ち・ちがや・かや Japanese blood grass

茅
初夏、穂を出した茅

イネ科の多年草。アジアからアフリカにかけて広く分布し、我が国でも野山などにありふれた草。夏、花穂に銀色の綿毛をつけて、よく目立つ。花穂は「茅花(ツバナまたはチバナ)」と呼び、万葉集の紀女郎が大伴家持に贈った歌、

戯奴(わけ)がため吾が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)()して肥えませ

にあるように、春の蕾の時は甘みがあって食べられる。
しかし和歌で活躍するのは花穂を出したチガヤでなく、「浅茅(あさぢ)」、すなわち野原や庭一面に生えた丈の低いチガヤとしてだった。背景となる季節は、大概は秋、それも寒さを増す頃の秋である。

秋風の寒く吹くなへ我が宿の浅茅がもとにこほろぎ鳴くも

万葉集巻十、作者不詳歌。
我が家もそうなのだが、あまり手入れをしていない庭には、たちまちチガヤが広がる。大変恢復力の強い植物で、刈り取ってもすぐにまた葉が伸びて来る。完全に放置すれば、上の写真のように丈高くなり、まさに草茫々。そこまでは行かないけれど、ちょっと荒れた感じの住み家を表わすのに、庭一面を覆った浅茅ほど適切なシンボルはないわけであった。

茅
秋の浅茅原

そんな浅茅の文学的イメージを決定づけたのが源氏物語だったろう。

かかるままに、浅茅は庭の面も見えず、しげき(よもぎ)は軒をあらそひて生ひのぼる。(むぐら)は西東の御門を閉ぢ篭めたるぞ頼もしけれど、崩れがちなるめぐりの垣を、馬牛などの踏みならしたる道にて、春夏になれば、放ち飼ふ総角(あげまき)の心さへぞめざましき。

「蓬生」の荒廃した末摘花邸の描写である。のち、中世文学ではこのような寂れた情景をむしろ趣き深いものと受け取るようになり、和歌でも荒れ果てた「浅茅の宿」のイメージが盛んに詠まれた。

題しらず  前大納言忠良

たのめおきし浅茅が露に秋かけて木の葉ふりしく宿の通ひ路

経房卿家歌合に、久恋を  二条院讃岐

跡たえて浅茅がすゑになりにけりたのめしやどの庭の白露

いずれも新古今集の恋歌より。源氏物語を古今集とともに和歌の聖典と仰いだ新古今歌人たちは、浅茅の生える家で訪れない恋人を待つ女に、末摘花の面影を匂わせていたのである。
冷たい露の置く晩秋、葉は紅く色付き、チガヤの「チ」は血であったかと思わせるほどだが、まもなく冬枯れてしまう。

茅
晩秋、色づいた浅茅原

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   『万葉集』 (野遊) 作者不詳
春日野の浅茅が上に思ふどち遊ぶ今日の日忘らえめやも

   『新古今集』 (百首歌よみ侍りけるに) 藤原良経
ふるさとは浅茅が末になりはてて月にのこれる人の面影

   『新古今集』 (寄風懐旧といふことを) 源通光
浅茅生や袖にくちにし秋の霜わすれぬ夢をふく嵐かな

   『新古今集』 (五十首歌たてまつりし時) 藤原雅経
かげとめし露のやどりを思ひいでて霜にあととふ浅茅生の月

   『続古今集』 (千五百番歌合に) 藤原定家
桜花うつろふ春をあまたへて身さへふりぬる浅茅生の宿

   『あらたま』 斎藤茂吉
真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも

   『白き山』 斎藤茂吉
われをめぐる茅(ち)がやそよぎて寂(しづ)かなる秋の光になりにけるかも

   『川のほとり』 古泉千樫
山原のほほけ茅花(つばな)のうちなびき乱るるが中にころぶしにけり

   『海やまのあひだ』 釈迢空
うちわたす 大茅原となりにけり。茅の葉光る夏の風かも

   『天眼』 佐藤佐太郎
ちがやなど風にふかるるもの軽し影さきだてて帰る渚に


公開日:平成17年11月27日
最終更新日:平成18年1月26日

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