「桓武天皇」創作ノート6

2004年02月〜

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02/01
このノートも6ページ目になった。半年間、同じ作品を書き続けていることになる。1つの作品に関わる時間として、半年というのは、長くはない。「デイドリーム・ビリーバー」は3年くらいかかった気がするし、「僕って何」は3年半かかった。しかしそれは昔のことで、最近は1月で1作書くこともあるから、半年は長いという気もする。しかしこのノートは、「団塊論」を書き終えた直後から始めたので、しばらくは「桓武」の構想を練っていたが、それから「小説論」を書き始めたのだった。その「小説論」はいまゲラになって手元にある。だから実際に「桓武」を書き始めたのは、「小説論」の草稿を書き終えた直後の10月20日からということになる。その後も、「小説論」の草稿チェックがあり、今年に入ってからは、「団塊論」の再チェックがあった。「桓武」の草稿は今年の1月の第1週に完成して、それからは「犬との別れ」の出だしの部分を書いていた。だから、実質的に「桓武」に取り組んでいたのは、9月の前半と、10月後半、11月、12月、1月の第1週の期間で、約3カ月ということになる。600枚の作品なので、かなりのペースで書いたことになる。いま、草稿のチェックという作業をやっているわけだが、これはあと1週間くらいで完了するのではないか。かなり大幅な直しを草稿プリントに赤字の手書きで入れているので、これをパソコンに入力するのにまた1週間くらいかかるだろう。今月の半ばに手が離れる。というところで、ゴールは見えてきた。いま草稿チェックの75ページ(全体は200ページ)まで進んでいるので、3分の1くらいのところか。ここまでは大きな直しはなかった。登場人物のキャラクターが少し揺れているところがあったので調整しただけだが、わずかな手直しですんでいる。ここから先、心配なところもあるが、草稿を読み返す直前に感じていた不安はなくなっている。草稿を読み返す時はいつもそうなのだが、全然ダメではないか、という懸念がつねにある。草稿を書いてから時間を置くと、書いていた時の熱気が冷めるので、自分の文章がいやになるということもあるし、客観的に読むと、文章に乗れないということもある。「桓武天皇」の場合は、登場人物が多いので、読者にわかるかという心配があったが、ここまではうまくいっていることが確認できた。3分の1のところまで、読者を引っ張ることができれば、読者もこの世界になじみ、登場人物にも親しみが出てくるので、もう大丈夫だ。それで、少し元気になっている。いま、妻がスペインに行っているので、生活が不便で、寂しいし、寒い(暖房をケチッている)のだが、集中力は高まっている。今週は会議などもない。NPOの広報部長との打ち合わせが一件あるだけなので、作業は進むだろう。

02/02
スーパーボールをハイビジョンで見る幸福。徹夜で見ると体調をこわすので、いつもどおり明け方に寝て、9時に起きた。開始直後にペイトリオッツが大差をつけるのではと懸念していたのだけれど、テレビをつけると0対0だった。ペイトリオッツのせこい攻撃は確かに有効だし、ベルチックという、けっして笑わない陰険な監督はキライではないのだが、判官贔屓でパンサーズを応援していた。4クォーターに逆転した時は、奇跡が起こるかと思ったが、ペイトリオッツが最後に再逆転した。まあ、実力差だから仕方がない。わたしは陰険な監督が好きなのである。昔の巨人の川上監督とか、いまのヤンキーズのトーレとか。ベルチックは顔もトーレに似ている。ものすごく地味で緻密で慎重な戦略をたてるのでぜんぜん面白くないのだけれども、勝つための最善の策なのだから仕方がない。「桓武」ちょっと行き詰まった。些細なことだが、北家真盾の母は皇族である。それで中納言になったと書いた箇所があったのだが、兄の永手も弟の御盾も同母であった。こういう勘違いが致命的になる。1つのミスが、次々と修正個所を増やしていく。それにしても真盾と御盾は名前がややこしい。さりげなく読者に注意を促したい。混同されては困る。「真盾の弟の御盾」というふうに書けばいいか。誰だ、こんな名前をつけたのは!

02/03
昨日は雨で一歩も家の外に出なかった。本日は新宿まで行った。歩いて行ったわけではない。下北沢まで歩いて小田急で行って、新宿の周辺をぶらぶら歩いて、また下北沢まで帰ってきた。電車に乗るとやはり散歩という感じがしない。渋谷なら歩いていけるのだが、新宿は遠い。「桓武」はもう少しで半分を越える。ヒロインの明信と再会するシーン、もう少し主人公の内面を書くべきだろう。ここまで内面をほとんど書いてこなかった。歴史小説だから、近代的な内面を書いても仕方がないが、何も書かないと人物がパターン化してしまうので、ヒロインと再会する時くらいは、時間が流れる速度を遅くしたい。散歩している時に、ふと、自分がこの作品で何をやりたいと思っているかがわかった。「志のある人生」というものを描きたいのだ。歴史小説の意味はそこにある。わたし自身、志をもって生きてきたし、これからも志をもって行きたい。志のない人生は、寂しい。わたしが現代小説をあまり書かないのは、志をもった人物があまりいないということがある。やはり歴史上の人物の中には、すごい人がいる。桓武天皇も立派な人であるが、すごすぎるということはない。ふつうの人より、少し偉い、というくらいである。その意味では、親しみやすい人である。ただ天皇になってからが難しい。特権をもった人になってしまうと、読者のシンパシーかどこまでついてくるかが問題だ。天皇の父は天皇であることが多く、桓武天皇もそうだが、祖父の志貴皇子は天皇ではない。桓武天皇も子供の頃には、父が天皇になり、自分も天皇になるということなど、思いもしなかった。桓武天皇がふつうの人に近いのは、そういう生まれだからだ。だからこの小説は面白いのだと自画自賛する。

02/04
明信との再会のシーン。ここで立ち止まっている。気合いを入れて突破したい。どうも色っぱいシーンは苦手だ。不倫はさせたくないので、清潔に書きたい。

02/05
昨日はNPOの広報部長と朝まで飲んだ。事務所で打ち合わせをしたので、そこから飲みに出たので、最後は新宿からタクシーで帰った。ふだん三宿以外で飲むことはないので、タクシーに乗ったのは実に久しぶりだ。わたしはエレベーターとタクシーが嫌いなのであるが、酔っている時は平気である。何とか無事に帰り着いた。さて、明信との再会のシーン。何とか先に進んだ。

02/06
ひたすら仕事。ようやく半分を突破した。ここまでは実にうまくできている。修正個所もたくさんあって、入力のことを考えると手放しでは喜べないが、80人以上いる登場人物がうまく出し入れできている。百済王敬福の死の直前、半分を少し過ぎたところだが、思っていたより早く死ぬことになる。書いた内容をほとんど忘れているので、ちょっと予定外。この場面で陸奥の統治について、議論しなければならない。後半、坂上田村麻呂の東征がアラスジだけになっている。ここは描写ではなく、論理が必要である。渡来人としての立場から、蝦夷人にもシンパシーを寄せる百済王家の考え方が、田村麻呂にもつながっていくはずだ。
その直後の、明信の妹の恵信が出てくるくだりは、まったく手を入れる必要がない。感動的。さて、明日は「出版物のアクセシビリティーを考えるセミナー2004」に出席する。昼前に起きればいいのだけれど、一人暮らしなので、起きられるか、少しプレッシャーがある。

02/07
「出版物のアクセシビリティーを考えるセミナー2004」にパネリストとして出席。視覚障害者等の読書権について考える集会。会場は満員であった。このテーマの重要性を認識した。一人が20分ほどしゃべって、あとは会場からの質問に答えるというかたちだったので、議論というものはなかったし、読書権の実現という目標は全員が一致しているので、対立するところもなかった。図書館との議論とはえらい違いだ。図書館員も来ていたはずだが、福祉を担当する館員は、「よい図書館員」である。よくない図書館員というのも、少数だがいる。小役人みたいな人で、人の揚げ足取りばかりを繰り返して、議論をもてあそぶ人だ。本日の参加者にはそういう人が一人もいなかった。気持ちがよい会であった。打ち上げの飲み会にまでつきあったが、右も左も向かいも視覚障害者であった。こういう場合は料理を取り分けたり、酒をついだりしないといけない。ふだん編集者と飲むことが多いので、この種のサービスに関して、わたしは動きがわるい方なのだが、必要に迫られてサービスしていると、「三田さんも盲人慣れしてきましたね」と言われた。いつも思うことだが、盲導犬というのは偉い。アンドリューという黒ラブとは、去年、大阪でも会ったのだが、盲導犬にしては人なつこいので、そこがまた可愛い。昨日の会場は「笑笑」であったが、店に入る時に咎められたそうだ。「法律で定められている」というと入れてくれたそうだが、以前、「つぼ八」には入れなかったというから、盲導犬についての理解はまだ遅れているようだ。「つぼ八」はチェーン店の全体でそういう方針なのか、その一店だけの問題なのかはわからないが、「つぼ八」と「笑笑」が並んでいたら、「笑笑」に入るべきである。
元気な視覚障害者が多く、酒を飲むピッチが早い。つられてかなり飲んでしまったが、それでも帰ってから仕事をした。ようやく主人公の父の光仁天皇が即位したが、このあたりから筆致がアラスジだけになっている。解釈が多い。場面を増やそうかとも思ったが、テンポを重視して、解釈を削るだけで先に進む。ここまでで登場人物のキャラクターは充分に描けているので、説明は極力省いて、終盤に向けてテンポを速くした方がいい。

02/08
本日はひたすら仕事。三軒茶屋に散歩。6割くらいのところに来ているけれども、やや流れが悪くなっている。このあと、弟が出てくる頃から、ちゃんと会話で話を進行させているので、ここを乗り切れば、ゴールが見えてくると希望をもっている。

02/09
新潮社で担当者と打ち合わせをした後、グランドパレスの「コミック作家の会」のパーティー。正確に言うと、「21世紀のコミック作家の著作権を考える会」で、貸与権によるレンタルシステムを作るための組織だが、貸与権は確立の方向に向かって進んでいるというか、あとは国会を通過させるだけでいいのだが、そのせいか、国会議員が次々に挨拶するので、文壇のパーティーとは違うなと感じたが、考えてみたら、純文学を読む国会議員は皆無だろうが、「ゴルゴ13」とか「課長島耕作」とかを読んでいる議員は多いはずだから、やっぱりマンガはすごいのである。水割り3杯だけ飲んで帰る。すぐに仕事に取りかかる。いよいよ主人公が天皇になるところ。今週は雑用はないので、作業に集中できる。

02/10
全体の75パーセント。ただし、草稿を書き終えた時に、最後の部分はかなりアラスジだけになったという悔いが残っているので、ここから先は直しに手間がかかるかもしれない。しかしここまで、登場人物のキャラクターはかなり明確になっているので、わずかな書き込みだけでクリアできるかもしれない。とにかくこの作業が完了するまで、ひたすら集中するしかない。「小説の書き方(小説論)」の校正のタイムリミットは今月末。今月は2月で日が少ないということを頭の中にインプットしておかないといけない。

02/11
草稿のプリント200ページのうち、180ページまでチェックを終えた。かなり時間がかかったが、直すところがたくさんあった。入力にも時間がかかるだろう。最後の20ページはさらに時間がかかると思う。妻がスペインから帰ってくるまでにチェックを終えたい。ということは、今日を含めて2日しかない。間に合うか。

02/12
本日、作業は完了した。まだ草稿に赤字を入れただけで、パソコンへの入力作業は残っているが、これは粛々と進めればいい。かなり大幅な書き入れをしたが、気にかかっていた問題はすべて処理した。最初からこういうふうに書ければいいのだが、手探りで書くから、不備が出てくる。しかし書くことで判ってくることもたくさんあるので、こういう書き方しかできないということもできる。まあ、600枚を越える作品を、半年もかからずに完成できたということは、順調であったというべきだろう。改めて思うことは、桓武天皇はすごい人だということだ。千年の都を築いたのだから、京都市民のみならず、誰もが名前くらいは知っていると思うが、どういう人で、何をしたのかを知っている人は少ない。渡来人の血を宿した末端の皇族が、聖王を目指して覇権を掌握する政治ドラマと、百済王明信という渡来系の女性との信じがたい純愛ロマンスを、読者に楽しんでいただきたい。

02/13
妻がスペインから帰ってきた。これで日常性が戻る。やれやれ。

02/14
「小説の書き方」(小説論)のゲラは大きな直しもなく、すらすら読める。入稿したあとで、19歳と20歳の女の子が芥川賞を受賞したので、そのことをチラッと追加する程度。書いている時は、老人向けかな、とも思ったのだが、もちろん定年退職やリストラでひまになった人が小説を書くということもあるだろうが、やっぱり若者に小説を書いてほしい。若者向けの入門書にはなっているのだが、装丁やタイトルについても、その方向で考えたい。ゲラがすらすら読めるので、並行して「桓武」の入力作業もやることにした。こちらはひたすら入力するだけなので頭は使わないが、手が疲れる。かなり直しが多く、自分の字が判読しづらくて目も疲れる。

02/15
「小説の書き方」はあと一日で完了しそうだ。「桓武」の入力の方は、かなり疲れる。月末くらいまでかかるだろう。

02/16
貸与権連絡会議。文化庁の著作権分科会は通過したが、国会でどうなるかわからないので、ロビー活動を続けるということだが、まあ、中心が漫画と推理小説なので、こちらは頑張ってくださいというしかない。しかしレンタル店が普及すれば、今回の芥川賞の作品なんかは置かれるかもしれないので、いちおうこの会議には口を挟んでいきたい。必要なことは、公平であることと、網羅的であることだ。レンタルの価格は安くせざるを得ないだろう。この事業は儲かるというよりも、より多くの人に書籍に親しんでいただくということを中心に考えるべきだろう。

02/17
文芸家協会で日本図書館協会と打ち合わせ。視覚障害者等のための録音図書の作成に一括許諾を出すシステムについて。これは当初、わたしの頭の中だけにあったものだが、ようやく実現の方向に向けて踏み出した。何とかこれでいけそうだというプランを出すことができた。あとは、このシステムに参加する著作者を増やさなければならないが、NPOで出す機関誌にハガキを挟み込んで、同意する人を確認するつもりである。「小説の書き方」の校正は昨日終わった。最後がやや暗いが、書き手を励ます内容になっている。原稿を書いた時は、ものすごーく暗い読者を励まして、小説を書くことを人生の支えとしてほしい、というメッセージを伝えたかったので、当初の狙いどおりの原稿になっているとはいえるのだが、ゲラを読むこの段階になると、何となくこちらの気持ちが少し変わっている。20歳と19歳の芥川賞作家が出現して、より多くの若者が小説に興味をもったのではないかと思うので、もっと軽いタッチで書くべきだったかとも思うのだが、やっぱりそういう時事的な要素で態度を変えるのは、作家としてははしたない行為であり、このままでよいと思った。「桓武天皇」の入力も毎日、1章ずつ進めている。このペースだと、今月中には完成する。

02/18
NPO通信の第二号の原稿を書く。世のため人のための仕事である。

02/19
中島章夫さんの出版記念会。中島さんは文部省出身の唯一の国会議員で、陳情に行ったことがあるが、わたしの高校の先輩。実は、幼稚園の先輩でもある。政治家のパーティーだが、文部省関連の人が多く、気のせいか文化的な感じがした。

02/20
文芸家協会でNPOの打ち合わせをしてから広報部長とともに芥川賞のパーティーへ。推理作家協会の大沢さんに広報部長を紹介する必要があったので、会場に入るとすぐに大沢さんを捜したのだが、信じがたいほどの来場者で満員電車の中みたいで、身動きもとれない。授賞式が終わり、テレビのクルーが引き上げたので、ようやく歩けるようになるが、とても人を探す雰囲気ではないので、何か食べようかと思ったが、ウニイクラ丼とか寿司のコーナーには長蛇の列ができている。誰もいないところがあるので行ってみると茶ソバだった。で、茶ソバをすすっていると、「三田さん」と声がかかったので見ると大沢さんであった。本日はやはり19歳と20歳の芥川賞という話題があって、マスコミだけでなく、ふだんは現れない作家や編集者もいて、さまざまな人と会えた。パーティーのいいところは、いろいろな打ち合わせが一日でできることだ。しかし次から次へと人と会ったので疲れた。

02/21
明け方、「桓武天皇」の入力終わる。あとがきの出だしだけ書いて寝た。起きてすぐにあとがき完成。これですべての作業が終わった。あとはプリントするだけ。9月から書き始めたこのノートも、今月で終わる。半年かかったが、気持ちに張りのある幸福な数ヶ月であった。桓武天皇はこれまで書いた歴史上の人物の中で、ピュアであるという点では随一である。周辺に大物、小物がさまざまに配置されていて、中心となる桓武天皇はあまり動かない。全体で主人公のキャラクターを支えている。この時代そのものが、作品のテーマであるし、京都という都市が主人公だといってもいい。とにかく、編集者に渡せる段階になったことを喜びたい。

02/22
さて、「桓武天皇」はプリントを終えたのであとは編集者に渡すだけだ。次の仕事は「犬との別れ」だが、実は「団塊老人」の草稿がまだ手元にある。気になるところがあるので、あと一週間ほどいじりたいと思う。類書がぽつぽつ出ているので、類書にない新提案を入れたい。

02/23
光文社の担当者にゲラを渡す。ゲラはほとんど直しはないが、最新の芥川賞の話題などを追加する。書いていた時は、暗い文学青年と、リストラされた中高年といった読者を念頭に置いていたのだが、女の子ふたりの受賞で、突然、ややミーハー的な女子大生をターゲットにせねばと思う。内容は、そういう要望にも応えるようなものなので問題ないが、タイトルを工夫せねばならない。はじめは「元気を出して小説を書こう」とか「小説を書くと自分が見える」といったものだったのだが、これでは暗い読者しか読まない。こちらからもプランを出しておいたが、あとは編集者の判断に任せる。この編集者もわたしの教え子なので、こちらの意図はわかってもらえると思う。

02/24
福祉関係の会合に出席。障害者福祉センターの隣の戸山サンライズという施設で、これも福祉関係の施設だ。早稲田の文学部の裏山の上に通称「細菌研究所」と呼ばれる施設があるが(本当の名称は感染症研究所)、その隣だ。このあたりは昔、内ゲバがあった時に、負けた方のセクトの学生が逃げて這い昇った丘の上である。文学部の前を通ったが、懐かしかった。大学の先生を辞めて3年になる。

02/25
本日は公用はない。下北沢に散歩。春の陽気。花粉が飛びそうな気配。昨日は目の調子がよくなかったが、宿酔気味でもあった。本日はとくに問題はない。明日、「桓武」の原稿を編集者に渡す。それで半年間の作業に区切りがつく。

02/26
作品社の担当者に「桓武」の原稿を渡す。藪蕎麦で飲みながら次の仕事の構想を話す。空海を書きたいといったことはを話した。「桓武」の最後のところにも空海は登場して、話が連続していくことになる。

02/27
文化庁にて教育機関との協議。現在の教育機関では違法コピーが横行している。そのことをガイドラインのかたちでホームページに掲示する。これが実現すると教育機関ではパニックが起こるかもしれない。わたしはその先を考えている。簡便な許諾システムや、補償金制度の導入によって、わずかな基金で教育機関がストレスなく副教材を作れるような状況を作りたい。充実した教育の実現のためにはぜひとも必要なことだし、とくに文芸作品を量的にも子供たちに読んでほしい。そのためには、子供たちには無償で文学作品を提供すべきだ。出版社、作家にとっても、読者を増やせば、将来の利益につながるので、補償金などはわずかでいいとわたしは考えている。ただ現行のように、違法な複製で無断使用されているのは、学校の先生が生徒の目の前で泥棒しているようなもので、この点についてはガイドラインできちんと指摘をしたい。その上で、最善の状況の実現に尽力したい。

02/28
今月も終わりに近くなった。本日は土曜日で、公用はなく、ほっとする。「桓武」を担当者に渡したので、1つの区切りがついた。そろそろパソコンを買い換えたいと思って、一昨日、藪蕎麦に行く前に秋葉原に行ってみたのだが、最近のパソコンはテレビになっているので驚いた。それから、フロッピーディスクドライブがオプションになっているものが多い。要するに、遊びでパソコンを使う人が増えたのだろう。いまでも仕事ではフロッピーは重要だし、わたしは原稿はノートパソコンを膝に抱いて打ち、これをデスクトップに入れてメールで送ったり、プリントしたりしているので、フロッピーは必需品である。スマートメディアも使えるようにしてあるが、あれは小さすぎてかえって不便だ。
昨日から「犬との別れ」を見直している。それと「団塊老人」の手入れ。並行してやって、行き詰まったらもう1つの仕事をするということで、しばらくは前進したい。

02/29
風邪でダウン。何もできず。


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