高階貴子 たかしなのきし(-たかこ) 生年未詳〜長徳二(996) 通称:儀同三司母 高内侍

高階氏は長屋王の末裔と伝わる。式部大輔従三位高階成忠の娘。兄弟に左中弁明順(あきのぶ)・弾正少弼積善(もりよし。すぐれた漢詩人で『本朝麗藻』の編者)がいる。中関白藤原道隆の妻。伊周(これちか)・隆家・定子らの母。伊周の号「儀同三司」から、儀同三司母(ぎどうさんしのはは)と称される。
円融天皇の内侍となり、高内侍(こうのないし)と呼ばれる。その後、藤原道隆の妻となる。正暦三年(990)、正三位。長徳元年(995)に夫が死去し、同二年伊周・隆家が左遷されるに及び、中関白家は没落。同年十月、失意の内に没した。
漢詩を能くしたという。勅撰集入集は5首(拾遺集との重出歌を載せる金葉集三奏本の1首を除く)。女房三十六歌仙小倉百人一首にも歌をとられている。

中関白かよひそめ侍りけるころ

忘れじの行末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな(新古1149)

【通釈】あなたは「いつまでもおまえを忘れまい」と言うけれど、先々まではそれも難しいので、いっそ、この上なく幸せな今日を限りの命であったらよい。

【語釈】◇中関白(なかのかんぱく) 作者の夫、藤原道隆(953-995)。兼家の子で、道長の兄。正暦元年(990)、関白となる。◇忘れじの 私を忘れまいとのあなたの約束が。「忘る」は恋歌では「気にかけなくなる」「捨てる」といった意味で用いられる。◇かたければ (約束が守られることは)難しいので。◇今日をかぎりの 今日を最後とする。◇命ともがな 命であってほしい。「もがな」は願望をあらわす助辞。奈良時代「もがも」であったのが、「もがな」に変じ、「も・がな」という二語として意識されるようになった。

【補記】この歌は藤原公任の「前十五番歌合」や編者不詳の「麗花集」に採られるなど早くから高い評価を受けていたが、平安期の勅撰集には採られず、新古今集に至って初めて入撰した。新古今では巻十三(恋歌三)の巻頭を飾っている。

【他出】前十五番歌合、麗花集、定家八代抄、時代不同歌合、百人一首、女房三十六人歌合

【類想歌・派生歌】
あすならば忘らるる身になりぬべし今日をすぐさぬ命ともがな(赤染衛門[後拾遺])
忘れじのゆく末かはるけふまでもあればあふよを猶たのみつつ(藤原家隆)
春霞かすみし空の名残さへけふをかぎりの別れなりけり(藤原良経[新古今])
忘れじのゆくすゑかたき世の中にむそぢなれぬる袖の月かげ(源家長[新勅撰])
逢ひみむの行末まではかた糸のよりよりかこつ中のうきふし(堯孝)

中関白かよひはじめけるころ、夜がれして侍りけるつとめて、こよひは明かし難くてこそなど言ひて侍りければよめる

ひとりぬる人や知るらむ秋の夜をながしと誰か君につげつる(後拾遺906)

【通釈】秋の夜が長いことは独り寝する人が知っているでしょう。独り寝されたはずのないあなたは秋の夜が長いと、誰からお聞きになったのですか。

【語釈】◇こよひは明かし難くてこそ この夜(昨夜)は明けるまでひどく長く感じたよ。道隆の言葉。

中納言平惟仲、久しくありて消息(せうそこ)して侍りける返り事に書かせ侍りける

夢とのみ思ひなりにし世の中をなに今さらにおどろかすらむ(拾遺1206)

【通釈】あなたとの仲は、はかない夢だった――すっかりそう思うようになっていたのに、どうして今更目を覚ますようなことをするのでしょうか。

【語釈】◇平惟仲 944-1005。桓武平氏。大和宣旨の父。◇世の中 男女の仲。◇おどろかすらむ 長く途絶えていたところへ男が突然手紙を送って来たことを言う。「夢」の縁語。

【補記】金葉集三奏本に重出。

帥前内大臣、明石に侍りける時、こひかなしみて病になりてよめる

夜のつる都のうちにこめられて子を恋ひつつもなきあかすかな(詞花340)

【通釈】夜の鶴は籠の中で子を思って哭いたというけれど、私は都の内に足止めされて、子を恋い慕いながら哭き明かすのだなあ。

【語釈】◇帥前内大臣 作者の子、伊周(974-1010)。父道隆の死後、道長との権力争いに敗れ、花山院への不敬事件などから、長徳二年(996)四月、大宰権帥に左遷が決まったが、道長の取り計らいにより明石での滞留を許可された。翌年都に召還されるが、その時母はすでに亡かった。◇都のうちに 「みやこ」の「こ」に「籠(こ)」を響かせる。◇夜のつる… 白氏文集の句に拠り、自らを子を思って鳴く鶴に擬える。◇なきあかすかな 「あかす」に地名「あかし」を響かせる。

【参考】「白氏文集・五弦弾」「和漢朗詠集・管弦」(→資料編
夜鶴憶子籠中鳴(夜の鶴子を憶うて籠の中に鳴く)

【補記】第三句を「はなたれて」とする本もある。

【他出】栄花物語、後葉集


最終更新日:平成15年07月11日