【元号の存続に関する若干の提案】

 わたしは元号を廃止すべきだと主張するつもりはありません。長い間使用し続けてきた実績があるのですから、すぐに廃絶するなどというのは非現実的な話です。元号が天皇の存在にリンクしてきたものである以上、元号に対するわたしの考え方も、天皇に対する考え方(天皇虫垂突起説)とまったく同じことになります。

 元号に関していいたいことは以下のとおりです。

  1. 元号はその性格から紀年法としては不完全で欠点の多いものであることをきちんと認識すべきです。(将来の年を記述するのに向いていない)
  2. 元号そのものが文化を生んだり伝統を創造するなどということはありません。
  3. 元号使用を強制することはもちろん、使用を誘導するようなことも改め、公式文書はすべて西暦を用いることを原則とすべきです。
  4. 元号の使用はプライベートな次元にとどめるべきです。

 公式文書の記述に元号を用いることはやめるべきです。我が国はモナーキー(君主政体)ではありません。天皇の生命とリンクする暦を公式に使用するのは、スジが通らないことです。

 申請書や手続き書類にあらかじめ「平成」などと印刷しておいて、元号の使用を誘導するのも悪質な越権行為といえるでしょう。いったん改元があれば、そのような印刷物はすべて大きな無駄になるわけですから、順次なくしてゆくべきでしょう。

 しかし、元号を廃絶することはありません。ただ、その存続のためには、実運用にあたって、次の二点を提案したいのです。

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1.改元は踰年改元とする

 元号の決定は現行通りとすればよいでしょう。ただ、改元については踰年改元にすることを提案します。

 それは、次のような理由からです。

  1. 新元号を準備する時間的余裕が持てる
  2. 新元号を周知させ切替にともなう混乱を少なくできる

 aが元号を決める側の問題だとすると、bは元号を使う(使わされる)側の問題です。

 aでいいたいのはこういうことです。即位即改元ということになると、新元号はあらかじめ用意しておかなければなりません。天皇存命中の譲位という制度がない現在の状況では、必然的に秘密裏に新元号の選定が行われ、準備されるという密室性が高い運用になってしまいます。(特定の右翼マインドの人々や宮内庁のお役人が好みそうな、いかにも隔絶した秘密性があることであるように見せたがるもったいぶったやり方)

 この方式には弱点があります。たとえば、ある種の状況下で皇位継承が短期間に頻発し元号の決定に支障が起きる危険性(いったいいくつの元号が常に用意できると思いますか・・・)、秘密にしておいた新元号が事前に洩れて変なスキャンダルイメージを発生させる危険性(「光文スクープ事件」がほんとうに起きたら・・・:参考資料2)、、などです。

 かりに代替りがあっても、その年はその年の正月に使っていた元号を使い続けることにして、年末までの間にゆっくりと選定手続きを行い、10月か11月ごろに新元号を公表するのです。もし、大正天皇のようなタイミングで代替りがあったなら、さらに一年かければよいだけのことです。

 こうすれば、あの88年の時のように、カレンダー屋さんや手帳屋さんがやきもきすることはなくなります。

2.出典は我が国の古典から

 元号の出典を漢籍に限定することなく、我が国の古典をも対象とすることを提案します。

 なぜ、漢籍に元号を求めることに固執するのでしょうか。

 なぜ、標語だのスローガンだのの意味を込めなければならないのでしょうか。


 たとえば、こんなことは考えられないものでしょうか。

 源氏物語は我が国が誇ることのできる世界的古典です。たとえば、この各帖の題名を元号として採用するなどというのはいかがでしょうか。桐壺、帚木、須磨、明石、あるいは夕霧、浮舟、・・・、といった具合。

 一歩進めて、源氏物語各帖の題名を順番に元号にすれば、次の元号がなにになるのかも分かり、国民の知らぬ密室でいわゆる有識者と称する郷愿どもが談合してひねり出す不透明さを排することができるでしょう。

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 暑い季節に向います。ご自愛ください。

若菜八年文月七日  一郎拝

なんて手紙、素敵だと思いませんか。

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【むすび】

 【幕間】に、「独創と同一の優越を確保するために、真似には一抹の創意と工夫とを必要とするのではないか」と書きました。たかが元号に入れ込むことはありません。されど、猿真似のままでは「我が国固有の文化」とふんぞり返る気にはなれますまい。

 まして、将来のいついつを約束する場面に元号を使うのは愚かしいことですし、生年月日に元号を使っては年齢計算が不便です。

 まず、我が国の文化の匂いぐらいは添えた上で、あくまで、私事の記録に用いる。それができてはじめて、元号は微笑ましく生活の中にとけ込むことができるでしょう。

<終わり>

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