「空海」創作ノート4

2004年12月

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12/01
三宿に戻る。雑用が山のようにたまっている。まずはホームページの更新から。

12/02
文藝家協会理事会。前回の理事会から半月もたっていないので、議題はわずかだが、予備校との協定という大きな問題があった。無事に承認される。この問題は、やってみないとわからないところもあるので、やってみるしかない。前回に承認された私立学校との協定と合わせて、懸案事項を本年中にクリアできたので、大きな成果といえる。いままでお金を払っていないところからお金をいただくというのは、大変な難事業である。しかし、関係者のご理解を得て、補償金システムが実現に向けて動き始めた。これは大きな成果だ。
「空海」もこつこつと書いている。父、母、それに山岳修行者との出会いなど、必要事項を一つ一つ書き込んでいる。テンポを損なわないように必要事項をクリアするのは大変だ。

12/03
『アエラ』の取材。団塊の世代の子育てについて。子育てといっても、団塊ジュニアは育ってしまっているのだから、いまさら育てようとしてもどうしようもないという気もしたが、コメントを求められたので、いまからでもできるアドバイス、といったものを話した。大学の先生をしていた頃、学生たちに問われると話していたことだが、人生を生きる秘訣は、「目標/戦略/努力」これしかない。しかし現代の意欲のない若者は、目標が見つからないのだ。親にできることは、メニューのように複数の提案をすることだけだろう。選ぶのは本人だ。しかし的確な選択肢を用意してやれば、自分で決断できる可能性がある。放っておくのはよくない。

12/04
土曜日。本日は何事もなし。「空海」を進める。空海は恋をしたか。資料は何もない。ただ「三教指帰」には性欲で悩む人物が出てくるので、その種の問題意識はあったはずである。「理趣経」では男女混交の時は菩薩の境地なり、といったことが説かれている。禁欲という発想ではなく、自然に任せるという傾向がある。わたしのように老人になれば、自然に任せるということで何も問題はないが、若者の場合は問題が生じるはずである。山岳修行をしていた頃の空海には、恋人がいたのではないかと思う。小説だから、フィクションも許されるだろう。新婚旅行に行っていた次男夫婦が無事、成田に帰ったようだ。よかった。

12/05
日曜日。姉の芝居の昼の部(本日がラク日)を見た次男夫婦が夕食に寄って、新婚旅行のお土産をくれた。結婚式は夏だったが、いままで休暇がとれなかったのだ。二人とも少し日焼けしたようだった。結婚して3カ月以上たったが、まだとても仲がいい。さて、明日は北海道で講演があるのだが、大雪の予報。無事にたどりつけるか。10月に石川県で講演した時は、帰りが心配で、結局、鉄道で帰ってきたのだが。

12/06
早朝に家を出て札幌に向かう。羽田のカウンターが大混雑だった。なぜか自動チェックインの機械が受け付けてくれなかったので、長蛇の列に並んだ。そういう人が多いようで、飛行機の出発がが40分ほど遅れた。北海道の図書館司書の集まりでの講演。図書館とは長く論争を続けてきたのだが、自分なりに和解のポイントを見つけてきたので、こういう機会に直接、話を聞いてもらえるのはありがたい。

12/07
飛行機は定刻に出たが、なぜか霞ヶ浦の上で2回旋回した。次男が結婚前まで住んでいた独身寮が真上から見えた。夜は塾関係者と打ち合わせ。というか、忘年会みたいなもの。今年は多忙であったが、すべての作業が前向きに進行している。来年は少しらくになると希望的に思っている。

12/08
下北沢に散歩。それだけ。「空海」の少年時代。初恋(フィクション)をコンパクトに書いて先に進みたい。

12/09
早稲田文学の新人賞授賞式。もう20回目くらいになる伝統的な会だが、これは忘年会みたいなもので、年に一回、大学の先生や、評論家や、過去の受賞者に会う。わたしは編集委員を長く務め、選考委員もやっていたし、大学の先生もやっていたので、主催者側の立場だったのだが、リタイアして4年目で、少しは距離がとれたかと思っている。が、来年度からまた大学の先生をやることになっているので、このコミュニティーに加わることになる。懐かしい面もあるし、まだ続いているのかという気持ちもあるが、若い人たちが育っているので、「長老」の一人として参加すればいいと思っている。

12/10
本日は公用なし。下北沢まで散歩。あとはひたすら仕事。なぜか雑文がたまっている。来週のあたままでに大量の原稿を書かないといけない。

12/11
16日の教育NPOとの協定の時のレジメ作成。記者発表の時に配布するもの。教育機関から補償金をいただくことになる第一歩の画期的な調印である。三宿のあたりを散歩。大学から書類が届く。来年度からまた客員教授をやる。すでに講義要項の原稿依頼は届いている。大学の先生は長く務めてきたし同じ場所だから勝手はわかっているのだが、4年間のブランクがあるので少し緊張する。

12/12
日曜日。公用は何もなし。妻と下北沢まで散歩。雑文の残り。今年はNPOのタダの原稿も含めて、2000枚ほどの原稿を書いた。書き下ろしの本を5冊も出したのだから、「原稿料」というかたちの収入はほとんどないかもしれないが、そのうち3冊は増刷になったので、まあ、よく働いた年だと思う。講演も多かった。これも文藝家協会やNPO主催の講演は無償だが、教育関係や図書館関係からは講演料をいただいた。ありがたいことである。こちらの主張がしだいに多くの人に伝わっていくことを確認できた一年だった。と一年を回顧するような気分になっているが、来週は忘年会がひしめいているので、もう回顧するようなムードになってしまっている。「空海」は来年まで持ち越すことになるが、どこかでピッチを上げて一気に完成させたい。

12/13
月曜日。文化庁の契約流通小委員会。著作権等管理事業法の見直しについて。とくに意見もないのでただ聞いているだけにしようと思っていたが、話の成り行きで一言だけ発言。この法律は根本的な見直しが必要だが、根本的に見直すためには、当面はこのままにしておくということになる。わかりやすい話である。フリーエディターの中村くんと三宿で飲む。「犬との別れ」はめでたく増刷になった。ありがたいことである。増刷の祝杯をあげる。

12/14
自宅にて「サンデー毎日」の取材。団塊老人について。本の宣伝になる。雑文をひととおり片づけたので久々に「空海」に戻る。最初から読み直す。

12/15
ペンクラブ理事会にて文藝家協会著作権管理部の業務と補償金制度について報告する。理事会そのものが長引いたので待ち時間が多く疲れた。時間がおしてくると、予定していたメッセージをコンパクトにする必要がある。結局、最も短いバージョンで話したが、そういうことも想定していたので、必要最小限のことは話せたと思う。終わってから教育関係者と懇談。明日の調印式の最終打ち合わせ。この種の仕事は相手かいなければできないことなので、感謝するしかない。ありがたいことである。

12/16
本日は、教育NPOと文藝家協会との調印式の日。マスコミ各社にお集まりいただけた。ありがたいことである。質疑応答も順調に進み、ご理解をいただけたと思う。その後、貸与権センターからの依頼を理事長に伝え、来週の予備校との交渉に備えての打ち合わせ。ものすごく忙しい。その後、場所を移して学習教材協会との打ち合わせ。この団体の関係はうまくいっているのだが、教科書会社の対応など、今後の課題があるため、状況認識について、意見を交換した。協議ではあるが、忘年会みたいなところもあって、とりあえず今年度の話し合いがうまくいったことをお互いに感謝する。こんな話し合いをする作家がわたし以外にいるとも思えない。こういう仕事をしているから痛感することではあるが、ふつうの作家は子供であるし、社会に通用しないエゴイストといっていい。自分の内部にもそういう部分があるので、作家はそれでいいと思う。ただ作家の社会性ということを考えた時、なすべき義務がある。教育機関で自由に複製を作って生徒の皆さんに文芸作品に触れていたただくとか、視覚障害者の読書権を確保するために音訳図書の作成に協力するとか、そういったことだ。ただ諸般の事情を著作者がすべて判断して対応するということは難しい。わたし三田誠広の信用を高めて、すべてお任せいただいて、利用者に対応したいと思う。

12/17
取材2件。いずれも「団塊老人」について。本が出て以来、この種の取材は何度も受けているので、同じことをしゃべるのも疲れてきたが、本は順調に版を重ねているので、ありがたいことである。講演の以来もあり、しばらくは同じことをしゃべり続けたいと思う。昨日の記者会見、各紙が報道してくれたのはありがたいが、やや大げさな部分もあるので、教材出版社などがパニックになっているかもしれない。私立中学高校との協定で、教育機関におけるコピーを現場の先生方にストレスがないように、ある程度、自由にするというのが今回の協定の趣旨だが、もちろん、無制限ということではない。市販の教材のコピーや、本一冊丸ごとのコピーは許されない。あくまでも出版社に損失をかけない範囲内でのコピーということである。その点の説明が記者会見では不足したかもしれないが、教育NPOの皆さんには充分にご理解いただいているので、これからのガイドライン作成など、細部の煮詰めについても支障はないと考えている。

12/18
土曜日。男声合唱団の練習。先生の到着が遅れたので、わたしがピアノを弾いて発声練習をした。メンバーが揃ったので早めに忘年会場へ。やや遅れて先生も登場したので、宴会。

12/19
日曜日。今週は宴会が続いた。「空海」は進んでいないがプランは練っている。週のはじめに「大発見」(仮題)のゲラが届いたので、空き時間はゲラを読んでいた。まだ半分くらいだが、内容には満足している。わかりにくいところが一カ所あったので、図をつけることにした。この本はわたしのライフワークかと思えるほどに中身の濃いものになっている。わたしの世界観がここに全部入っている。

12/20
自宅にて音訳ボランティアと会談。現在、公共図書館には一括許諾で対応しているのだが、個別のボランティアには対応できていない。個別のボランティアの朗読レベルが把握できないからで、そのことをお話した。図書館をボランティアが支えている状況についても、お話を伺って理解できた。ボランティアの全国組織ができて、朗読技術の基準ができれば対応できると思う。
NPO日本文藝著作権センターの忘年会。わたしが事務局長をしているNPOで、今年は機関誌を4号発行できた。講演会も一回開けた。結果として、私立学校との協議や予備校との協議を進み、来年度から補償金をいただけることになった。公共図書館における音訳図書の作成と点字図書館の音訳図書配信サービスに一括許諾で対応できることになった。これは大きな成果だ。スタッフは3人。お世話になった。来年も継続できそうで嬉しい。

12/21
文藝家協会にて予備校との協議。今回は書記局の担当者もまじえた細かい打ち合わせだが、予備校側が充分に対応をしてくれたので、大きな問題はなかった。ただ時間がかかったのと、こちらのミスで、次の教育NPOとの会談の時間に大幅に遅刻することになったが、待っていただいたので、会談そのものには支障はなかった。皆さまに感謝する。今年、わたしは大変によく働いた。その結果、さまざまな関係者との最後の詰めや、感謝いただいた上での忘年会への招待や、出した本についてのインタビューなどがこの時期に集中して、超過密スケジュールになってしまった。しかし、本日で、ようやく年が越せそうな目処ができた。

12/22
自宅でインタビュー。このところインタビューというと、「団塊老人」に関する老人問題か、著作権がらみが多かったのだが、本日は前に出した「夢将軍頼朝」についてのインタビュー。歴史について、文学について語るのは楽しい。夜は、姉と、「ウェスカの結婚式」にも登場するキミコさんを招いて、クエを食べる。忘年会もこれが最後か。いや、大学の同窓会が残っていたが、仕事がらみのものはもうないので、ほっとする。疲れが一挙に出た感じかするが、「大発見」(タイトルは「天才科学者の奇跡」ということになりそうだ)のゲラが残っているし、雑文もある。それに大学の講義要項を準備しないといけない。大学は4年ぶりなので、以前は毎年やっていた作業だが、コツを忘れている。

12/23
祝日。久しぶりに母を訪ねる。まったく元気そうなので安心した。近著を届ける。「犬との別れ」には犬の写真が出ている。母は以前はよく自宅に来ていたから、犬が元気だった頃のことをもちろん憶えている。次男の結婚式の写真は前に来た時に渡したのだが、パソコンに入っている写真を全部見せる。孫の写真もある。

12/24
クリスマスイブだが、著作権関係の公用がある。書協で、著作権管理部の使用料規定について協議。実務担当者の協議の予定だったが、それだけでは話が前に進まないことが予想されたのでわたしが同席することを伝えると、書協側も論客を用意していた。義について語り合うのは楽しいし、見識のある人には話せばわかるという安心感がある。必要なことをお話しできたし、ご理解いただけたと思う。これで今年の公用はすべて終わった。自分の仕事としては、締切のある原稿がいくつか残っている。何より、「天才科学者の奇跡」のゲラがまだ終わっていない。あとがきも必要だ。明け方までに仕上げたいと思う。

12/25
土曜日。もう公用は何もない。この前のところに、「明け方までに仕上げたいと思う」と書いてあるが、仕上がらなかった。校正は終わったのだが、あとがきは半分までしか書けなかった。というか、半分書いたところで行き詰まった。本日、ようやく完成。まあ、いい感じに仕上がったと思う。明日は雑用を片づけないといけない。それから年賀状だ。

12/26
日曜日。締切のある雑文がいくつか。年内に仕上げないといけないので、集中して片づける。年賀状は明日回し。今年、パソコンとプリンターを変えたので、去年とは手順が違う。少し心配。

12/27
今日はウィークデーだが、公用はもうない。講義要項を作らないといけない。4年ぶりにまた大学に復帰する。しかし4年前とはシステムが変わっていて、大学のシステムにアクセスして直接入力しろという。初期パスワードなどをもらっているので、とりあえずアクセスして、IDとパスワードを変更して、ログインできる状態にはなったが、大学は年末の休みに入ったのか入力できない状態になっている。締切は先だが、年を越したくないので、ノートパソコンで原稿を作って、メールに貼り付けて事務局に送ることにした。まあ、いいだろう。その後、年賀状。パソコンもプリンターも今年、新しいのを入れたので、パソコンに入っているソフトも違っている。パソコンにプリインストールされたソフトは、イラストなども限られたものにしかない。妻は早々と、孫の写真など取り込んでいる。こちらは住所録の訂正で疲れ果てた。2年前に買ったイラスト集を開いてみると、当たり前だが羊のイラストばっかりだ。しかし富士山の上に鷹が舞っているイラスト(ナスもころがっている)があったので、これを使う。鷹もトリの一種だ。老人だから新しいソフトがすぐに使えるというわけではないが、ボケてはいないので、わずかな試行錯誤で何とかできた。プリンターはさすがに新しいのはきれいに印刷できる。やれやれ。これで年が越せる。

12/28
早稲田大学の一年の時のクラスの忘年会。終身幹事の友人が見つけてきた、店というか、あるお宅(大邸宅)で精進料理をいただくというもので、静かな雰囲気で料理を楽しみたいところだが、酔っぱらいが少し騒いだので、ご迷惑をおかけした。その酔っぱらいというのはわたしではない。行きがけに、年賀状を投函。ずっと以前からプレッシャーになっていた年賀状の手が離れたので、ほっとした。疲れたので、一次会だけで帰る。

12/29
三ヶ日へ移動。年賀状、講義要項を片づけ、同窓会も終わって、すべての作業を果たした。この年末はハードなスケジュールだった。忘年会など、そのつど楽しかったのだが、スケジュール表を見ると、いつ果てるとも知れない難行苦行と感じられたが、それも終わった。朝から大雪。このぶんでは御殿場のあたりは積もっているかと心配されたが、この車のチェーンももっていない。前の車は次男がスキーによく行ったのでチェーンがあった。いまの車の方が小さいので、針金でもあれば巻けないことはないと思ったが、めんどうなので運を天にまかせて出発したのだが、不思議なことに御殿場のあたりは雨になっていた。年末帰省の渋滞も思ったほどではなく、4時間ほどで到着。大掃除。やがて義父母も到着。は雑文一件残っている。15枚。これが気にかかっているのだが、メールアドレスは控えてきたので、とにかく今年中に片づけてしまいたい。

12/30
仕事場は天井が高く、屋根が急になっている。その屋根の上に早朝、カラスが集まって滑り台がわりに滑っているようだ。推量であるが、そんな雰囲気が伝わってくる。ドスドスという音のあとで、何やら笑い声のようなものが聞こえる。カラスが笑うというのもヘンだが、確かにそんな感じがする。その物音で目が覚めて眠れなくなった。
快晴。鷲津のイオンで買い物。ビールが値上がりするという噂があるので買いだめする。帰ってから雑文15枚一気に書く。これで今年の作業のすべてが終わった。さあ、ようやく、「空海」に戻れる。夜、次男夫婦が新幹線で到着。浜松まで迎えに行く。

12/31
大晦日。若夫婦は昼過ぎまで寝ている。豪雨。全国的に大雪が降っているようだが、浜名湖周辺は雨。雨の止み間に散歩。リュウノスケの想い出のある猪鼻湖の湖岸を歩く。白波を立てて、冬の寒風が吹きすさんでいる。リュウは毛皮を着ているから寒いのは平気だ。こちらだけ寒さにかじかんでいたことを思い出す。夜中の3時すぎまで若夫婦と話をする。若い人と話すのは楽しい。スペインの長男からも電話がかかってくる。孫の歌も聞けた。長男は仕事が大変のようだが、元気でやっているようだ。二人の息子がいて、それぞれに元気で生きているということは、素晴らしいことだ。「空海」を最初から読み返しているうちに、オープニングがよくないことに気づいた。前から気になっていたのだが。ふつうの歴史小説のように始めてはいけない。宗教小説だし哲学小説なのだから、歴史的な記述に傾きすぎてはいけない。これがどの年代の話なのかということも、それほど重要ではない。宗教と哲学がきらめいていればいいのだ。というわけで、最初は一つのエピソードとして書いていた母とのやりとりを冒頭に掲げることにする。




年末の回顧/三田誠広2004年の10大ニュース
1、次男の結婚。
2、スペインの孫、来訪。
3、長男、サラゴサ音楽院の教授になる。
4、「平安の覇王/桓武天皇」刊行。
5、「心に効く小説の書き方」刊行。
6、「団塊老人」「犬との別れ」「ユダの謎、イエスの謎」3連続で増刷。
7、NPO日本文藝著作権センター、本格的に稼働。
8、私立中学高校の教育NPOとの協定、および大手予備校との協定まとまる。
9、「天才科学者の奇跡」完成。
10、「空海」の執筆開始。


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