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シーリア・グッドマン


86歳でなくなった彼女は、近しい家族や友人以外の人からは、20世紀イギリス文学の分野で果たした、ささやかながら重大な役割で記憶されることとなろう。

双子の姉マメインがアーサ・ケストラーの妻であった関係で、彼女はケストラーの義妹で、若い女性ゆえに、最初の妻アイリーンが突然亡くなり精神的衝撃を受けていたオーウェルから1945年冬求婚された。恋愛関係は望んでいなかった彼女は断った。それでも彼女はオーウェルの人柄に感心し、友情は作家が1950年に亡くなるまで続いた。

シーリアとマメインはPaget家に生まれた。二人の誕生日は1916年9月7日。父の急死のため12歳で孤児となり(母親は二人を生んで一週間後に死亡)いとこに育てられ、寄宿舎で学んだ。二人の社交界への華々しい登場は伝説になっている。

シーリアは、戦時看護婦として働く。アイルランド人作家、パトリック・カーワンと結婚したがうまくゆかず、シリル・コノリーの月刊誌「ホライゾン」に一時雇われる。短命に終わった知識人向け雑誌「ポレミック」の編集助手として働く。オーウェルはこの雑誌の寄稿者の一人。

1945年、クリスマス・パーティの時に、パディントン駅で、18ヶ月の養子リチャードを連れたオーウェルに出会う。当時アーサー・ケストラーとマメインは同棲中(1950年結婚)で、妻を無くし落ち込んでいたオーウェルを元気づけられるかもとケストラーは示唆したが、シーリアの答えはあいまいだった。間もなく「ポレミック」誌の後援者が資金提供を止めたのに伴い、シーリアはパリに移り、三カ国語雑誌「オクシデント」で働く。

1948年ロンドンに戻り、情報調査部(Information Research Department)という退屈な名の外務省の外郭団体でロバート・コンクエストの助手として働いた。この組織は外務大臣アーネスト・ベヴァンによって、共産主義者の潜入についてパンフレットを発行することで、ヨーロッパで自由化を促進する狙いで作られた。

この計画にオーウェルが関与し、その死の床で、隠れ共産党員といわれる連中のリストを手渡したことは悪名高い。しかし当時のオーウェルも、1996年当時、リストの一部が公表された時のシーリアも、ことの重要性を軽くしたがっていた。そうしたものの重要性を穏やかに述べたなかで、オーウェルは「さほどセンセーショナルではない」と考えていたのだ。

1954年マメインが喘息で亡くなった年、シーリアは外交官のアーサー・グッドマンと再婚した。二人の間に子供が二人生まれたが、1964年射撃事故で夫が死亡したため、結婚は短いものだった。

DJ Taylor
Wednesday November 6, 2002

The Guardianの追悼記事抄訳

2003/8/26記

Britain's Secret Propaganda War Britain's Secret Propaganda War 1948-1977は、第11章95-97ページで、リスト入手にいたる彼女とOrwellとのやりとりを描いています。

96ページには、シーリアが1949年11月4日、ボイス・オブ・アメリカの会長に、IRDが「1984」を、イタリア語、フランス語、オランダ語、デンマーク語、スペイン語、ノルウエー語、ポーランド語、ウクライナ語、ポルトガル語、ペルシャ語、テルグ語、日本語、韓国語、ヘブライ語、ベンガル語、グジャラテイ語に翻訳中だと語った、とあります。

「1984」の日本で最初の翻訳がでたのは1950.4。「一九八四年」龍口直太郎・吉田健一訳、文藝春秋新社でした。

リストとシーリア・カーワンについては「G.オーウェルはスパイだった?!」大石健太郎『諸君』1999年4月号206-214頁の記事で、解説済みなのに、生誕百年誕生日直前にまたもや蒸し返されたのが不思議に思えます。

2003/12/16追記

アニメ「動物農場」制作の背景("Cultural of Cold War"からのつまみ食い)


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