安倍清行 あべのきよゆき 天長二〜昌泰三(825-895)

嵯峨天皇の寵臣であった大納言安仁の息子。娘に貞行・宗行・清行・興行・讃岐らがいる。
承和三年(836)、十二歳で文章生となる。貞観十三(871)、周防守。左衛門権佐・右少弁・伊予守・播磨守・左少弁などを経て、元慶八年(884)五月、右中弁。この時正五位下。仁和二年(886)正月、陸奥守。同年九月、従四位下。寛平六年(894)正月、讃岐守。同七年八月、従四位下。昌泰三年(895)、七十六歳で没。
勅撰集入集は古今集の二首のみ。小野小町との贈答がある。

からことといふ所にて、春の立ちける日よめる

浪のおとのけさからことにきこゆるは春のしらべやあらたまるらむ(古今456)

【通釈】波の音が今朝から耳に立って聞えるのは、立春と共に春の音調も新しく整えられたのだろうか。

【語釈】◇けさからことに 今朝から異(こと)に。地名「からこと(唐琴)」を詠み込む。今の岡山県児島半島の琴浦かという。◇春のしらべ 「しらべ」は楽器の絃のしりを合わせて音調を整えること。琴の縁語。

【補記】地名を詠み込んだ物名歌であるが、詞書からすると現地で詠んだもの。

【主な派生歌】
雪とくるけさからことに音そふや春をしらぶる山の滝つせ(後水尾院)

下つ出雲寺に人のわざしける日、真静法師の導師にて言へりけることばを歌によみて、小野小町がもとにつかはせりける

つつめども袖にたまらぬ白玉は人をみぬめの涙なりけり(古今556)

【通釈】[詞書]下つ出雲寺で行なわれた人の法事で、導師が語った法話を歌に翻案して詠み、小町の許に贈った。
[歌]包もうとしても、袖に溜めることができずにこぼれてしまう白玉は、あなたに会えなくて悲しんで流す涙なのでした。

【補記】「下つ出雲寺」は、かつて京都賀茂川の近くにあった寺。今の下御霊神社がこれにあたるという。小町の返歌は「おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我はせきあへずたぎつせなれば」。

【他出】小町集、新撰和歌、古今和歌六帖、定家八代抄、八雲御抄、悦目抄

【主な派生歌】
白玉をつつむ袖のみ流るるは春は涙もさえぬなりけり(伊勢[後撰])
よそにだにみぬめの浦にすむあまは袖にたまらぬ玉やひろはん(藤原家隆)
あだしののわか葉の草におく露の袖にたまらぬ物をこそおもへ(藤原定家)
いつしかと初秋風の吹きしより袖にたまらぬ露のしら玉(後二条院[続千載])
見ても猶あかぬ匂ひはつつめども袖にたまらぬ梅のした風(兼好)
夕立のくもの衣はつつめども袖にたまらぬかぜのしら玉(木下長嘯子)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日