八木雄二の「中世哲学への招待」(平凡社新書)は、随分昔「古代哲学への招待」と一緒に買ってから何回か読みかけては挫折していた本である。カレル・ヴァン・ウォルフレンの本を読んでいて、日本の文化に対して一面的な拒絶をしているようで、しっくりしないところが多々あった。それは彼が典型的な「ヨーロッパ的思考」をしているためなので、そのあたりを相対化してみたいと思って、本棚から取り出した次第である。

(その1)生涯の風景

    ローマ帝国が380年にキリスト教を国教として以来、キリスト教は帝国と手を携えて教会組織をヨーロッパ全域に広げていった。その後の帝国の崩壊やゲルマン諸民族の国家の興亡の中で、教会は権威として諸国家の上に立ち、実社会での生活空間を支配していた。キリスト教は個人の救いの宗教というよりも、もはや社会的紐帯の要であり、信者でなければ社会の一員として認められない状態にあった。諸々の部族信仰による「異端」と戦ってこのような状況を維持するためには知識階層(つまり僧侶=学者)による権威の正当化が不可欠であった。一般大衆の関与することではなかったのであるが、彼らの思想的営為が次の時代、近代を準備したのである。

    知識階級の拠って立つ過去の遺産は、プラトンであった。つまり、プラトン主義とキリスト教の教義の整合性を取る事がまずなされた。アウグスティヌスがそれを完成させた。修道院ではアウグスティヌスを引き継いでキリスト教の正当化の仕事が続けられる。スコラ哲学の始まりである。11世紀の頃である。ゲルマン民族大移動の嵐の中でキリスト教が地方の偶像崇拝と妥協し、部族の神を聖人に置き換えて生き延びていた頃、アラビア半島ではイスラムの大帝国が栄えていて、そこにギリシャ哲学、特にアリストテレスの思想が浸透して発展していた。

    12世紀になるとパリに教師と学生の自発的な集団が生じ始めて後にパリ大学になる。12世紀後半以降、そこにアラビア半島からアリストテレスの思想が入ってくる。13世紀になるとギリシャ語からの直訳がなされるようになる。こうして、スコラ哲学にプラトンからアリストテレスへの大転換がなされる。その主役が、トーマス・アクィナス、ボナヴェントゥラ、ヨハネス・ドゥンスである。八木雄二氏はこのヨハネス・ドゥンスの研究者である。一般的にはその後カトリックの教義となったトーマス・アクィナスの「神学大全」が知られるが、実のところヨハネス・ドゥンスの思想はそれを超えて近代に直接繋がっている。

    ヨハネス・ドゥンスは1291年オックスフォードの郊外のフランシスコ派修道院で生まれた。これは新しい組織である。ヨーロッパがやや落ち着いてくると、教会の金権腐敗が目立つようになり、キリストの初心に戻って教会を離れ、托鉢と民衆の救済を行う人たちが現れ、自分の家を持たない托鉢修道僧となった。それがまとまって各地に新しい修道院という組織が作られた。他にはドミニコ派が有名である。托鉢修道会は教育熱心であり、付属の学校で優秀な修道士を育成して、パリ大学などに送り込んでいた。ヨハネス・ドゥンスもパリ大学で学んだ。

    当時の大学では「普遍論争」が盛んであった。ヨーロッパの言語には主語と述語があり、個別の対象を主語としてその属性が述語となる。属性はしばしばカテゴリーである。例えばあれは犬である、とか。ここで、実在しているのは「あれ」で指示される具体的な一匹の犬なのか、それとも「犬」で指示される普遍概念なのか?というのが普遍論争である。現代では誰もが、具体物こそ実在であり、普遍概念は心の中に作られるものであると考えるが、当時の知識階級にとっては逆だった。これはプラトンの思想であり、プラトンにとって感覚的に認められる具体物は仮の姿であって、あくまでも普遍概念こそが実在する。つまりこれがイデアである。ヨーロッパの伝統の中で奴隷制度はつい最近まで存在していて、金銭に無頓着な知識階級は具体物の世界に捉われることなく本質を論じる、というのがあるべき姿でもあったからである。哲学は個人の生き方ではなく、真に公共の利益を考える事に目的があり、そのために感覚ではなく理性に従って正義とか善とかいった概念を論じるのである。

    しかし、プラトンの弟子のアリストテレスは医者でもあり、現実に有用な物に目を向けていたために、表向きは普遍を実体としながらも本当は個別のものこそが真の実体である、という考えを持っていた。それまでプラトンの目に見えないものの実体性を神の実体性の根拠としていたキリスト教会がアリストテレスの哲学に動揺したが、大学の神学部の教師にとってはそれほど厄介でもなかった。神への信仰はアリストテレスの哲学からは不合理になってしまうとしても、本来神は人間の理性を超えているのだから、理解できなくても問題は無いのである。ただし、当時の大学での議論の中には教会の教義に反するものもあった。例えば、「学問は何時いかなる時も真実である、つまり永遠に真実であるという事象を扱うからそこには時間が捨象されている。だから、世界も永遠の昔から未来まで存在することになる」というものである。これは、「神が世界を創造した」、とする教義に反している。また、「学問的判断は人間理性に特有の働きであり、本来共通の真理に基づく判断であるから、人間の理性はみな同じ一つの理性から生じていることになり、行為の責任は個々の人には無い」、という議論もあった。これは個々人の罪を問題とする教義に反しているし、教会が告白を受けることで信者を救う必要もなくなる。よく考えるとこれらの論理には欠陥があるのだが、若い人にはなかなか見破られない。そこで、キリスト教会は1277年にこれらの教義を教えるものは「破門」とすると宣言した。つまり、信仰の主体的基盤である個々人の自由意志を尊重しない命題を禁止したのである。そのために、学問を論じている限り問題とならなかった「自由意志とは何か」という課題が生じてしまった。このような時代に大学で学び、時代(教会)の要請に従って大学での論争を通じて書物を残し、当時広く受け入れられていたヨハネス・ドゥンスであったが、近代に至って全く無視されて、著者が発掘するまであまり知られていなかった、ということである。

(その2)神の存在

    中世においてキリスト教は独占的な宗教であり、土着の信仰に替わって新しい社会の紐帯として人々を結び付けようとしていた。諸部族の異教に対して絶えず目を光らせていたから、神の存在を証明することが是非とも必要であった。東洋世界は多神教の世界であり、個人の救いが重要であるから、そんなことは誰も考えない。仏教的信心からすれば、仏が存在するかどうかは問題ではなく、あくまでも仏の有り様が問題であり、それを真似ることで自己を変革することに意義がある。イスラム世界では最初に神への信仰が前提とされているから考える必要はない。ヨーロッパにおいては神の存在証明は客観的科学でなくてはならなかった。ヨーロッパ中世から近代への変化はキリスト教科学信仰から自然科学信仰への変化であった。その局面において宗教と自然科学が世俗世界の支配権を巡って対立したのであって、本来個人の救いとしての宗教と科学は対立する概念ではない。むしろ、科学的であろうとした中世の神学(ヨハネス・ドゥンス)こそが近代科学を準備したのである。

    従来の考え方では、地上から遠い天体の運動の中で「必然」が象徴されていて、そこでは第一原因(神)の必然性があり、地上ではさまざまな偶然が見出されていたので、その偶然が近接原因(神の必然性に対する邪魔者)によって生じると考えられていた。これに対して、ヨハネス・ドゥンスは偶然の原因も神に由来していると考え、地上で見られる必然はむしろ近接原因に由来すると見ていた。彼の考えでは人間の意志が介在しない自然現象は近接原因による必然(2次的必然)であるということで、これは自然法則そのものの定義でもある。人間の意志が介在すると、それは「偶然」となる。神の意志は「端的な必然」であるが、それは観測されることがない。彼と近代の思想家の違いは、彼が、当時の社会情勢と職業からして、2次的必然よりもむしろ「端的な必然」に重きを置いたということだけである。ただ、彼は更に2次的必然について詳述しており、経験的に因果関係が認められ、それが一つの自明な原理に達するような場合には、原理による論証という形で個々の現象が説明予測されるようになり、そこまで到達できないで単なる相関関係に留まるような最下級の必然もある、と述べている。前者がデカルトの「明証性」に相当している。明晰判明であるためには、単に経験的に因果関係が認められるだけでなく、そのプロセスが要素分割され、それぞれの要素の作用が解明されなくてはならない。デカルトとの差異は数学的解析の有無だけであった。もっともアリストテレス自身が、科学とは諸命題を演繹推論の形式に還元することである、としていたのであるから、これは当然でもあった。ヨハネス・ドゥンスを認めるならば、中世から近代への変化というのは、科学の対象が神から物体に変わったということにすぎない。

    アリストテレスの自然学の要素は運動と変化である。自然界は動かすものや変化を引き起こすものと動かされるものや変化を引き起こされるものという関係で出来上がっている。動いていないものは運動する可能性だけを持つ。つまり可能態にある。これが運動状態にある(現実態にある)ものによって動かされて動くようになる(現実態になる)。ただし、それらは全て日常言語で記述され量的な差異は問題にされない。それに基づいて神の存在証明をしたのはヨハネス・ドゥンスよりも2世代早いトーマス・アクィナスであった。「アリストテレスの自然学を辿れば、全ての運動の原因たるものとして、自らは動かされることのない第一原因が無くてはならない。これが神である。」これは救いの為の神の存在証明ではなくて、宇宙を支配する神の存在証明である。ヨハネス・ドゥンスはこの証明に対してやや不満であったので、運動だけでなく普遍的にあらゆる現象の因果関係を辿り、自然界にはその大元の原因が存在しないことを逐一証明した。従って第一原因は無限なものとして存在しなければならない。当然ながら膨大な証明群であったので難解であるが。こうして演繹的に証明された神の存在は実証できるものではない。無限なるものは存在するのか?これには答えが無いが、それを救うものこそが信仰である。人間知性は神を信じることが出来る能力であり、信じることができるなら、神は知性に何らかの存在として受け取られていなければならない。

    歴史を遡って、11世紀カンタベリーのアンセルムスと言う人が神の存在証明を残している。われわれの知性の中に、それより大いなるものが考えられないもの、という概念を構成する。しかし、それよりも、知性の中にも外にも存在するものの方がより大いなるものである。現実に存在するものの方が考えているだけのもの(概念や論理)よりもより優れている(有意義である)という考えである。この「存在の有意義性」は西洋知識人の考え方である。本来、存在することと有意義である事は別の事項であるから。しかし、この考え方を採ると、それより大いなるものが考えられないもの(神)は実在しなくてはならない。何故ならそれ(神)がもし実在しないならば、それ(神)よりも他に実在するものの方が大いなるものになってしまうからである。この証明の背景にはもうひとつの思想が隠れている。それは「存在と論理の一致」である。論理的に考えられたものは、存在するのか、存在しないのか、のいずれかでしかないし、それが論理の真偽性である。(条件に依存したり、確率論で誤魔化すことはあっても真偽は必ずある、という思想。)現在では存在には別途感覚される事実による実証が必要である、というアリストテレスの考えが一般的であるが、プラトンは論理的に正しいものは存在すると考えていたし、アンセルムスもヨハネス・ドゥンスもそうである。

    神の存在は証明されたとしても、もう一つの難問は「なぜ悪があるのか?」である。キリスト教ではこの世の全ては善である神によって作られているから、悪がなぜあるのか?という疑問が生じてしまう。しかし、これは存在の問題ではなくて、倫理の問題である。従って、これに対する答えはあまり科学的ではなく、説教風であって、「悪は目的に至る過程なのであって、善を目指して悪と対峙すれば、より大きな善が実現する」、というものである。神の意思は完全に自由であり、それが結果することは人間の自由意志による善や悪であれ、何であれ偶然である。つまり、存在の必然でないから科学の問題ではない。悪の存在には必然的原因は無い。その都度神の意思を思い量るしかない。ここには、キリスト教会(神学)が声高に信仰を語りながらも、個人の救いとしての信仰に触れることなく、教会の社会的存在を確保するための科学的根拠付けでしかなかったことが如実に示されている。そして、近代科学もそれを(近代社会システムを維持するための役割として)そのまま受け継いだのである。

(その3)個別性について

    世界を広く見渡す哲学者は、まず普遍を理解しているのであって、個別物を理解しているのではない。何故なら、知性が処理するのは普遍であり、個別物は感覚によって処理されるからである。個別物から普遍が認識される過程を究明するのは自然学や心理学であるが、哲学としては逆に普遍から個別物を理解しなければならない。これが、普遍を実在の基本に置く中世の考え方であり、個別性が問題となる所以である。

    中世キリスト教は社会的紐帯であり、ヨーロッパ人を個性の強い人々に育てたのではなく、むしろ普遍的な広がりをもつ集団的信仰を教えた。個性は情緒的性格の違いを意味するものではなく、知的教養における独自性である。それはキリスト教信仰ではなく、何よりも古代ギリシャに起源を持つ大学での討議形式で培われた。大学における討議形式の背景としては、当時知識の基盤となる書物が非常に高価であって、教師も学生も本を読んで知識を得ることが難しかったから、真偽を測るための唯一の手段が論争であった、という事情もある。この点、日本における学問の伝統とは丁度正反対である。討議で勝つためには相手を驚かせるようなアイデアが有効であり、そのためには物事を眺める新しい視点を必要とする。そのためには異なる視点を持つ人々から受ける刺激が有効となる。もっとも西洋の伝統の中では個性は当たり前のことであり、ここでいう「個別性の問題」とは関係ない。

    哲学は自然科学のように具体的な事物を使って真理を証明する学問ではない。具体的事物を言葉に置き換えて議論するから、当然ながら言葉の意味する普遍的概念を扱うことになる。だから、プラトンの思想も無理な事ではなかった。個々の事物を扱うには実際の現場で体を動かすしかないが、他方で言葉は現実経験を超えて未来を作り出す手段でもあるから、いずれが重要ということではない。プラトンとアリストテレスの伝統の間での健全な対立こそが近代を作り出したのである。

    トーマス・アクィナスは個物の個別性の起源を質料的なものという。アリストテレスによれば、事物はその材料である質料(material)と本質的な形(実体)である形相(forma)の組み合わせで出来ている。一般的な物体については個別性の起源を質料的なものとするのにそれほど問題は無い。個々のものを時間的空間的配置に従って一つと数えるのであるから、そこに形相は無いだろう。しかし、人間のように精神的な存在になると怪しくなる。トーマス・アクィナスは、「人間も生まれた時は白紙であり、身体感覚を通して個別性を獲得していくのだから、人間の個別性も身体起源である」、という。しかし、それでは身体形状によって精神の個別性が形成されるのだろうか?この問題を正確に考えるには2つの地平が必要である。一つは、受容可能性の実在性(質料)とこの可能性に働きかけて何らかのかたちを実現する原因となる実在性(形相)という地平、もう一つは、個物の普遍的基盤となる実体性(substanntia)と、これと結びついて個物の表面的違いを生み出す付帯性(accidentia)である。

    ヨハネス・ドゥンスは、個別化の原理を、質料ではなく、形相の側にあると考えられた実在性(形相性formalititas)に求めた。つまり、受容可能性である質料ではなく、それを個別物として積極的に規定する構成要素を個別化原理とした。つまり、個別性により強い意義を与えた。それは一個一個が神の創造の対象であり、「神の愛」の対象である、という意義である。これはある意味では普遍こそが実体であるとするプラトン的伝統への挑戦である。「人間知性はたしかに抽象によって普遍を捉えるのであるが、これは知性の最高の認識形態ではなく、個物を個物のままに直観することが実は最高の認識形態なのだ」、ということに繋がるからである。これが第1の地平からの説明であるが、第2の地平に立つとそのヨハネス・ドゥンスの思想が明らかになる。それまで個々の人間の違いは人間という本質に対して付帯的な相違に過ぎないと考えられていた。人間は人間になる可能性として生まれてきて経験によって人間になるのであるが、それは人間という実体が持つ可能性の範囲内のことであるから、あくまでも2次的な事柄であるとされてきた。しかし、ヨハネス・ドゥンスは人間の付帯性には特別な完全性「無限な神性」を受け取る可能性がある、という。個別性は無限な神性を受け取る可能性を齎す。勿論、これは単なる可能性であるが、神の意思によりそれが齎された場合は聖人となるという次第である。この為に彼は個別性の起源を形相の側に置いたのである。それはまた、個人が教会の教える聖書の知識だけでなく、奇跡的に直接神と交わる可能性を考える根拠となった。それまでは、信仰はあくまでも集団的なものであり、個人は教会に入ることで信仰を持ち、神の愛を受けるものであったが、ヨハネス・ドゥンスの理論により、個人が信仰を持つことが可能となった。個人の尊厳がキリスト教の中で許された。

(その4)記憶と理解と愛(三位一体論)

    神はまず「父なる神」であり、神との契約により、唯一の神として崇める代わりにユダヤ民族は約束の地に導かれる。ユダヤ民族はエジプトで奴隷化されモーゼが族長となって神との契約を交わしてパレスチナに導かれる。しかし、人々は信仰を忘れ、バビロニア帝国に滅ぼされる。父なる神と民族との乖離が意識され、人々は神が地上に送ってくれる救世主の出現を期待する。救世主と考えられたのがイエス=キリストであり、彼が神に「お父さん」と祈ったことから、イエス=キリストは神の子であると考えられた。ユダヤ教徒はこれを神に対する冒涜と考えて処刑した。イエスの弟子達はそれを信じたが、屈辱的な処刑(十字架への貼り付け)を神が見過ごしたことは、ユダヤ教会が彼らを嘲る口実になった。そこで、彼らはイエスは人類の原罪を一身に背負って自ら生贄となったことで人類を救ったのだ、と解釈した。信者は洗礼によってその原罪を消すことが出来るということになった。更に、イエスは処刑後に蘇生し、「私が父なる神の元へ帰る代わりに父に頼んで聖霊を送るから安心しなさい」、と弟子に言い残したと伝えられる。

    これで、父と子と聖霊が揃うことになった。これらの位置づけ(神性を認めるかどうか)については論争があり、4世紀までに幾多の宗教会議で3者に神性を認める、という結論になった。上記の物語そのものがその観点で書かれている。学者達がそれに異議を唱える事は異端となり、許されないから、これらと人間との関係を考える事になったが、神は自分と似た姿を持つように人間を作ったとされ、神は身体を持たないから、それは人間精神のことであると考えた。イエスは言葉で導いたということだから、「理知的なもの」に相当する。聖霊はその伝説からして、「愛」であり、それは「意志的なもの」である。それでは父たる神は何に相当するのか?人間の要素のもう一つは感覚であるが、それは身体的なものであるから、神に相応しくない。そこでプラトンの思想が登場する。プラトンのイデアは人間精神の故郷であって、生まれる時にそれを忘却する。普段は感覚的世界に生きているのであるが、知性的な事実に気づいて美しさに感動することもある。例えば勇敢さである。それは知的な美徳である。にも拘らず、人間は勇敢さとは何かと改めて問われると答えることが出来ない。ソクラテスの問答はこのイデアを思い出すための訓練であった。プラトンは生得論であって、教育は教え込むことではなくて引き出すことだと考えていた。問われて真理に気づくことこそが真理を学ぶことであった。こうして難問であった父なる神に相当するものが「記憶」ということになった。父なる神が記憶であり、キリストが理知であるから、これは認識論を構成することになる。つまり、記憶から理知(理解や知識)が生じることになる。

    しかし、ヨハネス・ドゥンスの時代にはアリストテレスの影響が強く、アリストテレスは人間は白紙で生まれてきて経験によって知識を得る、としていた。アリストテレスの認識論では、まず五感によって感覚的表象が心の中に生じる。これに対して知性が無意識の内に働いて本人に普遍的概念を齎すと考える。そもそも言葉の習得そのものが無意識であるから、これは自然な考え方である。このような働きを中世では「抽象」と言った。(現代では抽象は意識的な操作を意味する。)逆に言えば個別的なものへの言及は知性による感覚表象への回帰が必要とされる。知性もまた可能知性と能動知性があり、能動知性の働きかけで可能知性が働くとされたが、そうすると、能動知性ことがイデアではないか、という見方も出来る。このことに気づいたヨハネス・ドゥンスは、能動知性は単に感覚表象に働いてそれを知性的レベルに引き上げるとした。そうして得た像を可能知性に引き渡すとした。この可知的形象はまだ無意識の内にあって理解には到達していない。彼はそれを「記憶」と呼んだのである。彼の定義では、知性が習い覚えた物は記憶ではなくて「習性」や「学習」である。これはかなり変わった考えのように思われるが、ベルグソンも同じである。このように考えた理由は何だろうか?西洋におけるプラトンの消えざる影響であろうか、それとも三位一体説において理解から記憶が生じるということはキリストから父なる神が生じることであり、教義上許されなかったからだろうか?確かにそういう一面もあるだろうが、八木氏は記憶から理解が生じるというのはある意味で真実を突いていると考えるし、僕もそう思う。感覚経験というのは無意識の内に沈んでいるものであって、ふとしたことでそこから真実が浮かんでくる、と言う経験がけっこうあるからである。現代生活の忙しさの中で溢れている情報に追われていると、こういう経験が忘れられ勝ちなだけではないだろうか?我々がいつでも参照できるものは記憶ではない。それは大部分が無意識の中にある。直接参照できるものは身体的訓練を通して得たスキルである。スポーツや音楽だけでなく学問もその一つであることは、実際に学問を応用してみれば直ぐにでも納得できるであろう。

    三位一体の3番目は「神の愛」であるが、これは人間の犯した罪を神が許すことである。罪を犯すということは神への裏切りであるから天国には行けなくなる。しかし、神はその罪を許すことが出来る。逆に罪を犯すような愛は肉の愛であって神の愛ではない。人間精神でそれに相当するものは従って知的な愛ということになる。また、意志は知性の世界理解を前提として働く。神は人間に2種類の恩寵を齎す。一つは聖書の教えであり、その教えに従って意志を働かせて生きる事が神の意に沿うことである。もう一つが聖霊である。これについては人間の理性には識別不能である。こちらは信者個人個人別々に与えられていると信じられている。それによって人間の意志の力を超えた働きが実現する。聖人の行為はそのようにして説明される。

(その5)自由と意志

    ボランティアの意味は自由意志で活動する人の事を意味するから、他人から求められて動く意味は無い。しかし、日本人はボランティアを自我を捨てて社会に奉仕するという意味で受け取りやすい。日本で自由といえば伝統的には、自我を捨てて天の道を行くことである。最近では、束縛されない、という理解が大勢を占めている。ヨーロッパでは自由は意志と同義である。自由でない意志はありえないことになっている。それは束縛されないとか、逆に社会の要請や天の命ずることに束縛されつくすとかいう風に自分の意志を抜きに定義できる概念ではない。アメリカではボランティアが盛んであるが、それは殆どがキリスト教会がらみであって、独立したボランティアは少ない。しかし、その社会的影響力は大きい。日本には独立したボランティアが多いが、金銭に結びつかない活動は甘いものだという認識があって、それが社会に与える功績は取るに足らないと考えられている。またアメリカでは企画された事業に参加するボランティアは個人個人であって、仲間意識は無いから、日本のボランティア活動の家族的雰囲気には驚く。企業組織でも同じである。

    ヨーロッパにおいては産業革命が奴隷を機械に置き換えるまでは奴隷が社会を支える一つの要素であった。決して人権意識の高まりによって奴隷制が廃止されたのではない。自由はこの奴隷との対比で考えられた。自由市民は動産・不動産、政治・司法に参加する「権利」を持つと共に、戦争においては兵士となって戦う「義務」を担った。だから市民の理想は「正義」の志に篤く、戦争に備えて「節制」を保ち、戦闘には「勇敢」であり、いずれの場面においても「知恵」が求められた。これらの美徳が「自由」の概念を形作っている。つまり「自由」とは「市民権」のことであった。この中で日本で特に希薄なものが自由に含まれる権利の側面である。権利と正義が同じ単語(right)であることから分かるように、本来それは道徳と同じなのであるが、日本では権利の主張が道徳と対立するように考えられている。自由市民に対立する概念が奴隷であり、臆病、無知、無能、放埓、強い者や肉欲に直ぐに従う者や奴隷的人間として軽蔑される。お上に従順な国民として教育されていた日本人は、ヨーロッパの伝統的考え方では、奴隷教育を受けていたということになる。

    自由であるためには「正義」を理解する「理性」が不可欠である。理性による真理の認識無しに自由はあり得ない。従って理性は単なる知識ではなく意志が自由であるための条件であった。しかし、1277年の禁令(個々人の自由意志を尊重しない命題を禁止)以来、意志の力が理性を牽引する、という見方が広がった。ヨハネス・ドゥンスはその見方を受けて、神の創造についての創世記の記述「神が世界の創造を終えて、その結果を見て『良し』と言った。」に新しい解釈をした。アウグスティヌスは神は世界のイデアを既に知性の中に持っていて、それに従って神の意志によって世界を作った、という風にしてプラトンのイデアを取り入れたのであったが、ヨハネス・ドゥンスはそうではなくて、神は自ら知ることなく意志の力で世界を創り、結果を後で認識した、と解釈したのである。このような神の意志の絶対性の強調は、後の時代に、絶対王政における絶対的権力(法律を超える権力)の根拠となった。知性の認識は意志の働きの根拠ではなくて必要条件の一つになった。更に、自由と理性との関係を絶って、意志の働きにこそ自由の根拠があり、理性の働きにはむしろ本性的な必然(客観世界を認識する事による)が纏わりつくと主張した。意志は欲することも欲しないことも理性の判断とは独立して偶然的に自らの身体に命ずることが出来る。この時から、「善い」ことと「自分がしたい」ことは哲学において別のことになった。「善悪」は理性が担当する客観的対象の問題であり、「意志の自由」は意志自身の能力に内在する力である。そもそも「意志」は古代には(動詞としてしか)無かった言葉である。それが理性から切り離されると理性よりも強く「自我」を代表するものと考えられるようになった。理性はむしろ客観的な真理を受け取るだけの受動的な存在として了解されるようになった。

    こうして、「自我」はその存在意義を問われることにもなった。つまり、今まで理性によって与えられていた存在の「善さ」を失った。意志は意志のみでは存在意義を見出すことは出来ないから理性との関係を絶つことは自殺行為になりかねない。ヨハネス・ドゥンスはその事を踏まえて、意志を導くために理性による善の認識、とりわけ信仰が必要であると主張したのであり、これこそ教会が自由意志を推奨した理由でもあった。だから、教会の権威が低下してくると、自我の存在意義が見失われて、不安意識が産み出された。パスカルに始まり、ニヒリズムを経て、近代的な自我から、実存主義(やみくもな参加主義)が哲学史を彩る。これら悩みぬいた哲学者達はともかくとして一般大衆の間には自我の根拠を自由意志とする考え方がそのまま受け入れられた。それは意欲的に社会に関わる事で自我実現をしていかなくてはならない時代になったからである。また自我の根拠が人によって大きく差異のある理性ではなくて、誰でもが有する意志にあるということが、民衆の平等意識の根拠にもなった。

    節制の美徳や判断力の正しさなど殆どの善は理性に属し、意志がそれを選択するかどうかは自由であるとされたが、唯一意志に固有のものが「神の愛」であった。キリスト教が社会を支配している限り、信仰が意志を制御するから問題はないが、それが弱体化してしまうと、美徳を採用するかどうかは完全に意志の自由に任されることになる。意志は美徳を欺瞞的に用いることもできるから、道徳的な行為を見ても人はシニカルになってしまう。道徳は数学や物理と同じ単なる知識に堕してしまった。

    中世においては、宇宙は神によってほぼ人間の為に作られているものと理解されていたから、宇宙について観想することは信仰と矛盾しなかった。しかし、ヨハネス・ドゥンスは理性が宇宙の中に神に繋がる秩序を見出しても、意志は心の中に別の秩序を作る可能性を持つことを認めた。これによって信仰が一人一人の自由な意思決定によることが明確になるからである。彼の本意は、だからこそ人間の意志はキリスト教の信仰を自由意志で選び出し、学者が示す宇宙の秩序に学びそれに従わねばならず、そうしなければ地獄に落ちる、ということなのだが、逆に言えば、そうでない可能性もあるわけだから、人間社会の秩序とは無関係に宇宙の秩序が有りうるということにもなった。

    可能性についてもヨハネス・ドゥンスは新しい考え方を導いた。プラトン流にはイデアが本質であるから、実現しない可能性がむしろ当たり前であり、理論によって導かれた秩序が存在しなくても正しい理論として認められる。判りやすい例で言うと19世紀レベルでの数学における非ユークリッド幾何学である。アリストテレスはいつまでも実現しないままの可能性はそもそも可能性ではないとされていた。これはむしろ現代の常識に近い。しかし、意志の自由、偶然の存在を確信するヨハネス・ドゥンスは、アリストテレスの考えでは結局は全てが必然となるから容認できない。むしろ可能性の一つが実現しても、他方の可能性も排除されずに残ると考えなければ偶然性が説明できない、と言った。可能性は可能性として現実とは別の世界として存在する、ということである。このような考え方は、近代科学の重要な要素になった。数学的に構想できる無数の宇宙の中で現実の宇宙はその一つとしてあるわけだし、別の宇宙の存在可能性も論じられている。

    ヨハネス・ドゥンスの自由意志は近代的自我を産み出す原動力となったが、彼の意図としては、「キリスト教神学無しには自由意志はどこに向かって行ったら良いか迷うだけである」、と言いたかったのである。近代以降の哲学者達は、自由と道徳を切り離した彼の結果だけを受け取り、本来の意図であった神学を中世の暗闇として葬り去った。現代の我々は、無目的な宇宙の謎に迫る現代科学の目覚しい進歩を横目に、一人一人が自分の生き方を探して悩まなければならなくなっている。自分の根源を探しても、知性は純粋な可能性であり、意志は自由であるということのみを根拠として持つ能力に過ぎないから、「無」に行き当たるだけである。かくしてハイデッガーは自我の根底に「無」を見出し、新たな発見であるかのように「不安」を語った。

(その6)時間と宇宙

    我々はあるがままの現実を感覚器官で捉えるのではなく、それを心の中の理解している静止している空間に位置づける。これが知覚の作用である。足りない空間は補う。言語作用は更により抽象的な事象についてもそれを行う。つまり、あるがままの現実からは一旦離れて世界は時間変化を排除した形で表現される。ヨーロッパの思想は、プラトン、アリストテレス、神学、構造主義、現象学、全てが変化する事象の中で不変的な事実を真理として見出そうとしている。世界はまず静止していて私のみがそれを動かす、という状況こそ主体的な動物にとっての理想だからである。対照的に、インド哲学においては、有為転変こそが存在の本質であって、永遠的な空間表象はむしろ世界の幻にすぎない。人間の生も宇宙の存在も全てが時間的なものである。それを極限まで推し進めると、現在のみが真実であり、次の瞬間には無くなるのであるから、同じものが変化するとか、移動するとか、いうことも無意味となる。つまり科学が成立しない。

    ヨハネス・ドゥンスの宇宙には、まず神がいる。神は完全に必然的で永遠で、他者を自由に動かす。人の罪を罰することも許すことも出来る。しかも人間にとっては、父と子と聖霊の3つの顕れ方をする。神の下に天使達がいる。本来は肉体を持たない(感覚を持たない)精神的存在であり、天体運動を司っている。天使が傲慢になって堕落したものが悪魔である。具体的には異教の神々が悪魔とされた。悪魔は興味深いが天使は新たに認識することもなく、最初から完全な認識を持つので想像力はなく、あまり面白い存在ではない。だから、実質的に人間と関わるのは神である。神は全知全能なのだが、人間の精神を都合の良いように書き替えたりはしない。戒律と自由意志を与えて遊ばせている。人間は精神と肉体を持ち、肉体だけを持つ動物と天使との中間であり、精神は神に似せて作られている。人間の下に動物−植物−無生物がある。

    天使、悪魔、人間には自由意志があるから、これらの関わる事象には普遍的で必然的な関係は見られないが、それ以外には普遍性・必然性が見出される。それ(近接原因)を探求するのが自然科学である。しかし、これらの物は神の自由意志で作られたのであって、その間の関係性(自然科学の追及する近接原因の体系)も神の自由意志で作られているから、その存在は偶然である。自然法則そのものは偶然に置かれたのであり、神の気が変われば直ぐにでも変わる、ということである。

    神が永遠の存在であり、被創造物の未来を全て知っているとしたら、人間の意志選択は見かけだけのものなのだろうか?自由意志が幻想であるならば、主体的行為に責任が無いことになり、罪を問題にできなくなる。このような問題が起きる原因は物の考え方にある。思索の基礎として不変的実体が必要であり、それが表面的に変わる、というかたちでしか事象を理解することが出来ない。これは、主語があってそれについて何かが語られる(述語がある)、という言語形式と結びついている。空間性が存在の本質であるならば、不変性が実体の本質属性となる。存在者は実体として明確な位置を与えられるから行動における責任主体は常に問題にされる。世界を受け入れるのではなく世界を管理することが注目される。不変なもの、例えば物事の性質も法則も生物種も実体性を持つ事になる。(対照的に日本語は主語が曖昧で、実体を基礎におかなくてもよくて、全ての現象をその場限りのこととして理解させる。責任体制が欠如した国家が生まれる一方で、仏教を受け入れる素地となった。時間的世界観を受け入れるならば不変的実体を考える事は不可能である。仏教では一瞬一瞬を新たなものとして受け取る時、はじめてものの実体が捉えられているとされる。それが出来ない人は悟りに達していない。)神の第一原因は永遠に変わらないのであるから、神には時間的変化が関わる糸口が無い。そのために神学者達によって追加された説明は、第一原因は変化を他に引き起こしながらも自分は変化しない存在である、というものである。時間は人間世界の側にはあるが、神の側には無いということである。しかし、中世神学者達によるこのような説明は理解の難しい話である。

    ヨハネス・ドゥンスは、「神がずっと先の未来まで創造しおえている」、という理解を覆して、「神はその自由意志によって一瞬一瞬において現に世界を創造し続けている」、という。過去も未来も存在していない。神は今という一瞬にのみこの世界と関わっている。彼は、「過去から未来に延びる時間の全体という図式がすでに真実ではなく、人間の心の中で記憶と予期から組み立てた図式に過ぎない」、という。彼は、時間を空間的延長として考えるならば、時間が限りなく流れることで空間の方も限りなく増大するはずで、限界の無い空間になるが、それは理屈としては考えらるだけであって、現実的ではないとした。(ただ現代では宇宙は膨張し続けているからそういうことになっている。)神が関わる一瞬は永遠なる神に属する瞬間であり、仏教的には「常住不変なものの無常」である。彼は正にヨーロッパ的空間思考に穴を開けたのである。

    そもそもアリストテレスにおける時間の概念はどうなっていたのか?空間の方は我々に直接理解されるが、時間の理解は運動を見ることによってなされる、と考える。時間の測定は我々の記憶が関わって初めて可能となる。ここには、運動する対象物の同一性だけでなく、それを観測する私の自己同一性が前提とされている。更に、正確に測定しようとすると基準となる運動が必要であり、それは円運動である。元々円運動は永続的に流れる時間を象徴するものであった。キリスト教によって世界の創造と終末が唱えられることで時間が直線で象徴されるようになってきた。しかし、トーマス・アクィナスは時間を円運動と考えていて、神はその円運動の中心であるから、過去から未来まで見通す、とした。ヨハネス・ドゥンスはこれを否定し、時間の流れは流れの後を存在の内に残していくものではなく円と中心との関係も今の瞬間とだけあるべきである、とする。しかし、一瞬が一点で表現されるならば、そもそも運動がありえないから、アキレスと亀の矛盾(ゼノンの逆理)に至る。ヨハネス・ドゥンスの一瞬はしかし、時間の部分であって、その中に運動がある。自由意志は一瞬の内にもあると考える。このような時間の理解は当時としては新規なものだった。一瞬の内に運動がある、というのは、微分の思想、つまりニュートンの運動方程式にも繋がっている。

    ヨハネス・ドゥンスがここまで踏み込んでトーマス・アクィナスを乗り越えた背景には、聖フランシスコの精神があった。托鉢僧として「隣人愛」に生きた彼の愛は、彼の意志による愛ではあったが、同時に神の意志によって瞬間瞬間に彼に注ぎ込まれたものでもある。それは神の自由意志による創造行為である。つまり、それは隣人愛でありながら、神の愛でもあった。それこそが聖人の奇跡と言われるものである。ヨハネス・ドゥンスは是が非でも聖フランシスコを神学の中に位置づける必要があった。トーマス・アクィナスの神は人間界からは遥かに遠い処に居て、世界創造の一瞬でしか直接関わらないから、このような位置づけができない。

    神の側からは一瞬は永遠の中の一瞬であり、人間の側からは時間の中の一瞬である。その一瞬の間は神は絶対的な自己同一性を持ち、人間も自己同一性を持つが、それは神とは異なり、動かされるもの、つまり身体を構成するものに依存する人間にとっては一時的な自己同一性である。神と人間が一瞬を共有することは矛盾ではない。またそのことは神が時間に捉われるということではない。何故ならば時間は一瞬にしかないからである。このことと、個体の独自性は質料のみにあるのではなく、形相の側にもある、とすることで、結局のところ人間は神との一瞬一瞬の共有を介して神を内在化させる可能性を認めることになる。この論理によって、ヨーロッパ人は、神の愛を自分の意志の内に迎えて「この今」を生きることが、同時に「永遠」を分有して生きる事になりうることを、説明できるようになった。もっとも、これは仏教哲学ではむしろ出発点であった。「真理の内に生きる」ということは「今という一瞬に生きる」ことと同義だからである。

    以上で大体の内容を要約した。ヨハネス・ドゥンスの著作は難解として知られている。論理は極めて精密である。八木氏はそれを逐一追いかけていったが、結論しか記述していない。こういった哲学の議論そのものは論理的に正しいとしても、いろいろなところに前提条件の不備があり、無意識の内にか意識的にかは別にして結論が先にあるこじ付けである。勿論ある程度の首尾一貫性がある、というのは確かであるが、全体に関しては信じるかどうかの問題である。哲学が日常言語に拘り、実践による検証を軽視するかぎりそれは避けられない。だから、その正しさよりも、歴史のこの時点で彼がこれを主張して残した、という事実が重要なのである。八木氏が思想の背景とその影響を語るのはそのためである。しかしまあ、そんなことはどうでもよい。この本は確かにヨーロッパの精神を本質的なところから説き起こしているように思える。以下、問題のカレン・ヴァン・ウォルフレンの思想的背景として纏めてみる。

    ゲルマンの多神教の中に一神教を持ち込もうとすることで、教義上の妥協と強引な正当化(科学)を必要としたキリスト教。そこに初期にはプラトンの、後期にはアリストテレスの思想的遺産が持ち込まれる。しかも、修道院組織の産み出した知的エリートには十分な知識背景もなく、お互いの討論によって真理を見出さざると得なかった。抽象的な体系への拘りと論理的なものは実在する、という信念、更に弁論による個性の涵養。信仰に根ざした自由意志の尊重。これらは良きにつけ悪しきにつけ、社会変革の要素である。古来中国を経由して仏教を受け入れ太量の書物を読みこむ事で真似事としての国家を作ってきた日本は、開国によって西洋の科学技術を取り入れたものの、西洋流の信仰も個人主義も知的な個性も身につく筈はなかった。責任を曖昧にした仲間意識で運営される政治。社会的ストレスは少なく幸せではあるが、社会変革は難しい。こういった日本の特性を今日明日で変えるというのは無理な話であるし、その中で培われた日本の文化を否定する必要もない。かといって、西洋とは逆の側からアプローチできるような展望があればよいのだろうが、思いつかない。昭和の大戦争とその敗北や今回の原発事故のような悲劇は今後も起きると覚悟しておくべきだろう。しかし、国際情勢を冷静に分析したり、科学的な危険予測を行うことで、少なくともそういう事態を避けるような「運営」を政治に求め、多少とも知的な議論が出来るような「人材」を育成すべく教育改革をすることくらいしか、対策は無いように思う。
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