重松清作品のページ No.



21.かっぱん屋

22.小さき者へ

23.きよしこ

24.トワイライト

25.哀愁的東京

26.お父さんエラい!(文庫改題:ニッポンの単身赴任)

27.きみの友だち

28.小学五年生

29.カシオペアの丘で

30.なぎさの媚薬4−きみが最後に出会ったひとは


【作家歴】、ビフォア・ラン、四十回のまばたき、見張り塔からずっと、舞姫通信、幼な子われらに生まれ、 ナイフ、定年ゴジラ、エイジ、日曜日の夕刊

→ 重松清作品のページ No.1


半パン・デイズ、カカシの夏休み、ビタミンF、さつき断景、リビング、隣人、口笛吹いて、セカンド・ライン、流星ワゴン、熱球

→ 重松清作品のページ No.2


くちぶえ番長、青い鳥、永遠を旅する者、オヤジの細道、ブランケット・キャッツ、ブルーリバー、ツバメ記念日、
僕たちのミシシッピ・リバー、少しだけ欠けた月、サンタ・エクスプレス

→ 重松清作品のページ No.4


とんび、気をつけ、礼。、希望ヶ丘の人びと、ステップ、再会、十字架、きみ去りしのち、さすらい猫ノアの伝説、ポニーテール、峠うどん物語

→ 重松清作品のページ No.5


さすらい猫ノアの伝説2、空より高く、また次の春へ、ゼツメツ少年、赤ヘル1975、一人っ子同盟、どんまい、はるかブレーメン

 → 重松清作品のページ No.6

   


   

21.

●「かっぱん屋」● ★☆


かっぱん屋画像
 
2002年6月
角川文庫刊
(571円+税)

  
2002/08/03

単行本未収録の作品を集めた短篇集。したがって、収録された各作品の内容は様々です。それ故、傾向別に2つに分け、SIDEASIDEBにしたとのことです。

SIDEAは、主に少年時代という過渡期の思い出を語ったストーリィで、重松さんらしい作品。
それに対してSIDEBは、いつもの重松さんらしくない作品があって楽しい。特に「大里さんの本音」「桜桃忌の恋人'92」は、『世にも奇妙な物語』という本に収録された短篇とあって変り種。
本書の中では「大里さんの本音」が最も可笑しく、次いで「桜桃忌の恋人'92」「デンチュウさんの傘」も気に入りました。

なお、巻末収録の重松さんへのロングインタビューも貴重。

SIDEA:すいか/ウサギの日々/五月の聖バレンタイン/かっぱん屋
SIDEB:失われた文字を求めて/大里さんの本音/桜桃忌の恋人'92/デンチュウさんの傘
ロングインタービュー:「それでも人は生きる」場所で/いつだってテーマは人とのつながり

      

22.

●「小さき者へ」● ★★


小さき者へ画像
 
2002年10月
朝日新聞社刊
(1700円+税)

2006年7月
新潮文庫化

  

2002/11/08

人と人との関わりは難しい、家族だったら簡単なことなのに。
でも、そんな考えは大きな誤り。家族だからこそ、難しいことがある。それでも、子供がいるということは、どれだけ親として救われることか。
そんなことをしみじみ感じる、父と子の関係を綴った6つの物語。
登場する父親も、息子あるいは娘も、それぞれ不器用で、自分の気持ちをうまく相手に伝えることができない。マズイ!と思っても、つい余計なことを言ってしまう。
でも、それが当たり前なのではないでしょうか。だからこそ、親子とはいえかえって難しい。他人じゃないから、ずっと付き合っていかなくてはならないからこそ、お互いに思い悩む。
私自身が欠点の多い父親だからこそ、余計そう思います。また同時に、本作品を読んでそうだよなぁと、どこかほっとする気持ちがあります。
6篇のうち、父親の立場から語ったものが4篇。子供の立場から語ったものが2篇。いずれの短篇をとっても、しみじみと深く感じるところの多い作品ばかりです。
重松さんらしいとか、巧いとか言う以前に、こんな短編集を書いてくれて有難う、と言いたい一冊。
中でも、いじめにあい、家庭内暴力を振るうまでになった息子に対して語りかけ、父親の手紙、という形式の表題作「小さき者へ」は、いつ自分の家族に起きても不思議ない話だけに、目を背けられない気持ちがします。

海まで/フイッチのイッチ/小さき者へ/団旗はためく下に/青あざのトナカイ/三月行進曲

        

23.

●「きよしこ」● ★★


きよしこ画像
 
2002年11月
新潮社刊
(1300円+税)

2006年7月
新潮文庫化

  
2002/12/10

 
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言葉にはできないけれど、少年の心の中には伝えたいことがいっぱいある、そんな思いを書き綴った連作短篇集。

主人公はという吃音症の少年。うまく発声できないことが障壁となって、彼は自分の気持ちを相手に伝えることをつい諦めてしまう。父親の仕事の関係で転校が多かったことも、そのことに輪をかけています。そんな清少年の、小学校から高校までを連作で描く7篇。
各篇を通して、主人公はずっと名前ではなく「少年」と記されています。それは、彼が主人公であると同時に観察者でもあるからでしょう。心の中のことがうまく伝えられないのは、何も主人公に限ったことではないのです。ただ、自分が吃音に悩んでいるだけに、彼には言葉の向こうにある、相手が言葉にできなかった気持ちを思いやる心が育っています。
そのことが象徴的だったのは「ゲルマ」の章。

ひんやりと冷たく、そして津々と染みとおってくるようなストーリィです。
なお、“きよしこ”とは、言えなかったこと全てを聞きとめてくれる、主人公の想像上の友人のこと。

きよしこ/乗り換え案内/どんぐりのココロ/北風ぴゅう太/ゲルマ/交差点/東京

     

24.

●「トワイライト」● ★☆


トワイライト画像
 
2002年12月
文芸春秋刊
(1714円+税)

2005年12月
文春文庫化

 
2003/01/09

小学校卒業前にクラス全員で埋めたタイムカプセル。39歳になって集まって掘り出したカプセルには、当時の皆の夢が詰まっていた。そしてもうひとつ、亡くなった担任教師からの「今、幸せですか」という皆への手紙がはいっていた。
タイムカプセルを開くことによって実際に開けられたものは、のび太、ジャイアンと当時渾名された少年たちや、シズカちゃんらしき少女の、過去の姿と現在との大きな乖離。その後の一週間、男女併せて6人の同級生たちは、当時と現在の大きな隔たり、経過を強く感じさせられることになります。そんなストーリィ。
読むに連れ目を背けたくなる程、彼等の現状は狭まるばかりという状況。リストラ、家庭崩壊、職場での冷遇。痛ましくて目を背けたくなるその訳は、一歩違えば自分の身に同じことが起こっても何の不思議もない、ほんの紙一重の差でしかないという思いがあるからです。
彼等は、ストーリィの最後に、再び将来への希望を見出すことができるのか。それは、読み手である我々自身の未来にも関わること、彼等は我々の代表選手でもある、という気持ちになってきます。
本書は決して登場人物だけのことに留まらず、中年期に至った我々への重松さんからのメッセージ、と受け留めるべきでしょう。

 

25.

●「哀愁的東京」● ★☆


哀愁的東京画像
  
2003年8月
光文社刊

(1500円+税)

2006年12月
角川文庫化

 
2003/10/20

 
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絵本「パパといっしょに」が評価されて賞をとったというのに、それ以来絵本が書けなくなったフリーライター兼元絵本作家の進藤宏を、主人公かつ狂言廻しにした連作短篇集。

各篇で主人公が語り合うのは、いずれもこれまでひたむきに走ってきた人生の節目を迎え、空しさあるいはもの哀しさを感じるに至った人たちばかり。
先物トレーダー、覗き部屋の女優、ピエロ、少女アイドル、編集者、人気作曲家、エリート社員等々。
本書は、リストラ、あるいは若手抜擢がベストとばかりに中高年を疎外し始めた、現在の風潮があってこそ生まれたストーリィではないかと感じます。
いったい自分は何だったのか。自分の存在すら否定されかねないという空虚感、哀愁がそこには漂います。
またそれは、東京という都会だからこそ突きつけられる現実でしょう。
独りとなってもそんな東京で生きていく、最後はそんな主人公の決意が感じられるようです。

マジックミラーの国のアリス/遊園地円舞曲/鋼のように、ガラスの如く/メモリー・モーテル/虹の見つけ方/魔法を信じるかい?/ボウ/女王陛下の墓碑/哀愁的東京

  

26.

●「お父さんエラい!−単身赴任二十人の仲間たち−」● 
 (文庫改題:ニッポンの単身赴任)


お父さんエライ!画像
  
2003年9月
講談社刊

(1400円+税)

2005年10月
講談社文庫化

  

2003/10/28

単身赴任している人たちを訪ねて書き綴ったルポ集。一口に単身赴任といっても、実に様々です。
予め期間限定されている人から、期間未定、そもそも単身赴任覚悟で仕事先を選んだ人。また、赴任先の社宅事情、手当・一時帰宅制度の有無まで十人十色。それに比べ、私の僅か3ヵ月半など、単身赴任していましたとは、とても言い辛い。

大阪=東京間の単身赴任は、この中で比較的楽な方でしょう。だからこそ、度々の自宅との往復問題があり、ことさら悲哀が感じられるようです。
赴任先が遠ければそう簡単に帰宅できる筈もなく(代表例:伊豆諸島最南端の青ヶ島)、当然にして本人、家族共々それなりの覚悟、気持ちの切替が必要になるようです。
赴任先が外国(上海)ともなると、さらに別の様相あり。ただし、赴任先での仕事のやり甲斐によっても、本人の思いは随分と違うようです。
総じて言えることは、夫婦間、家族間においてと、相応の配慮が必要になること。私も忘れられてはならじと、毎日電話していました。あれは同時に、単身不倫していないよ、というメッセージになっていたのかもしれません。
単身赴任者同士の絆の強さ、それは羨ましくもあります。

ひとり酒に人恋しさを募らせる/プレイバック・青春!/単身赴任歴十六年、大ベテラン登場/単身赴任エクスプレス/ここはさいはての稚内/男女三人「島」物語/札チョン共和国定例国会/やんちゃな鳶職人、南極へ行く/中国上海的獅子奮迅日本商社戦士(元拓銀マン、上海で復活す/現場は上海にあり/ニッポン製造業の未来を案じつつ)/哀愁酒場をはしご酒/ああ、単身赴任の妻たち/浮気か本気か「単身不倫」

  

27.

●「きみの友だち」● ★★★


きみの友だち画像
 
2005年10月
新潮社刊
(1600円+税)

2008年07月
新潮文庫化

  

2006/08/24

 

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いいなぁ、実にうまいなぁ。本書はその一言に尽きます。

「きみの」「友だち」という題名はとても平凡なものです。
そんな平凡な言葉の奥深さに気付くのは、本書を読み始めて何章か読み進んでからのこと。そして、一旦それに気付いたら最後、どんどんその深みにはまっていくことになります。本書はそんな作品であると言えます。
小学生のとき交通事故に遭って松葉杖を手放せなくなった姉・恵美と成績優秀かつスポーツ万能な8歳年下の弟・ブンの2人を軸に、小学校時代、中学校時代の“友だち”模様が、各篇で主人公を幾人も変えつつ描かれていきます。
各章の主人公に「きみ」と呼びかける第二人称スタイルが、優しくそして心地良く聞こえるところが印象的。
「友だち」という言葉、私は気軽に使っていたと思います。でも今は、そんな風に気軽に使える言葉でなくなっているのではないかと思い知らされる気がします。
「友だち」とは儀礼的に使われる言葉なのか、それとも実質を要求される言葉なのか。その問題はさておくとして、本書では「きみの」という言葉が「友だち」という言葉の前に付けられていることが実に大きい。
「○○の」という言い方は、まるで誰かの占有物のように聞こえます。
本書に登場する小学生、中学生たちはその「○○の」という関係に敏感です。自分を絶対的にではなく、相対的な関係でした保てないのでしょうか。

ふとした失言が元でクラスの女の子から仲間外れにされてしまった恵美。持病のため体が弱くて学校を休みがちな由香
2人は、同級生たちからドロップアウトしたおかげで、2人だけの親密な関係を築けていると言えます。ですから、この2人にとって「友だち」という言葉は必要ない。むしろ邪魔なのかもしれない。恵美の弟ブンと良きライバルであるモトの関係は恵美と由香と関係とは異なりますが、やはり「友だち」という言葉を必要としない。それなら「友だち」っていったい何だろう? 何を示す言葉なのだろう?と問わずにいられなくなるのが本書です。
「いなくなっても一生忘れない友だちが、一人いればいい」。この言葉は凄いと思う。
依怙地で無愛想な恵美ですが、怪我をしたことによって人間関係を表面的に取り繕う煩わしさから解き放たれた観のある恵美は、私にはとても魅力的に写ります。その恵美ちゃんと由香ちゃんが堅く結びついている様子はとてもいい。ブンとモトの関係は、2人共ヒーロー的であるが故にちょっと縁遠い。

なお、最後の章では、二人称で語られた理由が明かされると共に恵美のハッピーエンドが描かれます。「友だち」についての結論を書くためには不可欠だったのかもしれませんが、物語としては前の章までで充分だったような気がします。
本書は、重松作品の中でもとくにお薦めしたい一冊です。

あいあい傘/ねじれの位置/ふらふら/ぐりこ/にゃんこの目/別れの曲/千羽鶴/かげふみ/花いちもんめ/きみの友だち

※映画化 → きみの友だち

  

28.

●「小学五年生」● ★★


小学五年生画像

 
2007年03月
文芸春秋刊
(1400円+税)

2009年12月
文春文庫化

   

2007/04/04

 

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小学校五年生を主人公とした短いストーリィ17篇。

本書で主人公は、単に「少年」と書かれます。それは、他の登場人物が個人名で呼ばれるのと対照的です。
きっとそれは、各篇で描かれるストーリィが小学五年生なら誰でも経験するかもしれない出来事だからでしょう。つまり、本書は一人一人の物語を書いているのではなく、小学五年生の普遍的な物語を描いているということに他なりません。

さて私自身が小学五年生の頃はどんなだったか?というと、正直言ってあまり覚えていません。
それは大人になるための入り口(中学生)より前の年代だったから、という気がします。
本書における「少年」たちが経験する様々な出来事も、当時の当人たちにとってはとても大事なことであっても、成長した後には忘れ去ってしまうようなことではなかったかと思います。
それでもそれは決して無駄な経験ではなく、やはり大人になっていく過程での重要なステップであり、心の奥にしっかりしまわれていく経験であることでしょう。
好きだった女の子、弟、友達との気持ちのすれ違い。男の子がまだ子供っぽいのと対照的に女の子は急速に大人びていて眩しく感じられること。亡くなった父親、病気の母親に対する深い思い、バレンタインデーへの複雑な思い、等々。

本書は、そんな小学五年生の日々を瑞々しく、そして優しく描いた短篇集です。
久し振りに自分の小学生時代を振り返ってみようか、という気になります。

葉桜/おとうと/友だちの友だち/カンダさん/雨やどり/もこちん/南小、フォーエバー/プラネタリウム/ケンタのたそがれ/バスに乗って/ライギョ/すねぼんさん/川湯にて/おこた/正/どきどき/タオル

      

29.

●「カシオペアの丘で」● ★★


カシオペアの丘で画像
 

2007年05月
講談社刊
(上下)
(各1500円+税)

2010年04月
講談社文庫化
(上下)

   

2007/06/25

 

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現在、そして過去へと長い時間を辿った物語。読み終えたときには、長い旅を漸く終えた気分でした。
本物語は、39歳の若さで肺がんのため余命半年余りと宣告された主人公シュンが、中学以来戻ることのなかった故郷へ人生の終わりに再び戻るという贖罪の物語です。

北海道の元炭鉱町、北都市。小学校4年時のある夜、仲の良い4人(シュン、ミッチョ、トシ、ユウ)は星を見るため丘に出かけ、将来ここに遊園地ができたらと夢み、そこを“カシオペアの丘”と名づける。その部分がプロローグ。
それから30年後、閉園が避けられない市営の遊園地“カシオペアの丘”で、トシは車椅子の園長を務めています。ミッチョはトシの妻となり、小学校教師をしている傍ら、時折遊園地を手伝っている。
本物語は、そのミッチョとシュンが大部分の章において交互に第一人称の主人公となり、進んでいきます。
働き盛りの若さで余命僅かと宣告された時、人は何を思い、何を考え、残された日々をどう過ごそうと願うのでしょうか。
本物語で贖罪の思いを抱えて生きているのはシュンだけではありません。昔に起きた炭坑事故で生死不明の7人を犠牲にすることを決断したシュンの祖父=倉田千太郎、シュンとの過去に秘密を抱えるミッチョ、北都観音と倉田千太郎に関心を抱くフリーライターのミウもそうした人間の一人です。その一方、愛娘を殺された川原隆史は、許せるかどうかについて許しを請う側以上に今現在苦しみ抜いている人物といえます。
哀しいけれど、いつか人には死ぬときがやって来ます。その時、どれだけ死を平静に迎えることができるかは、贖罪を果たすことができたかどうかに係っているのでしょうか。本作品はそうした物語と思います。
そして、その人がいなくなった後も、遺された人々の人生は引き続き営まれていき、いつしかその人のことは記憶の中のこととなります。それもまた現実です。
星が悠久の姿を見せるのに比べ、人間の人生はなんと儚いことでしょうか。だからこそせめて、生命の残りある内に思い残すことないよう精一杯生きたい。そんな祈りのような気持ちを本物語から感じます。
私はそう感じましたが、読む人によって思い感じることはきっと様々でしょう。読み手はいつしかこの物語を、自分の身に置き換えて読んでいるに違いないと思いますから。

本作品は重松さんにとって初の大長編であり、ストーリィの舞台が都会から郊外へ出たのも初めてとのこと。
しかしそれは作品の本質的な要素ではありません。そんなことより実際に読んで感じるのは、本作品が重松さん渾身の一作であるに違いない、ということです。
前半は月並みな物語のように感じましたが、最終場面近くでは切なさと諦念、そして贖罪の思いに胸熱くなりました。
一人の人生の終わり、そしてこれからも途切れることなく続いていく他の人の人生を描いて、哀しさと共に悠久という言葉を脳裏に描かされる感動作です。

    

30.

●「なぎさの媚薬4 きみが最後に出会ったひとは」● ★☆


なぎさの媚薬4画像

2007年06月
小学館刊
(1500円+税)

 

2007/06/15

 

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シリーズものの第4巻にして、最終巻。
抱き合った男たちを過去に誘う謎の娼婦・なぎさ。その彼女によって繰り広げられる不可思議な物語という「なぎさの媚薬」は、それまでの重松作品からするとちょっと異色な印象を受ける作品でした。とりあえず読書は保留しておいたら次々と続刊が出て、追いつけず読まないままとなっていたシリーズ作品。
今回なぎさ自身が救われるかを描く最終巻ということで、それならばと手に取った次第。

本書に収録されているのはこれまでどおり2篇。
最初の「きみが最後に出会ったひとは」は、本シリーズのこれまでと同じようになぎさと出会う中年記者・田上章が過去に戻り、自分が大切に思う女性(本篇の場合は別れたままとなっていた一人娘)を救うストーリィ。
そして最後の「なぎさの媚薬」は、その田上章が再びなぎさと再会し、安藤なぎさの過去、謎の娼婦なぎさが生まれることになった経緯、そしてこれまで幾人もの女性たちを救ってきたなぎさ自身がついに救われる、というストーリィです。

2篇とも感動というより、まず「なぎさの媚薬」という物語の風変わりさが先に立ち、あぁそうした物語なのか、と受け留めるだけで終わってしまった観があります。
不幸なままの女性たちを、自らの身体を捧げて救うという女性の存在。汚れた聖女というべき存在であって、西欧キリスト教社会には如何にもありそうなモチーフですけれど、現代日本社会を舞台にしているところに妙があると言えるでしょう。ただし、それ以上に感じるところは余りなし。

きみが最後に出会ったひとは/なぎさの媚薬

※【シリーズ既刊本】
  なぎさの媚薬1.−敦夫の青春/研介の青春
  なぎさの媚薬2.−哲也の青春/圭の青春
  なぎさの媚薬3.−霧の中のエリカ

   

読書りすと(重松清作品)

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