雑記帳・かつおの尾
2002年

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空もあります(9/20)

住宅地の中の空き地だったところが整地されていた。白い柵で囲わ
れ、出入り口の両脇にのぼりが二本、風にはためいている。真新し
いのぼりには白地に赤の文字で「空もあります」とある。
空もありますとは不思議だ。素敵に詩的だ。マンションでも建つの
か、何か売り出すのかとも思い、それにしても「空も」とは他に何
かあるのだろうかともちらと思ったのだが・・・。
のぼりを逆から見て一瞬、「空きあります」が「空もあります」に
見えただけだった。なんのことはない普通の駐車場だったのだ。 
真新しいのぼりは魚の横に羊が来たようにあざやかだったが、すぐ
に見慣れてきて、白地が少し汚れて来た頃にはもうまわりの風景に
溶け込んでしまった。


雨の日のMDウオークマン(9/6)

今日も雨、電車は苦手だが楽しみはMDウオークマンだ。MDはポケットに収まる
のが良い。最近アップルのiPodのヒットからハードディスク内蔵のMP3なら何千曲か
入るというのが出ているがMDはディスクが安いのが良いやねえ。1枚100円く
らいだから。私が買ったのはSONYのMZ−N1。LPMD4対応だから80分
のディスクに320分録音できる。LP5枚くらい分は入る。私にはこれで充分。
NetMDである。パソコンからファイル転送で録音するので音はクリアー。
難はCDからパソコンに取り込むのに時間がかかることか。パソコンによってはあ
っという間に取り込むことができるらしいが私のパソコンのスペックではあきれる
くらい時間がかかる。パソコンからMDへは早い。まあこれくらいはしょうがない
か。


雨降り電車(9/5)

朝、出かけようという時に雨が降ってきた。天気予報では朝晩雨が降るかもという
ことだったが雨の確率は朝10%だったので、大丈夫だろう自転車で行こうと思っ
ていたのだが、雨が降っていたのでは仕方がない。電車で出かける。ひさしぶりの
電車だが、相変わらずの混雑電車である。東武東上線の池袋行き上り電車だから混
んでいるのはあたりまえだが、どうも苦手だ。鶴瀬で乗る時には混み具合もそれほ
どではないのだが、和光市駅で降りる時にはぎゅうぎゅうだ。降りるとほっとする。
駅から出ると雨は降っていない。道路は少し濡れているので一雨あったらしい。こ
れくらいなら自転車でも良かったかなと思い、でも出る時には降っていたからなあ
と思い、傘を持って歩く。


稲刈り(9/4)

埼玉の南部、東京に近いところが生活圏である。少なくなったとはいえ田圃がまだ
ある。畑は多い。もっと多いのは家なのだが。朝、仕事先に行く途中の田圃はもう
稲穂がまさに頭を垂れるよう。夜、帰りに同じところをに通りかかったらもう稲が
刈られていた。もうそんな時になったのかと思う。まだ暑い日が続いているが朝夕
は風が吹くし、季節はめぐる。


初蝶(4/2)

蝶を見た。この春初めての蝶である。自転車で信号待ちで止まっていたら、すぐ横
の家の庭をひらひらと飛んでいた。白い蝶である。紋白蝶かと思う。もう4月なの
だから蝶も飛んでいて当たり前なのだが私には初蝶である。この時期の蝶は白い蝶
が断然多い。木々の葉や草々が瑞々しい中をひらひら飛ぶ蝶の白さははっとする鮮
やかさだ。
始めてパソコンを買った時におまけで付いてきた広辞苑第4版のCD−ROMは今
でもちょくちょく使っている。重宝している。「*蝶」で検索すると51件も直ぐ
に出てきた。便利なものだ。こういう一覧を出す、並べ替えるなどはパソコンのパ
ソコンらしいところで、単純にすごいと思ってしまう。
51個もずらっと並んでいるのだが、なかには「夜の蝶」などもあり全部が蝶では
ないが、日本には250種以上の蝶がいるそうで知らない蝶の名前が並んでいる。
「蝶*」で検索してみたら24件出た。こちらは「蝶結び」や「蝶々雲」など蝶の
ような物、蝶に似たような物などの名前が並んでいる。
蝶の古名は「かわひらこ」「かはひらこ」だそうで、これは始めて聞いた。不思議
な響きの言葉だ。
そこで一句。

初蝶や畑中を行く児らの声


さくらさくら(3/31)

やはりさくらだね。一年に一度、桜の季節に桜を見ることができるのは幸せだ。
ほとんどの花は近くに寄って見るのが良いのだけれど、桜はちょっと離れたところ
から散るのを見ているのも良い。桜の花の散る姿は他の花と一番違うところかな。
さくらといえば今はソメイヨシノだけれど、ソメイヨシノは江戸時代に作られたも
のだそうで、その昔の人は桜といってもその時々、その土地の桜を見ていたのだろ
う。いろいろな種類の桜があるようだから。今見る桜の花は白い感じがするのは気
のせいだろうか。昔、子供の頃に見た桜の花はもう少し花の色が濃かった気がする
のだが。昔、花紅柳緑と言った桜はもちろんソメイヨシノではないのだが、どんな
花だったのだろう。花の下で死にたいと言っていた人の見ていた花はどんな花だっ
たのだろうか。
そこで一首。

夕風に散り行くさくら古の人の見し夢思ほゆるかも


蜘蛛の子(3/18)

仕事先ではシャッターが開き放しなので、建物の中にいろいろな生き物が入って来
ることがある。冬場はあまり無いが夏場、これからの季節にはいろいろと有る。
大きいのは鳩。雀や小鳥、あと良く見るのはトンボ、蝶。時には蜂なども迷い込ん
で来る。
このところの暖かさの影響か、先日は蜘蛛の子が飛んで来た。蜘蛛の子は糸を出し
て、その糸を風に乗せて新天地へと旅立つ。すべての種類の蜘蛛の子が飛ぶのかど
うかは知らない。また蜘蛛の子が空を飛ぶものだということは知識では知っている
が実際に空を飛んでいるところを見たことがあるわけではない。

午前中の仕事の合間に10分間の休憩がある。休憩が終わってリーチ・プラーッタ
ーに乗ったら蜘蛛の子がいた。リーチの上から糸が十数pくらい下がっていて、糸
の先に蜘蛛の子が足をせわしなく動かしていた。見たところ1.5ミリか2ミリく
らい、体は白い半透明。どこから飛んで来たのか、風に乗って来た先が建物の中で
は生きて行けないだろうに、などとちらと思っていたのだが。一仕事、リーチを動
かしてから先ほど蜘蛛の子がいたところを見たらもう見えなかった。居なかった。
リーチの上に這い上がったか。あるいは下に落ちてしまったのかも知れない。
蜘蛛の子は季語では夏になっている。夏に人の目に触れることが多いからだろう。
そこで一句。

蜘蛛の子のリーチ・プラッターに取り付きぬ


大きな満月(2/28)

今朝(28日)の新聞を見ていたら、昨日は満月だったのだがいつもより大きく明る
い満月だったとあった。月の軌道は楕円で、地球に近いところで満月になると大き
く見えるし、明るいらしい。10年に一度くらいだという。

昨夜の埼玉は薄曇りで月はおぼろだった。思え返してみると確かに大きく見えた。
雲の加減で大きく見えるのかと、ちらと思ったのだが、実際に大きく見えることが
あるということなど考えも及ばないことだった。
そこで一句。

春の宵大きな月の出でにけり


薄氷(2/26)

「うすらひ」である。雅な言葉だ。
「うすごおり」「はくひょう」とも読むがこちらは即物的だ。使い方にもよるが使
うことができるならば是非使ってほしい言葉である。「うすらい」と言うが、昔は
こんな時の「はひふへほ」も文字のように言葉にしたらしい。今の「はひふへほ」
とはちょっと違うのかな。「うすらひ」の場合、もっと昔は「び」と発音していた
らしい。
春に入っても寒い。そんな日の氷である。冬の氷のようにバリバリとは凍らないで
薄く氷が張っている。寒くても春である、薄くしか凍らない。そんな氷には少し儚
さが感じられるのだ。

朝、自転車で田圃の脇の道を少し走る。田圃の一番端に機械が入った跡だろう、タ
イヤの窪みが半月状の溝になって十数本も連なっている。雨の翌日、そこが小さな
水たまりになっている。寒い朝には薄氷が張っている。氷の帯が何本も連なり、朝
の日の光がきらきらと、次々と反射され幻想的である。自転車で通り過ぎる、ほん
の一瞬のきらめきだが、少しの間は心あたたかにいられる。
そこで一句。

薄氷やぐるりとまわる日の光


仕事中も寒いっ!(2/15)

仕事といっても大した仕事はしていない。一日幾ら一時間幾らの単純労働である。
終日、リーチ・プラッターに乗っている。リーチで右にある荷物を左に動かすだけ
だ。リーチを動かしているだけで、体を動かしているわけではないので寒いのであ
る。風が冷たい。
建物の中での仕事だがトラックが八台分つけられる幅のシャッターが開きっぱなし
である。そのシャッターのある場所、車がつくところは庇があるので陽はほとんど
入って来ない。陽が入るのは夕方の小一時間だけ。が、風は遠慮なくどんどん入っ
て来る。この風が冷たい。鼻はぐじゅぐじゅ、手が冷たい。軍手を二枚重ねていて
も指先がかじかむ。
でもまあ、寒さもあと一ヶ月くらいか。寒い風の吹く日ばかりではないし、朝晩の
自転車もなんとか乗り切れそうだし、ぼちぼちとそれなりに頑張って行こう。
そこで一句

じつと手を見れば寒さの中に居り


たのみありてにびっくり(2/12)

思いついて「たのみありて」をGoogleで検索してみた。あった。1件出てきた。
新古今和歌集の中の歌でした。

法橋行遍
 たのみありて今ゆくすゑをまつ人やすぐる月日をなげかざるらん

このサイトが、バージニア大学とピッツバーグ大学の共同で日本の古典文学をイン
ターネットで利用可能にするためのサイトでした。日本の古典文学を研究する人の
ために設けられたのかな。本が手に入りにくい外国の人にはでは重宝でしょう。
私もありがたく利用させてもらいました。

http://etext.lib.virginia.edu/japanese/jti.texts.euc.html

ここのテキスト一覧を見てびっくり。万葉集、源氏物語から太宰治「斜陽」まで。
この量、充実ぶりにはほんとびっくり。作成には日本人も関わっているようですが
大したものです。もっとも詩歌を読む、味わうにはやはり本でページをぱらぱらと
めくりながら見るのが合っていると思う。
そこで一句。

春暁や時空を超える歌ごころ


希望という名の・・・(2/7)

どこで見たのか覚えていないのだけれども感じ入った歌がある。

 たのみありて今行末を待つ人や過ぐる月日を嘆かざるらむ

何かの本にあったと思うので、探せば出てくるはずだが探す根気が無い。確認をし
ていないのに今ここにこうして書けるのは、この歌を書いた紙が壁に貼ってあるか
らである。ひと頃、正月に書き初めのまねごとをした。墨に筆で、紙は障子紙であ
る。紙を適当に切り、この歌を書いた。毎年書いて上手く出来たのを貼って置いた
のである。4,5年続けた。最後の年に書いたものが今でも壁に貼ってある。

少し理が勝っている気もするがこの種の歌はこういうものだろう。確かに、先にた
のみ、希望のある時は、あの時ああしておけば良かったとか、なんであんなことを
したんだろうとか、思い煩うことは無い。しかし、裏から透かして見ると、それだ
け過ぐる月日を嘆く人が圧倒的に多いということだ。だからこの歌も作られた。こ
の歌を見て、そうだ!と、ちょっと考え方を変えてみようかと、私のように思う人
も多いのだろう。しかし月日のながれていくのは早い。
そこで一句。

春さるといえども翼持たざりき


下げる頭も程々に(1/30)

初場所は栃東が優勝して幕を閉じた。優勝決定戦の相撲での栃東の変化の評判が良
くないようだが、あれは千代大海の頭が低すぎたからだと思う。千代大海が相手を
見て立っていれば栃東も正面から応戦していたはずだ。
千代大海は本割りの一番で栃東を押せなかった。崩せなかった。栃東の土俵上での
力強さ、重さを感じたことだろう。決定戦ではとにかく立ち合いの当たりを強くし
よう、強く当たって先手を取りたいと思っていたのだろう。その思いが強すぎて、
頭が下がり過ぎた。あの立ち合いではあの相撲も仕方ないだろう。
しかし、ガッツポーズはいただけない。無意識に出たのだろうが、無意識にでも出
るというところが今風か。
横綱北の湖が気力、体力、充実していた時に鷲羽山が二度続けて勝ったことがあっ
た。右からと左からと上手投げとすくい投げだったかな、投げで北の湖を負かした
のだ。ばったり手を着いて「しまった」という表情の北の湖の脇で鷲羽山は普通の
顔をしていた。そう見えた。淡々としているように見えたのだ。切れ味鋭い技を持
つ鷲羽山の面目躍如の場面であった。ガッツポーズがなくてもすごいものはすごい。
そこで一句。

歓声を冷たき背なに負相撲


日脚伸ぶ(1/28)

だいぶ日が長くなって来た。寒さは厳しいが、夜仕事が終わって帰ろうという時に
まだ明るさが残っているのはそれだけで嬉しい。もっとも10分ほど自転車で走っ
ているうちにもうライトを点けなければならないのだが。
短日から日永へと移って行く。まさに今、日脚伸ぶを実感する。太陽の存在の大き
さを感じる。太陽があってのこの地球、人の存在も太陽あればこそか。ならばこの
人という存在は大いなる力によって作られた稀有の特別な存在なのであろうか。
と、寒さのなかぼんやり考えながら自転車を走らせているともう日はすっかり落ち
て闇の世界となる。周りが暗いなかでの自転車は楽しみがない。帰りを急ぐ。
そこで一句。

生れし星あらむと思ふ冬夕焼け


探梅もどき(1/17)

先日、昼から雨の予報で久しぶりに自転車ではなく電車で出かけた。電車+歩きで
1時間である。電車+バスなら時間は短いのだが30分ほど歩いてちょうど良い運
動でもある。バスは苦手だ。朝は高校生がたくさん乗っているということもある。
高校の手前で降りなければならないのだが、すんなりと降りることができないこと
もある。仕事先のバスもあるのだが時間に合わせるのが大変。ゆっくりとまわりの
畑や木々、家々の庭の花などを眺めながら歩くのが心地よい。
いつもの歩きのルートに梅の木がある。五、六十本もあるだろうか。ちょとした畑
になっている。このところの暖かさもあるのだろうか蕾はおおきく膨らんでいる。
なかに、あった。白い花が咲いている。まだ開き切ってはいない。ぽっという感じ
でちらほらと咲き始めている。白い色が印象的だ。
桜のほうさすがにまだまだだ。意識して見ると枝先の蕾がほんのりとやわらかい雰
囲気があるかなあというところだ。
そこで一句。

白梅のほころびにけり通学路


大相撲(2002/1/15)

13日から初場所が始まりました。今場所も横綱貴乃花は休場です。怪我は順調に
回復しているようですがまだ本場所の土俵に上がるのは無理なのでしょう。
貴乃花が怪我をしながら優勝した、あの時、私はテレビで見ていました。小泉首相
が「感動した」と大きな声で言ったのを聞いて違和感を感じたのを覚えています。
あの時の貴乃花の状態は歩くのも立っているのもやっとでとても相撲を取れるとは
思えませんでした。実際あの後休場が続いているのはあの時の怪我は相当重かった
からでしょう。本人はどうしても出る、取るという思いが強く、あるいは大きな怪
我になっても良いと考えていたのかも知れません。しかし休むという決断も勇気あ
る決断だったのではないでしょうか。
本割りの取り組みが終わった後、支度部屋情報で武蔵丸が付き人に「貴乃花はまわ
しを取りに来たのかどうか」と聞いたというレポートがありました。武蔵丸にも貴
乃花は一人で立っていられないのではないかと思えたのでしょう。あれでは武蔵丸
は前に出ることができません。
もし決定戦で武蔵丸が前に出て貴乃花が倒れ、その倒れた上に武蔵丸が倒れ込むよ
うな結果になったとしたら、どうだたのだろう。貴乃花は力士生命は終わり、ある
いは一般人としての生活にも支障をきたすような大きなダメージを受けたかもしれ
ません。協会としても怪我人を出場させた、休場させることが出来なかったという
ことで大問題でしょう。
取り組みの相手に気を使わせるようでは出場の判断は失敗だったでしょう。横綱な
のでまわりの人も何も言えなかったかもしれません。横綱なのだから自分で休場の
決断をして欲しかった。すっきりしない優勝でした。決定戦で勝った時の仁王のよ
うな顔も小泉首相の「感動した」も薄っぺらな印象である。
そこで一句。

初場所や綱の重さの如何許り


まだ自転車(2002/1/11)

自転車を愛用している。仕事先に行くのに冬場は寒さに負けて電車にしているのだ
がこの冬はまだ自転車で頑張っている。片道1時間である。朝出る時の手の指、足
の指、耳が冷たい。年々寒さに弱くなってきていると感じる。お天道様が出ている
とまだ楽である。30分も走っていると体も暖まって来るし、陽は優しい。風が大敵
である。風が強い朝はきつい。日は寒さがきつい。まだこの冬はきつい寒さは来て
いないようだ。がまんできるくらいの寒さなのだから。
自転車が良いのはちょっと寄り道ができるからだ。新河岸川や黒目川の川沿い、土
手などを少しだけれど行くことがある。ゆっくりと自転車を走らせて、川に居る鳥
の姿を見ているとちょっと豊かな気分になれる。ほんの少しの時間だけれど。
しかし、鳥を見ても花を見ても名前がわからないのが情け無い。
そこで一句。

寒風に身ひとつなりペダルこぐ


淑気(2002/1/8)

新しい年が始まった。
正月、元旦の朝、家から外に出ていつもと違う風景を見たことがあった。少年の頃
である。見慣れた家並みや道が新しく見えた。「気」を感じていたのかもしれない。
淑気と言うのだろうか。今は無い。すっかり感性が鈍ってしまっているようだ。
今日は昨日の続きで今日の続きが明日と、だらだらと続いていく。いかんなあ。
感性は大事にしようと思っていた。自分を見つめてみると良いと思うところがほと
んど無い。感性は豊かにして行こうと思っていた。これも昔のことだ。育むどころ
かすり減らして生きてきたようだ。上手に年を重ねる人は素敵だ。
そこで一句。

初夢や少女のまなざし遠ざかる


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