうからシンジの悲鳴。

「アスカぁ! なんでこんな時間なんだよぉ!」

あたしは部屋のドアを無言で蹴飛ばした。


もちろんシンジに朝食は無い。
それに、テーブルのシンジの席にも何も並んでいない。
部屋から出て来たシンジと並んで玄関口へ出、おばさまに声をかけた。

「いってきまーす」
「あ、ちょっと待って!」

そう言って、おばさまが顔を出した。

「 ‥‥ はい、これ」
「‥‥ お弁当ですか?」

手渡されたのは、お弁当箱。
あたしのと、シンジのと。

「シンジの面倒見てくれたお礼よ」
「ありがとう、おばさま!」
「‥‥ これは?」

シンジが自分の分のお弁当箱を指して変な顔で尋ねる。
あたしは呆れ顔でシンジを眺めた。そんなの決ってるでしょうが。

「アスカちゃんのお弁当の残り」
「‥‥」
「はい、いってらっしゃい」

お弁当は、嬉しい。
ただ、ちょっと遅刻気味のところで手間取ったのは、敗因になるかもしれない。

「シンジ! 急ぐわよ!」

あたしはいつもより少しピッチを上げた。

「はぁ、はぁ、はぁ、」

道半ばというところでシンジが先に息が乱れ出した。
寝起きで普段よりきつい条件だから仕方がない ‥‥ けど、

「だらしないわねぇ! ほら、早く!」
「はぁ、はぁ、アスカ先、行って」

後ろを振り返ると、シンジの表情は自分で言うほど酷くない。

「まだいけるわね!」

あとはミサトがどれくらい学校に遅れるか、というあたりになる。
道路向こう側の時計を見れば、ホームルーム開始まであと 1 分。


教室は騒がしかった。ミサトが来ていない証拠、 にはならないけどそういう雰囲気ではなかったので、 教室の前のドアから入る。あの遅刻魔が担任で助かった。
でも、だったらもう少しペースを落してもよかったかもしれない。
さすがにあたしも息が切れて、苦しい。

「遅い」

教室に入って来たあたしをヒカリが軽く睨んでいる。

「シンジの、バカがね」

ここで声を顰めた。

「起きるの、遅いくせに、走るの、遅いから ‥‥」

ホームルームの時間も終りに近付き、ヒカリと一緒になって
遅れるにしても来ないのはいきすぎだよねぇ
と憤慨していると、

「アスカ、来たわよ」
「へえ、ようやく?」

ミサトの重役なおでまし。

「さ、ホームルーム始めるわよ!」
「きりー、れー、着席!」
「連絡事項は特になーし、欠席してる人は手挙げて!」

ミサトは時々これをやる。ミサトの場合、これが冗談になってないのは、 これで本当に出席簿をつけるから。
本当に欠席者が居た場合、 一時間目の先生が出欠をとったその記録をホームルームの記録にしてしまう。
もちろん、ミサトがやるんじゃなくて週番の人かヒカリがやる。
でも今日は全員、来ていた。

「いないのね! じゃ、ホームルーム終り! 洞木さん!」
「‥‥ きりーつ、れー、着席 ‥‥」

それにしても、あってもなくても誰も何も困らない、 連絡事項も何も無いホームルーム。
確かにこれならミサトじゃないけど、 ホームルームに来ようという気にはならないかもしれない。
心無しか、ヒカリの声にも陰がある。
こういう場合、連絡事項はあとでヒカリが伝えるはめになる。
やっぱり、ミサトが担任の時の委員長の職務には問題があると思う。

「ケンスケ、ミサト先生が学校にくるの、おまえ教えてくんなかった ‥‥」
「違うよ。車の音、しなかったろ?
俺も知らない。‥‥ 裏から来たのかな」

シンジと相田がミサトの話。そういえば、 いつもの、3 バカトリオのかぶりつきが無かった。
ミサトの車が学校に飛び込んでくるたびに あの連中は人との話もほっぽいて窓へ向かう。

「そうそ、ええ先生やなあ ‥‥」

鈴原も余計なことを口にする。 もちょっとヒカリのこと見てあげてもいいと思うのに。
ヒカリの方を見ると、しっかり聞いていたらしい。鈴原を睨んでいる。

「鈴原、バカなこといってないで花瓶の水、換えてきなさいよ!」
「わ、いいんちょー、今週、わし、週番ちゃうで、わしは来週 ‥‥」

ヒカリに連行される鈴原を眺めて、シンジの憐れみの表情。
それを眺めて、シンジに聞こえるように独り言。

「同病相憐むぅ?」
「なんだよ、それ?」

実に素直にシンジの顔色が変わる。

「誤解しようが無いと思うんだけど」
「それはアスカが ‥‥」

恒例となった朝の言い合い、でも今日はミサトに邪魔されない!!


4 時間目が終った。昼食の時間。
シンジが相田に購買に誘われている。
あたしの分も目で頼む。

「はいはい ‥‥ いってきます」
「いってらっしゃーい」

例によって肩を落すシンジを、 あたしは元気よく送り出した。

「夫婦の会話やな」
「なにか言った?」

後ろで鈴原がつぶやくのを、睨む。

「いや、別に?」

すっとぼける気らしい。向き直ると、

「でも、なんでいつも碇君なの?」

鈴原の命の危機とばかりに、ヒカリが割り込んで来た。
そんなの邪魔しなくていいのに。

「あいつ、けっこう食いものにうるさいのよ」
「ふうん」

ヒカリが微笑んだ。
せいぜい購買のパンの選び方でどうこう言うこともないかもしれないけど。
でもなんとなく組合せに妙があるような気がするし ‥‥ って、

「いっけない、今日、お弁当だったんだ」
「じゃ、出張から帰って来たんだ、よかったじゃない、アスカ」

ヒカリが喜んでくれている。
嬉しいけど、そういう訳じゃないのが少し、悲しい。

「‥‥ ママが作ってくれるわけないじゃん。
これ、シンジのおばさまが作ってくれたの ‥‥」
「‥‥ ごめん。でも、そしたら碇君もお弁当なんじゃないの?
行っちゃったわよ?」

シンジが出て行った方をヒカリが目で示した。
そういえばシンジもお弁当だった、と思い出す。

「あのバカ ‥‥ 途中で気が付いて戻って来るわよ。
屋上、行きましょ」


昼休みも終り、あたしとヒカリは教室に戻った。
シンジがあたしを見つけて、抗議の顔をしている。

「なによ?」
「酷いじゃないか ‥‥ お弁当だったのに買いに行かせるなんて ‥‥」
「買いにいけ、なんて言った覚えはないわね。
冗談を真に受けてそのまま買いにいくのが悪いのよ。
あんただって忘れてたんでしょ?」
「え、うん」
「‥‥ で、どこで気付いたの? まさか、買って来ちゃったとか?」

シンジが無言で鈴原を見る。
つまり、
買ってしまって、
食べきれないので、
鈴原が食べた、
ということらしい。あたしは呆れた。

「‥‥ あんたバカ?
で、鈴原は、お弁当とパンのどっちを先に食べたの?」
「お弁当から食べてたけど」
「ん、それならいいわ」

ヒカリに迷惑がかかるところだった。危なかった。
ちゃんと止めとけばよかった。


学校からの帰り道。
ヒカリが鈴原の監督と称して残ったので、今日は珍しくシンジと一緒。

「でも、こういうのもいいわよね」

あたしは弁当箱をカバンの上から指し示した。
自分の分くらい、作ればいいのだろうけど。

「うん。母さんに頼んでみようか?」
「悪いわよ、そんなの。シンジ、あんたが作んなさいよ」

今日のはともかく、あんまりおばさまに迷惑はかけられない。
どちらかというとシンジのお弁当、また食べてみたい。

「え、僕?」

シンジが全く考えてなかった、という表情を作る。

「だめか、朝、起きられるはずないもんね」

良く考えたら、そのためにはシンジが早起きしなければならず、
迎えに行ってシンジが起きているというのはどこか腹だたしい。

「じゃ、アスカが作るとか ‥‥‥」
「なんであたしがそんなのしなきゃいけないのよ」

なにしろシンジが上手すぎる。
シンジ自身のと比較されてはたまったものではない。
もちろん口では褒めてくれるだろうけどそれだけじゃ嫌。
一度『どうやって作ったの!?』って言わせてみたいんだけど、 ママに習おうにも留守がちでは仕方がない。
シンジのおばさまに頼るのが一番だけど、まだ少し遠慮がある。
でもそれを名目にしておばさまに習おうか ‥‥ ?

「明日、作ってみよう ‥‥ か?」
「いいわよ、そんなの。どうせあんた起きられないでしょ」

あたしはあわてて断った。
んー、でもシンジのお弁当 ‥‥
こういうのを二律排反というんだと思う、きっと。


家に戻ってから、 昨日の今日なら試しに作ったと言いやすいことにあたしは気が付いた。
お弁当の材料を買いに行くことにする。
ついでにシンジにつき合わせれば一石二鳥。
さらにシンジにも作らせれば一石三鳥。
いそいそと出かける用意。

ピンポーン ‥‥
玄関で靴を履いているところでベルが鳴った。

「はい? あ、シンジ?」

ちょうど呼びにいこうとしたところ。グッドタイミング!

「どっか行くの? ごめん、その前にお弁当箱、返してくれる?
明日も母さん、お弁当、作ってくれるっていうから」

‥‥‥ いきなり気を削ぐことをいうバカ。

「‥‥ ちょっとまってて」

あたしは肩を落して、お弁当箱を取りに戻った。

「はい」
「ん、じゃ、また明日」

シンジのバカ。
そうつぶやいて、あたしはソファで横になった。


作者コメント。 5 万ヒット記念、アスカバージョン。 ちょっと疲れた。
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