源有房 みなもとのありふさ 生没年未詳 号:周防中将

天承・長承頃(1131-1135)の誕生か。村上源氏。権中納言師時の孫。大蔵卿師行の息子。母は太皇太后宮大進藤原清兼女。『尊卑分脈』には「為有仁公子」とあり、花園左大臣源有仁の養子となったか。子には右中将有通(母は平清盛女または忠盛女)ほかがいる。
平家と深い縁戚関係を持ったが、平家全盛期にも官途は不遇であった。薩摩守・近衛少将などを経て、治承二年(1178)正月、正四位下に叙せられる。養和元年(1181)十一月、右中将に任ぜられる。
平家歌人主催の歌合に多く参加したほか、二条天皇内裏歌会や後白河院供花会歌会などにも出詠している。また自らも歌合を催行するなど、活発な和歌活動をみせる。『治承三十六人歌合』の歌人に選ばれるなど、同時代の歌壇の評価は低くなかったようであるが、千載集・新古今集と入集せず、新勅撰集が最初で最後の勅撰入集となった。なお千載集の「源有房」(父は神祇伯源顕仲または源仲房)は同名異人。家集には宮内庁書陵部蔵『有房集(有房中将集)』、及び寿永百首本系統の百首家集『有房集』がある。

すみれところどころ

をとめごが真袖につめるつぼすみれ野に見るよりもなつかしきかな(有房集)

【通釈】少女たちが摘んで両手に抱えているツボスミレ――野に咲いているのを見るよりも、慕わしく感じられることよ。

タチツボスミレ
タチツボスミレ

【語釈】◇真袖 両袖・両手。接頭語「ま(真)」は「かた(片)」の対語で「完全な」「揃っている」などの意を添える。◇つぼすみれ 今のタチツボスミレのことか。また「すみれ」の名の原義(工具の墨壷―墨入れ―に似ていることから)を強調してスミレをこのように呼んだともいう。タチツボスミレは春に淡紫色の小さな花をつける。

【補記】「すみれところどころ」という題で詠んだ四首連作の第三首。菫摘みは古来春の恒例行事で、ふつう少女たちの業であった。連作の一つ前の歌は「つみたむる菫の花に色はえてをとめが袖のむらさきの濃き」。

【参考歌】山部赤人「万葉集」
春の野に菫摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける

田の家に霧ふかし

霧のうちに鳩吹けうなゐたづねゆく山田のいほの道の見えぬに(有房集)

【通釈】霧の中、鳩真似の声を吹き鳴らせ、村の子供よ。山裾の田のほとりにある庵への道が、見えなくて困っているのだ。

【語釈】◇鳩吹け 「鳩吹くは、鳩のまねびて、人の吹くなり」(能因歌枕)。掌を合わせて鳩に似た声を吹き鳴らすことを言ったらしい。道端で遊んでいる村童に、その音で道の在り処を教えてくれ、と言っているのだろう。◇うなゐ うなじのあたりで束ねて垂らした髪形をした子供。十二、三歳くらいまで。

【補記】寿永百首本系統の『有房集』では題「田家秋霧」とある。「田の家に霧ふかし」とは、これを和訳したものである。「寿永百首」とは、賀茂重保が私撰集『月詣和歌集』を編むため、当代の歌人三十六人に百首歌を求め、これに応じて各歌人が提出した百首家集で、寿永元年(1182)夏頃の成立と推定されている。

都うつりの年の秋、野分(のわき)のおびたたしくしたるつとめて、経正のもとより

とへかしなまだ住みなれぬ都にて野分にあへる今朝のこころを

【通釈】尋ねてくれよ、まだ住み慣れない新しい都で、野分の風に遭った、今朝の気持を。

【語釈】◇都うつり 治承四年(1180)の福原遷都。◇野分 二百十日・二百二十日ころ、稲の開花期に吹く暴風。

かへし

住みなれぬ宿にぞわくる言の葉ぞ野分の風のつてもうれしき(有房集)

【通釈】住み慣れない宿まで、道を分けてやって来た手紙だもの。野分の風が伝達してくれたとしても、嬉しいよ。

【語釈】◇わくる言の葉 道を分けて来た手紙。「わくる」「葉」は縁語。◇つて 仲介。仲を取り持つもの。

【補記】治承四年(1180)秋、経正も有房も新都福原に来ていて、台風の朝、消息をたずねあったのである。なお、この贈答は『経正集』にも載っているが、同書では経正が歌を贈った相手は藤原実守となっている。

経盛の家の歌合に、もみぢ

ひとたびは風に散りにしもみぢ()戸無瀬(となせ)の滝のなほおとすかな(有房集)

【通釈】いちど風に散らされた紅葉を、今度は戸無瀬の滝がさらに落としてゆくのだ。

【語釈】◇経盛 平忠盛の子。仁安二年(1167)、承安元年(1171)など、盛んに歌合を主催した。◇戸無瀬の滝 京都嵐山の麓、大堰川にそそぐ滝。天竜寺の背後。紅葉の名所。

【補記】平経盛の家の歌合で、「紅葉」の題で詠んだという歌。一度樹から落とされた紅葉が、滝において再び落とされると見て興じている。誹諧歌ふうの詠みぶりは作者得意とするところ。

【参考歌】源経信「経信集」「続古今集」
嵐吹く山のあなたのもみぢ葉を戸無瀬の滝におとしてぞ見る

紅葉のさかりに大井河にまかりて

もみぢ葉は井関(ゐせき)にとめよ大井川空に暮れゆく秋をこそあらめ(有房集)

【通釈】紅葉した葉は、井関で止めてくれ、大堰川よ。空には、暮れてゆく晩秋の陽があって、それを留めることなどできないのだから。

【語釈】◇大井河 大堰川。桂川の上流、京都嵐山のあたりの流れを言う。◇井関 堰。川の流れをせき止めたところ。

【補記】大堰川で紅葉を眺めての詠。暮れる秋を惜しみ、散り落ちた紅葉を流してゆく川に対して呼びかけた趣向。

旅の道の落つる葉

まゆみ散るあだちが原に朝たてば木の葉(くつ)はく駒のつま音(有房集)

【通釈】安達が原を朝早く発って来ると、野には紅葉した檀の葉が散り積もっている。馬の蹄も木の葉の沓を履いて、やわらかい音をたててゆくよ。

【語釈】◇まゆみ ニシキギ科の落葉樹。紅葉が美しい。◇あだちが原 陸奥の国の歌枕。あだちの原とも。いまの福島県安達太良山の東麓、阿武隈川に沿う原野。二本松市に安達の地名が残る。

【補記】寿永百首本系統の『有房集』では題「羈中落葉」とある。「旅の道の落つる葉」とは、この題の和訳である。

遠きところの人を恋ふ

思ひやる心は道に旅寝してかつがつ君を夢に見つらむ(有房集)

【通釈】遠くにいるあなたを想いやる私の心は、道の遥かさに、途中旅寝して、辛うじてあなたを夢に見たのだろう。

【補記】寿永百首。題「恋遠所人」。

日吉(ひえ)の歌合に、恋を

こひはただふたもぢなれど玉づさに書きもつくさぬ心ちこそすれ(有房集)

【通釈】「こひ」はたった二文字なのだけれど、手紙に書こうとすると、書き尽くせない気持ちがするよ。

【補記】日吉神社(滋賀県大津市坂本)で催された歌合に出詠したという歌。日吉社禰宣であった祝部成仲主催の歌合か。惟宗広言・平親宗などが同じ歌合に参加していたことが彼らの家集から窺われる。

喚子鳥(よぶこどり)

さらぬだに世の憂き時は()らばやと思ふ山べに呼子鳥鳴く(有房集)

【通釈】ただでさえ、俗世に生きるのが辛い時は山に逃れたいと思うものだが、その山のほとりで呼子鳥が鳴いて、山に入れと私を呼んでいるような気がする。

【語釈】◇呼子鳥 鳴き声が子を呼んでいるように聞える鳥。おそらくカッコウの鳴き声を「吾子(あこ)」または「子来(ここ)」などと聞きなしたのであろう。

【補記】寿永百首系統の『有房集』では第二句「いりなんと」。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月16日