藤沢周平作品のページ No.2

 

11.海鳴り

12.風の果て

13.本所しぐれ町物語

14.蝉しぐれ

15.たそがれ清兵衛

16.市塵

17.三屋清左衛門残日録

18.凶刃−用心棒日月抄−

19.天保悪党伝

20.秘太刀馬の骨

 

【作家歴】、暗殺の年輪、刺客、用心棒日月抄、消えた女、橋ものがたり、春秋の檻、隠し剣孤影抄、隠し剣秋風抄、密謀、よろずや平四郎活人剣

藤沢周平作品のページ bP


日暮れ竹河岸、漆の実のみのる国、早春、静かな木藤沢周平未刊行初期短篇、海坂藩大全(上)、海坂藩大全(下)、帰省、乳のごとき故郷

藤沢周平作品のページ bR

 


 

11.

●「海鳴り」● ★★☆

  

1984年
文芸春秋刊

文芸春秋
個人全集
第19巻

2013年07月
新装版
文春文庫化

 
1997/06/18

   
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ウーン、感想をどう書いてよいやら悩む作品です。一面からだけ見ると、美しい物語、 と言えるし... ウン、わかるなア、と言うと、「何か問題抱えているんじゃないの、アノヒト」と言われ そうだし.....

一代で紙問屋の店を開くに至った新兵衛が、ふと自分の老いを感じてみると、家庭は幸せなものとは言えず、もう今更自分の力では変えられないものとして固まってしまっていることに気付く。そんな新兵衛が、新しい生活を切り開くため、再度出直しをするに至るストーリイ。
市井ものの短篇のように人情の機微を感じさせてくれるということはないのですが、自分の胸の中にひそやかに入り込んで、いつのまにかジワーッと広がっている。それを噛めば噛むほど、にじみ出てくる味わいがある、そんな作品です。

感想は新兵衛のことに集中してしまいますが、その他の登場人物たちにも、それぞれ同様な物語があるだろうことを、藤沢サンはちゃんと感じさせてくれています。ともかくも、新兵衛と道連れにエールを送りたい気分。

 

12.

●「風の果て」● ★★☆

  
1985年
朝日新聞社刊

1988年
2013年02月
文春文庫

(上下)

文芸春秋
個人全集
第20巻

 

1994/02/19

 

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時代小説版企業小説と言いたい趣きのある作品です。
現代の企業小説に似て、青年の夢から、それを実現して出世し、政治に参画して遂にトップの座を勝ち取るまでの、地道な成功物語。

現在は、筆頭家老の立場にある桑山又左衛門。それが、かつての友人・野瀬市之丞から果し合いの申し入れを受けたことから、これまで自分が歩んできた道を振り返りながら、野瀬を捜し歩く、という設定が巧妙で、それが何より面白く感じます。
最初は、同じ道場の友人とは言え、お互いに職につくようになると、身分差が厳然として生じます。その意味で、又左衛門の対極にある人物が、家老の家柄に育った杉山忠兵衛
又左衛門の婿入り、持ち場での力量発揮と、次第に認められて立身していく様は爽快なものがあります。
とは言っても、それは同時に、権力争いの渦中に踏み込んでいくということでもあります。

その辺りの機微を、単なる成功物語として直線的に語るのではなく、又左衛門をして過去を振り返らせ、検証させていくような展開が、藤沢さんの巧いところです。
傑作とは言いませんが、捨て難い魅力を備えた作品です。

 

13.

●「本所しぐれ町物語」● ★★

 

1987年
新潮社刊

1990年
新潮文庫

 

1993/09/16

アンダスン「ワンズバーグ・オハイオ」と同様に、本所しぐれ町という架空の町を舞台に、そこに住む人々を描いた連作短篇集。
同じ市井ものの代表作「橋ものがたり」と比べると、本作品の方が泥臭いというか、バタ臭いという感じがします。それは当然なのでしょう。「橋ものがたり」が若い男女の愛を主題にしているのに対して、本書は“しぐれ町”に済む老若男女、様々な人間の生活ぶりを描いているのですから。

幾つかの篇の中で、登場人物が行き交う分、また、主観的に或いは他の篇で客観的に語られる分、真実味が増して読み手に伝わってくる、という長所がこの形式にはあります。
様々な人間が登場しますが、様々な人間がいてこそ、人生が、ひとつの町が成立するのですと言うような、藤沢さんの温かい目を私が感じます。

この作品中でとくに忘れ難いのは、父親に死なれた10歳のおきちを描く一篇。幼い弟・妹を抱え、一人で借金して父親の借金を片付け、自分の借金のため女郎屋へ自ら2両で身売りしていく。その健気で、最後に子供らしさを見せるおきちの姿は、忘れられません。

鼬の道/猫/朧夜/ふたたび猫/日盛り /秋/約束/春の雲/みたび猫/乳房/おしまいの猫/秋色しぐれ町

 

14.

●「蝉しぐれ」● ★★★

  

 
1988年
文芸春秋刊

1991年
文春文庫

文芸春秋
個人全集
第20巻

1994/02/24

時代小説における青春小説の逸品。
海坂藩を舞台にしたもののひとつで、情趣に溢れた作品です。

雑誌に連載中は、藤沢さん自身どのような作品になるのかまるで見当もつかず、自信もなかったとのことですが、そんなことが信じられないような名品です。
読後に思い返す度、走馬灯のようにいくつもの情景が心の中に浮かび上がってきます。
とくに真夏の蝉の鳴き声が降りしきる昼最中、自裁した父・助左衛門の遺体を載せた荷車をひとり引っ張る主人公・文四郎の姿。また、文四郎を助けて荷車を押す道場の後輩・杉内道蔵、同じ普請組隣家の娘・ふくの姿。
そして、小和田逸平、与之助との厚い友情。父自裁後の忍従の日々。そんな中で、伝え聞くおふくの身上に思いをはせる文四郎の心情。
更に、年月を経て郷方回りに出仕し、秘剣の伝授を受け、自立していく頃のこと、等々。
若き青春の頃の悩みと、友情。時代小説とか、現代小説とかの垣根を越えていつまでも読者の心の中に残る、そんな名作のひとつです。

  ※映画化 → 「蝉しぐれ」

 

15.

●「たそがれ清兵衛」● ★★

 
1988年09月
新潮社刊

1992年09月
新潮文庫

文芸春秋
全集第16巻

   
1991/09/29

隠し剣の系統に繋がる短篇集です。ただ、題名が主人公が遣う秘剣の名前ではなく、主人公たちの異名であるところが違いであり、また特色です。
それだけ主人公達の個性が豊かと言えるのですが、むしろ侮りを受けている異名であるところが、面白みです。各篇の主人公それぞれに、親密感を抱かざるを得ない、というところが藤沢さんの巧さです。
とくに表題作「たそがれ清兵衛」にはいとおしさを感じますし、「ど忘れ万六」における万六亀代の舅・嫁関係には、三屋清左衛門清左衛門・里江の関係と比較して、楽しくなってしまいます。

たそがれ清兵衛/うらなり与右衛門 /ごますり甚内/ど忘れ万六/だんまり弥助/かが泣き半平/日和見与次郎/祝い人助八

 ※映画化 → 「たそがれ清兵衛」

  

16.

●「市 塵」● ★☆

  

1989年
講談社刊

1991年
講談社文庫

文芸春秋
個人全集
第22巻

 

1997/07/12

6代将軍家宣に仕えた儒者・新井白石を描いた歴史ものですが、かなり地味な作品です。
甲府宰相・綱豊が綱吉の世子となり、次いで将軍となる直前からストーリイは始まります。
それまでの白石は、これまた地味な存在。特に有名だったわけではなく、浪人して私塾を開きなんとか暮らしている程度でしたが、師の紹介で綱豊に仕え、間部詮房の肩入れもあって幸運を掴みます。綱豊が将軍位を継承するに従い、白石の役割は儒者の立場を超え、まさしく政治的ブレーンとなります。そうした経緯の一切、作品中の記述はとても詳細です。ちょっと辟易する程。
しかし、結局は家宣が在位短く急逝し、吉宗が登場することによって、白石は失脚します。一人物にのみ重用された人間が、一時期を過ぎれば元に戻るというのは、当然のこと。“市塵”に戻る、題名の意味はそういう意味のようです。
楽しめる作品というのではありませんが、歴史を詳細にかつ事実どおりに掘り下げた、そこに価値がある作品と言えます。
それにしても、どんな作品であろうと、隙とか斑とかが一切無い作家だなあ、とつくづく藤沢さんに感嘆してしまいます。

 

17.

●「三屋清左衛門残日録」● ★★★  菊池寛賞

 

1989年
文芸春秋刊

1992年
文春文庫

文芸春秋
全集第21巻

 


1993/04/11

さる藩の用人を勤めていた三屋清左衛門が、藩主の交代を機に用人を辞し、江戸から戻って家督も息子に譲り、隠居生活に入ります。その隠居生活の日々を描く連作短篇集。名づけて“残日録”という訳です。
自宅内に離れを建て、そこを住まいとする。息子夫婦とはつかず離れずで、現代における定年退職後のサラリーマンの姿を見るようなところがあります。そんなところが、この作品が人気を呼んだ理由でしょう。
隠居した直後は、することもなく、ぼんやりするだけ。何かすることを見つけようと、昔中断した勉学を再び志す一方で、剣の道場にも通い始めます。また、釣りという楽しみも加わります。その傍ら、昔の友人らが持ち込む相談事(とくに現町奉行・佐伯熊太の持ち込む問題が多い)に乗ったり、縁談の世話をしたりと、前用人という立場から家老同士の派閥争いに立ち入ったりもします。
家では、自分が見出した息子の嫁・里江について、出来た嫁と満足しながらも、既に隠居の身として気遣いもします。
となると、現代的要素を感じるのも当然のことでしょう。そして、この清左衛門の如く自分の楽しみを味わいつつ、俗世の役割もまだ求められるというのは、理想的な退職後の姿に違いありません。
この作品を読んで、羨んだサラリーマンが多かったのは、まず間違いないところだと思います。

 

18.

●「凶刃−用心棒日月抄−」● ★★

 

1991年
新潮社刊

1994年
新潮文庫化

文芸春秋
全集第10巻

 


1991/08/25

シリーズ最終巻。本書については賛否両論あるようですが、私としては好きです。“用心棒日月抄”の裏軸とも言うべき、又八郎佐知との関係にきっちりけりをつけた点、過去の3巻に捕われず、 あえて長篇推理風に仕上げた味わい、“日月抄”であって“日月抄”でない最終巻として、藤沢さんの巧さを賞賛したい思いです。
本書は、前作から16年経ち、青江又八郎はれっきとした頭取の職にある、という設定。ところが、またもや嗅ぎ足組にまつわる事件に巻き込まれ、再び江戸に出て、佐知と共に真相究明に当たるというストーリィ。さすがに、以前のような立会い場面はあまり見られません。むしろ、うって変わって、クロフツ型推理小説、足を使っての捜査の経緯が主軸となります。
佐知との関係は、前作を引き継いでおり、お互いに年を経た分、情愛が細やかなものになっているようです。16年という長い年月を置いてこの続編が書かれたのは、人生というものは若い時だけで終わるものではない、中年時には中年時なりのドラマがある、そんな藤沢さんの声が伝わってくるようです。
事件解決後、最後の又八郎と佐知の別れの場面。思いもかけない、明るい幕切れとなります。別れという寂しい場面が、晴々とした明るさに変わるところが、藤沢さんに魅せられる所以です。
“用心棒日月抄”シリーズを、剣客ストーリィに終わらせず、長い人生ドラマに仕上げた点で、本書の意義は大きいと思います。

  

19.

●「天保悪党伝」● 

 

199203
角川書店刊

1993年05月
角川文庫化

2001年11月
新潮文庫
(476円+税)

 

2002/05/06

悪名高き練塀小路の悪党・河内山宗俊と、その周りに集う片岡直次郎、金子市之丞らを描いた、連作短篇集。
悪党を描くというのは、藤沢さんにしては珍しいこと。
と言っても、そこは藤沢さんらしいところというか、悪党であっても決して根っからの悪人ではないところが、ミソでしょう。
バカ正直でどこか要領が悪い。ですからこんな悪党のような暮らししかできない、そんな人の良さが彼らにはあります。したがって、時には悪党仲間同士、助け合ったりする場面もある。
ストーリィの中に登場する本当の“悪人”のような陰惨さは、彼らには感じられません。
それが、藤沢さんの描いた“天保六花撰”の悪党ども。

藤沢さんの弟子にあたる北原亞以子さんには「贋作天保六花撰」という作品があります。こちらではもっと人が良い片岡直次郎が登場します。一方、多岐川恭「練塀小路の悪党ども」は、もっと人が悪かったように思います。いろいろ読み比べてみるのも一興でしょう。

蚊喰鳥(天保六花撰ノ内・直侍)/闇のつぶて(〃金子市)/赤い狐(〃森田屋)/泣き虫小僧(〃くらやみの丑松)/三千歳たそがれ(〃三千歳)/悪党の秋(〃河内山宗俊)

 

20.

●「秘太刀馬の骨」● ★★


1992年
文芸春秋刊

1995年
文春文庫化

文芸春秋
全集第21巻

   
1993/04/04

北国のさる藩において、前々家老暗殺に使われた“馬の骨”という秘太刀の遣い手を探し求める、という構成の連作短篇集。
藩の内部には、現家老・小出派と、前家老・杉原派の派閥争いが在ります。そんな中、近習頭取である浅沼半十郎は、小出帯力から“馬の骨”探索の手伝いを命じられます。手伝う相手、即ち探索者となるのは、小出の甥・石橋銀次郎
“馬の骨”は、大野家が継承する不伝流の秘太刀という。そのため、遣い手を探すため、銀次郎は次々と不伝流の高弟との立会いを求めていきます。それが連作短篇となる所以。
当主・矢野藤蔵、沖山茂兵衛、内藤半左衛門、長坂権平、飯塚孫之丞、北爪平九郎。その一方で、小出家老の悪者振りが徐々に明らかになっていきます。
こうしたストーリィを、連作短篇という形に仕上げたことで、本作品は歯切れの良い時代小説になっています。

 

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