6.元号の選定条件はなにか?
猪瀬直樹の「天皇の影法師」(参考資料2)は天皇制の暗部に光をあてた、なかなか面白い本です。これには「光文スクープ事件」、「森鴎外−元号考」の話に関係して、元号が満たすべき条件として、かつて一木宮内大臣(いまの宮内庁長官に相当するものでしょうかね)があげたものが紹介されています。
「1」にある南詔とは、広辞苑によれば、チベット−ビルマ系の蒙氏が雲南に建てた国、交趾とはベトナム北部の古名といいますから、それらの国にもかつて独自の元号をたてたことがあるのでしょう。
それはさておき、現在、元号は79年にできた「三くだり半」の条文からなるという「元号法」にその根拠を持っているわけですが、元号法には具体的な制定手続きも、元号が満たすべき条件のようなものも規定されていません。「年号の歴史」(参考資料1)の第9章には、現在の制定手続きと選定条件に関する規定(閣議申合せ事項)が紹介されています。それによると、選定条件は、
(ア) 国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。
(イ) 漢字二字であること。
(ウ) 書きやすいこと。
(エ) 読みやすいこと。
(オ) これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと。
(カ) 俗用されているものでないこと。
となっていて、おおむね一木内大臣の条件と一致しています。
実際、多少、人によって判断は異なるかもしれませんが、「平成」という元号はおおむねこの条件を満たしているといえます。ただ、一木の「音階調和」の条件がなくなっているため、「へぇーせぇー」などという元号もパスできたのでしょう。
「へぇーせぇー」という音韻を美しいと思う人って、どんな耳をしているのか、わたしには興味があります。
7.我が国の元号は中国の元号と重複していないの?・・・重複している
とはいうものの、我が国の元号はもともと中国の真似として数百年以上も遅れてスタートしたものですから、当然の話として、意識をするしないにかかわらず、我が国で採用した元号が既にかの国で使われていたという例が発生しています。
我が国で、定着した最初の元号は「大宝」ですが、これが既にその150年ほど前、中国で使用済みのものだったのですから、「猿真似の伝統」はまず第一歩から定着していたことになります。
まあ、でも、それこそ長い歴史のことですから、その逆に我が国で使用した元号がかの国で使われたという例もあります。(ここは拍手でもしておきましょう)
中国に先行例があり日本が後からつけたもの・・・全26例
大宝・神亀・天平・大同・仁寿・天安・貞観・承平・天禄・貞元・天福・乾元・元徳・建武・正平・天授・永和・至徳・文明・弘治・天正・元和・天和・正徳・宝暦・天保日本が先行し中国で後からつけたもの ・・・全 6例
天慶・天暦・天徳・永暦・承安・嘉慶
・・・と、江戸時代までは、こんな風に彼我のことはあまり考えずにやってきたのでしたが、明治も半ばを過ぎ、侵略主義が国家の基本路線になってからは、「苟も、アジアの盟主たらんとする我が国が、他の迷妄諸国で使用された用語を元号にするとあっては、沽券に関わる」みたいな心根が、上に紹介した一木の元号採用基準の「1」にあらわれたものでしょう。
思えば、教授されたる「漢字」を用い、出典を同じく到来物の「漢籍」にたよる元号を用いつつ、その相手を侵略する。元号というものに、天皇制下の日本という国の本性というべき性格がよくあらわれているではありませんか。
元号維持論者の憧憬もここにあるというのは、考えすぎでしょうか。