中英語

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中英語の特徴

格の消失

文法の変化

音変化

中英語の例

中英語の特徴:

古英語と現代英語との中間期であるということはどういうことでしょうか?

古英語は、もちろんいくつもの方言がありましたが、実のところ、書き言葉としては、古英語後期にはウェスト・サクソン方言が用いられたのでした。つまり、書き言葉の標準語は確立していたとみなすことが出来ます。

一方、現代英語も、幾つかの異論があるとはいえ、標準的な方言を確立しようという動きの中で、英語教育なるものが行われてきました。今日では方言の多様さを認めようと云う動きはありますが、一般的な文法構造、発音などは、いわゆる「辞書に記された英語」として認知されていると思います。

したがって、古英語と現代英語との中間期とは、「標準的な姿のない時代」と言っても良いのかもしれないのです。

しかしながら、そのような混沌とした英語の姿をみなさんにお見せしても、皆さんのとまどいを招くだけでしょう。そこでここでは、現代英語に至る中で、どのような現象があったのか、ということを列挙して行くにとどめましょう。

まず、社会的な背景として、英語の社会的地位の失墜とその回復という流れがあります。

11世紀のポイント集

ノルマン征服によって英国を支配したウィリアム一世は、それでもイングランド人を理解するために、(その当時の)英語を学ぼうとはしたようです。ウィリアムの孫のマティルダは、フランスのアンジュー地方の伯爵であったジェフリーと結婚します。マティルダの息子ヘンリーは1154年イングランド国王として即位し、ヘンリー二世と呼ばれます。彼はフランスの大部分をエレノア・ダキテーヌ(アキテーヌのエレノア)との結婚によって手に入れ、イングランド全土とを合わせて「アンジュー帝国」と呼ばれるほどの広大な領地を持つ君主となりました。そして、当然広大な領地を持つフランス人を国王に持つ結果、イングランドはほぼ完全にフランス語圏の一地方としての性格を持つに過ぎなくなるのでした。オクスフォードに学問の府が出来たのもこのころです。

13世紀からのポイント集

12世紀は学問の華開いた時代でした。後に12世紀ルネサンスと呼ばれるほどの、様々な思想がヨーロッパ全土に広がる時代だったのです。大陸の文化のイングランドへの流入が行われたのはまさにこの時代です。この時代には多くの文学作品がイングランドにおいて、フランス語で書かれます。一方1200年頃よりパリの中央フランス語がフランス語の主流となりました。イングランドのフランス語は独自の発達をみせたのです。そのフランス語は、アングロ・ノルマン・フレンチと呼ばれる一方言でした。12世紀ルネサンスを経て、1200年頃より英語で再び文学作品が書き残され始めます。それは、ジョン王がフランス内での領土の大半を失ったことなども一因でしょう。

このジョン君。領地を失った恥ずべき王として評判が悪く、この後、イングランド王家ではジョンという名を子供につけることはいっさい無くなってしまうほどでした。しかし、彼は、恋愛の道においては、おそらく当時としても珍しいほど、情熱的な男性だったようです。フランス人の貴族の婚約者イザベル・ダングレーム(Isabel d'angouleme) に横恋慕し、ついには彼女を奪って結婚してしまったのです(1200年)。その貴族Hugh de Lusignanはフランス王フィリップに訴え出て、裁判で決着をつけようとします。しかし、イングランド王である自分がなぜフランス王の言うことを聴かねばならん!といって裁判を欠席(1202年)したジョンは、フランス王の怒りを招き、フランス国内の領地をすべてフランス王に取り上げられてしまったのでした。一国の王たるもの、恋に冷静な心をゆめゆめ失う事なかれ、と言うことでしょうか? 世の男性諸君は、恋には十分気をつけるがよろしい。(実体験に基づく意見??)

ヘンリー三世(1216-1272在位)が、外国人優遇措置をとった結果、スペイン、南仏、ローマから多くの外国人がイングランドにやって来ました。エドワード一世の時代(1272-1307在位)は、そのような外国人に対する反動的な国粋主義の時代でした。英語は国語としての地位を高め、フランス語はもはや外国語として教えられ始め、1300年頃には貴族の子弟といえども英語を母語としていたのでした。

フランスとの政治的な離反は英語への意識を高めました。英仏百年戦争(1337-1453)はその決定打とも言えます。さらに14世紀半ばの黒死病の流行は、人口を大幅に減らすことになったのですが、その少なくなった人々に、教育を施す必要が迫られると、母語の英語で教育が施すことでより効率よく教えられるようになるのです。14世紀になると、中英語の優れた文芸作品が数多く書き残されます。

(1)格の消失

語尾の音が曖昧に発音される傾向は、古英語時代からの英語の特徴でした。やがてそれが、語尾の曖昧化から消失へと向かい、名詞の格変化は消えてしまいます。これを「格の水平化(levelling)」と言います。名詞を補完していた定冠詞や形容詞の格変化も同様になり、形容詞は無変化、定冠詞も the という形一つ(古英語ではもともとは関係代名詞だった)に統一されます。>中英語の格変化へ

(2)文法の変化

格が消失したと云うことは、古英語の特徴であった語順の自由さが保障されなくなったということになります。

と同時に、これまで以上に前置詞などを用いた表現が必要になってきます。古英語時代にも前置詞はありましたが、格の無くなった中英語では前置詞がなくてはならない存在となりました。

同様のことは、動詞の表現にも見られるようになります。迂言法の do や助動詞の用法が発達します。完了形、進行形なども現代英語により近い性格を持つようになります。これらはみな古英語時代にすでに表現法としてはあったのですが、それが今日のような時制を表す語法となったのは中英語の時代です。

(3)音の変化:中英語の特徴としては、上述のように、まず標準がないことである。従って、以下に示す音声的特徴も、結局は標準英語へと変わっていった方言に見られるだけのものだということは、念頭に置いておいて戴きたい。

A: 母音

新しい二重母音の発達:古英語の母音+w, 母音+g > 中英語では、二重母音化を示す。 

長母音化と短母音化

1. 長母音化=古英語 (語末において)短母音+ld, mb, ndの子音群 OE cild > ME child

2. 短母音化=古英語 長母音+子音群 OE cepte > kept

3. a, eの、開音節での長母音化=a, e + 子音 + 母音(多くの場合 e で表される曖昧母音) OE nama > ME name

(4)外国語の影響

古英語後期から英語に影響を与えた北欧人の言葉は、それまでは文章語としては用いられませんでしたが、中英語期には、文章語としての標準語が一時消失したので、自由に英語を使って文献が書き残されました。したがってその英語は北欧語フランス語の語彙や言い回しが数多く認められるようになったのです。

北欧語の影響は、代名詞などの基本語のほか、基本的な動詞や名詞にまで見られます。北欧人の生活がイングランド人に深く浸透していたことを伺わせます。現代英語の take(とる) call(呼ぶ)get(得る)give(与える)などの動詞。 sister(姉妹) egg(卵)law(法律)dream(夢)husband(一家の主人)sky(空)などはすべて北欧語から来ているのです。このような単語が現代英語になかったら、と想像してみて下さい。北欧語の影響の大切さはここにあるのです。

同じ語源でありながら少しずつ違う意味を持つ「二重語 (doublet)」といいます。たとえば、rear(育てる)- raise(持ち上げる)、shirt(シャツ) - skirt(スカート)などは、もともと同じ語源でありながら、別なものを意味するようになった例です。>格好の例

しかしながら、北欧語の与えた最も大切な影響は、代名詞の借入にあります。複数形の代名詞は、古英語では hie(主格)heom(与格)hiera(属格)でしたが、単数形との音の類似が大きかったためか、北欧語の複数形を取り入れたのです。これにより、中英語の初期は主格形 thei / they が英語に取り入れられ、徐々に目的格 them 属格(所有格)their も取り入れられていったのです。

フランス語からの影響。そもそもノルマン・フレンチ(フランス語ノルマンディー方言)がイングランドに入ってきたノルマン人の言葉だったのですが、イングランドでは、やがてアングロ・フレンチと呼ばれたイングランド独特の方言として発達しました。ところが、14世紀になってから英語に借入されたフランス語は、パリを中心としたイル・ド・フランスの地域の方言だったので、それまでに用いられたフランス語と異なった発音をされました。これによってできたのが、catch-chase, cattle-chattel, car-chariot のペアと、warden-guardian, wattant-guarantee, reward-regard の「二重語=ダブレット」です。黄色の部分の音は、c がノルマン・フレンチ、ch が中央フランス語、w がノルマン・フレンチ、gu が中央フランス語の音を表します。もともとは同じ意味の言葉だったのです。

(5)中英語の例

中英語を読むときも古英語と同様に、文字を基本的にそのとおりにローマ字読みにすればよいのです。ただ、幾つかのスペリングにフランス語の影響などが入ってきているため、少々気をつけるところもあります。たとえば、ou は、フランス語と同じように「ウー」と読むのです。

たとえば、古英語の hus は、「フース」と読みましたね。中英語では、発音の変化は無かったのですが、「ウー」という音は ou と書くフランス語の習慣を取り入れたため、hous, あるいは house と書くようになりました。これでも読み方は house (<--クリックすると音が出ます)となります。

 次の例はジェフリー・チョーサーの有名な『カンタベリー物語』からの冒頭の一節です。

Whan that Aprille with his shoures soote

The droghte of March hath perced to the roote,

And bathed every veyne in swich licour

Of which vertu engendred is the flour;

---'General Prologue(総序)', ll. 1-4.

これを文字通りに逐語的に現代英語の単語に置き換えますと:

When that April with its showers sweet

The draught of March has pierced to the root,

And bathed every vein in such liquer

Of which virtue engendered is the flower;

(四月の甘い(=柔らかな)雨が 三月の乾きの根本までしみとおり

すべての葉脈の中を そのような水分が 浸していく

その力によって 花は生気を取り戻す そのようなとき・・・)

となります。ここでわかるのは、現代英語に置き換えると、すべて脚韻が失われてしまう、ということですね。また、単語の語順も普通ではありませんが、それは「詩」なので、韻律を合わせるためだと思えば理解できるのです。

shoures soote (=showers sweet) のように名詞と形容詞の語順が入れ替わっているのも、詩によく見られる語順です。

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