想像力

リラックスするには想像力が必要だ。と言っても、想像というのは頭の中だけのことなので別に大したことじゃないように思える。何を想像しようと他人にはわからないから文句も付けられないし、物理的な制約も受けない。想像は自由である。ところが、目に見える事実にとらわれている僕のような凡人にとって自由に想像することというのは結構難しいものである。

やってみればすぐにわかることだが、自由な想像を妨げるのは自分自身である。想像というのは現実ではないことを思い浮かべることだから、自由に想像するほど現実離れしてくる。すると、「そんなことを考えて何になるんだ?」という疑問が湧く。現実離れしたことを想像したって何の役にも立たないじゃないか。そう思うと、何だかバカなことしているような気がして我に返ってしまう。「我に返る」とは現実の世界に意識を戻すことだ。逆に、何かを想像している時には意識が現実の「我」から離れているから「我を忘れる」というわけである。

現実の「今・ここ」の自分から離れて想像を広げていくと、思い出したくない過去とか考えたくない未来とか関わりたくない他人というような不都合なものを思い浮かべてしまったりする。そういうものはプライドを傷つけるのであまり考えたくない。想像するのも嫌だから、想像をやめて現実の世界へ引き返すことになる。そこが我々の想像力の限界である。

現実の世界というのは想像力にフタをすることで成り立っているようなものだ。我々の意識がそのフタである。ところが、フタをしても我々の想像力は常に存在している。そして、意識が弱まる睡眠中などには想像力が勝手に活動するので我々はを見るのだろう。僕は仕事で行き詰まった時に夢の中で解決策を思いついたことが何度かある。夢というのは現実離れしているが、現実が行き詰まっている時には「現実離れ」というのが「行き詰まりの解決」になるわけだ。反対に現実がうまくいっている時は現実離れした想像なんか役に立たない。

現実の世界を成り立たせるためには現実離れした想像ばかりしているわけにもいかないが、現実が気楽なものではない時にリラックスするためには想像力が必要なのだ。だから、問題は「いかに現実の世界に意識を保ったままで現実離れした想像を膨らませるか」ということになる。ややこしいけど、しょうがない。

 → 想像するには勇気がいるのだ