時間の使い方

お金は「行為」と交換するものである。我々は何かの行為と引き換えにお金を得る。お金を払う側が望むことをお金をもらう側がやるわけである。稼いだお金は、自分がしてもらいたいことを他人にやらせるために使う。誰かがしてもらいたがっていることをやってお金を稼ぎ、自分がしてもらいたいことを誰かにやらせてお金を使うと元通りお金が無くなる。しかし、そのサイクルには「自分のやりたいことをやる」という状態がない。

お金をやりとりするサイクルの中で無理に「自分のやりたいこと」を作ろうとすると「自分のやりたいことは金儲けだ」ということになってしまう。金儲けがやりたい人が儲けたお金で何がやりたいのかは不明だ。他人の望むことをやってお金を稼ぎ、他人にやってもらいたいことも自分でやったりするとお金が貯まる。でも、いくらお金があってもお金を使ってできるのは「他人に何かやらせる」ことであって、それは自分のやりたいことをやるのとは違う。自分のやりたいことをやるために必要なのはお金ではなく時間である。

お金を稼ぐのにも時間が必要である。働いてお金を稼いでたくさん貯金ができたとしたら、その人は一日の大部分の時間を働いて過しているはずである。自分のやりたいことはせずに他人の望むことばかりやってるわけである。それはシンドイことなので、代償が必要になってくる。その人はお金は十分に持っているが時間は無いので短時間で済む代償を求める。そういう場合手っ取り早いのはモノを買うことである。モノを買うというのは他人にそれを「作らせて、運ばせて、説明させる」ことで、それと引き換えにお金を払うのだ。

やりたいことをやらずに時間を節約してお金を稼いだとする。そのお金をモノ(やサービス)を買うことに使ってしまったら、また初めに戻ってやりたいことをやらずにお金を稼がなくてはならない。つまり、モノを買い過ぎることは「自分のやりたいことを放棄する」ことに繋がるわけである。そうならないためには、買う前に色々想像したり、買ったモノを使ったりすることにじっくりと時間をかける必要がある。そうすると、限られた時間の中では買うべきモノも少なくなるのでお金を使い尽くさなくても済む。どれだけゆっくりとお金を使うことができるかが勝負だ。

ゆっくりお金を使うのには想像力技能がいる。想像力と技能は「何となくの世界」に由来するものである。それらが不足していると退屈する。退屈になるというのは、自由な時間があるのに使い方が分からないということだ。そういう人が退屈から逃れるにはモノを買うのがてっとり早いのでお金がかかる。退屈から逃れるのにはお金がかかるから、お金を稼ぎたい。お金を稼ぐのに時間をとられるから、やりたいことをやるヒマがない...?

もともと時間はあるのだから、それはやりたいことをやるヒマがないんじゃなくて、やりたいことが分からないだけだ。やりたいことがあればやりたいことに時間を使うから退屈なんかしない。時間を使うというのは、お金を使わないということである。なんでそうなるのかというと、時間を使うのは自分のやりたいことをやるということで、お金を使うというのは他人にやらせるということだから、時間を使うのとお金を使うのは反対のことだからだ。

 → お金の使い方