レクイエム(鎮魂の文集)2
[配偶者、妻との死別]

奥様(妻)を亡くした夫の文集






癒しの広場


お願い ご投稿の期間は、数か月以上空けてください。







奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ 六通目

■みっちへ。 
 
 五通目で書いた通り、12月20日から1月11日まで、
オフクロが北海道からここ、埼玉にきてくれたよ。 

2010年の夏にみっちが逝ってから、この家に俺以外の
人間の声が響き渡る事がなかったから、何だかすごく妙な
気持ちになっちゃった。

親子で喧嘩しながら、仲良く過ごしたよ。
みっちの事を話しながら、二人で泣きました。

みっちが亡くなって1年と半年が経った今、どうにか
こうにか冷静な気持ちを取り戻し、何とか前を向いて
生きています。
でも、疲れている時とか、仕事で嫌な事があった時、
いわゆる心が不安定な時は、やっぱりまだダメ。
みっちを思い出して、涙が止まりません。

本当に立ち直るには、5年も6年もかかるって聞くけど、
それ、やっぱり本当なんだろうなぁ。

本当の意味の立ち直りまで、このサイトにはお世話に
なろうと思っていますので、管理人さん、宜しくお願い
いたします。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

逢いたい

一周忌の法要に君は来ていたんだね。だって、そうでなければ
アイツ(愛犬)があんなことするはずがない。動物にだけわかる
霊感があるのだろう。何かにすがりつくような哀しげな鳴き声が、
お経が続く間ずっと聞こえていた。そしてその夜にアイツは
出て行った。

幸にして帰っては来たけど、大けがをして今は動物病院に入院
している。そしてアイツを助けてくれたのも君だったんだね、
ありがとう。

でも、僕も君を感じたかった。君の温もりや君の優しさをもう
一度この身体で感じたかった。みんなが帰った後の淋しさは
どうしようもなく、今の僕は何時にもまして抜け殻になって
しまっている。時間なんて何の解決にもならない。君が居ない
生活に慣れることなんてきっとあるはずがない。ただただ、
思い出しては泣いている僕が居るだけ。あきらめるにも
あきらめきれない僕が居るだけ。

こんな僕を君は嫌いになるかもしれない。君のために強く
生きて行かなきゃと思ってはみても、人前では強がっても独り
の時間はどうしようもなく辛い。

今日ももう直ぐ日が暮れる、長い長い夜が僕を待っている。
ただただ君に逢いたい。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

まーチャン元気だよ

早いな、、もう7年目になるね。まーチャンの実家に嫁もらいに
行って、お父さんから一升瓶を出されて「飲みにゃんせ」って
言われて全部飲んだ後に「何しに来なさったと」と言われ、
座布団とって「娘さんを貰いに来ました」だったな。
お父さんの返事は「体だけは丈夫ですから」が返事だったね。。
決まり。その日は翌朝まで市内地を飲み歩きました。。

結納に行ったら「仮祝言だ」って言われて祝言をあげましたね。
2回も式をあげました。

25周年の時に僕は飲み歩いていて店の人に怒られて、鉢植えの
シクラメンを買って帰ったね。。炬燵の上で、綺麗に咲いていま
した。まーチャンが「ねー明日病院に連れてって」て行った時は
ビックリしました。でも診察の後に先生から呼ばれて「なんで
ここまで放っておいたのですか」怒られました。余命は2か月です。
と言われた時は足が震えました。子宮癌と言われ緊急手術しまし
たね。僕は告知日から会社を休んで最後まで一緒にいました。。

最後まで僕はまーチャンに告知は出来ませんでした。4か月後、
苦しむ様子も無く行っちゃいって。僕は一生分の涙を流しましたが、
今でもやっぱり悲しくて泣いてます。

今、どこに居ると思うかい?マレーシアだよ。海外出張は多かった
けど今度は海外赴任です。皆に単身赴任ですか。と言われますが、
独身赴任です。と言い返してます。
息子もまだ彼女も居ないようです。

もう、日本へ帰る気はありません。でもまーチャンのお墓を建てる
予定だからそん時は秘密で帰国するな。

まーチャンは日本とマレーシアはすぐだろ。見守っていてな。。
今年の3月で結婚30周年だな。。
僕が行くまでちゃんと待ってろよ。まーチャン



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する妻へ

公ちゃん もういちど、会いたい

あなたがドラマのように突然この世から亡くなり
一年半が過ぎました
当初、あなたに送った手紙に、
苦労掛けた事 楽しかった思い出 愛している事
そして あなたに捧げた言葉
これからは
天国で自由に飛び回り楽しんで下さいネと送った事
そして僕は一人で家を支えて行きますと誓った事

でも今はもう一度 会いたい、あなたの優しさに触れたい
綺麗なレストランに入り 食事し デートしたい
毎日、涙の日々 あなたに会いたい
この悲しみの日々 淋しい日々いつまで、続くの
今、耐えきれず 現実を受け止められず
別の世界へ逃げたい

僕は最近 一人コンサートに行きます
現実を離脱し別の世界で涙を流し
一人カラオケに行き 現実を離脱し別の世界で涙を流す
以前なら なんでもない事と思っていましたが
普通に一人で決断し行動を起こす事が出来ない
自分の自信のなさが信じられません
こんな小さな事まで
ここまで自分が落ち込むとは思っていませんでした

今、僕の夢は一人旅に出かけたい
(本当はあなたと二人で) 
なるべく遠く 海外へ旅行に出かけたい
今の現実を離れて 大きく離脱したい
困難な旅もあなたと力をあわせ旅をしてみたい
きっと、楽しい 面白い 旅になるよネ

あのネ 今も公ちゃんの着けていた腕時
今も確実に動いてます 永遠に止まらない時計
いつまでも 公ちゃんの事、
愛してます 永遠に忘れません



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

さゆへ

 さゆ・・昨日、さゆの実家へ行ってきたよ。
お義父さんもお義母さんも元気だったよ。最近、仕事が忙しくて
なかなかお墓にも行けなくてごめんね。

 さゆが逝ってから100日が過ぎたね。でも、やっぱりだめ
だな・・普通じゃないよね・・休みの日なんか何をしていいのか
わからない。

 いつもさゆと一緒だったからな。さゆのいないクリスマスも
終わり、さゆのいないお正月が来ます。正直、辛いです。何を
するのも、どこへ行くのもさゆと一緒だったから

 車に乗っていても助手席にさゆはいない。でもね、つい
「さゆ、どこに行きたい?」って話しかけてしまう。
俺も50歳の誕生日を迎えてしまったよ。さゆ、俺はもう
少し頑張って生きていくよ。お前が一番可愛がってくれた
ヒロはまだ学生だし、俺にはまだまだやらなきゃいけない
ことがあるからな。そして、時期が来たら、迎えに来てくれ
よな。今度会う時俺は、いい爺さんになってると思うけど、
さゆはかわいいままだね。嫌いにならないでくれよ。

 俺の妻はさゆだけ・・俺の女はさゆだけ・・
今でも愛してるよ。これからも大好きだよ。
ずっと・・・ずっと・・・さゆだけだよ。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ちえたんへ

 君が逝って2か月と5日か。耐え難く、苦しい、1日1日を
やっとの思いで過ごしている。あれはまだ、今年のことだったん
だね。2月に、出張先にめったに連絡してこない君から「検査で
すごく怖い結果が出た」って。皮膚がんの手術は一応は成功だっ
たけど、次の瞬間から圧倒的な勢いで病気が転移していたんだね。
今思えば、大学病院の検査を離れて、わずか数ヶ月、病気のこと
をお互い忘れて過ごせていたのが救いか。

 最後は1か月と少しのホスピスでの入院。「私、死ぬの?って、
発語がおぼつかなくなってしまっていた君が一生懸命に質問して
いた。亡くなる4日前だったっけ?ようやく、お互いわかった上
で、本音で話せたな。

 高2の長男へもメッセージを残してくれたし、「良い別れがで
きた」なんて、無理矢理そう思おうとしたけど、やっぱり、君が
いない現実は本当に、耐えられないほどつらい。何百万回名前を
呼んでも君は帰ってこないのに、家の中はすべて君のいた時の
ままなんだ。

 仕事で息子ともすれ違い、気持ちも生活もすさんでいるよ。何
をしても、やりがいがない。どんなささいなことも、君が喜べば、
君と一緒に行こう、そう思えればこそ、楽しかったんだよ。いつ
までこの闇が続くのでしょうか。

 ただただ、貴女に会いたい、もう一度、抱きしめたい。
それだけです。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ 五通目

■みっちへ

2010年8月18日に、みっちが自ら命を絶ち、永遠の
眠りについてから、1年と4ヶ月が経つんだね。
ベッドで冷たくなったみっちを見た時の、衝撃の光景…。
まるで昨日の事のようにハッキリと脳裏に焼きついていて、
そして、その光景が何度も何度もフラッシュバックして、
そのたびに、とても辛くなります。

でも最近は、これで良かったんだ、お互い楽になれたんだ
って、思うようにしています。じゃないと自分自身、
心の逃げ場所が無くなって、息も胸も詰まってしまって、
普通の精神状態じゃいられないんだ。

だけど、本当は、毎日みっちの香りを嗅いでいたい。
その身体を抱きしめたい。
そう想って、今でも、ほぼ毎日、涙を流しているんだよ。

もうじき、二度目の一人ぼっちのクリスマス、そしてお正月を
迎えようとしているけど、今年はね、実家の北海道から
オフクロが来てくれるんだ。
みっちと過ごしたこの家に、初めて他の人が泊まるよ。
オフクロにはみっちの部屋を使ってもらうよ。いいだろ?

12月20日から、約1ヶ月ほど滞在してもらう予定です。
その間、僕は、いい歳して親のすねを齧ろうと思います。

みっちが育てた庭のバラも、僕は手入れの仕方が解らず、
放置気味だったけど、オフクロにやってもらうつもり。
みっちの思い出話とかも、いっぱいしようと思います。
ちょっと楽しみなんだ。

新年を迎えたら、六通目を書きます。
じゃ、またね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

久しぶり
この前の11月27日は18回目の結婚記念日でボンが亡くなって
2回目やで
そしてW選挙の日やってんで
ボンが嫌いやった元弁護士以外を投票したけど
あっさり負けてしまったよ 残念やな

まあ記念日に箕面の滝まで位牌と遺骨入りのブレスレット持って
わしと一緒に行ったからいいやろう
楽しかった? 懐かしかったか?
ボンが病気になってから 健康の為に何回も行ったよな
ガンが乳 リンパ 骨 肺 皮膚 肝臓と全身に転移して
ほとんど動けなくなってから
「死ぬまでにもう1回箕面に一緒に行きたかった」
って 言って泣いたよな
ちょうど記念日が日曜日で良かったよ
約束守ったぞ

これからもわしと一緒に何処へ行く時もついてきてや
一人で何も出来ないあかんたれやからね
これから先 生きていくのに
仕事 家事 近所付き合い 服のセンス 家電の買い替え
引っ越し 娘の学校の事 娘の結婚の事など不安だらけや
まだまだわしに チカラかしてくれよ
いつまでたっても ボンに頼ってばっかりやな
何もしてやれんかったのにな
命にかえても助けてやるって言ったのに助けられへんかって
ゴメンな
ボンが亡くなって1年8か月お前の偉大さが 身にしみて解かる
ようになってきたわ
今更やけど感謝してるよ
今までありがとうな
もう痛みや息苦しさから解放されたか?
もう元気になってるよな
きっとボンやったらわしの事忘れて 天真爛漫に走り回ってる
よな
絶対治って長生き出来ると思って買った感染症予防のマスク
1000枚以上 手指消毒液10本以上持って行ってくれよ
これとボンの洋服見るたびに思い出して泣きそうになるんやで

あっそうや 近況報告しとかなあかんなぁ
ボンの母さんは うつ病も治まって元気やで
10kgも太ってたよ
弟夫婦も仲良くやってるよ
ボンが可愛がった萌と芽も元気に学生生活送ってるよ
一番大事な娘の麻衣はもう高2やで
趣味はK-POP全般で彼氏ともうまくいってるみたい
勉強も大学目指してそれなりに頑張ってるよ
わしも毎日辛いけど なんとか頑張ってるよ
まだまだ泣いてばかりで 前向きに考えられへんけどね

ちょっと前にな姉と小田和正のコンサート行って感動したよ
本当はボンと一緒に行きたかってんけどなぁ
もうボンに会うことも話すことも出来ないけど
夢の中ではいっぱい話しような
楽しみにしてるからな
また手紙書くからな

届け!
わしの最愛の女 美和ボンへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

今日という日に

秋から冬へ… 
毎年、空気が冷たくなるとこの日を迎えます。

今日、私は7回目の冬空を見上げます。
今夜は星が見えそうです。
こんな余裕が持てるようになりました。

君のことは忘れませんよ。
忘れたくないからです。

君は私の一部ですから、そう思えばさみしさも薄れます。

でも、最近は君の香りや声をふっと感じられることが少なく
なった様におもいます。

君も忙しいでしょうから、がまんです。

年齢を重ねたせいでしょうか…
君との子供が欲しかったと切に思います。
君も欲しがっていた女の子がいいですね。
君が子をあやす姿を思って、また切なくなってしまいました。

君の今を知る術もありませんが、君は輝いている…
そう思っています。

でも、あまり先に行かないで欲しいかな。
早く再会したいのですが…
私の残り時間を思うと、気が滅入ります。

私がそちらへ行っても
会えないのだけは勘弁してください。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

さゆ

さゆ・・さゆが逝ってしまって2か月経ったね。

9月7日に二人とも夜勤で、俺がちょっと早めに出勤して
さゆはその後に「行ってきます!」と元気にお袋に言って
出勤したのに・・そのまま帰って来なかったね。

8日の朝、仮眠室で倒れているところを発見されて。
次の日に逝ってしまうなんて思わなかった。看病もろくにできず、
倒れてからたった1日で・・くも膜下出血で。

看護師として頑張っていたさゆ、救命士の俺。二人で頑張って
きたのにね。お互いバツイチで、再婚してたった2年
だったね。かわいい孫を2人残して、両親や俺、娘に息子
みんな置いて逝っちゃった。血は繋がってないけど、ひよ
とありすは俺が応援して行くよ。安心してな!

いつまでも愛してるよ。さゆ・・俺の宝物だったさゆへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の妻へ

 家内は昨年の9月、末期の胃癌を告知され同席した私が魂の抜け
たようになりました。ところがそのすぐあと、家内は子供たちの
夕食の買い物を始めました。おんなって強いですね。特に母になる
と。それからちょうど半年、ことし桜を見る間もなく天国に召され
ました。さいごのことばは『ありがとう』でした。私は涙できこえ
なかったけど、三人の子供らが翻訳してくれました。

 いちばん、つらかった言葉は『おとうさんと、もっと生きたかっ
たよう。』これは、亡くなる一月前ごろでした。家内を一番愛した
半年間でした。私は売り上げ数億の会社経営をしていますが、もし
妻が帰るなら、会社とこの命はいりません。という、心境です。男っ
てバカですよね。居るときはそんなこと思っても見ないのに。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

東子ちゃんへ

東子ちゃん・・・・・

東子ちゃんが命を絶ったのが2011年7月21日だったね。

私はその時に仕事をしていて東子ちゃんはこの世からいなく
なるなんて全く予想すらしていませんでした。

青天の霹靂で、お通夜告別式とセレモニーが終わり落ち着くと
止めどなく涙が出てきました。もういなくなって50日を超します
が涙が止まることはありません。

東子ちゃんは母親を看取り父親をサポートして実家暮らしが
5年ほどになり、これは私と5年間別居していたということに
なるよね。

東子ちゃんが命を絶つ前日の20日に実家に立ち寄らなかった
ことを当初後悔し、悔やみました。20日に会っていたら救えて
いたかもしれない・・・

でも後悔したり悔やんだりすることはもう止めました。

東子ちゃんが生き返るわけでもないし、私自身或いは子供達にも
辛い思いをさせるだけだからね。

でも別居している期間は東子ちゃんが空いている時間に二子玉や
成城や新百合ヶ丘でランチしたり色々おしゃべりしたりと結婚前
の時代に戻ったようでこの時間は私にとって宝石でした。

会えない時は長電話で色々たわいない話ができて楽しかったよ。


涙が出るというのは東子ちゃんと過ごした30年間が幸せだった
からなのだと思います。

最近少しずつ気持ちが落ち着いてきて、東子ちゃんに私の中に
一生住んでもらうことに決めました。

ちょうど星飛雄馬が日高美奈さんを一生心に住まわせたように・・

また、もし今の東子ちゃんと意思疎通ができたら、東子ちゃんの
希望をできるだけ叶えるように生きたい・・・

涙を流していると東子ちゃんの声が聞こえてきます。

つきちゃん、私のために泣かないで・・・・

これからの人生輝いて生きてね・・・・

東子ちゃん・・・これからもずっと一緒だよ

30年間の宝石のような時をありがとう

私と子供達は少しずつ時間をかけて前を向いて歩いていきます。

一緒に歩んでいこうね。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

今は亡き糟糠の妻へ

ともちゃん、
急逝して555日が経ちました。
同じ悲しみを持つ人たちがいます。
励まされます。
ありがとうございます。

毎日、苦しいし、
   悲しいし、
   切ないし、
   寂しいし、
   辛いし、
   不安だし、
   心から笑えません。

でも、最近わかったのは、
まだ愛しているから、
愛していることができているから、
そんな気持ちになるんだと。

一日一日が辛ければ辛いほど、
それは、二人で生きていることだと。

愛する亡き妻に、恥じぬよう生きていくということは、
死ぬまで、苦しむことでもあるのではないでしょうか。

愛し続けている人の言葉には、感銘させられます。
私も、毎日しっかり苦しんで、
亡き妻と共に生きていきたいと思います。

愛する人を失った皆さん、
お会いすることはないでしょうが、
悲しんで、悲しんで、
大切な人と共に、限りある命を生きていきましょう。

こんなに、大切な愛を知ることができたことは、
奥様のおかげです。
そして、
私たちが、愛する人より先に死ななかったことこそ、
この悲しみを、わたしたちが引き受けたことこそ、
今、苦しみながら生きていることこそ、
愛する人にしてあげた、
愛する人のためにしている、
最高の愛だと思います。

みなさん、共に、愛し続けましょう。
ありがとうございます。

そして、僕のともちゃん
ありがとう。



【男性】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

洋子へ

 この夏もそろそろ終わりを告げようとしている。
秋の虫たちが鳴き始めて、窓から見える落日の美しさよ。

 この間の手紙は君の命日前に書いたけど、月日の経過を
振り返れば長くも感じ、また短くも思う。
君のいない暮らしが始まってもう四年。

 この投稿に綴られた人たちのメッセージを拝読するにつけ、
淋しさや悲しみ、無念さを誰もが噛みしめながら生きている
のかと思うと切なくなる。
せめてこの世を去った君たちが穏やかな時を過ごしている
だろうと思うことで、残された者たちは生きてゆく力が湧くの
だろうな。
 
 君の母は連合いを亡くし、続いて娘まで亡くしてしまった。
母上も独り、俺も独り。今そんなことを考えながら君の
父さんの七回忌で帰省の準備をしているところなんだ。
覚えてるかい?七年前か、二人で久しぶりに高千穂に帰った時
のことを。
まだ父上は元気だったし君も元気いっぱいだった。母上と四人
でドライブに出て、通潤橋やぶどう狩りに行った。今思えば
地味な思い出だけど、かけがえのない時間になってしまった。
 
 独りでの道中はちょっぴりつまらないけど、二人で見た景色
を辿りながら帰るつもり。
彼岸の頃だから、道々に咲く彼岸花がきれいだろうね。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ 四通目

■みっちへ。

平成23年8月18日。この日がみっちの一周忌。
いよいよその一周忌がやって来ます。
一周忌の日に四通目を書こうかと思っていましたが、
今日、どうしても書きたくなりました。
その理由を教えるよ。

「一年も経てば、気持ちも和らいで、悲しむ事も少なく
 なっているかも」 

なんて、1年前は思ってた。その1年が経とうとしている
今、和らぐどころか、せつない悲しみは全く消えません。

そして今日(8月1日)、TVをぼんやり眺めていたら、
突然涙が溢れてきて、久し振りに声を出してわんわんと
泣きました。46歳のオヤジがみっともないと思ったべ?

一周忌が近いなぁ、という想いと、最近仕事で色々あって
精神的に疲れてたのが重なって、何だか涙が止まらなく
なっちゃった。この気持ちを伝えたくて、一周忌を待たず
に書きました。

みっち、せめて病気で亡くなってたら…と、
最近思います。不治の病とかだったら、どうにか諦めも
ついたのかな、って。
まぁ、「双極性障害」も、完治は難しいと言われている
病気だから同じ事かな。

自ら命を絶ったみっちに、俺はいまだに自責の想いを
抱いていて、その想いはなかなか消えません。だから
今も思い出すたびに凄く辛いです。

でも、今日みたいに、泣きたくなったら遠慮せずに
大声で泣こうと思います。
独りで暮らすにゃ広すぎる家で、おもいっきりね。

五通目、いつにしようかな。年末あたりにしようかな。

じゃあ、みっち、またね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

鎮魂

最愛の妻が逝って半年が経ちました。48年の結婚生活でしたが、
特にさいごの4年間の闘病生活で交わした言葉が鮮明によみがえ
り以前にも増して愛惜の情絶ちがたいものがあります。

お互いに会社も定年になり、娘たちも夫々他家へと嫁ぎ、これか
らはのんびりと余生を送ろうと言う矢先に、原因不明の難病にか
かってしまいました。

あとで判明したことなのですが、パーキンソン病の一種(多系統
萎縮症)と診断され神経系統が侵され徐々にではあるが、手足の
自由が奪われ言語障害もすすんできました。現在の医療では治療
の方法もなく特効薬もないそうで、しっかり療養して病気の進行
さえ遅らせれば10年は普通の生活はできるとの診断でした。

私は7歳も年上なのだし10年も経たないうちにオレの方が先に
逝くよと軽口をたたいたものでした。

3~4年前から病気の妻にかわって家事をこなせる様になり「わ
たしがいなくなっても生きていけるね」と本気とも冗談ともとれ
ることを言っていましたが、まさかこんなに早く別れが来るとは
思っていませんでした。

意識や判断力は正常なのに、あるけない 思うように話せない 
字を書けない 自分では食べられない もっと進んだ医療機器も
あったのかも知らないが残念でしかたがありません。回らない口
で精一杯つたえようとしているのに「もっとハッキリ言いなさい
よ」と罪な事を言ってしまった今でも悔やんでいる。どんなにか
悔しかったろう どんなにか辛かったろうと思うと涙が出てなら
ない。

夢を見ていたのだろう、さっき二人の娘が来て「さようなら」と
言っていた 他にも女の人が三人きた あれはきっと仏様が迎え
にきたのだと言う、私にはかける言葉もなかった。約一年三ヶ月
の入院と介護で、家族にあまり負担をかけたくなかったのだろう
か、こんなになってごめんね の繰り返しで慰めることばもあり
ませんでした。それから二十三日後心肺停止状態となり ICU 
に運ばれ懸命な手当ての甲斐なく、意識快復することもなく帰ら
ぬ人となりました。

48年間なにひとつゼイタクも言わず家族のために一生働きとう
しで真面目に倹しく倹しく生きてきたのに何も報いてやれなかっ
た、可愛そうでならない 今頃になっては遅いがもっと楽をさせ
てやりたかった、もっと愛していると言ってやりたかった 俺も
そう長く生きるとも思えない、あの世へいっても赤い糸で結ばれ
ていると思うから、可愛がった孫たちが大きくなるまで、 もう
暫く待っていてくれ。



【男性】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

合掌

折に触れて心境を詠んだ詩歌を、亡妻に捧ぐ
 
語れない くみ取れない 意思疎通も儘ならず 言語障害という
宿命に泣く
 
今日は主人の誕生日 何もしてやれないと泣いていた 優しい
思いに触れたとき 胸はりさけるばかりなり
 
療養の日記みるたび悲しかり 努力の日々の空しさばかり
 
臥してなお吾を気遣う優しさに 慰める言葉みつからずおり
 
臥してなお ごめんね ごめんね と云いながら
優しさだけを残して逝きぬ
 
夢なのか三尊様を見たという 信心ふかきは有難きかな
 
問いかけても物言わぬ妻いまごろは 見知らぬ国を旅しておりや
 
魂は永遠なりと人は云う レクイエムは届いておりや
 
最愛の妻を亡くされた名医あり 供養の詩は芸術なりと
 
亡き妻の優しさだけがよみがえる 虚ろな日々を過ごしおりせば
 
在りし日を想い出させて懐かしき 亡妻のことば有難きかな
 
赤い糸で結ばれおりしは有難き 俊綸大姉 と戒名もらう
 
                         合掌  



【男性】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

10年ぶりの手紙

お前が死んでもうすぐ半年だね。
俺が18歳、お前が17歳で初めて付き合って、13年間別れた事も
何度もあったけど、2人でいろいろ乗り越えてきたね。

でも最後の病気だけは、乗り越えられなかったな。
救えなくてごめんね。

俺は、ただ自分がふらふら遊びたいだけで、いつも自分の事
ばっか考えてて、ずーっと結婚したがってたお前の気持ちを無視
して、結婚せずに2年半前に「体の右半分が感覚がおかしい。」っ
ていうお前の言葉を聞いて、病院で検査入院して、おそらく
脳腫瘍でしょうと医者に言われて、急いで病院でプロポーズした
よね。

「私が言ってる事が正しいって、あんたはいつも後から気づく。」
って、よく言われてたけど、
その時も気づいたよ。もっと早く結婚してればよかったって。

ネットで、こっそり病気を調べて、平均余命1年半って、、、、、
絶望したよ。

医者から言われた余命の話も、いつも治るからって言って、最期
まで言えなかった、ごめんね。

よく転ぶようになって、歩けなくなって、車椅子でも明るくて、
飲み込み辛くなって、しゃべり辛くなって、息もし辛くなって、
あんな地獄のような日々の中で、
多分、自分では分かってたんだよね。

死ぬ2ヶ月前くらいに「私は周りの人に恵まれてるから、もし今
死んでも、幸せだな。」って言ってたお前の言葉で、俺はだいぶ
救われたよ。

死ぬ1月ちょい前に、長年一緒にいるのに、混んでてめんどくせー
とか言って、一度も行かなかったディズニーランドに行った時、
パレード見てても、「もうあんまり目が見えない。」って言った
お前に、ばれないように泣きながら車椅子押してたんだよ。
知らなかったべ??

最期の3日は全然目を覚まさなかったけど、最期の瞬間に俺の手を
握ってくれたね。
ありがとう。

ありがたい事に、今でもお前のお父さんや、兄弟達には良くして
もらってるよ。

今の俺は、仕事は行ってるけど、前みたいにだらしない生活して
るよ。部屋も汚ないし。
あの世とか、来世とかあるかは知らんけど、そっち行くときは
たくさん土産話持ってくから、飲み明かそうな。

では、来世ではもっと早くプロポーズするよ。
またね。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

洋子へ

 洋子、久しぶりやな。
 君が旅立ってもうすぐ丸四年になるなあ。独りで暮らす生活に
ようやく慣れはじめて、一通りの家事は出来るようになったかな。

 これまで君が恋しくて独り泣いた日が幾度もあったけど、この
頃は君がよく言っていた口癖や仕草など何かした拍子に思い出し
たとき独り笑いをしたり、ふっと君の匂いを感じたり。

 六月は祥月命日。一心寺に会いに行くから待ってろな。
病気で苦しみながらも「私が死んだら一心寺に連れてってね。」っ
て言った言葉、今もはっきり覚えてる。
お寺に足を運ぶ度、悲しみとも懐かしみともつかない不思議な感覚
をおぼえるのはなんなんだろうね?
 
 パソコンに整理した家族の歴史を綴った写真の数々。
夫婦生活32年には本当にいろいろなことがあったな。今でも思い
出すとみぞおちの辺りがズンと痛く謝りきれない事は、若い頃の俺
の我ままで君を苦しめたこと。六年余りの家庭内別居状態のさなか
俺は諦めて離婚届に判を押して君に託した。
 
 ある日の朝方、二階から降りてきた君は子供たちと寝ていた俺の
布団の中に滑り込んできたよな。俺は夢中で抱きしめた。それから
の14年はホント夢のような日々だった。

 そんな君も52歳で末期の卵巣がんと告知、青天の霹靂だった。
頑張って頑張って、そして54歳で終わりを向かえたな。

 部屋に飾った額縁の君の写真を見ると思うこと、俺にはやっぱり
お前しかいないわ。22歳のとき不思議な縁で出会ったあの日の
あの瞬間は今でもはっきり覚えてる。

 願わくば、来世でもお前と一緒になりたい。そして二度と同じ
過ちは犯さない。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

今日24日は ボンお前の46回目の誕生日やなあ
お前が去年3月に亡くなって 45回目の誕生日もあったんや
なあ
ゴールデンウィークも夏の暑さも盆もクリスマスも正月も・・・
この1年間頭の中が真っ白のままやったから はじめてのことに
思えるわ

お前の死を認めたくないのに 認めなくてはならないという
現実が・・・

毎日を生きていくのが こんなに辛いとは考えもしなかった
わしら家族3人贅沢は出来んかったけど毎日が楽しかったよな
幸せやったよな
それをぶち壊したガンが憎いよな
病人本人と家族のお金・体力・気力・希望・夢・そして命
すべて奪っていってしまった
命だけはやめてほしかったよな
わしは お前と出来るだけ永く一緒に生きていくことが出来たら 
あとはどうでもよかったのに
神様も仏様もおらんってことやな


あっそうや 1周忌のあとお前の父さんの墓に一緒に納骨
したけど・・・
わかってるか?
大好きな父さんにあえたらいいのになぁ

この先わしは 何をしたらいいんや? 教えてくれ
お前と話がしたいな


もっともっとしてあげたいことが一杯あったのになぁ
もっと一緒に笑っていたかった
一緒に買い物に行って服やアクセサリー買ってお前の喜ぶ顔が
見たかった
一緒に美味しいもの食べたかった
一緒に娘の成人式と結婚式を見届けたかった
一緒に孫の面倒みたかった
そして人生の最期もボンお前と一緒が良かったな

わしは情けない男やからお前にこうして手紙書きながら
今でも涙が溢れて止まらん状態や
ほんまにヘタレやなぁ


頼りないわしやけどお前が残してくれた形見の娘だけは
しっかり育てて何処に出しても恥ずかしくない子にするからな
お前に約束する 心配するな

そういえば母さんもうつ病だいぶマシになって結構元気にしてるよ
良かったなぁ ちょっと安心したか?


ところでお前は今 どんな状況なんや?
ガンの痛みと呼吸困難で今でも苦しんでるんか?
それとも寝てて夢みてるんか?
それともそっちで先に逝った人たちと楽しくやってるんか?
そんな世界があるんやったら わしも用事が済んだらいくからな
また一緒に生きていこうなぁボン

あの世があることを信じて あえることを楽しみにしとくわ
たまには夢に出て来いよ
夢の中で一杯話しようや
話したいこと山ほどあるからな
笑えるぞ〜

じゃあまたな 美和ボン



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する陽子さん

あなたの三回忌を終えました。
あなたの行事はいつも雨が降ります。
生きているときはいつも晴れていたのに・・・・

あなたへの想いはいつも変わりません。
この一年、私は癌と潰瘍で二度入院、リストラ、大震災
いつも隣にいたあなたがいないことを改めて知らされます。
そしていつも淋しい想いをしています。

あなたといた30年はとても幸せでした。
あなたと夫婦でいれてとても幸せでした。
これからもあなたを毎日想いながら生きていかなければ
なりません。淋しく辛い毎日です。

何年経ってもあなたには私の傍にいてほしい。
それが私の幸せですから・・・・。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

先に逝った妻へ

君が逝って半年が過ぎようとしています。
癌が見つかってから、1年間頑張って闘った君が僕の前から
見えなくなって、ついつい家の中を探してしまいます。

19年間の夫婦生活が、走馬灯の様にくるくると僕の頭の
中で巡っています。
結婚式の事・出産の事・二人で行った旅行の事・子供の留学の事
等いろんな事を楽しみ・考え・話し合った19年でしたね。

その時は、あまり人生のありがたさは感じなかったけれど
君がいなくなって、「人生とは」を何かを考えています。
答えはいつ見つかるか判らないけど・・・。

もうすぐ君の大好きな息子がアメリカから帰ってきます。
飛行機で日本の地に降りた時の息子の顔が、普通の顔で
見る事が出来るか心配ですが、これからは二人で生きて
行かないといけないので、見守って下さい。

これからも、僕の奥さんは君一人です。
これからも、語りかけるのは君一人です。
これからも、愛するのは君一人です。
これからも・・・・・・・・・・・・

                最愛の人 美喜へ



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

いつまでも一緒にいようね 2通目

直子 今僕の傍にいるのかい。あの日から100日経ったね。

直子!直子!あの朝、僕は顔を直子のほっぺに擦り付けて
叫んだよね。聞こえていたのかい。
でも直子はどんどん冷たくなって行った。そして・・・

バァバもお姉ちゃんも先生も看護師さんたちも、みんな
みんな泣いていたね。

間もなく、直子のお世話をしてくれた看護師さんたちが
丁寧に化粧をしてくれて、今にも話し掛けて来そうな
ほど君は奇麗になったね。これまでの辛かった日々は
一瞬にして安寧で気高い時を刻みだした。そして君は
安らかに神々しく天に召された。


毎朝気が付いたら君にコーヒーを入れているよ。
それを新調した茜のお仏壇にお供えして僕の一日が
始まるんだ。

ボンジョビも犬のくせに随分お利口さんにしているよ。
毎朝、ママと待っててねと言うと夜帰るまでちゃんと
待ってるよ。
「ボンちゃん!そんなことしちゃいや」ってママに
よく怒られていたねと言ってやると神妙な顔で僕を
見るんだ。かわいいだろう。

僕も、ボンちゃんもいつも直子と一緒にいる。
何も変わらないよ。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

今日3月17日はおまえが44歳で亡くなってから
ちょうど一年の命日だよ。
昨日のような気もするし、遠い昔の話のような気もする。

乳がん手術から、三年半もの間凄まじい闘病生活だったよな。
わしら家族何か悪い事でもしたのかと思うくらい地獄だったね。
術後一年経っての検査でリンパ骨転移と
あんなに苦しい抗がん剤したのに進行する一方で、
追いかけるように後から がん になった大好きなお父さんが、
その検査結果の前日にして亡くなったよね。

おまえの、
「神も仏もないよな」って言って
泣き崩れた顔は今でも鮮明に覚えてるよ。
わしも気が変になりそうだったよ。

それでもおまえは娘の為に、
成人式を迎えるまでは生きる。と
がんに立ち向かったよな。かっこよかったよ。

それから、箕面の滝まで歩いたり、
体に良いことはいろいろやったし、
食物の栄養バランスも考えて
新しい抗がん剤も何種類も試して
一度はがんが消えたよなあ。
二人病院の中で抱き合って泣いて喜んだよなあ
懐かしいなあ。
あの幸せが、永遠につづくと思ってたのに な。
がんは恐ろしい病気やなあ。容赦なかったもんな

突然の肺転移、がん性リンパ管症と、
余命五ヶ月 早ければ一ヶ月ももたない。と
ホスピスを薦められたんやで。
おまえには伝えられなかったよ。
夜一人で悩んで寝れずに泣いてたんやで。知らんかったやろ。
それでも
「何が何でも助けるぞ」っと思って
保険の利かない第4治療で、
免疫療法や、民間療法・漢方など
いろいろ試したけど全く効かなかったよな。

最期に辿り着いた抗がん剤のスペシャリストの先生のお蔭と、
おまえの精神力で奇跡の復活を遂げたよな。
「いける」治る と思ったら
感染症にかかり、がん性リンパ管症の復活で
呼吸困難になったよな、苦しかったやろう。

その時 先生に
「あともって1週間くらいと思うから、
親戚や友人を呼んであげてください」って言われた。
悩んだ末、おまえに伝えたよな。辛かった
家族三人で泣き続けたよな。
今でも思い出すと涙がとまらないよ。

でもここから、保険の利かない抗がん剤を取り寄せて、
こんな治療は世界でもしたことがないというようなことをして、
三度目の奇跡をおこして退院までこぎつけたよなあ。
わしら 「奇跡の家族」みたいな扱いやったよな。
なんかすごく嬉しかったね。

あとは娘の成人式まで生き抜いて
老後は、わしら二人で手を繋いで歩くこと、
歩けなければ車いすでも散歩することだけが
夢やったのにね。
たったそれだけの夢も叶わなかったね。
贅沢な夢でもないのになあ

退院後半年ぐらいで逝ってしまったね。
最期の一週間くらいで急変したもんなあ。
亡くなる五時間くらい前に
(顔を)
「たたいて たたいて もっと しゃべられへんやんか」
って蚊の鳴くような声でおまえは言ったけど、
わしはたたけなかったよ。
あの時何を話したかったの?
もしもあの世が本当にあったら
わしが死んでから、おまえを見つけるから、教えてや。

ほんまにわしらの人生って
そこらの映画よりよっぽど壮絶なもんやったなあ。
一生忘れられへんわ。

今でもおまえとやり取りしたメールは
1000件以上残してるよ。
けんかしたことや、遺書めいたことや、日常のことなどね。
たまに読んでは 涙流してるよ。
弱いやろう、情けないやろう。
出掛ける時はおまえの位牌もって
箕面の滝や、一緒に行った思い出の場所に連れて行ってるけど
一緒についてきてくれてるんか?

最期の二年くらいは
会社などいろいろな人に迷惑かけたけど
おまえとの時間を一緒に永く過ごせたからよかったと思ってる。
今までお世話になった会社を去年退職したけど心配するな。
二月にちゃんとまた 働いてるからね。

もう一つ、
「パパまだ若いんやから、良い人見つけて再婚してや。
その方が安心やから」
ってずっと言ってたけど
亡くなる二週間前におまえ言ってたよなあ。
「やっぱり再婚せんといてほしいなあ、したら相手の女性
恨んでしまう」って。
安心しろ。
わしのパートナーはボン。お前一人だけやから。
これからもおまえ一人だけを一生愛し続けるからな。

娘の麻衣も今年から高校二年生になるよ。
部活も辞めて、
最近料理もつくってくれるようになってんで、
すごいやろう。
だんだんおまえに似てきたよ。気のきついところもね。

麻衣を生んでくれてありがとうな
わしと一緒にいてくれてありがとう
もっと一緒に永い人生を歩んでいきたかったし、
死ぬときも一緒が良かったな。

助けられんかってごめんやで。

おまえと一緒に歩んだ人生は楽しかったわ、幸せやったわ。
感謝してもしきれんわ、ほんまにありがとうな。

残りの人生は、おまえの分も麻衣の為に
マイペースで生きてみるわ。

きっとまた会えるよな。
だからさよならは言わないよ。
また会える日を楽しみにしとくわ。

じゃあ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみぬいた妻へ 3通目

■平成23年2月18日。
みっちが居なくなってこの日で半年が経ったよ。
「もう半年」と感じるのは、僕の心が少しだけ
落ち着いてきたからだろうか。
みっちが逝ってしまってすぐの頃は、1日が
とてつもなく長く感じたっけ。

正直、この半年間、よく生きてこられたと思う。
何度も何度も、生きていく事の意味を見失い、
どうしようもない虚しさを感じて、みっちの後を
追う事ばかり考えていた。

僕達には子供が居ないから、みっちが逝った後は
僕はたった独り。
親も兄弟も居ない僕は、強烈な孤独感に襲われ、
打ちひしがれた。

でも今、こうしてみっちの為に三通目の手紙を
書いている。ありがたい事に、無事に生きている。

このサイトに出会ったお陰です。
誰にも言えない心の内を書き込む事で、
私は本当に救われました。
管理人さん、本当にありがとう。

逝ってしまった者の分も、一生懸命に生きなければ
ならない、と最近やっと思えるようになったよ。
周囲の人達は「いやいや、まだ3年はかかる」って
言うけど、ある意味僕もそうだと思う。
半年やそこらでは本当の意味の立ち直りは無理。

みっち、四通目はいつ書こうかな。
楽しみに待っててね。またね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

誕生日おめでとう

今日はお前の56回目の誕生日おめでとう
知り合ってから36年になるんだね
あの日のことは今でもよく覚えているよ

いろいろあったけど俺と一緒になってくれたね
ありがとう本当にありがとう

そしてまた、一緒になろうね

永遠のお前に



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する妻トモコへ

突然逝ってしまったトモコ
倒れているのを見付けたのは子供たちだった
ママが寝ていると私に言ってきて裏庭に行くと倒れていました
心肺停止状態でその時既に亡くなっていました

それから通夜、葬式
5日間何も食べれなかった
葬式はトモコが寂しがらないように盛大に上げました

子供2人残して逝ってしまって無念だろう
これから子供は祖父祖母で立派に育てます
トモコ長男の入学式には見に来てくれよ
次男は保育園の年中
トモコも長男の入学式すごく楽しみにしてたよな

もうすぐ49日また盛大にやるからな

トモコ助けられなくてごめんな
短い人生だった
40歳やりたいこともいっぱいあっただろう

生前の頃をいっぱい思い出すと涙が止まらない
こんな頑固で短気な俺についてきてくれてありがとう
トモコのことは一生忘れない

俺も何十年先にはそっちに行くからずっと一緒だ
今までどうもありがとう
いつまでも家族のことを見守ってくれ

                愛する妻トモコへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

いつまでも一緒にいようね

別れを迎えた今 君に伝えたいのは
「ありがとう」や「さようなら」という言葉では
ないような気がします。

夫婦となり17年近くになるでしょうか。
長い時間を共にしてきたけど君は常に新鮮な活力を
与えてくれる魅力的な女性でした。

明るく朗らかで何事にも前向きな取り組みを見せていた
幾年月。幼いころに習っていたピアノはその後独学で
ショパンやモーツアルトの曲を弾きこなせるようになり
毎日の食事も私の健康を気遣い工夫しながら用意して
くれたね。

穏やかで和やかな毎日・・・
それはショパンの生誕200年を前にパリにお墓参りに
行こうと準備を進めていた矢先、一変してしまったね。
それでも揺るぎない心で病と向き合い、立派に命の
灯火を輝かせた君。

離れゆく寂しさはひとしおですが、同じ時を刻み、
君から受けた多くの影響はこの先も夫婦の証として
私の中に根付くでしょう。

姿は見えなくとも澄みきった大空に、柔らかな風に
君の存在を感じながら何とか明日への一歩を
進めてゆくよ。

                    直子へ



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ウオーキングしていて

 1月の晴れた午後、農道をウオーキングした。君と並んで歩い
た時の、あのことを突然思い出した。

 急に具合がわるくなって、途中で家にもどったっけ。3年半ほ
ど前のこと。あれから僕の知らない間に、君は徐々に病魔にむし
ばまれていったんだろうか。

 よっぽど悪くなってから、病院に行ったけど、すい臓がんで、
もう手遅れだった。君のショックは、僕の数倍だったろうね。
でも、弱音は吐かなかったね。

 もし、立場が逆だったら、とても僕には耐えられなかっただろ
うよ。余命1年と言われたのに、2年2ケ月も耐えた。とっても
苦しかったに違いないのに、よく闘ったね。

 君を失ってからの最初の半年は放心状態だったよ。

 その次の1年はがむしゃらに、何かに熱中した。

 町内の役員や、ボランティアなど、何かできることを探して挑
戦した。それなりに充実した1年だったかな。

 君のことを思い出すのが辛くて、君のことを少しでも忘れよう
としたのだろうね。

 でも、今日、晴れた日にウオーキングしていたら、突然胸が締
め付けられるような悲しみに襲われてしまったよ。

 まだまだ、時間がかかるね。いつになったら、さらっと、「君
はもういないんだね。」って、つぶやけるのかな。

 そのころには僕はいくつになっているだろう。70歳を超えて
しまうかもしれないな。まあ、時の流れに身を任せる、しかない
ね。いずれ、そうなりたい。ぜひ。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の妻へ

君と籍を入れてたったの7カ月だったけど、君は「幸せだ」と
言ってくれたね。

でも僕は、君にもっともっと幸せを感じて欲しかった。
もっともっと二人の思い出も作りたかった。

君が旅立ってしまってから、僕はまだ前を向けずにいます。
「仕方のない事」「運命だった」とは未だに思えません。

二人の合言葉、「ありがとう」が言えるようになるには、
まだまだ時間がかかりそうです。

でもいつか、再び逢える日が来るのなら、その時は胸を張って
「ありがとう」って言えるように生きていくよ。

だからあと少しだけ、待っててくれないか。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

かなしみ

「忘れたほうが、悲しくはないだろうが、
 忘れないで悲しいほうが、悲しくはない」
という詩句があります。
 妻が急逝し9ヶ月が経つ時間の経過の中で、
いろいろな言葉から励ましてもらい、
この言葉の意味もわかるようになってきた今日この頃です。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

別れを告げずに急逝した妻へ

ともちゃん、
ごめんね、
ありがとうね、
見守ってね、
待っててね、
忘れないからね!



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

洋子へ

 この間君に手紙を出したのは八月だったね。秋の虫たちの
声もいつしか聞こえなくなって、あの夏が何だか遠い昔のよう
に感じます。

 お彼岸に一心寺に行きました。 「あっ、お父さんだ。」って
気がついた?
ここに集まる人たちは愛する人との最後の別れか、かつて愛した
人に会いに来ているんだと思うと、何か切ない想いがこみ上げて
くるよ。

 そうそう、君のふるさとへ十月の終わりに行ってきました。
生憎道中は天気が悪く、昔ツーショットで撮った大観峰から望む
中岳や途中の湯布岳は曇で霞んでて残念だった。
だけど二人でほうばったソフトクリームは予定どおり食べたから
ね。
何処へ行くにもマイカーだったから、つい思い出辿りをしてしま
うんだよねー。

 今も元気な君が傍に居ったらなあと思う度 「なんでそんなに
早く逝ったん?」 って自問して、「早く召される人って向こう
の世界できっと必要とされてるんかなあ、きっとそうなんだ。」
 と自答して無理に納得。

 君が逝って三年と半年が経った今も、マンションの一人暮らし
は空っぽの日々だけど、明るいニュースもあったよ。
11月16日、真弓が第二子を産んだよ。元気な男の子でね。
随分君にお願いしたもんだ、「無事に赤ちゃんが生まれるように
娘を守ってあげてな」 って。

 君の忘れ形見が子供を産んだこと、命の繋がりに不思議な因果
を感じます。
これから俺の務めは出来るだけ元気に生きて、孫たちの成長を
見守ることだな。君の分までね。

 だからいつも傍におっておくれね。いつまでもいつまでも
愛してるよ。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみぬいた妻へ  2通目

■1通目で「君」と呼びましたが、2通目からは「みっち」
と呼ぶことにします。いつもこう呼んでいたから、みっちも
そのほうがいいだろう?

早くも11月。あさっての18日でみっちが逝ってから3ヶ月
になるんだね。この3ヶ月間、僕は一体どうやって過ごして
いたのか、思い出せない。記憶に無いんだ。

胸がいっぱいになるのが怖くて、ず〜っとパチンコをして
いたり、映画を一日中観つづけていたり…。そういう事は
覚えてるけど、あとの時間はどうしていたんだろう。多分、
泣いて過ごしていたんだと思う。あまり食欲も無く、3ヶ月で
7キロも痩せたよ。

4年前、生活環境を変えたら、みっちの身体の具合が良くなる
かも知れないという理由で、横浜への転勤を受諾したけど、
こうしてみっちが居なくなってしまった今、もうここに居る
理由が無くなってしまった。ここには友達も親戚も居ないし、
僕は本当に独りぼっちだ。

本当は故郷へ帰りたい。僕達が生まれ育った土地へ。それでね、
会社に言ったんだ。2年後に戻して欲しいって。あと2年
こっちで頑張って、そして二人で札幌に帰ろうね。

今はね、みっちの写真とか何も飾っていません。顔が判るもの
は全て隠しました。顔見るとさ、頑張れないんだ。思い出し
ちゃってね。毎日毎日、生きて行くのに精一杯です。

身の回りの物も、リサイクルショップに持って行ったり、会社
の人にあげたりしてるよ。捨てるよりずっといいだろ?
そうそう、おふくろに一人用のソファ、送ってやったよ。

起承転結の全く無い文章だね。何が言いたいのか判らないや。
でも、また手紙を書きます。次はもうちょっと手紙らしく…。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

秀子さんへ

秀子さん
あなたがいなくなってもう2年が経ってしまいましたよ。
なぜ、よりにもよってあなたが白血病にならなければ
いけなかったのか。
なぜ、49歳で命を落とさなければならなかったのか。
今も納得できません。

あなたの骨髄に、一つめの白血病細胞が発生したとき
なぜ抑えることができなかったのだろう。
もう少し穏やかでストレスのない毎日であれば、
免疫力で抑えることができたかも知れない。
僕がもっと、家のことをやって負担を軽くしてあげる
べきだった。

年月の経過とともに悲しみは癒されます、と
人は言います。
確かに、2年経ってあなたのいない生活に、
それなりに慣れてきました。
でも、その生活に慣れていくのがつらいです。
いっしょに生活した日々がどんどん遠くへ行って
しまうのがつらいです。

どうか、他の人に生まれ変わらないでほしい。
ずっと秀子さんのまま、この家で僕と子供を
見ていて下さい。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ソウルメイトIV(ラストメッセージ)

☆4回目の命日
 これが最後の書き込みになると思う。

今でも君の二つの言葉は耳に残っている。
「病気のことは辛くないけど、私が死んで
 トッちゃんが別の女性と付き合うって考えたら辛い」
「来世でも一緒になろう。きっと見つけられる」

・・・でも今の俺は
君の面影をメソメソと追い回さなくても良くなったんだ。

第二の人生を一緒に寄り添ってくれる人が現れたんだ。

複雑な心境だが
以前のように寂しくない。張り合いも出てきた。

三回忌を終えてから
ずっと自分に言い聞かせてきた事がある。
「すごく寂しい。・・・
 新しい女性を探す気は無いが、そういう人が
 目の前に現れ、自然に意気投合出来た時。
 それは、君が俺に紹介してくれた人だと思い込もう」

・・・それが現実となった。

これで君も安心してほしい。

亡き妻、そして、このサイトと皆様に感謝致します。

今まで支えてくれて、 

・・・ありがとう・・・。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛の妻マキへ

マキ、あなたが逝ってから9か月が経ちました。

マキ、あなたが生んでくれた子供は元気に育っています。

あんなに楽しみにしていた子供が、あなたは抱くことすら出来ず
に逝ってしまったことは、さぞ心残りだったことでしょう。

そのことを思うと俺は、唯、ただ悲しくて、やるせなくて、
どうしようもなく泣くばかりです。

いまだに、現実として受け止めることが出来ません。

結婚11年目にして、二人でようやく体外受精で妊娠した時は、
踊るようにして喜び、俺たちの子供が生まれることが、
とても嬉しく指折り数えてその時を待っていたのに、
だれがこんな結果になることを想像していたでしょう。

神様なんか絶対いないんだと、俺は確信を持ったよ。

正直、子供が生まれた喜びよりも、あなたを失った悲しみのが
大きくて、突然周りの視界が真っ暗になり、絶望、失望の中に
一人、取り残された気持ちになりました。

ただ今は、少しずつあなたが大好きだった「前向き」という
言葉を胸に、今ある現実を受け止める努力をし、あなたの分
までわが子を愛して、立派に育てることを目標に頑張って
生きていこうと思っています。

だからマキ、俺は、俺たちの子供を大事に育てて、俺たちの
子供として誇りを持って生きていけるように、また、俺が
マキに出会ったように、息子が素敵な女性出会えるよう願い
つつ、しばらくはマキに会えないけれど、俺が人生を全うして、
マキに胸を張って会えるように、マキにありがとうって
言ってもらえるように、強く生きていこうと思います。

これから俺も、息子も、あなたがいないことで辛く、悲しい
思いをたくさんすることでしょう。
でも俺は立派だったあなたのことを息子にたくさん伝え、
生まれる前から息子のことをとても愛していたことも
ちゃんと伝え、喜びも悲しみも息子と共有しながら
全力で息子を守っていこうと思います。

マキ、俺と出会ってくれてありがとう。
俺と結婚してくれて本当にありがとう。
そして、生まれてきてくれてありがとう。
息子を生んでくれて本当に、本当にありがとう。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみぬいた妻へ

君が自ら大量の薬を飲んで逝ってしまってから、もうじき
四十九日を迎えようとしています。今日まで僕は、毎日毎日
どうしていいか分からずに、自分の心に押し寄せる苦しさと
悲しみに押し潰されそうになりながら、どうにか生きているよ。

あの日、僕は仕事が休みで、君とのんびりと居間でくつろいで
いた。そして、くだらない事で口喧嘩をして、僕は自分の部屋に
篭った。双極性障害(躁鬱病)を、18年間もわずらっていた
君は、その時「鬱」だったんだろうね。

口喧嘩が引き金になって、君はどん底に落ち込んでしまって、
自分の部屋で薬を飲んだんだね。何も知らない僕は、仕事に
出掛け、そして2日後の午後になって、僕は冷たくなった君に
気付いたんだ。君の病気の事、僕が一番理解しているつもり
だったのに、なぜあの時、あんな態度をとってしまったのか…。
悔やんでも悔やみきれないよ。

僕と結婚して12年。君は幸せだったかい?
君のお兄さんが先日、僕にこう言ったよ。
「妹は、結婚して幸せだって、生前、言っていたよ」
ってね。嬉しかった。嬉しくて声を出して泣いたんだ。

病気が原因で、家に居てもほとんど何も出来ない君に代わって、
毎日僕が家事をしてあげた。仕事しながらだったから、会社で
嫌な事があった日は、機嫌が悪くて、舌打ちとか溜息とかして
しまって、君の方が嫌だったろう?
病気の君に、今までいっぱい酷い事を言ったりしてきた。
ごめんなさい。本当に許して欲しい。

君の日記を見つけたんだけど、辛すぎて全部は読めない。
君の部屋の荷物とか、身の回りの物も、全然手を付けられない
んだ。いつになったら思い出に変わるんだろう。
いや、思い出に変わることなんか可能なのだろうか。

自殺した人間の魂は、うかばれる事は無く、彷徨い続けるって
よく聞くけど、君も今、そうなのかい?
今、どんな気持ちで、何処に居るんですか?
もう苦しむ必要は無いんだよ。
もう何も考えなくていいんだよ。
もう誰にも会わなくていいんだよ。
もう誰にも気を遣わなくていいんだ。

今までさんざん悲しんで、苦しんで、苦悩して生きてきたんだ
から、もう今は無の状態でリラックスして下さい。

そして、僕の声が少しでも聞こえているなら、僕に分かるように、
何か答えて欲しいんだ。

寂しくて辛くて、毎日泣いてるけど、いつか必ず悲しみを
乗り越えて、君の分までしっかり生きて行けると信じて、
前を向いて歩いて行くから、君も早く明るい場所を見つけて
行くべき所へ行って下さい。そして、来世でもう一度、僕と
結婚して下さい。
ずっと愛してます。さようなら。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の洋子へ(枚方より愛を込めて)

 今年の夏は異常な暑さですが、何とかかすかな気力で乗り越え
られそうです。

 あなたが卵巣がんと診断されたのは05'8月。ステージ3〜4、
余命は半年、長くて一年と宣告されましたよね。病巣を取り除き、
抗がん剤の種類を変えること4回、どれも効果はなく、副作用で
体はボロボロ。そのうちに腹水が溜まりはじめ、対処療法をして
頂きながら残る時間を好きだった近場の温泉や海の見えるホテル
などに泊まり、思い出づくりをしましたね。

 早いものであなたが旅立ってもう三年。日々の暮らしでは
いつもあなたを感じながら何とかやっています。けれど、独りで
居ることが未だ理解出来ない時があります。元気だった頃に
交わした会話とかドライブの時にはしゃいだ君の声が頭の中を
よぎる時、懐かしさと悲しみで止め処なく涙があふれ出ます。

 その後どうお過ごしですか?きっと貴女の事だから身寄りの
ない人や、大好きだったおじいちゃんやおばあちゃん、先に
逝った友達らと楽しく語らっているのだろうと想像しています。
 
 秋にはあなたの故郷高千穂へ帰ろうね。いつも出かけるときは
君の免許証をお守りにしています。それからマユミが11月に出産
しますよ。あなたにとって三人目の孫だね。娘が傍にいてくれて
嬉しいけれど、貴女の姿が見えない暮らしは寂しいものです。
これからも朝夕時を構わずあなたに語りかけるけど聞いて
下さいね、お願いします。それでは またね。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

17回忌・30歳で逝った妻

美しいままで、今も写真で笑っている君。
17年前、スキルスの胃がんで入院わずか11日で旅立った君。
30歳だったね。
病院を6件も受診し、誤診だらけで、わかったときは「末期がん」。
湯かんをした君は、生きているかのように綺麗だった。

私も31歳から、48歳になったよ。おじちゃんだ。

君が今でも好きで「再婚」は考えられずに今日まできました。
正解です。

残された3歳と1歳の息子たちも、「良い子」に育ったよ。安心
してください。今は大学2年と高校2年で、たくましくなった。

男手一つで育てたから、足りない部分は多いにあるが、その分、
「愛情」はいっぱい注いだよ。

君の分身だもの…。私たちの結晶だもの…。

17回忌がすみました。

でも、今でも君を心から愛してる。寂しいよ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ

ママ今あなたは何処におるん?
ママの姿を見ん様になって2ヶ月が過ぎました。まだママが
「ただいま〜」って帰ってくると信じてる。

ママが心の病にむしばまれて11年目やったな「なんでなん」
確かに11年は長いよな、でも病が良くなる日がきっと来ると
疑いもなくパパ頑張って来てたのに…

ママが俺に嫁いで22年最初の10年は愛し愛されって感じで
凄く心身ともに充実した生活に何の疑いもなく永遠にこの
生活が続くものだと信じてた。
だから病気になった時はとても信じられずある日突然真っ暗に
なったのが昨日の様に感じてるよ。

今あなた「ママ」を亡くして例え病気でもそばに居てくれた方が
どれだけ癒されて居たか今になって痛いくらい感じてるよ。
介護してた11年間の中で「何でこんなに苦しまなあかんの」とか
正直感じてた事もあり今凄く後悔してる。あの頃今の結末が来る
のに気ずいてたらもっともっと大事にしてやる事が出来たのにっ
て毎日自分を責めやりきれなく長い1日が終わるのを待ってる。

そんなパパの苦しみをあなた「ママ」は気ずいていたのかな?
だから「パパもう楽になってね」って終止符を打ったのかな?
だったらママ大変な間違えやで…いつもママが居たこの部屋、
でも今は俺だけ…笑い声、怒り声、物音すら聞こえない…



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

幼馴染のスーちゃん

 再び桜が散った今、もう直ぐ3回忌です。もう用意も済みまし
た。あなたと造った花壇にも綺麗な花を一杯植えました。納骨の
用意も終わりました。みんなあなたを想って来てくれるそうです。
何とあなたの影響の強い事か・・・

 大事に拝んでいた骨壷も、開放してやろうと思って意を決しま
した。あなたの故郷の地に埋める事にしました。若い時のあなた
は、年とっておばさんになった時よりも、まだまだ奔放で私に絡
まってくれました。今はその想い出と写真と骨壷だけですが、そ
のひとつを開放してやろうと思うようになったのは私の進歩だと
思わないかい!

 あなたを忘れやしない!けど今まだ私は生きているしいろんな
悩みもあるから、少しだけ荷を降ろしたくなったのかもしれない。
もちろんスーちゃんを離したりはしないけど、充分にわたしの内
で居場所を見つけてるから安心してるはずだね。

 ゆっくり一緒に過ごそうね、梅酒でまた絡まってくれてもいい
よ。私も飲んでおんなじことを何度も言って絡むんだから。あな
たの絡み方はとっても上品で、いやみがなく、最後には私の膝で
寝ちゃうんだよね。

 先日、あなたの大好きだった姪っ子も結婚しました。いい感じ
でした。あなたのもっと好きな、笑顔の絶えない子供を直ぐ創る
でしょう。あなたには一番初めに見せるでしょうね。でも、あな
たはもっと欲しい物があるんだよね。
スーちゃんとわたし達、わが子の子供・・・きっとかわいいよ。
笑いじわばっかりの美人だよきっと。

 桜が変わりました。急逝した年の桜と昨年の桜と、今年の桜。
全部違います。ゴルフをしたりソフトボールをしたり、飲んだり
これだけの仲間が変えてくれたんですね。
心から感謝しているのですが、変わっても、かわっても・・・・・
もいちどのみたいいっしょに!



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する妻 陽子さんへ

お母さんの一周忌終わりました。
お母さんの友達も来てくれました。

子供たちも日に日に元気になっています。
お父さんは相変わらず淋しく暮らしています。
子供たちの帰りが遅いので一人の時間が長いです。

お母さんはいつもこれから二人の時間が多くなるので
お父さんはお母さんを大事にしないとダメなんだよと
言ってましたがまさか一人になるとは思わなかったよ。

でもいつもお母さんがいる時とすべて変わっていないよ。
ただお母さんがいないだけ。
不思議だけどまだお母さんがいるような感じがします。

お母さん・・陽子さん・・
今でも愛しているよ。
まだお父さんの側にいてくれよ。
いつまでも俺のそばにいてくれよ。
雰囲気だけでいいから。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の君へ

晴ちゃんへ。君は突然旅立ってしまったね。いつも体の調子が
悪いと言っていたけど、まさかこんなに早く逝ってしまうとは。

あの日、「熱いよ」といって眠りについたきり、もう二度と話す
ことはなくなってしまったね。朝、呼びかけても起きない君を
必死で病院に運んだよ。でも、それから1日で旅立ってしまった
ね。
本当に悲しかった。苦しかった。情けなかった。寂しかったよ。

でも、晴ちゃんはつらくなかったかな。今は、もう体調が悪いと
悩むこともなく、ゆっくりできているね。もう大丈夫。これから
もずっと僕が守っていくからね。
いつも君はやさしかったね。そしていつも笑顔で話してくれた。
それが、どんなに僕の心をあたたかくしてくれたか。

ありがとう。本当にありがとう。寂しいけど、君と出会わない
人生の方が寂しいから、これでよしとするよ。

僕の魂は君が旅立った日、一緒に旅立ったと思っているよ。
だから、ずっと一緒だよ。

でも、あと少し、こちらで、思いっきり生きてくよ。今度は、
僕の体に晴ちゃんも一緒に入って二人で人生を楽しむんだよ。

僕の体は一人のものじゃないよ。だから大切にして一生懸命
生きるよ。
一緒に頑張っていこう。そしてありがとう。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

100の言葉に感謝

 妻が死んで、8ケ月たった。すい臓がんだった。告知されたの
は平成19年3月。死亡したのは平成21年5月。
 その間、妻は不治の病と闘う目標を「2年間は生きる」と掲げ
た。理由は、私の定年退職が2年後だからである。

 5年間の生存率が10%未満で、しかも妻の場合は末期。医師
は、余命1年から1年半と予想した。
 治る見込みはないものの、生きれるだけ生きたい、だから、ど
んなつらい治療にも耐えて見せる。そう決意して闘病生活を送っ
ている妻には、正直頭が下がった。

 私は、できるだけのサポートはした。しかし、いつ妻が息を引
き取るかわからないという不安は、私の心をうつ状態にした。眠
れない夜が続いた。腹に大きな穴が開き、その中を風が吹き抜け
るような空虚感・・・。

 そんな中、出会ったのが「100の言葉」。
 まだ妻は生きているのだが、この文章を読みながら、私自身の
心の平安を感じた。もうすぐ妻は死ぬのだ。しかたないのだ。自
分はどうしたらよいのか。なにしたらだめなのか。

 ノートに書き写しながら考えた。何度も何度も書き写した。何
十枚も。
 妻は、自分が死んだら夫である私が自立した生活がやっていけ
るか非常に心配していた。日ごろ、家事などは全部妻にまかせっ
きりだった私は、正直いってなにもできない。

 まず、自分の生活を自立したものにしようと決意し実行していっ
た。100の言葉にはげまされた結果である。
 煮物を作って病院まで届け、味見してもらった。だんだん家事
がすきになっていった。退院した時は、洗濯物のたたみ方や、季
節ごとの衣類の収納場所の確認、庭の手入れの方法、かんたんな
料理のてほどきなど、妻から習うことは山ほどあった。

 まだまだ、妻には及ばない。あともう少しは習いたいと思って
いた、平成21年4月3日、8回目の入院が決まった。「もう最
後になるかもしれない。家に帰れないかもしれない。」という言
葉を残しながら妻はじっと私を見つめた。

 今、私はなんとか平安に生活している。さすがに第2の就職は
できずにいる。日常生活をきちんとやっていくので精一杯で、お
金をもらう仕事にはつけそうもない。
 毎朝、仏壇に健康な私の姿を見せるのが仕事である。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

自分の命より大切な洋子ちゃんへ

洋子ちゃん、僕の命より大切な洋子ちゃん、あなたが逝って
9ヶ月になりますね。

病気 本当に辛かったことでしょう。最後にきっと僕の名を
呼んで助けを求めたんだろうね。ごめんね。

幸せにしてあげられたかな?それを思うとただただ涙がこぼれ
ます。たった一つ、僕が残って君を送り出し、君をこの世に
一人で置いていかなかったことだけが、僕の最後の奥さん孝行
です。

あと10年、20年、30年後に僕が死ぬ時が来たら、どうか
『のぶ、よく頑張ったね。偉いよ』と言って迎えにきてね。
そしてまた洋子ちゃんに抱きついちゃうから。その日を楽しみ
に頑張るから、あとほんのチョッピリ僕を待っててね。

                 僕の洋子ちゃんへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

今日という日に

君が遺していった日記を開いてみました。

でも全部を読み返すことはできなくて、まだ時間が要るようです。

君は先に逝ってしまったから、君の気持ちを疑った時もあったの
です。

でも、日記に在るのは 私へのありがとうの詞ばかり。

何もできず、何もなさずの私が、それでも愛されていたのだと
思うと本当にうれしくなりました。
君は姿こそありませんが、今でも私をこんなに穏やかにさせて
くれるのです。

それなのに、私は相変わらず詫びてばかりですね。
君だって ありがとう と言ってもらったほうがずっとうれしい
よね。


こんなことに気が付くまで五年もかかりました。


いつも愛してくれてありがとう

いつも気付きをくれてありがとう

大切な思い出をありがとう

そして、これからもよろしくね。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛するタカちゃんへ

突然逝ってしまったタカちゃん。

毎日のように亡くなったお母さんに「会いたい。会いたい。」っ
て言っていたね。

いつもお母さんがご飯を作ってくれる夢を見て、
食べる直前に目が覚めてしまうって泣いてたね。

もうお母さんに会えて、お腹いっぱいご飯を食べられたかな?

京都の鈴虫寺に「願いが叶うお札を返しにいかないといけないの」っ
て言っていたね。

「どんなお願いしたの?」って聞いたら
「もう願いは叶ったから教えない」って恥かしそうにしてたけど、
僕にはなんのお願いか分かっていたよ。

もっと優しくすればよかった・・・
もっと大切にすればよかった・・・
もっと口にだして「愛してる」って言えばよかった・・・
もっともっと・・・

後悔ばかりで、泣いてばかりだけど、
あなたなら「男でしょ。クヨクヨしないの!」って言うと思うから
もう泣かないね。

これから前を向いて生きていきます。

あなたの好きな「esq」のコンサートにもかかさずいくね。
ファンクラブの会員b烽サのままにしておくからね。

あなたが好きだった「失った日々」毎日聴いてるよ。
悲しい歌だけど、エンドレスで聴いてます。

それと平井堅さんの「君の好きなとこ」もヘタだけど、カラオケで
何回も何回も歌ってるよ。

タカちゃんは歌が上手かったから笑ってるだろうね。

いつまでも僕の心の中にタカちゃんはいるから、
寂しくないよ。

大丈夫だよ。

だから、未来に向かって進んでいくね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ソウルメイトIII

…又この季節が来ました。

…キンモクセイ薫るこの時期。

…あの頃の事が鮮明によみがえります。

3年前の今頃…
肺に転移した病魔に呼吸を支配され…
入院した妻はそのまま僕達家族を残して…

レクイエムへの投稿はこれで3度目。
愛妻を亡くした同じ境遇の人を探してこのサイト
『奥様を亡くした人の文集』に辿り着き
何故か少し癒され、こうして彼女の命日が近付くと
胸の内を明かす事により自分を慰めています。

悲しみが癒えるまで。
想い出に変るまで。

…投稿された皆様やサイト管理者様に感謝します。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

本当にありがとう

祐子へ

3年前に胃がんで胃を全摘して、最初の頃は食事をすると
しばらく横にならないと辛くて、大変だったよね。慣れて来ると
普通に食事ができる様になり、好きなテニスもできる様になり、
もう大丈夫かなって思ってた。


去年、お腹が張るって言い出して、転移が見つかってからは
抗がん剤や放射線治療で本当に辛かったよね。髪の毛もまつ毛も
抜けて行くんだもん、大変だったよね。
血液検査の度に腫瘍マーカーの値が上がって行き、折れそうに
なる気持ちをなんとか堪え、前向きに頑張っていたよね。

約1年そんな辛い日々を本当によく頑張って耐え抜いたよ。
俺だったら半年も頑張れなかったと思う。

今となっては、もっと身体をさすってあげれば良かった。
背中をもんであげれば良かった。むくんだ足をマッサージ
してあげれば良かった。もっともっと抱きしめてあげれば
良かったって思う。


最後に入院した時、二人きりで病院で過ごした夜に水が飲み
たいって言って、何回か水を飲ませてあげた事。
抗がん剤で味覚が少しおかしくなっていて、甘い物がいいって
言ってポカリスウェットをあげたらおいしいって言って
くれた事。明け方に、また水を飲ませてあげた事。
すべて鮮明に記憶に残っています。二人きりの大切な時間
だったから。

亡くなる日の午前中に諒くんが塾に行く前に寄ってくれて、
自分の意識がはっきりしなくてわからなくなってたのに、
諒くんって何回か呼んでくれたね。その後、お姉さん夫婦が
来てくれた時には、ろれつが廻らなくて御免ねってやけに
はっきりとした意識で言ってたね。
お姉さんに諒くんは?って聞かれて、諒くんは塾って得意げ
に答えてたね。よっぽどうれしかったのかな。

午後になって容態が急変して、最後っていう時にちゃんと
ありがとうって言えなかった。泣いた姿を見せたら、祐子が
悲しむかと思って最後まで泣くのを我慢してた。

祐子が旅立った時に、本当にありがとうって言ったけど、
ちゃんと届いたかな?
生きている内にちゃんと言った方が良かったのかな・・・。


これからは、まず諒くんを立派な大人にする事と、
お義母さんが寿命をまっとうできる事と、
自分の残りの人生を祐子の分まで2人分生きて行く事。

高いところから見ていてね。

祐子、本当にありがとう。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の由紀へ

君と初めて出会って何年,いや何十年なのか?
中学の同級であり大学の同級なのに付き合いはなかったね。
社会人になり久しぶりに逢い’遊びに行こう!’から始まった
君との人生。結婚をして、子供にも恵まれ苦しいながらも
二人働いて頑張ったね。子供達も大きくなりもう少しで
手が離れるとの矢先に君に病魔が襲ってきたね。

もっともっと二人で行きたい所があったのに
もっともっと二人で楽しむはずだったのに

半年間と言う命のスパンの中、後悔しない様にと行動しても
もがき苦しみ一喜一憂した日々だけが思い出されるのはなぜ?
お見舞いに来る人来る人にありがとうを言ってまるで悟りを
開いているみたいに。2回目の痙攣が起きた時薬を打とうと
しても君は断り最後の言葉は”頑張る”だったね。

子供達にも君の最後の生き様を見せたね。
そんなに頑張んなくていいのに、
もっとわがまま言って良いのに。

君が言った言葉”死は怖くないと言えば嘘になるけどでも
今はぜんぜん怖くないよ。だって良い家族に恵まれ、
良い友達に恵まれ幸せだったし”

そんな言葉を残し一人だけ行くのは辛すぎる。
もう少し、もう少し思い出の中に居させて下さい。
立ち直るから
もう少しもう少し泣かせて下さい。
元気になるから。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する妻 陽子さん

4月13日に元気な姿で手術室へ行った、しかし翌日病院から
呼び出されて行った時には息絶えたあなたの姿・・・

医師から死亡宣告をされ泣き崩れてしまい只流されるまま今に
至りました。まもなく四十九日が来ます。

医師の呼び出しがもっと早い時間だったらあなたを失うことは
ないことを知り病院に憤りを感じあなたとの思い出に涙を流し
ながら霊前に語っています。

結婚して30年目、52歳という若さ、そしていつでも明るく
老けない、あどけない顔、振る舞いが長く愛し続けてこれたと
思う。

家族が大好きなあなた、いつも私の健康に気を使ってくれたあ
なた、ただそばににいてくれるだけで私は幸せでした。そして
いつでもあなたのことが大好きでした。

毎日あなたの夢を見ますもう夢でしか会えないのが悲しいです。
出来ることならもう一度あなたに会いたいそう思って日々生活
しています。

大好きな妻 陽子さん また会いたい・・・・・・
もっとそばにいて欲しい。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

幼馴染のスーちゃんへ

桜が散った後の5月、やっと一周忌が終わりました。
子供が大好きで、私を子供としても可愛がってくれたあなたは
こどもの日に逝きました。

自分ではわからずに、呼吸が辛いだけで”もう機械をつけて”
とあんなに嫌いだった最後の言葉を言ってお別れでした。
子供達や私の見守る中で意識がなくなりました。

幼馴染でずーっと手を繋ぎながら生きてきた二人でしたが、
入院してからは最後まで”ありがとう”とは言えませんでした。
意識のある時に、最後に今までよりも何倍も気持ちを込めて
言いたかった!
病気のため、これが最後・これが最後と言いながら世界中を
駆け巡りました。晩御飯の用意も手を繋いで買い物をしていて、
いっつも新婚気分でした。貴方と来ると余計なものを買うから
と笑顔で睨みながらも手は離しませんでた。
何度でも伝えたい!楽しかった日々を心からありがとうと。

あの時まで精一杯してあげられて私は悔いはありませんが
夢にも出てこないあなたが本当にいとおしい。

この一年何箱のティッシュを濡らしたか・・でも今はもう
思い出と割り切れるようになりました。あなたが誰にも負けない
あの素晴らしい笑顔で、私の心の中を消えることなく照らし
続けてくれているからです。

あなたと私の子供達も立派に生きているし、私も負けずに
元気に生きて行きます。
あなたや子供達のような素敵な笑顔が出来るようになるのが
私の生きて行くターゲットです。

大好きだったバラの花は何時も飾ってあげようねスーちゃん。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ちーチャンへ

 私が、ゴールデンウィーク(2009年)は、久し振りに休めると
言ったら、「北海道の余市へお母さんのお見舞いに行く」と心
に決めたのは、4月の上旬でしたね。

 それから、腰や背中の痛みをこらえながらの日々を過ごし頑
張りましたね。

 痛みがどうしても耐え切れなくなり、4月27日に入院して
から、毎日が辛く永かったでしょうね。

 痛みを代わってあげることが出来なくて、ごめんなさい。

 GW期間中、毎日病室で一緒に食べたご飯とおにぎり美味し
かったよ。私の作った味噌汁とご飯はどうでしたか?フルーツ
は、余市のふるさとの味がしましたか?

 5月6日お昼に先生から危篤の電話があり、病院へ駆けつけ
てから夕方までの時間はほんとうに早かったよ。

 私の手を握りしめたまま他界したちーチャン、喧嘩もしたけ
ど19年間の想い出を本当にありがとう!

 この次は、もっと丈夫な身体で生まれてきてください。

 ありがとう、そして愛してました。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

有加さんへ

あれから3年と少し。月日がたつのは早い。
でもこころはいつまでたっても晴れない。
気力も沈むばかり。
有加さんはどうしてるんかな。。

一人は寂しいね。人生の道を変えるのは難しいね。
毎日ため息ばかり。。どうしようもないよ〜。
どうしたらいいんだろうね?
教えて。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛するユカへ

51回目の誕生日に入院するなんてね。でも、病室が綺麗
になっていて良かったね。

ここ何年も誕生プレゼントなんて贈っていなかったね。こ
れが最後のプレゼントになるなんて、3ヶ月前には夢にも
思っていなかった。でも、医者が言ったように余命2ヶ月
は動かしようのない運命だったんだね。必死になって運命
の歯車を止めようとしたけれど駄目だった。

今思い出すのは車椅子のユカの姿、ベッドでお休みの挨拶
をしたユカの声。もっと、いろんな話をすれば良かった。
でも、それは最後のお別れを意味しているようで、「早く
元気になって」というのが精一杯だった。

結婚して10年はあんなに仲が良かったのに。いつの間に
か冷めてしまって、それもこれもオレのせい。ゴメンネ、
ユカ。オレがもっと広い心でユカを受け入れていたら・・
もっと、ユカを力いっぱい愛していたら・・・、もっと良
い夫婦になれたのにね。でも。入院してからは、お互いに
新婚の時の気持ちに戻れたと心から感じていたよ。

ユカがあんなに家に取りに帰りたかった結婚指輪。やっと
指に嵌めて安心してそれで逝ってしまったのかい。
大事な指輪。オレはこれを心の支えにして生きていくよ。
ユカ ゴメンネ。 ありがとう。
                                    ヒロ



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

今日という日に


今日という日に、今の気持ちを整理してみたいとおもったよ。

4年の間、一番うれしいことは、君を変わらず愛せていること…

つらいこと…やっぱり君を変わらず愛していること。

うれしいことも、つらいことも、君と私をつなぐ大事な糸
だから、とても大切に思っています。

君は私の人生の歴史の大きな一部で、私も、君にとって
そうであったと胸を張りたいのです。

もういいだろうと言う人もいます。
話題にもしない人もいます。
私を怨む人もいるでしょう。
君を過去に追いやる人もいるでしょう。

どうか…
気が済むまで精一杯愛せ と言ってほしい。
今日ぐらい、君のことを誰かに聞いてほしい。

君が身を持って与えてくれたこの痛みから、何か気づきを
得なければならないと切に思っています。

4年間、君に詫びてばかりいました。
もう一度、君に愛される人になりたい。

だから、最後のごめんにします。

ごめんね、君を手本に、本当の優しさを学びました。

どうか、これからも、変わらず愛することは許してください。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ソウルメイトII

ソウルメイトII

尚美・・・・。
君のいない「19回目の結婚記念日」を子供たちと祝ったよ。

俺は又ひとつ歳をとった。
でも俺の中の君はあの日から歳をとらない。

・・・熱い恋愛時代の4年間・・・人生のパートナーとしての
17年間・・・。
今でも様々な場面での君が俺に逢いに来てくれる・・・時には
夢の中、時には空想の中。

初めて出会った日・・・初めてのキス・・・初めて結ばれた日
・・・
親になった日・・・子供の入学式、卒業式・・・。二人で一緒
に経験してきたね。
これからも一緒に歳をとりたかった。

時々、君が生まれた頃からのアルバムに目を通している。
改めて君の全てをむさぼり集めているんだ。

こんなに想っているのに会えないなんて。
どうしようもない寂しさに包まれ、途方に暮れる時がある。

喧嘩をしたあの日。冷たくしたあの日。
もっと「ああしてやりたかった」「こうしておけば」・・・想
い返しては胸が詰まる。

君の好きなものが目に付くと、つい買って帰る。
お花や、食べ物、飲み物・・・今更遅い。それらはお供え物に
しかならない。
なぜ生きてた頃にもっとしてやらなかった。

あれから2年。・・・もうすぐ三回忌を迎える。
毎年・・・君の誕生日じゃなく、年忌を迎える事が悔しい。

今年も「ピンクリボンウォーキング」歩いてみるよ。君が歩い
た道を。

・・・時は俺の心を癒してくれるのだろうか?・・・

約束したよね・・・「来世は、最後まで添い遂げよう」
・・・その約束を頼りに・・・



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛するけいへ

けい、お前が居なくなり五年が経とうとしています、スキルス胃
がんで余命三か月といわれ、お前にはただの胃癌だから治るよと
・・・、今でもこれで良かったのかは、分かりません、お前につ
いた一世一代の嘘、きずいていたかな?

でも、みんなのお陰で二年と四か月がんばりましたね。お前は胃
の全摘手術から週一の抗がん剤の点滴、食べ物の制限、抗がん剤
の副作用、最後の二か月の入院の時の食事が全然できない苦しさ、
いつも笑顔で、ごめんねって言って、周りの人のことを最後まで
気使って、なんでこんな天使みたいな人が・・・、神も仏もある
ものかと思いました。

最後にこん睡状態になった時、覚えてる、また、結婚式して、新
婚旅行行こうねって、耳元で囁いたら、涙流して喜んでくれたね、
だから再婚はできないんだよね、二回もけいと結婚したんだから、
けいはいつまでも俺の嫁さんだから、最後に子供達も元気です。
みーも今年20歳になるよ、病気も大丈夫みたいです。

俺があの世に行ったら、必ず見つけてね、また会える日を楽しみ
に生きていきます。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛しい君へ

君が居なくなってから早いもので半年以上経ちました。出会いは
自分が好きになって告白をして、やっと振り向いてもらって、そ
の後は毎日ずっと一緒にいたね。色々な事を話をして、お互いを
大切に思って、二人で一緒に居るのが本当に自然に思えて全然嫌
じゃなかった。運命でめぐり合った二人だねって話をしたことも
あったね。

出合って2年後に結婚をして6年が経った。その間に本当に色々あっ
て二人で泣いたり笑ったり忙しかったね。その都度二人のお互い
を想う気持ちを確かめ合って・・・よく君は「自分の方が絶対あ
なたを好き、居なくなったことを想像するだけで泣いちゃう」と
言って本当に泣いていたね。そんな君を見ながら、自分は言葉に
は出来なかったけれど、自分の方が君を好きだよと微笑みながら
思っていた。

8年間、良いことも悪いことも全部含めて、今までの自分の人生
の中で最高に幸せだった。本当に大切な物は失って初めて本当に
大切だったんだと分かるんだね。もっと気持ちを口にだして伝え
てあげれば良かった。もっとあの時優しくしてあげれば良かった。
もっと、もっと・・・今では後悔だけが残ります。

今年の正月には元気だった君。頭痛を訴えて病院に行き入院して、
そのまま自分の足では出て来れなかった。突然に意識が無くなっ
たから、前の日に病室で話をしたのが最後になったね。「明日も
来るからね」と言って家に帰った。その日の夜に、突然君がいな
くなるのが怖くなって夜中にメールをして、いつもは照れくさく
て言えなかったけど、「君は僕の宝物だから早く元気になってね」
と書いて、君は「元気になるね」と返事をくれた。そのメールの
入った携帯は二つ合わせて沖縄で二人で買ったカゴの中に入って
るよ。

君とお別れの時、自分を残して逝ってしまう君が悲しくて泣いて
いるお父さんとお母さんの後ろから目を開けたまま涙が止まらな
かった。なぜかまばたきが出来なかった。死に顔が笑っているよ
うに見えるって最後に立ち会った人は言っていたけど、その後に
二人だけにしてもらって君にキスをした。その時に顔を見たら泣
いてるように見えたよ。

あれから半年経つけど毎日君を考える。やっぱり悲しいし辛くて
写真を抱きしめて泣いてた。反対に考えないように写真を押入れ
にしまったり、仏壇に手を合わせなかったりした。寂しくて辛く
て、君じゃない他の人に癒してもらおうともした。今もそうだけ
ど自分が混乱しているのが分かる。

だけどね、冷静になって考える時に、胸の奥に今でも君を好きで
好きでしょうがない自分がいる。この世の中で一番大切で守りた
かった君。自分の事を本当に愛してくれた君。いつも踊って笑っ
ていた君。一番大切な物を無くしてしまったけれど、君はこれか
らもずっと自分の中にいる。これからも悲しさはあるだろうけど、
できるだけ悲しまないようにするね。

魂ってあるって思える。二人は一つの魂でやっと一緒になれたと
感じてた。今でもそう信じてる。目の前から姿は無くなってしまっ
て悲しくてどうしようもないけど、君を胸の奥に感じることはで
きるから、これからも一緒にいよう。一緒にずっと生きて行こう
ね。笑うかもしれないけど、自分の夢は、自分が最後の時に、君
が横にいてくれて、最後に手を握って「ありがとう」と言う事だっ
たんだよ。へそくりも全部君に渡して、今後のことは心配しなく
ても良い状況にして、安心した気持ちで最後に笑いたかった。君
がいてくれたお陰で人生がすばらしくなったことを伝えたかった
・・・その夢は叶わなくなったけど、今でも充分に君がいてくれ
たお陰ですばらしい人生だと思えるよ。愛しい君へ・・・本当に
ありがとう。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

会いたい・・・

結婚して2年。わずか26歳でこの世を去ったお前。
韓国から俺だけを信じてついて来てくれたお前に
おれはどれだけのことをしてやれただろう。

今思うのは、お前が俺と結婚して幸せだったのか、後悔してない
のかということ。結局俺はお前を守ってやれなかった。もう少し
早く病院へ行っていればこんなことにはならなかったかもしれな
いのに・・・ごめんね。

もうすぐお前がいなくなって4ヶ月がたつけど、まだまだ辛いな・
・・お前に会いたくてたまらない。もう一度抱きしめたい。もう
一度お前の笑顔がみたい。ミヨン、サランへ・・・



【男性、20代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

もう大丈夫だよ

2週間前にこの世を去ったあなた。
あなたの体をむしばんだ病は、最期には僕の事さえもわからなく
させてしまったね。
そのことがあなたがいなくなった事よりも悲しかったよ・・・。

そして自分の人生の幕を自分で下ろしてしまったあなた。
病院で再会したときのあなたの微笑みさえ浮かべているような穏
やかな寝顔が未だに忘れられません。
辛かったんだね、苦しかったんだね。
ずっとずっと見えない敵と戦い続け、文字通り身も心もボロボロ
になって。
でももう大丈夫だよ。もう何も恐れることはないし、周りを気に
することもないよ。自分のことだけを考えてればいいからさ。

あなたはよく言っていたね。「私はみんなに嫌われているんだ」
と。
僕がどれだけ”それは勘違いだよ”って言っても分かってもらえ
なかったけど。
でもそれが間違いだってやっと分かったでしょ?
あれだけたくさんの人があなたの事を思って涙を流していたんだ
から。
みんなあなたのことを愛していたんだよ。
天国で後悔しているんでしょう?

2歳になったばかりの子供は僕が精一杯の愛情を注いで、立派な
大人に育てるから心配しないで。
そしてもしも年下の恋人ができたら僕はこう思うよ。
「生まれ変わってこの子に会いに来てくれたんだね」って。
待っているから。ずっとずっと待っているから。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ソウルメイト

尚美・・・・。
もう長い間、顔も見ていない。
声も聞いていない。
抱きしめてもいない。
会いたい。
お前の笑顔で頭が一杯。
会いたい。
今更ながら惚れ直し、恋に落ちてしまった。
付き合いだした頃と同じ、無性に会いたい。
会いたい。
お前が死期を悟った時、二人で話したね。
「俺と結婚して良かったか?」
『うん』
「又結婚してくれるか?」
『うん』
「見つけられるかな?」
『大丈夫』
涙一杯で沢山話せなかったね。
もうすぐ納骨と一周期。
子供たち3人と明るく暮らしているよ。
いつの日か、俺の最後が近づいたら迎えに来てくれよ。
その時に会えるのが楽しみ。死後の世界ってどんなだろう?
前世では俺が先に、今世はお前が先に・・・。
来世は、最後まで添い遂げようね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

まぁこ へ

まぁこが旅立って今日でちょうど一年です。
苦しい闘病生活から解放され、今はもう苦しんでないよねぇ!?
それだけでも聞くことができればちょっとは安心できるのに・・・

今日久しぶりによく一緒に遊びに行っていた六アイに行ってきた
よ!  君の事を思いだして届きはしないメールを送りました。 
読んでくれたかな・・・  優しい君のことだから今の俺のどう
しようもなく寂しい気持ち、きっと解って天国で微笑んでくれて
いるよねぇ?

君を亡くしてから今日で一年経ったけど、なんかただ生きている
だけのような毎日でした。
天国の君を悲しませない様に生きて行こうと思うのですが、なか
なか立ち直れない俺が歯がゆいです。。
日が経つにつれ、君の顔や声や仕草を思い出すのに時間が前より
かかっている自分に気付かされると寂しさが増してきます。 人
間だから仕方ないと思うのですが・・・

この一年を区切りにもっと強く生きていけるように誓う為にこの
サイトに書き込みをしてるんやけど・・・ 又寂しさがこみ上げ
てきたわ。

色々書いたけど、ごめんな!! これって俺の勝手な気持ちなだ
けで君への言葉にはなってないみたいやなぁ!!
このサイトを読ましてもらって、愛する人を亡くして辛い思いを
している人はたくさんいる訳で、後ろ向きに生きていっても良い
ことなんて何も無いもんなぁ!!

君がいなくなって本当に君の大きさに気付かされ、愛おしさも増
すばかりですがこれからは自分の人生を全うして君に堂々と会え
るように頑張ってみるわ!!
俺みたいなやつを好きになってくれてありがとう。 俺も絶対君
を忘れへんからなぁ
天国で会った時には飲めなかった酒を練習しとくんで飲み明かそ
うぜ!!



【男性】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

子供たちによろしく

辛いけど良かったねおめでとう。

長男を突然の出来事にて亡くし打ちひしがれていた時、下の子が
いるじゃない!って貴女は頑張ったね。

でも世の中にこんな仕打ちがあるかのように彼も又お兄ちゃんの
所へ逝ってしまいました。

それからの貴女は生きる気力も無くし「あぁ〜今日も生きてしまっ
ている。又目を覚ましてしまっている。もうこのまま逝ってしま
えたら・・会えるのに」・・そう本当にそうなってしまいました
ね。

私が帰って来た時眠っているばかりと思っていました。本当に
貴女は寝顔のまま綺麗なまま子供たちの所へ逝ってしまいました
ね。

・・おめでとう!本当に幸せですね。毎日子供たちといられて
幸せですね。私も早く会いたいです・・でも今はじゃまですね。

愛しい人・優しい人・いつまでも愛しています。
「貴女がおばあちゃんになっても抱きしめるよ」って言った約束
が果たせなくなりましたが・・

いつまでも愛してるよ。元気でね。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

三奈ちゃんへ

三奈ちゃんへ

三奈ちゃんと連絡を取り合った時の最後の言葉が
今でも耳に残って辛い日々を過ごしているよ。
そして、なぜ、亡くなる直前の電話を受けた時
仕事を優先してしまったのか、
直ぐに自宅に帰ってあげられなかったのか
本当に後悔して、後悔してもしきれないほど悔しい
気持ちで一杯でいます。やっぱり僕が見捨ててしまった
のかな?
心の病気になってから8年間、2人ともがんばったよね
一生薬を飲み続けなければならない事や、病院へ通う事
もつらかったけど、最近は、エステやメイク講座、そして
コンサートや旅行へ2人で出かけたりして楽しいことも
あったよね。
もう、週末に外食を一緒に楽しめないのは
本当に寂しいし、もう2度と会えないと思うと
胸をしめつけられるようで、苦しいよ。
もう、亡くなってから2週間が過ぎたんだね。
とても長く感じています。辛い気持ちはまだ続きそうだ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

亡き愛する妻へ

和恵、39歳で逝ってしまったね、癌を発病して約3年だったね。
苦しいとか辛いとか、愚痴をこぼさずに、本当によくがんばった
ね。
結婚して7年8ヶ月本当に楽しかったし、4歳年上だっただけに、
いろいろ教えてもらいました。

葬儀が終わって1週間ぐらいは、放心状態だったけど、君が残して
くれた、とっておきの2人の子供のために、やらなければならない
という勇気がわいてきました。

子供たちは、俺が命をかけて守り育てるから安心してくれよ。

最後に、試練そのものが不幸じゃなく、逆境に負けてしまう自分自
身の弱い生命が不幸!
この俺の師匠の言葉を生涯忘れないように、生き抜くから、俺が臨
終を迎えた時、一言「パパ ご苦労さん。」と言ってくれよな。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

有加さんへ

有加さん。
もう一年と2ヶ月ですね。
有加さんがこの世を去ってから。
どうしてるのだろうね。

僕は,まあなんとか,頑張っているよ。時には,まだ涙することも
あるけど。。
たまには,夢に出てきてくれ。
久しぶりに,有加さんが書いた自作文を読んだよ。
『がんばれ,有加』の言葉が印象的だったよ。
がんばらな,いかんな!
応援頼むよ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最後誕生日・・・・!

先日妻が天国へと旅立ちました。45歳の若さでした。
妻の癌が見つかって7年その間に入退院を12回程しました
妻との夫婦生活も7年です

思えば私たち夫婦の歴史は癌との闘いでもありました、私の
誕生日の数日前に入院して誕生日の日は外泊許可をもらい
二人でささやかに祝おうと話してて、少し体調が優れなくなり
今度は病室で静かに祝おうと話してたのに、誕生日の2日前に
急変して私は妻の手を思いっきり握り何度も々も妻の名前を
呼びましたが、答えてくれずに、私を1人置いて旅立ちました。

今は妻の遺影に話し掛ける毎日でまだ、本当に妻が居なくなっ
たのが信じられませんし、信じたくない心境ですが。
現実なんですね、、何とか立ち直る努力はしますが。
妻との思い出をもっと作りたかったです、
後悔の日々が当分続くと思いますが。
何とか頑張ります。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ユーラジー

中秋にしては妙な天気であった。雲間から一瞬刺すような鋭い陽
光が、森の上を掃くように走った。妻はベッドで半身を起こして、
雨かしらと呟く。私は9階の病室からぼんやりと街路を行く週末
の人の行き来を見ている。平凡な一日になるはずである。

この年3回目の入院で2週間ほど前にHCUからこの病室に移り、
病状は一進一退のように見えた。私も私の家族の誰もがまだ時間
はあると思っていた。死はまだいくらか遠いもののように思えた。

その日しかし死は突然にやってきた。妻は靭い精神を内に秘め、
愚痴も不平も言うことなく至極おっとりと病を養っていた。そし
て、何の挨拶もなく一人で逝ってしまった。凛とした精神はつい
に病に屈することなく卒然と昇天したものの様である。

彼女の死から7ヶ月、今日は彼女の65歳の誕生日である。私は
彼女の愛したレストランで遺影と一緒に食事をし、家に戻って仏
壇の前でいま”Happy Birth Day”を少し調子は
ずれに歌った。一人残された身にいったい何の望みがあるのだろ
うと訝っている。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

敏ちゃんへ

敏ちゃん、どうしてとつぜん逝ってしまったの?
今年は大好きな敏ちゃんのあこがれのマドンナ
が来日するから絶対コンサートいこうねっていってた
じゃない!わずか40才で逝くなんて・・

敏ちゃんとはいっしょになってから5年目。
いっつも寝るまえには、夢でもいっしょだよって
いってお互い寝ていたね。心の病気でも
くるしんでいたけど、けっして弱音をはかず
がんばってきたね。まだ逝って6日しかたってない
からかもしれないけれど、まだ夢をみているようだよ。

健康のためにお酒を断って、今年の9月11日の誕生日
には乾杯しよな。っていったじゃないか。

でも敏恵ちゃんのためにも俺がんばって生きるよ。
俺にもしものことがあったら、天国でウーロンハイ
で乾杯しような!



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

妻へ

50年有難う、貴方が去って3年 まだ寂しさより抜けられませ
ん、私は一人になりました、別居している子供達に迷惑をかけな
いように「老骨」に鞭打って頑張っています

子供達も忙しいのです、「自己責任」で体調管理しております、
一人になって「貴方の」存在の大きかったことを実感しています、
長い事有難う、お世話になりました

不思議な「縁」で一緒に暮らしました、二人で一人前でした
これからの「老後」をどうして暮らしたらよいのか未だに分かり
ません、モット モット大事にしてやれば良かったと後悔してい
る毎日です、こうして亡き妻と本当に話をできるのですが、モッ
ト若い方が苦しんでいるのを知りました

私など良いほうですが 寂しいです、情けない男です




【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛しき君へ

 愛しいせっちゃん! 貴女が居なくなってから三年になろうと
しています・・・。
 振り返れば、共に暮らした二十年の日々がまるで走馬灯のよう
です。
 泣き笑いしたり、いがみ合ったりして・・二人で生きてきたの
に、突然の「すい臓がん」の告知を受けて僅か四ヶ月のあっと言
う間の最期でしたね。

 短期間の入院生活の間に貴女に余命を告知出来ずに私の胸にし
まい込んでいたのは、とても心苦しいものでした。
 でも、貴女は悪化していく病状の中で気づいていたと思ってい
ます。
 なのに・・貴女と出会った頃のいつもの愛くるしい笑顔を絶や
さずに周りに接していましたね。本当は、身も心もさぞかし苦し
かった事と思います・・。

 ちっちゃい身体で何事にも頑張り屋で、私の我がままをいつも
暖かく受け入れてくれていましたね・・。
 何時でもどんな時でも私は貴女の「手の平」で遊んでいたのを
気づかずに有頂天になっていました。
 こんな私を許してネ。ごめんなさい。

 病室での貴女の言葉が忘れられません・・・。
 『もう一度、生まれ変わったなら・また一緒になってネ?!』
 ・・・返事の言葉が出来ずにいたのに!
 『何で?黙っているの?・・今度は、病気にならない身体で生
まれてくるから〜』・・・思わず背を向けて泣きましたよ。
 今は・・せっちゃん!貴女に届くものなら言いたい!こんな私
には、勿体無いほどの素敵で天使みたいな女性でした!!

 来世で巡り逢えることが出来たならば、今度は私が貴女に
「誠心誠意」尽くさせてくださいね!
 先に旅たたれた悔しさはありますが、また逢いましょう〜!!
      今も「最愛なる君へ」 タカより。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

 

妻が亡くなった事がどうしても受け入れられない、車を運転して
いても助手席にいつも座ってる妻がいない、どうしていないのか
が理解が出来ない。

寂しい、とにかく寂しい。こんなに寂しい事は生まれてこのかた
無かった。いつもいる人がいない、涙がいつになっても止まらな
い。
何もする気が起きない自分が壊れて行く気がする。ただ寂しさが
込み上げて来る、家にいてもただの箱の中に閉じ込められている
状態と同じ、ただ時間の過ぎ去るのをボーットして耐えているだ
け、力が抜け何もする気になれない。
日に日に強くなるこの状況、これでは最初から一人で生きていた
のがどれだけ楽かと考えてしまう。一緒に34年も生活していた
からなおさらだ。

まさか私がこのような状況になるとは思ってもいなかった。一人
でいると涙が止まらない。朝起きても挨拶する妻がいない、行っ
てらっしゃいの言葉もない、何のために仕事をするのか解らない、
このような状態では良い仕事が出来ない。今になってみると妻に
もっと色々な事をしてあげればよかったと後悔し悔やむ。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

有加さんへ

天国の有加さんへ

妻が亡くなってから約2ケ月が過ぎようとしています。
結婚して
十数年間体の病気及び心の病気両方で苦しんでいました。
子供にも恵まれなかったため
結婚してから2人で共に助け合い励ましあって生きてきましたが,
妻は永遠の眠りを選択しました。

お前はなぜ死を選んだのか?僕はどうしたらよいのか?
おじいさん、おばあさんになるまで一緒に暮らすと約束したじゃ
ないか。
悔しい気持ちでいっぱいだったぞ。
有加さんは,今花がいっぱいの天国でゆっくり寝ているのかな?
それとも愛犬と一緒に走り回っているのかな?
どちらにしても,リラックスしているのだろうな。

時にはいまだ涙するときがあるが,仕事も続けているし,
食事も毎日食べているよ。
有加さんの健康メニューもできるだけ取り入れて健康には注意し
ているよ。
お酒は少し増えたが,注意します。

このホームページの100の言葉にもあったけど,
有加さんに
[愛する人を失った悲しみを味あわせずにすんでよかった]と思っ
ているよ。
ときには,夢の中に出て来てくれ,夢の中でよいからもう一度笑顔
を見せてくれ。
なんとかがんばって生きていきます。応援よろしく!

生まれ変わったらまた,また結婚しよう。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

友美へ

 君が亡くなって半年が経とうとしています。今でも死を受け入
れられない自分がいます。だってさ、朝起きると君の笑顔があっ
て、仕事から帰ってくると君の笑顔があった生活が一瞬にして消
えてしまったのだから。でもね、結婚生活2年8ヶ月で、たくさ
んの幸せをもらったのは事実かな。思い出すだけで涙が出ちゃう
よ。今まで悔し涙しか流さなかったのに、友美が見たらビックリ
しちゃうかな。

 なぜ、友美を好きだったか言うね。まずは、かわいい顔が好き、
純粋な心が好き、頑張り屋さんの友美が好き、誰にでも笑顔で優
しい友美が好き、自分のことより、他人を心配する友美が好き、
要は全部が好き!何で生きている間に、もっと、もっと言ってあ
げられなかったんだろうって思っちゃうよ。

 神様がいるなら、10分間でいいから友美に合わせて下さい。
伝えたいことがあるんだ、抱きしめてあげたいんだ、もう一度、
あの笑顔に合わせて下さい。お願いします。

                      満より



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

芳江ありがとう

芳江ありがとう。
2004/11/5 君は逝ってしまったね。
40歳だったね。病気(スキルス胃がん)が分かったのが2003/3/10

告知されてから、1年8ケ月の精一杯の命だった。
ほんとに無念だったろう。不安だったろう。
心残りだったろう。

でもね、今、三人の子供達は一生懸命頑張っているよ。
モモコは来年(2006/4)小学校に入学だよ。
ナツキ(長女)は、お姉ちゃんになったよ。
最近は、ご飯も炊くし、食器洗いも慣れたものだよ。
えらいよね。まだ10歳なのに‥‥。
アキラは、ゲームばかりしているけど、
君に似てやさしい子だよ。いつも線香をアゲテいるよ。

芳江、お前のおかげで子供達は立派に生きているよ。
お前と過ごした、14年半、付き合い始めてから16年。
ほんとに楽しかったよ。仕事に追われて会話が無くなって
家族らいしい、父親・夫らしいことができずに君を失った。

申し訳ない。本当に申し訳ない。君に何にもしてあげられなかった。
結婚する時に『幸せにする』と約束したのに‥‥。

でもね、君の病気が分かってからある意味幸せだった。
私が君と子供達の存在がどれだけ大切なものか認識できた。

遅いよね‥。
当り前のことなのに、仕事や世間体に託けて、‥‥
本当に反省ばかりさ。君はいつも私の体を心配してくれた。
食事のこと、睡眠のこと、仕事のこと、
なのに、なぜ、なぜ君が逝くんだ?

たった40年の命。子供達のことが不安だったろう。
死の不安と恐怖、それらに対し君は『全然気にならない』
と私を安心させようと強がりを云った。
そこまで‥、そこまで私を安心させようと‥‥‥
芳江、今でも愛しているよ。永久に‥。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

言わず、伝えずに

歳、離れた妻、十九の秋に俺と所帯を持った、それから三十六年
間、家計、子育て、教育すべてを任せきりそれで居て些細な事で
喧嘩はよくした。
妻のセリフ「お父さんは細かすぎる」、俺からは「おおまかで、
配慮が無い」所詮かみ合う筈が無かった。

妻、四十一歳の時大病院で検査結果を私だけに告げられた言葉
「奥さんの余命、3年から5年位です」受け入れる事も、信じる
事も出来ず無の感じで説明を受けた。

その後、気持ちを変え様としたがほんのひとときだけ、又元の生
活、お互い詫びる事無しで終わってしまった。

その後、十四年間九回の入退院の闘病したが、家に戻れば訛りあ
る話し方治す事もなく、まず明るく元気で、お節介やき、家でも、
外でもいつも笑いの渦を起こしいて、五十数年住んでる亭主は知
らなくても、妻を知る人が多かった。

「お父さん、なにそんなにおこってるの?」とか、鮒釣りあげて
「これ食いつかない?」「馬鹿言ってんじゃないよ金魚食いつく
か」等いろいろ有った。

黄泉の世に旅立って六年が経った、病に関する本何冊も買い込ん
で居たのだから、それなりの覚悟してたと思い、エンディグメッ
セジー探しまくったが出て来なかった。

食欲不振、倦怠感、買い物に外出出来ない程の頻繁な腸液の排出、
ビール党から焼酎になり、朝から飲み続けた結果一ヵ年でアルコー
ル性肝炎〜肝硬変〜肝癌〜手術体ぼろぼろになった、そんな父親
に見切り付けたのか、悲しみから逃れる為か二人の子前後して海
外に巣立って往った、未だ妻の匂い漂う寂寥の空間でのひとり生
活、笑いも、感動もない今、これだけは看取る時に言わなければ
言葉「ミサやん、お前と一緒になって良かったよ、ありがとうねー」
伝え損なった無念さが離れない。

最近短命で生を終えた人の出版本に記してる文「人生は時間だけ
ではない、中身が大事で有る」感動をした。
「来世めぐり逢えれば、良かったら又、共に暮らそうよ」と、付
け加えたい。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

もしも

もしも、君の目が僕のものだったら・・・
もしも、君の口が僕のものだったら・・・

僕の手が君のものだったら?
僕の足が君のものだったら?

もしも、願いが叶えられるなら

「もしも」を実現させたいよ。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

佳子へ

お前みたいなイイ奴いてへん。
お前みたいなカワイイ奴いてへん。
お前みたいな優しい母親いてへん。
結局お前みたいなエエ嫁さんいてへんかった。
愛してたし、今でも愛してる。

何故、生きてるうちに気付けへんかったんやろな?
いや、気付いてた。
気持ちがお前に十分に伝わってなかった。
ごめんな。
でも慰霊の写真に一目惚れしたのはおかしいな。
お前は家族にとって太陽やったと改めて思った。

あれから1年。
泣いた。
こんなに悲しい、寂しい、辛い、重い1年は初めてや。
その間色々あった。
仕事も代えた。
今の仕事は一緒にしたかったな。
でも、一緒にやってるよ。
心の中に生きてるし、お前の得意料理もメニューにある。
初めての経験やから最初は戸惑った。
ようやく慣れてきたところや。
いろんな人と知り合いになれた。
去年ほど人のありがたみが身にしみて分かった年も無かった。


最近、夢で会えないな。
天国でも忙しいのかな?
ちゃんと成仏出来てるのか?苦しんでないか?それだけが心配
です。
「ありがとう・・・・」最後の夢の言葉信じていいか?
僕と結婚した人生、後悔してないか?
ごめんな。最後まで助けてやれんで。

寂しいさのあまり、そっちに行きたい時もある。
でも、子供が悲しむ、親が悲しむ、何よりお前が悲しむわな。
宿題が沢山残ってるもんな。
ずっと見ててな。
そして何十年後、その時が着たら迎えに来てな。
その時は力一杯抱きしめるから覚悟しておけ。
「あんた、ちょっとは見直したで」と言ってもらえるように、
それまで頑張るわ。
その時を楽しみに。。。。。。。。。。。。。。。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

思い出すと・・

裕江が逝ってもう6年経ちますが、未だにあの辛かった頃を思い
出すと、涙が溢れてきます。

喧嘩ばかりでしたが20年連れ添い、あんなに元気で明るかった妻
の体調が悪くなり、10月の検査で癌と分かり余命4ヶ月と診断。

しかし当然の仕事復帰を信じていた妻に、4ヶ月で死ぬ、なんて
言える訳ありません・・。辛い入院生活中、一緒に病院の食堂へ
行って、クリームソーダを美味しそうに飲んでいた無邪気な妻。
見舞いに行くと「随分歩けるようになったでしょ!」と廊下で喜
んでいた妻。「早く良くなって仕事復帰しようね。」というと、
「うん!」と目を輝かせて答える妻が哀れでなりませんでした。

私は告知に関してどうしたら良かったのか、未だに答えが出ませ
ん・・。私は休職し、自分の人生全てをかけて、悔いの無いよう
看病しました。モルヒネも効かない程の痛みが続く2月の寒い朝、
私の腕の中で妻は痛みの無い世界へ行きました。でも亡くなる暫
らく前のこと、骨と皮だけの意識もうろうとした妻が、今まで見
たことの無いような優しい笑顔で「やっちゃん ありがとう」と
言っくれたのです。私は泣きながら妻をずっと抱きしめていまし
た。

「大好きな裕江、いつまでもずっと愛しているからね。もっと生
きたかったあなたのぶんまで生きて、土産話を沢山収集するから
楽しみに待っててね。」と6年経って、やっと少しそう思える様に
なりました。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

大好きだった妻「陽子」に

 陽子が亡くなって早5ヶ月。病院で早朝亡くなってすぐに、
お通夜だ、葬式だ、そして子供達との生活に仕事に追われ、時間
だけが過ぎていってしまった。

 毎日、写真を見ては泣き、残された日記や手紙を見ては泣き、
の生活かと思ったが、全然違った生活がここまで続いた。
 決してお前の事を忘れた訳ではないが、言い訳をさせてもらう
と、やっぱり男の子2人との生活は忙しい。家事に追われ、思い
悩む時間が無い。
 でも月の命日には子供達も線香を上げ、お兄ちゃんはお前の好
きだった「ケーキ」を買ってきて添えたりしている。

 お前が無くなって、我が家から笑顔が消えた。休日もバラバラ
で子供を何処へも連れってやろう、という気になれない。家族連
れの楽しそうな姿を見るのが、つらいから・・・

 何で、我が家だけがこんな目に合わなければならなかったんだ
ろう、て今でも思ってばかりだ。
 お前も無念だっただろう。まだ幼い子供を残して、「死ねない」っ
て病室で叫んでいたのが、思い起こされる。

 寂しい。そして、子供達の事やこれからの事を考えると途方に
くれてしまう。
 いつか、我が家にも笑顔が戻ってくるのだろうか?



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

孝子へ

8月25日が来るともう1年やね、入院したらあと1ヶ月の命
と宣告された時は目の前が真っ白になったで、その事を隠しつ
づけてごめんな。健康な時はお互いにちゃんと告知しようと話
てたけど勇気がなかったね、普通に接しようとして怒らせた事
もあったな。
日々身体の自由が利かなくなって行く孝子を見てどうする事も
出来ない俺が腹立たしかった。
看病してるのに死を待ってる日々だった、入院40日間看病で
きてよかった。普通に「ありがとう」て言ってたね看病して当
たり前やのにありがとうて言ってくれた、自分自身気がついて
いたのやね
ありがとうは俺が言う言葉や、 今までわがままな俺と一緒に
居てくれてありがとう。この1年想い出だけで生きてきたみた
い。
なにかにつけ、孝子と結びつけて生きてきた。
想い出だけでは生きていけないけど、いつも想ってるよ
ありがとう 孝子



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

祐子へ

祐子 今は天国にいるよね 身体の調子が悪くても皆に心配させ
たくない性格だから一人で頑張ってたんだよね でもそんなに調
子が悪かったんだったらもっともっと言って欲しかったな そう
すればもっともっと優しくしてあげられたかもね
 亡くなる前は喧嘩ばかりしてたしオレもかなり冷たくしてたけ
ど 結婚したてのころは狭い家のなかでも楽しかったね
 マリちゃんが生まれてから3人で旅行に行ったり食事に行った
りしてたときは本当に楽しかったね
 昼間しゃきっとして家事をこなす祐子は大好きだったよ やさ
しいからオレが怒鳴っても必ず祐子から謝ってくれたよね。もう
すぐ一周忌だけど早いね。天国でゆっくりしていてね。マリちゃ
んはしっかりしてるし二人で頑張って生きて行くからしっかり見
守ってくれよな。いつか天国で会えたら想い出話しして大笑いし
ような。楽しみだね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ごめんな。

私たちは1997年10月18日結婚しました。そして妻が永遠
の眠りについた10月18日は4回目の結婚記念日でした。

私たちは結婚するにあたって、両家から反対されていました。私
の実家は農家をしており、妻は小さいころに大きな病気を克服し、
なにもそんな大変なところに嫁に行かなくても・・・ということ
と、体の弱い人をもらうと苦労するよ、などといった感じでした。

でも、お互い好きで好きで一緒になりました。初めは二人でア
パートを借り何気ない毎日が今思うとほんとに幸せでした。私が
家に帰ると妻は夕飯の支度をしていて、二人で今日あった一日の
ことを話して笑い転げたり、今度の休みはどこいこうか?とか、
クリスマスには結婚してから毎年行ってるレストランに行ったり、
並べればきりがありません。

妻が先立ってからは、二人で笑うことも、けんかすることも、レ
ストランに行くことももうできません。

今年のクリスマスのレストランの予約も先日二人分取りました。
亡くなって一週間が過ぎます。心にぽっかり穴が開いてる感じで
す。
逢いたいです。話をしたいです。触れていたいです。
いままで冷たい言葉かけたことほんっとに悔やみます。
悔やんでも悔やみきれません。でもこのあいだ夢に出てきた時は
すごく微笑んでいたね。ほんとにごめんな。結婚して四年、短
かったけれども幸せでした。27年という短い人生だったけど、
その分俺もがんばって生きていこうと思います。

一生忘れません。今でも愛してます。



【男性、20代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

変わらぬ季節

お前が、俺の事を想う気持の大きさに気付いている分、お前の事
を思うと辛いよ。
この辛さはお前と同じように、俺もお前を想う気持が大きいから
だろう。愛し愛されることも大きな幸せの一つだから。

人は何故、当たり前の生活を幸せと気付かないのだろう?
何故、大切なものを失ってから、その大きさに気付くのだろう?

あの、無邪気で可愛く頑張り屋だった、お前がもう居ないなんて
信じられない。
幼いころから辛い事に耐え、やっと掴んだ幸せのはずが、
辛い病気に耐え、変わり果てた自分にも耐え、俺にいつも
『こんな汚い私は嫌いでしょ? でも、嫌いにならないでね。』と
言っていたね。
汚いと思ったことなど一度も無い。もちろん嫌いになんてなるはず
もなく、変わってしまった容姿でも、いつもと変わらぬ可愛いお前
で、それでも頑張っている姿が光ってさえ見えていたのだから。

ふと思い出すと、今でも病室で俺の帰りを待っているかのように思
え、死を受け入れていたはずが、むしろ苦しみから解放されて良かっ
たねと、思えていたはずが、一周忌を迎えようとしている今になっ
て、真綿で締められるかの如く、孤独、悲しみ、死を受け入られな
くなって来た自分にくるしんでる。
この一年、どれだけ泣いた事か? 
一周忌を迎えるという事は、この先『去年の今頃は・・・』と思い
起こしても、そこには一人の自分しか居ない。
まだ今は、去年の今頃は 辛い時期だったけど、そこにお前が居た。
どんどん一人になって行く・・・

だけどな、お前はいろんな事を残してくれた。
愛する事の素晴らしさ、命の尊さ、そして『当たり前の幸せ』
二人で死を受け入れたものの、正直 俺は燃え尽きた、もう、いいやっ
て思ったこともある。
でも俺は負けない。いろいろな想いがあるけど、この悲しみの辛さを
全て俺が引き受け、お前にこんな悲しい思いをさせなくて良かったと
思いながら、この経験をいろんな人に伝えて生きて行くことにする。

愛してる、いつまでも。
お前はいつまでも、俺の可愛い奥さんだぞ。
しばらくの間、お別れだね。いつの日か、お前が造った世界で本当の
幸せな生活を送ろうね。じゃあね・・・



【男性、20代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

何もしてあげられなくて・・・

2002年1月8日、入院後わずか3日目にして妻は34歳の若さでこの
世を去りました。結婚してまだ1年3ヶ月。結婚した当初より体調
が思わしくなく膠原病の中の「多発性結合組織病」と診断されま
した。原因も治療法も確立されていない難病でした。

私と妻は子供のときからの知り合いで、長い年月を経てようやく
一緒になりました。たくさんの紆余曲折がありました。

実は妻とは正式に入籍しておらず、なぜなら妻は前夫と離婚調停
中だったのです。小さいときから苦労ばかりして、周りのことを
最初に考えてしまう妻に、私はこれから時間をかけて「ひとりの
女性としてのシアワセ」を知ってもらおうと大きなことばかり
言っていました。かく言う私も難病を抱えており「ふたりでなら
かならずうまくいく」とふたりとも信じていました。

妻は最期の最期まで本当に良くがんばりました。全身の血が固ま
り始め、肺や脳の血管が破れ、それでも私の呼びかけに答えよう
としました。妻の最期に立ち会った私は、かつてないほど取り乱
し、もう一生分の涙を流しました。体がまったく現実を拒否して
震えていました。

妻は地方の出身なので「未入籍」ということがネックになり私は
妻の死後でさえも彼女の希望をかなえてあげられませんでした・
・・本当にごめんなさい。

私はいま彼女の遺骨を少し持ち帰り、一部は部屋に、そして一部
は常に身に着けています。この先のことはわかりませんが、妻と
するはずだったことをひとつずつやっていく人生になれば素敵だ
と思っています。

「私たちはふたりでひとつ」・・・それが妻の口癖でした。いま
私は毎日ただ泣いていますが、こうしている瞬間も、そしてこれ
からも私たちはただ「共に在る」・・・それが私たちの人生だと
思っています。



【男性、30代】

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