無限の深淵(とき)の子守唄



1章 雨の墓標

2章 夏への扉

どこかで、ラジオの陽気な曲が鳴っていた。
「ん..総司..」
寝ぼけまなこで、目覚めた時いつもそうするように総司を呼ぶ。
「うーん、..」
いつものように眠そうな総司の声が返ってくる。

今日は非番だったっけ。
「..!」
記憶が戻り、俺は一気に跳び起きた。
「総司、総司、無事だったのか!?」
「うーん、なんだよぉ..J、..」
総司の寝起きの悪さは天下一品だ。
いつもだと不機嫌きわまりない総司と一戦やらかすはめになるので放っておくところだが、
今はそれどころじゃない。
俺は総司を揺り起こした。
「総司、起きろよ、総司!」







数時間後。
俺達は自分らが寝かされていた部屋からこの建物の行ける部屋をすべて調べ尽くし、
閉ざされた扉の前で途方にくれていた。

俺達が意識を取り戻した部屋は、なかなか快適な客間、といった感じの部屋で、
生活必需品に困る事はなかった。

出口は見つからなかった。
ここがどこなのか、俺達の乗っていた宇宙船(ふね)はどうなったのか。
..いっさいの事がわからなかった。

目の前の閉ざされた扉は、パスワードなしでは開く気配を見せなかった。
「どうしたらいいんだ、これは..。」
その時、ずっと黙り込んでいた総司が口を開いた。
「J、パスワードを打ち込んでくれ。キャサリン、と。」
「え?」
総司は俺の疑問を感じとって、即座に説明した。
「なぜかその名前が頭にあるんだ、打ってみてくれ、J。」
俺は総司の言う通りにパスワードを打ち込んだ。

扉は、ゆっくりと開いた。



「えっ」
「ここは…。」

白とレモンイエローの光が、踊っていた。
白い家具の上の銀の写真立て。レースのカーテン。生成りのベッドカバーの上に
ハート型の白いクッション。
黄色い大きなリボンをかけた白いむぎわら帽子がクローゼットの扉に飾ってある。
白いカスミ草のドライフラワーを差したテディベアの形をしたガラスボトルに日の光が透けて、
白と黄色のタータンチェックのテーブルクロスに影を落としている。

小さなドレッサーの上には白い貝殻、波で洗われ丸くなったガラスの破片、銀のネックレス、
小さいコロンの瓶、ヘアブラシ、クリーム色のリボン。

…そこはどう見てもティーンの女の子の部屋だった。
今すぐに、この部屋の小さな女主人が帰ってきて、俺達がいるのを見て目をまん丸にして
「だれ?」と叫ぶんじゃないかと思えるほどだった。

意外な光景に俺達は顔を見合わせた。
ベッドサイドに置かれたラジオから曲が流れている。

ねぇ こっちを見てよ
つれなくしないでよ

ドライブに行こうよ 日曜日に
君の家に 迎えに行くから

レモンイエローのリボン つけてきて
水玉スカート ひるがえして

帰りはお日様の出てるうちに
君の家まで 送るから

だから ドライブに行こうよ 日曜日に
つれなくしないで


「なんて曲かな。」
「さぁ、…わかんないな、大昔の曲だろう。」
オールディーズというジャンルは、忘れ去られて久しい。

「キャサリン、っていうんだろうな、この部屋の持ち主。」
総司がつぶやいた。


それが、すべての始まりだった。




その日は部屋が無人であることを確認しただけで、あとはこの女の子の匂いのする部屋が
なんだかまぶしくて、早々に自分たちの部屋へ引き返した。
翌日、俺達はこの部屋を再び訪れた。

「…キャサリン、お邪魔するよ。」
総司が小さな声でそうつぶやくように言って、光あふれる部屋のドアをくぐった。

部屋の家具はどれも小振りで、白い籐か白木でできていた。
黄色のタータンチェックのテーブルクロスをかけたティーテーブルとは別に、
金で縁取りした白いライティングビューローがあった。
ちょっとためらった後、総司はその引き出しを開けてみた。
山吹色の小花模様の布を表紙に張った、かなり厚みのある日記帳があった。
ページは、女の子らしい丸い文字で几帳面に埋まっていた。

勉強のこと、試験のこと。
新しい洋服のこと。髪型を変えるかどうか。
ボーイフレンドのためにお菓子を作った奮闘記。
もうすぐ来る自分の誕生日のプレゼントに、何をねだるか。

…そこにはティーンの女の子だけが持つ、夢と悩みと日常がいっぱいに詰まっていた。
行間からは、それら一つ一つに真剣に泣いたり笑ったりする一人の生き生きとした少女の姿が
見えるようだった。

それから総司は、この部屋でキャサリンの日記を読んで一日の大半を過ごすようになった。

キャサリンは、寄宿制のハイスクールの生徒のようだった。いつも試験に追われ、
ボーイフレンドと遊びにも行けない、とグチをこぼしながらも、
真面目に勉強しているようだった。
父親も面会に来てはいけない規則なのか、キャサリンは、パパから定期的に送られる手紙と
プレゼントを何よりも楽しみにしていた。
そして、待ちに待った誕生日が、来月に迫っていた。今年は何を買ってもらおうか、というのが
キャサリンの最大の関心事だった。去年は、白い毛皮の縁取りの付いた、かわいらしいデザインの
コートを買ってもらった。
「去年の誕生日は、まだ私は子供だったから」とキャサリンは書いている。
「今年は、洋服なんて買ってもらわない。指輪がほしいの。」

日記に読みふける総司を放っておいて、俺は唯一得たパスワード、「キャサリン」から、
この建物の制御システムに何とか入り込もうと必死になった。

そうして数日があっと言う間に過ぎた。

「総司、あの部屋に、コンピュータの端末らしきものはなかったか。」
朝食の席で、俺は総司に訊いた。
ここの食料生産リサイクルシステムは半永久的なものだ。
俺は辛うじて調理センターのオートメーションシステムにアクセスする事で
ようやくそれだけ情報を得た。
だがそれでは何も解決につながらない。

外部との通信は一切できず、出入り口らしきハッチを見つけたが、開けるにはやはり
パスワードが必要だった。

「いや、機械といったらあの古めかしいトランジスタラジオだけだ。」
そう答えて、総司はふっと視線を宙にさまよわせた。
まるで、頭の中に響いてくる音楽に耳を澄ませているかのようだった。

「総司っ!」
ふいに理由のないいらだちに駆られて俺は、バン!と食事のテーブルを叩いた。
総司が、はっと我に返る。
「ごめん。」
「いいよあやまらなくても。…お前、疲れてるんじゃないのか。」
「そんなことないよ。」
「そうか..総司、今日は俺もあの部屋の探索に加わる。あの部屋に何かが隠されて
いるとしか考えられない。」

総司は無言だった。






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野うさぎ茶房店主宛て


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