平経正 たいらのつねまさ 生年未詳〜寿永三(?-1184)

桓武平氏。正三位参議経盛の嫡男。敦盛らの兄。清盛・忠度らの甥。
仁安二年(1167)閏七月、淡路守。承安二年(1172)正月、殿上人(五位)。その後、左兵衛佐・左馬権頭などを歴任し、安元二年(1176)正月、皇太后宮亮従四位上となる。治承二年(1178)正月、丹後守を兼ね、同三年正月、正四位下に至る。同年十一月、但馬守を兼ねる。寿永三年(1184)二月七日、一ノ谷の合戦で戦死。
幼少期、覚性法親王に仕え、琵琶の才を愛されたという。その後、守覚法親王にも親近する。経盛家歌合・通親家歌合・成仲宿禰八十賀会・住吉社歌合・広田社歌合・別雷社歌合などに出詠。承安三年(1173)には自家歌合を主催するなど、父経盛とともに平家歌壇の中心人物であった。歌林苑の会衆の一人でもあり、藤原清輔登蓮法師と交流した。また百首歌を藤原俊成に見せて指導を仰ぐなどもしている。
『治承三十六人歌合』に選ばれている。寿永百首家集の一つと推定される『経正集』がある。千載集初出(ただし読人不知として)。勅撰集入集歌は計八首。

九月ばかりにいつくしまへ詣で侍りしに、十三夜に備後ともといふ所にて、海辺月といふ事をよみ侍りし

あたら夜の月をひとりぞながめつる思はぬ磯に波枕して(経正集)

【通釈】もったいない位の素晴らしい夜、月をたったひとりで眺める――思いもしなかった磯で、うちよせる波を枕にして。

【語釈】◇いつくしま 厳島神社。広島湾内の宮島にある。平家一門の信仰が篤かった。◇とも 鞆。広島県福山市の鞆の浦。瀬戸内海の要港。◇あたら夜 「あたら」は「立派な、もったいない」といった意味の連体詞。

【補記】この歌は風雅集に藤原公重の作として載る。

福原に侍りける比、人々長月の晦日の日わたにまかりて、海辺九月尽の心をよみ侍りけるに

入日さす方をながめて和田(わた)の原波路に秋を送るけふかな(新拾遺)

【通釈】海原に沈んでゆく入日の射す方を眺めて、波路はるかに去ってゆく秋を見送る今日なのだなあ。

【語釈】◇福原 神戸市兵庫区。治承四年(1180)、遷都。◇わた 大輪田の泊か。福原にあった港。◇九月尽 尽は晦日(つごもり)のこと。九月最後の日は、旧暦では秋の終りの日。◇和田の原 広々とした海。「わた」は海を指す古語。福原の地名「わた」を掛ける。

水鳥

なごの海の荒れたる朝の島がくれ風にかたよるすがの群鳥(むらどり)(経正集)

【通釈】なごの海の荒れている朝、島かげでは、激しい風のために一方向に吹き寄せられているよ、菅鳥(すがどり)の群れが。

【語釈】◇なごの海 越中の奈呉の海、または摂津住吉の名児の海。ほかに丹後国・安房国などにも同名の地があるという。◇すがのむらどり 菅鳥の群。菅鳥は不詳。オシドリ・ツツドリなどの説がある。

いかにせん思ひなぐさむかたぞなきあらまし事もかぎりこそあれ(経正集)

【通釈】どうしよう。どう考えても慰めるすべがない。あれこれと「こうなったらいいな」などと思っていたが、そういう考えにも限りがあるのだ。これ以上、良い方向を空想することなんて出来ないよ。

【語釈】◇あらまし事 こうなってほしいと、前以て思うこと。

九月ばかりに嵯峨なる女のもとより、「濡るる袂のところせき」よし申して侍りしかば

我ゆゑにぬるるにはあらじおほかたの秋のさがにて露ぞおくらん(経正集)

【通釈】私のせいで濡れているのではないでしょう。秋の嵯峨野ではないが、秋の性(さが)として、露が付くのはありふれたことではないですか。

【語釈】◇嵯峨 今の京都市右京区嵯峨あたり。女郎花や薄の名所。◇濡るる袂のところせき 涙で濡れる袂に、不都合な思いをすること。源氏物語「東屋」の「形見ぞと見るにつけては朝露のところせきまで濡るる袖かな」を踏まえるか。後拾遺集にもこれに影響を受けた「雨雲のかへるばかりのむらさめにところせきまで濡れし袖かな」(読人不知)がある。◇おほかたの秋のさがにて露のおくらん 秋の一般的な性質として、露が置くのでしょう。「さが」には女の住居である嵯峨を掛けている。

【補記】女の返しは「おほかたの草葉のうへはさもあらん袂におくは涙とを知れ」。草の葉の上なら露が置くのもありふれたことでしょう。袂に付くのは、涙だと知ってください、の意。言わずもがなの返歌である。

とほき所へまかり侍りしに、浦ちかく留りて侍りしに、波の音物あはれに聞えしかば

さまざまに思ふ寝覚のうらかぜにおなじこゑなる波の音かな(経正集)

【通釈】寝覚の物思いはさまざまだが、浦風に吹き寄せられる波の音は、一様にあわれに聞えるなあ。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日