「空海」創作ノート5

2005年1月

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01/01
正月。仕事場から初日の出を見る。浜名湖越しに初日の出が見えるのがこの仕事場の最大のメリットであるが、寝過ごすこともある。今年は妻、次男夫婦とともに見る。義父母は寝過ごした。ゆっくりと新年を祝う。その後、百人一首。長男の嫁さんのエレーナが来た時も百人一種を読めた。エレーナも平仮名は読めるので何枚かとった。次男の嫁さんは日本人だし、教養のある人だから、百人一首は知っているが、次男の驚異的な暗記力に、ショックを受けたようだ。次男は理科系だし、文学的な教養はまったくといっていいほどないのだが、百人一首だけはほとんどを暗記しているので、カルタとりは強い。隠れた才能である。あまり長くやると疲れるので、坊主めくりをしたあと、初詣に出かける。奥山方広寺。何百体もの羅漢像がある。それから井伊谷宮。駐車場が混んでいたので、隣の龍譚寺の駐車場に入れる。寺と神社は裏でつながっている。寺の裏の墓地から回っていくと、お宮の前に長蛇の列ができていたが、横からお参りをさせてもらう。夜はまた百人一首。文化的な正月である。

01/02
毎年この日は別荘地の管理棟の前で餅つきがある。わたしは餅は好きではないのでいつもは行かないのだが、今年は次男夫婦がいるのでいっしょに行った。樽酒を升に入れて配布していたので3杯飲んだ。餅は一回並んだだけだが、若夫婦は2回並んだ。1回で6個くらいくれるのだが、全部食べてしまった。次男たちは今夜、大学の仲間の宴会があるというので、浜松の駅まで送っていく。こちらは帰って仕事。「空海」最初から読み返している。草稿ではふつうの歴史小説ふうに、生地の様子などを記述していたのだが、それでは迫力がない。母が写経をしている場面から始めて、いきなり宗教的な雰囲気を出すことにした。夕食はおせちの残り物。若夫婦がいなくなると、急に食事のレベルが下がる。

01/03
穏やかな天気が続く。何事もなし。箱根駅伝、早稲田はまた10位に入れなかった。来年も予選に出ることになる。正月は曜日の感覚がなくなるが、月曜らしい。とくにどうということはないが。「空海」の冒頭部、これでいいという感じに仕上がった。丹生の里という架空の山里が少年時代の重要な舞台となる。長老の翁を登場させる。誰が空海を仏教に導いたかというのが、仏教界、学会を通じての謎とされているのだが、重要人物が導いたということにすると、その人物の名が残っていないことが不自然となる。少年時代に四国の山を歩いて修験者や水銀鉱山の民と接触したという設定にして、その全体が少年空海を民間信仰に導いたということにする。これはわたしの創作である。

01/04
ひたすら仕事。ようやくペースが出てきた。次男夫婦がいた時は、仕事場にこもらずに、皆といっしょにいて、パソコンを膝にかかえて時に仕事をしていたのだが、義父母だけになったので仕事部屋にこもる。この仕事場は斜面に建っていて、浜名湖に面した庭の側から入ると、1階にあたるのがキッチンが一体になった広いリビングルーム、ここには6畳の和室もついていて、ここがわたしと妻の寝室にもなる。この1階から見ると地下にあたる部分に和室が2間あって、1つが義父母の寝室、もう1つが子供の寝室となっている。長男夫婦が来た時も、次男夫婦が来た時も、ここを利用する。地下といっても、急斜面に面しているので、窓はあるし、別荘地の向かい側の建物から見れば、地下の部屋もまだ高台にあるといっていい。わたしの仕事部屋は、リビングルームから階段を少し昇ったところにあって、風呂場と洗面所の上のロフトスペースのような感じになっている。リビングルームよりも少しだが高くなっているので、ここからの浜名湖の眺めは最高である。ここにこもると、仕事がはかどることは間違いない。大工さんが来てしゃべっていったが、こちらはひたすら仕事。妻と義父は大工さんのところへ行って、ミカンをわけてもらってきた。大工さんはミカン農家の生まれで、若い頃は大工さんをしていたのだが、お父さんがリタイアしたので、いまはミカン農家との兼業である。出荷用の粒ぞろいのミカンを有料で購入することもあるが、規格外品をタダで貰うことも多い。家の補修や庭の草刈などもやってもらっているので、世話になりっぱなしだが、同世代の友人である。

01/05
義父母帰る。こちらはひたすら仕事。空海の初体験について。そんなものわかるわけはないのだが、小説だから想像力によって空海の初恋を描かないといけない。光明という少女を登場させる。史実ではないが、空海の人生を決定する重要な出会いとなる。もう一人、阿毘居士という翁を登場させる。この翁の口から、仏教の最初の原理が語られることになる。なぜ少年時代にこういうプロットを作るかというと、平城京に出たあとの空海の軌跡は仏教一筋といっていいからだ。大学に入って儒教を学ぶうちに儒教に限界を感じて、それから仏教に転じたというのではテンポが遅すぎる。四国にいた時代にすでに空海の内部に仏教的な世界観ができていたはずである。その仕掛けとして少女と翁を登場させる。

01/06
本日は志都呂のイオンへ行く。とくに買うべきものもない。近くにカインズホームがオープンしたので、トースターを買う。三宿のトースターが壊れたらしい。老人に使いやすいシンプルなものを買う。さて、三ヶ日での新年もこれで終わり。明日は三宿に戻る。この新年は、次男夫婦が来てくれたことで、いままでにはない楽しいものになった。

01/07
三宿に戻る。まずホームページの整理。

01/08
妻とピアノのリサイタル。長男のソルフェの先生のところでいっしょだった後輩の演奏。こういう演奏会に行くとスペインにいる長男はどうしているかと気にかかるが、まあ、楽しくやっているのだろう。音楽院の先生になったばかりなので、慣れないこともあるだろうが、スペイン語はかなりできるので問題はないだろう。「空海」冒頭部分から徹底的にチェック。まだ流れがスムーズでないところがある。先を急ぐと読者がついていけなくなる。少年の心の動きを無理なく追っていきたい。

01/09
日曜日。妻と三軒茶屋まで散歩。寒い。ものすごく寒い。

01/10
祝日。寒いので散歩は休んだ。すると体重がリミットをオーバーした。三ヶ日では朝型なので昼御飯を食べるのだが、三宿では夜型になる。いまは微妙に早起きしてしまうので昼御飯を食べてしまう。それがよくないようだ。
01/11
今週からフットボールのテレビ観戦の日々だ。昨日はラムズ、本日はジェッツが勝った。まだワイルドカードからのチームの試合で、本命チームは一回戦は不戦勝だが、勝ち上がっていくチームの陣容も見ておかないと面白くない。ラムズはけっこう強そうだ。わたしが応援しているのはスティーラーズで、コーデル・スチュアートというQBがいた頃から好きだった。黒と黄のヨニフォームがスズメバチみたいで美しい。QBがマドックスになってからは、少し気持ちが離れていたのだが、今年はロスリスバーガーという新人QBが加入して大活躍をしている。そのロスリスバーガーが肋骨を傷めているというので心配である。またマドックスが出るようなら、マニングのいるコルツを応援しよう。同じカンファレンスなので、決勝戦で当たることになる。というような話はフットボールに興味のない人には何のことかわからないだろうが、このシーズンは仕事に集中できない。

01/12
本日はフットボールの放送がないので仕事ができる。まだ第一章、空海の少年時代をうろうろしている。主人公の世界観の形成の歴史を描くことになるので、出発点の少年時代は重要だ。伝説にあるように、唐の高僧の生まれ変わりで、赤ん坊の頃から漢語ができた、ということなら話は簡単なのだが。四国の讃岐に生まれた地方青年がどのようにして、仏教の世界観を築いていくか、そのプロセスを読者に伝えるのは簡単なことではない。資料を読んでもわからない。結局のところ、自分がもっている世界観がどのようにできたかということを参考にするしかないだろう。小説を書くというのは、最終的には作者の世界観を描くということでしかない。しかし、自分の世界観、仏教観がどのように形成されたかというのも、これだ、というかたちで示すことはできない。とにかく、一歩ずつ進んで、読み返し、読者に伝わるか、ということを念頭において、修正を加えていくしかないだろう。
今日は衛星放送のフットボールはないと思っていたのだが、民放が放送した。バイキングズが勝った。あと1試合はどうなったのか。新聞は見ないようにしているのでこの時点でまだ結果は知らない。

01/13
フットボールの残り1試合はマニングのコルツの大勝。実は昨日、気になるのでインターネットで結果を調べてしまった。フットボールは有料放送では同時中継をしているらしいが、アメリカのナイトゲームはわたしの生活時間帯ではないので、無意味だ。スーポーボールもかなり無理をして見ないといけない。ビデオをセットして、遅れて見ることも多い。さて本日は妻とお台場へ行った。一種の散歩である。お台場は映画館がすいているので時々行く。ふだんは環6を回っていくのだが、本日はカーナビの指示に従ったら、道路がすいていて意外に早かった。以前、次男のカーナビで行った時は六本木の交差点を右折したのでずいぶん時間がかかった。六本木ヒルズができたのでそこで右折できるようになった。カスミ町(古い!)の交差点を左折して、大回りでトンネルをくぐる方法もあったが、これも遠回りだ。結論として、このコースは最短である。お台場へ行ったのは目的はない。いつもの散歩は三軒茶屋か下北沢で、飽きたということである。三ヶ日にいる時は時々イオン志都呂店に行く。ここは店の中を歩くだけでハードな散歩になる。お台場もかなりの散歩になるはずだが、本日は寒いので、メディアージュの建物と隣のデックスに行っただけ。映画館の前にも行ってみたが、わざわざ見るだけの映画がない。ゴジラを見てもしようがないし、宮崎アニメも今回はパス。お台場でよく行くのは香港街の麻婆豆腐の店だが、本日はパス。ビールを飲みたかったから。この店の麻婆豆腐はとてもからいのでビールは飲めない。ビールを飲むと炭酸ガスの気泡が舌に刺さる。で、知らない店に入ったが、広大な店なのに客がいなかった。お台場の全体がさびれつつある。イオン志都呂店の方が賑わっている。
「空海」は最初から読み返し、つまずくとそこを修正し、また最初から読み返すという作業を続けている。本日はつまずいた。仏教のついてのある程度の認識がないと、少年空海の世界観を示すことができないと感じた。少年はまだ仏教について何も知らない。しかし天才少年なので漢文は読める。自宅に法華経は全巻揃っている。そういう状態で経典を読むとどういうことになるかを考えないといけない。

01/14
法華経の簡単な説明を書く。空海が最終的に最高の経典としているのは大日教だが、そこに行くまでのプロセスとして、法華経、華厳経、大日経という段階的な思想の展開がある。これを語らずして空海を描くことはできない。理屈っぽくなるがメロドラマではないので仕方がない。法華経をちゃんと説明しておいてから、初恋の女の子が死んでしまうという、ありがちなメロドラマも挿入することにする。

01/15
土曜日。雪という予報だったが冷たい雨。寒いので散歩は休み。今週は公用が何もなかった。新年になってもずっと休みが続いている感じだ。作家としての仕事はやっているので、休んでいるわけではないのだが、気分的にのんびりしてしまっている。昨年暮れが異常なスケジュールで大変だったが、ひますぎるとかえって気が抜けてしまう。これが作家としての正常な生活かもしれないが、少しくらい忙しい方が精神がひきしまって調子がいい。まあ、4月からは大学も始まるので、もっと忙しくなることは間違いないのだが。

01/16
日曜日。今日も雨。散歩は休み。雨が降る度に散歩を休むのはよくない。「空海」第一章の山場。初恋の場面。難しい。何度も何度も書き直して修正するしかない。

01/17
誘惑に負けてフットボールのホームページを見てしまった。まずい。コルツは負けていた。新記録を達成したQBマニングの神通力もニューイングランドでは通じなかった。今シーズンわたしはスティーラーズを応援していたので、コルツが勝つとスティーラーズと当たってしまい、どちらを支持すべきか苦しむところであった。ところで本日のNHKの放送ではスティーラーズの試合をやっていたが、QBロスリスバーガーの調子がよくない。肋骨骨折の影響か、寒いので手袋をしているせいか。しかしバスというニックネームのベティスのランが好調なので、パスを投げないようにすればいいだろう。「空海」は山場を越えた。空海の初恋。これはまったくのフィクション。偉人であるので下品にならないように、少しウソっぽいという気もするが幻想的な処理をした。山里の翁が仏教についてありがたい言葉を述べる。自分で書きながら、何ともありがたい言葉だと感動する。

01/18
妻と世田谷区の出張所へ。手続きの自動化に対応するカードを作るため。近所の出張所が縮小され、自動機械で対応するとのこと。合理化には賛成である。それから下北沢に散歩。喫茶店に入ると、午後4時から大ジョッキが割引ということで、ビールを飲む。穏やかな午後だ。「空海」第1章ほぼ終わる。これで讃岐ですごした少年時代が終わり、舞台は奈良、長岡に移る。ここで休憩して、「天才科学者」の再校の作業に入る。突然また物理学の世界に戻る。頭を切り替えないといけない。

01/19
図書館との協議会。図書館における複製について。これは難しい問題がたくさんあって、簡単には解決しないが、少しずつやっていくしかない。

01/20
土曜の講演会の打ち合わせで担当者来訪。このところ講演というと、著作権問題か老人問題が多かったのだが、久しぶりに歴史について語れるのでありがたい機会である。夜はカルチャーセンターで講義。こちらは老人問題。

01/21
本日は公用なし。下北沢まで散歩。「天才科学者」のゲラを読み進む。校正者のチェックがかなりあり、確かに言われてみればヘンだという気がするところがいろいろあって、自分の文章の不完全さを認識することになる。1つ1つ片づけていくしかない。

01/22
日本青年館で講演。「持統天皇」について。講演時間が1時間10分と、少し短かったが、何とか必要なことは話せた。夜は男声合唱団の練習。軽く飲んで帰る。

01/23
日曜日。寒いので散歩は休み。短い原稿を書く。夜中、「天才科学者たちの奇跡」再校ゲラ完了。これで手が離れる。が、よく見れば、奥付の著者紹介のところが空白になっている。これは著者自身が自分で書き込めということか。担当者にメールで確認してから、完了ということにする。

01/24
文化庁。本年度は法律改正の提案はないので、この会議でもとくに論争はなかった。退屈な会議である。夕方、いつも散歩で出かける三軒茶屋のキャロットタワーで「せたがやの魅力を語る懇話会」。これは面白かった。いろんな人が世田谷の魅力を語った。下北沢や三軒茶屋のごみごみとした町並みを、誰もが愛しているということがわかって、ほっとした。役人だけに任せておくとビルを建てたり広い道路で町を分断してしまうので、このような懇話会の試みは重要である。
奥付の著者紹介の件、メールで担当者に問い合わせると、担当者の作った原稿が届いたので、それでオーケー。ということで、ゲラを宅急便で送る。さて、まだやらねばならない細かい原稿がたくさんある。
ところで、本日は月曜日だが、午前中はまだアメリカ時間では日曜日である。アメリカンフットボールの同時中継をNHKの衛星放送でもやっていた。残念ながら文化庁の会議があったので、見ることはできなかったが、出がけに一瞬だけテレビをつけると、ペイトリオッツが買っていた。ラン攻撃の多いスティーラーズは先行逃げ切りのパターンでないと勝てない。この時点で敗北を確信した。会議を終えて自宅に帰り、ホームページで確認した。終わったばかりだからまだ記事は出ていないが、得点表だけが掲示されている。ところがこの得点表、チーム名が出ていない。ヘルメットのマークでチームが表示されている。しかもとても小さい。スティーラーズとペイトリオッツはわかりやすいが、イーグルズとファルコンズはどちらも鳥なので、一瞬、どちらが勝ったかわからなかった。どちらもタカ(ファルコンズはハヤブサだ)だ。白い鳥と黒い鳥が表示され、白い鳥が勝っていた(そういえばコルツ対ブロンコスもどちらも馬だが、コルツのマークは馬蹄なのですぐわかる)。すぐに三軒茶屋の世田谷区の懇話会に行かなければならなかったので、パソコンを閉じて出かけた。三軒茶屋への緑道を歩きながら、急に思い出した。イーグルズのヘルメットはグリーンに白い羽がついている。イーグルズはただのタカではなく白鷹なのだ。これでわたしが応援していた2チームは両方とも敗退していた。コルツも応援していたのだが。ということで、わたしの今シーズンは終わった。わたしは数年前までペイトリオッツを応援していた。それはブラッドソーというQBが好きだったからだ。終盤で負けている試合を驚異的なロングパスで大逆転する神業のようなプレイがある半面、序盤でターンオーバーを連発するもろさがあって、監督に嫌われたのだろう。いまのQBブレイディーが台頭し、ブラッドソーは淋しく去っていった。それは今年のスティーラーズのロスリスバーガーの出現でマダックスが出場機会を奪われたのと同じことだが、ブレイディーはQBとしてはセコイ感じがして好きになれない。若さがないのだ。セコイといえば、ペイトリオッツの監督のベリチックは、これ以上ないくらいセコイ人物である。つねに冷静で、絶対に笑わない。ヤンキースのトーリ監督も笑わないが、ベリチックはさらに陰気な感じがする。わたしはこういう人物が、実は好きだ。しかし見ていて面白くない。さて、スーパーボールは、もはやどうでもよくなったが、イーグルズはケガで休んでいるワイドレシーバーがあと2週間で回復すれば、面白くなる。回復しなければ、ペイトリオッツの楽勝だろう。それにしても、ペイトリオッツというのはいやなチーム名だ。わたしはヒッツバーグスティーラーズ(製鉄労働者)とか、グリーンベイパッカーズ(缶詰労働者)といったチーム名が好きだ。鳥でも獣でもいい。チーフス(酋長)、レッドスキンズ(赤い皮膚)、といった人種差別は許し難い。愛国者というのも、イングランド系の白人(しかもプロテスタント)を想定した命名だろう。などとフットボールで盛り上がり、急に寂しさが押し寄せてきた。そういえばいつのまにか相撲が終わっていた。わたしは19歳なのにすでに老成しているような、つねに冷静な白鵬が好きだ。

01/25
教育NPOとの交渉。とくに問題はない。出がけに目黒川の緑道で、今年初めて、サギを見た。足で川の底を掘りながら、エサらしきものをついばんでいた。5分くらいたたずんでサギを観察した。サギというのはどうしていつも、洗濯したみたいに真っ白なのだろう。サギは美しく、カラスが不快に感じられるのはなぜなのか。昨日の懇話会でも、この人工の緑道のことが話題になった。最初に北沢川の緑道ができた時は、住民参加でアイデアを練ったらしい。いまは目黒川方向に工事を進めているのだが、予想したとおりかなりお金がかかるらしいので、どんどん延ばすというわけにはいかないようだ。

01/26
本日は公用は休み。雑文を少し。昨日、前から気になっていた1章のエンディングの部分を書き換えて、これでスッキリした気持ちになった。ようやく第1章が完成したという気分になった。それで、第2章に移る。第2章は平城京、長岡京など、都会が舞台だから、話の進行がスピーディーになる。1章は山の中ばかりで動きが少なかった。これからは書く方もスピードが出るのではないか。そうあってほしい。

01/27
横浜でシンポジウム。前の著作権課長の岡本薫さんと久しぶりに会えて楽しかった。会場の国連大学の研究施設は立派な建物だが、何をしているところなのか結局、よくわからなかった。

01/28
金曜だが休み。「空海」の第2章を進める。状況の説明が必要である。空海が讃岐から平城京に出てくる。すでに長岡京への遷都が実施されているが、宮殿の周囲に貴族の館が建ち、移転が進んでいる途上である。なぜ遷都するのか。桓武天皇はなぜ遷都を急いだのか。そもそも桓武天皇とは何者なのか。もちろん拙著「平安の覇王/桓武天皇」を読んだ人には自明のことだが、桓武天皇のことを知らない読者には、この驚くべき状況を説明しないといけない。天武天皇の末裔がことごとく滅びてしまった経緯は、それだけでも何冊の本にもなる、殺戮の歴史である。これを「血なまぐさい歴史があった」といった1行ですましてしまう。それも1つの方法だが、仲麻呂と道鏡の名前くらいは出しておきたい。そうでないと、藤原一族の存在感も出てこないし、伊予親王、和気清麻呂といった重要登場人物も桓武天皇と深くかかわりをもっている。しかしその説明だけで何ページにもなってしまう。とりあえず説明しておいて、あとでストーリーが動き始めてから自然に説明できるような展開になれば、この冒頭部分の説明を削っていくということにする。

01/29
土曜日。前から気になっていたことがある。去年出した『桓武天皇』には最後のあたりに空海がちらっと登場する。今回の作品は『桓武天皇』の続篇みたいなものだから、前作の空海のイメージを踏襲する必要があるのだが、その空海はかなり乱暴な人間である。天皇に向かってもぞんざいな口のききかたをする。ところが、いま書いている『空海』の第一章では、子供なので、とても丁寧なしゃべり方をする。実は書き始めの時は、無邪気で粗暴な感じを出していたのだが、それだと生意気そうに見えてしまう。父や母には敬語を使わせたい。第2章では、佐伯今蝦夷、藤原是公、勤操(僧)などの重要人物と初対面の会話を交わすことになるが、ここでも敬語を使うのが妥当だろう。幼少の頃から儒教を学んでいるから、長幼の序は重んじなければならない。しかし、空海は偉大な人物であるから、どこかで、自分の周囲の人間は全部バカだと思う時があるはずだ。そこからは自信をもって堂々と自己主張をすることになる。相手が天皇でも対等の立場になる。それくらいのプライドと無神経さをもった人物として描かないといけない。その変わり目をどう描くかがポイントとなるだろう。

01/30
日曜日。妻と下北沢へ。天狗祭りをやっていた。駅前の太鼓と笛の演奏をやっていた。祭囃子みたいなものをやっていたのだが、エンディングは「天国と地獄」だった。生ビール一杯飲んで帰る。

01/31
書協。図書館との協議に関しての権利者側の打ち合わせ。よその図書館から借りた資料をその図書館でコピーできるようにしてほしいという要望で、コピーをとること自体は利用者の立場からすれば容認しなければならないのだが、そもそも資料の貸し借りが頻繁に起こるような事態が際限もなく増えるようだと問題である。前からわたしは問題提起しているのだが、地方の図書館が県立図書館から資料を借りて利用者に提供するようになると、純文学や学術書は49冊しか売れないことになる。理想をいえば、よい本を出せば見識のある図書館司書が必ず購入してくれて、そういう見識のある図書館司書がいる図書館が2000館あれば、日本の文芸文化は永遠に生き延びることができる。49冊しか売れないとなると、良質の本を出す出版社がなくなり、書き手も飢え死にすることになる。図書館間の貸し借りについては、どこかで歯止めが必要である。


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