冷泉為秀 れいぜいためひで 生年未詳〜応安五(1372)

為相の二男。姉妹には鎌倉将軍久明親王妾となった女性がいる。子に為邦・為尹がいる(為尹は実の孫で猶子)。また新拾遺集に「前参議為秀女」の名で歌を載せる娘がいる。御子左家系図
暦応二年(1339)、正五位下に叙せられる。右中将・土佐介・左兵衛督などを歴任し、延文三年(1358)、従三位。同五年、参議。貞治五年(1366)、権中納言(同七年、辞退)。応安四年(1371)、従二位。同五年六月十一日、薨去。法名は秀宅、道号は松峯。
若い頃は関東を地盤として活動。やがて足利尊氏に親近し、建武三年(1336)九月に尊氏が主催した住吉社法楽和歌に出詠。同じ頃の北野社百首、康永三年(1344)以前の金剛三昧院奉納和歌などにも参加している。延文の頃二条為定と不仲で、延文百首を詠進せず、新千載集には入集しなかった。やがて二条良基に親しみ、将軍足利義詮の歌道師範となるなど、晩年は歌壇に勢力を得た。今川了俊を始め公武に多くの弟子を持つ。貞治五年(1366)十二月、良基主催の年中行事歌合(公事五十番歌合)では判者を務め(判詞執筆は二条良基)、同六年三月の新玉津島社歌合、応安三年(1370)か翌年頃の崇光院仙洞歌合でも判者を務めた。応安二年(1369)、後光厳天皇主催の内裏和歌に出詠。貞和百首作者。風雅集寄人。風雅集初出。勅撰入集計二十六首。

  2首  3首  1首  4首  1首 計11首

帰雁を

別るらん名残ならでも春の雁あはれなるべき曙の声(風雅136)

【通釈】春になり、やがて別れる名残惜しさ――そうでなくても哀れ深いに決まっている、曙の空を渡る雁の声なのに。

【補記】「名残ならでも」と言うことで、雁の鳴き声そのものの情趣深さを取り出すと共に、名残惜しさ故にいっそう「あはれ」であることを遠回しに強調している。

【参考歌】西行「山家集」
秋は暮れ君は都へかへりなばあはれなるべき旅の空かな

花の歌の中に

咲きみちて散るべくもあらぬ花ざかり薫るばかりの風はいとはず(風雅166)

【通釈】咲き満ちて、容易くは散りそうにもない花盛り――花を薫らせるばかりの風なら、ちっとも厭わないよ。

【補記】満開の桜を「散るべくもあらぬ」と讃歎した歌は、意外なことに本作が初例である。

【主な派生歌】三条西実隆「雪玉集」
吹きとふく風にまかせてけふはみむちるべくもあらぬ花の盛を

題しらず

暮れうつる(まがき)の花は見えわかで霧にへだてぬさを鹿の声(風雅516)

【通釈】霧と夕闇に包まれ、だんだんと暗くなる垣根の花は、もはや見分けがつかなくなり――その時、立ちこめる霧に遮られることなく聞こえてくる、牡鹿の声よ。

【補記】「暮れうつる」は「次第に暮れてゆく」ほどの意。複合動詞を用いて時間の微妙な推移を表現。京極派の影響が顕著な作。なお「まがき」「へだてぬ」は一種の縁語として呼応する。

【参考歌】正親町実明女「延文百首」
けふのみと秋をしたへばくれうつる夕日のかげもうたてほどなき

月歌とて

霧はるる(をち)の山もとあらはれて月影ながす宇治の川波(風雅619)

【通釈】霧が晴れてゆく遠くの山――その麓があらわれたかと見れば、月の光を映して流れる宇治川の川波よ。

【補記】第四句、諸本は「月影みがく」。ここでは吉田兼右筆二十一代集二十七冊本の風雅集を底本とした『中世の文学 風雅和歌集』(三弥井書店)に拠った。

【参考歌】後鳥羽院「玉葉集」「風雅集」(重出)
清見潟ふじの煙や消えぬらむ月影みがく三保のうら波

百首歌たてまつりし時

立ちそむる霧かとみれば秋の雨のこまかにそそく夕ぐれの空(風雅648)

【通釈】霧が立ち始めたのかと夕暮の空を見れば、秋雨がこまかに降り注いでいるのだった。

【補記】貞和百首。霧と秋雨の相似つつ微細な差異に着目。

【主な派生歌】正徹「草根集」
夕まぐれ小萩が上の露もみずこまかにそそく秋の村雨

貞和百首歌に

関守もとめぬ日数に秋暮れて有明の月のすまの浦波(新続古今599)

【通釈】人は止めることができる関守も、日数が立つのを止めることはできず、秋は暮れてゆき、今や晩秋のほのかな有明の月を映す、須磨の浦波よ。

【語釈】◇有明の月 明け方まで空に残る月。ふつう、陰暦二十日以降の月。この歌では晩秋九月下旬の月ということになる。◇すま摂津国の歌枕。今の神戸市須磨区。畿内と西国とを隔てる関があった。「澄む」の語感を帯びるため、ここは平仮名表記としたい。

【参考歌】壬生忠見「新古今集」
秋風の関吹きこゆる度ごとに声うちそふる須磨の浦なみ
  藤原信実「新勅撰集」
すまのうらに秋をとどめぬ関守ものこる霜夜の月は見るらん

河辺冬月

瀬だえするふる川水のうす氷ところどころにみがく月かげ(風雅783)

【通釈】浅瀬の水がところどころで枯れた布留川の、水たまりに張った薄氷を、冬の月影が冴え冴えと磨き立てている。

【補記】「ふる川」は歌枕布留川であろうが、特に歌枕としての効果は上げていない。

【参考歌】源頼政「頼政集」
われが身やふる河水のうすごほり昔はきよき流れなれども
  式子内親王「新勅撰集」
あまつ風こほりをわたる冬の夜のをとめの袖をみがく月かげ

【主な派生歌】
むらむらにつもるとみるやしら雪のふる河水の瀬だえなるらん(冷泉為尹)

題しらず

をりをりに聞き見ることのそれもみな恋しきことのすさびにぞなる(風雅1029)

【通釈】折にふれあの人の動静を見聞きする、そんなちょっとしたことも皆、恋の辛さを紛らわす気慰めになるのだ。

【補記】第四句「恋しき中の」とする本もある。

【参考歌】伏見院「御集」
折にふるるうさつらさしもあはれなりなれゆくうちのすさびと思へば

百首歌たてまつりし時

またかよふ同じ夢ぢもあるものを有りしうつつぞうたてはかなき(風雅1355)

【通釈】夢では再び同じ道を通って人に逢うこともあるのに、かつての現実の逢瀬は二度と取り返せない――ああなんと果敢ないことだろう。

【補記】貞和百首。現実の一回性を、夢の反復可能性との対比において詠む。夢より現実がはかないという逆転。

【参考歌】九条教実「洞院摂政家百首」「新続古今集」
あひみしはありしうつつを限にて今は夢にもことのはぞなき

旅恋を

露しげき野上の里のかり枕しほれていづる袖のわかれ路(新拾遺1190)

【通釈】朝露がたくさん置いた野ではないが、野上の里の仮の宿から、袖を涙でびっしょり濡らして出で立つことよ、一夜の恋人との別れの悲しさに。

【補記】野上(のがみ)は東山道の宿駅、美濃国の歌枕。壬申の乱で大海人皇子が仮宮を置いた地として史上名高いが、『更級日記』に「野上といふ所につきぬ。そこに遊女(あそび)ども出で来て、夜ひとよ歌うたふ」と取り上げられて以来、都人にはもっぱら遊女の里として知られるようになった。この歌も遊女との別れを詠んだもの。

【参考歌】藤原定家「拾遺愚草」
ひと夜かすのがみの里の草枕むすびすてける人の契を

 

なさけある友こそかたき世なりけれ独り雨きく秋の夜すがら(落書露顕)

【通釈】ものの情趣を知る友こそは得難い世の中であるよ。秋、夜もすがら、独り雨の音を聞いていると、そう思われてならない。

【補記】雨音の深い情趣を感受しつつ、風流心を共有し得る友の得難いことを歎く。今川了俊の歌論書『落書露顕』に引かれた歌。了俊は「此の歌いかが侍りしにや、心にしみて侍りしかば」冷泉家の門弟になることを思い決めた、と言う。正徹の『正徹物語』には上句「あはれ知る友こそかたき世なりけれ」として出ている。

【参考歌】伏見院「玉葉集」
なさけある昔の人はあはれにてみぬわが友とおもはるるかな
  儀子内親王「風雅集」
つくづくとひとりきく夜の雨の音はふりをやむさへさびしかりけり


最終更新日:平成15年04月26日