経賢 きょうけん 生没年未詳 通称:妙法院法印

頓阿の子。堯尋の父。堯孝の祖父。法印、権大僧都に至る。
二条派歌僧。貞治五年(1366)十二月の二条良基主催「年中行事歌合」、同六年三月の足利義詮企画「新玉津島社歌合」、また覚誉法親王家の五十首歌などに出詠。新拾遺集撰者の二条為明が業半ばで亡くなると、撰集を引き継いだ父を助けて至徳二年(1385)完成に至らせた。新千載集初出。勅撰入集十九首。家集『松葉愚草』があったらしいが伝存しない。

題しらず

月はなほ雲まに残るかげながら雪にあけ行く(をち)の山のは(新後拾遺535)

【通釈】月はまだ雲間に残光をとどめたまま、曙光が雪に照り映えて明るくなってゆく遠くの山の端よ。

【補記】冬歌。「山のは」は、山を遠くから眺めた時、山の、空との境目をなすあたりをこう言った。今言う「山の稜線」に近いが、「線」として意識されていたのではない。

【参考歌】宇都宮景綱「蓮愉集」
春きぬとたつやかすみも猶さえて雪にあけゆく山のはの雲

題しらず

さびしさは思ひしままの山里にいとふ人めのなどまたるらん(新後拾遺1340)

【通釈】寂しさは予想したとおりの山里ではないか――世間の人目を避けてここに来たというのに、なぜ人の訪れが待たれてならないのだろう。

【補記】「人め」は「世間の人々の目」「人が会いに来ること」の両義。

【参考歌】兼好「新千載集」
すめば又うき世なりけりよそながら思ひしままの山里もがな
  頓阿「草庵集」
さびしさは思ひしままの宿ながら猶ききわぶる軒の松風

おなじ社にたてまつりける歌に

空にすむ星となりても君が代をともにぞまもる七の神がき(新続古今2124)

【通釈】空に澄んだ光を放つ星となっても、我が君の御代を共にお守りする日吉の七社の神垣よ。

【補記】神祇歌。詞書の「おなじ社」は日吉社(歌枕紀行参照)。西本宮・東本宮・宇佐宮・牛尾宮・白山宮・樹下宮・三宮宮の上七社を中心とする日吉社を北斗七星に喩えている。

【参考歌】頓阿「草庵集」
大空の星のくらゐもひとつにて君をぞまもる七の神垣


最終更新日:平成15年06月01日