Genesis y:2.7 一週間前
"Routine work"


「しまった ‥‥ 今日、僕どこで寝るんだろう ‥‥」

もちろん僕の部屋にはアスカが今も寝ている。
部屋の前に立つ。‥‥ 物音はない。
コンコンコン ‥‥

「アスカ起きてる ‥‥ ?」

返事なし。そっと部屋を覗く。暗い。

「‥‥ アスカ、起きて ‥ ないか」

後ずさって、音がしないように手を添えながらドアを閉める。
もっとも、

「起きてても、おんなじかな ‥‥」

追い出せるはずもない。
寝る場所を求めて辺りを見回すと、ソファが目に止まった。

「‥‥ しょうがない、あっちで寝るか ‥‥」

ソファを見た時に思いついたこと。
ソファだけだと寒い。
毛布は僕の部屋でアスカが使ってる。
じゃあ、予備の毛布を母さんの部屋から。
どうせならそこで寝ればいい。
‥‥ という訳で、いま僕は母さんと父さんがいつも寝ている部屋の中に居る。
ベッドを整える。

「こんなもの?」

普段のより倍くらい大きいベッドなので、感じが変。
さて。

「‥‥ さっきついでに着替え取ってくればよかった」

もう一度、僕は自分の部屋に忍び込んで着替えを持ち出すはめになった。


「んー」

何か布団に乗って来た感覚。人の ‥‥ 気配?
アスカ!

「‥‥ あれ、アスカ、おはよ」

怒鳴られる前に返事。‥‥ しかし眠い。
まだ開いてない目でアスカの方を見ると、‥‥ ん?

「‥‥ 風邪は? なんか顔、まだ赤いみたいだけど ‥‥」
「風邪はもういいみたい。あんたもさっさと起きなさいよね」
「でも、今日、日曜 ‥‥」
「そんなことはどうでもいいのよ。
ほら、早く用意して、でかけるわよ!」

昨日まで寝込んでいた病人はどこへ消えたんだろう ‥‥?

「‥‥ ってどこへ?」
「知らない」
「知らない?」
「一昨日、昨日と二日も家にこもりっぱなしだったんだから、 どこだっていいわ。
貴重な休み、あたしは家でベッドの中で過ごすつもりは無いわよ」

おもいっきり胸を張ってアスカが言い切った。
でもそれが病人たる者の務めでは?
熱ひいたんならいいか。
いやでもやっぱり一日くらいは大人しくしてくれない ‥‥ だろうな。
あくびだかため息だか分からない吐息を僕は一つついた。

「ところで、おじさまとおばさまは?」

僕がこんなところで寝ていたかららしい。

「昨日、『月曜までには戻ります』って FAX が ‥‥」

よくあることではある。

「放任主義の親かかえてる割にはちゃんと育ってるわよねぇ、お互い ‥‥」

なにやらアスカがしみじみしている。

「‥‥ シンジは違うか」

しかしこういうところがアスカだった。

「‥‥ 何で?」
「いちいち叩き起こされてるじゃなーい?」
「うー」

反撃ネタなら一杯ある。僕は頭の中で数えあげ始めた。

「『うー』じゃないの。さっさと起きて来なさいよ」

寝癖で立った僕の頭を一つ叩いてアスカが下がった。

「‥‥ うん」

それにつられてベッドから降りる。
でもこんなに早く起きなきゃいけない理由は僕には無いと思う。
さっき出来たかもしれないけど。
着替えは部屋に戻らないと無い。そのままペタペタと部屋に向かう。
こちらの部屋にも、もちろんベッドがある。
ベッドに気がついたのは、着替え終ってからだった。つい習慣で着替えてしまった。

「そのまま寝る、という手もあったんだな」

手遅れだった。
でもしばらく恨めしく、それを見ていたけど。
窓を開けて、掛け布団をたたみ、僕は部屋を出た。
アスカが台所でフライパンに火をかけている。朝ご飯?

「アスカ、おはよ」
「あ、シンジ、おっはよ」

アスカが返事すると同時に手を引いた。

「じゃ、あとよろしく」
「あとよろしくぅ ‥‥ ?」

フライパンの中には何もない。油を引いたところで僕が声をかけたらしい。

「あたしも朝、まだなの」
「‥‥ はいはい」

つまり二人分作れということらしい。
アスカの見てる脇で一人食べる、 というのは味気ない、よりはもう少し何か嫌だから、それはかまわないけど。 でも今やろうとしてたのはなんだったんだろう?
そのままやってくれても良かったと思う。
そういえば、僕はアスカの作った料理をほとんど食べた記憶がない。
おばさんが居ない時はアスカ、朝ご飯どうしてんだろう?

「でも、ほんとに何処いくの? ‥‥ 用意もしなきゃいけないし」

アスカは後ろのテーブルについて僕が目玉焼きを作るのを待っている。

「遊園地!」
「遊園地? でも、街の外だよ?」
「いいじゃない、たまには遠出しても」
「じゃなくて、今、街の外にでられないよ。
なんだかでいろいろ止まってるから」
「あ、そうか ‥‥」

しっかり忘れていたらしい。今も連日ニュースでやっている筈だけど。
もっとも、遊園地までの交通機関を考えてみるまで僕も忘れていた。

「‥‥ シンジに何処にしようかって聞いてもしょうがないか ‥‥」
「うん」

できれば家にいたいという僕の希望が通るとは思えない。

「じゃ、買い物つき合って」
「え ‥‥」

帰りの大荷物が頭に思い浮かぶ。

「なによ、その嫌そうな声は」

アスカの不機嫌そうな声。

「あ、いや、別に ‥‥」

ま、いいか。これはこれで。
来週のこともあるし。


第三新東京市営地下鉄第二環状線。
来年には遷都というわりには、 第三新東京市に鉄道はあんまりない。
第二環状線と第七環状線があるだけ。
なんで二と七なのか母さんに尋ねたら、父さんが答えた。

「市長が間抜けだからだ」

そういうもの?
今、アスカに腕を引っ張られながら、この話を思い起こしていた。
なにしろ父さんが積極的に僕の話に割り込むことはほとんどなかったから、 印象に残っている。

「ほら、シンジ早く!」
「ちょっと、アスカ、それ ‥‥!」

逆方向! という声は上げる暇もなく、ぼくは電車の中にひきずりこまれた。
一応、訊いてみる。

「アスカぁ ‥‥ どこまで買い物に行くつもり?」
「センターだけど」
「‥‥ だと思った。これ、逆方向だよ?」

外に視線を走らせるアスカ。
あ、理解したみたい。睨んだ顔から次の言葉もだいたい想像がついた。

「いいのよっ! こっちでも着くんだから!」

だよな。環状線だし。

「それはそうだけど ‥‥」
「それとも何? あんたは急ぎたい訳でもあるの?」

そういう言い方は無いと思う。
急いで逆方向のこの電車に飛び乗っちゃったのはアスカのはず。

「別に無いけど ‥‥」
「じゃ、いいでしょ」
「うん ‥‥」

環状線を半分以上まわるんじゃ、遠出するのと一緒だよ ‥‥
とは口に出来なかった。
昨日、一日中ずっと寝込んでたのに、大丈夫なのかなあ?
ちょっと混みだした車内で、 僕はアスカの周りに空間を作った。
アスカはドアにもたれてぐったりしている。
まったく ‥‥

「アスカ、駅だよ」
「うん ‥‥」
「‥‥ まだ熱、あるんじゃないの? もしかして ‥‥」
「ないわよ ‥‥」

少し歩いたところで、喫茶店があった。

「アスカ?」

返事無し。

「アスカってば!」
「‥‥ 何?」

これは、休むよりむしろ ‥‥

「帰る?」
「バカ言ってんじゃないわよ。さっさと行くわよっ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」

まったくもう!
さっさと行こうとするアスカをおさえて僕は指さした。

「ここ入ろ?」
「い、や」
「嫌って ‥‥」

そんな静かにきっぱり断言しなくても。
口ごもっている僕を見てアスカが微笑む。
生気が戻ってきた。

「よかった ‥‥」

僕はほっとした。なにやら元気なかったから。
と思う間もなく、

「こっち!」

僕の腕をとって隣の映画館まで引きずって行くアスカ。

「これがいいな」

見たところ、けっこう混んでいる。
いや、こういうところより、僕は休みたいんですが ‥‥
言うだけ無駄なのは、‥‥ 分かっている。

「入るわよ!」
「はいはい ‥‥」


センターという一般名詞を堂々と固有名詞に使っているデパート。
まっすぐアスカが向かったのは、僕にはまったく用のない階だった。
幾つか服を持って試着室にアスカが消えたけど、すぐに出て来た。

「こんなのどう?」
「‥‥」

この階に来た時に、

「別にあんたに期待してるわけじゃないわ」

と宣言してたのは、さらに別のことをやらせるつもりだったんだろうか ‥‥?
十分に過大なことを僕にやらせていると思う。
どう? と聞かれても、そんなのが分かる訳ない。

着替えて、二つ目。‥‥ だから僕に聞かないで欲しい。でも似合ってる。
他に無かったらこれにしよう。
三つ目。きれい。
四つ目。派手 ‥‥ ここまで、あわせて四つまでは僕は数えていた。
多分、ちゃんと感想も口に出していた ‥‥ と思うけれども、そのうち、 頭の中を、

「あきた」
「つかれた」
「くたびれた」

の言葉のみが回るようになり、口には出せなくなって暫くして、
突然、アスカが片付け始めた。

「帰るわよ」
「あれ、買わないの?」
「‥‥ 気に入ったのなかったからいいの!」
「‥‥ そお?」

足早に出て行くアスカのあとを僕は追った。
二つ目のやつも没なんだろうか。


アスカの家の前。

「ありがと。じゃね。楽しかった」

そういう声でも表情でもない。アスカ、なんかおかしい。

「‥‥ アスカ」

鍵を差し込んだアスカの手が止まる。沈黙が広がる。
アスカと目が合った。

「‥‥ 何よ」
「大丈夫? 疲れてない ‥‥ ? 元気ないし、顔色悪いし ‥‥」
「‥‥ んなわけないでしょうが! このバカ!」

一瞬にして、ドアの内側へアスカが消える。
アスカ泣いてた? 錯覚?
ちょっと気になったけど、そのままにして僕も家に帰った。

「あ、昼まだだっけ ‥‥」

どうせ夕方までつき合わされるだろうと思って、何も考えてない。
アスカの方はどうだろう?
隣の家のベルを鳴らす。

「シンジ、何?」

ドアが開いて、アスカが顔をだした。別に泣いてた訳ではないようだ。

「アスカ、昼ご飯どうするの?
こんなに早く帰って来るとは思わなかったから ‥‥」

アスカの表情が硬くなった?

「早く帰れて嬉しいでしょ?
あんた迷惑そうな顔、ずっとしてたもんね」

‥‥ !

「何よ」
「ご、ごめん」
「あんたバカ!?
迷惑だったって認める気!?」
「違う! そうじゃなくて、そうじゃなくって!」

頭の中を「ごめん」の文字が跳ね回っている。何も出て来ない。

「なんであたしが、 こんな思いしなくちゃいけないのよ!
このバカシンジ!
わかったわよ! 今度から無理につき合わさせたりしないから、 それでいいんでしょ!」

一気に血の気が引いた。

「だめ! そんなの!」
「そんなの僕は興味ないです、なんて顔しちゃってさ!」
「そんなことない!
アスカこそ、 風邪おして無理して意地張ってたくせに!
いつ倒れるか気が気じゃなかったんだからね!」
「治ったって言ったでしょうが!」
「じゃあ、電車ん中でずっとドアに凭れてたの何だったんだよ!」
「そりゃ最後は僕も疲れたけど! これいいな、とか思ったっ!」

失言に口をおさえるも ‥‥

「だったら、その場で言いなさいよね!
罰として来週の土曜、もう一回つきあってもらうからね!」

今日のセンターでの事が思い出される。
わずかに躊躇したのがアスカにも分かったのか、目が怒っている。

「ご、ごめん。あの、でも、‥‥ 金曜じゃなくて?」
「金曜?」
「4 日は金曜なんだけど ‥‥」

12 月 4 日。アスカの誕生日。
アスカの様子が軟らかくなった。助かった ‥‥ かな。

「あの ‥‥ アスカ?」
「それとこれとは別よ!」

でもなかった。
呆然としていると、また、あっという間に家の中に消えた。
肝心なことを聞いていない。

「あ、アスカ! お昼は?」

ドアの内からアスカの声。

「‥‥ うん、そっち行く ‥‥」


お昼ご飯を食べながら、僕は尋ねた。

「やっぱり、5 日のと 4 日のと、別 ‥‥ ?」
「いいわよ、別に。嫌なら。そんな無理しなくても」
「えーと、そうじゃなくて、プレゼント、5 日でもいいなら、ってことだけど」
「何よ、用意するのにあたし本人をつき合わせよう、って言うの?」

ちょっと不機嫌になるアスカ。
まあ、当然だろうけど、僕も覚えられなかったから、仕方がない。

「うん。やっぱり良く分かんないから ‥‥」
「でもだめ。1 日遅れるなんて冗談じゃないわ」
「え ‥‥」
「だから 4 日に、あたしを連れてきなさい。
‥‥ 5 日の分は、あんたへの貸しにしとくわ」
「え、えーと、うん、分かった ‥‥」

借りが何に化けるのか、ちょっと考えたくなかったけれど。


作者コメント。 4 万ヒット記念の片割れ、というかオマケのシンジ一人称。
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