お金の使い方

お金があれば何でもできる」という人もいるが、これはマチガイである。例えば、お金があっても急に楽器を弾けるようにはならない。何かができるという能力つまり技能はお金では買えない。自分が練習するしかない。技能習得に王道無しだ。お金というのは基本的に他人に何かしてもらうためのものだから「自分で何かができる」ということとはあまり関係ないのである。「お金があれば何でも他人にさせることができる」というのが正しい。お金があれば音楽家に目の前で楽器を弾いてもらうことはできるかも知れない。でもそれは、相手がお金を欲しがっていれば、の話だ。

「お金があれば何でもできる」と思っている人は他人に何かをやらせることばかり考えているのである。他人に何かをしてもらうことに価値があると思うから、「他人に何かをしてもらうための引換券」であるお金が欲しくて、それを手に入れるために「他人がして欲しがっていること」をするようになる。お金をたくさん儲けてたくさん使うことを目指して生活するわけである。そういう人が増えるとお金が世の中をグルグル回る。それが「経済活動が活発になる」ということである。

経済活動が活発になるというのは、それまでお金が関わっていなかったことにお金が関わるようになるということだ。言い換えると、人間の行動の基本にある「自分のやりたいことを自分でやる」ということが「お金をもらって他人のためにする」と「お金を払って他人にしてもらう」の二つに分かれていくのである。つまり、経済成長の元手は「自分のやりたいことを自分でやる」で、経済が活発になればなるほど「自分のやりたいことを自分でやる」は減っていく。減り続けて、最後には無くなる。「自分のやりたいことを自分でやる」ということが無くなった世界では、自分というものがどこかに行ってしまう。自分というものが無くなったらネタ切れだから、経済もそれ以上活発になりようがない。今はそういう状態だ。

経済活動がこれ以上活発になりようがないというのは、これ以上お金の使い道が思い付かないということである。使い道が思い付かないというからには、お金はあるのだ。「お金があるから音楽家に楽器を弾かせよう」と考えてしまうと自分というものは相変わらずどこかに行ってしまったままだ。問題は「経済活動を更にこれ以上活発にするにはどうしたらいいか」ではなくて、「どこかへ行ってしまった自分というものを取り戻すにはどうしたらいいか」である。自分というのは「自分のやりたいことを自分でやる」ことで確認される。要するに「自分で楽器を弾ける」ようになればいいのだ。

自分で何かをやりたい時にお金があれば、いい先生に習ったりいい道具が買えたりする。いい先生とはうまくやる気にさせてくれる先生であり、いい道具とはやる気にさせてくれる道具である。先生や道具にお金をかけても、結局やるのは自分だ。最初はできることがすごく限られているからやる気を持続するのは大変だ。お金があると、先生や道具の助けを借りて何とかやる気を持続することができるかも知れない。つまり、やる気の問題さえ自分で何とかできたら、お金は関係ないということになる。お金がないと食べていけないから、本当はお金も問題なのだが...。

自分でやりたいことがある場合、やりたいことができるようになるために必要なのはお金じゃなくて時間である。時間をどうやって手に入れるかというと、お金で買う。「自分のやりたいことを自分でやる」が足りない場合は「お金をもらって他人のためにする」に費やす時間(つまり労働時間)が多すぎるので、それを減らすと時間が増える。その代わり収入は減る。時間が増えて収入が減るというのは「お金を払って時間を買った」のと同じである。そうやって時間ができても急にはやりたいことができるようにはならない。「できない」を「できる」にするためには練習が必要だ。「(食べていけるだけの)お金があれば何でも(練習することが)できる」のである。

 → お金と時間の使い方