第6章 霊能養成会と青年心霊グループの代表を迎えて
霊能養成会のメンバーを中心として開かれた交霊会で、シルバーバーチは矢つぎ早の質問を受けた。

──地上では肌色による人種差別が問題となっていますが、霊界でもあるのでしょうか。

「霊の世界が何もかも明るく美しいとものばかりと思うのは間違いです。なぜなら、そちらの世界から送り込まれてくる者によって構成されているからです。

もしそちらから送り込まれてくる者が聖人君子ばかりであれば、死後の世界は今すぐにも天国となるでしょう。ところが残念ながら、現実はおよそそれとはかけ離れております。私たちが迎え入れる者の中には、性格のいびつな者、無教養の者──霊的なことに無知な者──がいます。そういうものを学ぶ環境に置かれていなかった人たちです。

また、利己的なことにばかり奔走して、霊的な側面がまったく眠ったままの状態でやってくる者もいます。ですから、霊の世界を美と光と素敵さばかりであるかに想像するのは間違いです。

霊の道具となるための訓練をなさっているあなた方の役目、つまり霊能者となるための仕事は、人々に地上生活の本来の生き方を教えることによって、少しずつでも霊の世界の暗い部分を無くしていくことなのです。

そうすれば、どちらの世界も明るくなります。地上天国を願うのであれば、そうするよりほかに道はありません」

容易でない霊能者への道
──霊的悟りへの道はなぜこんなに酷しいのでしょうか。

「霊的な褒賞が大した苦労もなく簡単に手に入るものだとすれば、それはあえて手に入れるほどの価値はないでしょう。霊性を磨く道は容易ではありません。困難の連続です。奥深く踏み入るほど、平坦な人生にはない体験ばかりとなり、孤独を味わうようになります。

しかしその一方で、内面的にはそれに似合っただけの埋め合わせ──霊性の成長、悟り、背後霊との結束の強化、インスピレーションの増幅、直観的な価値判断力の向上、といったものが身につきます。霊的な成長の成就というのは、そうしたものを身につけることを言うのです」

──誠実さ、一途さ、献身性をそなえた優秀な霊媒が育った時の、そちら側の反応はどのようなものでしょうか。

「潜在的な霊能者を探し出し、それを指導して〝使いものになる霊媒〟、つまりこちらから伝達する知識や叡知を純粋な形で受け止めてくれる段階にまで持っていくには、大変な時を要します。そして、その段階に来てから、今度は、内的な成長を成就する段階が始まるのです。

そういう献身的な霊媒、つまりこちらからの指導を素直に受け入れてくれる有能な人材を確保した時の喜びは、ひとしおです。その霊媒を通してさらに大きな霊力を地上へ送り込み、それだけ多くの成果が成就されるからです。

地上というところは今もって混とんとして、悲劇と暗黒と無意味な苦悶にあふれ、間違った生き方、間違った考えが生み出す病いに苦しめられております。

そうしたものを一掃して地上なりの威厳と光輝にあふれた生活を創り出す資質を内部に秘めているにもかかわらず、現実がそのような状態であることが哀れに思えてなりません。なぜ人間は暗黒の方を好むのでしょうか。

が、そこにあなた方の活躍の場があるのです。死別の悲しみに暮れている人には死後の存続の事実を教え、病気に苦しむ人には癒やしを与え、生きる目的を見失っている人には本当の〝人の道〟を教えてあげるのです」

指導霊による大審議会
──White(ホワイト) Brotherhood(ブラザーフッド) という指導霊ばかりの組織があるそうですが・・・・・・

「地上の同志を通して最大限の霊力を注ぎ、霊的知識を広めることを使命として働いている高級霊の組織です。きわめて高度に組織された集団です。

私たちはこうして地上で行なった仕事の成果を報告するために、ある特定の時期(地上のイースターとクリスマスに当たる)に地上圏から離れ、私たちの本来の住処である界層に帰ります。

そこで全員が一堂に会し、さらに高い界層から私たちを指揮しておられる方々から計画の進捗ぐあい、つまりどこが成功しどこがうまくいっていないかを指摘していただき、総合的な地球浄化の計画の今後の進展のための指示を仰ぎます」

訳者付記── White(ホワイト) Brotherhood(ブラザーフッド) という用語は交霊会では何度か出ていたのであるが、霊言集に出たのはこれが最初である。シルバーバーチのいう〝大霊〟はもともと Great White Spiritといい、直訳すれば〝大いなる白色の霊〟となる。

それをシルバーバーチも大てい White を略してGreat Spiritと言っている。この〝白色〟というのはシルバーバーチのいうShining Ones(光り輝く存在)のShining、すなわち光り輝いている様子をそう表現したもので、すでに形体を失い、ただ白く輝いている存在で、ここに紹介したイラストで言えば、神界に属する。


死後の界層
コナン・ドイルが死後まとめて送ってきた死後の界層のイラスト
(Ivan Cooke ; The Return of Arthur Conan Doyleより) 本誌p177

実はシルバーバーチも本来は神界の存在でありながら、この地球浄化の大事業のために、あえてバイブレーションを下げ、このイラストでいえば霊界の上層まで降りてきて、そこから例のインディアンを中継して放送している。

そういう指導の霊団は地球全体に組織されていて、それをホワイト・ブラザーフッドと呼んでいるのである。どうやらその最高責任者がシルバーバーチらしいのであるが、徹底して謙虚な態度を取り続けるシルバーバーチは、そのことを明からさまには言わない。

なお、前の一節のあと、「シルバーバーチが祈りの言葉を述べた」とあるが、それは省略されている。たぶんいつもの通りだからであろう。私の推察ではその時の会場は厳粛な雰囲気にあふれ、シルバーバーチも自然に祈りの言葉が出たのであろう。

それが終わってから、たぶん自分が地上の人間とは格が違うという印象を与えないようにという配慮からであろう、養成会メンバーに向かって次のように述べている。このあたりがいかにもシルバーバーチらしいと言えよう。

霊能者の責務
「かく申す私も、あなた方と同じく一個の人間的存在に過ぎません。叡智のすべて、真理のすべてを知り尽くしたわけではありません。地上でいう時間の概念でいえば、私は皆さん方のどなたよりも長い期間を生活してまいりました。その結果として皆さんよりは多くの知識を蓄えております。

それを、受け入れる用意のできた人に分けてあげるべく、これまでの道を後戻りして地上圏へ降りてくれないかとの要請を受けたのです。もしも私の述べることが皆さんのお役に立てば、それだけでこうして私が戻ってきた価値があったことになります。

今夜ご出席の皆さんが霊能力の開発につとめておられるグループであることは承知しております。霊に宿された資質であり、それを開発することによって、あなた方のもとを訪れる人々のために役立てることができます。

霊力はもはや確実に地上に根づいております。かつてのように、無きものにすることは出来ません。いかなる人間も、またいかなる権威をもってしても、今や確実に根づき、そして着実に広がりつつある霊力を地上から追い払うことはできません。

地上界をそういう世界にすることが、霊界の高い界層の進化せる存在によって目論まれた計画の一環なのです。目的はただ一つ、地上人類に本当の自我に目覚めさせること、つまり、

本来は霊的存在であり、それが今は物的身体を通して表現しているに過ぎないこと、そして、内部には神性を帯びた無限の可能性が秘められていて、それを少しでも多く発揮することが地上生活の目的であることを教えてあげることです。

霊力は生命そのものです。あなた方のいう〝神〟の分霊です。生命とは霊であり、霊とは生命なのです。霊はいかなる形態を通してでも生命を表現しています。大霊から出たものが私たち霊界の存在を通して地上圏まで届けられ、地上のチャンネルないしはミーディアム(霊媒)を通して地上に注入されております。それが物的身体の奥に宿る霊性に活力を賦与し、潜在する霊的資質を発現させることになるのです。

なぜ今の時代にそれが必要かといえば、それは唯物主義がもたらした混乱、黄金の子牛の像の崇拝、すなわちお金第一主義がはびこり過ぎたからです。

唯物主義はその本質自体が貪欲、強欲、自分第一主義に根ざしています。同じ天体上に住んでいながら、自分以外の者への思いやりも気遣いも考えず、ひたすら自分の快楽と蓄財に励みます。敵対関係、戦争、怨恨──こうしたものを産み出すのは唯物主義です。

物質がすべてである、死はすべての終わりである。だったら自分の思うままに生きて何が悪い、という論法です。

こうした自己中心の考えが地上界に暗黒と困難、闘争と暴力と憎み合いを生み出すのです。人間は霊的存在としての宿命を背負っているのですから、その宿命を成就するための生き方をするには、そうしたものを無くさないといけません。

残念ながら、慣習となっている伝統的な宗教も哲学も教育も、今では頼りにされなくなっています。とくに若い世代はそっぽを向いています。愛する人を失った時と同じように、悩みや苦しみを持つ人は教会や寺院やシナゴーグ(ユダヤ教の教会堂)を訪れますが、もはやそこには真の救いを与えてくれる人はいません。

病いを得た者が病院へ行っても、必ずしも治してもらえるとはかぎりません。哲学者も納得のいく答えを与えてくれません。

あれほどの鋭い頭脳を持った人が・・・・・・と思えるほどの学者でも、心霊現象を研究してその真実性を認めた先輩の科学者たちの業績を見て、ただあきれ返るばかりで、理解できずにいます。その気になれば今でも同じ実験ができるのですが・・・・・・

あなた方は、そうした現象を起こす霊力と同じものを顕現させて、他の何ものによっても出来ない形で人のために力になってあげることができます。

死別の悲しみに暮れる人を慰め、病いの人を癒やし、人生に疲れた人に生きる元気を与え、迷える人を導き、全生命の基盤である永遠の霊的実在を証明してみせることができます。

霊というものは実体のないもののように想像されがちですが、あなた方は霊こそ実在であることを証明してみせることができます。死後の生命の実在、不治の病いの治癒、その他諸々の霊媒現象によって立証できます。

それは人間本来の生き方の基盤を提供することでもあります。そういうものを必要とする人は、あなた方から呼び掛けなくても、向こうから訪れるようになります。

訪れた人に何らかの力になってあげることができたら、そういうチャンスを与えて下さったことを大霊に感謝することです。もしも力になってあげることができなかったら、あるいはもしその人がまだ霊的に目覚める用意ができていなかったら、自分自身でなく、その人の為に、密かに涙を流してあげなさい。

あなた方としては、何時でも手を差し伸べられる用意をしておくことが大切です。あなた方自身も、そういう人がいてくれたからこそ霊的真理に目覚めることができたのですから。

神は、御機嫌がいいと褒美を与え、腹を立てるとバチを与えるというようなものではありません。原因と結果の連鎖が、摂理に則って自動的に、あるいは機械的に、途切れることなく続くのです。何事にも自分が責任を負うのです。

良い行ない、つまり人のためになることをすれば、自動的に霊性の向上という結果が生じます。反対に、人間の煩悩から過ちを犯した場合、言いかえると物的欲望に拘りすぎて堕落した生活に陥った時は、自動的に霊性が低下します。

人のために役立つことをしただけ、それだけあなた方も他人から、ここぞという時に手を差しのべてもらえるのです。

そうした生活を続けていると、内なる輝き、内なる落着き、内なる平安というものが具わってきていることに気づきます。それは、霊の世界の援助者との繋がりがより緊密になってきていることの証拠です」

青年心霊グループの代表との対話
その日は青年心霊グループPsychic Youth Group の代表四人が出席していて、質問の順番が回ってきた。最初に出された質問は複雑だった。

──われわれ青年グループと同じように、今多くの若者が真実を求めております。われわれの子供が育つ環境をより良いものにしたいと願っております。そんな時になぜ人間どうしが殺し合い、傷つけ合うのでしょうか。なぜ人種どうし、あるいは宗教どうしで憎み合うのでしょうか。

なぜこうまで愛が乏しいのでしょうか。われわれは平和が欲しいのですが、いつ、どういう形で平和になるのでしょうか。われわれの先輩──われわれよりも人生の知恵を身につけているはずの世代が成就し得なかったことを、果たしてわれわれに為し得るでしょうか。われわれにあるのは若さと力とやる気です。

そして無知と愚かさ、強欲と憎しみをなくすための闘争に参加したいのです。何かアドバイスをいただければ有り難いのですが・・・・・・

「これはまた、大変な質問をして下さいましたね」と言ってから、改まった口調でこう続けた。

「あなたのおっしゃる〝無知〟と〝愚かさ〟は別に今に始まったものではありません。したがって、それを一晩のうちになくする魔法のような手段はありません。大自然の働きの基調は革命(レボリューション)ではなく、進化(イボリューション)です。進化の過程はゆっくりと、そして着実に進行します。

物的なものの生長も、無理強いすると取り返しのつかないことになります。霊的なものも同じです。一気呵成に事を成就させようとすると誤ります。

悲観的な気持ちからそう申すのではありません。霊的実在に少しでも目覚めた者は希望に溢れた物の見方をすべきであると、私は常々説いております。

無知から、あるいは愚かさから、人間がいかに無謀なことをしても、それにもおのずと限界というものがあります。大自然には法則というものがあり、そればかりは人間にはどうしようもないからです。

といって、今すぐ提案できる万能薬は、私たちも持ち合わせません。申し上げられることは、霊的知識が広がり、その結果として無知が少なくなるにつれて、人間同士の対立が減り、戦争が減り、強欲が減り、光明の地域が増えていくということだけです。

私たちが人間に代わって地上環境を改めるわけにはいきません。受け入れる用意のある人間に霊的真理を教え、その人に生き方を正してもらうことしかできません。

人間にも、ある一定限度内でのことですが、選択の自由が与えられています。大霊の創造活動の一端を担って進化に貢献することもできますし、それを阻止したり、遅らせたり、邪魔立てすることもできます。それもアンチテーゼ(対立要素)としての貢献なのです。

大霊は人間を、操り人形やロボットとしてこしらえたのではありません。大霊の属性のすべて、いわゆる神性を潜在的に所有しているのです。ですから、自らの判断力を行使して選択すべきなのです。戦争という手段を選ぶことも許されます。が、

戦争では問題は解決されないどころか、さらに問題を生み出すこと、強欲や自己中心の考えは、その内部に自分自身の破滅のタネを宿していることを知るべきです。

ナザレ人イエスも〝剣を取るものは剣にて滅ぶ〟と言っております。それくらいのことは人間もいい加減に悟ってほしいものです。あなた方としては、一人ひとりが、出来うる範囲内で霊的知識を広めることを心がければよろしい。

自分自身が光明を見出したように、今度は誰か自分以外の人たった一人に光明を見出させてあげることができたら、それだけでこの度の地上生活は有意義だったことになるのです。以上が私から申し上げられるお答えです」

別のメンバーが代表して「正直言って現在のスピリチュアリズム運動は次元が低く・・・・・・」と言いかけたところ、シルバーバーチが──

「ちょっとお待ちください。私はその〝スピリチュアリズム運動〟とやらには関心はありません。私たち霊団としては霊的能力のある人、あるいは、それを発達させる段階に来ている人を援助することを仕事としており、その人がどこかの団体組織に属しているか否かは問いません。

組織というものはそれなりの目標を持って活動しており、それはそれで結構です。が、私たちは、いついかなる場においても人の役に立つことをする人を援助することをもって、第一の責務と心得ております。

名称はどうでもよろしい。スピリチュアリスト、セオソフィスト(神智学会員)、ローゼクルーシャン(バラ十字会員)、こうしたものはただのラベルにすぎません。肝心なことは、各自がその能力に応じて精一杯、真理の普及に努力することです。

霊媒能力を私たちが重要視するのは、その能力を通して地上界で真理普及のために最大の貢献ができるからです。途方もなく大きな責任を担ったものであり、その能力を授かった者には聖なる信託がなされているのです」

麻薬の問題
──麻薬中毒がとくに若い世代に急速に蔓延しておりますが、何が原因でしょうか。私たちに出来る救済手段があるのでしょうか。

「あります。ヒーリング、つまり霊的治癒エネルギーを使用することです。実はこのエネルギーは、危険な薬物の中毒になっている人でまだ救済の可能性のある人に、常時注がれているのです。治癒エネルギーも大霊を始源として発せられている霊力、または生命力そのものであることを銘記して下さい。

霊力は活力であり、動力であり、全生命活動の推進力です。霊なくしては生命は存在しません。あなた方が動き回り、呼吸し、思考を働かせるのも、霊であればこそなのです。

その霊力が、麻薬によって身体と精神と霊の調和を乱され活力を弱められている人に、治癒エネルギーとして作用するのです。麻薬がその三者の調和を乱し、自然な生命力の流れを阻害しているのです。

霊的治療を施す能力が備わっている人とは、その治癒エネルギーのチャンネルとしての役割が果たせる人のことです。

その人を通路として、ちょうどバッテリーの切れた電池に充電するように、活力の衰えた人に生命力が注がれ、病気の原因となっている障害を取り除いてしまいます。薬害を取り除くためにさらに別の薬を使用するというのでは、本当の治療にはなりません。

麻薬がこうまで蔓延する原因は簡単です。彼らは希望を失っているのです。挫折感に襲われ、悲観的になっています。実在というものに触れたことがなく、といって唯物的な生き方にも共鳴できず、生きる道を見失っているのです。

そこで麻薬に手を出すのですが、それで解決になるわけがありません。さきにも申し上げた通り、大自然の基調はイボリューションであり、レボリューションではないのです」

──有色人種と白人との間の溝を無くす最善の方法は何でしょうか。

「手本を示すよりほかに方法はありません。あなた方の生きざまによって、魂にはイエローもレッドもブラックもないこと、肌の色は魂の本性とは何の関係もないことを示せば、偏見によって謂われない妨害や禁止、排斥にあっている人々の注視を引くようになります。

大霊は人類の肌色を色とりどりに分け、全体として調和が取れるように配慮しておられます。白い肌は霊の優位の証明ではありません。有色の肌は霊が劣等であることの証明ではありません。霊の優劣は内部の神性がどれだけ発現しているかによって決まります」

臓器移植の問題
──心臓移植は霊的観点からみてどうなのでしょうか。

「何ごとも動機が大切です、もちろん地上的生命を永らえさせること(救命)を目的としているケースもあることは認めますが、一つの実験が別の実験への勇気を生み、それがいつしか〝救命〟という目的から外れていきます。

それに関連してもう一つ言わせていただきたいことは、動物を使って行なう残酷な実験には、霊的観点からみて何一つ価値は見出せません。残酷性の中から人間の健康のカギは見出せません。人間のエゴから行なう実験で大自然の秘密は解明されません。

私は臓器の移植には賛成できません。実は、輸血にも賛成できないのです。あくまで私個人としての意見ですが、肉体的生命の維持(死なないようにすること)が第一の目的であらねばならないとは考えません。

私の考えでは、人間としての正しい生き方──霊的に、精神的に、そして物質的にどういう生き方が好ましいかを教えることこそ、第一の目的であるべきです。

心の持ち方が自然の摂理に適っていれば、おのずと品行も方正となり、身体も健康となるはずです。それを臓器を取り替えることで解決しようとしても無駄です。最良の解決法は自然の摂理にかなった生き方に戻ることです。

そしてもう一つ指摘しておきたいことは、人間は同胞への思いやりと同時に、この地球という天体上に生息している動物への思いやりも持たねばならないということです。大霊は動物を人間の物的生命を引き延ばすための実験材料として地上に送っているのではありません」

──ということは、心臓移植は結局は成功しないと明言してよいでしょうか。

「上手くいくケースもあるでしょうけど、私が申し上げているのは、移植手術という手段は霊的観点からみて方向を間違えているということです。

人間の幸福の一環としての健康に人生を捧げている人たちのすることではないということです。臓器移植で健康を回復できません。本来健康とは調和状態のことです。臓器移植は一時的には身体に継ぎはぎ細工をするようなものです」

──人体は他人の臓器を拒否するように出来あがっているのでしょうか。

「最も大切で、しかも極めて単純な真実を知っておかないといけません。あなた方人間は、肉体と精神と霊とが最初から一体となって生まれて来ているということです。三者は分離できないのです。他と置き替えることもできません。全体として一個の存在を形成しているのです。

健康であるためにはその三者が一体性・調和・リズム・協調性を保たないといけません。ですから、健康を回復させるのは薬ではありません。医術でもありません。これらは一時しのぎの気安めにすぎません」

── 一時しのぎと知りつつも臓器移植を望む背景には、死への恐怖があるのではないでしょうか。

「地上人類の無知がそうした恐怖心を生むのです。死というものを、できることなら逃れたい恐ろしい化け物のように考えています。死ぬのが怖いのです。

が、死は自然の摂理の一つの過程に過ぎません。不老長寿は地上生活の目的ではありません。地上界はトレーニングの場です。いずれは行くことになっている次の段階の生活にそなえて勉強する学校です」

神と人間
──神とは何なのでしょう?

「神、私のいう大霊の全体像は、言語によっても絵画によっても描写することはできません。言語も絵画も限りあるものだからです。小さいものが大きいものを包含することはできません。が、大自然の営みをよく観察すれば、ある程度の理解は得られるでしょう。

大自然が法則によっていかに精密に制御されているかを、よくご覧になることです。顕現の仕方はまさに千変万化でありながら、その一つ一つにきちんとした配慮が行きわたっております。

極微のものであろうと壮大なものであろうと、生命あるもの、動くもの、呼吸するもの、存在するもの全てが、自然法則によって制御されているのです。

法則の支配の行きとどかないものは何一つありません。四季は一つずつ巡り、地球は地軸に逆らうことなく回転を繰り返し、潮は干満を止めることがありません。タネを蒔くと、そのタネの中に宿された種が芽を出します。別の種が出てくることはありません。

法則の支配は絶対です。どんな新しい発見が為されようと、またそれがどこでなされようと、同じ法則の支配を受けます。何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見逃されることもありません。

何一つおろそかにされることもありません。そうした働きの背後にある力は何なのでしょうか。それが無限なる存在、すなわち大霊なのです。

人間を途方もなく大きく拡大したものを想像してはいけません。旧約聖書のエホバ神のようなものではありません。復讐心に燃え、不機嫌になって疫病を蔓延させるようなことをする、気まぐれで怒りっぽい神さまではありません。

歴史と進化の過程をみれば、地上界がゆっくりとした速度ではあっても、常に前へ、そして上へと進んでおり、その背後で働いている力が(人間的な善悪の観念でいえば)善を志向する存在であることを示しています。

これをさらに発展させていけば、すべてを支配し、すべてを管理し、すべてを指揮し、しかもすべての内部に存在する、無限の愛と叡智をそなえたあるもののイメージが浮かんできます。それを私は大霊(グレイト・スピリット)と呼んでいるのです」

──それに関連してよく出されるものに〝神への回帰〟の問題があります。神へ回帰した時にわれわれの個的存在がなくなるのではと考える人がいます。

「進化の究極の目的はニルバーナ(涅槃・寂滅)に入ることではありません。霊的進化は限りなく個性を増幅していくことです。個性が消えていくのではなく、増していくのです。潜在する無限の資質を発達させ、ますます多くの知識を吸収し、個性がますます強化されてまいります。

大霊は無限の存在です。ということは、進化は無限に続くということになります。完全性が成就されることはありません。どこまでいっても完全へ向けての努力の連続です。その結果がより大きな自我を見出すことにもなるのです」

──進化はどこまでいっても〝中途〟段階であるとして、ある一定の段階に到達することがどういうことなのか、表現できるものでしょうか。

「それはできません。到達する界層ないし境地は言語を超えたものだからです。意識と自覚の程度の反映です。そこまで到達した者にしか理解できない性質のものです」

──究極のことをこう表現してもよいでしょうか。つまり、最後は大いなる意識(神)の海に埋没してしまうのではなく、その海の深さが個性の中に吸収されていく、ということです。

「いいですね、なかなかいい表現だと思います」

──洞察力とは何でしょうか。

「その人ないし霊が受けるインスピレーションです」

──物的な富や財産は霊的成長にとって必ず障害となるのでしょうか。

「いえ、必ずというわけではありません。しかし、難しくすることは間違いはありません」

──叡知を身につけるためには経済的に貧しくないといけないのでしょうか。

「そんなことはありません。霊的な叡知を物的な貧しさとを天秤にかける必要はありません。ただ、物的な富を所有し、さらにそれを増やそうとする欲望は、残念ながら霊的成長の障害になる傾向があることは確かです。

それよりも、地上の人間として正しい生活を心掛けていれば、必要なものは必ず与えられるものなのです。まず神の国を求めれば他のものは全て添えて与えてくださるというイエスの言葉は、その通りです。どちらを優先するかの問題です」

自由意志と宿命
──人間には完全な自由はないのでしょうか。

「ありません」

──地上生活で宿命というものがどの程度の役割を演じているのでしょうか。

「とても重要な役割を演じています」

──どういう役割か、ご説明願えますか。

「摂理によって規制されたさまざまな力の働きの一部です」

──仮に私が〝そういう仕事をすることになったのは、あなた宿命です〟と言われた場合の宿命とは、どういう意味でしょうか。

「あなた自身がその仕事を選んだということも有り得ます」

──外部の力によって予定通りにそうなったということでしょうか、それとも私自身の意志で選択したということでしょうか。

「どちらのケースも考えられます。つまり外部からの力があなたの選択を促すということです。自由意志も行使できますが、宿命的な力も働くということです」

類魂と再生説
──生まれ変わり(再生)を認めておられますが、なぜ、そして何の目的のためにでしょうか。

「地上生活が存在のすべてであるという考えで満足しておられる方は、どうぞ、そう思っておられて結構です。が、今その身体に宿っている霊は以前にも別の身体に宿って別の側面を見せていたということが考えられるのです。

つまり、あなたは大きなダイヤモンドの一側面で、一つ一つの側面が別々の時代に地上に誕生して、その体験をおのおのが持ち帰ってダイヤモンド全体の進化に貢献しているということです」

──そのダイヤモンドの一側面は類魂(グループソウル)の一つということだと思うのですが、私なら私が他の幾つかの魂のための体験を持ち帰るというのは、生命の永遠性を考えると論理的でないように思えるのですが・・・・・・

「全宇宙にわたって作用と反作用が起きております。どんなに遠く離れた土地の人でもあなたに影響を及ぼして、全体としての知識の増加に貢献しているのです。身体的にも精神的にも霊的にも、絶対に孤立した存在は有りません。

グループといい、ダイヤモンドといい、言語では表現できないものを、強いてそういう用語で表現しているだけです。

一体〝あなた〟とは何なのでしょう?〝あなた〟という個的存在はいつから始まったのでしょう?受胎した時からでしょうか。

ナザレのイエスは〝アブラハムの前にも私はいました〟と述べていますが、これはどういう意味だと思われますか。霊としては自分は常に存在していたということで、あなたも私もそうなのです。その永遠の時の中で、幾つかの側面が幾つかの時代に地上に顔を出すということは有り得ることです」

ホームサークルの若いメンバー ──私は常づね〝グループソウル〟(集団を構成している魂)よりも〝ソウルグループ〟(魂の集団)と呼んだ方が分かりやすいのではないかと思っているのですが・・・・・・

この意見に、シルバーバーチは直接答えずに、普遍的な問題を改めて述べた。

「あなたの霊性進化の道が開けるに従って内的な真理の悟りが深まります。私にはその場しのぎの安直な答えを述べるわけにはまいりません。私自身が体験した結果として学んだことしか述べられません。

私の申し上げることが受け入れられない方たちと議論する気はありません。ご自分の理性が反発するものは拒否なさいと申し上げております。もしもこうした私の気持ちに同調して下さり、そして出来うることなら私への愛がいただければ、それは皆さんの理性が私の申し上げることを真実と認めて下さったことの証しに違いありません。

反対に、皆さんの理性によって私への愛着心まで消えてしまった時は、私たち霊団の努力が失敗に終わったことを意味します。

ですから、私はあくまでも確信の持てる知識を基盤として、皆さんの問いに正直に答える必要があるわけです、そうした厳しい査定をパスすることによって、さらに高いものを求めて、一歩一歩、霊性進化の道を歩もうではありませんか。

これからも皆さんには楽しいことがたくさん待ちうけております。が、難問にも遭遇するでしょうし、困難も常に付きまといます。完全な世界の完全な存在ではないからです。あなたも不完全ですし、世の中も不完全です。が、自由意志をお持ちです。世の中の不公正とあなた方自身の欠点を正していく機会にも恵まれます。それが皆さんの仕事です。

いかなる知識を得ても、それをどう使用するかについて新たな責任が加わります。あなた方への信託が増したということです。その信託を裏切ってはいけません。皆さんの生きざまによって、これまでに得た知識にふさわしい人間であるだけでなく、これから与えられる新たな知識にもふさわしい人物であることを示さないといけません。

あなたは比較的お若い年齢でこうした霊的知識と出会う機会とめぐり合ったことを喜ばないといけません。多くの人が鬼火を追いかけ、幻影を抱き、実在を見出すことなく、暗い影の中で生きています。

最初に述べましたように、今夜こうしてここに集った私たちは、わくわくするほど素敵な冒険に挑んでいる同志なのです。

皆さんは無限の可能性の貯蔵庫です。それを引き出して人生に活用した時、その展望は目も眩まんばかりのものとなります。どの程度まで引き出せるかは、皆さんの努力次第です。そこに自由意志を働かせる余地があるわけです。成功の程度はあなた自身が決めるということです」

地上界は訓練学校
別の日の交霊会で〝サイキック・ニューズ〟紙のレポーターをしているクリス・ライダー氏がフィアンセと一緒に招待されていた。

まずシルバーバーチの方から歓迎の挨拶をした。
「この交霊会にお若い方をお迎えするのを私はいつも楽しみにしています。地上人生の早いうちから霊的知識と出会って、大変しあわせな方だと思うからです。

地上界が抱える問題の一つは、無意味な生活をしている人が多すぎることです。自分がどちらへ向かってるのかを知りません。自分がどこにいるのかも知りません。何のために生まれてきたのかも分からずにいます。

地上生活の何もかもが、そういう人にとって無意味に思えるのです。人生とは大きな〝?〟に過ぎません。神(ゴッド)という言葉も、それが何であるかを知らずに使っております。自我を成長させるチャンス───内在する美と威厳と気高さと壮大さと豊かさを発見させる機会をことごとく失っております。

肉体的にはちゃんと目と耳と口をそなえていても、霊的には何も見えず、何も聞こえず、何も語ることができません。

こうした人達が地上を去って私たちの世界へ来た時、意識的にも能力的にも、新しい次元への備えがまったく出来ていないために、こちらで一からやり直さないといけないのが厄介なのです。訓練学校である地上界の方がよほど学びやすいのです。

その点、あなたはすでに永遠不変の霊的真理を知り、無限の生命機構の一端を理解し、みずからもその活動に参画し、人のために役立つことをすることの大切さもご存知です。

もとよりそれは口で言うほど簡単にできることではありません。いろいろと難しいことが生じます。問題も起きます。しかし、そういうものを嫌って安楽な道を選ぶ人は、私には用はないのです。

そうした葛藤を強いられるのは、あなたの地金を試すためです。克服すべきものとして次々と困難が用意されるのです。それを一つ克服するごとに、内在する霊的能力と霊性がより大きく発現するのです。

忘れないでください。私達は地上のガンともいうべき唯物主義の勢力と、かつてない大規模な闘争を繰り広げているのです。その最前線で将軍として活躍していただく人材は、その役柄にふさわしい霊力を身につけて貰うために鍛え上げないといけません。

ですから、あなたも困難を歓迎しないといけません。地上生活で生じるいかなる困難も、背後霊団の力で克服できないものはありません。今夜この会に集まっている方々は、信じられない程の働きかけを身をもって体験しておられる方ばかりです。

その力は、あなたの意志で操ることはできません。こうあって欲しいというあなたの望み通りに従わせることはできません。命令はできないのです。

が、同時に、霊団側が一方的に命令を下すこともしません。この道の仕事はあくまでも協調です。今日ご出席のベテランのメンバーに聞いてごらんなさい。もうダメだと思った窮地、それこそ十一時五十九分になって、救いの手が差し伸べられたという経験をお持ちの方ばかりです。
いかがですか、皆さん、今私が述べたことに反論なさりたい方がいらっしゃいますか」

魂が永遠に消えない傷を負うことはない
「私はおっしゃる通りだと思います」とレギュラーの一人が言うと、シルバーバーチが続ける。

「皆さんは霊的知識という要塞をお持ちです。霊力という兵器庫が、イザという時に持久力と増援を提供してくれます。困難との闘いを前にして逃げ出すよりも、堂々と闘って敗ける方が立派です。

それによって一時的には傷つくかも知れませんが、永遠の魂にまで傷が及ぶ事は絶対にないとの自信を得るきっかけとなるでしょう。永遠なる生命は無限の可能性を提供してくれます。

毎朝の到来が素敵な機会の前触れです。霊的並びに精神的にわくわくする体験をもたらしてくれます。毎朝、新しい世界が誕生しているのです。大いなる気持ちで迎えることです。

そして一日が終わって、これから一時的にその肉体を離れる(眠る)前に、今日一日のうちに人のために役立つ機会をいただいたことを大霊に感謝すると同時に、自分の行なったことに間違いがなかったことを祈ることです。

もしも明らかに間違っていたと思われることがあれば、もう一度やり直す機会を下さるようにお願いすることです。失敗を恐れる必要はありません。転ぶということは、もう一度立ち上がることができるということです。一度も転んだことのない人は、真っすぐに立つということがどういうものかを知らない人です。

物質界も霊界も限りない可能性と素敵な褒賞と永遠に色褪せることのない富── 一度手にしたら二度と失うことのない宝を提供してくれます。

黄金は地中から掘り出された時から輝いているわけではありません。打ち砕かれ、精錬され、不純物を取り除かれて、ようやく純金の輝きを見せるのです。立派な人材も、困難との葛藤を経てはじめて本物となるのです。

永遠不滅に真理にしがみつくことです。影がさし、太陽の光が遮られても、それは一時的に雲が通りかかったに過ぎないと思いなさい。その雲の後ろでは太陽が輝いているのです。

逆境の時にも、大霊の愛が働いているのです。人生の計画は必ずその通りに推移します。皆さんは今、わくわくするような体験をさせてくれる人生の出発点に立っていることを喜ばないといけません」

何かご質問がおありですかとシルバーバーチから言われて、〝サイキック・ニューズ〟のレポーターのクリス・ライダー氏が訊ねた。

──私は、他の多くのスピリチュアリストと同じように、普遍的な生命原理の存在と地上人生の有り方を知識としては知っているつもりです。ところが現実には、いけないと知りつつも自然の摂理に反することをやっては、痛い目にあっております。

正しい知識を手にしながら相変わらずそれが実行できないのは、どこがいけないのでしょうか。

「それはまだまだ霊性がひ弱だからです。強健でないからです。これで答えになりましたでしょうか」

──まったくそうだ思います。が、簡単なことが意外に実行できないものですね。私はまだまだです。

ところで、宇宙の摂理に従って生きる方法を同胞に教えるにはどうすればよいかという質問に対して、あなたは〝手本を示すことです〟とおっしゃいました。

私には、手本はそこらじゅうにありながら、それが無視されているように思えるのです。何か別の方法を考えるべき時期に来ているのではないかと思うのですが・・・・・・

「たとえば?」

生きざまによって手本を示す

──手本を示すこと以外に、何かもっと良い方法はないものでしょうか。

「でも、うまく行けば、これほど効果的なものはありませんよ。

よくお考えなさい。地球が生まれてからずいぶんと年月が経っています。科学者も地質学者も地球の誕生の頃のことはあまりよく知りません。それも無理はありません。百万単位の年数の差も大して問題とならない程、悠久の歴史があるのです。

言わばその地球の管理人の立場にあるのが大霊です。もちろん人間的存在ではありません。神々しい人間でもありません。私が〝愛と叡知の権化〟と呼んでいる、崇高なる力です。無限の知性であり、全知識と全真理の極致です。

あなたも、地上界についてある程度の知識をお持ちです。地上の生命活動がことごとく自然法側によって規制されていることもご存知です。結果には必ず原因があります。

自分が蒔いたタネは自分で刈り取るのです。四季は一つ一つ順序よく巡ります。地球の回転も地軸にさからうことはありません。潮は干満を繰り返し、その正確さは数式できちんと計算できるほどです。

銀河系の大星雲といえども、その中の星の一つ一つ、惑星の一つ一つ、そして星座の一つ一つが、それぞれに定められた軌道上を動いているのです。

あらゆる草木、花、果実、野菜、小鳥、人間の男女、子供の一人一人にいたるまで、不変の自然の法則によって規制され、考え得る限りの行動や変化もきちんと認知されているのです。

こうした大機構の中にあって人間は、手本によって学ぶように大霊が配慮しておられるのです。あなたは〝他にもっと良い方法はないものでしょうか〟とおっしゃいましたが、そういうものはありません」

薬物の使用は禁物
「分かりました」とクリス・ライダー氏は答え、さらに次のような質問を述べた。

──ある種の薬物を使用することで一時的に心霊能力が覚醒した状態となります。私はこのことに関心を持っています。これは将来の霊的能力の開発の新しい方法として一考の価値があると思うのですが、いかがでしょうか。

「断じて、そして真っ向から、私は薬物の使用には反対です。
心霊能力は人類に先天的に潜在しているものです。霊が使用すべき能力として用意されているのです。物質と霊とをつなぐ懸け橋であり、当然開発し発達させるべきものですが、あくまでも鍛錬と正しい心掛けと生き方の中ではぐくまれるべきものであって、

不自然な促進剤の使用によって行なうべきものではありません。一個の種子を例にとっても、それを不自然に促成栽培したらどういうことになるか、ご存知のはずです。

薬物によって幻覚症状が誘発されることがあることは事実です。それによって一時的に身体と精神と霊とのつながりが緩められるからです。しかし、そんな状態で実在を直観し次元の高い啓示に接することはできません。

さらに、それ以前の問題として、私は、たとえ健康のためであっても薬剤を使用するのは間違いであると考えます」

──おっしゃることは分かるのですが、そういう代替の手段もあってもよいのではないかと思うのです。今のお考えは古い薬物観ではないでしょうか。

「そういうご意見にも私は耳を傾けてまいりましたが、いかなる手段を講じようとも、インスタントコーヒーを入れるような調子で霊性を発現することは出来ません。霊性の伴わない能力を発揮してどうしようというのでしょう? まだ反論なさいますか」

──正直を申しますと、ここへ来た時はあくまでも自論を主張してやろうと思っておりましたが、お話を伺って我が身の浅はかさを恥じ入っております。

「恥をかかせるつもりなど毛頭ありません。私は人を傷つけたり辛い思いをさせるようなことを申し上げたくはないのですが、永遠の真理から外れるようなことを申し上げるようになった時は、私の使命から外れたことになってしまいます。

薬物中毒患者──いかなる種類のものであれ、安易な手段、手っ取り早い方法で幸せを求めようとする堕落者──を扱うのも、私たちの仕事なのです。

いけません!幸せに近道はありません。タネ蒔きと刈り取り、原因と結果の法則が厳然と存在するのです。万一その摂理が逆転して、一瞬のうちに罪が赦されて聖人君子になれるとしたら、神の公正が愚弄されたことになります。摂理の働きは絶対なのです。

人間には三つの義務があります。自分自身への義務、生活を共にする者への義務、そして地上の同胞への義務です。自分一人の勝手な振舞いは許されません。

薬物を使うのは自分の勝手という言い訳は許されません。正しい手段で、しかも努力の積み重ねによって身につけないといけません。もしも努力も葛藤もなしに得られるものだったら、それは初めから手に入れる価値のないものです」

──分かりました。最後にもう一つだけ質問があります。

さる有名なスピリチュアリストの本に、戦地で戦友と共に一瞬のうちに戦死して、その時のショックがその後も残っている霊の話が出ておりました。あなたのお話では霊が傷つくことはないとおっしゃっていますが、この場合はどう理解すればよいのでしょうか。

「一時的に傷つき、ショックが残ることはあります。が、肉体の傷が癒えるのと同じで、そのうち正常に復します。

事故死や戦死のような予期せぬ状態での死は霊にショックを与えます。死というものに何の予備知識もなかったために、その反動のようなものが生じるわけです。それで調整期間というものが必要となり、その間に自分が置かれている身の上についての理解と、霊的感覚の覚醒を促します。

あくまでも一時的なものです。霊が取り返しのつかない傷を負うことはありません」