裁判のレトリックと真相


裁判所



裁判官は絶対王である


 
裁判官は、当該事件についての絶対王である。すなわち具体的事件限りでは、裁判官が全権を掌握しており、どのようにでもできる(いかようにでも処理できる)存在なのである。原告の大学時代の恩師である民法の教授から、かつて次の様に聞いたことがある。

 
「司法試験を目指すなら、裁判官になれよ。傍聴をすれば分かるが、裁判冒頭では裁判官出廷の場面で、原告側、被告側の代理人弁護士が当事者共々、平身低頭で裁判官を迎える。また、最終弁論が行われるような場合、何卒宜しくお願い申し挙げますと、やはり代理人が平身低頭で締めくくる」。

 裁判においては、裁判官が絶対王政の王なのであって、正に、裁判官が述べる言葉が「法」である。機嫌を損ねたら最後、その裁判は絶対に勝てない。裁判外で出会う裁判官は誰も温厚そうな良い人達である。しかし、一度、法廷の中で、当事者(代理人)として相対することになると、彼ら彼女らは、全く別人となる。むしろ横柄に振る舞うのが当然なのであり、テクニックとして、当事者や代理人を見下しているような態度や押しつけがましい陰険な態度をとるものである。これが先ほどの出廷の場面での習わしに良く現れている。

 そう言っても、裁判官も法の支配を受けるはずだと、法学者なら言うであろう。手続法の規律の下で、粛々として裁判が遂行され、実体法の要件に従い、権利が確定される。多くの法学者が教科書的理解の下で、そのように考えている。以前の私も素朴にそう信じていた。しかし、裁判所というのは「正義の自動販売機」ではなかった(瀬木前掲『ニッポンの裁判』参照)。




事実認定こそ権力の源泉である


 三権分立により、国会が法を作り、裁判所が具体的事件において法を解釈適用し、行政府が法を執行する。三権の均衡と抑制によって、いずれかの国家機関が絶対に優越し、国民主権の原理を侵害しないようにする、と教科書には書いてある。その意味で裁判所は権力機関である。裁判所が権力機関であるとしても、それは裁判を遂行する上で行使できる権能がそうさせる。民事事件で言えば、私人間の紛争があり、これを処理する権能こそがその権力の本質なのである。刑事事件では、検察と被疑者との間の争いを処理する権能である。法学者は、判決で用いられる法理に着目する。法の解釈適用について、判決を評釈することが仕事の一である。しかし、実際の、日常的な民事事件では、事実認定によって、勝負が決まる(瀬木前掲『ニッポンの裁判』参照)。そうすると、この「事実認定」こそ、裁判官の権力の源泉だということになる。

 検察及び警察という捜査機関と裁判所の三位一体型の司法権力=国家権力
を、個々の裁判官が内包して、自分自身でも気づかないままこの国家権力を行使している。見えない統制機構は、円形監獄の中央の監視所のように、例え実際には居なくても、その視線を感じさせることで、効率的に裁判官を拘束する、と言ったのが森炎である(前掲『司法権力の内幕』)。

 知人の裁判官によれば、裁判官は決して他の裁判官の具体的事件処理を批判しない。これが不文律だそうである。むしろタブーに近い。裁判官個人は互いに独立で、尊重し合う。円形監獄の主が直接的に、個々の裁判官を、見えない視線で統制するために都合が良いシステムである。

 他方、次の様なこともある。ことに若い駆け出しの裁判官が上位の裁判長裁判官の判決を批判するようなことで、万一、睨まれると先行きに不安を生じる。裁判官は若い人も古株も平等であり、風通しも良いなどと、よく裁判官が自慢する。その例として挙げられるのが、裁判官は上下関係や年齢、性別に関係なく、お互いにさん付けで呼ぶという慣例である。しかし、実は、全く通常の官僚組織なりと同じ側面をも濃厚に有しているようである。先の例のようなタブーについ触れてしまった若い裁判官が上位者に恫喝されて、縮み上がるとか、陪席裁判官は裁判長、特に、総括の地位を有するような裁判官の顔色を覗うとか、十分考えらる。

 もっとも、裁判官の独立と絶対的な身分保障から、出世など気にしないという向きには、前述のように楽に生きる術も有り得るところで、そうすると、上位者が下位の者に仕事をさせるためには、下位の者の機嫌をとる必要も生じよう。こうみると一般の公務員と何ら変わらなくなる。もっとも、個々の裁判官が相当強力な国家権力の担い手である。

 ところで、実務家や学者など、裁判について知っている者達の間で、裁判所は「機関」の言うことを聞くものだとよく言われる。行政機関の主張を真実であると認める傾向があるということである(超絶望の行政訴訟(瀬木『ニッポンの裁判』参照))。良くも悪くも有り得る。

 良い場合というのが、例えば労働者が使用者に対して解雇無効を主張する場合、労基署からの勧告が出ると、裁判所は通常その通りの判決を下す。

 原告の事件では、敗訴理由の一つとして、裁判所は機関の言うことを聞くものなんだ、と言われたことがある。現在の国立大学は独立行政法人という機関である。





証拠法則の説明


 「そんなことを言っても、所詮、言った言わないの世界だ」。これは良く弁護士が口にする台詞である。よほど明確な証拠のない限り、ある者が何か言ったとしても、後にこれを否定されると、裁判官の心証を得るに足らず、その事実が無いと認定されることをいう。
 
 手続法に立証責任という考え方がある。例えば、不法行為で加害者に損害賠償の請求をしようとすると、被害者が、加害者の方に落ち度があって(過失がある)、その行為によって損害が発生したことを、自ら証明しなければならない。これ自体は合理的である。ある日突然、見ず知らずの他人から訴えられて、加害者に擬せられている方が、不法行為が無いことの立証を求められというのは酷である。あることが存在するという証明よりも、ないことの証明の方がはるかに困難であって、悪魔の証明とも呼ばれるからである。そこで、ある事実について、立証責任のある方が、裁判官の心証を50%以上にするまで証明しなければならない。証拠が曖昧であったりすると、例え、40%ぐらいの心証には役立つであろうとしても、その事実は無いと結論される(ノン・リケットの処理)。

 裁判官は常識的な判断を行う。そんなこと大学教員がするはずが無いと、一般の市民が思うなら、それが常識的判断である。そのような「常識」的ではないことを言う方に、重い立証の負担があることになる。よほど明確な証拠がなければならない。

 よほど明確な証拠というのが、どの程度のものか。通常、それほどの証拠があれば、その事実を認定するという法則もあってよさそうなものだが、結局は、当該事件の担当裁判官の決定に委ねられる。一方当事者の主張、証拠の中から、対抗する相手方に有利な証拠として事実認定することも何ら問題が無い。裁判所は自由心証主義に基づき、当事者によって適法に提出された主張・証拠の全てから、どちらの当事者の提出した主張・証拠でも、どちらに有利にも不利にも、自由に事実認定を行い得るのである。手続法に違反するような態様で事実認定をするようなヘマを普通の裁判官なら犯さないとすれば、事実認定については、ほぼ無制限の自由がある。そして、次の期日の決定(例えば、主張・証拠を提出するために、当事者・弁護士が出廷する日時)やその他の訴訟遂行上の細かい手順の決定といった、訴訟指揮に関してもほとんど無制限の裁量がある。




事件の真相を巡る裁判官の価値判断が判決の勝ち負けを決める


 そこで、先のような絶対王となることができるのである。日常的な民事事件において、法律問題におけるハードケースは余りない。事実関係について鋭く争われ、事実認定におけるハードケースが相当数含まれると思われる。同じ事件であっても、仮に、裁判官が変われば、認定が異なり得る。裁判官の人格、性格といった個性と、代理人となる弁護士の巧拙や、市民団体による支援を受ける原告か否か、社会的に耳目を集めるような事件であるかなど、事件を取り巻く客観的な状況に左右されながら、認定が異なり得る。最後は裁判官としての事件の真相に関する価値判断に依拠する。正に、神様、裁判官様任せである。

 法解釈論でも、事実認定における論争でもない、「事件の真相」を巡る価値判断は、正面切って争われることがない。簡単に言ってしまえば、対立する当事者の内、「要するにどっちが悪い?」という問いであり、代理人もその点の心証を誘導するように、裁判官の心裡を慮る。最後まで明らかにならないこともある。

 無味乾燥な形式論理の対立から結論が導かれるのが裁判であると考えてはいけない。ああ、そうだったのか。法律の研究者として、この原告はむしろ安堵する。裁判官の良識=コモンセンスが日本の裁判でも重要であったのだ、と。しかし、英米の判決と異なり、この部分が如実に判決文に顕れない。判決に書かれないだけではなく、審理の最中に、明示的に扱われることがないかもしれないのである。

 このことが釈明されつつ、当事者間の争いに反映され、もっと判決理由として書き込まれるべきではないか。そうして、その結論に対して、裁判官自身が、その価値判断を行った者として、真っ向から責任を被るべきである。

 裁判官はポーカーフェースで心裡を見せないように気遣い、しかし、時折、突然の不機嫌さや表情、あるいは多義的なひと言によって、わざと心証を垣間見せる。そのときに作られた偽りの心証かもしれない。そうして当事者、実際には弁護士を操り、和解に誘導する。弁護士からは、裁判となれば「裁判官を欺罔しても、勝ちは勝ち」と言われる。裁判官を騙しても良いのである。原被告の、いずれの代理人も自己の依頼者に有利であるように、多少の事実改変あるいは事実の理解と言うべきか、は有り得る。裁判官は当事者は嘘をつくものという性悪説によっており、騙されまいと身構えている。正直者が馬鹿をみる、虚々実々の駆け引きが行われる。

 裁判とは、当事者が主張と証拠を積み上げて行き、最終的に裁判所を説得できた方が勝利する。法学者として、原告はこの意味を次の様に考えていた。

 最終的な判決に至る前の、裁判の立証のプロセスは、次々と反転する、細かい事実上の推定が働いていく過程である。一方が主張し、他方が反論する、更に、相手方が再反論する。それぞれの主張を裏付けるべき証拠が提出される。
 立証責任のある側の提出する主張a+証拠aにより、立証の必要なある事実Xが真であるする心証が50%を超えると、事実上、その事実Xが存在するとする推定が生じ、相手方にこれを覆す責任を生じる。そこで、相手方がこれを反駁する主張b+証拠bを提出し、先の心証が50%を超えないように引き下げることができたなら、その事実Xが偽であるとする推定が生じる。これを反転するためには、相手が主張c+証拠cを提出しなければならない。ここで再び、心証が50%を超えると、真である推定が生じる。次々と、これを繰り返して行き、最終的に真偽のいずれかに決着が着く。斯くの如く事実認定が行われ、それが判決文として記述されると考えていたのである。瀬木のいう「積み上げ型」の事実認定である。
 
 しかし、瀬木によれば、対立する当事者間の主張証拠のやり取りの中で、あるときふっと真相が浮かび上がるという(『ニッポンの裁判』)。この直感的な真相が価値判断の正体である。判決文としては、証拠法則に適うように事実認定を操作し、法を適用して、裁判官が勝つべきと考える方を勝たせる。実際に原告として裁判を経験してみると、裁判とはこういうものの様である。現実の裁判の過程における、当事者による事実主張及び証拠の交換に伴う事実的判断の揺れと、事件の真相を巡る感触が、裁判官の脳裏において相関関係的に発展し、最終的な価値判断に至る。以上は、対立当事者と中立的な裁判官の三者間のみの、各々の主張証拠のやり取りという実験室内での純粋条件下にあることを前提する。

 しかし、裁判官の判断過程には、これ以外に、自身の立身出世に係る保身や思惑、同僚との人間関係や視線、最高裁の事件解決に対する統制、マスコミや一般社会の世論などの外部条件が影響し得る。

 裁判官の個性に応じて、また、環境に応じて、複数の要因が作用するのだと考えられる。そのようにして、官僚制的キャリアシステムの中にある裁判官が、日々のルーティンな仕事として、裁判をこなして行く。





事件の「真相」と判決


 
裁判所は、宗教団体やその他の大学職員による、迫害行為を知っていた?

 平成2年ないし5年にかけて、大学構内あるいは松山市中において、重大な人権侵害行為があり、原告がその被害者であったことを、実際は、裁判所自身が認識していた節がある。具体的には、大学構内や官舎(原告の居住していたいわば社宅)における職員らの行為や、市中での宗教団体の行為である。

 裁判所事務官(女性)が松山市内の私立大学出身者であり、平成4年頃、同大学在学中に、「例の技術職員と思しき人物が、昼休み時間帯に同大学食堂を訪れ、写真の束を学生らに閲覧させており、大騒ぎになっていた」のを目撃し、同氏自身も写真を見たことがあった。そして写真の人物が原告本人であると特定できたという。

 裁判官は自分の担当事件について、決して口外しない。同じ裁判所の中でも、同僚裁判官にも事件の詳細を伝えたりしない。もちろん、事件を巡って事務官と雑談をしたりしない。などと、言われている。裁判官でもない原告がその真偽について語る資格がない。しかし、実務家の知人らから、次の様なことを聞くことがある。これは建前であって、裁判官と言っても人間である。裁判官同士の軽い会話の中に、「今度の事件でね・・・」という話題が出ても不思議は無い。

 また、松山地裁のように規模の小さな裁判所では、所属裁判官や事務官の人数が相対的に少ない。裁判官や事務官の女性同士が一緒に昼食をとる機会に、様々な話題があってもおかしくないし、裁判所全体でも比較的情報が共有されやすい。裁判所の外に漏れなければ良いのである。

 宗教団体によるストーカー被害について、原告が、大阪法務局において人権相談をしたことがある。その担当官によると、原告を巡る、松山市中の噂は、当時十分喧伝されており、法務局の会議でも、松山における著しい人権侵害の例として取り上げられたことがあったという。一般に、団体への勧告などの手段は有り得るが、明白な証拠を必要とするとされた。ここで、言いたいことは、地域において、それほどに著名な事件であったということである。当時、「当地に始めて外国人が来たような騒ぎ」と言われていた。そのような著名事件の主が裁判を提起したのである。裁判所内で「話題」となることが有り得よう。

 裁判所事務官にも、総合職と一般職の区別がある。総合職となると、全国の裁判所を回るように、定期的に転勤となる。総合職は採用後の昇進試験に合格する必要がある。そこで、故郷にある地方裁判所で事務官試験に合格し、その周辺に居住地を限定したいと言う場合には、昇進試験を受験しない選択をすれば良い。実家があるとか、配偶者の仕事の関係で転勤を避けたいというような場合にそうする。知人の弁護士の奥さんが裁判所事務官で、そのために昇進試験の受験を見送っている。

 偶然であるが、松山地裁に赴任したことのある事務官総合職の女性が、原告の知人であった。原告が大学院時代に、同じ大学の国際関係法の院生であった人物である。原告の提訴時には転勤後であったが、当時、原告を巡る噂が有名であったために、噂の主が原告であることに気づいたという。「やす」、同性愛と言われていることを強く否定してくれていたらしい。原告の人となりを知る人物であった。そのことを前述の女性事務官も聞き及んでおり、提訴後、写真の件を含めて、情報共有が裁判所内でもなされていた。以下は、複数の事務官からの情報である。

 原告の訴えの提起直後、おかしな封筒が地裁宛て郵送されたという。裁判所宛の郵便物は事務官が開封する。その差出人が原告名であったそうである。もとより原告は全く与り知らない。その封筒に、無線の受信機が入っていたという。事務官らも担当裁判官も、何を意味するのか、全く見当も付かない。何か脅迫めいたものを感じたようである。後に、原告の証人尋問が行われた際に、宣誓書に署名する手続がある。その署名の筆跡が、先の封筒のそれと全く異なっていた。

 また、事件担当の陪席裁判官であった女性が、裁判所前の路上で、見ず知らずの男性からいわれも無く、唾吐き行為をされた。担当事務官を含む複数の事務官が、自宅前で複数の教団信者らに取り巻かれた。以上のようなことが、裁判長裁判官の耳に入らないと考える方が不思議であろう。もっとも、当初担当裁判官が転勤したので、主として和解交渉から引き継ぎ、判決を執筆した裁判長は別人である。

 地裁判決を執筆した森實将人判事の司法修習(旧司法試験合格者が2年間(新司法試験では異なる)、実務等の研修を行う)における任地が松山地裁であった。後に相談した松山市で開業している弁護士が氏と同期で、偶然に旧知の間柄であった。この弁護士は、原告が上告について相談したときに、上告はどうせ負けるから、あなたが気の毒であるから、自分で思うところを精一杯書きなさいと助言してくれた。結局、元の代理人弁護士に無理に依頼して、上告の手続を執らせたが、その書面も「ただやっただけ」の空疎なものに過ぎなかった。ただ原告(上告人)としては、上告によって、最後まで判決に服しないという強い意思を表明することを意図していた。

 森實判事は、平成2年に大阪地裁判事補として任官している。松山に居たのはその以前であるから、原告の大学就職時における松山での騒動を直接は知らない。その後、平成4年から7年にかけて、高松地裁判事補であった。

 森實判事は、平成13年から17年にかけて、松山地裁、平成17年4月から平成21年にかけて、高松地裁判事であった。高松地裁時代に、四国法科大学院(以下、四国ロー)の実務家教員として勤務していた。ちょうど平成17年5月頃に、原告にとって、大阪から松山への「切り替え」があった。四国ローは、愛媛大学法文学部と香川大学法学部の共通組織(連合大学院)であり、香川大学に設置され、愛媛大学の法学系教員4人が専任教員として、毎週松山から高松まで往復して通っていた。

 四国ローの教員であった行政法のY教授(後に広島大学法科大学院)が、同氏と確執のあった原告について、森實判事に対して、「最近(平成17年当時)、変なやつが来た」と述べていたという。森實判事が被告側と密接な関係にあった時期があり、原告に偏見を抱いていた証左である。

 同判事は、原告についての人権侵害事件について、全く知らなかったのであろうか。裁判官は、一般市民と通常の交流を有するということはない。一般市民社会とはある意味で断絶した生活を送っている。しかし、たまには同僚と市中に飲みに行くことがあってもおかしくはないし、少しは観光もするだろう、とは言える。

 なお、原告は、代理人Y弁護士に裁判官忌避の申し出をして欲しいと言ったのであるが、二度、これを拒まれた。それも、何ひと言も発しないで、突然固まったように動かないという方法?、で拒まれたのである。説明が無いということが、不可解である。




それにも関わらす何故そのような酷い判決となったのか

1,和解拒絶で裁判官のメンツを潰した

 最も直接的で重大な要因は、後で分かったのだが、和解拒絶が「裁判官のメンツを潰す」ような態様で行われたことであった。

 和解拒絶の制裁を裁判所から被ったのである。「せっかく裁判長が良い和解を書いてくれたのに」とされるような原告勝訴とも言える和解案を、当の原告自身が和解交渉の場において一切拒絶した。しかも、これが松山地裁に総括裁判官として赴任した最初の事件であったことが関係する。法廷の裏で、この野郎、折角の和解を蹴りやがってと、裁判所が色をなして怒るような場面である。実際に、原告が和解を拒絶すると、裁判官の顔色が一変した。




 
最初の和解交渉

 当初審理を担当した裁判官が交代した。前担当裁判長の交代直前の最初の和解交渉のときである。

 裁判所内で打合せをおこなった際に、代理人から、原告が思いも掛けない言葉を聞いた。原告が何かを言う前に機先を制するように、「事実を認めて謝罪すること、という要求は絶対できません。この段階では大学は決してそれに応じませんから」と二度も繰り返して言った。冷淡に、しかし決然としてそのように言った後、原告が驚いて代理人の顔を見つめていたが、これを聞いた原告のひどい落胆を余所にその他に何も言葉を発しない。

 そこで、ようやく教授昇任と、金銭要求を出すことになった。原告としては、准教授拒絶を巡る訴訟で、教授要求をすることで、訴訟が昇任以外の他の重大な要因に対するものであることを意味し、金銭要求が慰謝料であることから、事実を認めることに通じると考えたのである。しかし、後で、知人の弁護士に確認したところ、ハラスメント裁判の和解交渉において、事実確認と謝罪要求をしないのはおかしい。このことが、後々まで原告を苦しめることになる。

 原告にとって、長年のハラスメントに対する告発こそが、この裁判の意義であった。見せしめ的昇任拒絶というのは、全体としてのハラスメントの一環である。その他のパワーハラスメントに関する証拠が十分ではないとの原告の思い込みに基づき、昇任拒絶がハラスメントとしての極めて明白な証拠であるという理由でのみ、訴訟提起の理由とすべきであった。

 ところが弁護士が、昇任拒絶のみを理由とした訴状を書いたのである。このことに関して、原告が弁護士に対して、何度もその他のハラスメントこそ重要な理由であることを訴えており、弁護士から、「後に、必ず出しますから」という確約を得て、渋々、その訴状の提出に同意した経緯があった。現況として継続している、もう耐えられない、がまんができない。そんなハラスメントの問題が和解交渉の枠組みに入っていない。そんな和解の枠組みそのものが、結局、原告には受け入れがたかった。 弁護士の頁参照




和解勧告と和解条項案


 裁判所の平成25年7月3日付け和解条項案は、①原告の准教授昇任手続を速やかに開始する、及び②大学側のハラスメント調査に対して原告が疑義を抱いていることから、「今後より一層、ハラスメントの防止に努める」というものであった。

 裁判所による和解勧告は次の通り。「当裁判所は、当事者双方が本和解を機に過去を精算し、将来に向かって円滑な研究・教育活動等の基盤が整備されることを期待して、・・和解を勧告するものである。なお、・・被告において原告の准教授・教授等への昇任を相当と判断する場合には、原告の年齢等にも配慮し、先例にとらわれることなく、迅速な対応をとることが望ましいものと思料する。」この和解勧告は、判決とは異なる裁判官のもう一つの心証を示すものである(知人の裁判官)。裁判という形式や法の論理では絡め取られない事情が総合的に勘案される。

 そして、訴訟取り下げ型の和解とすることが、裁判官より提案された。取下げにより、訴訟手続がそもそもなかったことになり、記録にも残されない。しかし、取り下げ型の和解である場合、判決に代わるものではないので、原告が再度提訴可能となる。

 訴状からすると、原告側全面勝訴とも言える内容である。

 しかも、判決後に確認したところ、大学側は、准教授昇任手続の開始を認め、大筋で和解案に合意する回答をしており、幾つかの表現上の指摘をするに留まっていた。
従って、後は、表現上の工夫を巡る交渉に移行すれば良いはずであった。

 実際に、原告代理人からは、条件次第でこの和解は受ける余地があると、伝えて来ていた。しかし、先の事情から、原告としては、心情的にこれを受け入れることができなかった。そこで和解を勧める弁護士に対して、一切を拒絶する方針をあらかじめ伝えていた。





 
もう思って良いることを言ったら良い

 裁判所の和解案に対する回答を行う期日に、地裁のフロアでも、弁護士から判決では全てを失う可能性がありますとの説明を受けながら、拒絶の固い意思を伝えた。原告が「私は何も言わない方が宜しいでしょうね」と言ったのに対して、弁護士が、 「もう、思っていることを全て言われたら良いです」と言ったのである。

 判決を執筆した裁判官との和解交渉のテーブルに着くと、裁判官がペンを握りながら、ノートを見て、和解案に対する回答を尋ねた。弁護士が何一つ発言しない。重い沈黙の後、原告が弁護士の顔を見たが何も言わない。そこで、たまらず、堰を切ったように次の様に述べた。

 「ハラスメントの事実を認めて、謝罪すること。教授昇任を認めること、金銭賠償を行うこと、以上を要求します」。

 弁護士が、慌てたように私の顔と裁判官の顔を見比べ、時既に遅しという表情をした。この様子が実に芝居がかっていたようにみえた。実際に、私の発言によって裁判官の顔色が変わった。裁判官が明らかに憤慨し、原告を横目で睨み付けるようにして、それでは「もういいですね」と言い、原告が「はい」と短く答えた。裁判官の影の声は、「もうあなたは勝てませんよ」というものだったのだ。

 このことは、「弁護士実務としてほとんど考えられない」(知人弁護士)。感情的になって当然である原告を裁判官と対峙させ、自分は何ら発話せず、原告に対して好きなことを話させたのである。責任は大学側にある。原告が感情的になる理由があったのである。




 和解決裂の責任を被った方が敗訴する


 後に述べるように、裁判官にとっての和解の重要性から、裁判所による和解勧告を拒絶する場合にはよほど慎重でなければならない。和解交渉決裂の「責任」を被った方が敗訴するというのが決まり事であるから、この「責任」を相手方に押しつけるように交渉を進めるべきであり、和解のけり方が裁判の行方に決定的な重要性を有する。


 弁護士からは、「最初の和解要求が原告側要求の上限を画するので、この後にこれを上回る要求は不可能になる」と、言われていた。実は、教授や金銭ではなく、事実確認と謝罪こそが必要であったので、原告は極めて複雑な心境に陥っていたのである。

 原告の心情とは裏腹に、この和解拒絶の結果は、裁判官の恨みを買い、事実の曲解を招くことであったのだった。官舎や学内での長年のハラスメントと学外での宗教団体との「抗争」に疲弊していた原告は、憤慨しており、自己利益の客観的な判断など不可能であった。交渉=取引ということについて、何かいかがわしいというような感想を抱く、原告の潔癖症が与っている。





 
和解のテクニックとしての懐柔と脅し

 「取り下げ型にしましょう。再度訴訟ができますから」と、裁判官が、俯き加減に下から見上げるようにして一瞬原告を見ながら言い、直ぐに体勢を戻した。最初は相手の心を見透かすような表情で原告の顔をのぞき込み、次いで、向き直ると取り澄ました表情に変わり、横目で見た。提訴圧力で将来的に良好な環境を形成できるとの思惑を伺わせ、これで原告を納得させるつもりであったと思われる。これが原告を和解に引き入れる懐柔策だと思われる。

 原告は元々和解交渉に応じる気持ちがなかった。相当強い和解への拒否感を裁判所に伝えていたところ、裁判官が「この裁判は大学を辞めてからするものですよ」と、押しつけるような声で、原告の顔を一瞬、睨めつけながら言った。これが和解のテックニックとしての原告への脅しである。「辞めないで在職しているのだから、相手を叩きのめすのではなく、和解によって融和的態度をとるべきだ」という感触を伝えたのである(瀬木前掲書の「和解は脅しと騙しのテクニック」参照)。しかし、原告は辞めるべきだと言われているようで、暗鬱たる気分に駆られた。

 しかし、原告としては、採用当時の問題が発生して以来、大学を辞めることによる問題の解消ではなく、10年余りもの長年月を費やして提訴準備をし相手の固い砦を崩して漸く提訴にこぎ着けたのであった。また、提訴からも長期間、訴訟手続を遂行して来たので、取下げという結論にも合点がいかなかった。この後、また提訴圧力によって、周囲のハラスメントを押さえながら、更に次の昇任を目指して、平気でやっていけるとはとても思えなかった。

 かつての醜聞を原告の精神異常として外部にもれることを阻み、原告の訴えを葬り去った上に、今またことさらに当時の「異常性」なるもののを立証するとする証拠類を提出して、原告の側に原因があるかのような主張を展開していた。全面的に争っている大学側を、これで解放する気にならなかったのである。

 
どうしても、この裁判で決着を付けてくれ、もう負けても構わないというのが、原告の真底からの叫びであった。

 裁判上の和解交渉は、裁判所内の小さな部屋で行われる。裁判官が、当事者を交互に呼び出しながら、事情を聞き、譲歩を引き出す糸口を見つける。和解交渉では、大学側は人事課副課長と総務チーム担当者が、代理人と共に大学側当事者として行動した。大学側が小部屋に呼ばれている間、外の廊下の長椅子に座り、原告側が再度呼ばれるのを待っている。和解交渉は、双方の陳述書が提出された後に行われた。

 中から、総務チーム担当者の男性が大声で、「写真!・・ないない。ハハハハハ」と言い、一同が笑い出すのが、聞こえた。これには、原告が言葉を失った。写真とは例の裸の写真のことに相違ない。裁判官は一体どのような顔をして、これを聞いていたのであろうか。

 このような和解交渉での当事者の言動も、裁判官の心証に影響する。その名において陳述書を提出し、証人席において尋問を受けることのない、いつもは傍聴人である者達の不用意な言動が、仮に「証拠」扱いされるのであれば、裁判外の証拠資料を用いたことになり、弁論主義に反することになろう。しかし、瀬木前掲書によれば、このようなことが起こり得るという。

  なお、弁護士のこの間及びその後の原告にした訴訟遂行上の助言が、勝訴を目指す原告代理人としては、実に不自然なのである。裁判官でもないのに、何故か、和解しか念頭にない。 弁護士の頁参照




 和解が裁判官にとって重要である理由

 最高裁判所による裁判の迅速化方針

 小泉内閣のときに、裁判の迅速化に関する法律が成立し(平成15年施行)、これを受けて、平成15年12月を第1回として、最高裁判所が裁判の迅速化に係る検証に関する検討会を開催している(http://www.courts.go.jp/saikosai/iinkai/zinsokuka_kentoukai/index.html)。直近で平成29年2月第57回まで開催されている。

 その第二条で、「第一審の訴訟手続については二年以内のできるだけ短い期間内にこれを終局させる」ことを目標とする数値目標も掲げられている。この迅速化法の下で、最高裁判所として、審理期間の短縮に向けて「検証」を重ねているのである。

 各地方裁判所毎の平均審理日数の統計も公表されているところから、最高裁判所による地方裁判所に対する迅速化圧力の下、裁判所毎の審理日数の短縮競争が有り得る。大阪地裁よりも東京地裁の方が平均審理期間が短いのは、大阪の裁判官の気質から、時間を掛けて審理を尽くしているからであり、最高裁お膝元の東京地裁よりもリベラルだからだと、かつては良く言われていたものである。現在はどうなっているのであろうか。このような噂の類いからも、裁判所毎の最高裁に対する迅速化の「成績」が存在することが覗われるように思える。

 平成17年に公表され最高裁判所ホームページにも掲載されている、
「裁判の迅速化に係る検証に関する報告書(第1回)」という文書がある。その「訴訟代理人の選任状況と審理期間との関係」の項目で次の様に記述されている。当事者双方に代理人の選任される事件では、50%を超える事件で和解によって解決されており、かつ、和解が早期の終結的解決に通じることに言及されている。要するに、迅速化法の下、最高裁判所としても、審理期間の短縮に向けて「検証」しなければならず、そのために和解が有効な手段であるということである。
 

 和解が裁判を早期に終結させる極めて有効な方途であることが、判例タイムズなどの裁判官がよく読む判例誌に掲載される、特定の裁判官の論考において、言及されることがあるとすると、これが最高裁による全裁判所組織、裁判官集団の統制のあり方の一つであることは、瀬木前掲『絶望の裁判所』に詳しい。




 
和解のテクニックが裁判官の技量-裁判の早期終結

 
ここから、一つの仮説が生じる。すなわち和解による解決により、早期に裁判を終結させることが裁判官の技量となるのではないかということである。

 瀬木前掲『ニッポンの裁判』によると、和解のテクニックが「騙しと脅しのテクニック」である(223頁)。同書によると、「恫喝強要型」、「石の上にも三年型」などあるという。どんなベテラン弁護士も和解押し付けの被害からは逃げられない(225頁)。和解拒絶が敗訴を意味するからである。同書によると、和解指向の理由として、裁判官が判決を書きたくないということも一つにはあるようだ。困難な判断を回避するのか、あるいは単なる怠惰なのであろうか。

 ここでは、迅速化との関係を取り上げたい。迅速化への裁判所の「成績」はその平均審理日数であり、これがその当該地裁裁判所長の「成績」となるならば、裁判所長は所属裁判官の人事評価を担うのであるから、所属裁判官の「成績」ともなろう。




 判決まで進むと、全か無?


 和解というものは、民事事件に付きものである。和解という制度そのものが悪いと言っているのではない。和解の効用として一般に説かれるのは、早期の裁判終結により、当事者裁判所のコストが少なくて済み、当事者が合意していると、内容の実現が容易であるはずであり、強制執行などの手間も掛からない。全か無かの判決と異なり、当事者双方にウィンウィンの関係が築けるので、ゲーム理論的に最適解となるはずである、などである。

 しかし、何故に判決が全か無かでなければならないのであろうか。

 割合的(事実)認定などできない(知人の裁判官)とされる。ある一つの事実が存在するか否かという問いに対しては、存在か無かのいずれかしかないというのは真理である。立証責任の法則に従って、五割以上の心証形成に通じる証拠の提出ができなかった方の主張事実が無いことになる。ここで注意しなければならないことは、自由心証主義の極端な自由裁量の下、五割以上か否かを決定するのが、一にかかって裁判官の独断でしかないということである。

 また、原告の事件のような場合、裁判で提出される事実主張は多岐に渉る。原告の裁判において争われたのは、長年継続するような、集団性組織性のあるハラスメントであった。すると、事実が複数あるのならば、一個、一個の事実主張毎に、その心証形成の過程が明らかにされなければならないはずである。ある事実Aが否定されたとしても、別の事実Bについては存在するとしても何の不思議もない。その事実主張を証拠と照らし合わせながら、一つ一つ吟味することもなく、「被害妄想的思考様式」の一語によって、総論的に一括して否定し去ることが公平であり得ようか。あるいは、多忙な裁判官にとって、詳細な判決を書くことが面倒だったのであろうか。

 和解拒絶により激高した裁判官がその時点で勝ち負けを決めると、その当事者が負けるべく、事実認定を行い、法適用としての形式論で正当化すれば足りる。




 
事実認定における原告に対する助力

 「通常、このような裁判では原告側に裁判所からの助力があるはずだが、この事件ではそれが全く感じられない」。後に相談をした弁護士に言われたことである。このような裁判というのが、組織と争うハラスメント被害者からの裁判というのか、あるいは一般に組織・企業と争う個人としての不法行為被害者をいうのか、あるいははそのいずれでも有り得るのだろう。前述のように(ノン・リケットの説明参照)、不法行為被害者は、加害を受けた事実を立証しなければならない。ここで立証とは、立証の必要な側の提出した証拠から、裁判官が50%以上の心証を形成することができるようにする、ということである。助力とは、裁判官が事実を認定する場合に、通常は50%の心証を形成しなければならないはずだが、弱者保護の観点から、1割ないし3割程度は原告有利にするということである。上手く裁判官の同情を買うと、事実を否定された他の当事者と同程度の証拠であっても、事実があったとしてもらえる可能性があるということである。

 これもある意味では合理性のある処理である。組織内にある証拠を個人である被害側が提出することは不可能である。状況から弱者保護的配慮があってしかるべき場合も有り得る。証拠を収集、提出する能力の不均衡を矯正するために、原告の証拠収集のための便宜を図るというよりも、裁判官の心証形成というドンブリ勘定の中で決定できる。問題は、これが裁判所の裁量として行われる事柄となり、裁判官の腹一つで全てが決まってしまうということである。むしろ、組織対個人の訴訟において、証拠収集のための、原告の法的権利が確立されるべきである。

 原告の事件では、事実認定面での裁判所の助力が全く無く、むしろ加害側である大学側に助力があったと感じられるぐらいなのである。この種の事件でいわばゲタを履かされることなく、事実を認めてもらうことは極めて難しくなってしまう。

 何故、原告の事件ではこれが無かったかというと、和解拒絶の制裁であるということがまず第一の理由であろう。法律分野の研究者がこのようなハラスメント被害者として訴えを提起するような事件は極めて珍しい。裁判官の心証を引きつけるためには、裁判官にとっての原告の印象が極めて重要である。もしも原告が裁判官に嫌われたら、真実とは無関係に、その裁判は絶対に勝てないのである。この事件の場合、裁判官からは、原告がまるで「弁護士のように見えた。あのように大部の陳述書を書いて、判決だとでも言いたいのか。自分を裁判所であると勘違いでもしているらしい」となると、助力を全く得られない。




 
裁判官の出世

 裁判官にも多様な人々がいる。裁判官としての出世などお構いなしに、地裁判事として地方を巡りながら、絶対の身分保障の下で高給を得て、自己の良心に従い自由に、あるいは気ままに生き抜き、定年退官後はどこかの地方の公証人となり、悠々自適の生涯を過ごす。これも一般の庶民から見れば羨ましいような身分である。しかし、このような人達はいわゆる出世街道からは外れた人達なのである。最も一般的な若手裁判官が思い描く出世街道というのは、早い年齢で裁判官に任官し、判事補としては、東京、大阪などの大地裁を皮切りに、数年毎の配置換えにより、やがてはいずれかの地裁総括判事や部総括判事となり、高裁裁判官に定着して、あるいは地家裁所長を目指すという所ではないだろうか。これより上の、高裁長官や更に最高裁判事のような出世コースを歩くことのできる人は、限られた極めつきのエリートにのみ考え得る(参考: 西 川 伸 一『プランB』第30 「幹部裁判官はどのように昇進するのか」2010 12 月))

 そこで、壮年期の地裁総括判事などは、少なくとも通常の出世ルートに乗りながら、更に上を目指している人達であると推測できる。松山のような地方の地方裁判所では、何らかの意味で難しい事件や世間の耳目を引くような事件は、総括判事が担当することが多い。原告の事件がそうだったのである。




 替わり鼻の裁判官にやられた-管轄地域全体への睨み

 「替わり鼻の裁判官にやられたな」(知人の弁護士)。担当裁判長は、ちょうど他の裁判所から転勤をしてきたばかりで、最初に審理担当した事件が原告の事件であった。当該地裁管轄地域の法曹界とりわけ弁護士に対して、今度の裁判官は手強いぞと思わせること、当地の弁護士に侮られないことが、以降担当する事件の和解率を上げることに通じる。そこで当該地域社会で耳目を集めるような事件では、特に和解による解決を指向するのであり、和解を蹴ったらどうなるかを見せつける格好の機会ともなる。

 ちなみに、原告の事件は地元大学の昇任裁判として良く知られていた。FMラジオのニュース速報で取り上げられ、提訴直後に朝日新聞社から弁護士を通じて取材申し入れがあった(これに対しても弁護士の対応が曖昧で、うやむやにされた)。事実、担当裁判官による判決言い渡しの期日が、他の女性被害者の申し立てた事件(市民団体による救済運動があった)の和解期日と同日に入れられていた。同じ裁判官の下で、同じく愛媛大学を相手方とするハラスメント裁判でありながら、一方が完全敗訴の判決言い渡し、他方が、勝訴的和解である(もっとも新聞紙上のコメントによると原告女性はその内容にに完全には納得していない)。これが単なる偶然とも思えない。実際にも、翌日の地元新聞(愛媛新聞)の社会面に、二つの裁判の帰結を報じる二つの記事が、仲良く並んで掲載された。




2,判断の安定と裁判官の出世

 また、裁判官の出世との関係では、次の点も指摘できる。原告の事件のような長年月に渉るハラスメント裁判において、ことに法律研究者である原告の事件では、敗訴した原告による上訴が予想される。これが上級審で覆されると、担当裁判官の成績に響くのである。上訴で取り消されるような判決を書いたという汚点が、人事資料に記録されるのである。従って、一般に、裁判官は自分の担当した判決の上訴により破棄されるかどうかを、非常に気にする。実際に知人の裁判官がこう言っているのを聞いたことがある。上訴で覆された事件について、「あの野郎(高裁判事のこと)、余計なことしやがって」。従って、総括判事ともなると、次の転任先に関する競争関係にある判事が上訴を担当することを嫌がる。すなわち高裁判事のポスト争いである。実際に、この影響によって、上級審でひっくり返されることがあるそうである。そこで、判決を書く裁判官が気に掛けるのが、「判断の安定」なのである。

 上級審で破棄されるような「不備」を残さない。その意味でも、原告の事件は、原告の主張・証拠が十分あり、その陳述書に説得力があったため、その一切を否定し、いわば口を封じるためにも、「被害妄想的思考様式」の認定が必要だったのである。完膚なきまでに負けさせておいて、判断の安定を図ることを優先したわけである。




3,宗教団体への対応が面倒だった
 

 これは推測であるが、裁判所は、宗教団体の違法行為に気づきながら、「面倒なので」原告敗訴の結論をとることにした。

判決の論理からは、必ずしも必要の無い宗教団体への言及
-裁判官の「意識」が表れた?

 このことは、地裁判決文において、次に述べる意味において原告及び被告の主張にない「宗教団体」にわざわざ言及していることからも窺える。

 判決は、当事者の「主張」に対して、裁判所が応答する形で記述される。従って、主張の数が例えば5つあるとすると、判決における理由付けも5つあることになる。ちょうど対応関係に立つのである。「生長の家」という大学外の団体が、原告に人権侵害行為を行っているので、原告の勤務態様が正当化されるという主張があるわけではない。原告の証拠として、陳述書の中に、松山における原告の生活状況について触れる場面で、宗教団体の行動がその宗教団体の幹部であり、採用当時愛媛大学の教授であった百地章氏(憲法)との軋轢から始まったとして出てくるだけである。

 しかるに、判決において、しかも大学側書証、具体的には原告と学部長との面談に関する事務部作成のメモ、の中にある次のような表現を殊更に取り上げている。「原告は学部長らに対して、登学して業務を行うことができない理由として、宗教団体から攻撃されていると述べて[いる]」。そして、判決によれば、このことが、原告が被害妄想的思考様式に陥っているという評価を補強するとする。一見、問題が無さそうである。

 実は、大学側書証として、平成17年に作成された事務部作成にかかる小冊子が存在した。原告の就職以来、平成17年当時までの、原告の勤務状況を巡る所属学部の対応や、原告の精神異常に言及する学部長の一方的発言、平成17年当時の学部長面談の記録がまとめられた冊子である。このころに原告の大阪-松山の切り替えが生じた。まさにそのときに有り得べき原告からの提訴を心配して作成されていたものに違い無い。それを、平成23年の訴訟において、提出したのである。

 この中に、原告の発言として、上記表現が出て来る。一見して原告の精神的問題を覗わせるような内容となっている。しかし、この発言については、原告側が明示的に否定している。

 この裁判において、当事者双方から大部の資料が提出された。原告は採用時以来20年ほどの間、この裁判を待ち望んでいたのであって、相当の資料を蓄えてきた。大学側も、原告にまつわる問題が物騒なので、当初より用心して、訴訟を意識した準備をしている。そこで双方の資料が夥しいのである。

 大学側が提出した学部長面談のメモにしてもたくさんあり、原告の発言であると大学が主張する部分も多数有る。その中から、判決は、上記の原告発言部分を抜き出して、大学側主張の整理の中に埋め込んでいる。次いで、この発言をしたことを事実として認定し、
その上で、他所において、被害妄想的思考様式とする評価の補強材料として再度取り上げている原告の勤務状況を立証するための大学側資料の中にある、原告の発言なるものを、ハラスメント調査でハラスメントを否定した大学の判断を肯定するために、原告が被害妄想だとする文脈で用いている。

 裁判所は、当事者の主張・証拠の総和から、互いに有利にも不利にもその根拠として用いて、認定できるのである。更に、「弁論の全趣旨」という根拠もあり、当事者主張の全体から裁判官が感得したものを理由にできる。これが当事者主義、自由心証主義である。従って、当事者の提出した資料が多ければ多いほど、裁判官の認定の「自由」が拡大することになる。

 なお、原告は、市中における宗教団体による迫害行為と、大学・官舎内における特定の技術職員を中心とする一部グループの行為、及び所属学部学科内における教員らの行為の三者を区別している。所属学部長に対しては、採用当時以来、第三の問題を強く訴えてきた。平成17年当時に至り、宗教団体については、前提として原告の生活状況を説明する文脈であり、雑談に近い。第二の問題については、採用当時、大学本部事務部に対して、そして平成17年以来、所属学部長に対して、その対策を願い出ていたのである。

 宗教団体の市中における行為と、技術職員の学内での行為を区別しているのであって、前者を大学の責任に結び付けるようなことはしない。そのような非論理的な間違いを犯す人間では無い。これが大学側のメモによると、原告の精神的な問題を強調するような表現と文脈にすり替わっている。このことも原告の陳述書では指摘していた。裁判所が、大学側の主張通りに認定したのである


 繰り返しになるが、大学側のメモは多数に上り、原告の発言とされる部分も多い。判決は、その中から殊更にこの部分を取り上げた。何故に、判決において、論理的には不必要な「宗教団体」への言及を行ったのであろうか。
不自然に付け足してあるという感を免れない。このことが、裁判官の「意識」を感じさせるのではないだろうか。当事者の陳述などに何らかの「意識」を感じさせる場合に、裁判官がその内容を否定的に認定すると言われる。ここで意識というのが実務の慣用語である。無用の繰り返しや不必要な強調など余分の意識を感じさせるときに、その内容に何か嘘が含まれると考えられるという意味である。

 原告が、原告有利なはずの和解案を蹴った理由として、宗教団体への対応を迫っているという裁判所の思い込みが有り得る。その面倒を避けたのであり、このことを原告に思い知らせるという意図があったかもしれない。



 
事件の真相を巡る裁判官の価値判断?-判決の基礎

 以上を直接的な動機としながら、判決の基礎となるのが裁判官の実際の価値判断、真相を巡る裁判官の直感である。

 実際の価値判断と言っても、一旦、「当事者を憎むと、裁判官というのは一切を嫌う」という職業的人格を有するものである(元裁判官の民事訴訟法学者) 。場合によっては、何を言っても、真実がどうであれお構いなしに、その当事者不利に事実関係を曲解し、これを基に結論を下すものである。これにも一応理由が考えらる。

 裁判というものは、当事者にとっては、一生に一度、場合によっては人生を掛けた勝負である。当事者は、裁判官という法の女神テミスの使途による真理の探究による法の救済を夢想しているが、実際は異なる。職業としての裁判官を選択した社会的エリートが、本心では、紛争に至らざるを得なくなってしまった弱者である市民を小馬鹿にしながら、淡々と日々の仕事として裁判をこなしている。当事者間の広義の権力的強弱のバランスを図りながら、和解では強者の肩を持ちつつ、弱者が何とか妥協できるラインを探る。要するにどっちが煩いかの力関係を図るのである。そして、判決となると、自己の労力の省力化を図りつつ、判断の安定を第一に優先する。裁判官が極端に形式論を好む理由である。そうして負けと決まった当事者に全責任を負わせるのである。

 個々の裁判の結果を引きずっていては、次の仕事に取りかかれない。あの裁判はやはり間違っていたのではないか、人生を掛けている当事者に悪いことをしてしまったと、一々悔やんでいては始まらない。その当事者の全て、全人格を否定し、憎むという職業的習い性を身につけなければやっていけないのだろうと思われる。結論が決まると、自由心証主義の下、証拠法則を操りながら、ねじ曲げられた認定事実に基づき、法律論としての形式的なレトリックにより、後付けの正当化を行う。ねじ曲げるというと誤解されるかもしれないが、恣意的に、事実関係の半分のみを認定する場合を含む。後の半分があれば判決の結論が変わるときに、そちらは証拠が無いので認定できない、すなわち心証が50%を超えないとすれば足りるのである。

 瀬木前掲『ニッポンの裁判』にも、次の様な記述がある。「和解による正義の担保は脆弱なものである」。和解を飲めないなら心証が悪くなるという裁判官による恫喝強要であり、「実際に、和解案をのまないと、非常に意地の悪いねじ曲げた事実認定や法律論によって敗訴させられることさえある」。

 自由心証主義に基づく、いかなる事実認定も可能であると述べたが、弁護士の主張や証拠の提出という訴訟遂行の有り様によっては、裁判官の手を相当程度に縛ることも可能である場合があるが、原告代理人はこれを怠り、裁判官に最大の自由裁量をもたらしたのである。 弁護士の頁



 その真相の見方は著しい事実誤認に基づく

 前訴が終結し、再度のハラスメント裁判を提起するために、松山の弁護士に相談した。その人に教示してもらった事である。この事件では、「ここが大事なんですよ」という。この誤解が判決を決定した大きな要因なのであれば、返す返すも残念でならない。

 以下が、その弁護士が推測した裁判官による「真相」の内容である。

 「かつて松山で人権侵害被害にあったらしいが、これがたまらず、大学所在地ではない大阪に逃げ出した。大学の問題なら、 そのときに訴えを起こせば良いものを、何故に今頃訴えているんだ。他所で女を作って、子供までもうけて、それでマンションまで買って、家族で住んでいたに違いない。大学に住宅ローン控除の手続までさせて、このことの放任によって、十分代償を取っている。この上、損害賠償など必要ない」。 

 以上が判決文に書かれているわけではない。裁判官の直感としての価値判断を、その弁護士に推量してもらったものである。

 これを聞いて、原告は驚愕した。法律論としては事件とは直接関係のないこのような価値判断が、判決を決定するということを原告は知る由もなかった。そのことを知っていたなら、正面切って、上のような事実関係が真実であるかを聞かれていれば、十分反論したに違いない。この「事実関係」が裁判によって争われたということがない。当事者がうかがい知れない、事件とは直接関係の無いはずの事実についての裁判官の思い込みによって、密かにその内心で心証が形成され、事件を決定づける。

 前述の弁護士によると、そのような裁判官の内心を推量して、主張ないし反論をすべきなのだそうである。

 しかも、執拗にある主張を繰り返すと裁判官の心証を反対に誘導しかねない。前述の「意識」を感じさせるので、事実Xの心証を裁判官に抱かせようとすると、直接的にXを主張しないで、これが推量できるようにXに対しては間接的な事実関係を仄めかし、Xを暗示するのだそうである。

 この事件では、前訴提訴以前の学部長面談の際に、原告が大阪に居る家族について聞かれたことを失念していた。ところが、証人尋問の際に、大学側代理人に聞かれて、面談中に家族の話題が出たことを思い出したのである。これを認めたことが、極めて重要な鍵となった。原告の陳述書において、大学側資料に出てくるこの点を否定していた。原告としては法的には無関係な事実関係であるので、どうでも良いことと思っていたが、実は、大学側代理人は、上記の点について、裁判官の欺罔を導くためにこの質問をしたのであった。

 ある事実関係の主張について、当事者に余分の「意識」を感じさせる場合に、
その主張の背後に何かあるのである。原告の「家族の問題」については、陳述書において学部長面談時に話題となったことの否定が、証人尋問時に覆された。その背後にあるXについて、原告の「意識」=うしろめたさを感じさせてしまったのである。

 あるとすれば次の様な意識である。後に述べるような原告の家族について、特に、父親の家族について公にされるようなことは、外聞を気にする父がひどく嫌がるだろうし、原告にとっても、後述のように極めて複雑なので、無関係なことに触れられたくない。




 実際は、こうである

 
原告が犯罪被害を被っていたことを知っても、誰も通報しない。大学の自治が治外法権に通じ、衆人環視の下にこれがなされた。大学の責任が重大である。

 赴任より数年間の被害は犯罪行為を含む深刻なものであった。一部の法学科教員らと問題の技官(技術職員-当時は技官)は、共謀関係にあったものであり、大学本部詰め職員らにおいても、原告の被っている被害を認識していたが、誰一人、警察に通報するなり、原告自身に情報提供を行い、本人による通報を促すことをしなかった。むしろ、原告が詳しく知らないことを良いことにして、原告の被害に対する訴えを精神異常として、その状況を放置した。極端なスキャンダルを覆い隠すためである。これは衆人環視の下の集団リンチに等しい。原告の住む官舎の部屋や、当時の研究室が、トラウマの現場として記憶されている。

 原告自身、警察に何度か相談に赴いているが、官舎での騒音被害については、民事不介入を理由に取り合われなかった。酷い寝不足が常態となっており、一時帰阪を決めたときには、正常な判断すら付きかねるほどであった。その頃、知人であった東京在住の紀藤正樹弁護士に電話で相談するなどしていたが、遠方であるという理由で断られた。愛媛弁護士会の名簿をファックスで送ってくれた。紀藤氏は、後に、このとき原告が「憔悴しきっている様子であった」と語っている。当時の松山市中の雰囲気を受けて、宗教団体の関係する事情もあり、原告は、松山の弁護士が事件を引き受けるはずがないと思い込んでいた。

 裸の写真については、写真撮影に関する熟睡中の一瞬の記憶があったに過ぎない。学生らのおかしな雰囲気にはある程度気づいたが、蜂の巣をつついたような騒ぎなど全く知らない。これを知っていたなら、直ちに警察等に告訴することができただろう。

帰阪を決めた経緯

 帰阪を決めた経緯を述べると、宮崎氏自身の陳述書にもあるように、愛媛大学教員である矢野氏及び宮崎氏がこのころ大阪の父を訪問しており、父から、両氏が「随分心配していた」と電話があった。この事に誘導されて、父より何度も「一度帰ってこい」という電話があり、最初はこれに抵抗していたものの、遂に、これに従ったものである。どうやら、両氏が原告の精神的な「異常」について説得したようである。宮崎氏の陳述書に、父が自分の「息子を信じる」と述べたとある。それまでは、警察相談を重ねながら、必ず自分で解決しようと考えていたので、実家には何も相談していなかった。次に述べるように、父親には相談し難い事情があった。

 なお、宮崎氏の陳述書によると、宮崎氏らが大阪の実家を訪ねた理由は、原告が会議等に出席しないことを相談に行ったためであるとしている。30才ぐらいの男性が会議等に出席しないことを告げに、愛媛県から大阪まで、その者の親に会いに、二人の教員がわざわざ出向くということが一体あるだろうか。これに対して、父親が「息子信じる」というのは、余りに大仰である。この秘匿が、宮崎氏の強い「意識」?を感じさせる。

父と義母との関係と、マンション購入のいきさつ

 以下に述べることは、原告及び家族のプライバシーに関わることである。原告にとって、本来、これを公表することが苦痛である。ごく親しい僅かな友人に対して、ほんの一部を打ち明けたことがあったに過ぎない。しかし、裁判所のした「真相」の誤解が、原告に対する非難に通じ、愛媛大学における勤務態様についての帰責性に大きく関係するということである。真にやむを得ない。この誤解を解かなければならない。大きな決断が必要であったことを理解して欲しい。

 20歳代半ば頃のこと、原告の母親が亡くなったときに配偶者喪失鬱にかかった父が、同僚に誘われて行った飲食店で知り合った女性と恋愛に陥った。台湾出身の女性であった。

 このときのエピソードの一つである。母が亡くなった見舞金300万円が自治体から支給されていた。何かの折りに、何気なく、あれはどうしたの?と父に尋ねると、「俺の金をどう使おうと俺の勝手だ」と、怒りだしたのである。自分に後ろめたいところがあると、自分勝手に相手の言葉の裏を邪推して怒り出す。恐らく傷つけてしまったのだろう。推測であるが、女性との交際に費やしたのだと思われる。

 父が女性の家族に会うために台湾に行って、帰って来たときのことである。帰宅時間に合わせて、夕食を用意していた。好物の刺身を買っておいたのだ。ところが、帰宅した父を玄関まで迎えたとき、原告の顔をみた途端に、何でも無いことに難癖を付けて怒鳴り出したのである。原告も言い返したが、口答えが気に入らないと言って、原告の部屋まで追いかけてきた。これから外に散歩に行くというと、どうにでも家から外に出さないと言う。取っ組み合いのケンカとなった。ものすごい腕力でねじ伏せようとするので、原告の腰にねじれるほどの痛みが走った。父の顔を見ると憤怒で目の色が変わっていた。殺気まで感じさせるほどの形相だった。他方で、父はいつも原告に女性のことを相談していた。この女性のことを考えると、頭の中が黒雲で覆われるといって、同じ事を延々と話し続けた。

 平成2年2月、その女性が父の子を台湾で出産した。この4月に、原告が愛媛に赴任した。当時、原告の父親が、愛媛にいる原告に電話をよくかけてきた。「家に帰っても真っ暗だ、とても寂しい」と言う。いつも留守番をしていた原告が居なくなり、一人で夕食をとることが耐えられない様子だった。

 その後、上記の事情で実家に逗留せざるを得なくなったのである。

 台湾で養育していたその子が6才になるので、日本の小学校に通わせることになった。原告が父にそうすべきだと言ったのである。しかし、この台湾出身の年齢の比較的近い女性は義理の母親として、折り合いが悪かった。この母子が実家に住むことになるが、成人した原告が共に住むわけにはいかない。父と女性との間の子が日本の小学校に入学する直前、平成8年頃、原告が衝動的に大阪市内のマンションを購入した。それ以降、父の家族が実家に住み、原告は離れた場所にあるマンションに居住していた。愛媛大学における問題が放置されたままで、原告に対する良好な教育研究の環境が保証されていなかったし、最低限授業を行うという立場に至るまで、元の状態に戻ることは到底考えられなかった。

 なお、大阪においても、宗教団体の信者によるつきまといが止むことが無く、これと闘いながら、警察相談を継続していた。

大学におけるその後の放置-違法状態の放任-安全配慮義務違反

 実家に一時的に「緊急避難」(矢野氏の表現)した後、大学に出校しても、周囲は私が帰阪していることすら全く無視していた。相変わらずの嫌がらせは出校の度にあった。所属学科教員らとは全くディス・コミュニケーションの状態に陥っていたが、出校しない状況により、何とか交渉の糸口が掴めないかを模索することにした。学科教員の誰か責任のある者が、これが誰になるかも知らないが、面談を申し入れてくれば、昇任問題を突きつけるという非常手段であった。ところが、いつまで経っても何も言ってこない。法学科教員らが、原告を何が何でも昇任させない、飼い殺しの方針を早くに伝えていた。

 大学の責任において、正常な業務遂行を不能とされた、安全配慮義務違反である。歴代の学部長に対して、法学系教員らのハラスメントへの対策をとること、及び授業を行う立場にすることを懇願していたものの、全く無視されていた。大学本部事務部に対しては、宿舎内のハラスメントについて訴えたことがあったが、同様である。

 採用以来の、特に平成17年の切り替え時の、学部長面談における交渉の焦点は、原告からは、正常な教育研究の環境を保証してもらうことであり、その意味において、最低限、教育の仕事を行う立場を獲得することであった。大学にいても、実質的な仕事としては、研究活動以外に無かった。(�判決の頁参照)そのため、極めて弱い立場にあった。このことが種々のハラスメントを惹起する要因の一に違いなかった。直ちに愛媛において業務を行う用意があったが、上の違法状態のためにこれが果たせない、どれほどにこのことが口惜しかったことであろうか。

原告の生い立ちー父のこと、母のこと

 このことこそ、原告の裁判と何の関係も無いと思われるかもしれない。原告自身そう思っていた。しかし、民事事件でも、裁判所は、当事者についてプロファイルするそうである。原告の人間性や性格についての見方が、事件の結論を左右しかねない。その意味で、裁判所の誤りを明らかにするためなのである。過保護で育った甘ったれなら、酷い状況に遭遇した結果、ホームシックに罹って、自分勝手に大阪で過ごしていたのかもしれない。もちろん違う。法と正義のための、強烈な自我に支えられながら、自分一人で全てと闘ってきたのであり、大学採用時の状況の過酷さを通常人がやり過ごせるとは到底考えられない。それでも子供のころ、思春期のころの、家庭環境の過酷さからみれば、それほどのこととも思わない。

 そこで、原告の生い立ちに関わる、父や実母と原告の関係についてまとめておきたい。

 思春期以来、外で何か問題を抱えて相談すると、父からは常に「お前が悪いからだ」と言って酷い叱責を受け、下手に反論すると、まるで地響きでも起こすかのような大音量で怒鳴り始め、それから長時間に及ぶ説教を聞かされる羽目に陥る。拒絶して自室に行っても、「誰が寝かせるか」と言っては追いかけて来て、ベッド脇に座り込み、窓の外が白んで小鳥の囀りが始まる夜明けまで続くのである。白を黒、黒を白というような理不尽であっても、絶対服従を強いる。些細な言い回しに「その言葉は[自分を]傷つける」と言って、全人格を否定するような言葉で相手(家族に限られる)を傷つける。「それを言ったらお終い、というような事を言っているよ」と、気づいてもらおうとしたが、何の甲斐も無い。次の日にはまるで忘れたようにケロッとしている。顔を見合わせる度に、胃の痛くなるほどの大喧嘩をしていたときもあり、真剣に家出を考えていたが、母親のことが気がかりで無鉄砲ができなかった。こんな事を嫌と言うほどに繰り返してきたので、何があっても父親には二度と相談しないと決めていた。ただ面倒が増えるだけだから。十分な生活力が着くまで我慢する、それまでは家に留まり、可能な限り早く家を出ると決めていた。しかし、原告が成人するにつれ、このようなことも克服した。

 原告の母親は原告の幼い頃から精神病院への入退院を繰り返し、重度の睡眠薬中毒に罹っていた。実は、最近になって漸く、周囲の助言を得て気づいたのであるが、父親は、暴力を伴わないものの、言葉の暴力や睡眠妨害による虐待加害者であった。同居する家族の内の一人がその被害を被る。原告が物心ついたころに、そのころには叩くなどの暴力もあって、母親がこれに耐えきれず、うつ病を発症して、自分の郷里の有名な精神病院に逃げ込んだのであった。そして原告が思春期を迎えた頃に始まり、反抗期に至るにつれて、虐待被害が原告自身に及んだ。虐待の対象が妻から子へ転換したのである。父は、母を子供のように扱っていた。そして原告に向かっては、口癖のように「母親を見てやらないといけない」と言い、「お前は何もしていない」、「何の役にも立たない」と責め立てるのであった。

 しかし、子供の頃の父親は子煩悩であり、病院に行かざるを得ない母を責めながら、原告に対して、「親一人子一人」と言い、親ばかを自称しながら、トンビが鷹を生んだと言っては可愛がった。母がおかしくなってからは、頑強な精神力で仕事を継続し、一家を経済的に支えても居た。虐待に抵抗しながら、成人に近づくにつれて、これを乗り越えてからは、逆に、父親が何かにつけて原告に依存するようになっていた。

 実母は、若い頃は、子供のフォーマルウェアを型紙から自分で作るほど洋裁ができ、洋裁の内職で家計を助けていた。レース編みのパターンを繋げて、婦人用上着を作り上げることもあった。ところが、二度の入退院を繰り返した後、インシュリンショックで全く別人のようになってしまった。体型も変わり、向精神薬中毒のために、だんだん人格破壊も進んでいった。

 母は、生前、睡眠薬のせいで毎日決まって寝小便をした。明け方5時に階下から二階で寝ている原告を呼び起こす。原告は、黙って母親のシーツを交換してやると、再び寝かしつける。薬の影響で日中も朦朧としていることが多いのに、好んで外出した。高額の買い物をしては日々の家計にも影響するほどであり、父親にいうと烈火の如く怒るので、原告に相談した。父には言わず、毎日の支出額を計算してやり、家計を管理してあげた。子供である原告の貯金にまで手を付けることもあった。それでも、たまに請われて母親の好きなデパートに連れて行ってやると、とても喜んで、横に並んで歩きながら、腕を原告の腕にからめて寄り添った。どうにもならない母親であっても、大切であった。向精神薬の接種が過剰であることに気づいた原告が、父に、母を病院に入れるように進言したのだが、嫌がっている母親を見かねて父はこの決断ができなかった。その後、突然、心臓発作で亡くなったのである。


 愛媛県への赴任が決まって、正直言って、せいせいした。この後は、家族に煩わされず生きていけると感じた。

 愛媛大学に赴任した最初の教授会において、新規採用者として紹介され、次の様に挨拶したのを覚えている。

 「この愛媛大学で、研究者としての第一歩を踏み出すことができました。骨を埋める覚悟で努力します」。




 また別の真相?


 また、次の様な裁判官の心証も考えらる。「裸の写真なんて認定したところで、二次被害を招くだけじゃないか。そんなものに拘っていないで何故、裁判所の和解案に従わないのか。将来的にうまくやって行く方法を考えれば良いので、そのような良い和解を考えてやったのに」。このことは、原告からすれば、余計なお世話なのである。

 原告が何を求めているか? 裸の写真など、それ自体は原告にとっても別にそう意味は無い。実際に、その当時、熟睡中に写真を撮られたことのおぼろげな記憶はあったものの、問題となるような学生等への閲覧方法については全く気づいていない。

 むしろ、学内で学生に閲覧させた方法が犯罪を構成するほどの重大な違法性を帯びる態様で行われたこと、すなわち、学生が蜂の巣をつついたように騒いだような態様である。周知の事実となっていたのであれば、何故、警察へ通報しなかったのか。何故、原告にその事実を告げなかったのか。そうすれば、原告が警察に告訴できたのである。そうしないで、学内でそれが放任されたこと、あるいは大学本部としても手をこまねいたであろうこと、そういう大学全体の在り方を問題とするのである。

 このときの原告の所属が法学科である。そのようなことを所属学部が、全体として黙認していたと解さざるを得ない。むしろ溜飲を下げていたのだろう。その後も、この雰囲気が継続していた。このことこそを原告は裁判所に訴えたかった。社会への告発を意図していた。