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アニメ「動物農場」制作の背景


Frances Stonor Saundersの本、The Cultural Cold Warの293-301 pp.を、いい加減に抄訳したものです。

1950年オーウェルの没後間もなく、ハワード・ハントは作家の未亡人ソニアと会見すべくオルソップとファーをイギリスに派遣した。彼女を慰問するためではなく、「動物農場」映画化権に署名をもらうためだ。憧れのヒーロー、クラーク・ゲーブルと会わせてもらうと約束させた上で、ソニアは署名した。ハワード・ハントは書いている。「この訪問で、が資金を調達し、世界中に配給したオーウェルの「動物農場」のアニメ映画が実現した。」

権利を取得すると、ハントはの隠れ蓑になってくれるプロデューサー確保を企てた。タイム Inc.が親会社だった月刊ドキュメンタリー・シリーズ「時の行進」を制作した時に、ハントを雇ったルイ・ド・ロシュモンで行くことに決めた。

ハントと連絡を取りながら、オルソップとファーによって注ぎ込まれる資金を得て、ド・ロシュモンは、1951年11月15日「動物農場」の制作を開始した。当時最も大がかりなアニメ映画(画家80人、750シーン、カラー画像300,000枚)を作るべく選ばれたのはイギリス企業、ハラス・アンド・バチェラー漫画映画社だった。ハンガリー生まれのジョン・ハラスは、1936年にイギリスに来て、イギリス初のテクニカラーアニメ「ミュージック・マン」の仕事をした。妻ジョイ・バチェラーと組み、イギリス中央情報局用に百本以上の政府の映画を制作し、その多くはマーシャル・プランとNATOの宣伝に貢献した。

「動物農場」の発行者フレデリック・ウォーバーグは、ハラス・プロダクションに強い関心を抱き、自由文化評議会(Congress for Cultural Freedom)にいた友人に進捗状況を報告させた。1952-3年の間、シーケンス撮影の様子を見るため、さらに脚本変更の提案のため(革命の予言者、老メージャー役の声優にウインストン・チャーチルを登場させてはと提案したのは恐らくウォーバーグだったのではないだろうか?) 彼は何度かスタジオを訪れた。同時にセッカー・アンド・ウォーバーグからハラス・アンド・バチェラー・プロダクションのスチール写真を入れて刊行予定の「動物農場」新版も監督していた。

脚本は心理戦略局にも吟味された。1952年1月23日付けメモによると、担当役人達は、テーマがまだ若干混乱気味、漫画のシークエンスで表現される物語のインパクトがいま一つ曖昧、等の理由から、脚本には納得していなかった。象徴的意味は明らかにわかりやすかったが、主張は決して明快ではなかったのだ。奇妙なことに、このアメリカの諜報機関の役人たちの批判は、T. S.エリオットとウイリアム・エムプソンが早くも懸念したことと呼応していた。二人とも、1944年に、オーウェルに対して「動物農場」の中心的寓話の欠陥、あるいは矛盾を指摘する手紙を書いていた。

脚本の問題は、結末を変更することで解決された。元のテキストでは、共産主義者の豚と資本家の人間は、共通の腐敗というプールの中で一体化し見分けがつかなくなっていた。アニメ映画では、このような一致は入念に取り除かれた。(オーウェルが、イギリスとドイツの支配階級として描いた中心的役柄のピルキントンとフレドリックはほとんど目立たず)、結末では単純に削除された。本では、「外にいた動物達は、豚から人へ、人から豚へ、再び豚から人へと見やった。だがすでに、もうどちらがどちらか見わけはつけられなかった。」だ。けれども、映画を見る人々は、全く違う大団円を見る。そこでは豚達が、見つめている他の動物達に、農家を襲撃して反革命を成功させるよう駆り立てる。光景から人間を除いて、搾取の果実で酒盛りする豚だけを残し、資本家の頽廃と融合する共産主義者の堕落は全く変えられてしまったのだ。

がオーウェルの次の作品「1984」に向かった時、さらに大幅な恣意的改変が提案された。(中略)

「1984」はどんな形においても変更されてはとならないとしたオーウェルの明確な指示は、都合よく無視された。映画「動物農場」と「1984」は、1956年には配給準備ができていた。ソル・ステインは、この二作品は、アメリカ文化自由委員会にとって、イデオロギー的に重要なものだと宣言し、「できるだけ広範に配給」されるよう配慮すると約束した。「ニューヨークの新聞社説の手配」と「大量の割引券の配布」を含め、二本の映画が好評で迎えられるようにする手筈が取られた。

(このハワード・ハントという人物、後に「ウオーターゲート・スキャンダル」にも重要な登場人物として顔を出し、悪名を馳せているようです。)

ウオバーグやらフィベル、スペンダー他オーウェルの周囲にいた人々は、そのままごっそり英米両国資金で反ロシア政策を進める組織によって作られた雑誌エンカウンターで働くようになります。同じ政策の延長で、ドイツでも、フランスでも、さらには日本でも、同じ趣旨の雑誌が刊行されたとあります。本書の翻訳はでないのでしょうか?

オーウェルの作品で日本で最初に翻訳、刊行されたのはこの本で、1949年5月GHQの総司令部民間情報局第一回翻訳許可を得た書物の一冊として出されています。「アニマル・ファーム」永島啓輔訳、大阪教育図書

セリカ・カーワン略歴


WAR IS PEACE
FREEDOM IS SLAVERY
IGNORANCE IS STRENGTH

戦争は平和だ
自由は屈従だ
無知は力だ
ВОЙНА - ЭТО МИР.
СВОБОДА - ЭТО РАБСТВО.
НЕЗНАНИЕ - СИЛА.
Nineteen Eighty-Four

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