無限の深淵(とき)の子守唄



1章 雨の墓標

2章 夏への扉

3章 魂の座


キャサリンの部屋は、その秘密をあっけなく俺達の前に明け渡した。
窓、だ。
小鳥のさえずりが聞こえる、さわやかな初夏の昼下がりの光が、本物であるはずがなかった。

俺は、窓枠を丹念に調べ、スイッチを見つけた。
「さぁて何が見えるか、お立ちあい。」
総司は黙ったままだった。

俺はスイッチを切った。窓の向こうには...。



スイッチを切られた窓の向こうは、学習室だった。
キャサリンの居室のような装飾は一切無い、むしろ俺達の乗る宇宙船の検索室を思わせる部屋だ。
カウチは一つきり、当然、それはキャサリンのものだろう。
「おそらくは寄宿学校のヴァーチャルイメージがプログラムされた教育システムだろう。」
総司の眉が曇った。
陽気な友達、厳しい先生、学校帰りに寄るパーラーでのおしゃべり..それらは現実ではなかったのだ。
キャサリンは、おそらくは生まれてから一度もこの部屋を出たことがないに違いない。
パパに会えないのもボーイフレンドと一度もダンスに行けないのも、当然だ。
「だが、なぜ...。」

だが俺はそんな総司に構ってはいられなかった。学習コンピューターが生きていたのだ。
俺は、あらゆる手口を使ってこのシステムに入り込む必要があったのだ。






「おはよう。」
総司が起きてきた。
俺は黙ってうなずく。あと少し、あと少しでデータが見られる。
..あれから何日たったのだろう。俺は時間の感覚を失っていた。
総司の運ぶ食事を執り、仮眠も惜しんで、俺はシステムをこじ開けようと躍起になっていた。

「J、少しは寝たのか。」
総司の言葉にちょっと振り返ろうとして、..地面がぐらり、と揺れた。
「Jっ!」
総司が駆け寄ってきた。背中に総司のてのひらの感触があった。
なんだよ、と口にしたつもりが声にならなかった。
俺は、そのまま闇に落ちて行った。


レモンイエローの光が、踊っていた。

俺は、総司になっていた。見下ろした手も頬にかかる長い髪も、奴のものだ。
「あぁ..また入れ替わったのか..」何度経験しても慣れることのない感覚だなぁ。
総司になった俺は、誰かと並んで座っていた。
白いドレス。光を浴びて、きらきら光る、金の髪。レモンイエローのリボン。
..キャサリン。
総司の声で、俺は言った。「君が、好きだ」
だけど、告白したいのは俺じゃないぜ、総司。自分で言えったら。意気地なしだなぁ。
金色の頭がゆっくりと振り向いた。
その顔は...!


「うわぁぁぁぁっ!!!」
俺は、汗びっしょりになって跳び起きた。
手を見る。..俺の手だ。

「..起きたのか。」
総司が、傍らに座っていた。
「お..俺、..お前になって..総司、..総司..」
心臓はまだ早鐘のように鳴っている。
「システムのハッキングに、成功したよ。」
総司が言った。
「えっ、だって..。」
俺はまだ最後までやっていないぞ、総司。素人のお前には無理..
はっと思い当たり、自分の頭に手をやる。
「やったな、総司。」
総司は、黙って一つ、うなずいた。
そんな総司の顔を見たら、一切の記憶が鮮明によみがえって来た。
それは俺の記憶じゃない。総司の記憶、総司の感情、だ。
「キャサリンのこと..」首筋まで真っ赤になりながらそこまで言って総司は目を伏せた。
「ばぁか。そんなこと、はじめからお前の顔に書いてあらぁ。」
「そう..お前はなんとも感じてないんだね、J。」
「あったり前だろう、俺はずっとここのシステムと格闘してたんだぞ、そんなヒマあるわけがないだろうが。」
もっと言ってやりたかったが、総司が可哀想になってやめた。


...総司は、倒れた俺のあとを引き継ぐため、人格交換をやった。
俺達は職業シンパシストだ。小さい時にターミナルの埋め込み手術を受けている。
入れ換わり自体に危険はない。しかし、いっさいの記憶と感情を相手と交換するこのやり方は、いくらペア同志とはいえ、大きなストレスを生む。
早い話が、知られたくないことも何もかも、全てを相手に知られてしまうわけだ。
日記の少女に対するいじらしい恋心を、俺に笑い飛ばされでもしたら、総司は本当に傷ついてしまう。
「なぁ総司、俺の考えてることって単純だったろ。」
「あ..あぁ、システムの知識以外は食い物の事しかなかったよ。」そう答えてやっと、
総司の顔に晴れやかな笑みが戻った。
とうの昔に壊れた恋、死んだ両親の事..俺の引きずる痛みを、総司、お前もまた改めて知ったことだろうな。






ベッドに起きなおると俺は、さっそく総司の差し出したデータ出力を読んだ。

キャサリンは、「エデン計画」の被験者だった。
俺達が生まれるよりずっと前には、人類は常に滅亡の危機にさらされていた。
あらゆる災厄を乗り越え人類という種を存続させるために、ひと組の男女の胎児を安全な地下又は
小惑星上や衛星軌道上に確保し、地球上の文明の消滅を認識すると同時に蘇生、育成するシステム、
その計画、それが「エデン計画」だった。
蘇生のプログラム発動が誤動作だった事は確かだ。なぜなら、人類は滅亡していないから。
キャサリンの成長記録によると、キャサリンはあらかじめ成長促進の処置を受け、数年で少女へと
育っていた。
そして、キャサリンの伴侶となるべく用意された少年が、同時にやはり育っているべきだった。
俺はデータをそこまで読んで、思わず総司の横顔を見ずにいられなかった。

..テッド。
彼の名は、キャサリンの日記にある。
そのボーイフレンドの名を初めて見つけた時の胸の痛み、勝ち目のない恋に、総司が一人苦しんだのを
俺は知ってしまっている。
だがしかし、同情は傷を深くするだけだ。俺は黙って先を読んだ。

本来のプログラムなら、ヴァーチャル世界のダンスパーティーの中で、最初のコンタクトが行なわれる
はずだった。..だが。
「日記は、違う。」総司がつぶやいた。..そう、テッドはダンスパーティーには来なかったのだ。

テッドの記録を、彼が育成された場所を、探り当てる必要があった。
どんな顔しているのだろうその少年は、やはり金髪なのだろうか。
それは総司の思い、総司の胸に刺さったトゲだ。
「心配するな、一つハッキングするも二つやるも、同じさ、俺がやるよ。」
俺は、その仕事にかかる間、総司を一人にしておくことにした。
キャサリンが生まれた場所、キャサリンの育った施設。
総司にその徹底調査を命じて、俺は食料を持ってまた、システムの迷宮へ旅立った。


その夜。
この、どことも知れない施設を、大規模な地震が襲った。
俺達は身を寄せ合いひたすら耐えていた。
「J、これはまずいかもしれない、..時震が起きる。」
総司の直感は当たる。
俺達は互いと両手のてのひらをしっかり合わせ、来たるべき時震に備えた。
「コンピューターの予測演算なしでどこまでいけるかな」
「シッ。..来たっ!」
「時震」がやって来た。不確定未来の無数の像が俺達の視覚を横切る。
俺は、赤ん坊の総司を抱いていた。総司は、俺の棺桶を担いでいた。俺達は二人とも白髪の老人だった。小学生の俺達は机を並べて勉強していた。
俺はただ、総司の瞳だけを見つめていた。黒い、深い湖のような瞳を...
...レモンイエローの光。
ねぇ、君の瞳は何色なの。

「いけない、総司っ!!」
どこかでラジオが歪んだ曲を流していた。
いとしい人の髪は黒、..髪は金髪目は茶色、..君の天使の瞳は..
曲のテンポは狂ったようにどんどん早くなる。つないだ手の感触がふっと遠くなる。
「駄目だ、行くな!..総司、..総司っ!」
くるりと振り向き笑った総司の瞳は妖しい紫色だった。俺は声にならない絶叫をあげた。
行くな、総司..お前は俺の、いちばん近しい者。
モンゴロイドの俺達は髪も目もみな黒いのが普通だけれど、お前の瞳は俺に比べてずっと黒かった、髪も、美しい黒髪だった、まるで日本人形のよう、と小さい頃はお前ばかりが可愛いがられたものだ、お前ときたら、自分が飛び抜けて美しい容姿に恵まれたことを何とも思っちゃいないんだからまったく、お前ときたら。行くな、と言っても行くんだろうな..
「総司ぃぃぃっ...!!」
外れる、遠のいていく、総司とシンクロが外れるなんて初めて..いや、前にもあった、あれはいつだったろう。

私たちは微笑み交し 恋に落ちた
手を伸ばしても届かない 無限の深淵(とき)の前で



一体、誰が歌っているんだ..


声は朗々と高らかにあるいは風に紛れそうなほどに低く、海の上を渡り、 いつしか総司の閉じられたまぶたに涙が光り、..「キャサリン、..あぁ..」

それは未来の記憶。総司の記憶。..黒い長い髪。抜けるように白い肌。濃い睫毛に縁取られた、まるで深い湖みたいな瞳。..総司。

「あなたを、愛してるわ。」
その背に回される、華奢な腕、金の髪。
行くな、行ってしまうな、..お前は俺のいちばん近しい者。

銀河の星つないで あなたを待つから
私たちは瞳見交わし 約束をした
いくら呼んでも届かない 無限の深淵(とき)の前で

歌う 歌うよ 子守唄
あなたの胸に 届くように...


ローレライ。
俺は、ふいにその声の正体に気付いた。








(4章に続く)


次回に続きます。じっくり読んで下さったお客様に感謝いたします。
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野うさぎ茶房店主宛て


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