「空海」創作ノート12

2005年8月

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08/01
月曜日。準備に手間取って午後4時に三宿を出る。途中、富士川で休憩。そこから運転を交代。北海道の旭川から留萌まで運転して以来のハンドル。静岡で土砂降りになった。まあ、こういう運転には慣れている。というか、昔はどんな状況でも平気で運転していた。最近、都内をあまり運転していないので、レーンチェンジに慣れていないというだけで、高速道路は問題ない。7時すぎに三ヶ日到着。もはや三ヶ日町ではない。合併して浜松市の一部になってしまった。ハイビジョンのNHKのデータ放送では、4ヵ所まで天気予報の地名を登録できる。三ヶ日町も登録してあったのだが、いつのまにか勝手に浜松市になっていた。今日は寝るだけ。空海が恵果と出会う重要なシーンの途中で中断しているのだが、昨日、最後の雑文を片付けたので、この三ヶ日では空海に集中できる。と思っていたのだが、「アインシュタインの謎を解く」のゲラが出たので、これもやらないといけない。文春ネスコで数年前に出した本で、ネスコがなくなったので、PHP文庫に入れることにした。「天才科学者たちの奇跡」が好評なので、続けて出すことで新たな読者が得られるだろう。ネスコで出した「謎を解く」シリーズの他の2冊も順次出していきたい。小説だと文庫化で文章をいじることはないのだが、この種のものは状況が変わっているので、じっくり読んで必要な訂正はしないといけない。空海の作業と並行することになるが、何とかなるだろう。

08/02
火曜日だが、もはや曜日は関係ない。文化庁も文藝家協会も大学も忘れて、ひたすら空海と向き合うことになる。が、本日は妻へのサービス。オープンしたばかりのイオン浜松市野店に行ってみる。イオンはすでに志都呂店という巨大なメガマートがあるのだが、そこから1時間もかからないところに新たな店をオープンした。これはマクドナルド状態だ。空き地があって他の店ができることを恐れて、すぐ近くにもう一軒店を出してしまう。さて、この新しい店は、けっこう大きかった。志都呂は3階建てで、こちらは2階なので、志都呂より小さいことは確かだが、専門店もたくさん入っていた。未来堂書店という本やが入っている。盲導犬の本と救助犬の本に挟まれて「犬との別れ」が1冊あった。集英社のナツイチ文庫のコーナーに「いちご同盟」が2冊、そして何と驚くべきことに、新潮新書のコーナーでは「団塊老人」が平積みになっていた。この種の本屋で自分の本が三種もあるのは快挙である。よく見なかったが、たぶんPHP文庫には「天才」があったと思う。この前、近くのイトーヨーカドーの本屋に行った時は平積みになっていた。「イエスの謎」はよく見なかった。ノンブックスそのものがなくなったので、コーナーがなくなったのではないか。三軒茶屋の本屋では、営業の努力の成果か、ダビンチコーナーに五冊くらい積んであった。本日は「アインシュタイン」のゲラ、序章だけ読む。「空海」は空海が曼荼羅の前で幻想を見るシーンを書く。これはこの作品全体の中の山場なのだが、意外にすらすらと書けている。これでいいのかと、ちょっと不安。

08/03
暑い。三ヶ日は軽井沢のような避暑地ではないが、仕事場は丘の上にあるので風通しがよく、暑いと感じることはめったにないのだが、今日は風がない。仕方なく午後になってからエアコンを入れた。このエアコンは24年前のもの。まだ動いている。偉い。「アインシュタイン」のゲラ、2章ほど進む。毎日、これくらいのペースでいいだろう。いい文章だ。「空海」はプリントした1章を読みながら、少し先に進んだ。1章の空海が敬語を使っているのはやはりおかしい。遜ることのない人格なので、敬語はすべて削ることにした。

08/04
7月は忙しかった。さまざまな原稿を渡して、何とか三ヶ日に来ることができたのだが、仕事が追いかけてくる。最近はデザインされた誌面の校正刷りをメールに添付して送ってくることも多いのだが、仕事場にあるパソコンは古いし、ここは電話線なので、ファイルを取り込むのにも時間がかかる。そもそもこちらの頭の中は空海でいっぱいで、しかもアインシュタインも入っているから、他の仕事はできない。ゲラはかなり進んだ。「空海」は停滞。少しずつ前進している。プリントの読み返しは、1章が終わった。1章は感動的だが、書いてから時間がたっているので、充実感がうすれている。まあ、この程度か、という気分だ。2章でもまだ空海は敬語を使っているので全部書き換える。けっこう手間がかかるが、敬語に変換する作業に比べれば楽だ。いま書いている4章でも、空海は皇帝や宰相を相手にしても敬語は遣わない。そもそも中国語だから、敬語などというものがあるのかも知らない。

08/05
暑い日が続く。夜は浜松までドライブ。ここにいると突然、中華料理を食べたくなる。三宿では、妻がいろいろな料理を作ってくれるので外食することはほとんどないが、ここはリゾートなのでなるべく簡単なものを食べることにしている。で、今日は浜松まで行ったのだが、入ったのはバーミアン。こういう時、チェーン店は安心できる。ゲラは完了。明日、発送する。これで空海に専念できる。

08/06
土曜日。ゲラを編集部に発送する。月曜に届くだろう。これで作業が終わった。あとは「空海」だけだ。義父母が来る。義父が老齢でクルマの運転が難しくなったので、バスで来た。浜松のバス停まで迎えに行く。高速道路のバス停に迎えに行くというのは初めての経験。下りたことはあるような気がする。昔、批評研究会の仲間と中央高速の猿橋で下りたことがある。空海は恵果との会話が進み出した。テンポよく展開する。テンポが遅くなると深みにはまりこむ。密教の奥義を伝えるぐだりであるが、奥義の内容を書くわけにはいかない。難しくなると読者が離れるし、わかりやすすぎると浅くなる。深みに入らないようにしてテンポで切り抜けるのが最上である。今日は少し風があったので、クーラーをかけずに、書斎の窓を開け放して仕事をした。夜中がどうなるかわからない。風がなくなることがあるし、夜中に窓を開けると網戸から虫が入ってくる。窓を閉めてクーラーをゆるくかけるといったことになるかもしれない。

08/07
日曜日。朝、突然、筋肉痛に襲われた。二日酔いかとも思ったのだが、これは病気だ。風邪の一種だろうと思う。漢方薬を飲んで一日寝ていた。三ヶ日の花火。前はこの時期だったのが、ここ数年、9月に移動していたため、見られなかった。久しぶりに仕事場の窓から楽しむ。筋肉痛なので寝ながら見る。

08/08
風邪は回復。早朝から仕事をする。両界曼荼羅の説明。難しいが簡単に説明する。

08/09
三ヶ日に来てから一週間以上たった。こちらはもう「空海」だけに没入しているのだが、世の中ではふつうの仕事が進んでいるようで、メールが入ってくる。文化庁が法政問題小委員会に業界関係者をゲストとして招くらしい。去年からこの委員会は、利害関係者をはずして、弁護士や大学教授などだけで進められることになったが、やっぱり関係者の報告が必要なようだ。その趣旨はわかるが、こんな話は聞いていなかったので、何だこれは、という感じだ。突然、文芸家協会に連絡が入ったようだが、わたしのところは電話をかけても誰も出ないから、文化庁も困ったのではないか。作家というものは、八月は山ごもりをするのだ。幸い、委員会のある日は、予定はない。その少し前にラジオ出演があるので、東京に帰ることにしていたので、実害は何もない。
ところで、自分の仕事。空海は恵果から灌頂の儀式を三回受けるのだが、その三回が終わった。順調に進んでいる。妻が志都呂へ行きたいというので、運転していった。たまにはドライブもいい。プリントをもっていったので、妻が買い物をしている間、仕事もした。食べ物の店が並んでいる広々としたコーナーで、生ビールとソーセージを買って、一息ついてから仕事。妻と、ついてきた義母が買い物を終えて、ソフトドリンクを買って休んでいたので、こちらは生ビールをもう一杯。リゾート気分になった。朝型の生活になっていたのだが、書斎にこもると筆が進んだので夜中も仕事。テレビで世界陸上をやっているので、ビールを飲みながら、為末の銅メダルまで見てしまった。これはなかなかのものであった。為末は準決勝はビリで決勝に残ったのだが、雷と豪雨で進行が送れ、その直後の三千メートル障害などは、一周四百メートルのトラックの全体が水濠状態だった。そういうところで、まともにレースができるのかという気がしたが、ハードリングに自信のある為末は今シーズンのベストを出し、他の選手は、ハードルを跳ぶのに逡巡があったようだ。たぶん為末は、いちかばちかで、いつもの同じペースで飛ばしたのだろう。偉い。

08/10
ひたすら仕事。空海はついに伝法灌頂を受けた。これはすごいことなのである。天竺から中国に伝えられた秘伝を、そっくり空海が受け継ぐというのだから、外国に行って何かのお裾分けを貰ってきたというのとは、わけが違う。最澄がもらってきたのはそういう感じのものだが、空海はまったく違う。秘伝の教えだけでなく、曼荼羅とか法具という、そういう物まで持ち帰ったのである。ここから、作品は一時、空海を離れる。日本で何が起こっているかを簡潔に読者に伝えたい。このあたりから文章のテンポを速くしたい。描写や会話を抑制して、アラスジを書くような感じにする。読者も、作品の終わりが近いことを感じるはずだ。終章はアラスジだけにしたい。長大な作品の終わりはそんな感じになる。同じテンポで書いていきなり終わってしまったので、読者は驚くし拍子抜けがする。空海が日本に帰り着くところで、空海の青春物語は終わる。あとはエピローグである。
プリントしたものの文字チェックを重ねてきた。空海が子供の頃、敬語を遣っていたのを、全部書き換える。傲慢不遜の子供という設定にする。そうでないと、唐に行ってからも態度がでかい空海のキャラクターとの連続性が難しくなる。で、プリントに赤字を入れたものを入力していく作業も並行してやっているが、これがけっこう疲れる。緊張を要する作業だ。

08/11
空海の渡航は、最澄のおかげであるが、帰国もまた最澄のおかげである。従来、空海が二十年の留学生で入唐したのに、なぜ二年足らずで帰ってきたのか、それが謎とされていたが、謎でも何でもない。そのあたりの事情をさりげなく書く。プリントの赤字の入力は第一章が終わる。大きな問題はない。

08/12
義父母が四日市にいる次男に会いたがった。四日市から三ヶ日は一時間余のドライブだ。しかし次男の方も予定があるだろう。妻がメールで連絡すると、金曜日(つまり今日)に韓国出張から帰るので、中部国際空港に出迎えに来たらどうかという、かなり勝手な提案であるが、セントレア空港というものを前から見たいと思っていたので、そういうことにした。しかし本日はお盆の大移動で東名がストップしている。下の道で進んで岡崎インターから乗った。予定より大幅に遅れたが、飛行機も遅れたのでちょうどよかった。嫁さんと合流して昼食。それから義父母を休ませ、こちらはデッキの方に行ってみた。「センター・ビアガーデン」という表示につられて、どんどん先まで進んだのだが、「ビアガーデン」などはなかった。よく見ると「ビア」ではなく「ピア」であった。「小道」というくらいの意味か。確かに、何もない通路が延々と続いていた。嫁さんはバスで来ていたので、次男夫婦もクルマに乗せて四日市まで行く。ここまでは妻の運転。わたしがナビゲーターをやった方が迷わずにすむ。しかし妻が疲れ気味だったので、帰りはわたしが運転した。岡崎から先が少し混んでいたが、何とか三ヶ日に帰り着いた。

08/13
浜松まで食べ物を買いに行ったほかはひたすら仕事。空海は日本に到着。プリントの赤字の入力も第二章完了。このペースだと明日には第三章ということになるが、そこまでプリントしていなかった。この仕事場にはプリンターがない。それから、重要な資料を一冊、忘れてきた。古代歴史人名辞典。これがないと、人物の正確な関係を見えてこないので、細かいチェックができない。ということで、20日すぎまでいるつもりだったが、早めに三宿に戻ることにした。義父母が15日のバスで帰るので、17日くらいに三宿に向かいたい。

08/14
ひたすら仕事。何と4章が終わってしまった。すでに文体はエピローグの感じでテンポが上がっているのだが、終章に突入して、あとはゴールに向かって突き進むだけだ。

08/15
義父母を浜松のバス停に送り、イオン志都呂店で買い物をしていると、次男からわたしのケータイにメール。嫁さんのお父さんが危篤らしいので宇部の実家に向かっているという。何があったのかは不明とのこと。お父さんはわたしより4歳ほど若い。痩せていて成人病になるタイプではないのだが、事態がわからない。仕事に戻ると、夕方、次男からのメールで、明日がお通夜だという。死因は肺ガン。前からわかっていたのか。3日前にセントレア空港で次男と嫁さんに会ったばかりだ。娘には隠していたようで、これでは驚いてしまう。三ヶ日から直接、宇部に行くことも考えたが、喪服の調達がめんどうなので、いったん三宿に帰ることにした。深夜のドライブになった。ネットでホテルを確保する。飛行機は最近事故が多いので新幹線で行くことにしたが、まだお盆ラッシュの時期なのでどうなるか。明け方、3章の後半と4章をプリントする。これが旅の友だち。

08/16
新山口に停車する列車は少ない。しかしお盆の時期なので臨時列車が出ている。ラッシュの逆向きなので、少し早めにホームに出ると自由席の列の2番目に並べた。楽勝。用意したプリントをチェックする。新山口から在来線に乗り換えて宇部へ。ホテルは名前の割に小さく古びていた。観光に来たのではないので贅沢はいわない。お通夜に参列。次男はよく働いていた。大学で体育会系クラブのマネージャーをやっていた。立派な若者になったなと思う。突然の訃報だから参列者も少ない。お父さんとは結納の時と結婚式の時に会っただけ。もっと何度の酒を飲みたかった。

08/17
葬儀に出席して三宿に戻る。車中はプリントのチェック。新幹線にしたのは車中で仕事をしたかったこともある。飛行機では速すぎて仕事ができない。

08/18
三宿での日常が始まる。久しぶり。コンビニまで買い物に行っただけ。文化庁に書類を出さないといけないことになり、著作権関係の日常が戻ってきた。

08/19
暑い。プリントのチェックを続けている。空海の悟りについて、パワーが不足していることに気づいた。もう少し描写が必要だ。高僧の悟りを描写するというのはどういうことか。自分でもよくわからないが、やるしかない。

08/20
文化庁に提出する資料の締め切りが迫っているので、本日はこちらが中心。著作権の重要な問題であるので、空海の方は一時ストップ。空海も最大の山場なので、文化庁の方を完全に片付けてから、集中力をアップして臨みたい。

08/21
日曜日。昨夜は文化庁への報告だけでほとんどの時間を費やしてしまった。えらいロスだ。明け方、少しだけ自分の仕事をした。空海が曼荼羅の前で菩薩の高みに昇っていくところ。まだ頭の中に著作権問題が残っている状態だが、少し書けたので明日につながる。で、今日はこれから仕事をする。昼間はビールを買いにいった。三軒茶屋ではサンバをやっていた。昨日、三軒茶屋を散歩していると、「三茶でサンバ」という恥ずかしいポスターがあった。昔、大阪のJRで見た「痴漢、アカン」というのに匹敵するくらい恥ずかしい語呂合わせ。来週はいよいよ雑用が始まる。まあ、忙しい時に比べればたいしたことはない。大学は昔は9月の半ばから始まっていたのだが、今シーズンは10月からスタートするらしい。で、9月はまだ仕事ができる。空海は今月で完了して、次に進みたい。

08/22
まだ三宿での日常に慣れていない。あまり忙しくないというのもペースがつかめない理由である。三ヶ日にいると、家の周囲に景色があり、歩いていくと湖があったりするので、生きているという感じがする。三宿の自宅の周囲にも景色があるはずだが、あまり見たくもないし、書斎の窓からは自分ちの塀しか見えないし、リビングルームから見えるのは向かいのアパートだけである。いまは昼間は冷房の効率をよくするために、ダイニングで仕事をしている。ここから見えるのは、隣の庭で、かろうじて空と緑が見える。暑いので散歩が楽しくないこともあって、自宅に閉じこもっている。大学とか会議とかで出かけることもない。まあ、「空海」に集中する雰囲気はできているのだが、引きこもり状態になるとかえって何も書けなくなるということもある。いまは、少しは書いている。空海の悟りの境地を文章で書くというこの作品最大の山場を書いているので、気分は充実しているのだが、何か、閉じこもっている感じがする。明日はラジオの仕事がある。午後五時のニュースのあとの生番組。老人問題。ラジオというのも閉じこもった仕事だ。妻に車で送ってもらって、タクシーで帰ってくるだけで、ほとんど外出した気分がしない。というような状況の中で、「空海」はゴールに向かいつつある。

08/23
昨夜の明け方、何とか空海の悟りについて書いたような気がしたが、何を書いたか記憶がない。書いたものを入力。まだ修正が必要。妻が風邪気味だが運転はできるというのでNHKまで送ってもらう。午後5時からの番組に生出演。老人問題。去年出した本だがまだ話題になっている。帰りはタクシー。いつも伝票をもらう。わたしはタクシーに乗るのが嫌いなのだが、こういう場合は乗るしかない。NHKから自宅まではあまりに近いので申し訳ないのだが、夕立になったのでよかった。

08/24
ここまで、プリントをチェックしたものの入力を進めてきた。空海の悟りのシーンが山場として盛り上がりが不足しているので、全体をやり直すという作業が大変で、エピローグを先に進めることができなかったのだが、すべての作業が終わった。本日から、エピローグを先に進める。ゴールは目の前であるが、慎重に進めたい。明日、9時半からの会議というとんでもないスケジュールが入っているが、気にせずに徹夜の覚悟で作業に集中したい。

08/25
睡眠時間3時間弱。少し寝不足。如水会館というのは、ふだんは使わないところ。いつものように妻に送ってもらう。本日は参考人としての意見陳述なので、短く報告して、中休みのところで退席した。9時半からの会議というのは、夜型の作家にとっては、寝るな、というようなものだ。でも、早起きすると一日が長い。

08/26
夜中に台風がすぎていった。エピローグ、もはやシーンとして描くことは何もない。必要事項を年表風に列記するだけでいいのだが、これで終わった感じがするか検討する必要がある。散歩中にケータイに電話。この電話番号を知っている編集者は少ない。「アインシュタインの謎を解く」の再校が出たとのこと。明日届く。まず「空海」を仕上げてからか。

08/27
薬子の乱を簡単に書いて、あとは弟子の紹介。このあたりはまったくエピローグふうの文体で書いてある。最澄も出さないといけないが、いやなやつになりそうなので、なるべく短く書きたい。本日は同窓会(高校)だったのだが、妻が風邪でダウンしたので欠席。わたしの同窓会ではないので、わたしだけ行くわけにいかない。

08/28
日曜日。最澄との最後の対決。セリフのやりとりが多いと長くなるので、説明だけで終わらせたい。もはやエピローグモードに入っているので、このままの文体で押し切りたい。

08/29
妻の風邪が治っていないのだが、涼しいと回復するかと思い、軽井沢へ行く。久しぶりに運転。

08/30
いつもお世話になる友人と草津へ行く。

08/31
早朝に軽井沢を出発。妻の体調、結局戻らず。軽井沢の運転は快適だが、環七の渋滞は疲れる。軽井沢では、空海が恵果から付法を受けるシーンから、最新のところまでのプリントをもっていく。涼しいベランダで仕事ができて、予定をすべて果たす。暑い三宿で入力作業。まだエンディングには到らない。
今月も終わる。この「空海」のノートが丸一年になるので、9月からは新しいタイトルをつける。で、まだ完成していないのだが、「空海」のノートはここで終わる。完成の喜びなどは次のノートに書く。しかしとりあえず、ゴールが見えてきたこの段階で、ノートを締める感想を書いておきたい。疲れた、としか言いようがないが、空海という人物が見えてきただけでなく、宇宙論とか哲学の面でも、空海を描くことによって、自分の視野が広がったように思う。この作品は、空海はこういう人です、というような歴史小説ではなく、空海をキャラクターに用いた、わたしの哲学を展開した作品になっている。しかし空海のこともちゃんと書いてあるので、真言宗の人が読んでも、おお、そうだったのか、と驚き、感動できるような内容になっている。批判はまったくしていない。ただ、最澄の影がうすいので、天台宗の人にはお薦めできない。とはいえ最澄の批判もしていない。空海と最澄の違いを明確に描くということで、両者が必然的に友だちにはなれなかったということを表現してある。
自分にとってこの作品がどういう意味をもつのかということも考えてみなければならないが、まだ完成もしていないので、ゆっくり考える気になれない。なぜこの作品を書き始めたのかということも、忘れてしまった。1年以上も前のことだ。「桓武天皇」を出してくれた作品社の仕事だから、歴史小説の続きという意味合いがあるが、ここでは「釈迦と維摩」も出しているので、仏教小説の続きという意味合いもある。すると次の作品ということも考えないといけないが、しばらくは青春小説を書きたいという気がするので、ゆっくり考えたいと思う。というようなことで、このノートを締めくくりたい。


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