前半は鈴木宗男に代表される政治スキャンダル、ワールドカップでつなぎ、後半は北朝鮮で過ぎた一年だった。夕方のニュースでは、地村保(地村保志の父)が記者会見で「孫の顔を見に行きたい」と家族の会全員の参加や家族を連れ帰ることなどの条件をつけた上で北朝鮮訪問を希望することを明らかにした由。既に横田夫妻がキム・ヘギョンに会うため訪朝したい旨の意向を表明している。

 これに対していつのまにか家族の会を監視する立場になった感のある蓮池透は、横田夫妻の政府関係者との会談に際しても「家族の会全員の了解を取り付けろ」といい、今度は「被害者家族の帰国が先決だ。その他の拉致被害者の真相解明がない限りダメだ」などと主張している。蓮池にしてみれば自分のメンツがつぶされるような気持ち、いや、ことがはやく運ぶことは「この仕事」で食ってゆこうとしている節のある蓮池の望まぬことなのかもしれぬ。

 一方、「強硬」ということだけで無邪気に拍手していた人々も、空っぽの強硬ポーズだけで合わせ技一つないお粗末極まりない状況に不安を覚えてきたらしい。そういえば、最初、小泉訪朝を売国奴外交と呼び、拉致被害者の「一時帰国」後には強硬姿勢を煽り立てた一部の週刊誌は、最近は別の話題に「転進」したようだ。感情的な右往左往で外交が成り立つものなら、誰にでも外交官が勤まる。

 ところで政府のガード付で拉致被害家族と家族の会が訪朝することになったとしたら、10月から約2ヵ月の空費は何に役立ったことになるのかな。その2ヵ月の間に彼らの子供たちにどのような「情報」が北当局から吹き込まれたことか。素人の浅知恵とつまらぬ感情論がもたらしたものがこの空白期間だ。バカなことをしたものだ。いや、いまとなっては空手形で北に行けるなどとは考えぬ方がよかろう。ことがこのように推移した以上、我慢比べは始まったばかり。先に緩んだ方が負けるは必定なのに。(12/31/2002)

 風呂に入りながら聴いたラジオ、「竹中直人のハードボイルド・ソーセージ」に出ていた役所広司のエピソードに湯船の中で腹を抱えて笑った。

 中学の頃、ちょうど日活がロマンポルノをやっていて、たいていは看板にものぼりにも「成人指定」って書いてある。ところが題名は「夜を待つ乳房」なんていかにもの題なのにどこにも「成人指定」の文字がないものがあった。それではと友達と連れ立って見に行くことにした。聞かれたら中学生ではいくらなんでもまずいので高校生ということにしようと示し合わせた。

 で、入ろうとするともぎりのオヤジさんが「高校生はダメだよ」と。友人と二人、異口同音に「ちがいます。中学生ですッ」。(12/30/2002)

 スイスに本拠のある宗教団体が「クローン人間の女児を世界で初めて26日に誕生させた」と発表した。生まれた子供は「イブ」と名付けられた由。ほとんどの報道がまだ母子のDNAの一致が確認されたわけではないことをあげて真偽半々としている。

 ウソなのかそうでないのかはさして重要とは思えない。今現在まだヒトクローンの実現に困難な技術的問題があるとしても、可能なことは深い思慮もなくすべて実行してしまうというのが最近の風潮だ。ある意味でこれは時間の問題になりつつあるのかもしれない。

 それにしても、絶妙のネーミングではないか。イブは最初の女であるとともに、イブこそが楽園追放の因となったのだから。(12/28/2002)

 イラクでは国連の査察が進んでいる。「怪しい」という情報を流すのはアメリカ政府か、アメリカのメディアだけ。これに各国のメディアが「?」のマークをつけて追従報道をしているという印象。なかなか戦争屋さんたちが期待する決定的な「違反の証拠」というものが報ぜられないのは不思議といえば不思議な話。イラクに比べれば、北朝鮮の方がはるかに白昼公然、違反行為を繰り返しているのに、ブッシュはほとんど何も反応しない。(わずかにラムズフェルドが「アメリカは複数の戦争を同時戦える能力がある」などと、ちょっとばかり頭が働く者なら嗤い飛ばすようなことを言っているくらいのものだ)

 それでもブッシュは戦争準備を推し進めている。アメリカがどのような屁理屈をつけて戦争に持ち込むか、その段取りを興味を持って見つめることにしよう。愚か者がみすみすドツボにはまるまでをつぶさに眺められるとしたら、これほど面白いことはない。他人の不幸は蜜の味だ。(12/26/2002)

 昨日、都市景観について書いたが、旅行中の新聞を繰っていたら、18日に「国立マンション訴訟、20メートル以上部分を撤去する一審判決」という記事を見た。

 マンション業者の立場に立てば、具体的法規制がない以上、所定の手続きに従い申請受理された建築確認に基づくものに「違法」、「撤去」というのは乱暴な話かもしれない。しかし、条例を含めて具体的規制がないのに永きにわたって高層建築物が建造されなかったという事実が先に存在しているとすれば、それに対する十分な考慮と地域関係者との協議・合意なくして私権の行使はあり得ない、そういう考え方も成り立つし、またそのようなことなくしては一定の調和に基づく都市空間は望めない。まして、「落ち着きの街並み」を売り物にするマンションが、自らその「落ち着き」を乱すなど論理の逆立ち以外のなにものでもない。(12/23/2002)

 旅行中たえず思ったことは、「なぜこれほど風景が美しいのだろうか」ということだった。都市景観についてはよくいわれることだが、都心から郊外に出、さらに農村部にうつってもため息の出るような美しい風景が続く。地形が違うせいだろうか。今回はロアールからノルマンディー、山間地はほとんどない。見渡す限りの平原か微妙なアンジュレーションの続く丘陵地帯だった。

 それにしても森と草地とその間に点々とする石造り(と思われる)の建物はほどよく溶け合って不自然さを感じさせない。牧草地か畑、水田がないからだろうか。いや、本来水田も美しい風景なのだ。水をはった田んぼ、見渡す限りの青苗、黄金の穂、そういうものが連続していれば。いま、そこここに生産調整と称する打ち捨てられた田んぼが虫食いのようにあるから、美しさが失われてしまうのかもしれない。

 ああ、それにしても、と再び思いながら、どこかで読んだ「神の愛でし土地」という言葉共々に、煥然として広がる美しさの連続に妬みを覚えた。(12/22/2002)

【フランス旅行中のメモ】(ここは上から日付順)

12/13(金) 晴
 6時起床。6時50分出発。11時50分成田発。12時間のフライト。現地時間、16時パリ、シャルル・ドゴール空港着。同行のSさんのトランクが破損して処理手続きに手間取り、17時半頃空港を出発。大渋滞で、ホテル着は19時。メルキュール・ベルシー。両替のタイミングを失い、リヨン駅構内の両替屋まで。添乗員のIさんに同行してもらう。

12/14(土) 曇
 8時ホテルを出発。バスでロアール地方へ。現地ガイドはTさん。運転手はM。シャンボール城、シュノンソー城などは内部まで見学。オフシーズンのせいか、閑散としているがかえって好都合。ホテルはメルキュール・ツール。同行の新婚夫婦、Tさん、Kさんと親しくなる。

12/15(日) 曇
 9時ホテルを出発。モン・サン・ミシェルへ。時折、雲間から陽が射し、「天使の階段」(帰国後に「空の名前」で確かめたところ、「天使の梯子」または「ヤコブの梯子」が正しい)が見える。モン・サン・ミシェルの威容。ホテルは近くのサン・オーベル。田舎宿という感じ。

12/16(月) 薄曇り
 9時ホテルを出発。ルーアンへ。中心部にあるジャンヌ・ダルク教会前の古い店で昼食。古い創業らしく、壁には訪れた映画俳優の写真やサインがずらり。モネの絵にある「大聖堂」を見学し、街歩き。大聖堂の外壁は修復工事で足場が組まれていた。ホテルはメルキュール・ルーアン。部屋の大きさ、設備、一番いい。夜も中心街のレストランで食事。

12/17(火) 曇
 8時半ホテルを出発。ベルサイユへ。さすがにベルサイユ宮殿は季節、天気にかかわりなく、観光客の群れ。中を一巡し、外の庭園を歩く。ものすごい美人の娘さんを連れた親父さんからシャッターを頼まれる。ついでに娘さんと廣枝で撮らせくれと頼む。親父さんがついてきた。昼食を近くの中華料理の店でとり、パリに戻る。団体行動はここまでで終り。
 荷物を置いてすぐにIさん同行でコンコルド広場へ。そこから廣枝と二人で電飾に彩られたシャンゼリゼを凱旋門まで歩く。凱旋門近くでサンドイッチとワインを買い、ホテルに戻って夕食。

12/18(水) 晴
 9時半過ぎにホテルを出てメトロでマルモッタン美術館へ。駅でカルネ・ミュッセを買ったのだが、マルモッタンでは使えないとのこと。オランジュリーが改装中なのでここの「睡蓮」で我慢。ブローニュの森の端っこをなめるように歩いてからシャイヨー宮へ。アラブ系の少年に危うくバックの中身をすられそうになるという体験。エッフェル塔の最上階まで上り市内を一覧後、オルセー美術館へ。夜のディナークルーズのための着替えがあるので、お気に入りのルドンのコーナーだけ。あとはほとんどチラ見。
 Iさんにシティラマの営業所まで連れていってもらいディナークルーズ。シティラマから船着き場までの案内はMさんという若い女性。名古屋出身。デザイン関係のマネジメントのための留学中とか。すごく面白い眼鏡を見せてもらった。以前のディナークルーズより、充実したメニュー。空には寒月。さえざえとして美しい。最後のターンのところでは船そのものが躍る。隣席はイタリア人のカップル。途中、オ・ソレ・ミオを原語で歌ったせいか、下船後、コートを受け取る列にはるばる向こうから来て、夫婦共々、抱きつきキスの挨拶。悪くない体験。あと、バイオリンを弾いていた女性、好み。

12/19(木) 晴
 一番の好天。ただし、一番冷える。10時前にホテルを出てメトロでルーブル美術館へ。廣枝と一緒なのであまり無理はできない。ルーブルの喫茶コーナーで買ったサンドイッチを食べてからピカソ美術館へ。外観よりは展示室がたくさんありゆっくりできた。ピカソを出てから歩きでポンビドーセンターへ。マチスをはじめとする印象派の後の絵画。美術館三つはさすがに辛い。ホテルに戻る頃にはくたくた。

12/20(金) 曇
 雨模様に逆戻りする天気の中をオペラザ近くの三越へ。最終日くらいは廣枝のお供で買い物。お土産に買いもらした名画マグネットを買いにオルセーによって(メトロから郊外電車の乗り換えは初体験)からホテルに戻って、空港行きバスのピックアップを待つ。夕闇の迫る中を空港に行き、夕方6時半の便で発つ。

12/21(土) 雨
 成田着は予定通り、午後2時。トランクを宅急便にして、3時15分頃のスカイライナーに乗る。6時半帰宅。

 和歌山カレー事件、林真須美被告に死刑判決。ヒ素は必ずしも入手しにくい毒薬ではないが、購入保有する人はけっして多くはない。林被告は業務としてヒ素を保有し、かつて彼女のまわりでヒ素を利用したと思われるいくつかの詐欺事件が発生していた。ヒ素に含有する不純物の分析結果から、ある程度、犯行に使われたヒ素と林被告が保有していたヒ素の同一性が推定できた。はっきりしていることはこれだけだ。状況証拠は限りなく黒い一方で、他に有力な容疑者が近隣にいないとすれば、彼女が犯人である蓋然性は高いといわざるを得ない。

 しかし、犯行の動機も、犯行経過に関する立証も十分ではない。これをどのように見るかだ。厳密さを追うあまり、法網からポロポロと犯罪者が洩れることも別の問題になるだろう。一方、「有罪」と決するからには、結果から見て死刑でなくては均衡を欠く。すっきりとはしないものの、また適切な表現とは思わないものの、「やむを得ない判決」、と書いておこう。

 思い出したのは「ミセス・メイブリック事件」のこと。そういえばあれもヒ素による毒殺事件だった。(12/11/2002)

 新潟少女監禁事件、東京高裁は一審の懲役14年判決を破棄し11年とする判決。罪状がどれほど憎むべきものであったとしても、罪刑法定主義、現行法規定などを考えると当然の判決。いわゆる「被害者の心情」論議からくる「人民裁判」的傾向に圧されて、法解釈を歪める判決の続く中で、ある意味、ホッとさせられる。ところで、この事件、もし露見せずに推移していたとしたら、ひょっとすると北朝鮮による拉致事件ではないかとして、リストアップされることはなかっただろうか。(12/10/2002)

 朝日の朝刊「私の視点」は「特集・北朝鮮報道を考える」がテーマ。一文を寄せたのは、筑紫哲也、西岡力、大林宣彦、サム・ジェームソンの4人。「救う会」の副会長、西岡力の書いたものと、「週金」の編集委員、筑紫哲也の書いたもの、それぞれの注目部分を書き抜いておく。

【西岡力】
 いずれの報道(キム・ヘギョン会見とジェンキンス会見報道をさす)の中にも、北朝鮮当局によって発言内容が誘導されていることを証明する部分がある。
 まず、キム・ヘギョンさんは母親が日本から拉致されたことを知らなかった。記者から初めて聞かされたのだ。曽我さんの夫であるジェンキンス氏も、妻が拉致されたことを「今も信じ難いです」と語っている。
 二人とも、金正日が小泉総理にめぐみさん、曽我さんを含む13人の拉致を認めて謝罪した事実を聞かされていないのだ。この重大事実を知らずに日本人記者との会見に臨んだため、祖父母が会いに来ないことや、妻が戻らないことを不当とする発言が出た。北朝鮮当局が情報管理をして、会見を政治宣伝に利用していることは明らかである。

【筑紫哲也】
 北朝鮮のように、相手に意図と計算があり、しかも自由な取材ができない場合、それが相手の宣伝の具となる危険はある。だがどんな制約下でも、それを超えて透けて見えてくる肉声、事実、情報はある。旧ソ連、イラクでの取材でもそういうことは起きた。それに今回、北朝鮮の対応は「宣伝」としても成功していない。宣伝はそれと分かってしまったら効果はなくなるが、家族との会見を許した意図をみな見抜いているからだ。

 ディベートゲームなら勝敗は明らかだ。西岡は自分だけは「北朝鮮当局によって発言内容が誘導されていること」を見抜くことができるが、一般の視聴者、読者は、北当局者の意図を見抜けずに騙されるに決まっているとでも思っているのだろうか。誰の目にも、当該の報道内容だけで、予備知識なしに、明らかなことだから、「証明」などという言葉を使っているのではないか。とすれば、西岡の所論は到底論理的になりたたないではないか。こういうことを自家撞着という。

 サム・ジェームソンという人はシカゴ・トリビューン、ロサンゼルス・タイムズなどの東京支局長を務めたジャーナリストのようだ。彼はズバリこう書いている。「拉致被害者や家族の記者会見で『救う会』が行った情報の選別提供は、報道の自由を制限する危うさがある」と。

 西岡力や「家族の会」の蓮池透は北朝鮮当局そのものと同じ体質を持っている。そういう風に感ずる人はけっして自分だけではないようだ。(12/8/2002)

 昨日の朝日の夕刊にジャネット・ランキン・ピース・リソースセンターのことが出ていた。対日宣戦に一人反対したジャネット・ランキンは次の選挙で落選したが、昨年アフガニスタン攻撃に一人反対したバーバラ・リーは先月の選挙で当選した。センターのスタッフは「なぜ?」を話し合った。「行き着いたのが『情報』だ。インターネットなどによる格段の情報量が、リー議員の支持者を増やし、孤立から救った」。センターはジミー・カーターがノーベル平和賞を受ける10日、星条旗を持ち寄り水で洗う行動をよびかけている由。「国旗を燃やすのではなく、洗おう」。「反戦運動が反米運動ではないことをこの行動で示そう」ということだという。

 愚かな合衆国民の気晴らしのためだけにアフガンの野で爆弾の雨を浴び酷い死を迎えねばならなかった無辜の人々のことを考えると、「星条旗の穢れ」が水で洗うぐらいで落とせるものとはとても思えぬが、少しでも多くの人々が自らの姿を鏡に映してみる気持ちになればいい。もっとも、そういう気持ちにならない人々にこそ自省の心を持って欲しいのだが。(12/7/2002)

 丸ビルホールで「富士通HDD問題に学ぶセミナー」を聴く。LSIに対する評価解析手法の話、今回の赤リンによるコパーマイグレーションの話、売り手/買い手の法的責任の話、それぞれ非常に面白く、充実感があった。とりわけ面白かったのが、評価解析研究機構の設立提案について語った東大の柴田直の話だった。

 「LSI技術者はかつては石橋を叩いて恐る恐る渡っていたものだったが、最近は丸木橋を目をつぶって渡っている」と柴田は言った。この世界でも起きていることは効率優先による信頼性低下のようだ。アドバンテスト社のデータによると、発生数から判定した重大LSI障害の件数は、2年を単位として、90・91年は1件、92〜97年までは多くとも3件/2年にとどまっていたものが、2000・01年では5件、今年と来年の間では6件に達すると予想されている由。

 LSIも他の製造物と同様に企画・設計と製造プロセスそして信頼性試験が三本の柱となって商品として世の中に送り出される。「石橋を叩いていた」時代はこれらすべては一社で行われコアになる技術者はその全工程に関わっていた。これに対し「丸木橋をひょいひょいと渡るようになった」現在では三つの工程のみならず、その中もさらに細分化した分業が国際的な規模で行われるようになった。にもかかわらずというか、当然のこととしてというか、これらすべての工程を見ている者は誰もいない状況になっている。分業がプロフェッショナルとしてのハードルをクリアしながら実現されているならば問題はない。しかし、柴田は「例えばホットエレクトロンによる障害など、かつては誰でも知っていたようなことを原因とする障害がいまも起きている」と言う。つまり、微細化ルールなどの新しい技術チャレンジに伴って発生する障害よりも、昔からおなじみの常識的な罠に引っかかった障害の方が多いくらいだというのだ。

 評価機構構想に期待を寄せたあるLSI技術者のメールを柴田は紹介した。永年LSI信頼性試験に携わり、最近リストラされたらしいその技術者は「LSIの障害解析は一種の謎解き作業だった。根気と努力を必要とするが充実感のある仕事でもあった。しかし、年々、自分の部門に配属される者は減り、最近はゼロになった。この仕事はLSI全体システムのトータルな理解と、物理現象・化学現象に対する知識、解析能力、そして何より経験を必要とするものなのに。いまは後継者がいないことを嘆く伝統工芸の職人の気持ちがよく分かる」と書いてきたという。貴重な技術の伝承は風前の灯というわけだ。

 薄っぺらな経営者たちは「製造プロセスや信頼性試験などは人手を要するばかりで利が薄い、これからは企画・設計だけを手がけて高収益を確保するべきだ」、そう考えているのだろう。「IP(Intellectual Property)ビジネス」というのはそういうもののようだ。それはそれでひとつの考え方かもしれない。ただし条件が付く、独創的な企画と設計が次々と生み出せるものならば、という。しかし、日本の強みはそういうところにはなかったし、教育論議に見る限り、いまだにそういう場所に強みを発揮できるようなバックグランドの準備もできているとは思えない。なぜ、独創性と競争力を日本が得意とする土俵から創り出そうとしないのだろう。

 柴田はもっと面白いことも言っていた。「インテルがこれでもかこれでもかと短周期で新しいプロセッサを投入してくるのは、ひょっとすると自分たちのLSIの物理的寿命に自信が持てないからではないかと思うことがある」と。ここ数年、「Windowsが使うにしたがって膨大な不要モジュールを抱え込み徐々に処理速度が落ちてゆくのは、パソコンを買い換えさせたり、新しいWindowsを買わせるための陰謀ではないか」とひそかに疑っていたことに符合して思わず含み笑いをしてしまった。「ウィンテルの陰謀」?、いや、所詮アメリカ製の技術などというものはこんなものなのだ。(12/6/2002)

 ほんの小さなことで気分をよくして一日幸せという日がたまにある。今朝はそういう朝だった。混み合う武蔵野線でちょうど前に立った女性からいい匂いがした。いい匂いというのは香水の匂いでも化粧品の匂いでもない、石鹸の匂いのようだった。朝シャン?、いや、もっと全身から匂うみたい・・・、など妄想をたくましくしつつ、たった二駅の間に一日分のいい気分になって西国分寺で乗り換えた。

 豊田で降りようとしたとき、その女性がドア脇に立っているのが分かった。(同じ電車だったんだ、どんな女性かな)と思った。でも、あえて、顔を見ないで降りた。「夜目、遠目、笠のうち」、「中ぐらいなりおらが春」。(12/5/2002)

 増減税同額。これが税制改革大綱の基本方針らしい。減税としてあげられているのは、各種の登録免許税と不動産取得税の軽減、そしい企業の研究開発と情報技術投資に対する優遇。景気対策として不動産取引の活性化と企業投資を誘導しようという狙いらしい。一方の増税アイテムは、発泡酒税・タバコ税の引き揚げ、配偶者特別控除・特定扶養控除の廃止、企業に対する外形標準課税の導入、消費税にかかわる益税ラインの引き下げなど。

 タバコは吸わないし、酒もあまり飲まない、年収一千万の制限から配偶者特別控除もうけられない。つまり増税の影響はさほど受けないから、どのように決まろうともかまわないといえばかまわない。逆に、消費税導入のために狡い商人どもの応援を受けようとした「益税」という制度は腹立たしいものだったし、特定業種を狙い撃ちせずに一律に行うのなら、外形標準課税も悪くないとも思っている。しかし、何かというとタバコ税に狙いをつけ、シュンペーターのいうイノベーションのミニチュア版である発泡酒が利益を上げるや否やその上前をはねようとする根性は好かぬ。まして、配偶者特別控除や特定扶養控除の廃止などは、結局のところ、貧乏人から巻き上げたカネを金持ちに還元するという金持ち優先姿勢の現れでしかない。もし、どうしても低所得層にも税負担をというのなら、高額所得層にも外形標準化課税の考え方を適用してからにしなくてはバランスを欠く。(かつての横井某、現在の堤某にも税を払わせろということ)

 さらにいうなら、減税額に見合うだけ政府支出を削減すれば、それでも済む話。夜のトップニュースはイージス艦のインド洋派遣だったが、自衛のための必要最小限といっていた4艦のうち1艦をよそにまわして差し支えないなら、じつは余っていたということではないか。もともとこの国には国家戦略がない。だから防衛力についてもこれくらいの財政規模だからこれくらいの防衛費、これくらいの防衛費だからこれくらいの装備、ちょっと余裕があるからイージス艦、そんな感覚だ。持ちつけぬものを持っているからアメリカなどにたかられるのだ。無用のものを持っていなければカツアゲなどされずに済む。一隻で約1,200億円もする「持て余し物」は税金の無駄遣いそのもの。

 世の中はリストラの時代だ。余剰の防衛力など即刻リストラして出費を抑えることこそ緊要。銀行にリストラを迫るならば、まず、政府自らその範を示せ。(12/4/2002)

 新秋津の駅前で民主党関係者が朝ビラを配っていた。野党としての存在感は民主党にはない。小泉政権の最大野党は自民党だ。その最大勢力でさえなんら政権運営をチェックできないのに、はるか弱小の民主党は、先週来、鳩山辞任騒ぎ。因って来たる原因は自民党顔負けの体質。異曲同工の民主党に期待できないのも道理。

 絶望的だなァと思いつつ、ふとイギリスの選挙・政党・政策決定過程について日経に出ていたもののことを思い出した。

 日・英で大きく異なる点は、英国では総選挙で各党が「構造改革の設計図」を示して競い合う点である。英国民は選挙戦を通じて、各党の構造改革の内容を把握し、主体的に治療法を選択していく。構造改革の設計図は、マニフェストと呼ばれる文書に示される。97年総選挙の主要政党のマニフェストはA4版で40〜50ページにまとめられ、経済政策、社会保障政策、外交政策など政権獲得後に実現する政策を網羅的に示す。マニフェストの準備は総選挙の2年前から始まり、党幹部、政策スタッフなどが外部の研究者の協力を得ながら作成する。これは、日本の政党の公約にみられがちな、美辞麗句を並びたてたいわゆる「作文」ではない。多くの政策で、目標、達成手段、財源などが示されているのが特徴だ。
 例えば労働党の失業者対策(97年総選挙時)をみると、政策目標として「若年失業者の25万人減少」が掲げられている。そしてそれを達成する手段としては、民間企業での職業訓練など四つの選択肢を示して、若年失業者に半年間の教育・職業訓練の機会を与える。この財源は、余剰利益を得た民営化企業への一回限りの課税による、としている。このように目標、手段、財源などが明示されているため、選挙期間中、マニフェストを軸にした討論がなされる。例えばテレビでは、現役の社会保障大臣と影の社会保障大臣などを呼んで社会保障政策を議論させる。またマスコミやシンクタンクは、マニフェストの実現可能性、矛盾点、曖昧な点を追及する。このような議論によって、有権者は各党の構造改革の内容を知り、支持政党を決めていく。・・・(中略)・・・
 政権を獲得すると、内閣がマニフェストの実現に責任をもつ。第一次ブレア内閣の顔ぶれをみると、「ビッグ4」と呼ばれる党の実力者はそろって入閣した。このため、内閣と与党は一体となって構造改革を推進する体制になる。また労働党のマニフェストは、総選挙前に党員から承認を得た。これも、党内に「抵抗勢力」を生まない役割を果たしている。また、年に一度、内閣改造が行なわれるが、その際の重要な基準となるのが、マニフェストの進捗(しんちょく)状況である。進捗状況が悪い大臣は、首相によって更迭される。いわばマニフェストの進捗状況が各大臣の成績簿となっている。
 選挙で議論されたとはいえ、マニフェストの内容はいまだ政策の大枠にすぎない。大臣の指揮の下、官僚の協力を得ながら法案化する。ここで注目したいのは、マニフェストの内容を法案化する過程でも、「緑書」「白書」と呼ばれる政策提案書が発表され、民意を反映する仕組みがある点だ。緑書とは、議論のたたき台となることを目的にした政策提案書の草案である。例えば年金制度改革であれば、改革の背景、内容、年金の将来像などを内容とする122ページにわたる緑書が社会保障省から発表され、その後、金融機関、非営利法人(NPO)、大学研究者、シンクタンクなどから意見書が提出された。こうした意見書も報道されるので、国民は対立点などを把握することができる。白書は、集められた意見を参考に修正された提案書であり、法案に近い文書となる。個別政策ごとに出される提案書であり、年に一度発表される日本の白書とは異なる。・・・(中略)・・・
 有権者はこのような議論から、政権党のマニフェストの達成状況を知る。そして各党が示す新しいマニフェストも考慮しながら支持政党を決めるのである。

日経経済教室「構造改革『手続き』再考を」藤森克彦(富士総研)

 小泉政権が発足した最初の国会党首討論で鳩山は「自民党が抵抗勢力になり、あなたの改革が進まないならば我々はあなたを応援する」ということを言った。この言葉に対する批判は「野党が政府を支持するとは」というようなものだったが、中身が不明な「構造改革」をなぜ応援できるかという批判は聞かなかった。内閣改造も、税制論議も、特殊法人改革も、もろもろすべてがこんな調子。政党も、マスコミも、選挙民もそれぞれに、正体もさだかではなく、成果を測る基準すらない「政策」を「支持」したり、「批判」したりしているのだ。もっぱら「感情論」になるのは当然の帰結だ。(12/2/2002)

 **(息子)と早稲田−明治戦をテレビ観戦。今シーズン無敗の早稲田の攻撃に明治は好守で応える。明治の数少ないチャンスはちょっとしたミスでとざされてしまう。前半を終って早稲田がワントライをあげただけの5−0。

 後半に入っても早稲田はおしながらなかなかトライが奪えない。一度ほぼ正面でペナルティゴールを狙い、ワントライ・ワンゴールではとどかない得点差をと考えるが失敗。しかし、20分頃だったろうか横展開から中央突破し二つ目のトライをあげると、明治の堅守にほころびが見え始め、立て続けにトライ。ゴールも決まって24点。明治はついに完封を喫した。最終的なスコアとは違ってなかなかの見応えのある好ゲームだった。(12/1/2002)

 昨夜の「ニュース23」は入院したジェンキンス氏へのインタヴューを放映した。可笑しかったのは冒頭、病院関係者の応対の部分。こちら側が「体に障るようなら出直す」と言うのに対し、「本来は望ましくないのだがあなた方もインタヴューをするために来たのだから」などと応ずる。どこの国に揉み手をせんばかりに愛想よく記者と撮影スタッフを招じ入れる医者がいるものか。そして当のジェンキンス氏。入院とはいうもののベッドの上に起き上がっての面会。言葉もはっきりしており病気というよりは人間ドック、検査入院のような感じ。曽我ひとみさんはこの映像を見て胸をなで下ろしたことだろう。コメンテータとして出演していた拓大の重村智計が「ピンクの布団かけが何とも可笑しい」というようなことをいっていた。まったく同感。

 そのインタヴューに対して、「家族の会」の蓮池透が「北朝鮮で本当のことを話せるわけがない。ジェンキンスさんの話はまったく信用できない」とか、「なぜ病気で入院した人がインタビューに応じるのか。みえみえのやらせだ。北朝鮮がこれ以上何をしても5人の意思は変わらない。日本のマスコミは北朝鮮の先棒をかつぐ報道をやめていただきたい」とか語ったという記事を先ほど朝日のホームページで読んだ。

 バカなことを言うものだ。北朝鮮で本当のことが言えない、それは事実だろう。だが、それを語る人間の顔が映り、その時の眼が映り、背後の風景が映れば、いろいろのことが分かるものだ。ある程度まとまったことをしゃべれば、その言葉の中に語られていないことが透けて見える。昨夜のニュース映像のようにみえみえのやらせがあれば、かえってその舞台裏が想像できるものなのだ。ごく普通の人でもその程度の「眼」は持っている。

 先日来のフジテレビのインタビュー、週金のインタビュー、そしてニュース23のインタビューは、そういった意味で、それなりに貴重な情報を伝えるものだった。ところが「家族の会」や「救う会」、そのスポークスマンたる蓮池透は、その都度、これらの報道を「批判」するのではなく「やめろ」と言い続けている。まるで報道管制官のような口ぶりだ。彼らはひょっとすると政府に強い外交姿勢をとってもらうためには、この国の報道の自由を北朝鮮並みに制限すべきだと考えているのかもしれぬが、それは本末を転倒した話だ。(11/30/2002)

 ケニアのリゾート地モンバサのホテルで自爆テロ、それからすぐに同地の空港を離陸したイスラエル・アルキア航空機に対して地対空ミサイルが発射されるという事件。ミサイルの方はそれたため旅客機には被害はなかった。これが昨日の午後のこと。そして早くも犯行はアルカイダという憶説が流されている。

 そういえば、月曜の日経朝刊「風見鶏」の担当は伊奈久喜だった。皮肉なことに、先月、彼が「アフガニスタン政権は一月余りで崩壊した。米同時テロの主謀者は生死不明だが、無事ならば何らかのメッセージを発しているはずである。戦争目的はほぼ達成された」と書いた直後から、テロ活動は活発化し「いったいあのアフガニスタン爆撃はなんだったのだろう」という声が高まってしまった。

 さすがのおバカさんも「戦争目的は達成された、さあ次はイラクだ」という勇ましい「ホラ」貝はちょいと吹きにくいものと見えて、月曜のコラムでは「アメリカが嫌われるのは誤解されているからだ」という嫌われ者ブッシュに対する弁護論を展開している。

 嫌われ者を弁護するというのは勇気のいることだ。その意気や良し。しかし、弁護項目のいずれを読んでも、アメリカを嫌う人々は何一つ「誤解」などしておらず、アメリカが嫌われるのは当たり前なんだと読めてしまうのが可笑しかった。

 伊奈は強者の論理を拝借するのはうまいが、強者を弁護するためにでも、論理を組み立てることは苦手らしい。きっと自分の頭で考えたことがないのだろう、お気の毒に。(11/29/2002)

 佐渡の曽我ひとみさんが上京し、安倍官房副長官や中山参事官に会って、夫ジェンキンス氏の訴追に関する件について要望をしている由。

 彼らが帰国した日の日記に北朝鮮はなぜ日本が指摘していなかった拉致を自ら明らかにしたのかという疑問を書いた。その後の経過を見ると「曽我ひとみ」というカードが果たす効果はじわじわと出て来ている。それがたまたま効果を発揮しつつあるのか、それとも最初から意図された効果であるのか、いまは分からない。しかし、ふつうに考えて明かす必要のないカードをあえて混ぜて出したとすると、北には相当の知恵者がいるように思えてしまう。

 アメリカはジェンキンス氏の免責についてオフィシャルには否定的なことしか言っていない。北は曽我ひとみカードの特殊性をついてくるだろう。もし、我が方に知恵者がいるとしたら、このカードをカウンターとして切り返すくらいのことは考えてもらいたい。例えば、ジェンキンス氏のアメリカへの引き渡しを拒否する法的特別措置を決定するのだ。その時点で曽我ひとみカードは他の二組の夫婦とほとんど同じ性格のカードに還元される。のみならず「どうせ日本はアメリカの属国なのだ」と考えている北朝鮮に対して、拉致被害者問題の解決に対する日本政府の取組姿勢が容易ならざるものであることを強く印象づけることができる。

 プロが組み立てた段取りをアマチュアの発想でめちゃくちゃにしてみせた「家族の会」や「救う会」の連中、外交は強硬姿勢で臨めばなんでも解決すると信じているふしのある安倍晋三などには「ジェンキンス氏を超法規的措置に」というくらいのごり押しを期待したい。それとも北朝鮮にならば強く出られるが、アメリカに楯突くだけの肝っ玉は持ち合わせていないのかな。(11/28/2002)

 先週末、田中均アジア大洋州局長が大連で北朝鮮の高官と接触した。昨日その内容報告が総理にあったらしい。今のところの見通しは「本会談のための準備協議を含めてそのための環境は整っていない」とのこと。

 田中局長はマスコミ、就中、週刊誌にはすこぶる評判が悪い。「売国奴」と呼んで憚らぬものさえある(売国奴なら他にたんといるだろうに・・・)。彼らは9月の日朝首脳会談を天から降ってきたものと思っているのだろうか。田中局長個人の働きがどの程度のものだったかは詳らかではないが、プロの外交官が相当の時間をかけ粒々辛苦の細工をしてはじめてお膳立てができたと考えるのが妥当だろう。ところが動き始めた正常化プロセスは、「家族の会」だとか「救う会」、またそれを囲んでワイワイと囃し立てるだけのマスコミの愚かしくも情緒的な圧力であっというまに現在の膠着状態にはまってしまった。田中と下働きの外務省関係者には深く同情する。

 田中よ、いまはふたつの意味から動かぬ方がいい。ひとつは北朝鮮に対する意味から。言うだけのことを言い合って沈黙がおとずれたとき、多くの場合、その沈黙を破る方は譲歩してしまうことになる。決定経過が愚劣なものだったとしても、政府方針が決したここに至っては「待つ」よりほかに上策はない。動けば負ける。

 そしてもうひとつは国内に対する意味から。愚か者に自分が愚か者だと悟らせることは世の中で一番難しいことだが、八方走り回って自分の能力ではどうにもならぬことを身に染みて知れば、愚かであることは認めないまでも無力であることは認めざるを得なくなる。田中よ、この膠着状態を招いたのはおまえの責任ではないのだから、いまはじっと動かないことだ。素人集団に煽られてポピュリズムの極みともいうべき「政府決定」を主張した安倍官房副長官のお手並みを見せてもらったらいいのだ。

 いくら安倍が浅慮の人だとしても天下の官房副長官だ。ベストのシナリオが崩れたときの二の矢のつがえ方ぐらいは考えていたはず。安倍の「二の矢」がどういうものか見せてもらおうではないか。まさか空手で「強硬路線」だけを主張したなどということはあるまい。そんなことはただ愚か者のみがすることだもの。(11/27/2002)

 昨日の話ではみんなちゃんと今日からお仕事ということだった。なんだか一番楽をしているような気がするが、なに、どこかで帳尻はあっているものだ。

 小遣い帳をつけ、旅行で撮影した映像の整理など。その中に天秤ばかりの写真があった。湯西川の「平家の里」で撮ったもの。子供の頃、廃品回収に来たおじさんが新聞を束ねた紐にフックにをかけ、反対側の分銅の位置を動かして「ハイ、ちょうど一貫目」などとやっていたあれだ。もうほとんど記憶の海に沈んでしまって、自分の中にあるとも意識していなかった日常の一齣が鮮やかに甦った。「そんな時代もあった」のだ。

 他にもいろいろな日用品や道具が展示してあった。道具の中には大人用ではなく明らかに子供用のものも。子供も大事な労働力であった時代。村落に暮らすすべての人が朝から夜まで必死に働かなくては、経済的というより生存にかかわる基本条件をクリアできなかった、そんな時代があったのだ。それほど昔のことではない。急速に流れてゆく時間の中で忘れ去られつつあるけれども。(11/25/2002)

 ちょっと早わかりをしておこうと思って読み始めた吉川洋の「ケインズ」の前書きで考え込んでしまった。

 最後に妻節子は、家事、育児そして美術史の研究と追われる中で、経済学の知識を全く持たない読者第一号として原稿に目を通してくれた。そうしたある日、彼女から金本位制について質問された。本書で述べるとおり、金本位制はとりわけ今世紀に入り世界経済の成長を大きく制約する要因となった。ケインズはこうした金本位制に引導を渡した人である。しかし金という有限資源に経済成長を制約させることは、人間の活動に「節度」をもたらすものとしてむしろ望ましいのではないか。これがわが妻の考えであった。一瞬虚をつかれて、いつものように一笑に付すという手段に訴えようともしたが、女性の直観が到底人知の及ぶ所でないことを知る私はふと考え直し、一夜わが家における「ケインズ問答」の一端をここに書き記すことにした。

 中学の時、日経に連載されていた「金の話」を読んで以来、金本位制に関する「常識」を疑ったことはなかった。しかし、爆発するような欲望に対するに自然が設けた制限の存在は必要な概念かもしれない。(11/22/2002)

 週刊新潮の広告が嗤える。

曽我さんの「人権」を踏みにじった反権力雑誌『週刊金曜日』の内幕

という見出し。人権嫌いの週刊新潮がねぇ。

 こんな見出しがある。

「毒ガス事件」発生源の「怪奇」家系図

 他ならぬ週刊新潮94年7月4日号の見出し。ここで「毒ガス事件」とは松本サリン事件のこと、「発生源」というのは河野義行氏の家のことだ。

 臆面もないという言葉では表現しきれない絶句するような「図々しさ」とでも書いておこうか。(11/20/2002)

 昨日に引き続き、意地になって、立川の本屋もまわったが、竹森の本はない。かわりに目に付くのは、長谷川慶太郎とか渡部昇一などの本。あんな最初からクズと分かっている本でも買う奴がいるのだと思うと可笑しくなる反面、探している本がないことの腹立たしさがいや増して舌打ちをしながら店を出た。

 何年前だったか。古本屋のぞっき本のワゴンからこぼれ落ちそうになっている長谷川の本を見かけた。いたずら心でちょっと立ち読みをすると「投機には手を出すべきではないなどといって、このような収益の機会をみすみす見逃すような経営者がいたら経営者失格のらく印を押して差し支えない」などと書いてあった。嗤いながら奥付を見るとバブル華やかなりし頃の出版。

 ちょうどその前後にヤクルト旧経営陣の「投機行為」で本業が危ないというようなニュースを目にして、オポチュニストに「失格経営者」と呼ばれた者こそが、時が過ぎて見識のある経営者だったと知れたことをよく憶えておこうと思ったものだった。(11/19/2002)

 朝日朝刊に東電福島原発偽装工作事件のその後の記事。事件の解明は東電が社外メンバー5人に依頼した調査委員会の手で行われている由。

 偽装の中心になった3人は、日立やその下請企業を監督する立場。調査委員会の一人は「偽装にかかわった技術者たちは、(電力供給への)責任感が強すぎた」と言う。罪の意識は薄く、記憶もあいまい。東電の幹部も「誠実なだけに根が深い」と漏らす。
 物的証拠は、第一原発近くの日立の事務所で見つかったメモのコピーだけ。格納容器内の圧力を保つための空気注入量を試算した数値が書かれていた。筆跡や印から、メモを書いた日立社員は分かっていたが、日立や、その下請業者を含めた関係者の目撃証言は交錯した。
 ・・・(中略)・・・
 調査委員会は今のところ、具体的な手口は東電側が日立側に考案させたとの見方だ。この件の重大さから、日立も、大口顧客とはいえ東電をかばう余裕はない。両社の企業防衛も微妙に影響し、詳細の解明まで、まだ難航する可能性もある。

 原発は安全、原発は低コスト、原発は環境に優しい、原発はクリーン、・・・、長年ウソの上にウソを塗り固めて守ってきたムラ社会が一朝一夕に「正道」に立ち帰ることなど期待してもムダだ。「原子力村」は狭い。そんなムラ社会に迷い込んだエンジニア個々人には心から同情する。しかし、彼らがどのように説明してもその言葉をまるごと信じることはできない。彼ら一人一人が「原子力のムラ社会」から解放されるまでは、彼らは常習的ウソつきをやめることは絶対にない。

 酷だが今回の主謀者はすべて懲戒免職にすべきだ。主謀者が特定できない場合は容疑者全員を懲戒免職にすべきだ。それくらいのことをしなくては原子力関係者はまたぞろデータを捏造し、虚偽の報告を繰り返すことだろう。ウソで固めなくては一秒たりとも運転できないのが原発なのだから。(11/17/2002)

 注意されると逆ギレして暴れ回る。そういう手合いは、我慢も節度も心得ぬ最近の子供の専売特許だと思っていたら、68歳にもなるれっきとした大人、しかも衆議院議員だというから呆れる。

 このおバカさん、名前は橘康太郎。自民党、北陸信越ブロック選出。国土交通委員会の理事を務めている由。

 橘逆ギレ君は昨日の法務・国土交通連合審査会で質問中の民主党議員に「静かにしてもらえませんか」と注意され、なおもうるさくしていたため委員長から「私語を慎んでください」と注意されたことに腹を立て、休み時間に入ってから別室で協議中の件の議員に「馬鹿野郎、この野郎」叫んでつかみかかろうとしたのだという。あわてて制止した同僚議員がいなければ暴行に及ぶところだったというから恐ろしい。

 橘逆ギレ君のいいわけが情けない。「私語してたのはオレだけじゃない」。なるほど、私語の相手も黙っていたわけではなかろうから同罪の氏もいたのだろう。しかし、このいいわけ、子供並みだ。(2002/11/16)

 朝日夕刊コラム「時のかたち」に保坂正康がこんなことを書いている。

 私たちは歴史的錯誤に気づくべき時にきている。10月17日に、外務省が公開した「天皇・マッカーサー会見」の第一回公式記録を読んでなおその感を深くした。
 (略)昭和天皇が戦争責任(その意味も精査する必要がある)について言及した箇所はない。これをもって天皇はそのような発言をしていなかったとか、戦争責任がないなどという論はきわめておかしい。そういう論は、天皇に対して失礼である。天皇自身、戦争責任を感じているからこその戦後の発言があり、沖縄へのこだわりがあったと見るべきだろう。

 全文は写し取らない。保坂は以下、このように論を進める。「公式記録はどう読んでも会見のすべてを記録したとは思えない」。マッカーサー回想記は「誰が読んでも納得できる」。回想記の有名な言葉、「あなたが代表する連合国の判断に私自身の身を委ねるためにお訪ねした」という見方が定着することは間違いない。奥村がカットしたとされることは大日本帝国の記録の残し方によるもので「天皇と国民に錯誤を押しつける手法である」。

 この最後の文章が何を主張しているのかいまひとつ分からない。それにしても、保坂正康にして、ことが天皇になるとこんなうつけたことを書くかとがっかりさせられた。同意できるのは冒頭の一文と公式記録がすべてを書いたものではないだろうということぐらいだ。

 がっかりを通り越して嗤ってしまったのは、「そういう論は天皇に対して失礼である」というところ。歴史上の人物に失礼を感じていては、歴史など書くことも読むことも、ましてそこから知恵を汲み取ることもできはしない。この一文で保坂は戦後史を記述する資格を自ら放擲したといってよい。

 昭和天皇に保坂が書くような意味での「沖縄へのこだわり」などはなかった。それを証拠立てる事実としてはこんなことを上げるだけで十分。沖縄は72年6月に日本に戻ってきた。裕仁が死んだのは89年1月のことだ。彼には16年7ヵ月の時間があったが、その間、欧米には足繁く通いながら、ついに足下の沖縄を訪問することは一度とてなかった。戦争責任に対して鉄面皮を決め込んだ彼にして、アメリカに売り渡した後ろめたさは消すことができなかったものと見える。

 保坂よ、迷妄から醒めたらどうだ、おまえの書くとおり、天皇を神聖視する「歴史的錯誤に気づくべき時」はとっくに来ている。(2002/11/15)

 週刊金曜日が曽我さんの家族、ジェンキンス氏と二人の娘(美花・ブリンダ)とのインタヴューを行いその内容を曽我さんに伝えた由。

 帰国から一ヶ月ということで拉致被害者5人はそれぞれに記者会見を開くことにしていた。しかし、曽我さんは週金から伝えられた情報に動揺が激しく唯一今日の会見をキャンセルした。(興味深いのはキャンセルについての報道表現がお昼頃から夜までの間に変わったこと。第一報は「動揺が激しいので町役場はキャンセルを決めた」というもの、それが夜までの間に「曽我さんが会見をキャンセルした」という表現にそろえられた。この国にも北朝鮮に負けない程度には「報道規制」があるらしい)

 伝えられる週金のインタヴューの内容に事新しいことは何もない。引き裂かれたかたちの家族の言葉としては、北朝鮮流のバイアスが耳障りなところもあるが、こんなものだろう。情報量があるとすれば、「見送った空港で日本人の女性(たぶん中山内閣官房参事のこと)がお母さんは十日で帰すからと言った」ということと、「(ジェンキンス氏は)脱走兵の時効が40年なのでそれまでは日本に来られない(逆に言えば2005年以降ならば可能)」ということくらいだ。もちろん、家族のことを思い出さない日はないであろう曽我さんにとって、写真と座談記事が抑えている気持ちを噴出させるものであったことは事実としても、おそらく想像の範囲の言葉をそのまま確認した以上のことは何もなかろう。

 だから夜のテレビニュースに出てきて「『わたしが怒っている』と伝えてくれと言っていた」などと騒いでいた某県議の興奮した口調はかえって白々しい。まして「家族の会」や「救う会」の一部がこれを「北朝鮮の謀略に利用されていることを理解しない行為」と批判しているのを聞くと、どうやら一番激しく動揺しているのは、この場を利用して名前を売ろうとしている某県議や近視眼的感情に駆られて問題解決を複雑にしてしまった「家族の会」と「救う会」の関係者たちなのではないかという気がしてくる。

 日経夕刊にはこんな記事が載っている。

 「私一人だったら、佐渡が一番いい」。高校時代の担任、本間和城さん(57)は10月22日夜、曽我さんの実家を訪れた際、曽我さんがそう漏らすのを聞いた。
 元米兵の夫、ジェンキンスさん(62)の訪日時の処遇を心配している曽我さん。本間さんは「国同士の交渉に任せざるを得ないのだろうが、自分で自分の人生を選択できないのがかわいそう」と複雑な事情を抱える教え子の境遇を思いやる。

 5人に真の思いやりを持っているのは、一番近い肉親などではなく、もう少し客観的な眼を持った知人たちのようだ。(2002/11/14)

 カタールのアルジャジーラがビンラディンからの新たなメッセージを放送した由。内容にイエメン沖のフランスタンカー爆破、バリ島の爆弾テロ、モスクワの劇場占拠などの言及があることから収録時期は最近、ニュースステーションが依頼した声紋分析の結果ではほぼ本人の声と出ているから、ビンラディンの生存は確認されたことになる。

 とすると、いったいあのアフガン空爆は何だったのだろう。目的も達成していないのにイラクを新たな標的にしているブッシュ大統領の脳味噌はどんな構造になっているのだろう。ひょっとすると今や妻の顔すら識別できなくなったあのレーガン元大統領同様、スカスカのスポンジ構造になっているのではないかしら。

 アルツハイマーの前駆症状は時間的、空間的思考能力の減退に現れる。ブッシュはあれほど執着したビンラディンの殺害もしくは拘束にもはや一片の関心も示さない。もっぱら爆弾を落とせる場所を創り出すことのみに関心があるようだ。彼の脳味噌からはビンラディンを中心にした時間と場所に関する記憶がきれいになくなり、フセインだけがクローズアップしているらしい。両者の位置的な前後関係、時間的前後関係などはぐちゃぐちゃになっているのだろう。次から次と目を奪う光るものだけに反応しているのに等しい。時々用意したスピーチの言葉を失い唇をなめるブッシュの表情に呆けたレーガンの虚ろな眼の表情が二重写しになる。

 それともブッシュの失語症はじつはビンラディンがアメリカの忠実なイヌであることを隠す絶妙にして高度の演技なのかしらん。(2002/11/13)

 名古屋刑務所で受刑者が急死したり腹部の内出血で入院措置を受けた事件で、一昨日、5人の刑務官が特別公務員暴行陵虐致傷の容疑で逮捕された。人権救済の申し立ての取り下げを拒否した受刑者をねらいうちするなどこの刑務官たちの「犯行」の悪辣さは常軌を逸している。革手錠はリストバンドくらいの幅をもつ硬い革で、これをはめられると手首の自由がまったく利かなくなるため食事はイヌ食い、用を足すことすらできなくなるものである由。

 逮捕された5人の名前と年齢を記録しておく。看守長:渡辺貴志(34)、副看守長:前田明彦(40)、副看守長:岡本弘昌(46)、看守:池田一(30)、看守:小沢宏樹(27)。

 「犯行」のビデオ映像があるということだから有罪は間違いない。特別公務員暴行陵虐致傷は7年以下の懲役または禁固(刑法第195条)。どれくらいの量刑になるものかは分からないが、彼らにはぜひとも実刑を科し、服役中には革手錠をかけ、その味がどんなものか体験してもらいたいものだ。信念に基づいて、「人権に配慮しつつ用いた」わけだから、自らが受刑者となった時に拒否することはないだろう。それとも「我が身は別」と主張するのかな。(2002/11/10)

 日経朝刊に外務省斎木参事官が国連人権委員会「強制的失踪に関する作業部会」に出席、拉致事件に関する再審査を要請したことが報ぜられている。ずいぶんスローモーな動きだが、やっと力強い動きに転ずる入り口にたったものと見える。そのとなりにこんな囲み記事。「拉致安否 不自然な北朝鮮報告」という見出し。90年代の初めにアムネスティが照会したときの回答が今回の拉致後死亡したとされる人たちについての説明と酷似しているというもの。

 アムネスティは1993年、在日朝鮮人、日本人妻、夫など、日本からの帰国者が収容所に送られ、多数が消息不明になっていることや、公開処刑の実施などについて憂慮を表明した。
 北朝鮮は同年、アムネスティのサネ国債事務局長あてに手紙で回答。「収容所が存在するという主張は全くの事実無根」とする一方で、公開処刑については「92年に殺人犯を群衆の要望により処刑した」と認めた。
 個別のケースでは、60年に在日朝鮮人の妻子とともに北朝鮮に渡った当時の労働省職員、芝田孝三さんに関して「64年にスパイ容疑で逮捕され、90年1月に出獄したが、同年3月、妻と三人の子供と一家で移動中に列車事故で全員死亡した」と回答した。しかし、同じ収容所から逃れてきた中国人男性は「芝田さんは90年12月まで生きていた」と証言した。
 一家全員が不慮の事故で同時に死亡した、という説明は、暖房の石炭ガス中毒で死亡したとされる石岡亨さん、有本恵子さん一家の場合と似ている。死因も不自然で、死亡時期を提示している点も、今回と同じだ。

 何人もの死因をいろいろ捏造するのはそれなりにパワーのいる仕事だ。となれば、「不慮の事故で一家全滅」という安易な物語を何度でも使いたくなるというのは犯罪者心理としてうなずける話。(11/8/2002)

 アメリカの中間選挙は共和党が上下院を制し勝利の由。どれも僅差の勝利とはいえ結果が片方に偏るというのは、やはりアメリカ全体が経済が多少悪くなっても「戦争」を選択したということ。

 これでイラク攻撃がしやすくなったという解説をしているニュースがある。しかし、それは本末を転倒している。選挙に勝ったからイラク攻撃に専念できるのではなく、選挙に勝つためにイラク攻撃をちらつかせたのだ。だから、逆にイラク攻撃そのものは少し慎重に運ばれる可能性が出てくるかもしれない。昨日、安保理に提出された米英共同決議案の表現が緩められたのは、フランスとロシアに対する考慮もあろうが、選挙が終わったからと考えることもできる。

 それにしても「戦争」と言う言葉を聞くと血が騒ぎ、それ以外のものが見えなくなってしまう国民というのも気持ちの悪い連中だ。いずれ彼らが選びとった結果に復讐されるときが来るだろう。アメリカが徐々に自壊してゆくのを興味深く観察させてもらおう。愚行こそ人間の歴史だがそれが露になるのにはふつうかなりの時間を要するものだ。しかし、比較的わかりやすい愚か者ゆえ、反応過程が速く進むかも知れぬ。(11/7/2002)

 夕刊にこんな記事が載っている。

 拉致被害者を北朝鮮に戻さないという方針が政府から伝えられた同月25日、曽我さんは「そういうことならよろしくお願いします」と答えた。
 その夜、上林さん(注:高校時代の親友)は曽我さんの実家で話し込んだ。
 「なんでお願いしますなんて言うの。北朝鮮に帰りたいんだろ」
 「そりゃそうさ。お母さんだからね」
 「帰ったら、お父さんにも私たちにも会えないかも知れない。覚悟はあるの」
 「うん」
 2人の娘への思い。そして、日本に来れば、米国に「脱走兵」として送還される可能性もある夫の心配。上林さんの質問にうなずく表情には、複雑な状況にほんろうされる苦しみがにじんでいた。

 安倍官房副長官と中山内閣官房参事のコンビによる拉致被害者への説明行脚が終わったようだ。表向きは「説明」だが、じつのところは「説得」だったのだろう。「説得」のなかみは「どういうニュアンスであれ子供たちに会いに(どこかに)行きたいということは言わないでくれ。できるなら(家族の会と)政府が決めたように子供たちに日本に来てもらうことほ望んでいると言って欲しい」とそんなところ。「足並みを乱してもらっては解決するものも解決しなくなる」とまで言ったか。もはや日本政府にとってもこのことは、北朝鮮政府同様、国のメンツに関わることになってしまった。

 わざわざ問題を難しいものにした愚か者が誰だったかは問うまい。少なくとも蓮池・地村両夫妻に関する限り九分九厘解決済みだった問題は一気に五割の解決水準に戻ってしまった。もともと人質になる危険性があった彼らの息子・娘はいまや何らかのカードと交換でなければ取り戻せない人質になってしまった。クアラルンプール交渉の最後に北の代表が言ったと伝えられる言葉が不気味に響く。「彼らの子供たちの身の安全は保証する」。身体的な「安全」は保証されても内面に踏み込んだ精神面の「安全」は果たして保証されるだろうか。

 どのように推移しようとも、いずれ彼らは日本に「帰国」するであろう。その後のことを考えるならば、北の当局者もあからさまなことはできないだろうとは思う。しかし、善意にも悪意にもとりうる「効果的な」言語表現というものがある。小さな一言で人と人とを離間させることなど造作もないことだ。読みの浅い「政府決定」はそのために十分すぎる時間を北朝鮮当局に与えてしまった。親と子が、時をおかずに、直接話し合えば、危惧する必要もなかったさざ波が彼ら親子の間にたち、癒し難い不信感を生まないことを祈るばかりだ。(11/6/2002)

 通勤中のラジオで聞くコマーシャル。「息子から話があるという。最近大人びて、こないだ家族で食事に行ったときなど『携帯、マナーモードにしてある?』と言われた。オッ、来た来た。ちょっと照れくさそうにして、その顔、五歳の時のまんまだぞ」。だいたい西国分寺の駅で乗り換えの電車を待つ頃に流れるこれが最近のお気に入りだ。このコマーシャルコピー、いったいどんな人が作っているのだろう。

 鋭いのもある。「渚で妖精にあった。『何かひとつだけ、願いをかなえてあげるわ』。『じゃ、一億円』。『ハイ、(ドーンと言う効果音)』。『おお』。『でも、ここ無人島よ』。『シマッタァ〜』」。これなど、単なる落とし話ではなく、貨幣の本質まで考えさせてくれる。(11/5/2002)

 昨日の榊原英資の話の続きになりそうな話が日経ビジネスに載っていた。

 欧米の長期金利が9月中旬から10月上旬にかけて歴史的低水準を記録した。米国は1958年以来、99年1月を除くと英国は55年以来、ドイツは戦後最低の水準である。60年代以降、市場にインフレ期待が組み込まれたから、先進国の債券市場はインフレ期待がなかった時代に戻った。

 利子が時間経過を経済的価値に変換したものだとすれば、現在と将来とのあいだの価値ギャップが小さくなれば利子率が下がらなくてはならない。長期金利の低下という現象は、逆説的に少なくともここ十数年のあいだは経済成長がかつてのようなものにならないことを示している。

 借金をしてまで明日必要なものを今日買う理由はなくなった。いやカネがあっても必要なものを必要なだけ買うというかつてはごく当たり前だったことが復権したということだ。煽られた欠乏感と所有欲、右肩上がりの物価にせき立てられ、心の余裕を失わせるインフレ電車からストンと降りてしまえば、低成長・ゼロ成長のどこが悪いという気さえしてくる。本当に必要なものは存外少ないし、使わされたカネで買った享楽もさほどの価値があったとも思えない。

 記事はこんな風に終わっている。

 16世紀の「価格革命」(全般的インフレ)は貨幣現象で起きたのではないというのが現代の常識である。16世紀は人口増加が先にあり、必要な貨幣(銀)を米大陸から輸入したのである。実物経済が原因で貨幣現象はそれを追随しただけである。世界中でマネーが過剰な時に量的緩和をすれば、効果がないどころか過剰な投資をもたらし弊害である。「インフレは貨幣現象」という20世紀の通念から脱却することがデフレ経済対応への必要条件である。

(水野和夫「『インフレは貨幣現象』ではない」:日経ビジネス10.28号)

 低金利を嘆くことはないのかもしれない。預金は増えなくとも物価が下がれば、金利分程度は預金しているカネの価値が上がる。変な憑き物さえ落とせば、デフレともつきあっていけそうだ。所詮は外界の現象に過ぎないのだから。(11/3/2002)

 朝刊の榊原英資の話が分かりやすい。こんな具合だ。

――再生の対象は建設、不動産、流通、サービスの四つ。この分野が銀行の貸出全体の75%を占める。不良債権問題の解決はこの分野をどう整理・再編するかにかかっている。
――当初の竹中案は自己資本の算定ルールの急激な変更で銀行の国有化、公的資金投入を狙った。そこは出口で入り口ではない。・・・(中略)・・・出口から入ると、銀行は、国有化を逃れるため、自己資本比率を維持しようと資産圧縮に動き、貸しはがしで経済がおかしくなってしまう。
――構造的なデフレ時代にインフレ目標を設定しても製品価格の上昇につながらない。金融緩和でも銀行の貸出は伸びず、資金は国債投資に向かった。国債価格が上昇(金利低下)して、国債バブルになっただけだ。

 特別なことを言っているわけではないが、問題点を絞って無用の不安感の拡大を抑えていること、ここ十年の間に繰り返した失敗の教訓を正確に汲み取っていること、大局的な時代の流れの認識など、アメリカの禿鷹ファンドのための地ならしばかり考えている竹中との違いが大きく見えてしまう。

 榊原は東大卒だがいまは慶大教授。どうだろう何年たっても事態を悪くするばかりの無能大臣なんぞはそろそろ馘にして榊原に頼んだら。慶大閥で固めたい小泉の趣味にも適うはずだ。(11/2/2002)

 朝から松井のメジャー行きの話ばかり。

 松井がホンモノであることに異論はない。しかし、イチローがメジャーのボールゾーン、きわどい部分で勝負する変則タイプであるのに対して、松井はまさにストライクゾーン、正真正銘の正統タイプであることに若干の懸念がある。まさにメジャーの最激戦区で競争することになるのだから。

 それにしても十分に周囲の状況に配慮した発表時期、あの硬い言葉と笑い一つない表情、あまりに真面目すぎる。新庄くらいの「非」真面目さが必要だろうに。(11/1/2002)

 面白くもない日本シリーズを見て気分を損ねているうちに、世の中では、総合デフレ対策が発表され、日朝交渉がクアラルンプールで行われていた。

 中間報告で袋だたきにあった竹中金融相はいかにも小才のきく男らしい俊敏さで、あっさりと呑み込みやすいプランに書き換えて正式報告をまとめた。しかし、おおもとの実体経済の浮揚策についてはほとんど何も書かれていない。もっともつい最近まで「IT産業こそこれからの中心産業、電子政府が起爆剤」などという間抜けな空念仏にご執心だった竹中なぞによい知恵が出るはずもないが。瞬間値を計測してその数字の「改善」をすることしか発想できぬ学部生並みのレポートなどすぐに現実からおいてきぼりをくうだろう。いつまでこんな三流学者のヤブ処方につきあわされなきゃならんのだ、我々は。

 一方の日朝交渉も「拉致問題」にばかり焦点を絞りすぎた外交交渉の危うさを指摘する声が聞かれないのが不思議でならない。

 まず、「拉致問題」。帰国した5人の件の着地点は既に決まっている。残された問題が子供と家族の問題である以上、彼らが北朝鮮に引き取りに行き帰国する手順をどのように保証・担保するか、それだけのことだ。下級レベルで詰める技術的問題に過ぎない。それを「家族の会」だとか「救う会」などの素人集団の不安感にふりまわされて、この問題が継続して交渉が必要な件であるかのように扱い、かえって北に口実を与えてしまった。

 大局的にいえば「拉致問題」の三分一は解決済みだ。残された三分の二とは何か。ひとつは死んだと伝えられた「不明者」の件、もうひとつは北が認めていない拉致を疑われるその他の件だ。「家族の会」がまとめた疑問リストをつきつけ相手側から「あなたは外交官ではなく取調官なのか」と言われたことを快としている報道がある。バカバカしい、そんなものは自己満足に過ぎない。疑問点リストと回答リストの応酬で埒が明くとは思えぬ。「これに回答しろ」と言ってリストを渡すことがムダとは言わぬが「合わせ技」こそ必要だろう。例えば、国連機関や人権に関するNGOなどとの共同チームを組織して北朝鮮で強制調査するなどの方策の実施を要求する。それに対する答えこそ、「変わった」という印象を与えようとしている北のリトマス試験紙になるはず。

 しかし、国にとって「拉致問題」は最優先テーマではないはずだ。おりしも日経夕刊には「北朝鮮、核実験の恐れ」という見出しで、「(北朝鮮が)地下核実験を近い将来強行する恐れがあると米政府が判断、実験を未然に防ぐために対応策の検討に入っていることが明らかになった」という記事が載っている。アメリカ政府に意図があってのリークかもしれぬが捨て置く問題でもない。最優先テーマはよく言われる「北東アジアの安定」であろう。起きてしまったことの解決も重要だが、起こさないための駆け引きは、いまある生命が失われないためにより重要なことがらだ。

 多くの人が「強硬な姿勢をとれた」ことだけで無邪気に拍手している。木を見て森を忘れているくせに、その木すらじつはよくは見ていない。テレビに出て語るのは拉致被害家族ばかり。被害者本人は当惑の表情で自由なはずの社会との距離を測りかねているように見える。ひょっとすると彼らは思っているかもしれない、「日本もあまり自由な国ではないようだ」と。(10/31/2002)

 ついにライオンズは一勝もしないままに日本シリーズは終わってしまった。西口が先発、2回早々と斎藤にツーランを打たれて追う展開。しかし、それ以降はヒット一本に抑えて形を作り、5回裏、エバンスのツーランで追いついた。さあこれからというところで伊原は松坂を出した。「アチャー」と思った。第一戦で悪かったからではない。今年に限らず、松坂が大事な局面で期待通りに投げてくれた記憶は少ない。そういうピッチャーなのだ、松坂は。

 はたしてトップの高橋に死球。松井、清原と連続三振にとっても安心などしなかった。清原の打席で代走が盗塁し二塁となったからではない。松坂が打たれるのはこのシチュエーションからが多いから。花形打者を連続三振に切ってとりながら、その後を抑えられないのが松坂というピッチャーなのだ。続く阿部を追い込みながら死球。そこで松坂は舌を出した。「打たれるな」、確信を持ってそう思い、悪い予感はそのままあたってしまった。

 松坂で負け、松坂で失ったシリーズだった。いったい伊原は何を考えて、西口をさげ、松坂を出したのだろう。(10/30/2002)

 ワールドシリーズチャンピオンは結局アナハイム・エンゼルスに。新庄は、1−4で迎えた9回表一死一・二塁、ホームランを打てば同点という場面で代打にでたが空振りの三振。続くバッターのセンターフライで試合終了。リングは逃してしまった。リングといえば、もし、長谷川が今期マリナーズに移籍しなければ、長谷川、リングを獲得できたのに。残念。

 夕刊「素粒子」に山本夏彦の話。はてと思いつつヤフーで検索をかけると、23日に亡くなり昨日の各紙朝刊に載ったと知った。「山本夏彦研究サイト」には「識者コメント」なるものが収録されている。安部譲二がサンケイと東京に、加藤芳郎がサンケイに、久世光彦が朝日と毎日に。五紙に三人というタレント不足は、僻目の大家の呟きは読んだときの笑いがすべて、それ以上に買う者なしの現れか。

 彼の言葉で今どきぴったりなものをひとつ。「年寄りのバカほどバカなものはない」。なるほど、前後を捨てて言葉を切り取れば、思い当たることもあって、なかなかの名句だ。(10/28/2002)

 午前中はワールドシリーズ中継。3勝2敗で王手をかけたサンフランシスコ、7回表終了で5−0。ついに新庄はリングをゲットしたかと思ったが、「God bless America」中休みが入ってアナハイムが息を吹き返した。7回裏スピージオのスリーラン、8回裏アースタードのソロとグラースのタイムリーで計6点。シリーズは最終戦にもつれ込んだ。

 そして夜の日本シリーズ。もう何も書く気がしない。情けないぞ、ライオンズ。たしかに昨日も今日もジャイアンツはラッキーがライオンズにはアンラッキーとツキが偏ってはいる。しかし、もう少し気を入れてプレイしろ。あんな調子ではツキが回ってきても手からこぼれ落ちてしまう。(10/27/2002)

 昨夜のキム・ヘギョン(横田めぐみの娘)さんへのインタヴュー特番(フジテレビ)の是非が問題になっている。横田夫妻は「質問が適切ではなかった、可愛そうだった」と言っていた。たしかに「あなたのお母さんが日本から拉致されたということについて知っているか」という質問は、相手の境遇と年齢を考えれば配慮のない質問だし、そのうえで「日本に来るか」というのもデリカシーのない話だ。

 ところで誰でも浮かぶ疑問。「では、蓮池夫妻や地村夫妻、そして曽我さんの子供たちに日本に来るように伝えることはいったい誰がすることになるのだろう?」ということ。数日前に横田さんがまとめる家族の会は「帰国者は北朝鮮には帰さない、子供たちは日本に呼び寄せる」ということを政府に申し入れたのだったが、そのことは昨日のインタヴューに相当することを日本政府職員か北朝鮮当局者に委ねることを意味していないか。

 誰も被害家族を批判しない。犯罪被害者やその家族をお気の毒と思う心があるからだ。しかし、誰かきちんと彼らに対してアドバイスをする、そういうことがそろそろ必要な気がする。

 横田夫妻が北朝鮮に行くこと、帰国している5人をいったん北朝鮮に戻して子供たちと話をする機会をもたせること、これは必須ではないのか。それが北朝鮮に比べればはるかに豊かで自由な社会の示しうる余裕ではないのか。北朝鮮と同じベースラインに立って5人の綱引きをすることはないはずだ。それとも日本という社会に自信が持てないとでもいうのだろうか。

 しかし、それにしても、あれくらい素朴な容貌で、表情豊かに、しっかりした受け答えができる15歳の少女を最近どれくらい見ることができるだろう。そう考えると我々の社会に自信がもてない気分というのも頷けるような気がしてきた。(10/26/2002)

 日経ビジネス10.21号の緊急特集は「株安暴風圏」。トップに中前忠の談話が載っていた。世界はデフレの時代に入ったというのがポイント。

 過去10年余り、欧米は日本の経済政策がダメで日本経済がもたついていると見てきた。「失われた10年」という評価だった。その見方が急激に変わりつつある。日本がいち早くデフレに入った国で、欧米もこれから「失われた10年」を経験するという見方が強まってきた。
 言わば海図なき航海に乗り出す順番が日本が一番早かったという評価だ。欧米にも「失われた10年」に突入しないための知恵はない。日本をバカにしていた欧米の当局者の間で、過去10年間の日本の経済政策を勉強しようという機運が強まってきた。

 今朝の日経朝刊の「惑うマネー」で榊原英資が同じように「二十世紀をインフレの世紀とすれば二十一世紀はデフレの時代になる。日本経済は今、時代の最先端を走っている。(中略)デフレは日本にとどまらず、いずれ米国やドイツにも及ぶだろう」と語っていた。そうか、日本は依然としてトップランナーだったのか?!

 朝、民主党の石井紘基議員が刺され死亡。(10/25/2002)

 「帰さない」という方針が「政府決定」された。被害家族の会の要望を受け入れたものらしい。

 被害家族の気持ちはよく分かる。消息の分からない二十数年間、希望と絶望のあいだを振り子のように揺れ続けた日々。ためらうことなく国家犯罪を実行し事実を否認してきた国が一朝一夕に変わるはずはない。どのように説明されようと、ここでまたあの国に帰して再び会えるかどうかと思えば、もう二度とじりじりするあの日々の再来はいやだと思うのはごく自然なことだ。その気持ちが分からないわけではない。

 しかし、被害者本人のこれまでの二十数年間もまた軽いものではない。あえていうなら身にふりかかったことが我がことそのものであった者と結局のところその過酷な時間・日々を過ごしたわけではない者とには決定的な断絶がある。さらに彼らにはそれぞれに事情を明かしていない息子・娘がいる。子供たちにことがらのすべてと日本に永住帰国することを伝えること、そういう大事を第三者に託せばいいなどと考えるのは、およそ人間に対する基本的理解が足りない人にのみ可能なことだ。

 こうして考えてくると、どのようにすべきかは明らかだが、話はこじれはじめた。

 被害家族のうち親御さんはかなりの高齢だ。そろそろ子供帰りをしてわがままが目立ち始める年齢でもある。まず相手の状況を斟酌することが難しくなる、自分の主張をきちんと説明して意見を交換することもできなくなる。いらだったあげくは手近な権威に頼る。ふつうならば親類縁者の中の誰かが仲裁するのが相当なのだが、拉致問題が背景にあったために「家族会が政府に要望する」ことになった。

 ポピュリズムに支配されている政府はなにより批判されるのがいやという性向だから、「空気」にはからきし弱い。あっさり「政府決定」というお墨付きを出した。それぞれの親・兄弟は「政府決定なのだから従ってくれ」と言うのだろう。心配したとおり被害者本人はまたしても「国家意思」なる得体の知れないものに振り回されることになってしまった。彼らが何を言っても「北朝鮮の洗脳の結果」というレッテルが待っている。まるで精神病者扱いなのだ。彼らには同情を禁じ得ない。

 高みの見物をしている日本と北朝鮮以外の国は嗤っていることだろう。「十日先も読めないんだね、日本という国は」と。(10/24/2002)

 北朝鮮が核開発の継続を認めたことでアメリカでは北朝鮮の方がイラクよりも危険ではないのかという議論が出て来ている由。たしかに既に1、2発の核を保有していると考えられる北朝鮮と、いまだ保有するに至っていないと見られているイラクのいずれの「脅威度」が高いかとなれば、イラクに侵略の前歴があるとしても、ふつうに考えれば北朝鮮ということになろう。

 ではなぜブッシュは北朝鮮とは「外交努力で」といい、イラクには「外交はムダ、武力行使こそが唯一の方策だ」といっているのだろうか。おそらく、イラク攻撃のオフィシャルに主張されている理由、「イラクは国際社会を欺いて大量破壊兵器の開発を継続している、だからこれを力づくでも止めなくては将来に禍根を残す」という理由はまるっきりの嘘っぱちなのだろう。

 日曜日の朝日朝刊「風−ワシントンから」に西村陽一がこんなことを書いていた。

 米国の元兵器査察官スコット・リッター氏は、ブッシュ政権にとっては、さぞかしうっとうしい存在だろう。
 41歳。海兵隊の情報将校を経て、湾岸戦争後の7年間、国連査察団でイラクの兵器開発を徹底的に調べた。(中略)あまりのこわもてぶりに、イラク側は「カウボーイ査察官」として毛嫌いした。
 本来なら、イラクたたきを狙う米政府の強力な応援団になってもおかしくない。なのに、今は口を開けば「使いものになる大量破壊兵器はイラクにない」。(中略)
 一部の米国メディアに「裏切り者」「買収された」と批判されたが本人は意に介さない。「わたしが査察官の時、イラクの武装解除は95%まで進んだ。査察はうまくいっていた。その後、イラクが隠し事をしている可能性はある。だからこそ、ごまかしを見破る査察官がイラクに戻るべきなのだ。今の米国にはまともなディベートがない。戦争を防ぐには反対意見が必要だ」・・・(中略)・・・「わたしの手元には25ページにわたる95年8月のカメル氏(引用注:フセイン大統領の女婿、故フセイン・カメルのこと)聴取記録がある。亡命前、我々は既に生物兵器計画をつかんでいた。証言に驚くような新事実はなかった。米政府は、査察の信頼性を認めるとイラク侵攻の口実が弱まってしまうと思っているのだろう」。

 西村は一方的な意見紹介を避けるためだろう、続けて、「ただ、ほかの査察官OBは、これほど自信たっぷりではない」として、デビッド・フランズなる人物の「我々の質問から、イラク側は逆に生物兵器についての新しい知識を得たと思う」という言葉なども書いている。

 生物兵器の新知識を査察官の質問から得る、いかにもありそうなことで、実際、事実かもしれぬが、そんなことは笑い飛ばせるくらいのことが、今月はじめのニュースにあった。

 米国が80年代に、後にイラクが生物兵器の開発に使うことになる炭疽菌などの病原菌を同国に提供していたことが、米疾病対策センター(CDC)や連邦議会、国連査察団の資料や記録から明らかになった。(中略)提供があったのはイラン・イラク戦争時。目的は明確ではなく、ボツリヌス菌のワクチン製造に使われたともされる。
 イラク政府は国連の過去の査察に対し、大量の炭疽菌やボツリヌス菌を生産し、一部を兵器に用いたことを認めている。(10月2日付け朝日朝刊)

 このAP電に朝日は「イラン・イラク戦争で米国は、イラン革命の産油国への波及を恐れてイラクを支持した。今日のイラクの脅威は、テロ組織アルカイダ同様、覇権主義的政策の下で米国がまいた種が、自らに吹き返しているものだ」という識者の言葉を添えた。彼の国の場当たり的な友敵感覚に振り回されるのは、つくづくバカバカしいことだということがよく分かる。

 さて、では、北朝鮮よりもイラク攻撃にことさら熱心なブッシュの真の目的は何なのだろう。イラクにあって北朝鮮にないもの、それは石油だ。石油利権こそがイラク攻撃に執着するブッシュの本当の動機なのだろう。そう考えると、フランス、ロシアが安保理決議に難色を示している理由も頷ける。(10/22/2002)

 朝のニュースでワールドシリーズが始まっていることを知った。新庄は先発出場し5回にはセンター前ヒットを打った由。日本人のワールドシリーズ出場は、野茂でも、佐々木でも、イチローでもなく、新庄だった。(登録メンバーということでの出場ならば伊良部がいるが)

 新庄はあの軽口で「イチロー君は記録に残る選手、ボクは記憶に残る選手」といったが、初ホームラン、初グランドスラムなど、新庄は記憶だけではなく華やかな映像付の「記録」にも残りそうだ。渡米2年目でのワールドシリーズ出場、それもトレードでまわされたチームでのことなのだから新庄にはツキがあるのだろう。ひょっとしてサンフランシスコ・ジャイアンツが優勝でもしたら、あのリングさえ手に入れることになる。大りーガーでもリングに縁のない名選手がたくさんいるというのに。

 笹沢佐保が亡くなった。初期の「招かれざる客」や「人喰い」などは父が出張から持ち帰ったカッパブックスで読んだ。大人の世界になじむ最初の教材だった。先日は鮎川哲也だった。親しんだ推理作家たち、結城昌治、土屋隆夫、佐野洋、・・・はまだ存命か。(10/21/2002)

 国家的締め付けの強い国が話題になっている折も折、まるでそういう国こそが理想であるとでも言いたげな中教審の中間素案が、週半ばに報ぜられた。

【教育基本法見直しの必要性】
 現行法の理念は普遍的で今後も大切だが、新しい時代を切り開くたくましい日本人の育成の観点から、重要な理念や原則が不十分で、見直しをするべきだ。
一、国民から信頼される学校教育の確立
 グローバル化、情報化、男女共同参画など時代や社会の変化への対応、一人一人の個性に応じ能力を最大限に伸ばす、豊かな心と健やかな体をはぐくむ
一、「知」の世紀をリードする大学の役割の明確化
一、家庭の教育力の回復、学校・家庭・地域社会の連携・協力の推進
一、国家や社会を形成する「公」を創造する規範の再構築
 主体的に参画する意識や態度の涵養(かんよう)、国際性、日本人のアイデンティティー(伝統、文化の尊重、愛国心)
一、生涯学習社会の実現
一、教育振興基本計画の根拠

 一読、察するに、中教審に集められた「識者」諸氏はどうやら国語力が足りぬようだ。例えば、もし現在の教育基本法の理念が「今後も大切だ」と本気で思うのなら、冒頭の文章の末尾は「見直しをするべきだ」ではなく、「不足するものを新たに補うべきだ」と書くのが正しい。「大切だが」などと中途半端な書き方をすると、かえって「謀反の心あり」と疑われることになる。それとも現行法の「民主的国家」や「個人の尊厳」や「真理と平和を希求する人間」や「個性豊かな文化の創造をめざす教育」が「大嫌いだ」というのが本音で、これらを廃絶することが審議委員諸氏の隠された大望だというなら別だが。

 委員諸氏の国語力の不足は次にも現れている。「グローバル化」、「リードする」、「アイデンティティー」、これらの語はこの語をもってしなければ表現できぬものとは思えぬ。我が日本語はこれらの言葉でなくては同胞に意を伝えることすら適わぬほどに不備にして貧弱な言葉ではないが、諸氏の国語力を超えていたものらしい。

 最後に感想。どうやら審議委員諸氏は「愛国心」を強調したいようだが、およそ、真っ正面からキッと見据えるようにして「わたしのこと、愛してくださいッ!!」とか「あなたはわたしのことを愛さなければなりません」などという状況ほど鬱陶しいものはない。「ねぇ、わたしのこと、愛してくださる?」という言葉ですら、「グローバルな」空事の国ではいざしらず、少なくともこの国の大人の感覚ではゲンナリする言葉だ。それこそがこの国の「アイデンティティー」であった。そんなことも承知せぬ無粋の輩に教育を云々されたくはない。多くの者はそう思っている。

 蛇足のひとこと。年間の自殺者が交通事故死者の三倍にもなるような最近の状況を改められるほどの国ならば、愛国心など言わずして心に座る。道理とはそういうものだ。(10/20/2002)

 イラクで実施された大統領信任投票の結果、サダム・フセインは100パーセントの信任を得たというニュース。また、北朝鮮帰国者と拉致被害家族会との面談で、5人は横田めぐみさんについては全員、面識があると答える一方で、残りの7人についてはまったく知らないとの答え。

 どちらもピュア100パーセントという数字がかえって隠されたもののあることを雄弁に語っている。めぐみさんは小泉訪朝の日に書いた「猫の屍体」、そしてそれを補強するのが認識されていなかった12人目の拉致被害者、曽我ひとみさんという仕組み。

 風呂から上がってきたとき、ちょうど里帰りし同級生たちとワイワイやっている蓮池薫さんの映像が出ていた。なにか冗談めかした話をしていたらしい、彼がしゃべったことに彼の斜め後ろから「うそォ」という声がかかった。声の主の方を振り返ったときの彼の表情は、瞬時、前後の表情とはまったく違う、ハッとするほど険しいものだった。

 (ああ、ウソという言葉に過敏に反応してしまう、そういう心理的状況なのだな)、そんなことを思った。(10/17/2002)

 規格協会の「品質管理全国大会」二日目をJAビルで聴講した。東大の飯塚さんの「新しいクォリティマネジメントの原則」が非常に刺激的でよかった。「もっといいものを、もっとはやく、もっとたくさんつくる」という品質マネジメントに代わる新しい原則を論議して、多少、未整理ながらいくつかの原則に絞り込んで考えてゆこうという提案。彼は「いい会社」をアメリカ流の「株主価値の高い会社」ではなく「長生きできる会社」、どのようなビジネス環境の下にあっても生き延びて成長可能な会社とすることを基本に据えている。"Sustainable Growth"は時代のキーワードだ。

 面白かったのは「自分の会社の何がよくて、どのように強いのかを、きちんと把握して語ることができる重役が非常に少ない」という彼の体験談。数字を語ることはできても、数字を支えているはずの哲学を語ることができない、あるいはそもそもない。さすれば、状況の悪さは数字で認識できても、数字に現れる最初の要素をいじることしか思い浮かばないのは道理。したがって人的なリストラで粉飾し、やみくもな目標ガンバリズムの掛け声だけが荒野に響き渡る話になってしまう。金融、製造、流通、建設、そして経済政策ですら同じ病気。よくなるわけがないのだ。

 自己認識、自律的な行動、社会的責任感覚、そして公正で明確なビジョンに基づくリーダーシップの発揮、そういうルーチンを確立することができれば、いまはゲッテルデンメルングなのかもしれない。(10/16/2002)

 拉致被害者の帰国のニュースで持ち切り。冷静を装っている論調には「一時帰国」ということにこだわっているものがあるが、「肉親は北朝鮮に会いに来い」という当初の線を崩したからには、もう北朝鮮政府は「一時」ですまないことを織り込み済みと考えるのが妥当だろう。

 たぶん、彼らの子供のことこそが、北朝鮮当局にとって、また違う意味から、彼らにとっても最大の問題になるだろう。そして、それは、いまはそれを意識しているかどうか分からない日本政府にとっても、さらには、そういう意識をもたずに善人面している多くの日本人にとっても。

 あまり考えたくないことだが、彼らに連れられて「帰国」した子供たちにとって、日本の公安当局がいまの北朝鮮当局のような存在になる可能性は否定できない。仮にそうなっても、我々はその事態には気付かないはずだ、それは我々にとっての「空気」だから。人間は自分の体臭には鈍感なのだ。(10/15/2002)

§

(オリジナルの滴水録)

 拉致被害者の帰国のニュースで持ち切り。冷静を装っている論調には「一時帰国」ということにこだわっているものがあるが、「肉親は北朝鮮に会いに来い」という当初の線を崩したからには、もう北朝鮮政府は「一時」ですまないことを織り込み済みと考えるのが妥当だろう。

 たぶん、彼らの子供のことこそが、北朝鮮当局にとって、また違う意味から、彼らにとっても最大の問題になるだろう。そして、それは、いまはそれを意識しているかどうか分からない日本政府にとっても、さらには、そういう意識をもたずに善人面している多くの日本人にとっても。

 あまり考えたくないことがある。曽我ひとみさんの存在だ。なぜ、北は日本政府があげていなかった隠された拉致事件を自ら明らかにしたのだろうか。彼女をマイナスしたときに何が残るかということがそれを考えるヒントになる。曽我さんというカードを伏せると残るのは二組の夫婦。彼らを迎える家族の居所は新潟県柏崎と福井県小浜。いずれも原発銀座にほど近いところだ。容易に札束で跪かせることだけを考え、それ以上のことは何も考えずに仮想敵国に対面させて立地した日陰者「原発」。日本の柔らかい喉笛。

 彼らと彼らの子供たちはたぶん帰国することになるだろう。その時から日本の公安当局は「帰国者たち」をウォッチすることになる。彼らにとって日本の公安当局はいまの北朝鮮当局のような存在になるわけだ。仮にそうなっても、我々はその事態には気付かないはずだ、それは我々にとっての「空気」だから。北朝鮮の「空気」が持つ臭気に敏感な我々も、この国の「空気」が持つ臭気には気付かない。人間は自分の体臭には鈍感なのだ。

 バリ島爆弾テロの死者は187名。7割以上が外国人で、オーストラリア、イギリス、シンガポール、フランス、ドイツ、スイスなどが上がっているが、アメリカ人がいるという報道がないのが不思議。そういえば、6日に起きたイエメン沖のタンカー炎上事件もくだんのタンカーはフランスのものだった。

 これらの犯行は本当にアルカイダに関係のあるグループの仕業だったのだろうか?

 いや、もっと根本的な疑いだってある。アルカイダ・ビンラディンは本当にアメリカを付け狙う反アメリカ組織なのだろうか?

 911のあの時カリヤエフを思い浮かべた。最近はアゼフを思い浮かべることがある。テロリストグループのリーダーにしてオフラーナの放った密偵だった男

 アフガンにいたアルカイダの幹部たちが、もし、彼らの組織創設時と変わらずCIAとツーカーのままであったとしたら、彼らが煙のようにアフガンから消えてしまったことなど謎でもなんでもなくなるし、アメリカがいつのまにかビンラディンの捕捉について急速に熱意を失った不思議さも解消する。(10/14/2002)

 バリ島で爆弾テロ、死者百数十名とのニュース。週末世界中から訪れた観光客でごった返すディスコを狙ったもの。さらに前後してアメリカ領事館近くでも爆発があったが死傷者はなかったらしい。現地では早くもアルカイダの支援を受けたイスラム原理主義グループの犯行との見方が出ている由。

 仮にアルカイダとのつながりがあるとすれば、テロとの「戦争」を主張するアメリカの「戦争目的」が「ほぼ達成された」という伊奈久喜の主張は脆くも崩れ去ったことになる。馬鹿伊奈の戯言、如斯。(10/13/2002)

 週の最後もノーベル賞のニュース。今年の平和賞はカーター元大統領が受賞することになった。ノーベル賞がかなり政治的な賞であることもまたひとつの事実。今年は特にその色彩が濃いようだ。日経朝刊にはノーベル賞委員会ベルゲ委員長の言葉が以下のように伝えられている。

 「授与は現在の米政権のイラク政策に対する批判と受け取っていただいて結構だ」と述べ、イラクへの単独攻撃も辞さない構えのブッシュ米大統領を批判した。同委員長は「米国と同じ立場のすべての国に対するシグナル」とも付け加え、ブッシュ大統領を支持する英国やイタリアなども牽制した。

 「一期限りの大統領」と揶揄されたカーターだが、最近では偉大な「元」大統領と呼ばれているという。理由ははっきりしている。在職中「非現実的な理想主義」、「人権重視の弱腰外交」と非難されたその姿勢が、元大統領になってからも変わることなく着実な成果を上げ、時を経るにつれ光彩を放つようになって来たからだ。欲得と猜疑、高慢と強圧、そういうものが人間の本質というのも事実なら、それに嫌気をさすのも人間の一方の真実なのだ。

 ブッシュの演説を見るがいい。あの愚かさと醜さをむき出しにした表情、そしてしゃべり終わり、拍手を待つ間合いをはかるような卑しい目つき。あんなものをしょっちゅう見せられたら、どれほど理想が無力なものであっても、正面からまっすぐにあるべきことを主張し、それを希求する人が恋しくなっても不思議はない。それが人間というものなのだ。

 そしてアメリカ人が「あんなゴロツキを大統領にしていた時代」を恥じるときがいずれ来る。ちょうどマッカーシーなどというゴロツキ議員に国をあげてかき回されたあの恥ずかしい時代をいまでは思い出したくもないように。(10/12/2002)

 ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏のプロフィールが伝えられている。平凡な人という印象。栄誉が与えられようと与えられまいと、そういうことにはあまり頓着せず面白いと思うことには打ち込み、興味を覚えなければ打ち捨てておく、43歳にして「主任」というのはその結果なのかもしれないと想像する。彼にとって肩書き面の処遇はなにほどのものでもないのだろう。

 コメントを求められた多くの「偉いさん」が「日本の底力」とか「技術立国日本」などと言っているのが可笑しい。ふだん彼らはどんなことを言ってきたかしら。「商品化までの期間短縮」から始まって「企業のR&Dは遊びではない」、「研究者もコスト意識を持て」、「芽の出ない研究は1年で打ち切り」などと短期しか見ない「経営」に精を出してきたのではなかったか。

 研究開発が千三つである以上、技術立国とその底力は大いなる「無駄(に見えるもの、厄介なのはその中にほんまもんのムダとカスがあることだが)」に支えられているはずだし、また、それを許容する度量にも支えられていなければならない。それだけの肝っ玉を持った経営者、管理者がいまのこの国にどれほどいることか。

 田中氏のノーベル賞受賞は、受賞前の彼同様、栄達も栄誉も求めず、興味と面白さだけをエネルギー源にして黙々と技術課題に取り組んでいる多くの技術屋に、ほんの瞬時、ひょっとすれば自分もという夢を与えてくれた、そういう点で一大の快事だった。(10/10/2002)

 拉致事件で新展開。来週15日に生存する5人が一時帰国するとのこと。夜のニュースはこれとノーベル化学賞に島津製作所勤務の田中耕一氏が決まったことで持ちきり。

 拉致事件被害者帰国で昨日の朝刊のコラムを思い出した。そのコラムは、いろいろな報道やら、関係者インタヴュー、会社での雑談、いろんな場面で感じていた違和感、「なんかちょっと違っているのではないか」と感じていたことを実に的確に指摘したものだった。

 拉致問題についていろいろな意見を述べる人がいる中で、あまり言われないことがある。
 それは「自分が拉致被害者だったら」という想像である。
 あなたが拉致されたら、どうする? どうやって北朝鮮で生き延びる?
 あらゆる協力を拒んで、収容所で憤死するという選択もあるだろう。でも、私なら何としても生き延びたい。北朝鮮で生き延びるためには、拉致の趣旨からして、対日工作に荷担するということ以外にはオプションがない。
 私ならそれを選ぶ。それしか生きるチャンスがないのだから仕方がない。日本政府が救出のために何もしてくれないのなら自分ひとりの才覚で生き延びる以外にどういう道があるのか。
 今回生存が確認された人たち、あるいは名前の出ていない被害者の中には、「帰るに帰れない」という人が含まれていると私は思う。そのことはあまり公言されない。被害者の家族たちへの配慮なのかもしれない。しかし、メディアに横溢するナイーブな同情を私は信用しない。そのような情緒的反応はいつでも帰国者への陰湿な攻撃に転じうるからだ。
 生き延びるために北朝鮮の政治工作にコミットした人がいたとしても、それを攻める資格は私たちにはない。そのことを被害者の帰国を前に、国民的な合意とすることが必要だと私は思う。

内田樹(神戸女学院大教授) 朝日新聞「eメール時評」から

 「なんの制約もなかったら、帰りたいというはずだ、そう言わせないなにがあるのだ」と言われれば、半分はそうだろうとは思うものの、いや、人間にとって20年という時間、数千日に渡る日々の生活、その間に築き上げたものは、簡単にひょいと放擲できるものでもないだろうという想像もあった。

 大声で拉致被害者の即時帰国を叫ぶ人は、どれほどの深さからその主張をしているのだろうか。拉致被害家族、お気の毒ではあるけれど、彼らは自分の側からだけ発言しているのでないか。彼らに被害者本人たちの気持ちを汲む心のゆとりがあるだろうか。雄弁に弁ずる者ほど、実のところ、よく分かってはいない。「言う者は知らず、知る者は言わず」だ。

 帰国の手だてについて支援を惜しむべきではない。しかし、国家犯罪に一生を狂わされた人を、周囲の者の思い込みや、まして政治的な思惑の中で、さらにもみくちゃにすることもまた避けるべきだ。そのコラムを読みながらそんなことを考えていた。15日にはこのあたりの事情を垣間見ることができるのではないか。たぶんそれはマスコミ報道からは洩れてしまうことだろうが。(10/9/2002)

 東大名誉教授の小柴昌俊氏にノーベル物理学賞というニュース。あちこちのニュース番組でインタヴューを受けた小柴氏の話をききながら思ったことは、ノーベル賞を取るほどになるためには、強く念ずる才を持つか、面白さに忘我する才を持たなければならないということ。人はなかなか自分や自分の仕事を信ずることができない。いろいろなことが見え、いろいろなことが聞こえ、いろいろなことが身の内で囁く。東大をビリで卒業したと称する彼は「バカの効用」をいいたいのかもしれぬ。

 思えばそれはビジネスの場面でも同じ。今夜の「プロジェクトX」でセコムの機械警備システムを開発した担当者がこんなことを言っていた。「自分の仕事を本当にいいと思って続けることです。失敗というのはやめてしまうから失敗なのです」と。とくに最近は、個人の中でそういう葛藤が起きる前に、ちょっとした組織には小利口な奴がごまんといて、競うように早々と「駄目だ、数字が上がらない、儲からないよ」と弁じ立てる。まるで自分の小才を誇るかのように。

 「プロジェクトX」の舞台が組織機構が整っていない時代を背景としているのは、功成り上がった過去を追いかけているせいばかりではない。一見よい環境の中にいながら、ものが育たないこの不毛性は、管理屋ばかりがのさばっているこの現実に多くの原因がある。(10/8/2002)

 新聞記事的には7日がアフガン空爆開始から一周年ということで朝刊にはその特集が載っている。(正確にはアフガン空爆開始は日本時間では2001/10/8深夜)

 日経朝刊「風見鶏」に、アメリカの、というよりはブッシュの茶坊主、伊奈久喜が「自衛隊はペルシャ湾で米軍を後方支援すべきだ」などというバカバカしい主張を例の小狡い書き方で述べている。日経が、サンケイじゃあるまいに、これほど非論理的な文章を平然と掲載しているのは「不思議」の一語だ。少しだけ愚か者の愚か者たる部分を記録しておこうか。

 前段に「アフガニスタン政権は一月余りで崩壊した。米同時テロの主謀者は生死不明だが、無事ならば何らかのメッセージを発しているはずである。戦争目的はほぼ達成された」と書いた部分がある。まず浮かぶ疑問、アフガン空爆は「戦争」だったのだろうか。百歩譲ろう、あれが戦争だったとすると意図され、そして「達成された」という「戦争目的」はなんだったのだろうか。「同時テロの主謀者の生死が不明」でも「戦争目的は達せられた」とはどういうことなのだろうか。じつはこの部分は全体の枕で、主な論点は別にあるのだが、「本論」はブッシュのプロパガンダそのもの、読む価値はまったくない。(だいたいテロ掃討がどのようにしてフセイン政権の壊滅につなげられるのか到底常人には解し難い理屈)

 可笑しかったのは、同じ日経夕刊に、伊奈の主張をひっくり返すようなニュースが載っていたこと。アルジャジーラが対米テロ継続を予告しているビンラディンの録音テープを放送したというもの。中にイラク攻撃に言及したと受け取れる部分があるため、最近録音されたものと推測される由。

 あれが「戦争」だったかどうかはじつは問題ではない。ビンラディン、その人を亡き者にできたかどうかも本質的な問題ではない。アメリカが公式に主張したことをそのまま真っ正直に受け取るならば、アメリカがその存在を主張したテロリストとその組織を根絶できたかどうかこそが問題だったはずだ。個人の内なる心にまでつながってしまうような、そういうことがらを国家的な武力の発動でなくすることができたかどうか、それこそがアメリカが「戦争目的」と呼んだものを達成できたかどうかの判定基準だ。

 しかし、その「目的」はいまだに「達成」できてはいない。放送されたテープがそれを示している。テープの話者が話したという「さらなるテロ」を彼らが実行し得るかどうかは分からない。しかし、テロを行う意思を持って日々を過ごす者が少なからずこの世界を徘徊しているという事実がある以上、アメリカの「戦争目的」は何も達成できていない。これが論理的な答えというものだ。(10/7/2002)

 朝、健康管理センター前の林を抜けて、その向こうにマンションを見たとき、入社した頃はあそこがグラウンドで野球大会などもしたんだったと思い出した。工場前にあった組合会館もとっくに取り壊して民間マンションが建っている。近々、正面のかつて塗装工場だった場所も売却するとか聞いた。いまや、この工場にはものを作る現場はひとつもなくなった。

 たしかに経営は絶好調と言えず、資産の切り売りをしつつあることは事実だ。しかし、必要なものまで売るほど窮しているわけではない。モノづくりの工場からシステム工場に変わり、敷地を必要とする施設が不要になったこともまた事実なのだ。

 森嶋通夫の「なぜ日本は没落するか」の中に、LSEに寄付された資金の運用法についてイギリス側の理事と寄付をしたトヨタの豊田一郎、サントリーの佐治敬三とでちょっとした論議があったというエピソードが書かれていた。イギリス側の理事が「株」に投資すべきだと主張したのに対し、豊田と佐治は「土地」に投資すべきだと主張したというのだ。森嶋は「土地と無関係に経済が反映しうることを実証してみせたこの日本の代表的な二大会社においてすら、伝統的思考は根を張っていたのである。何れにせよ日本人の土地崇拝の根は深い」と書いていた。

 多くの人はまだ地価の状勢をバブル後遺症として見ているのかもしれないが、たぶん、生産の内容そのものが、この工場に見るように、広大な敷地を要するものから人間の頭脳のみを絞るものに移りつつあって、必然的に土地への必要性に質的な変化が訪れている、そう考えた方がいいのではないか。(10/4/2002)

わたしは不幸にも知っている。時にはうそによるほかは語られぬ真実もあることを(芥川龍之介)

 拉致事件調査団の帰国報告内容のニュースを聞きながら思い出したのはこの言葉だった。死因も、遺骨の状況も、もう書き留めるにも値しない。伝えられた「事実」の集積が雄弁に「真実」を語っている。

 なるほど、肝硬変で死ぬものはあろうし、心臓病で死ぬものもあろう。交通事故死はあろう。ガス中毒死もあろう。あるいは自殺もあるかもしれない。しかし、たった十人にもみたぬ人たちの、たった二十年足らずの時間に、これらが集中することはあり得ない。

 小泉首相は「北朝鮮は誠意を持って対応したようだ」と言ったそうだ。もしそうだというなら、彼の国にはまず疾病統計を提出して欲しい。さらに交通事故統計と自殺に関する社会統計も添えるべきだ。その上で彼の国では、壮年の男女十二人を集めその二十年にわたる追跡調査をすれば、半数以上はこのようにして落命することが不思議ではなく、当たり前のように起きうることなのだと示してもらいたい。(10/2/2002)

 西友が輸入肉を国産と偽って販売した不祥事の処理策としてレシートになしでも申し出があれば返金するとしたところ、自称「客」が殺到、返金額が売上金の三倍以上にも達したというニュースがちょっとした話題になっている。狂牛病騒ぎの中で一流と思われていた会社までが偽装し不当に返金を受けようとした。恒産がある企業でさえ利益追求のためには恒心を失うご時世だ。ちょっとぐらいの衣食に満足しない礼節をわきまえぬ個人が跳梁跋扈するのは驚くにはあたらない。(10/1/2002)

直前の滴水録へ


 玄関へ戻る