「空海」創作ノート10

2005年6月

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06/01
早稲田。妻に大学まで迎えに来てもらい、三ヶ日に向かう。夜間の運転になったが、全行程を妻が運転してくれた。

06/02
名古屋で講演。日帰り。仕事も少しできた。空海が東国を周遊している。

06/03
本日はひたすら仕事。学生の宿題も見る。夜中はサッカー。1対0でバーレーンに辛勝。

06/04
大阪に日帰りで講演。少し早く着いたので、実家のあった地域を散歩。実家はもうない。人手に渡った後、マンションが建てられた。少し離れたところに生家のあった場所もある。そこは何だかよくわからない状況になっていた。一部に家が建ち、一部は駐車場になっている。そこは小学校六年生までいたところで、幼児の頃の記憶が残っている。見覚えのある建物もあった。風向きによって恐ろしい悪臭を放っていた石鹸工場の跡地が公園になっていたが、その地下には公害物質が埋まっているのではないかという気がした。講演は三十分。短いとかえってやりにくい。しかも「団塊パワーと大阪再生」という演題。これは友人の衆議院議員の資金集めのパーティーの前座である。東京でも同じことをやった。浮き世の義理である。文芸家の著作権のにために働いてくれることを期待する。これは講演料も交通費も出ないボランティア活動であるが、浜松からの日帰りなので、東京から行くことを考えれば交通費の負担が少ない。仕事場に帰ると次男夫婦が来ていた。四日市に引っ越した直後だが、荷物を少し置かせてくれといって、スキー板などをもってきた。わたしの書斎が物置とし化したが、書斎は雨戸の戸袋に野鳥が巣を作って開けられない状態だし、義父母が来ていない時は、下のリビングで仕事をするので、まあ、支障はない。四日市から三ヶ日は車で1時間半くらいだから、つくばにいる時とほとんど同じだ。週末はなるべく仕事場ですごしたいと思う。

06/05
日曜日。ひたすら仕事。ようやく東国の旅が終わった。これから入唐へ向けての手順が始まる。

06/06
妻の運転で三宿に戻る。夕方、文藝家協会の理事会。帰って夜型に変えたいところだが、明日は午前中の会議があるので早めに寝ることにする。先週はハードな日々だったが、今週はもっと忙しそうだ。

06/07
図書館協会との協議。午前中の会議は疲れる。一日が長い。いったん自宅に帰って仕事をしてから、夜は横浜で講演。著作権問題。講演のあとの懇親会で、「いつ仕事をしているのですか」と訊かれたが、ほんとに、いつ仕事をしているのか。答えは真夜中である。午前中に会議があった日でも朝まで仕事をする。で、帰って夜中は仕事。まことに長い一日である。明日は大学の出講日で、夜中に某国会議員を訪ねる仕事がある。うーん。「空海」もいよいよ入唐に向けて動き始めた。その前に蝦夷の年上の女との触れ合いがあるのだが、これは人妻なので不倫という印象が残らないように美しく描かなければならない。リアリズムで押し切る作品ではないので、美しく書くことは可能だ。

06/08
大学。帰って仕事。テレビでサッカーを見る。北朝鮮戦。1点入ったところで自宅を出る。永田町の議員会館で某議員と会談のため。途中の居酒屋の前で、歓声が聞こえたので窓からのぞくと、大型スクリーンにサッカーが映っていた。ちょうど試合が終わったところだった。

06/09
大学。今日はこれだけの仕事なので、楽な一日。一日に2件以上の仕事がある日が続いたので、大学の先生だけなら楽だなと感じる。仕事のしすぎかもしれない。

06/10
今週もハードだった。ようやく本日は、飲み会だけというスケジュール。PHPの担当者とこれからの仕事について打ち合わせをした後、三宿で飲む。焼酎をかなり飲んだが、帰って仕事。「空海」はいよいよ唐に向かうところまで来た。

06/11
土曜日。三軒茶屋まで散歩。空海はあとわずかで唐に行くことになるのだが、ここで時間を8年ほど飛ばさないといけない。どうやって飛ばすか、手順がスムーズでない。もともとここは、やや無理があると思っている。アテルイという蝦夷の首領の処刑と、遣唐使の派遣の計画が、ほとんど同時に起こるのだが、この関連に必然性があるのかないのか、このあたりの処理をちゃんとやらないといけない。

06/12
日曜日。妻がどこかへ遊びに行った。嬉しい。こういう日はコンビニでつまみを買って夕方からビールを飲み、ボロ勝ちになっている巨人(今期は珍しい事態である)を見る、という至福の時をすごすことができる。空海は坂上田村麻呂とアテルイという二人の英雄の間で仲介みたいなことをやっている。ところで新しいATOKでは「さかのうえのたむらまろ」が変換できる。「きびのまきび」も変換する。「あべのせいめい」も行ける。「きのこさみ」はダメだった。マイナーだったのだ。在原業平、大伴家持、紀貫之、小野小町も出た。どうでもいいことだが。

06/13
月曜日。自宅でインタビュー。老人問題。その後、妻と散歩。空海はまだ陸奥にいる。

06/14
飯田橋。教育NPO。月に一度はここに通う。この駅前のビルは、大学のわたしの研究室から見えている。それだけのことだが。会議が早く終わったので、神保町まで散歩。ところでテレビでどこかの医者が、左右1分ずつの片足立ちは1時間の散歩に匹敵する、と言っていた。逆にいうと、1時間散歩しても、わずか2分の効用しかないのかと思うとガックリする。これは「寝たきり防止」のためのトレーニングで、ダイエット効果はやはり散歩に及ばないだろうと思うのだが。

06/15
大学の出講日。雨。梅雨だから仕方がない。いつものようにカルガモのいる人工の川のそばを通る。ヒナは親の半分くらいの大きさに育っている。ここまで育つと、「かわいい」という感じがしなくなる。人間でいえば中学生くらいの感じか。水曜日は2年生以上のクラスと、1年生のクラスを担当している。そのうち3年生は、来年の卒論の計画書に付随して、卒論小説を書く許可を担当の教員からもらうことになっていて、その許可を与えないといけない。で、3年生だけこの時期に作品を提出してもらうことにしているのだが、作品の出来がわるいとアウト、ということにる。卒論小説を書くというのは、早稲田の文芸専修の学生にとっては、一つの目標なのだが、そこに至る前にアウトを宣言するのは、気の毒である。こういうかたちで3年生を担当するのは8年ぶりのことで、このアウトを宣言する、あまりいい気分でない役割も久しぶりのことだ。芥川賞を落ちた人に電話連絡する人のことを「首切り役人」というらしいが、それに近い気分だ。

06/16
今日も雨。第二文学部に出講の日は夕方自宅を出ることになるが、まだ明るいので気分的にはわるくない。冬になると真っ暗になってから家を出ることになるので気持ちも暗くなる。わたしは現在、一文2コマ、二文2コマ、計4コマ担当しているのだが、一文は1年生と、2〜4年生に分かれているので、今年は同じ話をしている。来年は、前年にわたしの授業を受けた学生も来るので、同じ話はできないのでどうするか、といまから悩んでいるのだが、とりあえず今年は同じ話でいいと思っている。二文の1コマも同じ話でいいのだが、もう1コマが難しい。両方をとっている学生が数名いるので、同じ話はできない。で、その場で思いついたことを話すのだが、先週は歴史の話をしたので、学生の乗りかわるかった。学生は歴史に弱い。今週は「赤と黒」と「とりかえばや物語」という脈絡のない話をしたが、まあ、ちゃんと聞いてくれた。大学の授業は毎週あるので、しだいに話すネタがなくなってくる気もするが、そこからが面白くなるともいえる。自分がとっさに何を話すか、自分でも予測がつかないからだ。一般の講演だと、「老人問題」「著作権について」「小説とは何か」以上の三つの話しかしないので、話すことが決まっている。90分の講演だと、導入部は雑談をするので、そこが毎回、少し違っているかなと思うが、基本的な部分は同じ話なので、しゃぺっていて自分でも退屈する。大学の授業はスリルがある。
さて、空海は北家内麻呂が出てきた。わたしの好きな人物である。凡庸そうな控えめな外観の内に野心を秘めている。これが摂関家の祖である。空海との対決が見ものである。

06/17
本日は休み。ウィークデーが休みになるのは久しぶりだ。休みといっても外出の仕事がないだけで、「空海」を書かないといけない。いよいよ遣唐使派遣が話題になる段階に到達した。まだ船出までにいろいろとエピソードがあるのだが、先が見えてきた。唐に渡れば資料があるので、執筆のピッチが上がるだろうと思う。ただし学生の宿題があるので、時間の調節が大変である。

06/18
誕生日。何回目か。とくに祝うこともない。数日前に妻が鳥を焼いたので、クリスマスか、ときくと、誕生日の前祝い、と言った。子供がいた頃は、誕生日にご馳走を食べたりもしたが、老夫婦だけの生活だから、日常のままである。本日は合唱団の練習。その後、いつものように宴会。その店に、昔めじろ台に住んでいた頃のご近所の友人がいて、何年ぶりかで旧交を温める。帰って少し仕事。

06/19
日曜日。だが、今週は週末もふさがっている。平岡篤頼先生を追悼する集い。平岡先生が倒れた文壇パー風花に、親しい人々が集まった。重松清を含む歴代の「早稲田文学」編集者が集まったところは壮観であった。わたしの教え子も何人かいて、時間の重みを感じた。平岡さんは、明るくて、ずいぶんいろんな企みをやっているのに、野心を感じさせない人だった。こういうのを人徳というのだろう。いまわたしが大学の先生をやっているのも、「早稲田文学」の編集委員を務めたのがきっかけで、そういう意味で、平岡さんにはお世話になったと思うし、今日集まった人のすべてが、何らかのかたちで平岡先生にお世話になっていたのだろうと思う。すごい人だった。でも、飲んでいるうちにあの世へ旅立てたというのは、最高の生き方だ。見習いたいと思う。

06/20
月曜日。今週はわりあいヒマで、明日も何もない。ひたすら空海。いよいよ桓武天皇と対面する。

06/21
火曜日。今日もヒマ。下北沢まで散歩。さて、拙著「桓武天皇」では、天皇と空海が対話するシーンがある。その時のセリフをそのまま使えるかとあてにしていたのだが、やっぱり流れも違えば文体も違う。そこで改めてセリフを考えることになった。要するに、「空海」は「桓武天皇」の続篇ではないということ。しかしキャラクターの雰囲気は、「桓武天皇」に出てきた空海のイメージをそのまま持続させているので、細かいセリフにこだわらなければ、二つの作品を続けて読んでも矛盾することはない。

06/22
早稲田。暑い。湿度100パーセント。帰って学生の宿題を読む。4年前に担当していた当時と比べて学生のレベルが下がっている。怖いことだが、何が怖いのかよくわからない。学生の書く小説が下手になっていたからといって、この国が滅ぶわけではない。まあ、いいか。日曜日の会合で教え子二人と久しぶりに会った。いまは作家になっている教え子である。この二人の学生時代を思い起こす。たいへんに生意気な感じの学生で、それなりの雰囲気を最初からもっていて、そしてレベルの高い宿題を提出した。大昔の話である。これは文学に本気で取り組もうとする学生が減っているということかもしれないが、まあ、一年かけて、一つでもすごい作品にあたれば、大学の先生をやっていてよかったという気持ちになるから、後期に期待をかけたい。

06/23
明け方、サッカー見ていて、それから少し仕事もしたので、寝るのが7時になってしまった。で、9時に起きたので睡眠不足だ。文化庁の午前中の会議。疲れているので発言は控えていたが、最後に一言だけ発言した。一言くらい言わないと行った甲斐がない。自宅に戻って少し仕事。いつもより早めに家を出る。研究室で来週の講演の打ち合わせ。それから授業を2コマ。長い一日だった。寝不足なので早めに寝る。

06/24
本日は休み。ひたすら空海。いよいよ出航。ただし、瀬戸内海を進むうちに橘逸勢とのやりとりがあり、九州に着いてから最澄との出会いがある。これは重要なシーンで、これをクリアしないと唐に向かえない。唐に向かって出航すれば、それで3章が終わる。4章は唐でのエピソードだが、ここは資料があるので事実に即して書いていけばいい。恵果から密教を伝授されるシーンは、理屈ではなく、幻想的に描きたいが、これについてはプランがある。ということで、何の問題もない。ただ書く時間が必要なだけだ。4章のあとは短いエピローグだけでいいかとも考えているが、唐でのエピソードの分量がわからない。帰国しても薬子の変があるので、そのあたりまではフォローしたい。空海がある程度、偉くなってしまうと、小説としては面白くなくなるので、一気に晩年に移行する。で、エンディングということになる。頭の中ではもうできている。が、まだ一ヶ月以上はかかるだろう。暑い夏になる。

06/25
土曜日だが日本点字図書館で会議がある。視覚障害者と健常者のバリアを排除し、弱視から識字障害、学習障害、読書困難な筋肉障害、高齢者など、すべての人々に朗読図書を提供できるシステムができないかといった話し合い。というか、以上に述べたのはわたしの理念なのだが、今回の会議はネットを使った事業展開の可能性を論じるもので、まあ、プランを練るのには時間がかかるだろう。帰って仕事。空海と最澄の初対決。

06/26
日曜日。スーパーにビールを買いに行く。豆などを使った第三のビールをいろいろ試してみたが、すべて却下という結論に対した。今回はダイエットという第二ビールばかり買った。ダイエットを試みているわけではないが、これはむしろ健康志向の老人向きの飲み物といっていいだろう。学生の宿題が大量にあるので、仕事はあまり進まず。

06/27
著作権情報センター総会。初台のオペラシティー。暑い。

06/28
暑い。昨日より暑い。36度だという。わたしの体温より暑い。昨夜はがまんして、書斎に冷房を入れなかったのだが、寝室に入ると妻がクーラーをかけて寝ていた。そのまま起きると、体がクーラーに慣れてしまっている。今シーズン初めて、ダイニングのクーラーを入れた。妻と二人しかいないので、一カ所にクーラーを入れた方が効率がいい。エアコンの室外機が書斎の外にあるので、うるさいということもある。今夜はこのままクーラーをつけて仕事をすることになるだろう。空海、ついに唐に渡る。まだ3章は終わらない。長安にたどりついたところで、章の終わりにしたい。

06/29
大学で2コマ講義した後、青山で講演。アクティブミドル国際協会というNPOの主催。中高年を活用して地域社会の活性化を図る、といった趣旨のようだ。で、いつものように「団塊老人」について語る。小さいな集まりで、講演の時間を短くし、質問の時間をたっぷりとったので、さまざまな意見が聞けて有意義であった。よい人々ばかりであったので、三次会までつきあって、久々に深夜の帰宅となった。仕事はできなかったが、学生の宿題を昨日のうちに読んでおいてよかった。

06/30
ペンクラブの言論表現委員会。多忙な猪瀬委員長だが元気そう。新しい委員が加わって今年度の委員会のスタート。図書館についての声明について議論。わたしが提案したものなので経緯を説明し、委員各氏のご理解を得ることができた。それから第二文学部の講義2コマ。創作指導の時間では、大量の宿題を一つ一つ返していくことになるが、内容のすべてを記憶しているわけではないので、渡す前に確認して記憶を呼び戻す作業が必要であった。さて、6月も終わった。空海は唐に渡って、長安を目指している。長安に着く直前が章の変わり目になる。ここは少し時間をかけたいので、ここまでのところをプリントしてざっと読み返してみたいと思う。


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