レクイエム(鎮魂の文集)2
[配偶者、妻との死別]

奥様(妻)を亡くした夫の文集






癒しの広場


お願い ご投稿の期間は、数か月以上空けてください。







奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ

ママへ
久々7通目の手紙です。

早いものでママが旅立って3年たちました。
娘も今年から中学生になって身長もぐんぐん伸びて既に
おばあちゃんより大きくなって毎日バトルしています。

部活も剣道部に入り充実した日々を送っています。
剣道部って意外でしょ!僕も聞いた時は驚いて何度も何度も
確認してしまったよ。だけどママの娘なんだね一度
言い出したらなかなか聞かないとこなんて似ているな〜と
思います。新しい友達もできて中学生活を満喫しているよ。
ちょっと安心しています。

心配事も沢山あると思うけどそっと見守ってやって下さい。
僕は相変わらずです。ママの事を強烈に思い出して涙流したり
笑ったりしています。ただやっぱり相談できる人が隣にいない
というのは寂しい・・・・。3年たっても時間があると
考え込んでしまいます。不思議でママとの思い出が全く
色あせないんだよね。むしろ前より鮮明になっている気がする。

また時間ができたら手紙を送ります。じゃーね。



【男性、40代】 2017.05.11

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

薫さんへ

北海道へ移住して半年が過ぎました。やっと北国にも遅い春が
やってきました。

思い起こせば東京での生活は君が一緒でしたね。楽しかった時、
悲しかった時、辛かった時いろんな事がありましたね。
それの一つ一つが今は遠い思い出になってしまいました。
もっと一緒に居たかった。何気ない毎日でしたが振り返ると
それが幸せの意味だと最近思います。

時々思い出を紐解いては涙したり微笑んだりしています。
今も毎日一緒ですよ。
独り言で君に話かけたり、相談したりしています。そんな毎日
ですがやっと自分のペースで毎日が送れるようになりました。

6月は七回忌なので東京に行きます。
お墓は君が寒い東京が嫌だったのでまだしばらくそのままにし
ておきます。久しぶりに会いに行きます。
君が好きだったサイダーとどら焼きを持って。

東京は君との出会いの街でもあり悲しい別れの街にもなって
しまいました。
そのころの事を振り返りながら毎日元気に生活しています。
いまは君の姿はないけれどいつも心の中に居ます。



【男性、60代〜】 2017.04.25

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ケイコさんへ

ケイコさん、久しぶりですね。
4月23日午前0時16分、ケイコさん
と死別してから2年が経ちますよ。
早いのか遅いのか、3回忌も今週末
予定しているよ。

ケイコさんは天国からいつも見守って
いてくれてるかな?‼
毎朝、出勤するときに手を合わせて
いますよ。
たまにで良いから夢に出てきてね。
待ってますよ

ケイコさんとの思い出は大切な宝です。
一生、心に残しておくからね。
コブの心配はもういらないからね‼
立派に生き続けていますから。
ケイコさんの分も長生きして、
いつか報告するから楽しみに
待っていてね。
それじゃ、3回忌で会いましょう‼



【男性、30代】 2017.04.05

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

9年

秀子さん

早いものであなたが逝って9年。結婚生活18年の半分が過ぎてし
まいました。
一緒に生活した年月がどんどん遠のいていくようでつらいです。
さらに半分が削られてしまったように感じます。

あと9年経ったらどうなってしまうのか。あなたを喪って一人に
なってからの年月のほうが長くなったらどうなってしまうのか。

姿かたちはないけれども、何も聞こえないけれども、いつまでも
僕と一緒にいてください。だから納骨はしていません。

僕は100歳まで生きたい。生きて秀子さんの50回忌をやりたいです。



【男性、50代】 2017.01.28

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

時が・・・

きよみちゃんへ

結婚指輪をはずして、80日経ちます。
11年した指輪の痕は何も残っていないと思っていましたが、
していた場所を押さえるとクッキリ痕が浮き出てきましたよ。
あなたとの幸せの証です。

何か身に着けていないと、苦しかったので結婚指輪を購入した
メーカーに行って指輪の話をしたら、登録されていたので
まったく同じものを作ることが出来ました。

刻印は05.3.6Kiyomi16.11.04にしました。
一つしか作ってないけど、こっちに残っているのは一人だけ
だからね。

2月の納骨が終わったら、あなたとの思い出巡りをしようと
思ってますので、ついて来てね。



【男性、40代】 2017.01.22

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

お母さんへ

もうすぐ貴女の3回目の命日が来ます。
やっと3年なのかもう3年なのか…よく分かりません。
ただ分かるのは、今でも寂しいってことです。
心に穴が空いたまま3年が経ちました。

もう絶対に貴女には会えない。
声も聞けないし触ることもできない。
貴女の手料理も絶対に食べられない。
出来ないことばかり考えてます。

現実を受け止めて前を向けって周りの人達は、言いますが、
どうしても前を向けずにいます。

お母さん、このままじゃダメだよね。
まだまだこれから先があるんだもんね。
もう少し頑張ってみようかな。
天国で見守っててくださいね。



【男性、50代】 2017.01.18

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

てん 3回目の手紙

てん

君が逝ってからもう10年の月日が経ちました。
でも、未だについこの間の出来事のように感じる時が。
だから、寂しさになかなか慣れることができません。

そして今日32回目の記念日を一人で過ごしています。
いつでも君のところに行くことができるのですがなかなか、
迎えが来てくれません。

しょうがないのでその時が来るまで待つことにします。
最近は運動不足で少し肥満気味です、君に会うまでには、
スリムな体型に戻したいと思います。



【男性、60代〜】 2016.11.25

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

薫さんへ

東京から北海道に引っ越して1か月が過ぎました。今年の旭川は
雪が早くから降り出しとても寒いです。

薫さんが亡くなってから5年以上も過ぎました。東京生活の殆ど
が一緒でしたね。

今朝ネットで麻央さんのブログを見ていると薫さんと病気の症状、
状況が良く似ていて当時の事を思い出しました。
薫さんは亡くなるまで本当に良く頑張りましたね。本当に強い人
でしたね。弱音を見せず一生懸命生きようとしていた事を思い
出します。

ふと思います。もっと自分にできることは無かったのかと。
腰が痛いと言っていた頃もっと真剣に考えてあげればよかったと。
そうしたら早く癌が発見出来たのではと。
振り返るといつもその事を思い辛くなり後悔して涙を流して
しまいます。やり場のない悲しみに襲われ思いを綴っています。

北の天気は今は曇りの日が多く心も沈みがちになります。
でもそんな私は薫さんは嫌いですよね。
時間が随分悲しみを和らげてくれましたが決して消えることは
無いでしょうね。自分なりに緩やかにこれからも生きていこうと
思います。

やがて又春が来ます。思い出と一緒に旅行に出かけたいです。
もちろん薫さんと一緒です。
いつまでも一緒にいようね。

2016年11月14日



【男性、60代〜】 2016.11.14

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最後のレクイエム(鎮魂歌)

こんにちわ!
ケイコさん。元気にしていますか?
これから先、愛したい人、守りたい人
が私の目の前に現れました。
その女性のために私は生きようと思います。
私には死ねない理由が出来ました。
永く生きなければいけない理由が出来ました。
これから先、その女性と共に生きて行きたい。

ケイコさんと死別して、もう二度と人を好きに
ならない...ずっと独りで良いと思っていました。

それが死別したケイコさんのためになると...

でも、それはケイコさんを理由にしていた。
ケイコさんのせいにしていたのかもしれない。

ケイコさん...

りょうはその女性と幸せになります。

だから、見守っていて下さい。

私が何れあの世に逝った時、お互い笑って
逢いましょうね。

今まで、本当に、ありがとう...

「コブ」改め...りょうより



【男性、30代】 2016.08.16

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛なる妻ケイコさんへ

ケイコさん!
北海道より手紙を書いてます。
7月11日でコブは36歳を迎えたよ。
やっとケイコさんより年上になった。
生前、同い年なのに学年が一つ下
だからってバカにしてたよね?
もう、バカには出来ないからね。
ケイコさんは天国でゆっくりと
年をとっているんだろうね?
北海道土産話は沢山あるから
楽しみに待っていてね。
そして、7月15日は結婚記念日
だったね。ケイコさんが生きて
いれば結婚9年目を迎えていたよ。
まだまだ、ケイコさんは若かったし
一緒にやりたい事も沢山あったよね。
まだまだ、ケイコさんを思う所は沢山
ありすぎて、たまに感傷に浸る時も
あるけど、ケイコさんの後押しでコブ
は一歩前進出来るからね。
これから先も、常に一緒だから....
ちなみに、冷蔵庫は修理依頼してみます。
やっぱり、大事な思い出だしね!
7月一杯は北海道に居て、8月に香川県に
帰ったら仏壇周りを綺麗にして盆を迎え
るからね。
手紙また書くからね‼



【男性、30代】 2016.07.17

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛なる妻ケイコさんへ

ケイコさん!
コブは元気に生きていますよ。
ケイコさんが見守っていてくれているから、コブの心の中に
常にケイコさんが居るから、それだけでコブは元気に
生きて来れます。
さて、ケイコさん!コブは今、どこに居るでしょうか?
答えは北海道の別海町です!
6月23日に香川県を出発して、海路を経て25日から別海町に滞在
してます。
ここでの生活はコブに刺激を与えてくれます。
また、ケイコさんへの土産話が沢山出来そうだよ。
そして、7月11日はコブの36歳の誕生日です。
毎年、ケイコさんが祝っていてくれたね。ありがとう!
ケイコさんは35歳1月20日で時間が止まっているのかな?
コブは漸くケイコさんより年上になりましたよ。
生前、同い年なのに学年が一つ違うと言ってからかっていたよね?
もうコブが年上だからね‼
ケイコさん...
コブはいつも空を見上げています。いつも何処かでケイコさんを
探しています。
ケイコさんとの思い出に癒されます。
コブのこれからの生き方を見ていて下さいね。
ケイコさんに恥じない生き方してみせますよ。
香川県に帰ったら仏壇の掃除するね。
あと、冷蔵庫は何とか修理依頼してみるね。ケイコさんとの
思い出の詰まった物だから。
それじゃ、また手紙書くね。



【 】 2016.07.11

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛なる妻ケイコさんへ

ケイコさん!
1ヶ月ぶりだね!
毎月ケイコさんにレクイエムを通じて近況報告してるけど、
ちゃんと読んでいてくれてるかな?
最近のコブは四国遍路の旅を結願しましたよ。
ケイコさんが履いていた靴と一緒にね!
流石に難所は疲れたよね。
コブカー傷だらけになってしまったよ!
後は、高野山に結願報告して満願です。
ただ、その時期は8月以降になっちゃうね。
来週から仕事で北海道に7月末まで行っちゃうから。
ケイコさんと北海道旅行したかったな〜。
最近、北海道に行ってきて札幌や別海に行ってきたよ。
また、土産話が沢山出来たよ!
楽しみにしていてね。
最近、思う事はケイコさんは何に生まれ変わっているのだろう
と...
虫嫌いなケイコさんが虫になっていたらどうしようと...
後ね、前回の手紙でも話したけど新たな出逢いをしても良いかな?
無論、家にはケイコさんの仏壇と遺影や思い出ばかりが残って
いるけど、それらを全て受け入れてくれる女性と出逢ったら、
コブの伴侶としてケイコさんは認めてくれるかな?
ケイコさんはどう思っているんだろうね...
最後に、北海道までの移動に飛行機乗った時に感じた事です。
「雲の更に上空に一時的に飛んでいたコブは、今のこの瞬間が
一番ケイコさんの居場所に近づく事が出来たのかなっと」
きっとそうなんだろうね...
ケイコさんもコブが近くにいた事感じてくれたかな?
あ、そうそう、ケイコさんとの結婚記念でケイコ親から買って
貰った冷蔵庫、寿命みたいですよ!
約10年選手だからね。
ケイコさんとの思い出が沢山詰まっている冷蔵庫だけど、
8月以降に買い換えしますね。
それじゃ、また手紙書くね!!



【男性、30代】 2016.06.15

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛なる妻ケイコさんへ

ケイコさん!
一月ぶりの手紙です。
最近のコブは四国遍路の旅をケイコさんと
共に歩んでいます。ケイコさんは生前遍路
の旅をやりたいと言っていたけど本当に大変
な旅だよ‼階段や坂が多くてケイコさんはちゃんと
巡拝出来るのかなと思いながらね。ケイコさんが
生前よく履いていた靴を常に持ち歩いて功徳して
いるよ!足摺岬は壮大だったね。ケイコさんも
行きたがっていた所だよね。
この遍路の旅を満願出来たらコブの新たな旅立ち
のスタートでいいかな?
やっぱり一人は寂しいです。
家路に着いたら電気が灯って暖かい部屋で向かい
合いたい。生前、ケイコさんがそうしていたように。
ケイコさんと死別して一年経つけどどうだろうね。
息を引き取る間際まで一生懸命生きようとした
ケイコさん!吐血が酷くて本当に苦しそうだった
ケイコさん!まだまだコブの記憶には走馬灯の
様に浮き上がって来ます。時は経っても人の心
はそう変わりませんね。
まだ、心のどこかでケイコさんの生まれ代わりに
逢えると薄い望みを抱いているコブです。
また、恋愛するならケイコさんがいい。
ケイコさん!
最近のコブはちゃんと生きてるからね!
だからケイコさんも安心してね!
いつまでもいつまでも愛しています。
また、手紙書くね!
ケイコさんも酒呑みながらゆっくり
過ごしてね(>_<)
最後に、一周忌の時にケイコ両親が
マダオを連れて来てたよ‼
懐かしい〜‼
今じゃレオって名前みたいよ!
それじゃ、ケイコさん!またね!



【 】 2016.05.16

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛なる妻ケイコさんへ

ケイコさん!
香川県善通寺市に転属して一月が経とうとしてるよ。
なかなか仕事にも環境にも慣れないけどコブは何とか
やってますよ。
さて、今日4月16日は一周忌法要日です。ケイコさんと
死別して一年が経つんだなって深々と思い入れます。
コブはこの先いつ死ぬかもしれないけど、ケイコさんに
沢山の土産話をするためにこれからもケイコさんと共に
過ごしたいね。取り敢えず当面の目標は四国遍路の旅だね。
生前ケイコさんがやりたかった事をケイコさんの代わりに
コブがやるからね。だからケイコさんはちゃんとコブの
事を見ていて下さいね。これからも宜しくなり〜‼
取り敢えず、今日は一周忌法要の節目ですから。コブも
しっかりしないとね。
ちなみに、ケイコさんの両親とコブの母親が来てくれる
からね。
ケイコさん!また、手紙書くからね。



【男性、30代】 2016.04.16

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ケイコさんへ

ケイコさん!
ケイコさんと死別して11カ月が経過するね。そして
月命日に当たる3月23日に香川県善通寺市に異動します。
ケイコさんと過ごした名古屋での生活が懐かしい。
これからは善通寺市で新規一転の生活が待ってます。
コブが何処に行ってもケイコさんは見守って
くれてるんだよね。
ありがとう。
約束通り知多半島の遍路を満願しました。
自分を見つめ直す旅の第一段は完遂です。
次は四国遍路の旅を長い期間かけて周ります。
ちゃんとコブを見ていて下さいね。明日の引っ越しに
伴って仏壇の精抜きをお寺さんにやって貰うね。
一時的に魂を抜いて貰うけど心配しないでね。
直ぐに引っ越し先で精入れして貰うから。
その間はケイコさんはゆっくり休んでて良いからね。
引っ越し準備大変だったよ。いつもコツコツと
引っ越しの荷造りをしてくれていたケイコさん!
ありがとう。
ケイコさんが居なくなってケイコさんの苦労が
漸く分かった気がするよ。
ケイコさん!
コブの新たな旅立ちを天国から見守って下さい。
来月の4月23日が一周忌だね。
善通寺市で法要します。日時は仕事の都合上16日土曜に
執り行うね。両家の両親も来てくれる予定だよ。
コブは喪主としてしっかりしないとね。
また、向こうで落ち着いたら手紙書くからね。



【男性、30代】 2016.03.22

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛の妻≪敬子さん≫

ケイコさんと死別して10か月が経ったね。
コブは悲嘆の過程を乗り越えて必死に生きているよ。
ケイコさんのために生きているよ。
コブは3月に定期異動で香川県に移ります。無論、
ケイコさんと共に!色んな土産話しを作るためにコブは
アクティブになってきたかな。
ケイコさんと死別してからの時の流れの間の出来事を
創造している。もうじき一周忌だね。コブにとっては
大切なケジメです。
一周忌は香川県で執り行うからね。最近感じる事があって、
これからのコブの人生についてね。一生一人で生きていく
のかもう一度愛する人を探して結ばれるのか。
理想はケイコさんの生まれ変わりと結ばれたい。
コブのこれからの人生についてケイコさんはどう思って
いるのかな?生前、ケイコさんは「浮気するなら自分より
綺麗な人」って言ってたね。ケイコさんより綺麗な人は
そう見付からないよ。
其ほどケイコさんが綺麗な女性だったんだよ。コブには
勿体無いくらいの容姿だったね。性格はきつかったけど‼
温厚なコブと性格のきついケイコさんとのやりとりが
また相性合っていたね。本当に愉しい日々だったよ。
また、そんな愉しい日々を送る事が出来るのかな。
ケイコさんはこれからのコブを視ていて下さいね。
そして、必ずまた、ケイコさんに逢えると信じています。
また、手紙書くからね‼



【男性、30代】 2016.02.27

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛なる妻≪敬子≫へ

ケイコさん!2016年が始まったよ。
ケイコさんの時間は2015年4月23日
で止まってるのかな?それとも天国
でゆっくり時を過ごしているかな?
ケイコさんと死別して9月が経ったね。
今のコブは知多半島の遍路周り継続中
と一人旅のツアーに参加してみたよ。
何か自分から動かないとね。今まで
ケイコさんと一緒に居て出来なかった
事を探しているよ。そして、いつか
再会する時の土産話しにしたいんだ。
また、過去にケイコさんと一緒に行った
場所に出向いてケイコさんとの想い出
を五感を通じて追体験したいしね。
とにかく沢山土産話し持って行くから
楽しみにしててね!
まだまだ哀しむ日々が続くけど、ケイコさん
はコブの心の中で常に笑っていてくれてる。
そう想う事でコブは強く生きていられる。
コブを生かしてくれてるのはケイコさん
なんだよ。
ありがとう。また、手紙書くからね‼



【男性、30代】 2016.01.26

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

早いね 9年経とうとしている!

君が旅立っていき9年経とうとしている。
子供らも大きくなり 高1中1になりシングルファーザーで
何とかやってきたよ!

上の子も看護師になると言って5年一貫の高校に入り、
親元を離れ入寮して頑張っているよ。
下の子はマイペースで我が道行ってる(笑

あれから名古屋から石川県に帰ってきて環境も随分変わったけど、
俺も元気でやっている。
今年の目標も立てたから、夢の実現に向け一歩ずつ前進していくよ。

天国はどうだい?
君は生まれ変わったのかな?それとも準備中かな?
俺は君ができなかった分をこの世でいろんな事に挑戦していきます。
子供たちを残していってくれて本当にありがとう
腹立つこともあるけど、やっぱり子供は可愛いよ!

2016年も良き年にしていくよ、またお便りしますね



【男性、40代】 2016.01.03

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛の妻≪ケイコさんへ≫

ケイコさん。一ヶ月ぶりの手紙です。
ケイコさんと死別して9ヵ月が経過します。
季節は既にクリスマス一色だよ。
毎年ショートケーキを買って祝ってたね。
そんな普段の日々が懐かしいね。

正月も常に二人でビデオ鑑賞三昧だったね。
ケイコさんと常に二人で居る。そんな日々が
当たり前だと思ってた。今年のクリスマスに
正月は一人で過ごすよ。もちろんそこに
ケイコさんは居る。心の中には常に居る。
だから例年同じ様に一緒に過ごそうね。

そして近日、知多半島遍路周りに初参加
します。何か目的、目標を見つけ出そう
かと思い始めたよ。そこに向かってゆっくり
ケイコさんと共に前進したいね。何時でも
顔出して来て良いからね。待ってます。

まだまだ、ケイコさんを喪って哀しむ日々が
続きます。今はその哀しみを忘れたくない。
また手紙書くからね。



【男性、30代】 2015.12.16

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ13

ママへ

もう、12月になりました、早いねー。

ママへ12から、いろんなことがありました。
11月3日に大阪城でのイベントに西之町が参加し、うちの
だんじりの演技。喝采を受けました。でも、それまでの
準備が大変でしたわ。っん、勝手にしー、ってか。。

先月、シニアで城崎に行ってきました。恒例のカニツアー
ですわ、旨かったですよ。っん、パパだけ、楽しんで
良かったですねー、私も傍に居りましたよ、ってか。

それと一番の報告は9月に娘さんが結婚するっていう報告が
ありましたよー。10月に挨拶に来よりました。なかなかに
好青年ですね、イケメンとは言い難いけどね。
12日に先方の家族と朗夫婦も交えて昼飯食べます、
一緒にどうぞ。

次の楽しみは、子供やねー。

では、また、ママの誕生日頃にママへ14書きまっさー。



【男性、50代】 2015.12.08

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛の妻≪ケイコさんへ≫

ケイコさん。一ヶ月ぶりの手紙です。
8通目になります。もう季節は冬です。
クリスマスのBGMが流れています。

ケイコさんは変わりない生活を過ごして
いますか?コブは相変わらず悲嘆のプロセス
の最中に居ます。35歳で急死したケイコさん。
それは運命だったのかな?避けられない現実
だったのかな?最近ふと感じます。今度、
実家に帰ってそれを確かめに行きます。

悲嘆のプロセスもそろそろ乗り越えないと
いけない。受容の段階です。ケイコさんの
死を受け止めて更に成長して前進する時期
かな。でも、コブの心には一生ケイコさん
が居るし、夢や現実でも何時でも逢いに来て
良いからね。

ケイコさんと死別して約7ヵ月経ちます。
やっぱりケイコさんの居ない家は静か過ぎるね。
でもその静かの中でケイコさんと面と向かって
言える事もある。

帰ったら何時もそこにケイコさんが居た。
そんな毎日が懐かしい今日この頃です。



【男性、30代】 2015.11.18

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ

ママヘ
6通目の手紙になります。

運動会も終わり鼓笛演奏会も無事終わり慌しくここ2ヶ月過ぎて
いきました。月日が経つのは本当に早くママが天国へ旅立って
から1年7ヶ月過ぎました。ママそっちの生活はどうですか?
楽しく過ごせていますか?風邪などひいていないですか?多分僕と
娘が喧嘩する度に冷や冷やしながら見ているんだろうけど・・・。

最近は娘とよくママの話をします。
「ママだったらこうした」とか言われると自分の無力さを痛感し
改めてママの偉大さを感じます。ママのような事はできないけど
自分の出来る範囲でと思うけど娘からしたら物足りないんでしょ
う、不満そうな顔をするんだよネ。
ただめげずに精一杯これからもフォローしていくつもりです。

もう今年もあと1ヶ月ちょっとで終わります。(本当に早い・・・)
年が明けて4月にはママの3回忌を予定しています。月日が経て
ばたつほど不思議なものでママの顔・声が鮮明になって蘇って
くるんだよね。悲しくなる時もあるけど結構楽しくママの事を
思い返しています。

いつかまたママと出会える事ができたら歳をとったら一緒に縁側
で茶を啜ろうねという約束その時は果たして下さい。楽しみに
しているヨ。その時までじゃーね。



【男性、40代】 2015.11.05

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

のっぺへ

のっぺへ

もう亡くなって1年9か月も経ちましたね。
入院した日を今でもはっきりと思いだします。
その日は月曜日でしたね。
かかりつけの医者から電話が入り、緊急入院を告げられました。
その日の夕方、担当医から病状の説明を受け、目の前が真っ暗に
なったことを思い出します。

アルコール中毒による肝機能不全でした。移植以外に治療の方法
は無いと絶望的な告知に、俺は暑くもないのに汗が止まらなくて、
気を失いかけました。

出張を繰り返す俺に隠れて飲酒する日々だったんだね。

翌日から朝、昼、晩と一日3回見舞いに行く日が始まります。
一縷の望みをかけ、日々の病状の変化に一喜一憂しました。

食が細く、点滴で生きている闘病の毎日でも、出された食事の
中で気に入った果物があると聞けば、のっぺのお母さんと競って
あなたに届けたものでした。
初秋も過ぎ、肌寒さを覚えるころ、せっかくの誕生日を病院で
迎えましたね。
厳寒の中でも自宅の居間に車椅子と、ベッドを買い設えて、
体調の良い時は日帰りで自宅に帰りましたね。
どんな形でもいい、生きて帰ってほしい・・・切なる願いでした。

病状も安定し、新年を迎えた頃、担当医もそろそろ転院をしては
どうかとの誘いがあり、近隣の長期滞在型医療施設を探し始めた
矢先でした。
病状が急転して意識が無くなりましたね。
亡くなる前日の夕方、意識が戻ったように俺をじっと横目で見て
涙を流したのは、何て言いたかったのか、
ずっと心に引っかかってます。

約5ヶ月、149日の戦いでした。

闘病は辛かっただろう。痛かっただろう。悔しかっただろう。
のっぺをこんな目に会わせた俺は、のっぺの処へは行けないか
なぁ。
先に行ったルティ(愛犬)と楽しくしてるかい。
そこは暖かいかい・・・。

早くのっぺに会いたいけど、もう少し待っててください。

看病をする俺を温かく見守っていただいた会社の同僚や、
のっぺのご両親、家族へ恩返しををするために。



【男性、50代】 2015.10.22

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

小動物の姫≪ケイコさんへ≫

ケイコさん!一ヶ月振りに手紙書きます。
過去に6回手紙書いてるんだなっと改めて
感じました。今回で7回目の手紙です。

ケイコさん!ちゃんと手紙読んでコブに
返信下さいよ。コブはほぼ毎日ケイコさん
にラインで今ある状況を送ってるからね。
そして、現在はケイコさんと死別して約
半年が経過しようとしてるよ。

季節は変わり春〜夏〜秋に変わりました。
大分涼しくなってきたかな。ケイコさんと
の死別の時期(春)を考えたら季節はもう秋
です。そして直ぐに冬に変わります。季節
の変わり目は早きものです。そして、コブ
はケイコさんとの再会を諦めてない。

コブは自衛官としてケイコさんに出会い結
婚した。子宝には授からなかったけど
ケイコさんが居ればそれで良い、幸せと感
じる日々でした。そして、コブは幹部自衛
官になった。理由はケイコさんが金ぴかが
好きだからと言う曖昧な理由で。

幹部への登竜門の教育でケイコさんと過ご
す時間を失った。今、思えば後悔してます。
ケイコさんの死期を早まらせたのはコブに
あるのではないか?最近更に依存性が増大
したかな。それでもコブを幹部にした
ケイコさんのために仕事頑張るし、毎日
ケイコさんを想い続けるよ。

また、手紙書くからね‼



【男性、30代】 2015.10.15

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

Dear Key

🔑おはよう
もう?🔑はこの世にはいないんだよね。
この現実をまだ、受け止められなくて
本当に夢であってほしいと願うばかりです。
なぜ?どうして?いってしまったの?
そんな思いで今はいます。
🔑とは本当に色んなとこへ行き
色んなもの食べて、色んな話して幸せだった!
🔑がよく言ってた「ずっと一緒だよ」
この言葉が頭からはなれません。
本当にいっぱいの楽しみと幸せをありがとう!
🔑、君は死んでしまったけど「ずっと一緒だよ」
心から愛して愛して愛してます。俺も?
いずれはそっちの世界にいくから、
今度は必ず必ず一緒に暮らそうね。
絶対だよー
🔑LOVE'ING  YOU.....



【男性、50代】 2015.09.28

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛なる妻≪敬子≫へ

ケイコさんと死別して約5ヶ月が経ちますね。
この5ヶ月間常にケイコさんの事を想い続け
ていたよ。ケイコさんと過ごした日々を振り
返りながら。

最近遺族会に参加したよ。
配偶者を亡くした人達が集って悲しみを分か
ち合う会に。そこで皆にケイコさんの事を
知って貰ったよ。コブはそこで気付いたよ。
ケイコさんに依存してるんだなって。

コブは生前常にケイコさんと一緒に居たね。
ケイコさんもコブに依存していたね。
相思相愛の関係だったね。夫と妻と言うより
は親友の感覚でずっと行動は一緒だったね。

そのケイコさんを失ってコブは体の一部を
失った感じがするね。まだまだコブの心の
中にはケイコさんが生きています。これから
先もケイコさんと呼び続けていくし、美味し
いものをケイコさんと一杯食べに行こうね。
毎週末行っていたはま寿司みたいにね。

また手紙書きますね。



【 】 2015.09.20

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ 13通目

■みっちへ

2014年8月に書いたっきり、サボってごめん。
年末に書くって言ったのに、それもできなかった。

僕はいま、所沢を引越しして、熊谷市に居るんだ。
そう、転勤だよ。
3LDKのマンションの最上階に独り暮らし。いいでしょ?

今年、またオフクロが札幌から遊びに来る予定。
80歳なのに飛行機乗ってさ。凄いよね。

みっち、来年は7回忌ですね…。
月日の流れってのは、早いものですね…。
7回忌は必ず札幌に帰るからね。
でもみっちの親達には絶対に会いません。
あの親達のせいでみっちが双極性障害になったんだから。

みっちが居なくなって5年が経つんだよ。
信じられないね。
僕はだいぶ立ち直って、あまり泣く事も少なくなった。
みっちはどうですか?
苦しみ悩みから解放されて、リラックスしてますか?
僕もいずれそっちに行くから、その時は逢ってくれる?

そうそう、今ねアメ車を買おうと思ってるんだ。
オープンカーだよ!
できれば、みっちを助手席に乗せたかったな…。
買ったら報告するね。
じゃ、またね。



【男性、40代】 2015.09.16

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

あなたの書付を見つけました。

あなたの病状が「多発性骨髄腫」と判明し医者から余命を宣告
されたとき 私はあなたを抱きしめて泣きました 声を出して。 
あなたも私の胸の中で 声にもならない嗚咽で 大粒の涙で
泣きました。
どうして どうして どうして 解らない。

神に跪き 仏にすがりつき 快癒することを願いました。
私にできる 考えられる 全てを尽くしました。

医者の余命宣告に抗うように あなた7年も生き続けました。
ガンバったね。
辛い投薬にも骨髄移植にも 息を殺すように黙々と耐えたね。
どんなに辛いか どんなに辛抱しているか 知ってたよ。

抗がん剤であなたの髪が抜け落ち
「わたし女でなくなっちゃった」って。
喉に涙がつまって何も言えなかった。

あなたが最後の入院のため 家を去るその日の朝は凍えるほど
に寒く 紺碧の空に雲がくっきりと一つ。
時間になってもロッキーを抱きしめて離さないあなた。

凍てつく真冬の真夜中にひとり さよならも言わず 逝きまし
たね
「置いていくな」「一緒に連れていけ」と何度もいったのに。

あなたは春になったらロッキーを沢山たくさん散歩に連れてく
よって。

出棺の折、この家にたち寄った。
あなたの愛する犬ロッキーが前足であなたの棺にすがって吠え
ました。
コリコリひっかいて あなたを呼んでいたよ。
よかったね。
ロッキーが さよなら をしたよ。
さよなら さよなら って遠吠えをしたよ。



【男性、60代〜】 2015.09.01

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ12

ママへ

早いもので、祭りからもう一ヶ月が過ぎ、もう少しで九月に
なります。
祭りは無事、総代を務めました。ママの写真の隣に宮入の
カッコイイ写真置いてますよ。

9月15日は娘さんの誕生日。三十路になるのになー、一向に
良い話の気配はおまへん。彼氏はいるような事はちらほらと
聞いておるんやけど、本人からは何も言うてきまへんわ。

息子は出向から本庁に戻ったらしいですわ。こっちの方も
一向に変化なしですわ。

皆、元気で暮らしてるのが一番でおます。。
パパも海老江の仲間と芝刈りして遊んでま。段々と上手に
なってきております。奥村兄、吉田兄、真人と9月19日に
廻ります。楽しみですわ。

ワンコもこないだチーズを包装ごと(そら、ようむかんわな)
盗み食いして、心配したけど、えずいたらフィルムが出てきて
元気出てきたで。

まー、なんやかやといろんな方がたに助けられて、楽しく
頑張っております。

では、またねー。



【男性、50代】 2015.08.26

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛なる妻≪敬子≫へ

ケイコさん。ケイコさんと死別して約4ヶ月が経過します。
8月の夏季休暇に100か日と初盆を兼ねてお寺で供養して
もらいました。
また、ケイコさんの遺骨を海洋散骨した三重県の夫婦岩に
行って来たよ。そこで、ケイコさんと二人きりでのんびり
したね。

これからコブはケイコさんが行きたがっていたお遍路の旅を
します。愛知県の知多半島の98箇所をケイコさんと一緒に
回ろうかと。

コブはこれからも常にケイコさんの事を思い続けるし、
ケイコさんと共に生きて行くと決めたから。
ケイコさんもまたコブについて来てね。コブの心には常に
ケイコさんが居るから。

まだまだケイコさんの事を思い、共に過ごして来た過去を
振り返って哀しみにくれる毎日です。最近はこれで良い
かなって思い始めたかな。時間の経過と共に心も若干変化
しつつあるかもね。ケイコさん。また、手紙書きます。



【男性、30代】 2015.08.20

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

惠子へ

惠子、お浄土では元気にしていますか?動かなくなった手足も
見えなくなった目もちゃんと治りましたか?あなたがいなく
なって半年が経ちます。まだまだ立ち直れなくて泣くことも
多いのですが長男から嬉しい知らせが届きました。来年3月に
赤ちゃんが生まれるそうです。間違いなくあなたの生まれ
変わりです。

あなたは長男の結婚式を意識はなくても病室から見届けて安心
したように式の翌日の朝に旅立って行きました。母親として
最大限の思いやりだったと思います。惠子、生まれ変わりの
あなたに早く会いたい。私の初孫でありあなたの化身は私を
力づけてくれるでしょう。

できればあなたと赤ちゃんを見たかった。惠子、今までもそして
今からも愛している人。もうする事はやり尽くしたからいつ
でも迎えに来てもいいよ。生まれ変わりもいいけど私はあなた
に会いたい。



【男性、60代〜】 2015.08.06

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ケイコさんへ

ケイコさん!久しぶりです。

7月12日に三重県伊勢市の夫婦岩沖合いに
ケイコさんの遺骨を散骨しました。生前の
ケイコさんとの約束だったからね。これで
コブの任務は完了です。

ケイコさんとの約束事を果たした今、コブ
はこれからケイコさんを思い続けながら
一生生きて行く覚悟でいます。ケイコさん
と一緒に行った場所を巡って思い還しながら
コブはケイコさんと共に生きて行きます‼

コブが何れ死んだら逢ってくれますか?
コブはどんな形でも良いからケイコさんに
逢いたいです。

まだ、ケイコさんと死別して三月足らず。
夜な夜な思いに沈んでいます。今度、遺族
会という活動に参加しようと思います。
ケイコさんの生前の生き方及び死別する
直前の苦しみ方を皆に知って貰おうと。
ケイコさん。参加して良いですか?



【男性、30代】 2015.07.20

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ

ママへ
5通目の手紙になります。

一周忌も終わり娘・実父・実母と4人でママの居ない生活を
それなりに過ごしています。娘も11歳になりまた一段と成長し
頭の回転が早いというか口喧嘩しても僕の方が負けてしまい
ます。
だけど僕にとっては大切な大切な娘です。このまま健やかに
成長してくれる事を切に願っています。

先日、愛犬が老衰の為亡くなってしまいました。ママも
可愛がっていた愛犬の死は僕と娘にとっても辛く悲しく
今でも居なくなった小屋に声を掛けてしまいます。
だけどママのとろでまた元気よく耳をパタパタさせながら
走り回っていると思うと悲しいけどまた天国で一緒に
過ごせていると思うとちょっと安心します。
天国で可愛がってやって下さい。

ママが亡くなって1年経過し本当に色々な事がありました。
最近は泣く回数も減ってきたけど時間が空くとママの事を
思い浮かべママの笑った顔が見たい・・ママの変顔が見たい・・
と考えてしまいます。叶わぬ夢だけどもう一生見れないと
思うと涙はでないけど虚しさだけが残ります。

とりとめもなく書きました。また報告します。それまで
体には十分注意して風邪などひかないように天国から応援
してください。また逢える日まで・・・じゃーね



【男性、40代】 2015.07.13

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

てん 3回目の手紙

てん 3通目です。
君が家族から離れてもう9年になる。
そちらでは私の母や姪、君の伯父さんが遅れて行ったから
寂しくないでしょう。

私たちの生活は?
もう、知ってるだろうけど、
残念だけど実家とは断絶状態。
あまりの仕打ちに、医師の忠告もあり。

最近はてきぱきと行動することができなく認知症の始まりかな、
なんて考えることがあって少し落ち込むことも。

君の心配の種の子供らはマイペースに暮らしてます。
先日の君の誕生日、
小雨の中、皆で行ったのてんは気付いたかな?

今でも君が傍にいると錯覚することがあります。
君と出かけたところや君が行きたかったところに家族旅行
してます。

でもときどき、どうしようもなく会いたくなる。
医療が進歩して血液検査で癌がわかるようになる時が来るらしい、
もう10年元気でいたら早期発見で完治したかもね。

早く、以前のように一緒に生活したいです。
もう少しの辛抱です。



【男性、60代〜】 2015.07.01

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛なる妻【敬子】へ

敬子さん!敬子さんと死別して2ヶ月が経過します。
49日法要も終えて敬子さんは漸く仏様の所に辿り着
いてますかね?敬子さんは方向音痴だから心配です。

生前も沢山心配掛けさせたよね?道に迷ったら線香
の匂いと蝋燭の灯りを目印に亮に逢いに来て良いか
らね。ちゃんと道案内するから。

最近ね、仔猫を飼いました。名前は「もち」メスで
す。敬子は自分が猫の性格みたいで嫌がってたね。
勝手に飼ってごめんよ。もちを飼った理由は敬子さ
んにあるんだよ。

生前、敬子さん←もち、亮←うすと呼びあった中で
あり、偶然に小さくもちみたいに白い綺麗な仔猫が
亮の目の前に現れて…後は現在の通りです。

まだ、まだ、まだ、まだ、敬子さんを引きずる毎日
です。早く救いの手を差し伸べてほしいと願う事に。
今は、敬子さんが逢ってくれるのを待っています!

ただ、ひたすらに待っていますので、敬子さんとも
落ち着いたら顔を出しに来て下さいよ。

また、手紙書きますね!



【男性、30代】 2015.06.22

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

 

 真知子。
 君が我が子のようにかわいがっていた黒猫が、ロウソクの
灯された位牌の前で、座布団に座りながらいつまでも君を見て
いる。夜の散歩で君について行く不思議なニャンコだったね。 
僕の想いは君に届かぬまま、・・・。でも君の想いは猫にも
届いていた。
 君を失ったあの日、私の人生の半分以上が消えた。
今 私がこうして生を貪っているのは、君の亡き後のことを
あの世で語りたいから・・・。
  
 真知子が生きていたとき、君の甘えてくれる姿が大好き
だったのに、今は誰よりも 君に甘えたい。
 
 それを僕と、位牌の前の猫が永遠に思っている。

  真知子 十数年だったけれど
   こんな僕と結婚してくれてありがとう。
 時々ケンカもしたけど、誰よりも幸せな過ぎる毎日だった。



【 】 2015.06.02

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

惠子ヘ

あなたが亡くなってもうすぐ百か日になります。

すぐ近くのお寺に納骨堂を買いましたから父、母と一緒に
あなたのお骨を6/1に納めます。ただ私の胸にはいつもあなたの
写真と小さなお骨と結婚指輪をペンダントでぶら下げています。
だからいつも一緒です。

惠子、今までは泣いてばかりでしたがあなたも辛いだろうから
もう泣きません。あなたは極楽浄土で病気からも解き放たれて
いることでしょう。よかった、よかった。私が先に往ってあなた
が悲しまなくてよかった。

惠子、私がそっちに行ったらもう一回結婚してもらえますか?
絶対に私を待っていてね。惠子、私が心から今までも今からも
愛している人。また必ず会えるよね?



【男性、60代〜】 2015.05.27

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ(11)

ママ、久しぶりでおま。
もうすぐ、6月になります。

先日、西森がそちらの方に旅立ちました。
見舞いに行った時の握手した感覚がまだ残っています。
私の悪口、聞いてやってくださいな。
癌を宣告されて2年半位、ママを亡くした時と同じように
辛いですわ。

さて、これからは祭りの用事で色々と忙しくなりそうですわ。
ママ、よう言っとったなー。「だんじりの傍におらんと、
祝儀集めして、何が楽しいの」って。
まー、そやなー、それがパパの役目やからなー。それなりに
楽しい事がおますよってに。

それと6月6日におふくろの米寿の祝いに子供たちが来ます。
由貴ちゃんから良い話があれば良いんやがね。期待せずに
いましょう。

こないだの母の日に船橋にプレゼントしておきましたよ。
喜んでいたと思います。(自己満足ですが・・・・)

では、又、近況報告しますね。お楽しみに。



【男性、50代】 2015.05.26

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

ボン  おめでとう
今日5月24日で50歳やなぁ
そのうち6回は居てないけどね
もう おばちゃんやなぁ!
生きてたらどんなオシャレしてるかな?
夢で見てみたいわ

あっそうそう
わし50歳を目前にしてリストラされてん!
ボンも知ってる福井のあの社長に!!
あれだけ可愛がって助けてやったのになぁ
恩を仇で返されたわ
ボンがおったらキレてるやろうね
まぁ わしに人を見る目が無かったんやね
前向きに考えて 雲のように生きてみるわな!

この前 大阪都構想の選挙あって
ボンが嫌いやったほうが負けたよ
良かったネ

近況報告しとくな!
ボンの弟夫婦は仲良くやってるよ
もえもめいも頑張ってるぞ
おかあちゃんも安定剤のこと以外は大丈夫や

麻衣は3回生になって サークルにバイトに
大忙しやわ!
何の心配もせんでいいぞ〜

わしが一番問題やね
頼りないし 
今だにボンのこと忘れられへんし
仕事探さなあかんしね

心配になってきたか?
相談のってくれよ
ボンに新田ハン亡くなって相談相手が居らんよ
毎日が辛いぞ
でも もうちょっとだけ 頑張って生きてみるわな!
応援ヨロシク

じゃあな
ボン!次は結婚記念日に書くからな
待っててや〜



【男性、40代】 2015.05.24

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

泣かないで。

妻は3年の肺癌と闘い、正月に逝ってしまいました。
先生は来年大好きな孫の入学期式までは問題ないよと
言っていましたが、暮れに急変し一週間で帰らぬ人になりました。

妻は回復すると思っていたのでしょうが苦しさに耐えかねて
苦しさを押さえて下さいと懇願する
これ以上は意識が朦朧としてくるよ言われても・・・・・。
私は妻の手を強く握り泣きました、そして最後に小さな声で
「泣かないで」と言って眠りにつきました

それでも苦しそうな妻を見ていると可哀想でたまりませんでした
今でも、苦しそうな表情を思い出すと辛く悲しみが沸いてきます
生前より、人工呼吸器や延命処置は絶対にしないでと夫婦で
話しておりましたが苦しいのは嫌だと話し合っていました
妻も苦しみをとって欲しかったのだと思います。

強い副作用と精神が疲れて私と言い争いばかりをしていた事を
今は後悔ばかりです。なぜもっと辛い気持ちを分かって
あげなかったのか、喜代子ごめんね
今あるのは喜代子おかげです 有り難う

一周忌が終わるまでには、全て整理をし子供達にも
伝えておきます。
そしたらいつでも迎えに来て下さい、待っています。

今は、何故か喜代子と始めた有った時から
結婚したときのことばかり思い出しております
ピンクのタートルネックのフワフワしたセーターが
すごく似合ってたよ。

泣かないでと言われましたが無理ですね。



【男性、60代〜】 2015.05.20

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこへ

しょうこへ
あなたが旅立ってから1年がたちました。
先日一周忌が無事終わりましたよ。
しょうこも一緒にいてくれたのかな?
友達や近所の方々から山のように花が届きました。
手紙もたくさんきています。
改めて、あなたの偉大さを思います。

最近子猫を飼い始めました。
4月の月命日に我が家にきました。
何かの縁かと、かわいがっています。
僕のうつ病は、少しずつ良くなっているようです。
安心してください。

未だにあなたに会いたいです。
抱きしめたい気持ちがいっぱいです。
また書きます。
愛するしょうこへ



【男性、40代】 2015.05.20

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛なる妻≪敬子≫へ

敬子さん。
亮はまだ生きています。
生きてていいのか分からないけど、
今は毎日を必死で生きていますよ。

敬子さんとの最期(息を引き取る数十分)
を振り返ると、今でも心が痛くなります。
敬子さんは、あんなに苦しい思いして、
最期まで頑張ってたもんね。傍でずっと、
手を握っていた私だから分かる。今は
敬子さんは、苦しくないですか?生前、
ずっと苦しめられた病気も今は大丈夫
ですか?笑顔出てますか?怒ってますか?

敬子さん、私が間違った方向に進みそうに
なったら、怒って下さいね。叱って下さいね。
やっぱり、今の私は可笑しいって自分自身で
分かる。49日法要までもう少し。そしたら、
漸く敬子さんは仏様の所に行けるんだね。
今は毎日、敬子さんを拝んで会話して仕事に
行くの繰り返しです。

亮は、敬子さんの事待っていますよ。
ゆっくり、時間を掛けても良いから、少しは
顔を見せに来て、声を聞かせに来て下さいね。
いつでも待ってるからね。

生前、面と向かって中々言えなかった言葉
「ありがとう。ごめんね。」今なら今なら
しっかりと伝えれます。また、書きます!



【男性、30代】 2015.05.20

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ

ママへ
久し振りに4回目の投稿です。

冬が過ぎママが亡くなった4月無事一年忌を終えました。
あっというまの1年でした。周囲の人たちの協力で何とか
やってきました。きっと天国ではがゆい思いをして見ていたと
思います。

娘の事で色々報告・相談したいことがあるけど
「ハパだったら大丈夫!」と言って笑ってくれていると思います。
でも不安ばかりです。ママだったらこんな時どう娘にアドバイス
するんだろうとか叱る時こんな言い方でいいのかなと毎日
自問自答しています。

1年たっても僕の中では何にも解決していません。
どうして・・どうして・・そればかりです。
けどね、娘と一緒に居ると不思議と落ち着くしこの子の為に
今僕が出来る事をママの分もやってあげようと思うと明日への
活力が出てきます。背伸びせず自分の出来る範囲で毎日過ごそう
とそんな気になります。

1年経っても僕がこんな調子だから天国でゆっくり休めないと
思うけど娘が幸せになるまではママ付き合って貰うから
覚悟していてネ。そして何か躓きそうになったときには
そっと手を差し伸べて下さい。

また手紙を書くネ。じゃーね。



【男性、40代】 2015.05.15

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する陽子さん

先月あなたの七回忌を終えました。
何年経ってもあなたへの思いは
変わりません。

あなたが今何処で何をしているのか
気になって仕方ありません。
あなたが姿を変えていつ現れるのか
気になって仕方ありません。
あなたの声がいつも聞こえているようで
気になって仕方ありません。
あなたに逢いたくて逢いたくて
仕方ありません。

今月長女が35歳を前にやっと結婚式を
します。
あなたは写真での参加ですが
宜しくお願いします。



【男性、50代】 2015.05.13

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

大好きなひろちゃんへ!

大好きひろちゃん。
ひろちゃんが亡くなってから、
早くて半年の月日が経ちます。

まだまだ、ひろちゃんの事、
半年前の事が嘘のように、
「悲しさ・寂しさ」が、
こみ上げてきます。

【ひろちゃん!どうしていますか?
楽しく過ごしていますか?】
会いたいけど・声を聞きたいけど、
どうする事も出来ない。

ひろちゃんが天国で幸せになれるように、
毎日、祈っていますね。
いつでも、会いに来てください。
待ってるね。

たかちゃんより!



【男性、40代】 2015.05.11

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

小動物の姫へ〜ケイコさん

ケイコさんが先立って早くも10日が経過します。
ケイコさんはコブと居て幸せでしたか?

コブはケイコさんが居るから今まで生きてこれたし
仕事も頑張れた。
ケイコさんと死別して最初は自暴自棄になっていました。
だらしない夫でごめんね。

ケイコさんに逢いたい。夢でもいいから出てきてっと
当初は切に願っていたけど、今は違う。
無理に願ったらケイコさんが困ってしまうからね。
今は逢いたくなったら逢いに来て。
と思えるようになりました。

コブはケイコさんの分まで一生懸命生きてみせるからさ、
ケイコさんが辛かった分苦しかった分をコブが背負って
生きるからさ、ケイコさんは安心して見てて下さいね。

最期に、ケイコさんと出逢えてコブは幸せでした。
最期の最期までケイコさんの手を握り合って看取れた事
は神様からの贈り物だと思います。

ありがとう。本当にありがとうね。


大動物のコブより



【男性、30代】 2015.05.03

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する惠子へ

平成27年2月22日午前5時04分、10年もの長きに亘って
闘病を続けてきた最愛の妻が入院先の病院で永眠いたしました。

病名及び死因は「多系統萎縮症による心不全」です。10万人に
2〜3人の発症で国の神経難病に指定されていました。享年62歳。
結婚して32年で私を残して逝ってしまいました。

翌日葬儀と火葬を終え遺骨と共に自宅に帰ってきました。3年半
の自宅での介護、入院してからの更に6年半の看病をできる限り
明るく続けてきた私でした。亡くなった病院に移ってからの6年間、
必ず週2〜3日は片道1時間以上かけて見舞いに行っていました。

さすがに今もずっと涙が止まらずほぼ放心状態です。
2月21日は長男の結婚式でした。無事に式が完全に終わった頃
から容態が悪化して脈拍、血圧が下がり始めました。そして翌朝
に旅立って行きました。私のエゴで生きる事を強いて来ましたの
で今は苦痛から解放され天国に旅立ったと思いたいです。長男の
結婚式まで一生懸命に生きた妻を褒めてやりたいと思います。

最後に母として息子に迷惑をかけたくないと頑張ったのでしょう。
健気な妻の思いやりがかえって私には辛く感じます。意識のない
妻の耳元で「21日の結婚式までは頑張れ!死んだらいかん」と言っ
たのは私ですから。

今は完全に打ちひしがれて毎日泣いてばかりで何も考えられない
状態です。惠子、あなたに会いたい・・・。惠子。



【男性、60代〜】 2015.04.27

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

妻へ

三稚代
四十九日も終わり、あなたは阿弥陀様のもとへ行きましたか
迷わず西のかなたの極楽浄土へ行きましたか
そこで痛みに解放され安らかに過ごしてますか
そればかりを願っています

今日はあなたが願ってやまなかった一本桜を家族と一緒に
見にいきましたよ。きれいだったねー、一緒に写真に撮り
ましたよ。その前にもう一か所行きたかった場所の桜を
見に行きました。
願ってやまなかったもうすこし生きたい。あの桜を見に
行きたい。その気持ちを胸にしまい約束を果たしました。
来年もまた見に行こうね、約束です。



【男性】 2015.04.05

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

お母さんへ

あなたが天国に逝って1年と2カ月になりますね。

病気を宣告されたのがちょうど4年前の今頃だったよね。
この病気の5年生存率は5〜10パーセントですって言われ
て即入院し、そこから約3年間苦しくて辛い治療に耐えてく
れたけど最後は、病魔に勝てなかった…。

あなたは、自分が病気でもいつも僕のこと子供たちのことば
かり気にして「ご飯食べてる?」「眠れてる?」って言って
たね。
自分の方がずっと辛いのに弱音を一言も言わず、絶対に病気
を治してやるんだっていつも明るく振舞っていたね。

そんなあなたを見てて本当に病気に罹ってるんだろうかって
思ったこともあったけど、現実は違ってました。

あなたが亡くなる前の日にもう話す力も起き上がる力も無
かったのにそっと手を差し出して握手を求めてきた姿が忘れ
られません。
今でもその姿を思い出しては涙を流してます。

でも、いつまでも泣いててもあなたが天国で心配するばかり
だと思うので、前を向いて少しずつでもゆっくりでもいいか
ら歩んで行こうと思います。

何年か何十年か先にあなたと天国で会えることを楽しみに
これからも頑張ります。
それまで待っててください。



【男性、50代】 2015.3.21

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

あなたは幸せだった?

りかさん

あなたが旅立ってから、もう1ヶ月経とうとしています。
祭壇の花も3回変わったよ。
今もあなたが入院していて、いつか帰ってくる様な気がしている。
あなたが心配しない様に、ご飯をきちんと食べてるよ。
でも、なかなか体重が戻らないんだ。

りかさん。
1ヶ月の入院生活の中で、あなたは2回しか弱音を吐かなかった。
本当に我慢強い人だったね。
そこかしこに残るあなたの遣り残した後。
今も大事にそのままにしてあります。
無念だったろうね。
悔しかったろうね。

あなたの残した全てが愛おしい。
買い置きした洗剤やシャンプー。
そんな日用品すら愛おしくて使う事ができないよ。

あなたの愛した庭に、花が咲いてきたよ。
暖かくなったらどんな庭になるんだろうか。
見たかったよね。

「帰りたい」と泣いたあなた。
無菌室だったから抱きしめてあげられなかった。
あの時のあなたの気持ちを思うと
今も胸が張り裂けそうになる。

何もしてあげられなくて、ごめん。
あなたは俺と一緒の24年、幸せだった?



【男性、50代】 2015.3.20

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

今日3月17日で5年やね
最近夢にも出てこんけど  どうしてるんや?
どんどん記憶からボンが消えていくんやけど…
寂しいな   何年経っても寂しい
せめて夢の中でだけでも遊ぼうや
待ってるで!

近況報告しとくな
麻衣は新しい彼氏と楽しくやってるよ
弟とこの子がちょっと…
学校が嫌で大変みたいで
お母さんもまた鬱になってるよ
精神安定剤に頼ってどんどん酷くなってるわ
心配やろう

心配でゆっくりしてられへんやろう?
じゃあ戻っておいで〜
わしの愚痴も聞いてくれ
待ってるで!

あっそうや!
小宮路さんまだ覚えててくれてメールきたよ
お礼言っときや

ほんだらね
次はボンの50歳の誕生日に手紙書くからな
それじゃあまた!



【男性、40代】 2015.3.18

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこへ

明日で9回目の月命日だよ。
最近、しょうこに守られていると感じることが
よくあるんだよ。

娘たちの病気のとき、僕が重いTVを持って誤って
2階から1階まで階段を転げ落ちたとき。
娘たちの病気は結果軽症ですぐ元気になったし、
僕は奇跡的に無傷ですんだ。

やっぱり、僕たち家族のこと見守ってくれているんだね。
ありがとう。感謝してます。

最近、やっと少し元気を取り戻してきてギターの買い替え
してみました。
頑張ってまた曲つくりも始めたいと思います。

相反してしょうこの記憶が薄れていくのがさびしいです。
乗り越えるにはしょうがないことだとはわかっていますが。

さあ元気を出してがんばろう。しょうこのためにも。
また書きますね。

最愛の妻 しょうこへ



【男性、40代】 2015.2.20

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

 

H25 夏 スキルス胃癌で妻が亡くなりました 
41才でした

子ども6才 幸せな日々が突然くずれた感じでした
寂寥感はあるんですが絶望感はありません

太陽が必ずのぼるように あたりまえの事が起きた 
自然の流れのひとつだったのかと思うようにしています

私のように思う人は 実は多いのではないでしょうか
実際の日々の流れは容赦なく淡々と過ぎていくものです
悩んでも 悲しんでも 寂しがっても 時間が流れると
いうことは結局おんなじなんじゃないのかなぁ

なにか足りないものをさがしているんだけど
まだ見つけられない そんな毎日です



【男性、30代】 2015.2.8

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

妻へ

妻へ
あなたが天国へ行って3週間が過ぎましたね
アパートへ帰ってくるとあなたがリビングで寝ている姿を忘れる
ことができません

7年前の暮れ話があるから聞いてと言われ、私、癌だって!言った
事が
病院に家族が呼ばれ、余命は2年ですねと言われた事、今も鮮明に
覚えています

それから、あなたは常に前向きに病気と闘い抗がん剤の辛い副作
用にも耐え2年後小さくなった癌を摘出した後は、このまま治るの
かなとも思える回復ぶりだったのに、余命宣告から7年も耐えて、
痛かっただろう!怖かっただろう!辛っただろう!苦しかった
だろう!

最後の入院したベットの上で言った事覚えてるかい
歩けなくなっているのに、もう少し頑張れば元気な姿で退院でき
るねって
自分に!ヨッシ・ヨッシって掛け声をかけ必死に歩くからベッド
から起こしてこんな事もあったね、看護師さんに明日の朝の旦那
のご飯はどうしてる?って聞いたの涙が止まらなく、ごまかすの
に俺は必死だったよ

最後、自宅に帰ってきてからもベットの上から、起こして・起こ
してって
なんでって聞くと、歩く練習するから!骨と皮だけ、意識も薄ら
ぎかけた状態でも
最後まで、治る気持ちだったんだね!息を引き取るその朝に目蓋
も半分つむり口も開き、肩で呼吸をしている中、三稚代って名前
を呼ぶと
はい!返事してくれたね!それがあなたと最後の会話だった
最後は、家族の見守る手の中で静かに息を引き取りました

もう苦しくないよね!痛くないよね!7年もいきてくれてありが
とう
今月の27日で、22回目の結婚記念日だったのにな・・・
幸せだったのかな?今は、只々あなたの事だけ思い涙が止まら
ない状態です。

阿弥陀如来様、お願いです。妻をしっかり見守ってください
三稚代!俺がそっちに行ったとき、迷わないようにこっちだよっ
て案内してくれ



【男性、40代】 2015.2.7

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

裕子へ

暮れからお正月にかけて息子が孫連れて遊びに来てくれるって、
頑張って片付けと掃除をしたんだよな。

末期がんで2年もつらい治療続けて、それでもまだ頑張るって
新薬の治験を初めて、少しだけど水が飲めるようになったって
二人で喜んでた矢先だったのに。

普段から俺が家の事しっかりやっとけば、裕子にそんな無理させ
ないで済んだのに。

息子一家が帰った翌々日の明け方に旅立ってしまうなんて、気を
使って最後まで頑張ったのも貴女らしいなって思います。

明日でちょうど4週間、辛い、悲しいにはほんの少し慣れてきた
けど喪失感が物凄く大きく


  経由サーバに問題があったためか全文が届きませんでした。
  よろしかったら続きをご送付ください。すみませんが、
  よろしくお願いいたします。        事務局より





【男性、50代】 2015.1.30

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

大好きなひろちゃん大好きへ!

ひろちゃんへ!
ひろちゃんにメッセージを送ります。

大好きなひろちゃん、ひろちゃんが亡くなってから、
もうすぐ、三回目の月命日です。
今でも、ひろちゃんがそばにいてくれるような気がして、
でも、声も聞けない、言葉も交わせない。
毎日が、ものすごく悲しくて寂しいです。

今から、一年半前に突然、仕事から帰ってきたら、
トイレの前で倒れて、すぐに病院に行ったね。
病院に行って診察してもらったら、子宮けい癌という結果と
リンパにも転移。
もう、びっくりした。

それから、俺とひろちゃんの生活は変わったね。
ひろちゃんは、我慢強く、弱気を全く見せず、周りの人たちの
事ばっかり気にして、第一に俺の事を考えてくれていたね。
「御飯は、食べた?」「お風呂は、入った?」「寝てる?」って。
その言葉を聞くたびに悲しくて苦しかった。
自分の事も少しは話をしてくれたらいいのにって!

最後まで、生きよう・生きる・死なないと思って、がんばって
苦しい治療も受け入れてたから、凄いと思う。
余命二ヶ月って聞いてからは、
本当に心配で二ヶ月間は、ひろちゃんのそばにいたくて一緒に
病院生活。
苦しい時・悲しい時、一緒に耐えたかった。
でも、悲しい時は来てしまった。

最後に、ひろちゃんが言った言葉は決して忘れない。
「ごめんね!先に逝くね。」
思わず「俺も、すぐ逝くから。」
っていうと笑ってくれた。
それから、息をひきとるまでベッドで一緒に寄り添って
ひろちゃんから離れられなかったよ!

ず〜と、一緒にいたのに、いつ書いたの?
遺書。

「たかちゃんへ!
お家に帰ろうって言ってくれたのに病院を選んでごめんね。
たかちゃんや子ども達にとっては、そのほうがよかったかも
しれない。
でも、私にとっては近所とか知らないままのほうがよかったから、
お金がかかるけど、ごめんね。
たかちゃん、疲れてるなぁ〜と思う。
たかちゃん、倒れんといてな!
お家にいたら、みんなが疲れる。
毎日、たかちゃん・たかちゃん…わがままばかり言うて
ごめんな!
病院になってしまって、これから二人で好きな事が出来る
頃になってきたのにね。
結婚して27年。
病院になってしまって、たかちゃんや子ども達じゃなくて
良かったと思っています。
子ども達の事、よろしくお願いします。
心配ばかりかけて、ごめん。
たかちゃんへ、大〜好き・愛しています。」

その遺書を見てから、もう、俺は涙が溢れだしたよ。
ひろちゃんに会いたい。
ひろちゃんを抱きしめたい。
もう、苦しいよ!
俺は、これからどうしたらいいんだろう?
ひろちゃんに話をしたい事は無限にあるよ。
ひろちゃんのために、お墓を建てたよ!
会いに行くからね。

まぁも、結婚して赤ちゃんが出来たみたい。
三人目のあばぁちゃんになるよ!

悲しんでばかりはいられないけど、がんばって
今、やるべき事・ひろちゃんから頼まれた事をしたら、
ひろちゃんのそばに逝くね。
それまで、待ってください。

ひろちゃんは、俺の心の中に生涯、生き続けてるから!
ひろちゃん、いつでも会いにきてください。
待ってるね。

また、メッセージします。
たかちゃんより、大好きなひろちゃんへ!



【男性、40代】 2015.1.26

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこへ

しょうこへ

君が亡くなってから8回目の月命日を迎えようとしています。
今、僕の母親が応援にきてくれてるよ。
食事や洗濯をしてくれるので、助かってます。

今でも突発的に涙が止まらなくなることがあります。

母はいつまでも忘れられなくなるので、盆だなを
しまうようにいっていますが、しまう気になれません。
しょうこを忘れたくないんだと思います。

前向きに進んでいくには、忘れることが必要なのですが
葛藤している自分があります。

長女の成人式、無事終わりました。
天国から協力してくれてありがとう。
しょうこにあいたいです。

無理だとわかっていても会いたいです。
寝ていて寝ぼけてしょうこが隣にいると勘違いすることが
よくあります。

しょうこ、天国にいきましたか?
僕らが泣くばかりするからいけてないんじゃないかと
それが心配です。

また書きます。

愛するしょうこへ



【男性、40代】 2015.1.16

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ(10)

今回で10回目の手紙ですねー。

今日は1月15日です、そう、ママの53歳の誕生日でおます。
お花、アキちゃんからのお祝いです。ありがたいですね。
ママの事、心友って言ってた事思い出しました。

由貴ちゃんが今年で30歳、節目の年、色々と頑張りまーす、って、
メール着てました。楽しみですね。

朗夫婦から一向におめでたい話は聞こえてきませんねー、マまー、
気長に待つ事にしましかな(^_^.)。

12日に成年の集いの式典に行ってきました、「何してんねん」と
ママに言われそうやけど、地域貢献の一環ですわ。
由貴ちゃんの成人式に一緒に行った事思い出したわ。
3人の写真、データはどこにあるか判れへんけど、プリントは
持ってるで。

なんやかやと新しい年が始まりました、前向いて、頑張りましょう。
しっかりと、監視しといてなー、よろしく。



【男性、50代】 2015.1.15

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

舞へ

舞へ

お前がいなくなって2ヶ月たちます。

息子も元気にしてるよ

保育園にも通いだしたよ

最近になって息子が言うんだよ

「ママ死んじゃったの?って。」

何て言えばいいか分からなくてさ、
息子の後ろにぴったり張り付いてるよって言ってる

思えばお前が癌になってから
何の支えにもなれなかったな

本当に後悔しかない
ごめんな

最後の時、ベットで意識がないのに
涙してた理由は何だったの?

教えてよ

治るって思って一生懸命だったから悔しかったよな

まだまだ息子の成長も見たかったよな

人生これからだったよな

お前の事思い出すと

涙が止まらないよ

我慢強いお前の事、
もっと気遣ってあげればよかった
強すぎるんだよ、お前は。

もっと話せばよかった

もっと一緒にいればよかった

もっと触れ合えばよかった

もっと愛し合えばよかった

何でこんなに早いんだよ

何でだよ

会いたい

いつもの様に何でもない会話をしたい

会いたい

唯一、救いなのは

もう痛みから解放された事だよな

ずっとつらかったもんな

最後の顔、すげー穏やかだったよ

本当に辛かったんだな

ごめんな

息子を大切に大切に育てるよ

お前の生き写しだもんな

空の上から息子を見守ってくれ

俺もがんばるよ



【男性、20代】 2015.1.6

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ

ママへ3通目の手紙になります。
悪夢のような2014年が終わり2015年になりました。
ママの9ヶ月目の月命日も終わり3月には一周忌を予定して
います。
2014年は本当に色々あって生涯忘れられない年になったよ。
ママが天国へ逝ってしまい娘がもっとグズるかなと思っていた
けど拍子抜けするぐらい毎日毎日笑顔で過ごしてくれてます。
ダメなのは僕で一人になるとママとの出会い・結婚・子供の
誕生そして亡くなった当日の事・・・思い返しては反省ばかり
しています。でも年も変わったから前向きに前向きに少しずつ
前進していくからね。ちょっとは応援してね。

お正月は従兄弟もきてくれて娘は本当に嬉しかったみたいで
「次はいつくるの?」ってまた遊ぶ約束をしていたよ。
従兄弟達と遊んでいる娘の顔を見ていると救われるし反対に
ママが居ない事での不憫さを感じてしまうよ。お袋も
ママの足元にも及ばないと言いつつ一生懸命娘の面倒を見て
くれているよ。義理の姉さんも何かと娘の事を気に留めて
くれて周囲の人達の協力で何とか今日まで生活できていると
実感しているよ。有難い事です。

2015年は健康で家族全員が無事過ごせれば良いと思って
迎えました。ママも天国でそっと見守っていてね。そして
良い1年になるよう応援して下さい。また会える日まで・・・
じゃーね。



【男性、40代】 2015.1.6

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこへ

しょうこが亡くなって7ヶ月目の月命日が過ぎました。
そして激動の2014年がおわろうとしています。
クリスマスは、しょうこのお父さんもよんでお祝い
しました。
精神的にも生活的にも、少し落ち着いてきたように
感じます。それとともにだんだんと記憶が薄れていくのも
感じて寂しく思います。
しょうこ・・・どこで何をしていますか??
天国で僕らを見守ってくれてますか?
無理だろうけど会いたい気持ちはまだうすれていません。

仕事、家事、子供の世話を全部こなすのは、結構
きついです。つかれました・・・・。
誰かサポートしてくれる人が欲しいと思うことも
あります。
でも行けるところまで行こうと思って頑張っています。
来年はぜひいい年になればいいなと思います。
しょうこも協力してくださいね。
最愛の妻 しょうこへ

パパより



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

薫へ

薫へ

君が天国へ行ってからもうすぐ3年半が過ぎようとしています。
悲しさも寂しさも悔しさも今も殆ど変わっていません。

ただ変わったのはもう少しで現役のカウントダウンが始まった事
です。思えば40年近く一緒に暮らすことが出来たのは僕の人生で
一番大切だった事だったと思っています。君は少し早く天国に
行ってしまったけど私はもう少しこの世で生きていこうと思って
います。

若かった頃君と出会った時、運命を感じて一緒に生活してみたい
と君に打ち明けたね。そうすることが出来た僕は幸せ者なんだと
思う。いまあの頃うまくなりたかったギターをひっぱりだし、
先生に週一回レッスンを受けています。少しは前よりうまく
なったような気がします。もう少しうまくなったら詩を書き曲を
つけようと思っています。あの頃やりたかった事に再挑戦したい
のです。天国から応援してください。

これからも君の分まで出来るなら生きてみたいと思っています。
天国の君も風邪なんかひかないように
私を見守っていてください。お願いします。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

大好きだったママへ

2014年11月16日(日) その日は私の祖母の法事の日
でした。
11歳なる息子と3人で朝ご飯を食べて、法事行く準備を
してました。私が立ち上がり、朝ご飯のパンを取りに
行こうとした瞬間ペットボトル倒し全身の力が抜けた
感じで倒れていきました。

あまりの突然の事で 何してるのって 言ったと 
思います。でも明らかにそんな事言ってる場合じゃなく 
ママに駆け寄り ママ、ママ、何回呼び続けたか
わかりません。ママが看護士だった為、以前から
心臓マッサージ、人工呼吸のやり方は知ってました。
直ぐにママの口に耳を当て息が無いのを確認して
ひたすら心臓マッサージをしました。

救急車が来て病院に運ばれ、意識も無く 脳にかなりの
ダメージがあり、意識が戻る事なく、4日後に亡くなり
ました。44歳でした。何が何だか分からず、お通夜、
告別式、忙しく悲しむ暇もないぐらいでした。 
もうすぐ1回目の月命日がやってきます。 今まだ、
心の整理も出来ず、考えるだけで涙が止まりません。 

ママと付き合って8年、結婚して17年、一杯色んな事
あったな、俺の仕事の事、趣味、女遊び、お金の事、
離婚の話もあったね、ママには凄く苦労さしたね。
でも俺と息子の事を 一番に考えてくれてありがとう。
俺はママに何もしてあけれず後悔ばかりしてます。 

でも、ママと一緒で、心の強い息子が居ます。
小学校の卒業式、中学校の入学式見たかったよな。
ママと一緒に見に行こうね。 息子は何があっても
立派に育てるからね心配しないで ずっと見守ってね。 

ママとの約束、60歳なったら新婚旅行で行った
オーストラリアに行く事忘れて無いからね、
60歳なったら息子とママと3人で行こうね 
それまでママ待っててな。俺も泣く時も
まだ有りますが頑張って行きます。また連絡します。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ナオへ

ナオが天国に逝って、もう10年が経つんだね。
いつもお墓で騒いでごめんな。
でもみんなしんみりするのが好きじゃないからさ。

報告。
俺を支えてくれた大切な人。
7年支えてくれた人と別れてしまったよ。
俺が悪いんだけどさ。
ナオのことも大好きでいてくれて、
お父さんやお母さんのことも心配してくれて。
本当に素晴らしい人だったんだ。

でも、結婚ということになると、
どうしてもどうしても踏み出せないんだ。
愛してるって言葉に、意味があるか分からないけど。
ナオのことを忘れるくらいに心から愛した人。
なんで、結婚という二文字になると、踏み出せないんだろう。
俺も、もう40歳になるっていうのにね。

情けないこと言うな!ってナオに怒られそうだけど。
彼女も、同じことを言うんだよね。

そう、俺が情けない。分かってるよ。

それと別の報告。
お父さんが歩ける様になったんだよ!
あっ、知ってるか・・・そっちから全部見てるもんな・・・

あとね、叔母ちゃんとお婆ちゃんがそっちに逝ったよ!
そっちで会ってお茶でもしてね!

俺、どうしたら良いんだろうな・・・苦しいよ。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

よ〜! 久しぶり
この11月27日で21回目やで! 結婚記念日
ボンがこの世を去って4年8か月経ったけど
生きてたら何を買わされてたかな?
そんなやり取りも出来なくて寂しいな!

最近は公私ともにインケツやねん!!
どっかのバアが来てからアカンわ
貧乏神みたいや
仕事もうまくいかんしなぁ

そや! 麻衣がボンの着物を着て成人式の
前撮りしたぞ!  見てたか?
立派に育てたやろう♪
その日は育ちゃんが何から何まで助けて
くれたけどね!
本当はボンがしてやりたかったやろうに!!
病気治してやれずにスマン!
苦労かけてスマンかった!

もうだんだんと記憶から思い出が消えていくぞ〜
寂しいなぁ  辛いなぁ

誰かいい人おらんかなぁと思っても誰もわしなんか
相手してくれへんねん!
わしのことはボンにしか解からんねんやろうな!!
世の中冷たいなぁ
毎日が寂しいわ!

あとどれだけ寿命あるかわからんけど残りの人生
頑張って生きてみるわな!


じゃあな ボン



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこへ

しょうこへ

しょうこが旅立ってもうすぐ半年がたちます。
11月はしょうこの誕生日だよ。
ケーキ買ってお祝いしようね。
娘たちは元気です。
僕は、医者からうつ病の薬を処方されてのんでますが
元気でやってます。

少しずつですが、悲しみが薄らいできたように思います。
でも盆だなはまだしまえません。
しょうこがそこにいるような気がして、しまう気になれません。

しょうこは天国で幸せにしていますか?
僕ら家族を見守っていてくださいね。
僕がしょうこのところへ行ったとき、
「よくやったね、頑張ったね」って言ってもらえるよう、
頑張って生きていきます。
また書きます。

最愛の妻 しょうこへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママ

2通目の手紙になります。
11月に入り朝・夕めっきり寒くなってきたけど風邪など
ひいていない?そっちの生活はもう慣れた?
ママを思い出さない日は1日もなくそのたびに落ち込んでいます。
先日の月命日にお花をあげたけど気に入ってくれた?
娘の事で相談したい事沢山あるけどできない現実・・・。
辛いし寂しいよ・・・。

娘は相変わらず元気に毎日を送っています。僕を笑わそうと
して変顔をするけどママに似てきたなと思いその度に感慨に
ふけってしまいます。あと、寝顔、ママに似てきました。

沢山将来の事、娘の事話して沢山喧嘩もしてきたね。
ママが亡くなって7ヶ月すぎても毎日こんな事を考えています。
ママが居たら多分一喝されるね。ただね平凡な毎日を
家族3人で当たり前に過ごせると思っていたから今の生活が
本当嘘みたいに思えて悪い夢だったら早く覚めてくれ!って
毎日毎日考えちゃうよ。

とりあえず前を向いて1日1日頑張るからそっと応援してね。
じゃーね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の秀子さんへ

 秀子さん。
あなたがいなくなって丸6年がたちました。先日7回忌を営み
ました。遺骨はまだ仏壇に置いたままです。納骨する気になら
ないのです。早く納骨して大宇宙に還してあげなさいと周囲の
人に言われましたが、この家にいてほしいのです。

 ひろきは大学3年生です。医者になるまでまだまだ先は長い
ですがここで見守ってほしい。魂はここにいてほしいのです。
いるんでしょ?ここに。姿は見えない、声はきこえないけど、
ここにいるんでしょ?。僕とひろきにご飯を作りたくてここに
いてくれるでしょ?

 今も僕は仕事に弁当を作って持っていきます。あなたが僕に
つくってくれていると思っています。不自由で切実な毎日です
が、その切実さに真正面から向き合ってこれからも生きていき
ます。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこ

しょうこへ
しょうこが逝って5回目の月命日が過ぎました。
月命日には花を飾ってできるだけのことをしました。
月命日の次の日、どうしても会社に行く気がしなくて
休んで、一日泣いていました。
最近落ち込んでいた気持ちが回復してきたと思っていたら
また元に戻った感じです。
23年間の思い出は、そう簡単には消えそうもありません。
なんでしょうこが・・・・そういう気持ちがいつまでたっても
消えそうにありません。

しょうこ・・天国で幸せに暮らしてる?
こちらは、娘2人となんとかやってる。
二人とも精神的に成長したよ。いろいろ助けてくれる。
しょうこ、天国から見守ってくださいね。
家族を守ってください。
僕も力の限り頑張ります。悲しみは消えないけれど。
いつになったらこの胸の中の苦しみはきえるのかな?
君にあいたい。話がしたい。相談したい。抱きしめたい。
無理だとわかっていてもこの気持ちは消えません。

来月はしょうこの48回目の誕生日だよ。
亡くなったら年はとらないってきいたけど・・
ケーキ買ってお祝いしようと思います。
いっしょに食べてね。
また書きます。
最愛の妻、しょうこへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

妻が窒息し、低酸素脳症に2

訳がわからないまま、月命日を迎えました。
窒息事故から1ヶ月頑張って、反射を
見せてくれてたが、あの世へ旅立ち
僕と娘を残して、これから何を生き甲斐に
すればいいのか、みっちゃんに会いたい、
これからだったのに。仕事仕事で何もして
やれなかった、寂しいよ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ

ママが居なくなって早いもので半年が経ちました。

4/2帰宅したのが午後7時頃、もうすでに冷たくなっていて
自分でもその後どうしていたのか記憶が断片的にしかありません。
ただ何も出来なかった、助けてあげられなかった自分を
責めて責めて・・・今現在も猛烈に自責の念に襲われます。

娘も今年10歳になりこの子の笑顔が今の僕の救いです。
実母の助けを貰いながらこの子を一人前に育てるこの事だけが
ママへの供養だと信じています。この間運動会があって
学年代表のリレー選手になり見事1位になったよ。
多分ママの事だから傍らで微笑みながら応援してくれていたと
思うけど・・・。友達にも恵まれママのかけがえのない
愛娘は順調に成長していると思います。(思いたい)

なかなか前向きになれない僕だけどママが天国で安心して
暮らせるよう無理をせずゆっくりと頭を上げて生活して
いこうかと思います。だからママ
頼りない父親だけどたまには応援してね・・・

いつか天国でまたママと再会したいです。
その時までじゃーね・・・



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママヘ9

10月になりました。
朝夕は涼しくなってきたわ
相変わらず、朝5時にはワンコに起こされサンポにいって
おりまっせ。

ママがいなくなって、3年の月日が過ぎようとしているんやけど、
ホンマ、昨日のようにはっきりと覚えているや。
ママがハワイに行く日、忘れ物したから家に戻った事、
駅間で信号待ちの間にパパが車からおりて後ろ手でバイバイした
こと。何で、しっかりと顔、見ひんかってんやろ?
成田からもらったママの最後のメール、今、読み返しても
涙がでるわ。

話は変わって
11月に日光行った帰りに由貴子と朗のマンション見に行って
きまっさ、どんなマンションかはママはもう知ってるやろう
けどな。
ほんで、広司パパの還暦祝いもします、マミーと伸ちゃんの
還暦祝い楽しかったなー。
皆、それなりに年寄りになっていくけど、ママは永遠の
50歳やなー。羨ましいとアキちゃんがゆうとったわ。

まー、色々なことが有った3年間やけど、それなりに頑張って
いまっせ。
1人住まいは何かと忙しいけどな、自分がせえへんと何も変われ
よってに用事済ませております。

では、寒くなるので、風邪非引かんようにな。それはパパやろっ、
てか。
そうでんな。ほんじゃー、ねー。



【50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこへ

しょうこへ
しょうこが逝ってもう5ヶ月目に入ったね。
相変わらず悲しく、さびしく、心の大きな穴は開いたままですが、
少しずつ少しずつ立ち直ってきつつあるよ。
まだ時々は泣いてますが、頻度が減ってきました。
また、娘のしほから料理を覚えるように言われて頑張ってるよ。
レパートリーが少しずつ増えつつあります。
しょうこが見たら驚くだろうなあ。僕が料理を作ってる姿。
娘たちは元気だよ。心配しないでください。
今月10月はしょうこのお母さんの3回忌だね。また頑張らなくっ
ちゃ。でも自分たちの生活で精一杯で、しょうこのお父さんに
なかなか気配りができてないよ。
とりとめのない近況でした。

また書くね。天国から見守っていてください。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

てんに 2通目の手紙

てん、久しぶりに手紙を書きます。
いつまでも女々しいくらいに君が忘れられない。
子供たちは相変わらずでしゅんは良く働いてるよ。
会社でも褒められてる。
なみはあいかわらずで朝令暮改、昨日今日と言うことが。
でも、二人とも自分をいたぶることはしなくなった。

じきにめいにちがくる、いつもいつも変わらず花ばかりで
たまに珈琲をあげるけど缶コーヒーじゃね、僕が入れたのを
のみたいかな、待っててね。
そうだリンゴオーナーをまたはじめました、収穫したら
持って行くから賞味してください。
それと最近太り始めてきて運動不足がてきめん。

君のお気に入りのヒップは見る影もない。
次に君に会うまでに格好付くようにしなくちゃね。

とりとめのない近況です。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

妻が窒息し、低酸素脳症に

平成26年8月11日月曜日12:30
自宅から会社が、比較的近くなので、
その夜会社関係の会合があるから、昼
休憩中に自宅へ帰宅、妻はまだ、
胸椎黄色靭帯骨化症の手術をしたばかりで、
家で娘の弁当を食べ終わっていました。

私も一緒に弁当を食べていたら、
妻はアップルパイをほお張りながら、
ニッコリ、お盆休みはどこか出かける話中、
誤飲により窒息。救急車で一命はとりとめたが、
脳へのダメージがあるから、
二日三日が山と言われ、身内やら連絡し、
訳がわからないまま、三週間頑張ってくれて、
転院になり、転院先で、9月13日息を引き取りました。

通夜、葬儀を終え本当に何が何やら、
妻がいない事が夢のようで、わけがわかりません。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこへ

しょうこへ
初盆が終わって、ほっとする暇もなく遠隔地・・遠くは海外から
大学時代の友人・先輩が次々と線香あげにきてきれてます。
ありがたいね・・。皆、異口同音に信じられないといいます。
無理もないね。

先日、ゆきの体育祭があって見に行きました。
ゆき、頑張ってリレーで一番早かったよ。ママにも見せてやりた
かった。毎年夫婦二人でいってたのが、今年からは僕一人・・。
過去の記憶が思い出されて、涙をこらえるのに苦労したよ。

もうすぐ9月15日・・23回目の結婚記念日だね。
ケーキでも買ってお祝いしようかな。
しょうこも一緒にたべてな・・。
と同時に敬老の日なので、しょうこの父親と僕の母親に贈り物
しなければね。いつもしょうこが気を利かせてやってくれてた
から、わすれてたよ。
やっぱり男一人では気が利かないね。
悲しみに耐えて自分と家族と仕事で、今、精一杯なんだよね。
いろいろ助けてくれな・・。

しょうこ・・天国にちゃんといけたかい。
我が家の家相の悪さも含めて、天国から守ってください。
しょうこに相談できないから、悩み事がたくさんあります。
愛するしょうこへ
また書きます。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

半年

こんにちは。君と話ができなくなって半年が経ちます。
早かったような長かったような。
仕事にも復帰して、子育ても不器用ながらやっているよ。
びっくりするだろ?あの俺が子育てって。

こどもが最近質問するんだ。お友達の何々くんにはお母さんが
いるのに自分にはなぜいないのか?と。
去年はお母さんいたね?何で病気が治らんかったのか病院に
行って聞いてきて。お留守番しておくから。と。
涙が止まらんよ。何て説明すればいいのかなぁ。。。

君がいなくなった当初は、残された子供と自分がなんて
可哀想と考えていたけど、あんな小さな子供残して
死んでも死に切れんと言いながら逝った君の無念さに
ようやく気が付くようになった。
悔しいなぁ。悲しいなぁ。

何度も思う。君がいればと。失って初めて知った普通で
あることの幸せ。何の変哲もない日常に溢れている幸せ。

今しばらくは歯を食いしばって頑張るので、遠い空から
見守ってください。

また手紙書きます。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこ

しょうこへ
しょうこが逝って4ヶ月目にはいろうとしています。
家族3人みんな元気にやっています。
心配しないでください。いつもそばにいるだろうから知ってる
かな・・・。

8月14日の僕の48歳の誕生日には子供たちにとっても素敵な
プレゼントと手紙をもらいました。
涙が止まりませんでした。
手紙は大切に毎日携帯しています。心が折れそうになったときに
読み返して元気をもらうためにね。
仏壇にケーキ飾ったけど、食べてくれた?
9月15日は僕たち23回目の結婚記念日だよ。
毎年花を贈ってたけど、今年は何をしようか考えてます。
楽しみにしててください。

しょうこのことが頭に浮かぶと、未だに涙が溢れ出てきます。
心のよりどころを失って、自分の存在がフワフワ遊泳している
ような感じです。

しょうこと話したいなあ。しょうこも伝えたいことがいっぱい
あるやろ。娘たちをほめてやりたいやろ。頑張っているもんなあ。
せめて夢に出てきてください。
逝ってしまってから一度も夢にでてきてくれないから寂しいよ。
待ってる。

10月はしょうこのお母さんの三周忌だね。
また、頑張らないと・・・。
そちらで、お母さんと一緒にいる?

また落ち着いたら書くね。
天国から見守っていてください。
最愛の妻 しょうこへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこへ

しょうこへ
5月になくなってから3ヶ月、初盆もあわただしく済みました。
しょうこがいないと何をやるにも大変だよ。
初盆の盆棚は、一生懸命作りました。
よくできてたやろ?

しょうこにふさわしい初盆にしようと思って頑張ったよ。
葬式も大人数だったけど、初盆も40人をこえる参拝者だった
・・・。人徳だね。今更ながら関心しました。

初盆はちゃんと家に帰ってきてくれた?
ちゃんと僕ら家族の頑張り、見てくれてた?
「よく頑張ったね」って言ってほしかったけど
今はもうかなわない願いなんだよね。

アルバムを見てたら、しょうこのいい写真があったので
ラミネートして、いつももっていることにしたよ。
いつもいっしょにいたい。

また、書きます。
僕ら家族を見守っていてください。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ 12通目

■みっちへ

2014年8月18日
みっちの4回目の命日がやってきます。
今、何処にいるの?
きっと、とても優しい両親の、暖かい家の子供として、
幸せに暮らしているんだろうね。

もう、悪魔のような継母や、自分の事しか考えない
身勝手な実母に頭を悩ませて、双極性障害になって
苦しい人生をおくる事も無いんだろうね。

僕は今でもみっちの親達を心から憎んでいるよ…。

僕のみっちをこんな目にあわせた者達に、同じ思いを
させてやりたいよ。

今年のお盆も、お墓参りに行けないんだ。
今年もおふくろに代わりに行ってもらいます。
ゴメンね。

もう4年が経過するってのに、未だに泣いてしまうんだ。
いつになったら苦しい気持ちから解放されるんだろう。

13通目は年末に書くね。それじゃ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこへ

しょうこが旅立って、3ヶ月がたつなあ。
もう初盆の準備をしなくてはならないよ。
いくら願っても、夢に出てきてくれないね。
僕は毎日泣いてたのが、涙がかれてきたのか
少し頻度が少なくなってきました。

娘たちは、元気です。
二人とも、涙を見せず、気丈に振舞ってます。
めそめそしているのは、僕だけかもしれません。
胸の中にある黒い悲しみの塊は、まだ溶けてません。
やっぱり我が家はしょうこがいる4人家族でないと
だめなんよ。
3人家族で慣れるまで、だいぶかかると思います。

一言二言でいいから、しょうこと話がしたい。
何も言わずに逝ってしまったのだから、言い残したこと
たくさんあるやろ。

もうすぐ町内の夏祭りだけど、いく勇気がない・・。
毎年しょうこと一緒だったから、みんなの前で
泣いてしまいそう。

初盆終わらせたら、また書くね。
最愛の妻、しょうこへ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

大好きなピート

ピートがいなくなって2年が過ぎました。
妻は家の外の階段で、足をすべらせて頭を打ち、
亡くなりました。
その日の朝は眠っていた妻を起こさずに仕事に出掛けたのですが、
今となっては、行って来ますと声をかけて出掛ければよかったと、
後悔しています。
いっつも、何処に行くのも一緒だった妻が突然いなくなるなんて、
想像もしていませんでした。
今となっては、後悔ばっかりで。神様なんていないんだ。
と考えるようになりました。
生まれ変わっても又一緒になろうね!って言ってたことを
想いだします。
今はただ早く妻に逢える事を楽しみに生きています。

いつになるかわからんけど、それまで待っててね!



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

しょうこへ

平成26年5月21日、脳腫瘍をわずらって闘病していた
妻しょうこが、突然夜中に痙攣発作でなくなりました。

脳腫瘍は判明してから7ヶ月、懸命に本人も家族も
努力して家族がひとつになって頑張ったけど、
神様は残酷で47歳の生涯を急に閉じました。
深夜にお風呂で死んだため死に目に家族だれも
あえませんでした。

しょうこ。
もう49日もすぎたけど、今どこにいるん。
長女の成人式ももうすぐだったのに・・・。見たかった
だろうなあ。
来年は次女の大学入試だよ。

なにも言わずに逝ったしょうこ、一言でいいから
話がしたい。
心には大きな穴があいたまま・・・体を半分
引きちぎられたような気分だよ。

いなくなってからしょうこの大切さがひしひしと
わかってきました。やはり我が家にはしょうこが
いないとだめです。

また手紙かくね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ8

明日から7月、今年も半分終わりましたなー。
6日はパパの誕生日ですわ、56歳でおます。
ママは50歳から年取らんから、どんどん離れていくな。
パパがママ会いに行ったときにはどんだけ離れてんねん。

最近は元気で頑張ってまっせー、仕事ちゃうで。
祭りや遊びや会社の仲間との飲み会ですわ。
まー、楽しくやってます。

18日はパパの大好きな祭りです。今年と来年は
総代するんで一日中、だんじりに付いて歩いてますわ。
夜、8時頃にマンション横にだんじりが来ます、
パパの知ってる限り、此処まで来るのは初めてと思うわ。
上から見といてやー。

まー、何やかやと有るけどな、パパが元気で生きていかんと、
ママが悲しむと思う。
せやから、しんどい事あっても、愉快に楽しく過ごすように
してるんや。本音は寂しいけどな。

お姉ちゃんも息子夫婦も元気な様子ですわ。まっ、それぞれ
色んな思いを心の奥深くに仕舞ってるとおもうけどな。

では、また、お手紙書きまっさー

                        パパ


【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

ボン 久しぶり
この5月24日で49歳やなあ
まあ 一緒に祝えなくなって4回目のことやけどね
そっちでは どうや?

こっちは 住みにくい世の中になってきたぞ!
消費税は8%になったし 中国の脅威もあるし
景気は良くならんし 生きて行くのが大変やわ
それでもボンと一緒やったら乗り越えられるけど
1人は辛いわ!

来年は麻衣の成人式やで
ボンとの約束はこれが最後の一つやから
あとちょっと わしに力を貸してや!

近況報告しとくな
ボンのおかあさんは 変わりなく元気やわ
麻衣はボンが好きやった しろたんの店でバイトしてるよ

それより うちのおかんが家に転がり込んでくんねん
どう思う?
わし また大変やわ 
助けてくれボン


あっそや! 今日25日はとっても嬉しいことあってん
わしが唯一尊敬した人物の新田ハンの仏壇に
手を合わせることができてん
願いが叶ったよ

あとは直接ボンと話がしたいという願いやけど
それは叶わんよな?
何とかならんかな?
そっちの世界と交信できる日が来ないかな?

次は結婚記念日にまた手紙書くわな!

待っててや
美和ボン



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

永遠に変わらず…

最愛の妻みーちゃん、お前が俺の腕の中で眠りに付いて、
もう四十九日が経ったね、五歳の娘とママの居ない寂しい日々を
耐えて過ごして居るよ、家族愛が強くその分凄く寂しいよ、
家族の為に必死に闘病してくれた事、忘れないから…
いつもお前が寂しい時必ず、俺はみーちゃんの側に居た、
でも今はそれも出来ない、それが辛い、寂しいだろうね、
でも体は離れてても魂はいつも、家族一つだよ、
お利口さんの娘を残してくれてありがとう、
ご苦労様…永遠に変わらず愛してるよ
みーちゃん、ゆっくり休んでね…



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

抱きしめたい

まだ結婚して六年やで。
まだ上の子生まれて四年やで。
まだ下の子生まれて一年やで。

あまりにも早いんとちゃうか?

って、君もまだまだ死にたくなかったよな。
まだまだ子どものお世話したかったよな。
悔しいな。
ほんま悔しいな。

俺、今すごく後悔してねん。もっと君のこと抱きしめたら
よかったって。

死んだら話せないし、抱きしめることもできない。そんなこと
わかってるつもりやったけど、いざ君を失い、死が現実のもの
として認識できたら、後悔ばっかりやわ。

もっと抱きしめたかった。

話し足りないことばっかり。子供のこと、親のこと、お金の
こと。。もっと話しておけばよかった。
けど、話すよりも何よりも、君が迫り来る死の恐怖と対峙して
いる時に、何も言わず、強く肩を抱いてやりたかった。

ごめんなさい。

俺って、優しい男やと思ってたけど、全然優しくなかったな。
自分の悲しさばっかり優先させて。思いやりとは相手の立場を
慮ること。君を失い気づかされた。君はどんなに怖くて、
悲しくて、悔しくて、そしてそれの表現方法にも戸惑っていた
のにね。
もっと君に優しくありたかった。

まだまだ君を思い出すと、涙が止まりません。
そして後悔が僕の胸を締め付けます。胸が張り裂けそうです。

こんな気持ちになるなら、飽きる位に抱きしめたらよかった。
そしてそれはもう叶わないんだよね。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ  11通目

■みっちへ

10通目で、平成13年の年末に11通目を書くと言ったけど、
なんか、こんなに遅くなってしまった。

実は年末から1月15日頃まで、おふくろが北海道から
所沢へ来てくれていたんだ。これで2回目。

前回は仕事が忙しくて、ろくに何処にも連れて行って
あげられなかったので、今回は電車を乗り継いで浅草に
行って来たんだよ。
江戸時代から続く老舗の天ぷら屋さんで天丼食べて、
浅草寺でお参りして、仲見世商店街で買い物もして、
人力車にまで乗って、ゆっくり浅草見物してきた。
みっちも一緒だったらよかったのになぁ。

今年(H14年)の8月で、みっちが居なくなって丸4年に
なるね。僕は今は、だいぶ落ち込む事も少なくなった。
けど、実は、2年位前から、僕も体調が悪くなって、
「抑うつ神経症」と診断さててしまったんだ。

体はすぐ疲れてしまい、毎日仕事も含めて、最低限の事
をこなすので精一杯。
先日、新しいプロジェクトのメンバーにどうかと上司に
話をされたけど、体調的に自信がなく、断ったよ…。
他人には理解されにくい病気だよね。
みっちの気持ちが今、身に染みて本当に良く解ります。

みっち、全然夢とかにも出てくれないし、気配とかも
全く感じないけど、きっと、辛かった日々から解放
されて、新しい人生を楽しんでるんでしょ?
僕はそう思うことにしてます。

では、12通目もお楽しみにね。次はお盆かな?



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ7

あと、一週間もすれば4月やで。

先日、アキちゃん達との花見の日程が決まりました。
大阪にいた時はよく皆で公園で宴会したよなー。
ある時、アキちゃんが酔っ払って電柱に激突して、皆で
大笑いしながら怪我ないか、心配した夜もあったん、
覚えてるか?

大阪に戻って、2年が経ちます。
色々なイベント事があったよな。。

けど、結構、俺が仕事が忙しくて余り参加ででけへんかったんが、
今となったらほんまに悔しいわ。

3週間ほど前、夢に出てきてくれたな。しっかりと
シチュエーション覚えてるで、ウッシッシツ。

これから、プライベートが忙しくなっていきそうやで。
祭り関係やけどな。チキチン、コンコンですわ。

ほな、また、夢の中で会いましょう。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

お〜い!ボン 今何してるんや?
今日3月17日で丸4年経ったけど、姿見せへんなあ?
もう忘れてしまうぞ!

顔も声も体も匂いもだんだん思い出せなくなってきたぞ!
最近夢にもあんまり出てこんしなあ

2人で1人みたいにあれだけ仲良かってんから頼むで!
何か怒ってるんか?
それやったら夢に出てきて言ってくれよ!!
わしはいまだにボンの事考えたら涙が出るぞ
やっぱりどんなに強がっても元のわしには戻られへんわ!

あっ!そや、今日ボンも見てたと思うけど
育ちゃんとお母さんとボンが可愛がった萌が来てくれたぞ
それにボスの小宮路さんもメールくれたよ♪
覚えててくれたんやなあ
嬉しいなあ
ボンの事まだみんなが覚えてるぞ!
忘れる事はないよ

だからボン!
わしの事忘れたらあかんぞ!!
絶対やで!

次はボンの49歳の誕生日に書くからな♪
待っとけよ♪
じゃあね



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

慕わしき妻へ

いつもお母さんと呼んでいましたね。
25年間連れ添っていたのに突然と逝ってしまったあなたは、
今はもう声の届かない世界に行ってしまったのです。

胃がんと告知されて一か月で家族を置いて行ってしまいました。
未だに信じられなくって、ただいま〜と帰ってくる気がします。
病院から危篤の連絡があってすぐに向ったのに、すでにこの世を
去ってしまい、なんか夢でも見ている気がしました。
子どもたちも来たけれど、何度呼びかけても目を開けることなく
返事もなく、ただ茫然としました。

あんなに健康に気を遣い、いつも家族のために尽くしていた、
お母さん。急に家庭の中がぽっかりと空き、し〜んと静まり
かえりました。
老後は子供たちのところを回りながら、温泉旅行をしようと
言い合っていたのにその夢が無くなりました。

毎日涙が出て自分でもこんなに涙が出るものかと思うほどでした。
せめて夢にでも出てきてほしいと思いながらも、いまだに現れて
こないのはなぜですか?

何をするにもお母さんがいたらなぁ〜と思うのです。
外に出かけても同年代のご夫婦を見るたびに、涙が出てしまい
ます。毎日朝と晩に写真に向かって話しかけていますが、
返事がありません。

今は子供たち4人に支えられて生きています。
あなたが残してくれた大事な宝物です。ありがとうお母さん。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ 6

ママがいなくなって3回目の正月を向かえました。
1回目は由貴子と朗と3人で新年を迎えました。
2回目は大阪に戻ってきて、55歳で初めて一人ぼっちの
一人の年越しでした。
3回目はマミーの所に御呼ばれしてました。

去年は色々な事がありました。とは言うもののいつも傍にいる
から全部知ってるわな。

時々、考える事があるんやけど、ママ、突然のクモ膜下出血で
居なくなったけど、思い残す事は無かったんかなー?
幸せやったんかなー?
いっぱい、あるはずや。そやのになんでやねん。
生命線、短いから私、早死にするねん。
そんな事、言うとったらほんまになってもうたんや。

ぼやいても戻ってけえへんな。ほな、しっかりと頑張りまっさ。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

2012-5-14

それは私が癌の宣告を受けて、10日後。
自分が生きるか死ぬかで頭の中がいっぱいだった私。
彼女もつらかっただろうに、毎日見舞いに来てくれる彼女を
気遣う余裕は私になかった。

病院に警察から電話があったらしく、担当医から
『奥さんが首吊り自殺されました』と聞かされた。

昨日は日曜日でお弁当まで作って見舞いに来てくれたのに…
彼女は昨日、私の顔ばかり見つめていた。
私は、照れてテレビばかり見ていた。
最後の日になるとも知らずに…

そして、半年後に手術をし、再発もしているが、
それでも、まだ私は、生きている。

私の病気を心配してくれた妻へ、いたわりの言葉を何ひとつ、
かけてやれなかった事をくやみながら、生きている。

貴女がくれた命を大事にします。
でも、天国へ行ったら、かならず、貴女を見つけ出し、
貴女に謝ります。
しあわせにできなくて、ごめんなさい。

akira



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

今日11月27日 20回目の結婚記念日 磁器婚式って
言うんだって!
とはいっても、一人になって4回目で二人で祝ったのは
16回目までやったね。
一緒じゃないと意味ないなぁ。

ボンどうしてるん?
寂しいなぁ
逢いたいなぁ

何か逢える方法は無いのかな?
こんな頼りないわし残して逝ってしまって

話したいこと
聞きたいこと
相談のって欲しいこと
して欲しいこと
ボンにしてあげたかったこと
いっぱいいっぱいあるんやけどな

でもボンがあのガンの痛みや苦しみから解放されてたら
わしはそれだけでもいいよ。
ゆっくり休んでてな
誰かがいつか、逢える方法を発明してくれたらいいのになぁ

こうやって手紙書いてたらいつも涙ボロボロになるんやで

あっ 近況報告するな
ボンのおかあさんは、滅茶苦茶元気やわ
弟夫婦もすごく仲良くやってるよ
萠も芽も勉強とスポーツも両方頑張ってるよ
うちのおかんは、あの年で嵐のコンサート行って
ちょっと? やけど……

大切な大切な 麻衣は大学一年になり
バイトに遊びに励んでるよ。
彼氏もいるし、友達もいっぱいいてるで。
サークルにもはいってるし、オシャレにも金かけて
勉強以外は完璧やで

ボンお前も声かけてやりたいやろう?
無念やろう
悔しいやろう
わしがボンの分までしっかり育てるから見ててくれよ
頼むで

もっともっと夢に出てきてくれよ

じゃあな
今日も待ってるぞ!



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

今日という日に

また季節が廻ってきました。
今年は小さな決断をしました。
明日、ちゃんと報告します。

君を置き去りにするわけではないこと。
ただそれだけは分ってほしいと思います。
気持ちは君と一緒に。
これからも変わりません。

君の香水を見つけました。
香りは君そのものです。
宝物が一つ増えました。
ありがとう。

これで9年。
10年目を迎えます。
いつまでも泣いているわけではありませんよ。
君もそうでしょ?
願わくば、君の自慢の人になりたのです。
君に愛されていたいのです。
これからずっと、より一層です。

一生懸命生きてますよ。
少しですが、そう思えるようになりつつあります。
君のおかげです。
ありがとう。

ありがとう。
ありがとう。
過去にも、未来にも
私の中の君が、私の生きる力です。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

カオポンへ

カオポンへ
この3連休は大型台風で風が凄かった。中々外に出れず
家で過ごしました。いつもの事だけど部屋の中で過ごして
いると、何気なく置いてある物を見てつい君の事を思い出し
突然悲しくなり、涙を出してしまう。

そうかと言って部屋の中は君が亡くなった2年半前と殆ど
変わっていない。というより変えないでいます。
一つ一つのものにいろんな思い出がありとても処分したり
する事が出来ない。それでいいと思っています。

以前より少しは強くなったような気がしますが、時には
心が砕けてしまう。
近所に出かけて店で買い物している時も君の事を思い出して
しまう。今思うと買い物も大切な2人の思い出ですね。
君の友人から時々言われます。「忘れる事なんてできないし、
思い出してあげる事が大切で、その思いは天国の奥さんに
通じますよ」と。

そういえば最近、君が夢の中に時々出て来てくれます。
凄くうれしい事だけど、気がついたときには既に君は消えて
いる。
強く君を思っている時に出てきてくれるので、これからも
君をずっと思っていきます。

一人暮らしは寂しい事も多いけど、これからも君の分まで
しっかりと生きて行きたいと思っています。
これからも宜しくね。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ5

ママが俺の目の前から突然居なくなって二回目の夏の高校野球が
開幕しました。

娘の母校の地区予選決勝にママとパパと娘と三人、息子の車で
送ってもらって行ったよな。

あの時期は家族4人、一つ屋根の下、楽しかったなー。
皆、血液型がB型でまとまれば行動力があるけれど、何となく
自己中な面があって。

何でやろな?今だにママがいなくなった事、わからんわ。
ほんま、何でやろなー。

ソウルメイト。

千葉から大阪に引っ越す時、荷物を整理していた時に発見した、
ママが切り抜いていた雑誌に書いてあった言葉。

生まれ変わるたびにめぐり会うかけがえのない魂の伴侶

パパの誕生日が7月6日、ママの誕生日が1月15日、
切り抜きにピンクのマーカーでラインが引いてあった。

来世、又、楽しい家庭を創ろうな。たぶん、イヤッて言うやろな。
そんな事言わんと頼んまっさ。でも、この世で色々と
せなあかん事がおますので、暫く、待っててなー。

ほな、横浜、千葉、大阪と娘、息子夫婦、パパ、別々に暮らして
おるけど、電車賃掛らんよってに、しっかりと、移動して、
見守りよろしく。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

2013年7月20日 明け方の夢

彼女が久しぶりに帰宅した。
一週間ぶりかそのくらいみたい。
名取?に行っていたらしい。
なんの名取かは不明。
着物を来ていたから着付けかも。
今は家にいるはず。
出先からの携帯電話がやっと繋がる。
でも、途切れ途切れ。
ミッション8ミニッツのリスペクト
声が聞けただけでもすごく嬉しい。
玄関の前、包丁の音
君は夕飯の支度をしてるらしい。
嬉しい
玄関のドアを開ける。
君の後ろ姿
抱きしめる
キスを交わす
照れくさそうに子供達が見てる。
鮮明に覚えてる。
小さな八歳の息子と
その後ろにしがみついて覗き込んでる小さな六歳の娘
彼らは今は大学生と高校生…
夢から醒める
ベッドの上…
あれから12年
今日は亡き妻の53回目のバースデー
…悲しい…



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ 10通目

■みっちへ

とうとう10通目の手紙です。

9通目で、彼女が出来た、みたいな事書いたけど、
やっぱり全然ダメだわ。気持ちが通い合わない。
その人のことが、心から好きにはなれない。
自分の寂しさを紛らわす為の相手でしかない。

ハートとデコだらけのメールも、ただウザいだけ。
今はもう、逢うことも無くなってきた。と、言うより、
何だかんだ理由をつけて、逢わないようにしている。


僕はみっちじゃないと駄目なんだ。


今年の8月18日で、みっちが突然居なくなって3年が
経とうとしています。
この3年間、早かったような、遅かったような…。

今日、凄く久し振りに部屋でわんわんと泣きました。

泣きやんで、ぼーっとドラマを観ていたら、冒頭で
数年前に恋人を亡くし、今でもそれを引きずっている
主人公の女性が、電話で父親に「忘れない。そして、
思い出さない。これは大事な事だよ。」と慰められる
シーンでさ、自分とモロにダブってしまって、
また泣けてきちゃってね…。

ダメだなぁ。全然立ち直ってないわ。
あと何年かかるんだろ。

11通目、年末に書くよ。じゃ、またね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最初で最後の妻への手紙

貴方を看取って一月半が経ちます。

そちらでは早くに亡くしたお母さんや可愛いがっていたワン
ちゃんたちに会えましたか

こんなに早く貴方を亡くすことになるなんて思ってもなかったし、
貴方自身もそうだったね。

医者の誤診で発見が一年も遅れ、わかった時には余命ももって
一年と言われ、最初は医者に怒りを覚えたけど人のすることに
完璧はないし、それも運命と考えるしかなかった。

でも病院の治療以外の生野菜ジュースなどいろいろ民間療法を
文句も言わないで受け入れてくれてありがとう。

そのかいあってか約3年近く生き、亡くなる一週間前まで
それなりに元気で過ごせてよかったです。

貴方が病気になってから、最初は死にたいや殺してと言われ、
私もショックを受け仕事もせずに見送るまで一緒に過ごしま
したね。

でもその時間は本当に大切な思い出になりました。食べ歩きが
ほとんどだったので一生分の外食をした感じです。

3年間できる範囲のことはしたので(もっとしてあげたかった
けど)葬儀では泣くことも我慢できました。

貴方を亡くしたことは悲しく、まだまだ心の整理はついてない
ですが3年という心の準備期間があったのでなんとか大丈夫です。

今は遺品整理しながら、心の整理しています。
もうすぐ納骨です。納骨が終わったら仕事を探して貴方の分まで
がんばって生きていきます。

いつの日かそちらに行くまで見守ってください。

最後に書きたいことは尽きないけど一言だけ、今までもそして
これからも愛しています。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ4

5月も今日で終わります。
この2ヶ月はいろいろな事があったで。

まず、朗君が嫁さんもらいました。なかなか、可愛い子ですわ。
昔住んでいた市川の近くに住んでいますわ。おそらく、
もう、見に行ってるわな。

それと、912号室に戻りました。10月の予定が早まって
5月25日に引っ越しました。13年ぶりの我が家の居心地は
どないや?

まー、この2つの件は知ってるわな。いつも、パパに近くに
いてる筈やよってに。

最近、何してもあまり充実感が沸いてこまへんのや。
ちょっと、ウツかなー。パパは絶対にウツ病にはならないって
言ってたけどなー。ちょっと、しんどいわ。

けど、朗が結婚して、又、新しい家族が出来るの楽しみにして
がんばりまっさかい、ママも応援してやー。

ほな、なー。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

今、何してる?
今日5月24日はボンがこの世から姿を消して4回目の誕生日やで
何年経っても悲しみや辛さが軽減されることは無いわ
たまにボンに会いたくて話がしたくって
おかしくなりそうになることがある
軽いウツかも…

知ってるか?
こんなわしに 追い打ちかけるような出来事が起こってん
ボンも知ってるやろう?
昔アンパンマンのビデオ貸してあげた新田氏が
そっちの世界に逝ってもうた
ボンにお願いしてたけど無理やったんか?
男の中の男、本当に困った時だけ相談したら
いつも本音で相手してくれるわしの中では一番尊敬できる
人物やったのに…
辛すぎる
これでますます孤独感が増してきた
希望も無くなってきた。
立ち直れんかも…

でも心配するな! 約束は覚えてるからな
娘の成人式にボンの着物を着てもらうことやったなぁ?
任せとけ そのときはわしの瞳の中に入ってこいよ
一緒に麻衣の晴れ姿見ようぜ

あとはこれといった約束してないけど
麻衣の為に頑張って生きてみるわ
あっ!ボンの為にもね
麻衣の成長見届けられる日まで見届けるわ

ほんならわし、まだまだ頑張らなアカンやん
その代わり、わしがいっぱいいっぱいの時は
夢に出てきて相談にのってくれよ
頼むで

じゃあな
次は結婚記念日に手紙書くな


最愛のボンへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

てんに

てん、早いもので君がいなくなってから7年目。
子供たちの事が君は一番の心配事だろうけど、しゅん君は君が
なくなってから退職したけど今年から就職してよく働いてる、
ナミさんも高校はやめたけど、数年後試験で資格取った、
大学とか専門校とか行ったけど何処も続かなかった、けど
今専門校2年目で来春卒業。

少しは君の肩の荷も下りたと思う。
私はいつでも君の所に行く準備はできてるけどもう少し時間を
ください、二人っ子が自立するまであと何年か。

墓地には私の名前も入れてあるからね。
君との約束通り生まれ変わっても夫婦になる事だものね。

君を君の異変をみつけられなくて、助けることができなくて
今でも後悔してます。
でも、きみに寂しく辛く悲しい思いをさせなかった事はよかった。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみぬいた妻へ 9通目

■みっちへ。

もう9通目の手紙になります。
最近の僕は、もうずいぶん立ち直ったように思うよ。
もうわんわんと泣く事も少なくなったんだ。

それというのも、僕の事を好きだと言ってくれる人が
現れたんだ。

この先、どういうふうになるのか、全く分らないけど、
みっちが逝ってしまった後、寂しくて寂しくて、
荒みきっていた生活が、少しだけ変わろうとしているよ。


ただ、僕は今、結婚するつもりは全く無いんだ。
本当は彼女も要らないと思っていた。それは今でも
変わらない。

今、付き合っている人には結婚のプロポーズはしない。
それはやっぱりまだみっちの事を“自分のパートナー”
だと思っているからなのかな…。

よく分らないけど、とりあえず今は、“恋愛”ってやつ
を楽しんでみようと思ってます。

何か進展があったら、報告するね。じゃ、また…。



【男性】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

元気でやってるか?
今日3月17日でボンが わしの前から姿を消して
丸3年たったなぁ

いつまで経っても毎日生きて行くのが辛くてしんどいよ
ボンとの思い出の事・物・場所そのどれもが
少しずつこの世や、記憶から消えていってるような、
無くなっていってるような気がする

一緒に買ったテレビ・パソコン・冷蔵庫・トースター・
皿・茶碗・コップ・箸等みんな壊れて
今ではボンとの思い出の品では、なくなってしまった

あと一緒によく食べに行った三宮の明石焼き・
箕面の滝の入り口のうどん屋・
船場センタービルのお好み焼き屋等 店が無くなって
食べれないよ
ボンが店ごとそっちの世界に持って行ったんか?
寂しいなぁ

そして、少し前まではまだ家に帰ったら「おかえり」って
言ってくれそうな、待ち合わせ場所に行ったら
笑顔で手を振ってくれそうな、悪いことしたら
怒られそうな気がしてたけど
最近はそんな事すら思えなくなってしまった

心から思ったことが言える相手がいなくなって、
物凄く孤独を感じるようになってしまったよ
楽しいことは半減、辛いことは数倍に感じるわ
生き返ってもう一度わしのそばに居てくれ
なぁボン頼む
辛すぎる 
耐えられへん

もっともっと生きさせてやりたかった
「命に代えても助ける」
「わしを信じろ」
「どんな手を使ってでも治してやるから安心しろ」とか
言って助けることができなかった
うそつきやなぁ わしって
情けない

幸せにしてやるって言って結婚したのに
幸せにしてやれんどころか命まで守れんかった
ゴメンな

でも唯一の希望は娘の麻衣や
ボンの分身の麻衣は社会学部に合格したぞ
一緒に喜んでくれ
元気でわしが言うのもなんやけどいい子に育ってるぞ
これからも一緒に麻衣を育てていこうな
協力してや

あと一つ前も言ったけど肺の病気で苦しんでる人を
助けてくれ
わしの肺を半分やってでも助けたい人やねん 
頼むわな

じゃあな
次はボンの48歳の誕生日に手紙書くからな

楽しみに待っててや



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ3

もうすぐ、4月になります。

ママが居なくなって、1年と4ヶ月が過ぎましたわ。

冬が去り、春になり、そして暑い夏が終わり、秋、冬と季節は
ママと暮らしていた時と同じように変ってゆくんやけど
季節の移り変わりを一緒に肌で感じていたママは近くには
おれへん。

何でやねん?

何か変やで、あんなにも優しく、気配りのできるママが
何でやねん。子供たちも成長して、さて、これから二人で
いろんな事する話しとったのに・・・・。

毎晩、寝る前に「ママ、ほな、寝よか」、朝、起きたら
「ママ、おはよ」って言ってまっせ。

人間、挨拶でけへん奴はサイテーやからなー。
それと、感謝の「ありがとう」。

ママ、ホンマに「ありがとう」、一緒に生きた32年間、
楽しかった。楽しい思い出しか頭に浮かんでけえへんわ。

首、少し傾けて、ニコッとする仕草。もう、見れへんなー。

ほんま、寂しいわ。

たまには、会いに来てな。ほな、バイバーイ。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

カオポンへ

カオポンが亡くなって1年半ちょっとが過ぎたね。今年の冬は
何だがいつもの冬より寒く感じます。

去年の今頃もメール書いたね。それから1年、また梅の花が咲く
季節がやってきました。去年は一人で湯島天神に寒梅を見に行き
ました。

一人暮らしには少しはなれて、涙する日は少なくなったよ。
それでも心の中はポッカリ空いた隙間はまだまだ埋まることは
ありません。少しずつ埋まることはあっても完全には埋まること
一生無いと思っています。

時々急に思い出すことがあって瞬間的に泣いてしまう。心が
荒んでしまう。仕方ない事と思うし、そんなときは声を出して
泣くことにしているよ。

カオポンは今どうしている?熱い夏の日に車いすで病院の外へ
散歩に出かけたね。それが僕が最後にしてやれる唯一の君の
楽しみだったね。もっともっといろんなことをしてあげたかった。

今の僕の楽しみはたまに行くゴルフと女友達と食事し一杯やる
ことです。
拓郎の歌にはまっています。君はあまり好きで無かったよう
だけど。学生の頃よく聞いたけど、今は大分歌がうまくなった
ような気がします。色々苦労したようで歌に味が出て、聞くと
元気づけられます。カラオケでは拓郎ばかり歌って発散して
います。
拓郎は今年67歳になるようだけどまだまだ若い。僕も残された
人生悔い無く精一杯生きていこうと思っています。

春のお彼岸には友人とお墓参りに行きます。楽しみにしていて
ください。そしていつまでも天国で見守っていてください。
カオポンはいつも僕の心の中に居ます。

今でも一番愛してるカオポンへ。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国のゆうへ

ゆうが天国に行ってから7年が過ぎましたね。

お迎えはまだですか?
最後のお別れの手紙読んでくれたのかな?

やっとこういうサイトを見つけたので書きますね

病院で最後ゆうの心臓が止まった時心臓マッサージしなくて
ごめんね

これ以上苦しむ姿が見ていられなかったよ

いっぱい生きていたかったのにね
本当に本当にごめんね

ゆうが天国に行ってから沢山頑張ったよ
ゆうの分も…

仕事も恋愛も…

一人で居るのが怖くて…

少しは気もまぎれた

たまには夢で逢いにきてよ
早く迎えに来てくれよ

これ以上何を頑張ればいい?ってサイト見るまで思ってた…

頑張る

まだまだ頑張る!

ジジーになるまで…

沢山書きたいけど元気になったら書きます

ずっと見ててね

ずっとそばに居てね



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

切ない

あの日から俺の時間が止まっている
何できづいてあげられなかったのか後悔の日々を送っています
心配ばかりかけて、苦労ばかりかけて本当にすまないと思ってる 
ごめんなさい本当にごめんなさい

ただその言葉しか出てこない

情けない



ごめんなさい



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

さゆへ

 さゆ、元気にしてるか?お前が逝って1年3か月経ったんだ
ね。その間にいろんなことがあったよ。

 まー兄はお婿に行って、4月には子供が生まれるよ。りえ姉
は5月に結婚が決まったよ。嬉しいことだけど何だかバタバタ
しちゃってる。

 少しだけ強くなった気がします。あまり泣かなくなりました。
でも、辛いです。寂しいです。助手席にさゆは居ないんだよね。
年に何度も旅行に行ったね。いろんな所に行ったね。お前が
逝ってからどこにも行けないまーちゃんが情けないね。
夜、さゆの写真に話しかけているまーちゃん・・でも、さゆは
返事してくれないんだよね。

 お酒の量が増えました。「体に悪いよ!」って叱ってくれよ
・・さゆに逢いたくなるとお墓へ行ってしまう。週に2〜3回
は行ってるね(笑)昨日も行ったけど、今日も行っちゃいそうだ
な。だって、行くところもすることも無いからさ・・さゆが
居たら何していたんだろう?さゆが居たら何処へ出かけていた
んだろう?リカから年賀状きて、お前と二人で出産のお祝いに
行った子供が、もう2歳になったってさ。写真、かわいかった
よ。いろいろありすぎて、支離滅裂な手紙になっちゃたね。

 今年でさゆとは年齢差4歳になるね。さゆは永遠にかわいい
さゆのまま・・俺はこっちでもうちょっと頑張るから、待って
てな!その時になったらちゃんと迎えに来てくれよな。愛して
るよ・・大好きだよ・・さゆへ



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ(その2)

10月、子供たちと一緒に小樽、札幌、函館に行きましたね。
パパの30年の永年勤続のご褒美旅行です。

去年の春頃から何処へ行こうかと話していたよな。
「でも、パパの勤める会社はいつの間にか制度変ってるから
その時は無かったりして」って、言ってたよなー。

結局、ママが行った事のない北の大地にしました。

その後、11月には一周忌でした。

早いね、ほんま、早いね。

ママが居なくなって、もう一年。
まだまだ、時間だけが過ぎてゆくような状態ですわ。

元気そうやねー、安心したわ。とか、色々と周りにご心配
かけているけど、人前ではシャキッとしたパパでないと
ママが許してくれへんと思うから頑張ってまっ。

寒くなってきて、一人、マンションの部屋にいると一層と
寂しさ、辛さが増してきていますわ。

ママの写真はいつも、いつも微笑んでくれています。
その笑顔が大好きです。でも、話しかけても返事がありません。

声が聴きたい。話がしたい。抱きしめたい。

ママ、愛してる。いつまでも、パパの命がある限り、ずっと
ずっと愛し続けます。



【男性】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ 8通目

■みっちへ

みっちが逝ってしまって、2年と4ヶ月になります。
最近の僕は、少しづつ元気になってきているみたいで、
自分でも驚いています。

でも、ついこの間、突然涙がどんどん溢れてきて、
車を運転しながらわんわん泣いてしまった…。
元気になったつもりが、やっぱりまだ、定期的に
こういう状態になってしまう。

最近、よくこんなふうに考える事があります。それは、
愛する者を失って流す涙には、二種類あるなぁって事。

一つは、自分が寂しくて辛くて、流す涙。
もう一つは、逝ってしまった者を哀れむ涙。


もし、ただ自分が寂しくて泣くのなら、
それは遺された者の、単なるわがままに過ぎない
のかも知れないなぁって。

同じ泣くのなら、故人を哀れんで流す涙が本当の
悲しみなのかなぁって。
それこそが故人を想って流す本物の涙なのかなぁって。

今の僕は、後者、と言いたいところだけど…、
やっぱりまだまだ寂しい気持ちに耐えられなくなって、
泣いてしまいます。

早くみっちのために泣けるように、成長しないとね。
9通目は来年の春にするよ。
またね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

ボン何してる?
今日11月27日は19回目の結婚記念日やなぁ
ボンが亡くなって3回目の記念日や

ボンとの思い出はいっぱいある
15回目の記念日にヴィトンの財布買ったよな
凄い喜んでたよな

その日 夕方二人自転車に乗って買い物に行く途中
ぼそっと「これが最後の結婚記念日かも知れんな」って
寂しそうな顔でボンがつぶやいたのを、覚えてるよ

この時すでに手術・放射線・抗がん剤・免疫療法・温熱療法・
民間療法と、あらゆる手を尽くしても乳・リンパ・骨・肺と
転移していったもんな
わしも返事に困り、言葉が出んかった

その3か月後に入院 入院してから半年で2回死にかかった
もんな
でも根性で退院までしたもんな。だから16回目の記念日も
一緒におれたもんな
あの時プレゼントはキッツーイ抗がん剤をあげるって言ったら
笑ってたよな
あの笑顔がもう一度見たいんやけどなぁ

あのまま時間が止まってくれたらずっと一緒に居られたのになぁ
3か月後には皮膚・肝臓と転移してワシを残して遠い所に行って
しまったもんな

わし まだまだ立ち直れそうにないんやけど…
もっと一緒に居たかった 
ただそれだけで良かったのになぁ
あかん また涙が止まらん

あっそや ボンの忘れ形見の麻衣は社会学部に行こうとしてる
けどちょっと無理かもね
麻衣の人生やから好きにさしてやろうと思う。
いいやろう?
あとボンの知ってる人で、わしの尊敬してる人が
肺の病気で苦しんでるねん
助けてやってくれ
ボンにはお願いばっかりしてるなぁ

また手紙書くけどボンは寂しくないか?
ちょっと前夢に出てきてくれて、抱き着いてきてくれたやろ
嬉しかったなぁ
あの時の感触がまだ手に残ってるで
わしは、凄く寂しくて不安やから毎日でも夢に出てきてくれよ

今晩も待ってるからな


約束やで



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

今日という日に

あの日はもっと寒かったような。

そんな記憶までも、薄れてゆきます。

君との絆を保つことが、私が生きていられる
唯一の理由で、義務で、免罪符なのに。
だから、眠る前には、君を想います。

すっかり人付き合いがダメになってしまった私を
君はどう見る?
他人からはやさしくなったように見えるそうです。
ただ、臆病になっただけなのにね。

君が、進むべき道を示してくれたら、
どんなに楽だろうと思います。
今の私には、そんなことも判らないのです。

でも君を落胆させるのは、忘れられてしまうより怖い。

だから君を逃げ道にしないように…と
心に思うようにしています。

写真立ての中で笑っている君。
君への気持ちだけは揺らぎません。
それだけは、譲りません。

どうか、落胆しないでください。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

やあ 久しぶり (洋子)

やあ 久しぶり。元気にしてる?
懐かしい友人に手紙を書いているような書き出しだけど。
この世を去って五年と少し。
過ぎた月日のおかげか失った「悲しみ」は確かに和らいだような。
けど独りで暮らす毎日の「侘しさ」はこの歳にはきつく、喪失感
に常に苛み、また生というものをいつも持て余しているような。

「ちょっとー、まだそんな甘えたこと言ってるのかなあ!」 
っておまえさんの声が聞こえてきそう。
「あんたは独りじゃないしー。子供やかわいい孫たちも
居るじゃない。でしょ!そりゃあわたしがいなくて寂しいのは
わかるけど。」
なーんてあの顔であの声でそう言ってくれているのなら
嬉しいけど。 

ホントおまえさんには気苦労ばかりさせていたからなあ
出来るものならやり直したいと・・・



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

あれから1年経ちます

順。

もう過ぐお前が逝って1年経ちます。

今まで生きてきて、これ程時間が経つのが早く感じられた
1年はありません。
また、これ程寂しく辛く泣いた一年もありませんでした。

この頃は以前の様に毎日泣く事は少なくなりましたが、でも
1日もお前の事を考えなかった事はありません。

お姉ちゃんは大学決まりました。前にお前と話していた保育関係
の短大だそうです。来年春からは大学生です。着実に自分の夢に
進んでいるようです。

アイリも部活頑張ってます。来年は中3だから高校受験頑張って
貰わないとね。

一周忌は家で兄妹が集まってささやかながらやります。諏訪の
両親も来てくれます。

…って、全部知っているよね。お前はいつも一緒にいるもんね。
お前自身もお墓には入っていない。仏壇に入ってリビングで
家族といるもんね。
以前と同じように一緒にご飯食べて一緒にテレビ見てさ。

1年経つけど、未だにお前には合掌していない。神様にも
祈らない。
お前が死んだなんて許せないし勝手に成仏もさせない。

わかってるよな?
俺が逝くまでずっと一緒にいて、一緒に天国に行くんだから…。
それが、お前と結婚した時の約束だから。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

どんなに喧嘩しても大好きな妻へ

亜子がいなくなって2日経ちました。

....全然実感がわかないです。

11月8日あんなに楽しくこれからの事を話して、
お互い頑張ろうとしていたのに....数時間後には
病院のベットの上でした。

自分の不甲斐無さの結果で亜子を喪ってしまった。
亜子にとっては不本意な最後だったと思う..ごめんな。

周りに励まされているけど、実際今は自分で自分を責めてます。
なんでもっと食込んで亜子を止められなかったのかって悔んで
ます。

謝罪文みたいになっちゃたけど、亜子が傍にいないと
さびしいです。
一緒に美味いメシ食べたいです。
俺の作ったメシももっと食べて欲しかった。
亜子の行きたい所へもっと行きたかった。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の秀子さんへ

 秀子さん

あなたが逝ってまもなく4年。
病気がみつかって5年がたちました。
僕は毎日懸命に生きています。
ひろきは大学生になりましたよ。下宿から通っています。

 ひとりの生活には慣れましたが、さみしいです。悲しいです。
悔しいです。みじめです。
 会社の部下の結婚式の招待状をもらいましたが、平気な顔を
して出席し祝福しなければなりません。自分がこんな境遇なのに、
です。
 この5年間、スーパーへ買い物に行くことが日常的になりました。
でもそこにいる女性客、家族づれを見るのがとてもつらいのです。
他人の当たり前の日常の光景を見るのがつらいです。

 4年前、最後の力をふりしぼりながら、病室で北京オリンピック
を見ましたね。それが最後のオリンピックになってしまいました。
今年のロンドンオリンピックは僕一人でした。4年前の北京を思い
出しながらテレビを見てました。

 会社へは毎日弁当を持って行ってます。僕のなかに生きる秀子さん
が、僕に弁当を作らせていると思います。

 年月がたてば癒されるといいます。人からも無責任に言われました。
でも男性の場合はそうでもなさそうです。こういう境遇になってはじ
めてわかりました。だからむしろ、あなたのいない生活のさみしさ、
悲しさ、みじめさ、厳しさと徹底的に向き合ってこれからも生きて
いこうと思います。それがあなたの存在のありがたさを感じること
だと思うのです。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

大好きなえっちゃんへ

もうすぐ三回忌だよ、まさかえっちゃんが突然いなくなっちゃう
なんてビックリした。そしてただただ悲しくて泣いてばっかだっ
たよ。あの日から僕の心と時間は止まったままです。えっちゃん
に手紙なんてかいた事ないから何書いていいか分からないよ
ただえっちゃんが今でも好きだよ。頑固で強くて優しくて時に
繊細で可愛くて冬がとても似合うえっちゃん。

今でも本当に大好きです。僕が頼りなくてだらしないから喧嘩
するといつも離婚だ!って言ってたえっちゃん。
今となっては良い思い出だよ。

ねぇ、最近すごくえっちゃんに会いたいんだよ。知ってる?
えっちゃんいないとダメなんだよきっと。声が聞きたいよぉ。
一緒に近くのスーパーに子供たち連れて四人で楽しく買い物
行こうよ…。行けなくなっちゃったね。

守ってあげられなくてごめんね、守りたかった…。
まだまだ寂しくて辛いけどなんとかえっちゃんを想いながら子供
たちと生きていくよ、
なんかあったらまた報告します!またね



【男性、20代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ、

ママが私に断わりもせずで、それもハワイの地で脳死の診断を
され、天国に旅立ったのは、去年の11月1日でした。
病院で子ども達の呼びかけに一言でも応えて欲しかった。
パパが握ったママの手、、少しでも握り返して欲しかった。
ママは暖かかった、眠っているようでした。

ママの好きな聖子ちゃんの歌を聞けば、意識が戻るかもと思い、
一晩、一緒に聞いたけど、あかんかったわ。

今、誰も居ないマンションに帰り、電気を点け、ママの笑顔の
写真を見ると「何でやねん!!」と、つい、呟いていますわ。

ほんま、何でやねん。

子ども達も独立して、パパは大阪に戻ってきました。ママの
いない生活、「何か」で埋めたくて、生まれ故郷に戻って来て、
日々、いろいろな人に支えられて生活しています。

でも、時間の空白は埋まるけれど、やはり、あきませんわ。
ママのいない人生は・・・。ほんま、ポッカリと穴が空いた
ようですわ。
ママとの思い出ででその穴を埋めて、頑張るよってに見とい
てな。

アキちゃんがよく、言ってくれます。「ヒロりんはいつも、
いつも、ノブりんの傍にいる」って。「ノブりんは目離すと
何するか分かれへんから」やて。

そやで、しっかり見といてや。

追伸
楽しみにしていた私の永年勤続のご褒美の旅行、10月に
北海道に行こうね。。娘と倅とママとパパと4人で。
小樽、札幌、函館、旨いもん食べよな!!

                      パパより



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

早く迎えに来いよ〜

順、どうしてる?

こっちは毎日慌しいよ。要領悪いから家事も思い通りに
出来ないしね。
でも、自分で料理するようになって良い事もあったんだ。
順がいた頃より野菜を沢山食べるようになったせいか、
この間の健康診断では随分と数値が良くなったんだよ。
でも、心の中では「元気になったら順に早く逢えなく
なっちゃうじゃん」なんて思ったりもする。自殺する勇気は
無いけど、病気なら公然と順に逢えるなんて甘えた事を
思ったりしてね。こんな事言ったらお前に殴られそうだね(笑)。

子供たちはといえば、アイリはこの間TVを見ててね。普通の
家族が動物園付きの家を買って動物園を再建するって実話
なんだけど、その中で母親が脳腫瘍で死じゃうのね。
それみて、食事中にポロポロと涙流すんだ。「病気で弱って
いく姿がママに似てる」って。
思わずお姉ちゃんと3人で泣いちゃったよ。

お姉ちゃんはと言えば、この間夢を見たんだって。俺が帰って
くると後ろに順がいて「ママ、どうしているの!?」って事に
なって、実はママそっくりな別の女の人を俺が連れて来て
そこで目が覚めたって・・・なんだそりゃ?

でも、そういうのってやっぱり寂しいからなんだろうなと
思うよ。当たり前だけどね。
アイリなんて、まだまだお子ちゃまだし、お姉ちゃんだって
自分の心を抑えてるのが分かるから不憫でならんよ。
きっと二人とも俺が家事大変なのを見て気を使ってくれて
いるんだろうね。こんな事で子供に気を使わせているよう
じゃ、父親失格だな。

俺はといえば、相変わらずです。時々、仕事中だろうが
何だろうが涙が止まらなくなる時があります。時間が経てば
悲しみも癒えるかと思ったけど逆だよ。
時間が経つほどに順がいない事を実感してしまう。

剣道の稽古だって、前は疲れてボロボロで帰ってくると
「お疲れ様〜」って迎えてくれたのに今はそれもないから、
稽古の張り合いが無い。何より家の事で稽古している時間
もない。

何だかすっごい不安です。
俺、これからどうなっちゃうんだろう。子供たちがいずれ
嫁にいったら本当に一人。
その時ってどうなってるんだろうってね。

お姉ちゃんは「孫の顔見せたいからパパには長生きして
貰わないと」て言うけどさ。
やっぱりそれでもこれから何十年も一人は辛いよ。
今すぐにとは言わないけど、早目に迎えに来いよ!
そうしたら、苦労させた事を散々愚痴ってやるからな(笑)



【男性】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ 7通目

■みっちへ

2012年8月18日。
みっちの三回忌がやって来るね。
丸2年だよ。早いです。
早い、と感じるようになったのは、僕の気持ちが少しだけ
落ち着きを取り戻したからなのかな。

最近の僕は、何をするのも億劫で、部屋も散らかりっ放し。
体調もあまり良くないんだ。話し相手も居ないしさ。
やっぱりちょっと寂しいや…。

一周忌の時は、、みっちが眠っている北海道へどうしても
帰れず、おふくろにお寺の事を全て頼んだんだ。
だから、三回忌の今年は絶対に帰ろうと思っているよ。

三回忌、と言っても、特別なことは何もしないんだ。
ただ、おふくろと二人でお墓へ行って、お供え物をして、
お寺さんに読経をして頂き、手を合わせるだけ。
みっちの兄弟やママさんは来ないと思う。なあ、みっち、
それでいいだろう?
僕と僕のおふくろ。この二人で良いよな?

みっちのお兄さんに先日、2回ほどメールをしたけど、
2回とも返事が無いんだ。どうしたんだろうと思ったけど、
それ以上の事はしなかった。
みっちなら、分ってくれると思う。

さぁ、あともう少しだ。楽しみだなあ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

一口でもいいから

あれからもう半年が過ぎたね。
お互いの誕生日も迎えたね。去年と違うのはケーキの前に
君がいない事かな。
5つ年上の女房だから、亡くなって年取らないとその内に
自分が女房より年上になるのが嫌で、しっかり誕生日会をしたよ。
でも、実際には4歳差になっちゃった。

毎朝毎晩、目が覚めると仏壇にいる君がいるね。
毎日、子供たちを学校に送り出した後に小さい器にご飯を
もって供える。でも、いつまで経ってもそのご飯は減らないんだ。

ご飯だけじゃお腹空くだろうと思って、おかずや色んな
お菓子・果物も供えてもやっぱり減らない。

もう、何をしても食べてくれないんだと分かっていても、
あげない訳にはいかないんだ。心がそれを許さないから・・・。
今でも変らずそこにいると信じているから。

お願いだよ!一口でいいから食べてくれよ・・・
美味しいとか不味いとか言ってくれよ・・・



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

今日5月24日で47歳やなぁ
いつも一緒にケーキ食べてるよなぁ〜
ボンが亡くなってまだ26か月しか経ってないねんなぁ
もう何十年も経った気がするわ
ボンの顏、声、香りだんだん思い出せなくなってきた
嫌やなぁ 淋しいなぁ

今のこの世の中生きてても辛いことばっかりや
大地震や竜巻の自然災害や車の事故や中国 北朝鮮の脅威
それと放射能汚染なんかで、住みにくい世の中になったよ

この前 家電店で狭心症になって20分くらい倒れてたのに、
誰一人助けてくれんかったしな
冷たい人しかおらんで

わしはボンがそばに居てくれるだけで明るく笑顔になれる
のに……
今でこそ愛想笑いが出来るようになってきたけど ボン
お前が亡くなって2〜3日は何も考えられず廃人のようで
自分が何をしたか、言ったのかすら覚えてないよ
通夜や告別式の記憶もないもん

その後一週間くらいは、わしの奥さんが死んだのに時間だけ
は過ぎていくし、みんな笑ってるし、ごく普通に仕事してるし
「どないなっとんねん。みんな喪に服せや」って感じで、
怒りと悲しみだけの毎日やったよ

それから半年くらいは一緒に歩いた路や思い出の場所に
行っては、ボンを思い出してところ構わず涙流してたよ
ここ最近はだいぶ落ち着いたよ そんな毎日泣いてないよ。
たまに思い出したりした時に一人涙流す程度やで
でもこの先何年経っても心から笑えることはないと思う。
元気なフリしてても精神はボロボロでいっぱいいっぱいって
感じやもん。

少し前の金環日食に二つ願い事したで
一つは「がん等の難病で苦しんでる人たちが少しでも満足な
生活が出来るように」っていうのともう一つは
「ボンを生き返らせろ」って願ったけどそんなん無理やから、
もっと夢に出てきてくれ 頼む 話がしたい。
それだけでわしは少しでも幸せな気分になれるんやから…


あっ忘れてた 近況報告しとかなあかんなぁ
麻衣は今、中間テスト中やで 頑張って勉強してるで
テスト中答え教えて助けてやってくれ
っていっても無理やなぁ ボン勉強苦手やったもんなぁ

あとボンのおかあちゃんは、またちょっと心配やなぁ
精神安定剤また飲んでるみたいやし、わしにはどうする事も
出来んわ。ごめんな。許してくれよ。
医者の言うことしか聞けへんからどうしようもないねん


そしてわしは、相変わらずヨレヨレのままやで
まわりは再婚したほうがいいぞってうるさいけど
ボンがやめて欲しいって言ってたから わしはしないよ
っていうより、こんな変わり者誰も相手にしてくれへんけどね
相手にしてくれたのは、奇特なボンだけやで


大体あと1〜2か月という余命宣告されてからの一年半の間
二人で毎日毎日悲しくて涙流したり
今までの生き方を悔んだり
昔を思い出して懐かしんだり
いつ命の灯が消えるかもしれない中で密度の濃い本当の命の
会話をしたもんな
普通の会話とは訳が違うもんな
幸せ 楽しさ 嬉しさ 儚さ 悲しみ 苦しみ 希望 絶望 
満足 後悔などが、
すべて何十倍にも感じられたよな

ボンお前以外の女と結婚なんか出来るわけないし
したいとも思わんし
ボンがわしの最高のパートナーや
大好きやで
いつも一緒やで

また手紙書くからな
楽しみに、待っててや
じゃあな ボン



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

勝気だった涼子へ

あれから八年経つけど
今でも時々病室に入った時の
鮮明な夢を見るよ
自分が岐阜の会社に就職して
涼子はもう少しお金をためるまで
東京で働くって

アパートも二人で選んで契約して
籍も入れたのに
自分の部屋片づけてくるって
東京に戻った
あの時付いて行けばよかったのか
止めればよかったのか
今でも頭から離れないよ

次に会ったのが病院
話も出来なくて九日後に
居なくなるなんてね

自分は大雑把でよく涼子に
怒られてたね
さみしいよ

涼子が居なくなってから仕事は
ミスの連続会社辞めちゃったよ
へたれなんて涼子は怒ってるんのかな

今は地元で路線バス運転してる
畑違いの仕事だけどね
頑張って生きてみるよ
三十年か四十年先かわからないけど
自分の寿命が来るまで

でもさみしいよ、一緒に居てほしいよ



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ずっと支えてくれよ!

由香へ。

18で結婚して、二年目。
突然だったよな。

鮮明に覚えてるよ!

あの時泣けなかった。
初めて辛いを通り越して
何も考えれなかった。

あれから二年がすぎて
俺も23になるよ。

毎晩泣いてる。
心から会いたい。

由香もそう思ってる?

最近ね、仕事場で
信頼出来る社長、先輩に
出会えたよ。

由香のことも伝えたよ。

ホント迷惑ばっかりかけてるけど
助けてもらってる。

これも由香が出会わせてくれたのかな?

ありがとう。

話変わるけど今日から家変わったんだよ。

由香の服、
写真、化粧品。
全部大事にしてるからね。

俺もこっちの世界でがんばっていくよ。

落ち込んで泣いて泣いてしかたない
時もあるけど
そっちから支えてほしい。

いつか俺がそっちに行ったときは
俺がいっぱい支えるから!

お前のことはずっと忘れない!
今でも、いつになっても
大好きです。



【男性、20代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

さゆへ

 半年経ったね。
でも、全然だめだわ・・・
一人になるとさゆのことばかり考えちゃってさ。
逢いたいよ。さゆに逢いたいよ。

 たった一度だけ夢で逢いに来てくれたね。
不思議だけど、さゆを抱きしめた感触がこの腕に残って
いたよ。さゆは今、何してる?
空のうえでまた看護師やってるかな?

 お前が一番気にかけていた翔くん、高校卒業したよ。
仕事も決まって・・・義兄さんの会社で働くことになった
んだよ。安心してな!それから、お義父さん、お義母さん
も元気だよ。
さゆ、ご両親に言われたよ。二人の孫のこと。
再婚同士だから、確かに血は繋がっていないけど・・・
「孫たちに良くしていただくのはありがたいけど、もう娘も
いないから、これからは私たちが面倒みますから」と。
辛かったけど、承諾したよ。

 たった2年だったけど、おじいちゃんにしてくれてあり
がとうね。楽しかったよ。さゆの孫・・俺の孫だった・・

 これからは、さゆだけを想って生きていくよ。
俺がそっちに行ったら、必ずさゆが迎えに来いよ。

 爺さんになってても、ちゃんと迎えに来いよ。お前は
ずっとかわいいさゆのままだけどなぁ・・・
そっちの世界でも夫婦になろうな!ぜったい結婚しよう。
愛してるよ。今でも、これからも・・さゆへ



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

2012年3月17日 今日はボンお前が亡くなってちょうど丸2年 
3回忌の日やってんで。一緒に参加してたか?
みんな来てくれたよ。ボスも来てくれたよ。いい人やなぁ。

わしも何度も人生投げかけたけど なんとか無事3回忌まで
頑張ってきたぞ。ひと段落や。
心配するなよ まだまだ頑張って生きるからな。

ボンは東日本の震災のことも知らんねんなぁ。
大変なことやってんで
まぁわしも それどころじゃなかったけどね…


もう2年も経つのに 一向にもとに戻れそうにないんやけど…
毎日が辛くて 悲しくて 寂しくて人生の目標を失って 
彷徨ってるみたいな感じやねん。
周りはもう落ち着いたやろうと、言うけど全然落ち着くこと
なんかないんやけど……
無理に元気なフリするのも疲れてきたよ

ボンのこと思い出す度にひとりで泣いてるよ
これから夫婦2人でいろんな楽しい人生を歩んでいく筈
やったのに……

ボンは 嫌やったかもしれんけど、わしがボンの全ての面倒を
みるから 車椅子でも 寝たきりでも 生きていてくれる
だけで良かったのに
どんな辛い人生でもボンと一緒に生きていけるだけで幸せ
やったのになぁ
逢いたいよ〜 話がしたいよ〜

一緒に美味しいもの食べ歩きしたい
バイキングでおなか一杯食べたい
わしの洋服選んでほしい
テレビ観て一緒に感動して泣いたり笑ったりしたい
もっともっとボンを幸せにしてやりたかった
守ってやれなかった自分が情けない
悔しくてたまらない
癌が憎くてたまらない


かわれるものならわしが死んでもボンには、生きて麻衣と
仲良くやっていってほしかった。
でもこんな生き地獄をボンに味あわせたくないような……


あっ 近況報告するわ
ボンの親友のターコに道で声かけられて
たった2〜3分ボンのこと話しただけやのに 
2人とも涙でボロボロになってしまったよ。
友達っていいなぁ

話がそれたけど わしの姉のとこの優ちゃんと弘ちゃん2人
とも就職決まったよ
ただ義兄の哲也さんが福岡に転勤になったけどね

あとボンの弟夫婦は 物凄く仲良くやってるよ
芽ちゃんもスポーツに勉強に頑張ってるし
萠ちゃんなんか、半年くらいの勉強で麻衣と一緒の学校に
合格したで〜 凄いやろう
ボンは麻衣の妹みたいに可愛がってたから 
祝ってあげたいやろうなぁ

お前のおかあさんも滅茶苦茶元気やで 
嘘みたいやろう?

麻衣は4月から高校3年生。早いやろう
最近はご飯も作れるし 家の手伝いもよくしてくれるよ
だいぶオシャレになって洋服いっぱい買ってるよ
ボンにそっくりやなぁ
彼氏とも続いてるよ
音楽はKARAやJYJばっかり聴いてるわ

最後にわしは、物凄く成長したよ
機嫌が悪いと誰にでも喧嘩を売って迷惑かけてたけど
今では売られても買わないようになったよ
ただ元気がないだけかもしれんけどね……

ボンが生きてた頃に比べると全ての面において
集中力や気合いが足りないけど
なんとか今、自分が出来ることを必死にもがきながら
頑張ってるよ

今わしの生きる目標は麻衣を一人前の成人に育て幸せな
結婚させて、お前に自慢することやねん!
もし、ボンお前に見ることが出来るなら 
わしの生きざまを見届けてくれよ

そしていつの日か わしのところに帰ってきてや
さよならは、してないやろぅ
火葬の時も、
「ありがとう。気を付けて行ってらっしゃい。
早く帰っておいでや」としか言ってなかったやろぅ

いつまでも いつまでも 待ってるからな


わしの人生 最初で最後の最愛の女  美和ボン



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

カオポンへ

カオポンへ

君が亡くなってもう半年になろうとしている。
病院を転院してリハビリも開始して頑張ろうとしていた矢先の事
だったね。
ネコは突然の悲しい病院での面会で涙も出なかった。
突然の入院から3ヶ月弱で亡くなったなんて今でもとても信じられ
ません。
いま、2人で暮らしていた何気ない毎日がどんなに意味のあった
事かと振り返る毎日です。
仕事が終わる5時半頃はいつも君の事思い出している。

やっと昨日の休みに自分の意思で湯島天神に行って来ました。
梅まつりで結構賑わいっていました。

まだまだ悲しみは少しも癒えていません。だけどカオポンの分
まで今精一杯生きようとしています。ネコの心の中には
いつもカオポンがいます。忘れないで下さい。
ネコは一生カオポンと生きて行きますから。暖かい春が来たら
部屋の整理を少しようと思ってます。あまり散在していると
カオポンに怒られそうだから。

2人の40年弱の生活を宝物にし、大切にしてこれからも頑張って
生きていきます。応援してね。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

東子ちゃんへ(2)

東子ちゃん、2通目の手紙です。

あれから7ヶ月が経ちました。

私の方は落ち着いてきました。それまでは落ち着いてきたと
思っていても、1人でいる時に急に涙が流れたり感情を
コントロールすることができなる時があったのですが、1月の
東子ちゃん月命日にお墓参りにいったらピタッと安定しました。

きっと東子ちゃんが見るに見かねたんだろうね。

その日を境に色々なことが前向きに少しずつ考えられるように
なってきました。涙しない日も少しずつ増えてきました。

もちろん東子ちゃんがいなくても平気なわけではないのですが
東子ちゃんがいなくても私たち家族はちゃんと生きていける
ようにしないと亡くなってからも心配かけてしまうからね。

今では仏壇にお線香をあげる時にほぼ毎日・・

東子ちゃん・・好きだよ(過去形ではない)
東子ちゃんは?

と毎日問いかけているのは知っているよね?

ビックニュースがあります。

私の知り合いから

今度モーツアルトのレクイエムを演奏するんだけど合唱で参加
しませんか?

というお誘いがありました。

趣旨は去年3月11日になくなった方々の鎮魂のための演奏
なんだけど、地震の犠牲者はもちろんだけど東子ちゃんのため
に参加することにしました。

一度もやったことないし楽譜みるのも初めてだし、ラテン語って
何?って感じだけど、下手は下手なりに東子ちゃんのために
精一杯歌うよ。

もう私は大丈夫だよ。心配しなくてもいいよ。

東子ちゃんに寄り添いながらこれからも生きていくよ。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ 六通目

■みっちへ。 
 
 五通目で書いた通り、12月20日から1月11日まで、
オフクロが北海道からここ、埼玉にきてくれたよ。 

2010年の夏にみっちが逝ってから、この家に俺以外の
人間の声が響き渡る事がなかったから、何だかすごく妙な
気持ちになっちゃった。

親子で喧嘩しながら、仲良く過ごしたよ。
みっちの事を話しながら、二人で泣きました。

みっちが亡くなって1年と半年が経った今、どうにか
こうにか冷静な気持ちを取り戻し、何とか前を向いて
生きています。
でも、疲れている時とか、仕事で嫌な事があった時、
いわゆる心が不安定な時は、やっぱりまだダメ。
みっちを思い出して、涙が止まりません。

本当に立ち直るには、5年も6年もかかるって聞くけど、
それ、やっぱり本当なんだろうなぁ。

本当の意味の立ち直りまで、このサイトにはお世話に
なろうと思っていますので、管理人さん、宜しくお願い
いたします。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

逢いたい

一周忌の法要に君は来ていたんだね。だって、そうでなければ
アイツ(愛犬)があんなことするはずがない。動物にだけわかる
霊感があるのだろう。何かにすがりつくような哀しげな鳴き声が、
お経が続く間ずっと聞こえていた。そしてその夜にアイツは
出て行った。

幸にして帰っては来たけど、大けがをして今は動物病院に入院
している。そしてアイツを助けてくれたのも君だったんだね、
ありがとう。

でも、僕も君を感じたかった。君の温もりや君の優しさをもう
一度この身体で感じたかった。みんなが帰った後の淋しさは
どうしようもなく、今の僕は何時にもまして抜け殻になって
しまっている。時間なんて何の解決にもならない。君が居ない
生活に慣れることなんてきっとあるはずがない。ただただ、
思い出しては泣いている僕が居るだけ。あきらめるにも
あきらめきれない僕が居るだけ。

こんな僕を君は嫌いになるかもしれない。君のために強く
生きて行かなきゃと思ってはみても、人前では強がっても独り
の時間はどうしようもなく辛い。

今日ももう直ぐ日が暮れる、長い長い夜が僕を待っている。
ただただ君に逢いたい。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

まーチャン元気だよ

早いな、、もう7年目になるね。まーチャンの実家に嫁もらいに
行って、お父さんから一升瓶を出されて「飲みにゃんせ」って
言われて全部飲んだ後に「何しに来なさったと」と言われ、
座布団とって「娘さんを貰いに来ました」だったな。
お父さんの返事は「体だけは丈夫ですから」が返事だったね。。
決まり。その日は翌朝まで市内地を飲み歩きました。。

結納に行ったら「仮祝言だ」って言われて祝言をあげましたね。
2回も式をあげました。

25周年の時に僕は飲み歩いていて店の人に怒られて、鉢植えの
シクラメンを買って帰ったね。。炬燵の上で、綺麗に咲いていま
した。まーチャンが「ねー明日病院に連れてって」て行った時は
ビックリしました。でも診察の後に先生から呼ばれて「なんで
ここまで放っておいたのですか」怒られました。余命は2か月です。
と言われた時は足が震えました。子宮癌と言われ緊急手術しまし
たね。僕は告知日から会社を休んで最後まで一緒にいました。。

最後まで僕はまーチャンに告知は出来ませんでした。4か月後、
苦しむ様子も無く行っちゃいって。僕は一生分の涙を流しましたが、
今でもやっぱり悲しくて泣いてます。

今、どこに居ると思うかい?マレーシアだよ。海外出張は多かった
けど今度は海外赴任です。皆に単身赴任ですか。と言われますが、
独身赴任です。と言い返してます。
息子もまだ彼女も居ないようです。

もう、日本へ帰る気はありません。でもまーチャンのお墓を建てる
予定だからそん時は秘密で帰国するな。

まーチャンは日本とマレーシアはすぐだろ。見守っていてな。。
今年の3月で結婚30周年だな。。
僕が行くまでちゃんと待ってろよ。まーチャン



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する妻へ

公ちゃん もういちど、会いたい

あなたがドラマのように突然この世から亡くなり
一年半が過ぎました
当初、あなたに送った手紙に、
苦労掛けた事 楽しかった思い出 愛している事
そして あなたに捧げた言葉
これからは
天国で自由に飛び回り楽しんで下さいネと送った事
そして僕は一人で家を支えて行きますと誓った事

でも今はもう一度 会いたい、あなたの優しさに触れたい
綺麗なレストランに入り 食事し デートしたい
毎日、涙の日々 あなたに会いたい
この悲しみの日々 淋しい日々いつまで、続くの
今、耐えきれず 現実を受け止められず
別の世界へ逃げたい

僕は最近 一人コンサートに行きます
現実を離脱し別の世界で涙を流し
一人カラオケに行き 現実を離脱し別の世界で涙を流す
以前なら なんでもない事と思っていましたが
普通に一人で決断し行動を起こす事が出来ない
自分の自信のなさが信じられません
こんな小さな事まで
ここまで自分が落ち込むとは思っていませんでした

今、僕の夢は一人旅に出かけたい
(本当はあなたと二人で) 
なるべく遠く 海外へ旅行に出かけたい
今の現実を離れて 大きく離脱したい
困難な旅もあなたと力をあわせ旅をしてみたい
きっと、楽しい 面白い 旅になるよネ

あのネ 今も公ちゃんの着けていた腕時
今も確実に動いてます 永遠に止まらない時計
いつまでも 公ちゃんの事、
愛してます 永遠に忘れません



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

さゆへ

 さゆ・・昨日、さゆの実家へ行ってきたよ。
お義父さんもお義母さんも元気だったよ。最近、仕事が忙しくて
なかなかお墓にも行けなくてごめんね。

 さゆが逝ってから100日が過ぎたね。でも、やっぱりだめ
だな・・普通じゃないよね・・休みの日なんか何をしていいのか
わからない。

 いつもさゆと一緒だったからな。さゆのいないクリスマスも
終わり、さゆのいないお正月が来ます。正直、辛いです。何を
するのも、どこへ行くのもさゆと一緒だったから

 車に乗っていても助手席にさゆはいない。でもね、つい
「さゆ、どこに行きたい?」って話しかけてしまう。
俺も50歳の誕生日を迎えてしまったよ。さゆ、俺はもう
少し頑張って生きていくよ。お前が一番可愛がってくれた
ヒロはまだ学生だし、俺にはまだまだやらなきゃいけない
ことがあるからな。そして、時期が来たら、迎えに来てくれ
よな。今度会う時俺は、いい爺さんになってると思うけど、
さゆはかわいいままだね。嫌いにならないでくれよ。

 俺の妻はさゆだけ・・俺の女はさゆだけ・・
今でも愛してるよ。これからも大好きだよ。
ずっと・・・ずっと・・・さゆだけだよ。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ちえたんへ

 君が逝って2か月と5日か。耐え難く、苦しい、1日1日を
やっとの思いで過ごしている。あれはまだ、今年のことだったん
だね。2月に、出張先にめったに連絡してこない君から「検査で
すごく怖い結果が出た」って。皮膚がんの手術は一応は成功だっ
たけど、次の瞬間から圧倒的な勢いで病気が転移していたんだね。
今思えば、大学病院の検査を離れて、わずか数ヶ月、病気のこと
をお互い忘れて過ごせていたのが救いか。

 最後は1か月と少しのホスピスでの入院。「私、死ぬの?って、
発語がおぼつかなくなってしまっていた君が一生懸命に質問して
いた。亡くなる4日前だったっけ?ようやく、お互いわかった上
で、本音で話せたな。

 高2の長男へもメッセージを残してくれたし、「良い別れがで
きた」なんて、無理矢理そう思おうとしたけど、やっぱり、君が
いない現実は本当に、耐えられないほどつらい。何百万回名前を
呼んでも君は帰ってこないのに、家の中はすべて君のいた時の
ままなんだ。

 仕事で息子ともすれ違い、気持ちも生活もすさんでいるよ。何
をしても、やりがいがない。どんなささいなことも、君が喜べば、
君と一緒に行こう、そう思えればこそ、楽しかったんだよ。いつ
までこの闇が続くのでしょうか。

 ただただ、貴女に会いたい、もう一度、抱きしめたい。
それだけです。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ 五通目

■みっちへ

2010年8月18日に、みっちが自ら命を絶ち、永遠の
眠りについてから、1年と4ヶ月が経つんだね。
ベッドで冷たくなったみっちを見た時の、衝撃の光景…。
まるで昨日の事のようにハッキリと脳裏に焼きついていて、
そして、その光景が何度も何度もフラッシュバックして、
そのたびに、とても辛くなります。

でも最近は、これで良かったんだ、お互い楽になれたんだ
って、思うようにしています。じゃないと自分自身、
心の逃げ場所が無くなって、息も胸も詰まってしまって、
普通の精神状態じゃいられないんだ。

だけど、本当は、毎日みっちの香りを嗅いでいたい。
その身体を抱きしめたい。
そう想って、今でも、ほぼ毎日、涙を流しているんだよ。

もうじき、二度目の一人ぼっちのクリスマス、そしてお正月を
迎えようとしているけど、今年はね、実家の北海道から
オフクロが来てくれるんだ。
みっちと過ごしたこの家に、初めて他の人が泊まるよ。
オフクロにはみっちの部屋を使ってもらうよ。いいだろ?

12月20日から、約1ヶ月ほど滞在してもらう予定です。
その間、僕は、いい歳して親のすねを齧ろうと思います。

みっちが育てた庭のバラも、僕は手入れの仕方が解らず、
放置気味だったけど、オフクロにやってもらうつもり。
みっちの思い出話とかも、いっぱいしようと思います。
ちょっと楽しみなんだ。

新年を迎えたら、六通目を書きます。
じゃ、またね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

久しぶり
この前の11月27日は18回目の結婚記念日でボンが亡くなって
2回目やで
そしてW選挙の日やってんで
ボンが嫌いやった元弁護士以外を投票したけど
あっさり負けてしまったよ 残念やな

まあ記念日に箕面の滝まで位牌と遺骨入りのブレスレット持って
わしと一緒に行ったからいいやろう
楽しかった? 懐かしかったか?
ボンが病気になってから 健康の為に何回も行ったよな
ガンが乳 リンパ 骨 肺 皮膚 肝臓と全身に転移して
ほとんど動けなくなってから
「死ぬまでにもう1回箕面に一緒に行きたかった」
って 言って泣いたよな
ちょうど記念日が日曜日で良かったよ
約束守ったぞ

これからもわしと一緒に何処へ行く時もついてきてや
一人で何も出来ないあかんたれやからね
これから先 生きていくのに
仕事 家事 近所付き合い 服のセンス 家電の買い替え
引っ越し 娘の学校の事 娘の結婚の事など不安だらけや
まだまだわしに チカラかしてくれよ
いつまでたっても ボンに頼ってばっかりやな
何もしてやれんかったのにな
命にかえても助けてやるって言ったのに助けられへんかって
ゴメンな
ボンが亡くなって1年8か月お前の偉大さが 身にしみて解かる
ようになってきたわ
今更やけど感謝してるよ
今までありがとうな
もう痛みや息苦しさから解放されたか?
もう元気になってるよな
きっとボンやったらわしの事忘れて 天真爛漫に走り回ってる
よな
絶対治って長生き出来ると思って買った感染症予防のマスク
1000枚以上 手指消毒液10本以上持って行ってくれよ
これとボンの洋服見るたびに思い出して泣きそうになるんやで

あっそうや 近況報告しとかなあかんなぁ
ボンの母さんは うつ病も治まって元気やで
10kgも太ってたよ
弟夫婦も仲良くやってるよ
ボンが可愛がった萌と芽も元気に学生生活送ってるよ
一番大事な娘の麻衣はもう高2やで
趣味はK-POP全般で彼氏ともうまくいってるみたい
勉強も大学目指してそれなりに頑張ってるよ
わしも毎日辛いけど なんとか頑張ってるよ
まだまだ泣いてばかりで 前向きに考えられへんけどね

ちょっと前にな姉と小田和正のコンサート行って感動したよ
本当はボンと一緒に行きたかってんけどなぁ
もうボンに会うことも話すことも出来ないけど
夢の中ではいっぱい話しような
楽しみにしてるからな
また手紙書くからな

届け!
わしの最愛の女 美和ボンへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

今日という日に

秋から冬へ… 
毎年、空気が冷たくなるとこの日を迎えます。

今日、私は7回目の冬空を見上げます。
今夜は星が見えそうです。
こんな余裕が持てるようになりました。

君のことは忘れませんよ。
忘れたくないからです。

君は私の一部ですから、そう思えばさみしさも薄れます。

でも、最近は君の香りや声をふっと感じられることが少なく
なった様におもいます。

君も忙しいでしょうから、がまんです。

年齢を重ねたせいでしょうか…
君との子供が欲しかったと切に思います。
君も欲しがっていた女の子がいいですね。
君が子をあやす姿を思って、また切なくなってしまいました。

君の今を知る術もありませんが、君は輝いている…
そう思っています。

でも、あまり先に行かないで欲しいかな。
早く再会したいのですが…
私の残り時間を思うと、気が滅入ります。

私がそちらへ行っても
会えないのだけは勘弁してください。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

さゆ

さゆ・・さゆが逝ってしまって2か月経ったね。

9月7日に二人とも夜勤で、俺がちょっと早めに出勤して
さゆはその後に「行ってきます!」と元気にお袋に言って
出勤したのに・・そのまま帰って来なかったね。

8日の朝、仮眠室で倒れているところを発見されて。
次の日に逝ってしまうなんて思わなかった。看病もろくにできず、
倒れてからたった1日で・・くも膜下出血で。

看護師として頑張っていたさゆ、救命士の俺。二人で頑張って
きたのにね。お互いバツイチで、再婚してたった2年
だったね。かわいい孫を2人残して、両親や俺、娘に息子
みんな置いて逝っちゃった。血は繋がってないけど、ひよ
とありすは俺が応援して行くよ。安心してな!

いつまでも愛してるよ。さゆ・・俺の宝物だったさゆへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の妻へ

 家内は昨年の9月、末期の胃癌を告知され同席した私が魂の抜け
たようになりました。ところがそのすぐあと、家内は子供たちの
夕食の買い物を始めました。おんなって強いですね。特に母になる
と。それからちょうど半年、ことし桜を見る間もなく天国に召され
ました。さいごのことばは『ありがとう』でした。私は涙できこえ
なかったけど、三人の子供らが翻訳してくれました。

 いちばん、つらかった言葉は『おとうさんと、もっと生きたかっ
たよう。』これは、亡くなる一月前ごろでした。家内を一番愛した
半年間でした。私は売り上げ数億の会社経営をしていますが、もし
妻が帰るなら、会社とこの命はいりません。という、心境です。男っ
てバカですよね。居るときはそんなこと思っても見ないのに。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

東子ちゃんへ

東子ちゃん・・・・・

東子ちゃんが命を絶ったのが2011年7月21日だったね。

私はその時に仕事をしていて東子ちゃんはこの世からいなく
なるなんて全く予想すらしていませんでした。

青天の霹靂で、お通夜告別式とセレモニーが終わり落ち着くと
止めどなく涙が出てきました。もういなくなって50日を超します
が涙が止まることはありません。

東子ちゃんは母親を看取り父親をサポートして実家暮らしが
5年ほどになり、これは私と5年間別居していたということに
なるよね。

東子ちゃんが命を絶つ前日の20日に実家に立ち寄らなかった
ことを当初後悔し、悔やみました。20日に会っていたら救えて
いたかもしれない・・・

でも後悔したり悔やんだりすることはもう止めました。

東子ちゃんが生き返るわけでもないし、私自身或いは子供達にも
辛い思いをさせるだけだからね。

でも別居している期間は東子ちゃんが空いている時間に二子玉や
成城や新百合ヶ丘でランチしたり色々おしゃべりしたりと結婚前
の時代に戻ったようでこの時間は私にとって宝石でした。

会えない時は長電話で色々たわいない話ができて楽しかったよ。


涙が出るというのは東子ちゃんと過ごした30年間が幸せだった
からなのだと思います。

最近少しずつ気持ちが落ち着いてきて、東子ちゃんに私の中に
一生住んでもらうことに決めました。

ちょうど星飛雄馬が日高美奈さんを一生心に住まわせたように・・

また、もし今の東子ちゃんと意思疎通ができたら、東子ちゃんの
希望をできるだけ叶えるように生きたい・・・

涙を流していると東子ちゃんの声が聞こえてきます。

つきちゃん、私のために泣かないで・・・・

これからの人生輝いて生きてね・・・・

東子ちゃん・・・これからもずっと一緒だよ

30年間の宝石のような時をありがとう

私と子供達は少しずつ時間をかけて前を向いて歩いていきます。

一緒に歩んでいこうね。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

今は亡き糟糠の妻へ

ともちゃん、
急逝して555日が経ちました。
同じ悲しみを持つ人たちがいます。
励まされます。
ありがとうございます。

毎日、苦しいし、
   悲しいし、
   切ないし、
   寂しいし、
   辛いし、
   不安だし、
   心から笑えません。

でも、最近わかったのは、
まだ愛しているから、
愛していることができているから、
そんな気持ちになるんだと。

一日一日が辛ければ辛いほど、
それは、二人で生きていることだと。

愛する亡き妻に、恥じぬよう生きていくということは、
死ぬまで、苦しむことでもあるのではないでしょうか。

愛し続けている人の言葉には、感銘させられます。
私も、毎日しっかり苦しんで、
亡き妻と共に生きていきたいと思います。

愛する人を失った皆さん、
お会いすることはないでしょうが、
悲しんで、悲しんで、
大切な人と共に、限りある命を生きていきましょう。

こんなに、大切な愛を知ることができたことは、
奥様のおかげです。
そして、
私たちが、愛する人より先に死ななかったことこそ、
この悲しみを、わたしたちが引き受けたことこそ、
今、苦しみながら生きていることこそ、
愛する人にしてあげた、
愛する人のためにしている、
最高の愛だと思います。

みなさん、共に、愛し続けましょう。
ありがとうございます。

そして、僕のともちゃん
ありがとう。



【男性】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

洋子へ

 この夏もそろそろ終わりを告げようとしている。
秋の虫たちが鳴き始めて、窓から見える落日の美しさよ。

 この間の手紙は君の命日前に書いたけど、月日の経過を
振り返れば長くも感じ、また短くも思う。
君のいない暮らしが始まってもう四年。

 この投稿に綴られた人たちのメッセージを拝読するにつけ、
淋しさや悲しみ、無念さを誰もが噛みしめながら生きている
のかと思うと切なくなる。
せめてこの世を去った君たちが穏やかな時を過ごしている
だろうと思うことで、残された者たちは生きてゆく力が湧くの
だろうな。
 
 君の母は連合いを亡くし、続いて娘まで亡くしてしまった。
母上も独り、俺も独り。今そんなことを考えながら君の
父さんの七回忌で帰省の準備をしているところなんだ。
覚えてるかい?七年前か、二人で久しぶりに高千穂に帰った時
のことを。
まだ父上は元気だったし君も元気いっぱいだった。母上と四人
でドライブに出て、通潤橋やぶどう狩りに行った。今思えば
地味な思い出だけど、かけがえのない時間になってしまった。
 
 独りでの道中はちょっぴりつまらないけど、二人で見た景色
を辿りながら帰るつもり。
彼岸の頃だから、道々に咲く彼岸花がきれいだろうね。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみ抜いた妻へ 四通目

■みっちへ。

平成23年8月18日。この日がみっちの一周忌。
いよいよその一周忌がやって来ます。
一周忌の日に四通目を書こうかと思っていましたが、
今日、どうしても書きたくなりました。
その理由を教えるよ。

「一年も経てば、気持ちも和らいで、悲しむ事も少なく
 なっているかも」 

なんて、1年前は思ってた。その1年が経とうとしている
今、和らぐどころか、せつない悲しみは全く消えません。

そして今日(8月1日)、TVをぼんやり眺めていたら、
突然涙が溢れてきて、久し振りに声を出してわんわんと
泣きました。46歳のオヤジがみっともないと思ったべ?

一周忌が近いなぁ、という想いと、最近仕事で色々あって
精神的に疲れてたのが重なって、何だか涙が止まらなく
なっちゃった。この気持ちを伝えたくて、一周忌を待たず
に書きました。

みっち、せめて病気で亡くなってたら…と、
最近思います。不治の病とかだったら、どうにか諦めも
ついたのかな、って。
まぁ、「双極性障害」も、完治は難しいと言われている
病気だから同じ事かな。

自ら命を絶ったみっちに、俺はいまだに自責の想いを
抱いていて、その想いはなかなか消えません。だから
今も思い出すたびに凄く辛いです。

でも、今日みたいに、泣きたくなったら遠慮せずに
大声で泣こうと思います。
独りで暮らすにゃ広すぎる家で、おもいっきりね。

五通目、いつにしようかな。年末あたりにしようかな。

じゃあ、みっち、またね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

鎮魂

最愛の妻が逝って半年が経ちました。48年の結婚生活でしたが、
特にさいごの4年間の闘病生活で交わした言葉が鮮明によみがえ
り以前にも増して愛惜の情絶ちがたいものがあります。

お互いに会社も定年になり、娘たちも夫々他家へと嫁ぎ、これか
らはのんびりと余生を送ろうと言う矢先に、原因不明の難病にか
かってしまいました。

あとで判明したことなのですが、パーキンソン病の一種(多系統
萎縮症)と診断され神経系統が侵され徐々にではあるが、手足の
自由が奪われ言語障害もすすんできました。現在の医療では治療
の方法もなく特効薬もないそうで、しっかり療養して病気の進行
さえ遅らせれば10年は普通の生活はできるとの診断でした。

私は7歳も年上なのだし10年も経たないうちにオレの方が先に
逝くよと軽口をたたいたものでした。

3~4年前から病気の妻にかわって家事をこなせる様になり「わ
たしがいなくなっても生きていけるね」と本気とも冗談ともとれ
ることを言っていましたが、まさかこんなに早く別れが来るとは
思っていませんでした。

意識や判断力は正常なのに、あるけない 思うように話せない 
字を書けない 自分では食べられない もっと進んだ医療機器も
あったのかも知らないが残念でしかたがありません。回らない口
で精一杯つたえようとしているのに「もっとハッキリ言いなさい
よ」と罪な事を言ってしまった今でも悔やんでいる。どんなにか
悔しかったろう どんなにか辛かったろうと思うと涙が出てなら
ない。

夢を見ていたのだろう、さっき二人の娘が来て「さようなら」と
言っていた 他にも女の人が三人きた あれはきっと仏様が迎え
にきたのだと言う、私にはかける言葉もなかった。約一年三ヶ月
の入院と介護で、家族にあまり負担をかけたくなかったのだろう
か、こんなになってごめんね の繰り返しで慰めることばもあり
ませんでした。それから二十三日後心肺停止状態となり ICU 
に運ばれ懸命な手当ての甲斐なく、意識快復することもなく帰ら
ぬ人となりました。

48年間なにひとつゼイタクも言わず家族のために一生働きとう
しで真面目に倹しく倹しく生きてきたのに何も報いてやれなかっ
た、可愛そうでならない 今頃になっては遅いがもっと楽をさせ
てやりたかった、もっと愛していると言ってやりたかった 俺も
そう長く生きるとも思えない、あの世へいっても赤い糸で結ばれ
ていると思うから、可愛がった孫たちが大きくなるまで、 もう
暫く待っていてくれ。



【男性】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

合掌

折に触れて心境を詠んだ詩歌を、亡妻に捧ぐ
 
語れない くみ取れない 意思疎通も儘ならず 言語障害という
宿命に泣く
 
今日は主人の誕生日 何もしてやれないと泣いていた 優しい
思いに触れたとき 胸はりさけるばかりなり
 
療養の日記みるたび悲しかり 努力の日々の空しさばかり
 
臥してなお吾を気遣う優しさに 慰める言葉みつからずおり
 
臥してなお ごめんね ごめんね と云いながら
優しさだけを残して逝きぬ
 
夢なのか三尊様を見たという 信心ふかきは有難きかな
 
問いかけても物言わぬ妻いまごろは 見知らぬ国を旅しておりや
 
魂は永遠なりと人は云う レクイエムは届いておりや
 
最愛の妻を亡くされた名医あり 供養の詩は芸術なりと
 
亡き妻の優しさだけがよみがえる 虚ろな日々を過ごしおりせば
 
在りし日を想い出させて懐かしき 亡妻のことば有難きかな
 
赤い糸で結ばれおりしは有難き 俊綸大姉 と戒名もらう
 
                         合掌  



【男性】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

10年ぶりの手紙

お前が死んでもうすぐ半年だね。
俺が18歳、お前が17歳で初めて付き合って、13年間別れた事も
何度もあったけど、2人でいろいろ乗り越えてきたね。

でも最後の病気だけは、乗り越えられなかったな。
救えなくてごめんね。

俺は、ただ自分がふらふら遊びたいだけで、いつも自分の事
ばっか考えてて、ずーっと結婚したがってたお前の気持ちを無視
して、結婚せずに2年半前に「体の右半分が感覚がおかしい。」っ
ていうお前の言葉を聞いて、病院で検査入院して、おそらく
脳腫瘍でしょうと医者に言われて、急いで病院でプロポーズした
よね。

「私が言ってる事が正しいって、あんたはいつも後から気づく。」
って、よく言われてたけど、
その時も気づいたよ。もっと早く結婚してればよかったって。

ネットで、こっそり病気を調べて、平均余命1年半って、、、、、
絶望したよ。

医者から言われた余命の話も、いつも治るからって言って、最期
まで言えなかった、ごめんね。

よく転ぶようになって、歩けなくなって、車椅子でも明るくて、
飲み込み辛くなって、しゃべり辛くなって、息もし辛くなって、
あんな地獄のような日々の中で、
多分、自分では分かってたんだよね。

死ぬ2ヶ月前くらいに「私は周りの人に恵まれてるから、もし今
死んでも、幸せだな。」って言ってたお前の言葉で、俺はだいぶ
救われたよ。

死ぬ1月ちょい前に、長年一緒にいるのに、混んでてめんどくせー
とか言って、一度も行かなかったディズニーランドに行った時、
パレード見てても、「もうあんまり目が見えない。」って言った
お前に、ばれないように泣きながら車椅子押してたんだよ。
知らなかったべ??

最期の3日は全然目を覚まさなかったけど、最期の瞬間に俺の手を
握ってくれたね。
ありがとう。

ありがたい事に、今でもお前のお父さんや、兄弟達には良くして
もらってるよ。

今の俺は、仕事は行ってるけど、前みたいにだらしない生活して
るよ。部屋も汚ないし。
あの世とか、来世とかあるかは知らんけど、そっち行くときは
たくさん土産話持ってくから、飲み明かそうな。

では、来世ではもっと早くプロポーズするよ。
またね。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

洋子へ

 洋子、久しぶりやな。
 君が旅立ってもうすぐ丸四年になるなあ。独りで暮らす生活に
ようやく慣れはじめて、一通りの家事は出来るようになったかな。

 これまで君が恋しくて独り泣いた日が幾度もあったけど、この
頃は君がよく言っていた口癖や仕草など何かした拍子に思い出し
たとき独り笑いをしたり、ふっと君の匂いを感じたり。

 六月は祥月命日。一心寺に会いに行くから待ってろな。
病気で苦しみながらも「私が死んだら一心寺に連れてってね。」っ
て言った言葉、今もはっきり覚えてる。
お寺に足を運ぶ度、悲しみとも懐かしみともつかない不思議な感覚
をおぼえるのはなんなんだろうね?
 
 パソコンに整理した家族の歴史を綴った写真の数々。
夫婦生活32年には本当にいろいろなことがあったな。今でも思い
出すとみぞおちの辺りがズンと痛く謝りきれない事は、若い頃の俺
の我ままで君を苦しめたこと。六年余りの家庭内別居状態のさなか
俺は諦めて離婚届に判を押して君に託した。
 
 ある日の朝方、二階から降りてきた君は子供たちと寝ていた俺の
布団の中に滑り込んできたよな。俺は夢中で抱きしめた。それから
の14年はホント夢のような日々だった。

 そんな君も52歳で末期の卵巣がんと告知、青天の霹靂だった。
頑張って頑張って、そして54歳で終わりを向かえたな。

 部屋に飾った額縁の君の写真を見ると思うこと、俺にはやっぱり
お前しかいないわ。22歳のとき不思議な縁で出会ったあの日の
あの瞬間は今でもはっきり覚えてる。

 願わくば、来世でもお前と一緒になりたい。そして二度と同じ
過ちは犯さない。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

今日24日は ボンお前の46回目の誕生日やなあ
お前が去年3月に亡くなって 45回目の誕生日もあったんや
なあ
ゴールデンウィークも夏の暑さも盆もクリスマスも正月も・・・
この1年間頭の中が真っ白のままやったから はじめてのことに
思えるわ

お前の死を認めたくないのに 認めなくてはならないという
現実が・・・

毎日を生きていくのが こんなに辛いとは考えもしなかった
わしら家族3人贅沢は出来んかったけど毎日が楽しかったよな
幸せやったよな
それをぶち壊したガンが憎いよな
病人本人と家族のお金・体力・気力・希望・夢・そして命
すべて奪っていってしまった
命だけはやめてほしかったよな
わしは お前と出来るだけ永く一緒に生きていくことが出来たら 
あとはどうでもよかったのに
神様も仏様もおらんってことやな


あっそうや 1周忌のあとお前の父さんの墓に一緒に納骨
したけど・・・
わかってるか?
大好きな父さんにあえたらいいのになぁ

この先わしは 何をしたらいいんや? 教えてくれ
お前と話がしたいな


もっともっとしてあげたいことが一杯あったのになぁ
もっと一緒に笑っていたかった
一緒に買い物に行って服やアクセサリー買ってお前の喜ぶ顔が
見たかった
一緒に美味しいもの食べたかった
一緒に娘の成人式と結婚式を見届けたかった
一緒に孫の面倒みたかった
そして人生の最期もボンお前と一緒が良かったな

わしは情けない男やからお前にこうして手紙書きながら
今でも涙が溢れて止まらん状態や
ほんまにヘタレやなぁ


頼りないわしやけどお前が残してくれた形見の娘だけは
しっかり育てて何処に出しても恥ずかしくない子にするからな
お前に約束する 心配するな

そういえば母さんもうつ病だいぶマシになって結構元気にしてるよ
良かったなぁ ちょっと安心したか?


ところでお前は今 どんな状況なんや?
ガンの痛みと呼吸困難で今でも苦しんでるんか?
それとも寝てて夢みてるんか?
それともそっちで先に逝った人たちと楽しくやってるんか?
そんな世界があるんやったら わしも用事が済んだらいくからな
また一緒に生きていこうなぁボン

あの世があることを信じて あえることを楽しみにしとくわ
たまには夢に出て来いよ
夢の中で一杯話しようや
話したいこと山ほどあるからな
笑えるぞ〜

じゃあまたな 美和ボン



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する陽子さん

あなたの三回忌を終えました。
あなたの行事はいつも雨が降ります。
生きているときはいつも晴れていたのに・・・・

あなたへの想いはいつも変わりません。
この一年、私は癌と潰瘍で二度入院、リストラ、大震災
いつも隣にいたあなたがいないことを改めて知らされます。
そしていつも淋しい想いをしています。

あなたといた30年はとても幸せでした。
あなたと夫婦でいれてとても幸せでした。
これからもあなたを毎日想いながら生きていかなければ
なりません。淋しく辛い毎日です。

何年経ってもあなたには私の傍にいてほしい。
それが私の幸せですから・・・・。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

先に逝った妻へ

君が逝って半年が過ぎようとしています。
癌が見つかってから、1年間頑張って闘った君が僕の前から
見えなくなって、ついつい家の中を探してしまいます。

19年間の夫婦生活が、走馬灯の様にくるくると僕の頭の
中で巡っています。
結婚式の事・出産の事・二人で行った旅行の事・子供の留学の事
等いろんな事を楽しみ・考え・話し合った19年でしたね。

その時は、あまり人生のありがたさは感じなかったけれど
君がいなくなって、「人生とは」を何かを考えています。
答えはいつ見つかるか判らないけど・・・。

もうすぐ君の大好きな息子がアメリカから帰ってきます。
飛行機で日本の地に降りた時の息子の顔が、普通の顔で
見る事が出来るか心配ですが、これからは二人で生きて
行かないといけないので、見守って下さい。

これからも、僕の奥さんは君一人です。
これからも、語りかけるのは君一人です。
これからも、愛するのは君一人です。
これからも・・・・・・・・・・・・

                最愛の人 美喜へ



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

いつまでも一緒にいようね 2通目

直子 今僕の傍にいるのかい。あの日から100日経ったね。

直子!直子!あの朝、僕は顔を直子のほっぺに擦り付けて
叫んだよね。聞こえていたのかい。
でも直子はどんどん冷たくなって行った。そして・・・

バァバもお姉ちゃんも先生も看護師さんたちも、みんな
みんな泣いていたね。

間もなく、直子のお世話をしてくれた看護師さんたちが
丁寧に化粧をしてくれて、今にも話し掛けて来そうな
ほど君は奇麗になったね。これまでの辛かった日々は
一瞬にして安寧で気高い時を刻みだした。そして君は
安らかに神々しく天に召された。


毎朝気が付いたら君にコーヒーを入れているよ。
それを新調した茜のお仏壇にお供えして僕の一日が
始まるんだ。

ボンジョビも犬のくせに随分お利口さんにしているよ。
毎朝、ママと待っててねと言うと夜帰るまでちゃんと
待ってるよ。
「ボンちゃん!そんなことしちゃいや」ってママに
よく怒られていたねと言ってやると神妙な顔で僕を
見るんだ。かわいいだろう。

僕も、ボンちゃんもいつも直子と一緒にいる。
何も変わらないよ。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛のパートナー美和ボンへ

今日3月17日はおまえが44歳で亡くなってから
ちょうど一年の命日だよ。
昨日のような気もするし、遠い昔の話のような気もする。

乳がん手術から、三年半もの間凄まじい闘病生活だったよな。
わしら家族何か悪い事でもしたのかと思うくらい地獄だったね。
術後一年経っての検査でリンパ骨転移と
あんなに苦しい抗がん剤したのに進行する一方で、
追いかけるように後から がん になった大好きなお父さんが、
その検査結果の前日にして亡くなったよね。

おまえの、
「神も仏もないよな」って言って
泣き崩れた顔は今でも鮮明に覚えてるよ。
わしも気が変になりそうだったよ。

それでもおまえは娘の為に、
成人式を迎えるまでは生きる。と
がんに立ち向かったよな。かっこよかったよ。

それから、箕面の滝まで歩いたり、
体に良いことはいろいろやったし、
食物の栄養バランスも考えて
新しい抗がん剤も何種類も試して
一度はがんが消えたよなあ。
二人病院の中で抱き合って泣いて喜んだよなあ
懐かしいなあ。
あの幸せが、永遠につづくと思ってたのに な。
がんは恐ろしい病気やなあ。容赦なかったもんな

突然の肺転移、がん性リンパ管症と、
余命五ヶ月 早ければ一ヶ月ももたない。と
ホスピスを薦められたんやで。
おまえには伝えられなかったよ。
夜一人で悩んで寝れずに泣いてたんやで。知らんかったやろ。
それでも
「何が何でも助けるぞ」っと思って
保険の利かない第4治療で、
免疫療法や、民間療法・漢方など
いろいろ試したけど全く効かなかったよな。

最期に辿り着いた抗がん剤のスペシャリストの先生のお蔭と、
おまえの精神力で奇跡の復活を遂げたよな。
「いける」治る と思ったら
感染症にかかり、がん性リンパ管症の復活で
呼吸困難になったよな、苦しかったやろう。

その時 先生に
「あともって1週間くらいと思うから、
親戚や友人を呼んであげてください」って言われた。
悩んだ末、おまえに伝えたよな。辛かった
家族三人で泣き続けたよな。
今でも思い出すと涙がとまらないよ。

でもここから、保険の利かない抗がん剤を取り寄せて、
こんな治療は世界でもしたことがないというようなことをして、
三度目の奇跡をおこして退院までこぎつけたよなあ。
わしら 「奇跡の家族」みたいな扱いやったよな。
なんかすごく嬉しかったね。

あとは娘の成人式まで生き抜いて
老後は、わしら二人で手を繋いで歩くこと、
歩けなければ車いすでも散歩することだけが
夢やったのにね。
たったそれだけの夢も叶わなかったね。
贅沢な夢でもないのになあ

退院後半年ぐらいで逝ってしまったね。
最期の一週間くらいで急変したもんなあ。
亡くなる五時間くらい前に
(顔を)
「たたいて たたいて もっと しゃべられへんやんか」
って蚊の鳴くような声でおまえは言ったけど、
わしはたたけなかったよ。
あの時何を話したかったの?
もしもあの世が本当にあったら
わしが死んでから、おまえを見つけるから、教えてや。

ほんまにわしらの人生って
そこらの映画よりよっぽど壮絶なもんやったなあ。
一生忘れられへんわ。

今でもおまえとやり取りしたメールは
1000件以上残してるよ。
けんかしたことや、遺書めいたことや、日常のことなどね。
たまに読んでは 涙流してるよ。
弱いやろう、情けないやろう。
出掛ける時はおまえの位牌もって
箕面の滝や、一緒に行った思い出の場所に連れて行ってるけど
一緒についてきてくれてるんか?

最期の二年くらいは
会社などいろいろな人に迷惑かけたけど
おまえとの時間を一緒に永く過ごせたからよかったと思ってる。
今までお世話になった会社を去年退職したけど心配するな。
二月にちゃんとまた 働いてるからね。

もう一つ、
「パパまだ若いんやから、良い人見つけて再婚してや。
その方が安心やから」
ってずっと言ってたけど
亡くなる二週間前におまえ言ってたよなあ。
「やっぱり再婚せんといてほしいなあ、したら相手の女性
恨んでしまう」って。
安心しろ。
わしのパートナーはボン。お前一人だけやから。
これからもおまえ一人だけを一生愛し続けるからな。

娘の麻衣も今年から高校二年生になるよ。
部活も辞めて、
最近料理もつくってくれるようになってんで、
すごいやろう。
だんだんおまえに似てきたよ。気のきついところもね。

麻衣を生んでくれてありがとうな
わしと一緒にいてくれてありがとう
もっと一緒に永い人生を歩んでいきたかったし、
死ぬときも一緒が良かったな。

助けられんかってごめんやで。

おまえと一緒に歩んだ人生は楽しかったわ、幸せやったわ。
感謝してもしきれんわ、ほんまにありがとうな。

残りの人生は、おまえの分も麻衣の為に
マイペースで生きてみるわ。

きっとまた会えるよな。
だからさよならは言わないよ。
また会える日を楽しみにしとくわ。

じゃあ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみぬいた妻へ 3通目

■平成23年2月18日。
みっちが居なくなってこの日で半年が経ったよ。
「もう半年」と感じるのは、僕の心が少しだけ
落ち着いてきたからだろうか。
みっちが逝ってしまってすぐの頃は、1日が
とてつもなく長く感じたっけ。

正直、この半年間、よく生きてこられたと思う。
何度も何度も、生きていく事の意味を見失い、
どうしようもない虚しさを感じて、みっちの後を
追う事ばかり考えていた。

僕達には子供が居ないから、みっちが逝った後は
僕はたった独り。
親も兄弟も居ない僕は、強烈な孤独感に襲われ、
打ちひしがれた。

でも今、こうしてみっちの為に三通目の手紙を
書いている。ありがたい事に、無事に生きている。

このサイトに出会ったお陰です。
誰にも言えない心の内を書き込む事で、
私は本当に救われました。
管理人さん、本当にありがとう。

逝ってしまった者の分も、一生懸命に生きなければ
ならない、と最近やっと思えるようになったよ。
周囲の人達は「いやいや、まだ3年はかかる」って
言うけど、ある意味僕もそうだと思う。
半年やそこらでは本当の意味の立ち直りは無理。

みっち、四通目はいつ書こうかな。
楽しみに待っててね。またね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

誕生日おめでとう

今日はお前の56回目の誕生日おめでとう
知り合ってから36年になるんだね
あの日のことは今でもよく覚えているよ

いろいろあったけど俺と一緒になってくれたね
ありがとう本当にありがとう

そしてまた、一緒になろうね

永遠のお前に



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する妻トモコへ

突然逝ってしまったトモコ
倒れているのを見付けたのは子供たちだった
ママが寝ていると私に言ってきて裏庭に行くと倒れていました
心肺停止状態でその時既に亡くなっていました

それから通夜、葬式
5日間何も食べれなかった
葬式はトモコが寂しがらないように盛大に上げました

子供2人残して逝ってしまって無念だろう
これから子供は祖父祖母で立派に育てます
トモコ長男の入学式には見に来てくれよ
次男は保育園の年中
トモコも長男の入学式すごく楽しみにしてたよな

もうすぐ49日また盛大にやるからな

トモコ助けられなくてごめんな
短い人生だった
40歳やりたいこともいっぱいあっただろう

生前の頃をいっぱい思い出すと涙が止まらない
こんな頑固で短気な俺についてきてくれてありがとう
トモコのことは一生忘れない

俺も何十年先にはそっちに行くからずっと一緒だ
今までどうもありがとう
いつまでも家族のことを見守ってくれ

                愛する妻トモコへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

いつまでも一緒にいようね

別れを迎えた今 君に伝えたいのは
「ありがとう」や「さようなら」という言葉では
ないような気がします。

夫婦となり17年近くになるでしょうか。
長い時間を共にしてきたけど君は常に新鮮な活力を
与えてくれる魅力的な女性でした。

明るく朗らかで何事にも前向きな取り組みを見せていた
幾年月。幼いころに習っていたピアノはその後独学で
ショパンやモーツアルトの曲を弾きこなせるようになり
毎日の食事も私の健康を気遣い工夫しながら用意して
くれたね。

穏やかで和やかな毎日・・・
それはショパンの生誕200年を前にパリにお墓参りに
行こうと準備を進めていた矢先、一変してしまったね。
それでも揺るぎない心で病と向き合い、立派に命の
灯火を輝かせた君。

離れゆく寂しさはひとしおですが、同じ時を刻み、
君から受けた多くの影響はこの先も夫婦の証として
私の中に根付くでしょう。

姿は見えなくとも澄みきった大空に、柔らかな風に
君の存在を感じながら何とか明日への一歩を
進めてゆくよ。

                    直子へ



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ウオーキングしていて

 1月の晴れた午後、農道をウオーキングした。君と並んで歩い
た時の、あのことを突然思い出した。

 急に具合がわるくなって、途中で家にもどったっけ。3年半ほ
ど前のこと。あれから僕の知らない間に、君は徐々に病魔にむし
ばまれていったんだろうか。

 よっぽど悪くなってから、病院に行ったけど、すい臓がんで、
もう手遅れだった。君のショックは、僕の数倍だったろうね。
でも、弱音は吐かなかったね。

 もし、立場が逆だったら、とても僕には耐えられなかっただろ
うよ。余命1年と言われたのに、2年2ケ月も耐えた。とっても
苦しかったに違いないのに、よく闘ったね。

 君を失ってからの最初の半年は放心状態だったよ。

 その次の1年はがむしゃらに、何かに熱中した。

 町内の役員や、ボランティアなど、何かできることを探して挑
戦した。それなりに充実した1年だったかな。

 君のことを思い出すのが辛くて、君のことを少しでも忘れよう
としたのだろうね。

 でも、今日、晴れた日にウオーキングしていたら、突然胸が締
め付けられるような悲しみに襲われてしまったよ。

 まだまだ、時間がかかるね。いつになったら、さらっと、「君
はもういないんだね。」って、つぶやけるのかな。

 そのころには僕はいくつになっているだろう。70歳を超えて
しまうかもしれないな。まあ、時の流れに身を任せる、しかない
ね。いずれ、そうなりたい。ぜひ。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の妻へ

君と籍を入れてたったの7カ月だったけど、君は「幸せだ」と
言ってくれたね。

でも僕は、君にもっともっと幸せを感じて欲しかった。
もっともっと二人の思い出も作りたかった。

君が旅立ってしまってから、僕はまだ前を向けずにいます。
「仕方のない事」「運命だった」とは未だに思えません。

二人の合言葉、「ありがとう」が言えるようになるには、
まだまだ時間がかかりそうです。

でもいつか、再び逢える日が来るのなら、その時は胸を張って
「ありがとう」って言えるように生きていくよ。

だからあと少しだけ、待っててくれないか。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

かなしみ

「忘れたほうが、悲しくはないだろうが、
 忘れないで悲しいほうが、悲しくはない」
という詩句があります。
 妻が急逝し9ヶ月が経つ時間の経過の中で、
いろいろな言葉から励ましてもらい、
この言葉の意味もわかるようになってきた今日この頃です。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

別れを告げずに急逝した妻へ

ともちゃん、
ごめんね、
ありがとうね、
見守ってね、
待っててね、
忘れないからね!



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

洋子へ

 この間君に手紙を出したのは八月だったね。秋の虫たちの
声もいつしか聞こえなくなって、あの夏が何だか遠い昔のよう
に感じます。

 お彼岸に一心寺に行きました。 「あっ、お父さんだ。」って
気がついた?
ここに集まる人たちは愛する人との最後の別れか、かつて愛した
人に会いに来ているんだと思うと、何か切ない想いがこみ上げて
くるよ。

 そうそう、君のふるさとへ十月の終わりに行ってきました。
生憎道中は天気が悪く、昔ツーショットで撮った大観峰から望む
中岳や途中の湯布岳は曇で霞んでて残念だった。
だけど二人でほうばったソフトクリームは予定どおり食べたから
ね。
何処へ行くにもマイカーだったから、つい思い出辿りをしてしま
うんだよねー。

 今も元気な君が傍に居ったらなあと思う度 「なんでそんなに
早く逝ったん?」 って自問して、「早く召される人って向こう
の世界できっと必要とされてるんかなあ、きっとそうなんだ。」
 と自答して無理に納得。

 君が逝って三年と半年が経った今も、マンションの一人暮らし
は空っぽの日々だけど、明るいニュースもあったよ。
11月16日、真弓が第二子を産んだよ。元気な男の子でね。
随分君にお願いしたもんだ、「無事に赤ちゃんが生まれるように
娘を守ってあげてな」 って。

 君の忘れ形見が子供を産んだこと、命の繋がりに不思議な因果
を感じます。
これから俺の務めは出来るだけ元気に生きて、孫たちの成長を
見守ることだな。君の分までね。

 だからいつも傍におっておくれね。いつまでもいつまでも
愛してるよ。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみぬいた妻へ  2通目

■1通目で「君」と呼びましたが、2通目からは「みっち」
と呼ぶことにします。いつもこう呼んでいたから、みっちも
そのほうがいいだろう?

早くも11月。あさっての18日でみっちが逝ってから3ヶ月
になるんだね。この3ヶ月間、僕は一体どうやって過ごして
いたのか、思い出せない。記憶に無いんだ。

胸がいっぱいになるのが怖くて、ず〜っとパチンコをして
いたり、映画を一日中観つづけていたり…。そういう事は
覚えてるけど、あとの時間はどうしていたんだろう。多分、
泣いて過ごしていたんだと思う。あまり食欲も無く、3ヶ月で
7キロも痩せたよ。

4年前、生活環境を変えたら、みっちの身体の具合が良くなる
かも知れないという理由で、横浜への転勤を受諾したけど、
こうしてみっちが居なくなってしまった今、もうここに居る
理由が無くなってしまった。ここには友達も親戚も居ないし、
僕は本当に独りぼっちだ。

本当は故郷へ帰りたい。僕達が生まれ育った土地へ。それでね、
会社に言ったんだ。2年後に戻して欲しいって。あと2年
こっちで頑張って、そして二人で札幌に帰ろうね。

今はね、みっちの写真とか何も飾っていません。顔が判るもの
は全て隠しました。顔見るとさ、頑張れないんだ。思い出し
ちゃってね。毎日毎日、生きて行くのに精一杯です。

身の回りの物も、リサイクルショップに持って行ったり、会社
の人にあげたりしてるよ。捨てるよりずっといいだろ?
そうそう、おふくろに一人用のソファ、送ってやったよ。

起承転結の全く無い文章だね。何が言いたいのか判らないや。
でも、また手紙を書きます。次はもうちょっと手紙らしく…。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

秀子さんへ

秀子さん
あなたがいなくなってもう2年が経ってしまいましたよ。
なぜ、よりにもよってあなたが白血病にならなければ
いけなかったのか。
なぜ、49歳で命を落とさなければならなかったのか。
今も納得できません。

あなたの骨髄に、一つめの白血病細胞が発生したとき
なぜ抑えることができなかったのだろう。
もう少し穏やかでストレスのない毎日であれば、
免疫力で抑えることができたかも知れない。
僕がもっと、家のことをやって負担を軽くしてあげる
べきだった。

年月の経過とともに悲しみは癒されます、と
人は言います。
確かに、2年経ってあなたのいない生活に、
それなりに慣れてきました。
でも、その生活に慣れていくのがつらいです。
いっしょに生活した日々がどんどん遠くへ行って
しまうのがつらいです。

どうか、他の人に生まれ変わらないでほしい。
ずっと秀子さんのまま、この家で僕と子供を
見ていて下さい。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ソウルメイトIV(ラストメッセージ)

☆4回目の命日
 これが最後の書き込みになると思う。

今でも君の二つの言葉は耳に残っている。
「病気のことは辛くないけど、私が死んで
 トッちゃんが別の女性と付き合うって考えたら辛い」
「来世でも一緒になろう。きっと見つけられる」

・・・でも今の俺は
君の面影をメソメソと追い回さなくても良くなったんだ。

第二の人生を一緒に寄り添ってくれる人が現れたんだ。

複雑な心境だが
以前のように寂しくない。張り合いも出てきた。

三回忌を終えてから
ずっと自分に言い聞かせてきた事がある。
「すごく寂しい。・・・
 新しい女性を探す気は無いが、そういう人が
 目の前に現れ、自然に意気投合出来た時。
 それは、君が俺に紹介してくれた人だと思い込もう」

・・・それが現実となった。

これで君も安心してほしい。

亡き妻、そして、このサイトと皆様に感謝致します。

今まで支えてくれて、 

・・・ありがとう・・・。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最愛の妻マキへ

マキ、あなたが逝ってから9か月が経ちました。

マキ、あなたが生んでくれた子供は元気に育っています。

あんなに楽しみにしていた子供が、あなたは抱くことすら出来ず
に逝ってしまったことは、さぞ心残りだったことでしょう。

そのことを思うと俺は、唯、ただ悲しくて、やるせなくて、
どうしようもなく泣くばかりです。

いまだに、現実として受け止めることが出来ません。

結婚11年目にして、二人でようやく体外受精で妊娠した時は、
踊るようにして喜び、俺たちの子供が生まれることが、
とても嬉しく指折り数えてその時を待っていたのに、
だれがこんな結果になることを想像していたでしょう。

神様なんか絶対いないんだと、俺は確信を持ったよ。

正直、子供が生まれた喜びよりも、あなたを失った悲しみのが
大きくて、突然周りの視界が真っ暗になり、絶望、失望の中に
一人、取り残された気持ちになりました。

ただ今は、少しずつあなたが大好きだった「前向き」という
言葉を胸に、今ある現実を受け止める努力をし、あなたの分
までわが子を愛して、立派に育てることを目標に頑張って
生きていこうと思っています。

だからマキ、俺は、俺たちの子供を大事に育てて、俺たちの
子供として誇りを持って生きていけるように、また、俺が
マキに出会ったように、息子が素敵な女性出会えるよう願い
つつ、しばらくはマキに会えないけれど、俺が人生を全うして、
マキに胸を張って会えるように、マキにありがとうって
言ってもらえるように、強く生きていこうと思います。

これから俺も、息子も、あなたがいないことで辛く、悲しい
思いをたくさんすることでしょう。
でも俺は立派だったあなたのことを息子にたくさん伝え、
生まれる前から息子のことをとても愛していたことも
ちゃんと伝え、喜びも悲しみも息子と共有しながら
全力で息子を守っていこうと思います。

マキ、俺と出会ってくれてありがとう。
俺と結婚してくれて本当にありがとう。
そして、生まれてきてくれてありがとう。
息子を生んでくれて本当に、本当にありがとう。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

40年の生涯を苦しみぬいた妻へ

君が自ら大量の薬を飲んで逝ってしまってから、もうじき
四十九日を迎えようとしています。今日まで僕は、毎日毎日
どうしていいか分からずに、自分の心に押し寄せる苦しさと
悲しみに押し潰されそうになりながら、どうにか生きているよ。

あの日、僕は仕事が休みで、君とのんびりと居間でくつろいで
いた。そして、くだらない事で口喧嘩をして、僕は自分の部屋に
篭った。双極性障害(躁鬱病)を、18年間もわずらっていた
君は、その時「鬱」だったんだろうね。

口喧嘩が引き金になって、君はどん底に落ち込んでしまって、
自分の部屋で薬を飲んだんだね。何も知らない僕は、仕事に
出掛け、そして2日後の午後になって、僕は冷たくなった君に
気付いたんだ。君の病気の事、僕が一番理解しているつもり
だったのに、なぜあの時、あんな態度をとってしまったのか…。
悔やんでも悔やみきれないよ。

僕と結婚して12年。君は幸せだったかい?
君のお兄さんが先日、僕にこう言ったよ。
「妹は、結婚して幸せだって、生前、言っていたよ」
ってね。嬉しかった。嬉しくて声を出して泣いたんだ。

病気が原因で、家に居てもほとんど何も出来ない君に代わって、
毎日僕が家事をしてあげた。仕事しながらだったから、会社で
嫌な事があった日は、機嫌が悪くて、舌打ちとか溜息とかして
しまって、君の方が嫌だったろう?
病気の君に、今までいっぱい酷い事を言ったりしてきた。
ごめんなさい。本当に許して欲しい。

君の日記を見つけたんだけど、辛すぎて全部は読めない。
君の部屋の荷物とか、身の回りの物も、全然手を付けられない
んだ。いつになったら思い出に変わるんだろう。
いや、思い出に変わることなんか可能なのだろうか。

自殺した人間の魂は、うかばれる事は無く、彷徨い続けるって
よく聞くけど、君も今、そうなのかい?
今、どんな気持ちで、何処に居るんですか?
もう苦しむ必要は無いんだよ。
もう何も考えなくていいんだよ。
もう誰にも会わなくていいんだよ。
もう誰にも気を遣わなくていいんだ。

今までさんざん悲しんで、苦しんで、苦悩して生きてきたんだ
から、もう今は無の状態でリラックスして下さい。

そして、僕の声が少しでも聞こえているなら、僕に分かるように、
何か答えて欲しいんだ。

寂しくて辛くて、毎日泣いてるけど、いつか必ず悲しみを
乗り越えて、君の分までしっかり生きて行けると信じて、
前を向いて歩いて行くから、君も早く明るい場所を見つけて
行くべき所へ行って下さい。そして、来世でもう一度、僕と
結婚して下さい。
ずっと愛してます。さようなら。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の洋子へ(枚方より愛を込めて)

 今年の夏は異常な暑さですが、何とかかすかな気力で乗り越え
られそうです。

 あなたが卵巣がんと診断されたのは05'8月。ステージ3〜4、
余命は半年、長くて一年と宣告されましたよね。病巣を取り除き、
抗がん剤の種類を変えること4回、どれも効果はなく、副作用で
体はボロボロ。そのうちに腹水が溜まりはじめ、対処療法をして
頂きながら残る時間を好きだった近場の温泉や海の見えるホテル
などに泊まり、思い出づくりをしましたね。

 早いものであなたが旅立ってもう三年。日々の暮らしでは
いつもあなたを感じながら何とかやっています。けれど、独りで
居ることが未だ理解出来ない時があります。元気だった頃に
交わした会話とかドライブの時にはしゃいだ君の声が頭の中を
よぎる時、懐かしさと悲しみで止め処なく涙があふれ出ます。

 その後どうお過ごしですか?きっと貴女の事だから身寄りの
ない人や、大好きだったおじいちゃんやおばあちゃん、先に
逝った友達らと楽しく語らっているのだろうと想像しています。
 
 秋にはあなたの故郷高千穂へ帰ろうね。いつも出かけるときは
君の免許証をお守りにしています。それからマユミが11月に出産
しますよ。あなたにとって三人目の孫だね。娘が傍にいてくれて
嬉しいけれど、貴女の姿が見えない暮らしは寂しいものです。
これからも朝夕時を構わずあなたに語りかけるけど聞いて
下さいね、お願いします。それでは またね。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

17回忌・30歳で逝った妻

美しいままで、今も写真で笑っている君。
17年前、スキルスの胃がんで入院わずか11日で旅立った君。
30歳だったね。
病院を6件も受診し、誤診だらけで、わかったときは「末期がん」。
湯かんをした君は、生きているかのように綺麗だった。

私も31歳から、48歳になったよ。おじちゃんだ。

君が今でも好きで「再婚」は考えられずに今日まできました。
正解です。

残された3歳と1歳の息子たちも、「良い子」に育ったよ。安心
してください。今は大学2年と高校2年で、たくましくなった。

男手一つで育てたから、足りない部分は多いにあるが、その分、
「愛情」はいっぱい注いだよ。

君の分身だもの…。私たちの結晶だもの…。

17回忌がすみました。

でも、今でも君を心から愛してる。寂しいよ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ママへ

ママ今あなたは何処におるん?
ママの姿を見ん様になって2ヶ月が過ぎました。まだママが
「ただいま〜」って帰ってくると信じてる。

ママが心の病にむしばまれて11年目やったな「なんでなん」
確かに11年は長いよな、でも病が良くなる日がきっと来ると
疑いもなくパパ頑張って来てたのに…

ママが俺に嫁いで22年最初の10年は愛し愛されって感じで
凄く心身ともに充実した生活に何の疑いもなく永遠にこの
生活が続くものだと信じてた。
だから病気になった時はとても信じられずある日突然真っ暗に
なったのが昨日の様に感じてるよ。

今あなた「ママ」を亡くして例え病気でもそばに居てくれた方が
どれだけ癒されて居たか今になって痛いくらい感じてるよ。
介護してた11年間の中で「何でこんなに苦しまなあかんの」とか
正直感じてた事もあり今凄く後悔してる。あの頃今の結末が来る
のに気ずいてたらもっともっと大事にしてやる事が出来たのにっ
て毎日自分を責めやりきれなく長い1日が終わるのを待ってる。

そんなパパの苦しみをあなた「ママ」は気ずいていたのかな?
だから「パパもう楽になってね」って終止符を打ったのかな?
だったらママ大変な間違えやで…いつもママが居たこの部屋、
でも今は俺だけ…笑い声、怒り声、物音すら聞こえない…



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

幼馴染のスーちゃん

 再び桜が散った今、もう直ぐ3回忌です。もう用意も済みまし
た。あなたと造った花壇にも綺麗な花を一杯植えました。納骨の
用意も終わりました。みんなあなたを想って来てくれるそうです。
何とあなたの影響の強い事か・・・

 大事に拝んでいた骨壷も、開放してやろうと思って意を決しま
した。あなたの故郷の地に埋める事にしました。若い時のあなた
は、年とっておばさんになった時よりも、まだまだ奔放で私に絡
まってくれました。今はその想い出と写真と骨壷だけですが、そ
のひとつを開放してやろうと思うようになったのは私の進歩だと
思わないかい!

 あなたを忘れやしない!けど今まだ私は生きているしいろんな
悩みもあるから、少しだけ荷を降ろしたくなったのかもしれない。
もちろんスーちゃんを離したりはしないけど、充分にわたしの内
で居場所を見つけてるから安心してるはずだね。

 ゆっくり一緒に過ごそうね、梅酒でまた絡まってくれてもいい
よ。私も飲んでおんなじことを何度も言って絡むんだから。あな
たの絡み方はとっても上品で、いやみがなく、最後には私の膝で
寝ちゃうんだよね。

 先日、あなたの大好きだった姪っ子も結婚しました。いい感じ
でした。あなたのもっと好きな、笑顔の絶えない子供を直ぐ創る
でしょう。あなたには一番初めに見せるでしょうね。でも、あな
たはもっと欲しい物があるんだよね。
スーちゃんとわたし達、わが子の子供・・・きっとかわいいよ。
笑いじわばっかりの美人だよきっと。

 桜が変わりました。急逝した年の桜と昨年の桜と、今年の桜。
全部違います。ゴルフをしたりソフトボールをしたり、飲んだり
これだけの仲間が変えてくれたんですね。
心から感謝しているのですが、変わっても、かわっても・・・・・
もいちどのみたいいっしょに!



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する妻 陽子さんへ

お母さんの一周忌終わりました。
お母さんの友達も来てくれました。

子供たちも日に日に元気になっています。
お父さんは相変わらず淋しく暮らしています。
子供たちの帰りが遅いので一人の時間が長いです。

お母さんはいつもこれから二人の時間が多くなるので
お父さんはお母さんを大事にしないとダメなんだよと
言ってましたがまさか一人になるとは思わなかったよ。

でもいつもお母さんがいる時とすべて変わっていないよ。
ただお母さんがいないだけ。
不思議だけどまだお母さんがいるような感じがします。

お母さん・・陽子さん・・
今でも愛しているよ。
まだお父さんの側にいてくれよ。
いつまでも俺のそばにいてくれよ。
雰囲気だけでいいから。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の君へ

晴ちゃんへ。君は突然旅立ってしまったね。いつも体の調子が
悪いと言っていたけど、まさかこんなに早く逝ってしまうとは。

あの日、「熱いよ」といって眠りについたきり、もう二度と話す
ことはなくなってしまったね。朝、呼びかけても起きない君を
必死で病院に運んだよ。でも、それから1日で旅立ってしまった
ね。
本当に悲しかった。苦しかった。情けなかった。寂しかったよ。

でも、晴ちゃんはつらくなかったかな。今は、もう体調が悪いと
悩むこともなく、ゆっくりできているね。もう大丈夫。これから
もずっと僕が守っていくからね。
いつも君はやさしかったね。そしていつも笑顔で話してくれた。
それが、どんなに僕の心をあたたかくしてくれたか。

ありがとう。本当にありがとう。寂しいけど、君と出会わない
人生の方が寂しいから、これでよしとするよ。

僕の魂は君が旅立った日、一緒に旅立ったと思っているよ。
だから、ずっと一緒だよ。

でも、あと少し、こちらで、思いっきり生きてくよ。今度は、
僕の体に晴ちゃんも一緒に入って二人で人生を楽しむんだよ。

僕の体は一人のものじゃないよ。だから大切にして一生懸命
生きるよ。
一緒に頑張っていこう。そしてありがとう。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

100の言葉に感謝

 妻が死んで、8ケ月たった。すい臓がんだった。告知されたの
は平成19年3月。死亡したのは平成21年5月。
 その間、妻は不治の病と闘う目標を「2年間は生きる」と掲げ
た。理由は、私の定年退職が2年後だからである。

 5年間の生存率が10%未満で、しかも妻の場合は末期。医師
は、余命1年から1年半と予想した。
 治る見込みはないものの、生きれるだけ生きたい、だから、ど
んなつらい治療にも耐えて見せる。そう決意して闘病生活を送っ
ている妻には、正直頭が下がった。

 私は、できるだけのサポートはした。しかし、いつ妻が息を引
き取るかわからないという不安は、私の心をうつ状態にした。眠
れない夜が続いた。腹に大きな穴が開き、その中を風が吹き抜け
るような空虚感・・・。

 そんな中、出会ったのが「100の言葉」。
 まだ妻は生きているのだが、この文章を読みながら、私自身の
心の平安を感じた。もうすぐ妻は死ぬのだ。しかたないのだ。自
分はどうしたらよいのか。なにしたらだめなのか。

 ノートに書き写しながら考えた。何度も何度も書き写した。何
十枚も。
 妻は、自分が死んだら夫である私が自立した生活がやっていけ
るか非常に心配していた。日ごろ、家事などは全部妻にまかせっ
きりだった私は、正直いってなにもできない。

 まず、自分の生活を自立したものにしようと決意し実行していっ
た。100の言葉にはげまされた結果である。
 煮物を作って病院まで届け、味見してもらった。だんだん家事
がすきになっていった。退院した時は、洗濯物のたたみ方や、季
節ごとの衣類の収納場所の確認、庭の手入れの方法、かんたんな
料理のてほどきなど、妻から習うことは山ほどあった。

 まだまだ、妻には及ばない。あともう少しは習いたいと思って
いた、平成21年4月3日、8回目の入院が決まった。「もう最
後になるかもしれない。家に帰れないかもしれない。」という言
葉を残しながら妻はじっと私を見つめた。

 今、私はなんとか平安に生活している。さすがに第2の就職は
できずにいる。日常生活をきちんとやっていくので精一杯で、お
金をもらう仕事にはつけそうもない。
 毎朝、仏壇に健康な私の姿を見せるのが仕事である。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

自分の命より大切な洋子ちゃんへ

洋子ちゃん、僕の命より大切な洋子ちゃん、あなたが逝って
9ヶ月になりますね。

病気 本当に辛かったことでしょう。最後にきっと僕の名を
呼んで助けを求めたんだろうね。ごめんね。

幸せにしてあげられたかな?それを思うとただただ涙がこぼれ
ます。たった一つ、僕が残って君を送り出し、君をこの世に
一人で置いていかなかったことだけが、僕の最後の奥さん孝行
です。

あと10年、20年、30年後に僕が死ぬ時が来たら、どうか
『のぶ、よく頑張ったね。偉いよ』と言って迎えにきてね。
そしてまた洋子ちゃんに抱きついちゃうから。その日を楽しみ
に頑張るから、あとほんのチョッピリ僕を待っててね。

                 僕の洋子ちゃんへ



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

今日という日に

君が遺していった日記を開いてみました。

でも全部を読み返すことはできなくて、まだ時間が要るようです。

君は先に逝ってしまったから、君の気持ちを疑った時もあったの
です。

でも、日記に在るのは 私へのありがとうの詞ばかり。

何もできず、何もなさずの私が、それでも愛されていたのだと
思うと本当にうれしくなりました。
君は姿こそありませんが、今でも私をこんなに穏やかにさせて
くれるのです。

それなのに、私は相変わらず詫びてばかりですね。
君だって ありがとう と言ってもらったほうがずっとうれしい
よね。


こんなことに気が付くまで五年もかかりました。


いつも愛してくれてありがとう

いつも気付きをくれてありがとう

大切な思い出をありがとう

そして、これからもよろしくね。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛するタカちゃんへ

突然逝ってしまったタカちゃん。

毎日のように亡くなったお母さんに「会いたい。会いたい。」っ
て言っていたね。

いつもお母さんがご飯を作ってくれる夢を見て、
食べる直前に目が覚めてしまうって泣いてたね。

もうお母さんに会えて、お腹いっぱいご飯を食べられたかな?

京都の鈴虫寺に「願いが叶うお札を返しにいかないといけないの」っ
て言っていたね。

「どんなお願いしたの?」って聞いたら
「もう願いは叶ったから教えない」って恥かしそうにしてたけど、
僕にはなんのお願いか分かっていたよ。

もっと優しくすればよかった・・・
もっと大切にすればよかった・・・
もっと口にだして「愛してる」って言えばよかった・・・
もっともっと・・・

後悔ばかりで、泣いてばかりだけど、
あなたなら「男でしょ。クヨクヨしないの!」って言うと思うから
もう泣かないね。

これから前を向いて生きていきます。

あなたの好きな「esq」のコンサートにもかかさずいくね。
ファンクラブの会員b烽サのままにしておくからね。

あなたが好きだった「失った日々」毎日聴いてるよ。
悲しい歌だけど、エンドレスで聴いてます。

それと平井堅さんの「君の好きなとこ」もヘタだけど、カラオケで
何回も何回も歌ってるよ。

タカちゃんは歌が上手かったから笑ってるだろうね。

いつまでも僕の心の中にタカちゃんはいるから、
寂しくないよ。

大丈夫だよ。

だから、未来に向かって進んでいくね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ソウルメイトIII

…又この季節が来ました。

…キンモクセイ薫るこの時期。

…あの頃の事が鮮明によみがえります。

3年前の今頃…
肺に転移した病魔に呼吸を支配され…
入院した妻はそのまま僕達家族を残して…

レクイエムへの投稿はこれで3度目。
愛妻を亡くした同じ境遇の人を探してこのサイト
『奥様を亡くした人の文集』に辿り着き
何故か少し癒され、こうして彼女の命日が近付くと
胸の内を明かす事により自分を慰めています。

悲しみが癒えるまで。
想い出に変るまで。

…投稿された皆様やサイト管理者様に感謝します。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

本当にありがとう

祐子へ

3年前に胃がんで胃を全摘して、最初の頃は食事をすると
しばらく横にならないと辛くて、大変だったよね。慣れて来ると
普通に食事ができる様になり、好きなテニスもできる様になり、
もう大丈夫かなって思ってた。


去年、お腹が張るって言い出して、転移が見つかってからは
抗がん剤や放射線治療で本当に辛かったよね。髪の毛もまつ毛も
抜けて行くんだもん、大変だったよね。
血液検査の度に腫瘍マーカーの値が上がって行き、折れそうに
なる気持ちをなんとか堪え、前向きに頑張っていたよね。

約1年そんな辛い日々を本当によく頑張って耐え抜いたよ。
俺だったら半年も頑張れなかったと思う。

今となっては、もっと身体をさすってあげれば良かった。
背中をもんであげれば良かった。むくんだ足をマッサージ
してあげれば良かった。もっともっと抱きしめてあげれば
良かったって思う。


最後に入院した時、二人きりで病院で過ごした夜に水が飲み
たいって言って、何回か水を飲ませてあげた事。
抗がん剤で味覚が少しおかしくなっていて、甘い物がいいって
言ってポカリスウェットをあげたらおいしいって言って
くれた事。明け方に、また水を飲ませてあげた事。
すべて鮮明に記憶に残っています。二人きりの大切な時間
だったから。

亡くなる日の午前中に諒くんが塾に行く前に寄ってくれて、
自分の意識がはっきりしなくてわからなくなってたのに、
諒くんって何回か呼んでくれたね。その後、お姉さん夫婦が
来てくれた時には、ろれつが廻らなくて御免ねってやけに
はっきりとした意識で言ってたね。
お姉さんに諒くんは?って聞かれて、諒くんは塾って得意げ
に答えてたね。よっぽどうれしかったのかな。

午後になって容態が急変して、最後っていう時にちゃんと
ありがとうって言えなかった。泣いた姿を見せたら、祐子が
悲しむかと思って最後まで泣くのを我慢してた。

祐子が旅立った時に、本当にありがとうって言ったけど、
ちゃんと届いたかな?
生きている内にちゃんと言った方が良かったのかな・・・。


これからは、まず諒くんを立派な大人にする事と、
お義母さんが寿命をまっとうできる事と、
自分の残りの人生を祐子の分まで2人分生きて行く事。

高いところから見ていてね。

祐子、本当にありがとう。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

天国の由紀へ

君と初めて出会って何年,いや何十年なのか?
中学の同級であり大学の同級なのに付き合いはなかったね。
社会人になり久しぶりに逢い’遊びに行こう!’から始まった
君との人生。結婚をして、子供にも恵まれ苦しいながらも
二人働いて頑張ったね。子供達も大きくなりもう少しで
手が離れるとの矢先に君に病魔が襲ってきたね。

もっともっと二人で行きたい所があったのに
もっともっと二人で楽しむはずだったのに

半年間と言う命のスパンの中、後悔しない様にと行動しても
もがき苦しみ一喜一憂した日々だけが思い出されるのはなぜ?
お見舞いに来る人来る人にありがとうを言ってまるで悟りを
開いているみたいに。2回目の痙攣が起きた時薬を打とうと
しても君は断り最後の言葉は”頑張る”だったね。

子供達にも君の最後の生き様を見せたね。
そんなに頑張んなくていいのに、
もっとわがまま言って良いのに。

君が言った言葉”死は怖くないと言えば嘘になるけどでも
今はぜんぜん怖くないよ。だって良い家族に恵まれ、
良い友達に恵まれ幸せだったし”

そんな言葉を残し一人だけ行くのは辛すぎる。
もう少し、もう少し思い出の中に居させて下さい。
立ち直るから
もう少しもう少し泣かせて下さい。
元気になるから。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛する妻 陽子さん

4月13日に元気な姿で手術室へ行った、しかし翌日病院から
呼び出されて行った時には息絶えたあなたの姿・・・

医師から死亡宣告をされ泣き崩れてしまい只流されるまま今に
至りました。まもなく四十九日が来ます。

医師の呼び出しがもっと早い時間だったらあなたを失うことは
ないことを知り病院に憤りを感じあなたとの思い出に涙を流し
ながら霊前に語っています。

結婚して30年目、52歳という若さ、そしていつでも明るく
老けない、あどけない顔、振る舞いが長く愛し続けてこれたと
思う。

家族が大好きなあなた、いつも私の健康に気を使ってくれたあ
なた、ただそばににいてくれるだけで私は幸せでした。そして
いつでもあなたのことが大好きでした。

毎日あなたの夢を見ますもう夢でしか会えないのが悲しいです。
出来ることならもう一度あなたに会いたいそう思って日々生活
しています。

大好きな妻 陽子さん また会いたい・・・・・・
もっとそばにいて欲しい。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

幼馴染のスーちゃんへ

桜が散った後の5月、やっと一周忌が終わりました。
子供が大好きで、私を子供としても可愛がってくれたあなたは
こどもの日に逝きました。

自分ではわからずに、呼吸が辛いだけで”もう機械をつけて”
とあんなに嫌いだった最後の言葉を言ってお別れでした。
子供達や私の見守る中で意識がなくなりました。

幼馴染でずーっと手を繋ぎながら生きてきた二人でしたが、
入院してからは最後まで”ありがとう”とは言えませんでした。
意識のある時に、最後に今までよりも何倍も気持ちを込めて
言いたかった!
病気のため、これが最後・これが最後と言いながら世界中を
駆け巡りました。晩御飯の用意も手を繋いで買い物をしていて、
いっつも新婚気分でした。貴方と来ると余計なものを買うから
と笑顔で睨みながらも手は離しませんでた。
何度でも伝えたい!楽しかった日々を心からありがとうと。

あの時まで精一杯してあげられて私は悔いはありませんが
夢にも出てこないあなたが本当にいとおしい。

この一年何箱のティッシュを濡らしたか・・でも今はもう
思い出と割り切れるようになりました。あなたが誰にも負けない
あの素晴らしい笑顔で、私の心の中を消えることなく照らし
続けてくれているからです。

あなたと私の子供達も立派に生きているし、私も負けずに
元気に生きて行きます。
あなたや子供達のような素敵な笑顔が出来るようになるのが
私の生きて行くターゲットです。

大好きだったバラの花は何時も飾ってあげようねスーちゃん。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ちーチャンへ

 私が、ゴールデンウィーク(2009年)は、久し振りに休めると
言ったら、「北海道の余市へお母さんのお見舞いに行く」と心
に決めたのは、4月の上旬でしたね。

 それから、腰や背中の痛みをこらえながらの日々を過ごし頑
張りましたね。

 痛みがどうしても耐え切れなくなり、4月27日に入院して
から、毎日が辛く永かったでしょうね。

 痛みを代わってあげることが出来なくて、ごめんなさい。

 GW期間中、毎日病室で一緒に食べたご飯とおにぎり美味し
かったよ。私の作った味噌汁とご飯はどうでしたか?フルーツ
は、余市のふるさとの味がしましたか?

 5月6日お昼に先生から危篤の電話があり、病院へ駆けつけ
てから夕方までの時間はほんとうに早かったよ。

 私の手を握りしめたまま他界したちーチャン、喧嘩もしたけ
ど19年間の想い出を本当にありがとう!

 この次は、もっと丈夫な身体で生まれてきてください。

 ありがとう、そして愛してました。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

有加さんへ

あれから3年と少し。月日がたつのは早い。
でもこころはいつまでたっても晴れない。
気力も沈むばかり。
有加さんはどうしてるんかな。。

一人は寂しいね。人生の道を変えるのは難しいね。
毎日ため息ばかり。。どうしようもないよ〜。
どうしたらいいんだろうね?
教えて。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛するユカへ

51回目の誕生日に入院するなんてね。でも、病室が綺麗
になっていて良かったね。

ここ何年も誕生プレゼントなんて贈っていなかったね。こ
れが最後のプレゼントになるなんて、3ヶ月前には夢にも
思っていなかった。でも、医者が言ったように余命2ヶ月
は動かしようのない運命だったんだね。必死になって運命
の歯車を止めようとしたけれど駄目だった。

今思い出すのは車椅子のユカの姿、ベッドでお休みの挨拶
をしたユカの声。もっと、いろんな話をすれば良かった。
でも、それは最後のお別れを意味しているようで、「早く
元気になって」というのが精一杯だった。

結婚して10年はあんなに仲が良かったのに。いつの間に
か冷めてしまって、それもこれもオレのせい。ゴメンネ、
ユカ。オレがもっと広い心でユカを受け入れていたら・・
もっと、ユカを力いっぱい愛していたら・・・、もっと良
い夫婦になれたのにね。でも。入院してからは、お互いに
新婚の時の気持ちに戻れたと心から感じていたよ。

ユカがあんなに家に取りに帰りたかった結婚指輪。やっと
指に嵌めて安心してそれで逝ってしまったのかい。
大事な指輪。オレはこれを心の支えにして生きていくよ。
ユカ ゴメンネ。 ありがとう。
                                    ヒロ



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

今日という日に


今日という日に、今の気持ちを整理してみたいとおもったよ。

4年の間、一番うれしいことは、君を変わらず愛せていること…

つらいこと…やっぱり君を変わらず愛していること。

うれしいことも、つらいことも、君と私をつなぐ大事な糸
だから、とても大切に思っています。

君は私の人生の歴史の大きな一部で、私も、君にとって
そうであったと胸を張りたいのです。

もういいだろうと言う人もいます。
話題にもしない人もいます。
私を怨む人もいるでしょう。
君を過去に追いやる人もいるでしょう。

どうか…
気が済むまで精一杯愛せ と言ってほしい。
今日ぐらい、君のことを誰かに聞いてほしい。

君が身を持って与えてくれたこの痛みから、何か気づきを
得なければならないと切に思っています。

4年間、君に詫びてばかりいました。
もう一度、君に愛される人になりたい。

だから、最後のごめんにします。

ごめんね、君を手本に、本当の優しさを学びました。

どうか、これからも、変わらず愛することは許してください。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ソウルメイトII

ソウルメイトII

尚美・・・・。
君のいない「19回目の結婚記念日」を子供たちと祝ったよ。

俺は又ひとつ歳をとった。
でも俺の中の君はあの日から歳をとらない。

・・・熱い恋愛時代の4年間・・・人生のパートナーとしての
17年間・・・。
今でも様々な場面での君が俺に逢いに来てくれる・・・時には
夢の中、時には空想の中。

初めて出会った日・・・初めてのキス・・・初めて結ばれた日
・・・
親になった日・・・子供の入学式、卒業式・・・。二人で一緒
に経験してきたね。
これからも一緒に歳をとりたかった。

時々、君が生まれた頃からのアルバムに目を通している。
改めて君の全てをむさぼり集めているんだ。

こんなに想っているのに会えないなんて。
どうしようもない寂しさに包まれ、途方に暮れる時がある。

喧嘩をしたあの日。冷たくしたあの日。
もっと「ああしてやりたかった」「こうしておけば」・・・想
い返しては胸が詰まる。

君の好きなものが目に付くと、つい買って帰る。
お花や、食べ物、飲み物・・・今更遅い。それらはお供え物に
しかならない。
なぜ生きてた頃にもっとしてやらなかった。

あれから2年。・・・もうすぐ三回忌を迎える。
毎年・・・君の誕生日じゃなく、年忌を迎える事が悔しい。

今年も「ピンクリボンウォーキング」歩いてみるよ。君が歩い
た道を。

・・・時は俺の心を癒してくれるのだろうか?・・・

約束したよね・・・「来世は、最後まで添い遂げよう」
・・・その約束を頼りに・・・



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛するけいへ

けい、お前が居なくなり五年が経とうとしています、スキルス胃
がんで余命三か月といわれ、お前にはただの胃癌だから治るよと
・・・、今でもこれで良かったのかは、分かりません、お前につ
いた一世一代の嘘、きずいていたかな?

でも、みんなのお陰で二年と四か月がんばりましたね。お前は胃
の全摘手術から週一の抗がん剤の点滴、食べ物の制限、抗がん剤
の副作用、最後の二か月の入院の時の食事が全然できない苦しさ、
いつも笑顔で、ごめんねって言って、周りの人のことを最後まで
気使って、なんでこんな天使みたいな人が・・・、神も仏もある
ものかと思いました。

最後にこん睡状態になった時、覚えてる、また、結婚式して、新
婚旅行行こうねって、耳元で囁いたら、涙流して喜んでくれたね、
だから再婚はできないんだよね、二回もけいと結婚したんだから、
けいはいつまでも俺の嫁さんだから、最後に子供達も元気です。
みーも今年20歳になるよ、病気も大丈夫みたいです。

俺があの世に行ったら、必ず見つけてね、また会える日を楽しみ
に生きていきます。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛しい君へ

君が居なくなってから早いもので半年以上経ちました。出会いは
自分が好きになって告白をして、やっと振り向いてもらって、そ
の後は毎日ずっと一緒にいたね。色々な事を話をして、お互いを
大切に思って、二人で一緒に居るのが本当に自然に思えて全然嫌
じゃなかった。運命でめぐり合った二人だねって話をしたことも
あったね。

出合って2年後に結婚をして6年が経った。その間に本当に色々あっ
て二人で泣いたり笑ったり忙しかったね。その都度二人のお互い
を想う気持ちを確かめ合って・・・よく君は「自分の方が絶対あ
なたを好き、居なくなったことを想像するだけで泣いちゃう」と
言って本当に泣いていたね。そんな君を見ながら、自分は言葉に
は出来なかったけれど、自分の方が君を好きだよと微笑みながら
思っていた。

8年間、良いことも悪いことも全部含めて、今までの自分の人生
の中で最高に幸せだった。本当に大切な物は失って初めて本当に
大切だったんだと分かるんだね。もっと気持ちを口にだして伝え
てあげれば良かった。もっとあの時優しくしてあげれば良かった。
もっと、もっと・・・今では後悔だけが残ります。

今年の正月には元気だった君。頭痛を訴えて病院に行き入院して、
そのまま自分の足では出て来れなかった。突然に意識が無くなっ
たから、前の日に病室で話をしたのが最後になったね。「明日も
来るからね」と言って家に帰った。その日の夜に、突然君がいな
くなるのが怖くなって夜中にメールをして、いつもは照れくさく
て言えなかったけど、「君は僕の宝物だから早く元気になってね」
と書いて、君は「元気になるね」と返事をくれた。そのメールの
入った携帯は二つ合わせて沖縄で二人で買ったカゴの中に入って
るよ。

君とお別れの時、自分を残して逝ってしまう君が悲しくて泣いて
いるお父さんとお母さんの後ろから目を開けたまま涙が止まらな
かった。なぜかまばたきが出来なかった。死に顔が笑っているよ
うに見えるって最後に立ち会った人は言っていたけど、その後に
二人だけにしてもらって君にキスをした。その時に顔を見たら泣
いてるように見えたよ。

あれから半年経つけど毎日君を考える。やっぱり悲しいし辛くて
写真を抱きしめて泣いてた。反対に考えないように写真を押入れ
にしまったり、仏壇に手を合わせなかったりした。寂しくて辛く
て、君じゃない他の人に癒してもらおうともした。今もそうだけ
ど自分が混乱しているのが分かる。

だけどね、冷静になって考える時に、胸の奥に今でも君を好きで
好きでしょうがない自分がいる。この世の中で一番大切で守りた
かった君。自分の事を本当に愛してくれた君。いつも踊って笑っ
ていた君。一番大切な物を無くしてしまったけれど、君はこれか
らもずっと自分の中にいる。これからも悲しさはあるだろうけど、
できるだけ悲しまないようにするね。

魂ってあるって思える。二人は一つの魂でやっと一緒になれたと
感じてた。今でもそう信じてる。目の前から姿は無くなってしまっ
て悲しくてどうしようもないけど、君を胸の奥に感じることはで
きるから、これからも一緒にいよう。一緒にずっと生きて行こう
ね。笑うかもしれないけど、自分の夢は、自分が最後の時に、君
が横にいてくれて、最後に手を握って「ありがとう」と言う事だっ
たんだよ。へそくりも全部君に渡して、今後のことは心配しなく
ても良い状況にして、安心した気持ちで最後に笑いたかった。君
がいてくれたお陰で人生がすばらしくなったことを伝えたかった
・・・その夢は叶わなくなったけど、今でも充分に君がいてくれ
たお陰ですばらしい人生だと思えるよ。愛しい君へ・・・本当に
ありがとう。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

会いたい・・・

結婚して2年。わずか26歳でこの世を去ったお前。
韓国から俺だけを信じてついて来てくれたお前に
おれはどれだけのことをしてやれただろう。

今思うのは、お前が俺と結婚して幸せだったのか、後悔してない
のかということ。結局俺はお前を守ってやれなかった。もう少し
早く病院へ行っていればこんなことにはならなかったかもしれな
いのに・・・ごめんね。

もうすぐお前がいなくなって4ヶ月がたつけど、まだまだ辛いな・
・・お前に会いたくてたまらない。もう一度抱きしめたい。もう
一度お前の笑顔がみたい。ミヨン、サランへ・・・



【男性、20代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

もう大丈夫だよ

2週間前にこの世を去ったあなた。
あなたの体をむしばんだ病は、最期には僕の事さえもわからなく
させてしまったね。
そのことがあなたがいなくなった事よりも悲しかったよ・・・。

そして自分の人生の幕を自分で下ろしてしまったあなた。
病院で再会したときのあなたの微笑みさえ浮かべているような穏
やかな寝顔が未だに忘れられません。
辛かったんだね、苦しかったんだね。
ずっとずっと見えない敵と戦い続け、文字通り身も心もボロボロ
になって。
でももう大丈夫だよ。もう何も恐れることはないし、周りを気に
することもないよ。自分のことだけを考えてればいいからさ。

あなたはよく言っていたね。「私はみんなに嫌われているんだ」
と。
僕がどれだけ”それは勘違いだよ”って言っても分かってもらえ
なかったけど。
でもそれが間違いだってやっと分かったでしょ?
あれだけたくさんの人があなたの事を思って涙を流していたんだ
から。
みんなあなたのことを愛していたんだよ。
天国で後悔しているんでしょう?

2歳になったばかりの子供は僕が精一杯の愛情を注いで、立派な
大人に育てるから心配しないで。
そしてもしも年下の恋人ができたら僕はこう思うよ。
「生まれ変わってこの子に会いに来てくれたんだね」って。
待っているから。ずっとずっと待っているから。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ソウルメイト

尚美・・・・。
もう長い間、顔も見ていない。
声も聞いていない。
抱きしめてもいない。
会いたい。
お前の笑顔で頭が一杯。
会いたい。
今更ながら惚れ直し、恋に落ちてしまった。
付き合いだした頃と同じ、無性に会いたい。
会いたい。
お前が死期を悟った時、二人で話したね。
「俺と結婚して良かったか?」
『うん』
「又結婚してくれるか?」
『うん』
「見つけられるかな?」
『大丈夫』
涙一杯で沢山話せなかったね。
もうすぐ納骨と一周期。
子供たち3人と明るく暮らしているよ。
いつの日か、俺の最後が近づいたら迎えに来てくれよ。
その時に会えるのが楽しみ。死後の世界ってどんなだろう?
前世では俺が先に、今世はお前が先に・・・。
来世は、最後まで添い遂げようね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

まぁこ へ

まぁこが旅立って今日でちょうど一年です。
苦しい闘病生活から解放され、今はもう苦しんでないよねぇ!?
それだけでも聞くことができればちょっとは安心できるのに・・・

今日久しぶりによく一緒に遊びに行っていた六アイに行ってきた
よ!  君の事を思いだして届きはしないメールを送りました。 
読んでくれたかな・・・  優しい君のことだから今の俺のどう
しようもなく寂しい気持ち、きっと解って天国で微笑んでくれて
いるよねぇ?

君を亡くしてから今日で一年経ったけど、なんかただ生きている
だけのような毎日でした。
天国の君を悲しませない様に生きて行こうと思うのですが、なか
なか立ち直れない俺が歯がゆいです。。
日が経つにつれ、君の顔や声や仕草を思い出すのに時間が前より
かかっている自分に気付かされると寂しさが増してきます。 人
間だから仕方ないと思うのですが・・・

この一年を区切りにもっと強く生きていけるように誓う為にこの
サイトに書き込みをしてるんやけど・・・ 又寂しさがこみ上げ
てきたわ。

色々書いたけど、ごめんな!! これって俺の勝手な気持ちなだ
けで君への言葉にはなってないみたいやなぁ!!
このサイトを読ましてもらって、愛する人を亡くして辛い思いを
している人はたくさんいる訳で、後ろ向きに生きていっても良い
ことなんて何も無いもんなぁ!!

君がいなくなって本当に君の大きさに気付かされ、愛おしさも増
すばかりですがこれからは自分の人生を全うして君に堂々と会え
るように頑張ってみるわ!!
俺みたいなやつを好きになってくれてありがとう。 俺も絶対君
を忘れへんからなぁ
天国で会った時には飲めなかった酒を練習しとくんで飲み明かそ
うぜ!!



【男性】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

子供たちによろしく

辛いけど良かったねおめでとう。

長男を突然の出来事にて亡くし打ちひしがれていた時、下の子が
いるじゃない!って貴女は頑張ったね。

でも世の中にこんな仕打ちがあるかのように彼も又お兄ちゃんの
所へ逝ってしまいました。

それからの貴女は生きる気力も無くし「あぁ〜今日も生きてしまっ
ている。又目を覚ましてしまっている。もうこのまま逝ってしま
えたら・・会えるのに」・・そう本当にそうなってしまいました
ね。

私が帰って来た時眠っているばかりと思っていました。本当に
貴女は寝顔のまま綺麗なまま子供たちの所へ逝ってしまいました
ね。

・・おめでとう!本当に幸せですね。毎日子供たちといられて
幸せですね。私も早く会いたいです・・でも今はじゃまですね。

愛しい人・優しい人・いつまでも愛しています。
「貴女がおばあちゃんになっても抱きしめるよ」って言った約束
が果たせなくなりましたが・・

いつまでも愛してるよ。元気でね。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

三奈ちゃんへ

三奈ちゃんへ

三奈ちゃんと連絡を取り合った時の最後の言葉が
今でも耳に残って辛い日々を過ごしているよ。
そして、なぜ、亡くなる直前の電話を受けた時
仕事を優先してしまったのか、
直ぐに自宅に帰ってあげられなかったのか
本当に後悔して、後悔してもしきれないほど悔しい
気持ちで一杯でいます。やっぱり僕が見捨ててしまった
のかな?
心の病気になってから8年間、2人ともがんばったよね
一生薬を飲み続けなければならない事や、病院へ通う事
もつらかったけど、最近は、エステやメイク講座、そして
コンサートや旅行へ2人で出かけたりして楽しいことも
あったよね。
もう、週末に外食を一緒に楽しめないのは
本当に寂しいし、もう2度と会えないと思うと
胸をしめつけられるようで、苦しいよ。
もう、亡くなってから2週間が過ぎたんだね。
とても長く感じています。辛い気持ちはまだ続きそうだ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

亡き愛する妻へ

和恵、39歳で逝ってしまったね、癌を発病して約3年だったね。
苦しいとか辛いとか、愚痴をこぼさずに、本当によくがんばった
ね。
結婚して7年8ヶ月本当に楽しかったし、4歳年上だっただけに、
いろいろ教えてもらいました。

葬儀が終わって1週間ぐらいは、放心状態だったけど、君が残して
くれた、とっておきの2人の子供のために、やらなければならない
という勇気がわいてきました。

子供たちは、俺が命をかけて守り育てるから安心してくれよ。

最後に、試練そのものが不幸じゃなく、逆境に負けてしまう自分自
身の弱い生命が不幸!
この俺の師匠の言葉を生涯忘れないように、生き抜くから、俺が臨
終を迎えた時、一言「パパ ご苦労さん。」と言ってくれよな。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

有加さんへ

有加さん。
もう一年と2ヶ月ですね。
有加さんがこの世を去ってから。
どうしてるのだろうね。

僕は,まあなんとか,頑張っているよ。時には,まだ涙することも
あるけど。。
たまには,夢に出てきてくれ。
久しぶりに,有加さんが書いた自作文を読んだよ。
『がんばれ,有加』の言葉が印象的だったよ。
がんばらな,いかんな!
応援頼むよ。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

最後誕生日・・・・!

先日妻が天国へと旅立ちました。45歳の若さでした。
妻の癌が見つかって7年その間に入退院を12回程しました
妻との夫婦生活も7年です

思えば私たち夫婦の歴史は癌との闘いでもありました、私の
誕生日の数日前に入院して誕生日の日は外泊許可をもらい
二人でささやかに祝おうと話してて、少し体調が優れなくなり
今度は病室で静かに祝おうと話してたのに、誕生日の2日前に
急変して私は妻の手を思いっきり握り何度も々も妻の名前を
呼びましたが、答えてくれずに、私を1人置いて旅立ちました。

今は妻の遺影に話し掛ける毎日でまだ、本当に妻が居なくなっ
たのが信じられませんし、信じたくない心境ですが。
現実なんですね、、何とか立ち直る努力はしますが。
妻との思い出をもっと作りたかったです、
後悔の日々が当分続くと思いますが。
何とか頑張ります。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ユーラジー

中秋にしては妙な天気であった。雲間から一瞬刺すような鋭い陽
光が、森の上を掃くように走った。妻はベッドで半身を起こして、
雨かしらと呟く。私は9階の病室からぼんやりと街路を行く週末
の人の行き来を見ている。平凡な一日になるはずである。

この年3回目の入院で2週間ほど前にHCUからこの病室に移り、
病状は一進一退のように見えた。私も私の家族の誰もがまだ時間
はあると思っていた。死はまだいくらか遠いもののように思えた。

その日しかし死は突然にやってきた。妻は靭い精神を内に秘め、
愚痴も不平も言うことなく至極おっとりと病を養っていた。そし
て、何の挨拶もなく一人で逝ってしまった。凛とした精神はつい
に病に屈することなく卒然と昇天したものの様である。

彼女の死から7ヶ月、今日は彼女の65歳の誕生日である。私は
彼女の愛したレストランで遺影と一緒に食事をし、家に戻って仏
壇の前でいま”Happy Birth Day”を少し調子は
ずれに歌った。一人残された身にいったい何の望みがあるのだろ
うと訝っている。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

敏ちゃんへ

敏ちゃん、どうしてとつぜん逝ってしまったの?
今年は大好きな敏ちゃんのあこがれのマドンナ
が来日するから絶対コンサートいこうねっていってた
じゃない!わずか40才で逝くなんて・・

敏ちゃんとはいっしょになってから5年目。
いっつも寝るまえには、夢でもいっしょだよって
いってお互い寝ていたね。心の病気でも
くるしんでいたけど、けっして弱音をはかず
がんばってきたね。まだ逝って6日しかたってない
からかもしれないけれど、まだ夢をみているようだよ。

健康のためにお酒を断って、今年の9月11日の誕生日
には乾杯しよな。っていったじゃないか。

でも敏恵ちゃんのためにも俺がんばって生きるよ。
俺にもしものことがあったら、天国でウーロンハイ
で乾杯しような!



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

妻へ

50年有難う、貴方が去って3年 まだ寂しさより抜けられませ
ん、私は一人になりました、別居している子供達に迷惑をかけな
いように「老骨」に鞭打って頑張っています

子供達も忙しいのです、「自己責任」で体調管理しております、
一人になって「貴方の」存在の大きかったことを実感しています、
長い事有難う、お世話になりました

不思議な「縁」で一緒に暮らしました、二人で一人前でした
これからの「老後」をどうして暮らしたらよいのか未だに分かり
ません、モット モット大事にしてやれば良かったと後悔してい
る毎日です、こうして亡き妻と本当に話をできるのですが、モッ
ト若い方が苦しんでいるのを知りました

私など良いほうですが 寂しいです、情けない男です




【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

愛しき君へ

 愛しいせっちゃん! 貴女が居なくなってから三年になろうと
しています・・・。
 振り返れば、共に暮らした二十年の日々がまるで走馬灯のよう
です。
 泣き笑いしたり、いがみ合ったりして・・二人で生きてきたの
に、突然の「すい臓がん」の告知を受けて僅か四ヶ月のあっと言
う間の最期でしたね。

 短期間の入院生活の間に貴女に余命を告知出来ずに私の胸にし
まい込んでいたのは、とても心苦しいものでした。
 でも、貴女は悪化していく病状の中で気づいていたと思ってい
ます。
 なのに・・貴女と出会った頃のいつもの愛くるしい笑顔を絶や
さずに周りに接していましたね。本当は、身も心もさぞかし苦し
かった事と思います・・。

 ちっちゃい身体で何事にも頑張り屋で、私の我がままをいつも
暖かく受け入れてくれていましたね・・。
 何時でもどんな時でも私は貴女の「手の平」で遊んでいたのを
気づかずに有頂天になっていました。
 こんな私を許してネ。ごめんなさい。

 病室での貴女の言葉が忘れられません・・・。
 『もう一度、生まれ変わったなら・また一緒になってネ?!』
 ・・・返事の言葉が出来ずにいたのに!
 『何で?黙っているの?・・今度は、病気にならない身体で生
まれてくるから〜』・・・思わず背を向けて泣きましたよ。
 今は・・せっちゃん!貴女に届くものなら言いたい!こんな私
には、勿体無いほどの素敵で天使みたいな女性でした!!

 来世で巡り逢えることが出来たならば、今度は私が貴女に
「誠心誠意」尽くさせてくださいね!
 先に旅たたれた悔しさはありますが、また逢いましょう〜!!
      今も「最愛なる君へ」 タカより。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

 

妻が亡くなった事がどうしても受け入れられない、車を運転して
いても助手席にいつも座ってる妻がいない、どうしていないのか
が理解が出来ない。

寂しい、とにかく寂しい。こんなに寂しい事は生まれてこのかた
無かった。いつもいる人がいない、涙がいつになっても止まらな
い。
何もする気が起きない自分が壊れて行く気がする。ただ寂しさが
込み上げて来る、家にいてもただの箱の中に閉じ込められている
状態と同じ、ただ時間の過ぎ去るのをボーットして耐えているだ
け、力が抜け何もする気になれない。
日に日に強くなるこの状況、これでは最初から一人で生きていた
のがどれだけ楽かと考えてしまう。一緒に34年も生活していた
からなおさらだ。

まさか私がこのような状況になるとは思ってもいなかった。一人
でいると涙が止まらない。朝起きても挨拶する妻がいない、行っ
てらっしゃいの言葉もない、何のために仕事をするのか解らない、
このような状態では良い仕事が出来ない。今になってみると妻に
もっと色々な事をしてあげればよかったと後悔し悔やむ。



【男性、50代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

有加さんへ

天国の有加さんへ

妻が亡くなってから約2ケ月が過ぎようとしています。
結婚して
十数年間体の病気及び心の病気両方で苦しんでいました。
子供にも恵まれなかったため
結婚してから2人で共に助け合い励ましあって生きてきましたが,
妻は永遠の眠りを選択しました。

お前はなぜ死を選んだのか?僕はどうしたらよいのか?
おじいさん、おばあさんになるまで一緒に暮らすと約束したじゃ
ないか。
悔しい気持ちでいっぱいだったぞ。
有加さんは,今花がいっぱいの天国でゆっくり寝ているのかな?
それとも愛犬と一緒に走り回っているのかな?
どちらにしても,リラックスしているのだろうな。

時にはいまだ涙するときがあるが,仕事も続けているし,
食事も毎日食べているよ。
有加さんの健康メニューもできるだけ取り入れて健康には注意し
ているよ。
お酒は少し増えたが,注意します。

このホームページの100の言葉にもあったけど,
有加さんに
[愛する人を失った悲しみを味あわせずにすんでよかった]と思っ
ているよ。
ときには,夢の中に出て来てくれ,夢の中でよいからもう一度笑顔
を見せてくれ。
なんとかがんばって生きていきます。応援よろしく!

生まれ変わったらまた,また結婚しよう。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

友美へ

 君が亡くなって半年が経とうとしています。今でも死を受け入
れられない自分がいます。だってさ、朝起きると君の笑顔があっ
て、仕事から帰ってくると君の笑顔があった生活が一瞬にして消
えてしまったのだから。でもね、結婚生活2年8ヶ月で、たくさ
んの幸せをもらったのは事実かな。思い出すだけで涙が出ちゃう
よ。今まで悔し涙しか流さなかったのに、友美が見たらビックリ
しちゃうかな。

 なぜ、友美を好きだったか言うね。まずは、かわいい顔が好き、
純粋な心が好き、頑張り屋さんの友美が好き、誰にでも笑顔で優
しい友美が好き、自分のことより、他人を心配する友美が好き、
要は全部が好き!何で生きている間に、もっと、もっと言ってあ
げられなかったんだろうって思っちゃうよ。

 神様がいるなら、10分間でいいから友美に合わせて下さい。
伝えたいことがあるんだ、抱きしめてあげたいんだ、もう一度、
あの笑顔に合わせて下さい。お願いします。

                      満より



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

芳江ありがとう

芳江ありがとう。
2004/11/5 君は逝ってしまったね。
40歳だったね。病気(スキルス胃がん)が分かったのが2003/3/10

告知されてから、1年8ケ月の精一杯の命だった。
ほんとに無念だったろう。不安だったろう。
心残りだったろう。

でもね、今、三人の子供達は一生懸命頑張っているよ。
モモコは来年(2006/4)小学校に入学だよ。
ナツキ(長女)は、お姉ちゃんになったよ。
最近は、ご飯も炊くし、食器洗いも慣れたものだよ。
えらいよね。まだ10歳なのに‥‥。
アキラは、ゲームばかりしているけど、
君に似てやさしい子だよ。いつも線香をアゲテいるよ。

芳江、お前のおかげで子供達は立派に生きているよ。
お前と過ごした、14年半、付き合い始めてから16年。
ほんとに楽しかったよ。仕事に追われて会話が無くなって
家族らいしい、父親・夫らしいことができずに君を失った。

申し訳ない。本当に申し訳ない。君に何にもしてあげられなかった。
結婚する時に『幸せにする』と約束したのに‥‥。

でもね、君の病気が分かってからある意味幸せだった。
私が君と子供達の存在がどれだけ大切なものか認識できた。

遅いよね‥。
当り前のことなのに、仕事や世間体に託けて、‥‥
本当に反省ばかりさ。君はいつも私の体を心配してくれた。
食事のこと、睡眠のこと、仕事のこと、
なのに、なぜ、なぜ君が逝くんだ?

たった40年の命。子供達のことが不安だったろう。
死の不安と恐怖、それらに対し君は『全然気にならない』
と私を安心させようと強がりを云った。
そこまで‥、そこまで私を安心させようと‥‥‥
芳江、今でも愛しているよ。永久に‥。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

言わず、伝えずに

歳、離れた妻、十九の秋に俺と所帯を持った、それから三十六年
間、家計、子育て、教育すべてを任せきりそれで居て些細な事で
喧嘩はよくした。
妻のセリフ「お父さんは細かすぎる」、俺からは「おおまかで、
配慮が無い」所詮かみ合う筈が無かった。

妻、四十一歳の時大病院で検査結果を私だけに告げられた言葉
「奥さんの余命、3年から5年位です」受け入れる事も、信じる
事も出来ず無の感じで説明を受けた。

その後、気持ちを変え様としたがほんのひとときだけ、又元の生
活、お互い詫びる事無しで終わってしまった。

その後、十四年間九回の入退院の闘病したが、家に戻れば訛りあ
る話し方治す事もなく、まず明るく元気で、お節介やき、家でも、
外でもいつも笑いの渦を起こしいて、五十数年住んでる亭主は知
らなくても、妻を知る人が多かった。

「お父さん、なにそんなにおこってるの?」とか、鮒釣りあげて
「これ食いつかない?」「馬鹿言ってんじゃないよ金魚食いつく
か」等いろいろ有った。

黄泉の世に旅立って六年が経った、病に関する本何冊も買い込ん
で居たのだから、それなりの覚悟してたと思い、エンディグメッ
セジー探しまくったが出て来なかった。

食欲不振、倦怠感、買い物に外出出来ない程の頻繁な腸液の排出、
ビール党から焼酎になり、朝から飲み続けた結果一ヵ年でアルコー
ル性肝炎〜肝硬変〜肝癌〜手術体ぼろぼろになった、そんな父親
に見切り付けたのか、悲しみから逃れる為か二人の子前後して海
外に巣立って往った、未だ妻の匂い漂う寂寥の空間でのひとり生
活、笑いも、感動もない今、これだけは看取る時に言わなければ
言葉「ミサやん、お前と一緒になって良かったよ、ありがとうねー」
伝え損なった無念さが離れない。

最近短命で生を終えた人の出版本に記してる文「人生は時間だけ
ではない、中身が大事で有る」感動をした。
「来世めぐり逢えれば、良かったら又、共に暮らそうよ」と、付
け加えたい。



【男性、60代〜】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

もしも

もしも、君の目が僕のものだったら・・・
もしも、君の口が僕のものだったら・・・

僕の手が君のものだったら?
僕の足が君のものだったら?

もしも、願いが叶えられるなら

「もしも」を実現させたいよ。



【男性、30代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

佳子へ

お前みたいなイイ奴いてへん。
お前みたいなカワイイ奴いてへん。
お前みたいな優しい母親いてへん。
結局お前みたいなエエ嫁さんいてへんかった。
愛してたし、今でも愛してる。

何故、生きてるうちに気付けへんかったんやろな?
いや、気付いてた。
気持ちがお前に十分に伝わってなかった。
ごめんな。
でも慰霊の写真に一目惚れしたのはおかしいな。
お前は家族にとって太陽やったと改めて思った。

あれから1年。
泣いた。
こんなに悲しい、寂しい、辛い、重い1年は初めてや。
その間色々あった。
仕事も代えた。
今の仕事は一緒にしたかったな。
でも、一緒にやってるよ。
心の中に生きてるし、お前の得意料理もメニューにある。
初めての経験やから最初は戸惑った。
ようやく慣れてきたところや。
いろんな人と知り合いになれた。
去年ほど人のありがたみが身にしみて分かった年も無かった。


最近、夢で会えないな。
天国でも忙しいのかな?
ちゃんと成仏出来てるのか?苦しんでないか?それだけが心配
です。
「ありがとう・・・・」最後の夢の言葉信じていいか?
僕と結婚した人生、後悔してないか?
ごめんな。最後まで助けてやれんで。

寂しいさのあまり、そっちに行きたい時もある。
でも、子供が悲しむ、親が悲しむ、何よりお前が悲しむわな。
宿題が沢山残ってるもんな。
ずっと見ててな。
そして何十年後、その時が着たら迎えに来てな。
その時は力一杯抱きしめるから覚悟しておけ。
「あんた、ちょっとは見直したで」と言ってもらえるように、
それまで頑張るわ。
その時を楽しみに。。。。。。。。。。。。。。。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

思い出すと・・

裕江が逝ってもう6年経ちますが、未だにあの辛かった頃を思い
出すと、涙が溢れてきます。

喧嘩ばかりでしたが20年連れ添い、あんなに元気で明るかった妻
の体調が悪くなり、10月の検査で癌と分かり余命4ヶ月と診断。

しかし当然の仕事復帰を信じていた妻に、4ヶ月で死ぬ、なんて
言える訳ありません・・。辛い入院生活中、一緒に病院の食堂へ
行って、クリームソーダを美味しそうに飲んでいた無邪気な妻。
見舞いに行くと「随分歩けるようになったでしょ!」と廊下で喜
んでいた妻。「早く良くなって仕事復帰しようね。」というと、
「うん!」と目を輝かせて答える妻が哀れでなりませんでした。

私は告知に関してどうしたら良かったのか、未だに答えが出ませ
ん・・。私は休職し、自分の人生全てをかけて、悔いの無いよう
看病しました。モルヒネも効かない程の痛みが続く2月の寒い朝、
私の腕の中で妻は痛みの無い世界へ行きました。でも亡くなる暫
らく前のこと、骨と皮だけの意識もうろうとした妻が、今まで見
たことの無いような優しい笑顔で「やっちゃん ありがとう」と
言っくれたのです。私は泣きながら妻をずっと抱きしめていまし
た。

「大好きな裕江、いつまでもずっと愛しているからね。もっと生
きたかったあなたのぶんまで生きて、土産話を沢山収集するから
楽しみに待っててね。」と6年経って、やっと少しそう思える様に
なりました。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

大好きだった妻「陽子」に

 陽子が亡くなって早5ヶ月。病院で早朝亡くなってすぐに、
お通夜だ、葬式だ、そして子供達との生活に仕事に追われ、時間
だけが過ぎていってしまった。

 毎日、写真を見ては泣き、残された日記や手紙を見ては泣き、
の生活かと思ったが、全然違った生活がここまで続いた。
 決してお前の事を忘れた訳ではないが、言い訳をさせてもらう
と、やっぱり男の子2人との生活は忙しい。家事に追われ、思い
悩む時間が無い。
 でも月の命日には子供達も線香を上げ、お兄ちゃんはお前の好
きだった「ケーキ」を買ってきて添えたりしている。

 お前が無くなって、我が家から笑顔が消えた。休日もバラバラ
で子供を何処へも連れってやろう、という気になれない。家族連
れの楽しそうな姿を見るのが、つらいから・・・

 何で、我が家だけがこんな目に合わなければならなかったんだ
ろう、て今でも思ってばかりだ。
 お前も無念だっただろう。まだ幼い子供を残して、「死ねない」っ
て病室で叫んでいたのが、思い起こされる。

 寂しい。そして、子供達の事やこれからの事を考えると途方に
くれてしまう。
 いつか、我が家にも笑顔が戻ってくるのだろうか?



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

孝子へ

8月25日が来るともう1年やね、入院したらあと1ヶ月の命
と宣告された時は目の前が真っ白になったで、その事を隠しつ
づけてごめんな。健康な時はお互いにちゃんと告知しようと話
てたけど勇気がなかったね、普通に接しようとして怒らせた事
もあったな。
日々身体の自由が利かなくなって行く孝子を見てどうする事も
出来ない俺が腹立たしかった。
看病してるのに死を待ってる日々だった、入院40日間看病で
きてよかった。普通に「ありがとう」て言ってたね看病して当
たり前やのにありがとうて言ってくれた、自分自身気がついて
いたのやね
ありがとうは俺が言う言葉や、 今までわがままな俺と一緒に
居てくれてありがとう。この1年想い出だけで生きてきたみた
い。
なにかにつけ、孝子と結びつけて生きてきた。
想い出だけでは生きていけないけど、いつも想ってるよ
ありがとう 孝子



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

祐子へ

祐子 今は天国にいるよね 身体の調子が悪くても皆に心配させ
たくない性格だから一人で頑張ってたんだよね でもそんなに調
子が悪かったんだったらもっともっと言って欲しかったな そう
すればもっともっと優しくしてあげられたかもね
 亡くなる前は喧嘩ばかりしてたしオレもかなり冷たくしてたけ
ど 結婚したてのころは狭い家のなかでも楽しかったね
 マリちゃんが生まれてから3人で旅行に行ったり食事に行った
りしてたときは本当に楽しかったね
 昼間しゃきっとして家事をこなす祐子は大好きだったよ やさ
しいからオレが怒鳴っても必ず祐子から謝ってくれたよね。もう
すぐ一周忌だけど早いね。天国でゆっくりしていてね。マリちゃ
んはしっかりしてるし二人で頑張って生きて行くからしっかり見
守ってくれよな。いつか天国で会えたら想い出話しして大笑いし
ような。楽しみだね。



【男性、40代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

ごめんな。

私たちは1997年10月18日結婚しました。そして妻が永遠
の眠りについた10月18日は4回目の結婚記念日でした。

私たちは結婚するにあたって、両家から反対されていました。私
の実家は農家をしており、妻は小さいころに大きな病気を克服し、
なにもそんな大変なところに嫁に行かなくても・・・ということ
と、体の弱い人をもらうと苦労するよ、などといった感じでした。

でも、お互い好きで好きで一緒になりました。初めは二人でア
パートを借り何気ない毎日が今思うとほんとに幸せでした。私が
家に帰ると妻は夕飯の支度をしていて、二人で今日あった一日の
ことを話して笑い転げたり、今度の休みはどこいこうか?とか、
クリスマスには結婚してから毎年行ってるレストランに行ったり、
並べればきりがありません。

妻が先立ってからは、二人で笑うことも、けんかすることも、レ
ストランに行くことももうできません。

今年のクリスマスのレストランの予約も先日二人分取りました。
亡くなって一週間が過ぎます。心にぽっかり穴が開いてる感じで
す。
逢いたいです。話をしたいです。触れていたいです。
いままで冷たい言葉かけたことほんっとに悔やみます。
悔やんでも悔やみきれません。でもこのあいだ夢に出てきた時は
すごく微笑んでいたね。ほんとにごめんな。結婚して四年、短
かったけれども幸せでした。27年という短い人生だったけど、
その分俺もがんばって生きていこうと思います。

一生忘れません。今でも愛してます。



【男性、20代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

変わらぬ季節

お前が、俺の事を想う気持の大きさに気付いている分、お前の事
を思うと辛いよ。
この辛さはお前と同じように、俺もお前を想う気持が大きいから
だろう。愛し愛されることも大きな幸せの一つだから。

人は何故、当たり前の生活を幸せと気付かないのだろう?
何故、大切なものを失ってから、その大きさに気付くのだろう?

あの、無邪気で可愛く頑張り屋だった、お前がもう居ないなんて
信じられない。
幼いころから辛い事に耐え、やっと掴んだ幸せのはずが、
辛い病気に耐え、変わり果てた自分にも耐え、俺にいつも
『こんな汚い私は嫌いでしょ? でも、嫌いにならないでね。』と
言っていたね。
汚いと思ったことなど一度も無い。もちろん嫌いになんてなるはず
もなく、変わってしまった容姿でも、いつもと変わらぬ可愛いお前
で、それでも頑張っている姿が光ってさえ見えていたのだから。

ふと思い出すと、今でも病室で俺の帰りを待っているかのように思
え、死を受け入れていたはずが、むしろ苦しみから解放されて良かっ
たねと、思えていたはずが、一周忌を迎えようとしている今になっ
て、真綿で締められるかの如く、孤独、悲しみ、死を受け入られな
くなって来た自分にくるしんでる。
この一年、どれだけ泣いた事か? 
一周忌を迎えるという事は、この先『去年の今頃は・・・』と思い
起こしても、そこには一人の自分しか居ない。
まだ今は、去年の今頃は 辛い時期だったけど、そこにお前が居た。
どんどん一人になって行く・・・

だけどな、お前はいろんな事を残してくれた。
愛する事の素晴らしさ、命の尊さ、そして『当たり前の幸せ』
二人で死を受け入れたものの、正直 俺は燃え尽きた、もう、いいやっ
て思ったこともある。
でも俺は負けない。いろいろな想いがあるけど、この悲しみの辛さを
全て俺が引き受け、お前にこんな悲しい思いをさせなくて良かったと
思いながら、この経験をいろんな人に伝えて生きて行くことにする。

愛してる、いつまでも。
お前はいつまでも、俺の可愛い奥さんだぞ。
しばらくの間、お別れだね。いつの日か、お前が造った世界で本当の
幸せな生活を送ろうね。じゃあね・・・



【男性、20代】

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奥様(妻)を亡くした夫の文集

何もしてあげられなくて・・・

2002年1月8日、入院後わずか3日目にして妻は34歳の若さでこの
世を去りました。結婚してまだ1年3ヶ月。結婚した当初より体調
が思わしくなく膠原病の中の「多発性結合組織病」と診断されま
した。原因も治療法も確立されていない難病でした。

私と妻は子供のときからの知り合いで、長い年月を経てようやく
一緒になりました。たくさんの紆余曲折がありました。

実は妻とは正式に入籍しておらず、なぜなら妻は前夫と離婚調停
中だったのです。小さいときから苦労ばかりして、周りのことを
最初に考えてしまう妻に、私はこれから時間をかけて「ひとりの
女性としてのシアワセ」を知ってもらおうと大きなことばかり
言っていました。かく言う私も難病を抱えており「ふたりでなら
かならずうまくいく」とふたりとも信じていました。

妻は最期の最期まで本当に良くがんばりました。全身の血が固ま
り始め、肺や脳の血管が破れ、それでも私の呼びかけに答えよう
としました。妻の最期に立ち会った私は、かつてないほど取り乱
し、もう一生分の涙を流しました。体がまったく現実を拒否して
震えていました。

妻は地方の出身なので「未入籍」ということがネックになり私は
妻の死後でさえも彼女の希望をかなえてあげられませんでした・
・・本当にごめんなさい。

私はいま彼女の遺骨を少し持ち帰り、一部は部屋に、そして一部
は常に身に着けています。この先のことはわかりませんが、妻と
するはずだったことをひとつずつやっていく人生になれば素敵だ
と思っています。

「私たちはふたりでひとつ」・・・それが妻の口癖でした。いま
私は毎日ただ泣いていますが、こうしている瞬間も、そしてこれ
からも私たちはただ「共に在る」・・・それが私たちの人生だと
思っています。



【男性、30代】

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