Genesis y:2.6 ある日曜日の午前中
"A daily life"


朝。

「‥‥ ふはあ ‥‥」

半身を起こして背伸び。喉の痛みは引いた。熱も、なさそうだ ‥‥ と身体の具合を確かめたところでいつもと部屋の感じが違う。
ここは ‥‥ シンジの部屋。
この家に泊まったことはある。でも、シンジの部屋に泊まったのは、 一昨日からのこの二泊が初めて。

「なんでか、こっちの方が良く眠れるわ ‥‥ ベッドの質が違うのかしらね」

ベッドを軽く叩く。
みたところ同じようなものじゃないかと思うけど。
さて、シンジを起こしにいくまえに、一度、家に戻ることにする。
‥‥ 昨夜はやっぱりお風呂に入れなかったから ‥‥


あたしの家。
二日間、誰も居なかった家。
シンジの家も、この二日間は両親ともに不在で似たようなものだった筈なのに、 あたしの家の方だけ印象が寒い。
玄関先で、冷たい空気を振り払うようにしてあたしは中へ入った。
着替えを引っ張りだして風呂場へ直行。
シャワーのつもりでいたけど、沸かすことにする。
ちょっと汗がべとべとで気持ち悪いけど、それよりこの空気の方が嫌。
雰囲気ごとあっためるつもりで、風呂のスイッチを入れて、あたしは居間に戻った。

電話には連絡は ‥‥ 無い。もっとも、 ママから電話が入ることはめったにない。
ヒカリは、昨日の今日だし、あたしがこの家に居ないことを知っている。
お風呂沸かしている間に、朝食の用意しなきゃいけないんだけど、‥‥ そういう気にならない。
自分の部屋に戻ってベッドの上に寝っころがる。

「なんか調子でないなー ‥‥ まだ治りきってないのかしら ‥‥ ?」

しばらく枕を抱えてぼけっとしていると、風呂場から音。沸いた合図。

「ま、さっぱりすればなんとかなるでしょ」

あたしは重い腰を上げた。


シンジの部屋の前に立つ。景気よくドアを蹴飛ばして中に入るとシンジは居ない。

「それはそうよねぇ。あたしが寝てたんだから ‥‥」

どこで寝てるんだろう?
居間のソファの上。いない。
台所。起きている訳ではないらしい。
おじさまおばさまの寝室以外はすべて見て廻った。いない。
風呂場。‥‥‥‥‥‥‥ 音はしない。ノック。返事はない。覗く。いない。

「ふぅ」

ため息一つ。
残るは一つ。玄関に戻って、靴を見ると、 おじさまおばさまが帰っている訳ではなさそう。
となればここ。おじさまおばさまの寝室。
コンコン ‥‥ 返事はない。そっとあける。
シンジがダブルベッドの上に一人。

「どこで寝てるかくらい、紙に書いておきなさいよね ‥‥」

あたしは腰に手をあててシンジを睨みつけた。
ダブル ‥‥ か。
ベッドに一人眠るシンジを見ているうちにちょっとした悪戯を思いつく。
シンジの手前側にゆうに人ひとりが潜りこめる位の幅。
掛け布団に手をかけて ‥‥ あたしは自分の格好を見下ろして手をとめた。

「この服、皺にするの、は ‥‥」

気分ととのえるつもりで着てきたお気に入りのワンピース。

「しょうがないわね。これくらいでかんべんしたげる」

一昨日の返事ということで ‥‥
シンジの頭の位置が少し遠いので、ベッドに左手をついて顔をそっと近づける。

「んー」

ベッドに突いた手に体重が乗って、マットが沈んで傾いたので半分、起きたらしい。

「‥‥ あれ、アスカ、おはよ」

あたしはあわてて身体を起こした。なんでこんな時に限って寝起きが良いの?
キスまであとちょっとだったんだけど ‥‥

「‥‥ 風邪は? なんか顔、まだ赤いみたいだけど ‥‥」
「風邪はもういいみたい。あんたもさっさと起きなさいよね」
「でも、今日、日曜 ‥‥」
「そんなことはどうでもいいのよ。 ほら、早く用意して、でかけるわよ!」
「‥‥ ってどこへ?」
「知らない」
「知らない?」
「一昨日、昨日と二日も家にこもりっぱなしだったんだから、 どこだっていいわ。
貴重な休み、あたしは家でベッドの中で過ごすつもりは無いわよ」

勢いだけで言い切った後で、この考え、あたしは自分でも気に入った。
そうしよっと。

「‥‥ ?」

シンジはまだ不要領な顔をしている。

「ところで、おじさまとおばさまは?」
「昨日、『月曜までには戻ります』って FAX が ‥‥」

‥‥ あ、そう ‥‥

「放任主義の親かかえてる割にはちゃんと育ってるわよねぇ、お互い ‥‥
‥‥ シンジは違うか」
「‥‥ 何で?」
「いちいち叩き起こされてるじゃなーい?」
「うー」
「『うー』じゃないの。さっさと起きて来なさいよ」

シンジの頭を軽く叩いて脇にどくと、

「‥‥ うん」

シンジがもそもそっとベッドから降りて来た。
シンジの後をついて部屋を出て、あたしは台所へ向かう。
シンジはそのまま自分の部屋に入っていった。
自分の部屋のベッドで、そのままごろん、なんてことはないでしょうね?
と、ちょっと部屋の方を睨んだけれど、
それならもう一度、叩き起こす楽しみができたということで、
今日は急がないから。

あたしは朝食を作ろうとして、台所の前に立ち、 今朝とちがって、今は作る気になっている自分を発見した。

「あれ?」

やっぱり朝のは気の迷いか何かね。きっと。
フライパンに油を引いたところでシンジが台所に入ってきた。

「アスカ、おはよ」
「あ、シンジ、おっはよ。じゃ、あとよろしく」

バトンタッチ。

「あとよろしくぅ ‥‥ ?」
「あたしも朝、まだなの」
「‥‥ はいはい」

呆れたような、諦め切ったような表情のシンジ。
ごめんね。でも、母親が当てにならないから料理は独学のあたしじゃ、 シンジほど上手にいかないの。
そんなことを思いながら、あたしは椅子にすわってシンジの後ろ姿を眺めていた。

「でも、ほんとに何処いくの? ‥‥ 用意もしなきゃいけないし」

ついてきてくれるんだ。
なら、

「遊園地!」
「遊園地? でも、街の外だよ?」
「いいじゃない、たまには遠出しても」
「じゃなくて、今、街の外にでられないよ。 なんだかでいろいろ止まってるから」
「あ、そうか ‥‥」

今、良く分からない警報で市外と結ぶ交通機関や道路のほとんどが止まっている。 街の外と切り離された時には大騒ぎになったけれど、
もとの日常に戻ったような感じですっかり忘却の彼方。
あたしは突然、世界があたしに悪意をもってるような気がしてきた。

「‥‥ シンジに何処にしようかって聞いてもしょうがないか‥‥」
「うん」

こういうやつよね。

「じゃ、買い物つき合って」
「え ‥‥」
「なによ、その嫌そうな声は」

そりゃ帰りのことを考えるとシンジは憂鬱になるかもしれないけど。


第三新東京市営地下鉄第二環状線。通称、環状線。
ひとまわり大きく回る第七環状線の方は、環状線とは言わない。 なぜかは知らない。

「ほら、シンジ早く!」
「ちょっと、アスカ、それ ‥‥!」

あたしはシンジがあげる声を無視して、電車にひっぱりこんだ。
シンジの抗議をいちいち聞いててもしょうがない。
いっつもおんなじことしか言わないし。

「アスカぁ ‥‥ どこまで買い物に行くつもり?」
「センターだけど」
「‥‥ だと思った。これ、逆方向だよ?」

窓の外に流れる駅の方向掲示版をちらっと見て、‥‥ あ、逆だ。

「いいのよっ! こっちでも着くんだから!」
「それはそうだけど ‥‥」
「それとも何? あんたは急ぎたい訳でもあるの?」
「別に無いけど ‥‥」
「じゃ、いいでしょ」
「うん ‥‥」

どこかまだ不満そうなシンジ。ちょっと無理矢理だったかもしれない。
目を合わせ辛くって、窓の外に目をやる。 ドアの窓ガラスに映ってシンジが見える。
その時シンジがあたしからすっと離れた。
シンジ怒った ‥‥?
鉄棒を握りしめる手が白くなる。

バカ。
そんな不景気な顔してんじゃないわよ。
ぼけーっとそんなとこにつったってないで。
この混雑の中であんたのその立ち方は周りに迷惑よ ‥‥

間違ったのを知った時は、これでも良いかと思ったのに。
シンジと居られる時間が長くなるから ‥‥

なんにもやることのない 20 分間のあと、
センター前駅着

「アスカ、駅だよ」
「うん ‥‥」
「‥‥ まだ熱、あるんじゃないの? もしかして ‥‥」
「ないわよ ‥‥」

あたしは地下街をシンジのあとについていった。
とぼとぼと。シンジの足もとを見つめて。

「アスカってば!」
「‥‥ 何?」

気がつくと、シンジが振り返って立ち止まっている。

「帰る?」

無表情にそう訊いてきた。
渡りに船ってわけ!?

「バカ言ってんじゃないわよ。ほら、行くの!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」

先にたって行こうとすると、シンジが止めた。

「ここ入ろ?」

シンジが指したのは、‥‥ 映画館ではなかった。
その手前の喫茶店だった。
シンジがぁ? と一瞬、思ったけど、ま、そんなもんね。

「い、や」
「嫌って ‥‥」

あ、シンジの困った顔。

「よかった ‥‥」

へ? よかった? 何が? シンジが微笑んでる。
まあ、いいか。なんとなく気まずかったの、無くなったし。
という訳で、

「こっち!」

腕をひっぱって、となりの映画館の前にシンジを引きずっていった。

「これがいいな」

看板を指さすと、シンジがため息をついた。
またそんな顔して ‥‥ 無視!

「入るわよ!」
「はいはい ‥‥」

この映画は失敗だった。
要約すれば、
はいそれで二人は別れました、愛し合っていたのに、というお話。
こんな気分の時に見るようなものじゃない。
少なくとも、嫌がってため息ついたシンジと見るものじゃなかった。
でも、なに見たって面白くなかったかもしれない。


「ちょっとまって、ここ洋服売場! もしかして ‥‥ まさか ‥‥」
「別にあんたに期待してるわけじゃないわ」

でもないかもしれないけど。
幾つか服を持って試着室に入る。

「こんなのどう?」
「‥‥ ってわかんないよ、そんなの!」

つまんない。
二つ目。

「ふうん」

三つ目。

「へえ」

四つ目。

「わ」

五つ目。

「ん ‥」

六つ目。

「‥‥」

七つ目。

「‥」

以下略。

だんだんシンジの態度がいい加減になってくる。
十ほど着てみたあとで、
あたしは全部片付けてシンジに声を掛けた。

「帰るわよ」
「あれ、買わないの?」
「‥‥ 気に入ったのなかったからいいの!」
「‥‥ そお?」

あたしはもう、泣きたくなってきた。


家のドアの前。
まさかお昼も食べずに帰ってきてしまうとは夢にも思ってなかった。
シンジのバカ。

「ありがと。じゃね。楽しかった」
「‥‥ アスカ」

鍵を差し込んだ手を止めた。

「‥‥ 何よ」

シンジと目が合う。

「大丈夫? 疲れてない ‥‥ ? 元気ないし、顔色悪いし ‥‥」
「‥‥ んなわけないでしょうが! このバカ!」

それだけ叫んで一気にドアを開け、あたしは内へ飛び込む。
ポーチを床に叩きつけてリビングのソファに倒れこんだ。

「‥‥‥‥‥ お昼、つくんなきゃ ‥‥」

外でシンジと食べるつもりだったのに!

ピンポーン ‥‥
シンジがドアの外に姿を見せている。でもまだ顔みたくないんだけど。

「シンジ、何?」

ドアを開けた。

「アスカ、昼ご飯どうするの?
こんなに早く帰って来るとは思わなかったから ‥‥」
「‥‥ 早く帰れて嬉しいでしょ?
あんた迷惑そうな顔、ずっとしてたもんね」

鳩が豆鉄砲食ったようなシンジの表情。

「何よ」
「ご、ごめん」
「あんたバカ!?」

謝って欲しかったんじゃない!
なんで分かんないのよ!

「迷惑だったって認める気!?」
「違う!
そうじゃなくて、そうじゃなくって!」
「なんであたしが、
こんな思いしなくちゃいけないのよ!
このバカシンジ!」

一緒にいたいだけなのに!
もう止まんない。
でも、だったら、あたしはどうして欲しかったの ‥‥ ?

「わかったわよ! 今度から無理につき合わさせたりしないから、
それでいいんでしょ!」
「だめ! そんなの!」
「そんなの僕は興味ないです、なんて顔しちゃってさ!」
「そんなことない!」

え?

「アスカこそ、 風邪おして無理して意地張ってたくせに!
いつ倒れるか気が気じゃなかったんだからね!」
「治ったって言ったでしょうが!」
「じゃあ、電車ん中でずっとドアに凭れてたの何だったんだよ!」

それはシンジが ‥‥ !
え ‥‥ !!
やだ、シンジってば。

「そりゃ最後は僕も疲れたけど!
これいいな、とか思ったっ!」

バカ。

「だったら、その場で言いなさいよね!
罰として来週の土曜、もう一回つきあってもらうからね!」
「‥‥ え?」

ほら、またびくつく!

「ご、ごめん。あの、でも、‥‥ 金曜じゃなくて?」
「金曜?」
「4 日は金曜なんだけど ‥‥」

12 月 4 日 ‥‥ あたしの誕生日? あ、なんか嬉しい。
顔がほころんでいくのが自分でも分かる。

「あの ‥‥ アスカ?」
「それとこれとは別よ!」
「え、そんな」

みなまで聞かずに家の中に飛び込んだ。

「あ、アスカ! お昼は?」

ドアの外からシンジの声。

「‥‥ うん、そっち行く ‥‥」


10 分後、シンジの家にて。
あたしの顔はまだ少し赤かったらしい。

「やっぱり、素直に寝たら ‥‥?」
「‥‥ ちがうわよ、バカ」

さっき測ったら 38 度を越えてたけど、 さすがにそう言う訳にはいかない。残念。


作者コメント。 4 万ヒット記念。というわけ(何がだ)で、アスカ一人称。
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