「桓武天皇」創作ノート2

2003年10月〜

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10/01
本日から10月。文芸家協会では著作権管理事業が始まっているはずだが、まあ、いきなり何かが変わるわけではない。少しずつ変えるべきところは変えていき、やがて大きな効果が出てくることだろう。こちらは書協で教育関係のガイドラインの会議に出席。プランが固まってきたので早く終わった。とはいえこれは第一のステップ。教育関係の補償金制度という、いまは日本でただ一人、わたしのアタマの中だけにあるプランの実現に向けて、さらに一歩ずつ前進していかなければならない。自分の仕事も進んでいる。日曜に明日香村で講演があるので、明日から大阪へ行く。

10/02
妻の実家に移動。8時間のドライブ。

10/03
鳴門の渦を見る。時期がわるく期待したほどの渦はなかった。しかし、どうしても渦を見たいということではないので、どうでもいい。鳴門へ来たのは大塚美術館へ来たかったからだ。ここは大塚製薬がオロナミンCやボンカレーで儲けた資金を投入して、世界の名画を陶磁のパネルに焼き付けた、コピーだけの美術館で、おそらく怪しげなフェイクだろうと思って期待していたのだが、実際に美術館の中に入ってみると、これはかなり本気の美術館であった。もちろんすべてコピーなのだが、実物大であるのと、実によくできた複製で、しかも信楽で焼いてあるので、光沢が美しい。とくにカッパドキアの洞窟とか、スロヴェニアの修道院など、立体的なコピーがあって、その存在感にコピーであることを忘れてしまう。世界美術全集を最初から見ていくような感じだが、原寸大の迫力は偉大だ。それと、モナリザもゲルニカも、ワン・オブ・ゼムになって相対化される感じが面白い。さらに、受胎告知の絵だけがずらっと並んでいたりする。入場料3000円に、明石大橋と鳴門大橋を渡る費用をかけた価値はあると思う。

10/04
父の墓。ここへ来るのは、一周忌以来で、20年以上も前のことだ。父はわたしの思い出の中に生きている。墓というものには、それほど意味を感じていなかったのだが、妻の両親が毎年参ってくださっているので、自分も行くべきだろうと感じた。

10/05
明日香村で講演。「推古天皇と聖徳太子」について。明日香を舞台にした作品をいろいろ書いているのだが、実は、取材などはしていない。子供の頃に遠足で行って以来だ。天気がよく、山並みが爽やかであった。

10/06
三宿に戻る。京都なども取材に行きたかったのだが、時間がなかった。テレビの書評番組のための本を5冊、読まなければならなかったが、何とか旅行中に読めた。

10/08
法制問題小委員会。身体障害者のネット利用についての議題だったので意見を述べた。

10/09
「ブックレビュー」の収録。放送日は12日(日)午前8時。
小田急高架についての原稿を書く。反対闘争を推進している弁護士からの依頼。著作権問題だけで頭がいっぱいで、それに書評番組で5冊本を読まなければならず、それに小田急問題まで加わったので頭のキャパシティーが限界。しかしテレビの収録を終わり、小田急の原稿も書いたので、自分の仕事に戻れる。「小説論」9割まで来た。この週末に草稿を完了させたい。

10/10
京都新聞のインタビュー。図書館問題。何度も語っているテーマなのでとくに考える必要もなく、いくらでも話せる。三軒茶屋まで散歩。さて、三連休だ。世の中の休みの間に、自分の仕事をしなければならない。

10/11
妻と谷中のあたりを散歩する。それだけ。これでは創作ノートにならないが、「小説論」は16章まで進んでいる。18章で終わりなので9割ほどできたことになる。あとは時間の問題。このノートはタイトルが「桓武天皇」になっているのだが、なかなか「桓武天皇」の作業に入れない。しかし頭の中では随時考えているし、資料も読んでいる。妻の実家に帰っていた時に義母の学生時代に教科書として使っていたという系図の本を貰った。これは役に立つ。「桓武天皇」はすでに100枚くらいはできているのだが、いろいろと反省している。民衆の視点というものが欠けている気がする。社会派小説ではないのであまり深入りする必要はないが、天皇が主人公だから、民衆への思いという視点がないといけない。天皇権力者というよりはむしろ民衆の代表者として神に仕える存在だからだ。和気清麻呂がまだ登場していないのだが、これはこの作品の副主人公といっていい存在で、天皇の存在を相対化する重要な人物だ。もっと早い段階で登場させないといけない。一章に登場させるのは難しいので、2章の冒頭に何とかチラッとでも登場させておきたい。

10/12
昨日は1万歩あるいた。今日も1万歩と思って若林まで行って、烏山川緑道を歩いていると太鼓の音が聞こえた。太子堂八幡でお祭りをやっているのだった。三宿神社のお祭りより遙かに出店が多く人通りも多い。自宅に帰ると6000歩くらいしか歩いていないことが判明したので、妻を誘って再び三軒茶屋へ。太子堂八幡に行くのは初めてで、こんなところに神社があることも知らなかった。このあたりのいくつかの町内会が合同で祭をやっているようで、御輿の数が多い。フランクフルトを買って、家から持参した缶ビール一本を飲む。

10/13
妻とディズニーシーへ行く。とくに理由はないが、老人になると出不精になるのと、毎日一万歩歩くというプレッシャーがあるため。何の予備知識もなく行ったのだが、中央にある火山の山腹から高速で落下する乗り物があるので、あれだけはやめておこうと妻と話していたら、意に反してその乗り物に乗ってしまった。ものすごい大雨になったので、とりあえず雨の防げる地下道に入ったら、地底探検の乗り物が50分待ちという表示が出ていたので、待っている間に雨がやむだろうと思って列に並んだのであった。列はどんどん地下にもぐっていくし、エレベーターに乗ってさらに地下にもぐるという話であったので、何の疑いも抱かなかったのだが、あとで考えるとそのエレベーターは上昇していたのだった。地下探検というのは、作り物の火山の内部をぐるぐる回るだけのつまらないアトラクションであって、こんなものに一時間近くも並んだのかと思っていると、突然、乗り物はスピードを上げて、山腹から飛び出して落下したのだった。その時、目の前が真っ白になったと思ったのだが、それは目が回ったせいではなく、並んでいる間に雨がやんで青空が広がっていたのだった。で、本日は1万5000歩。

10/14
昨日の集中豪雨と突風では、死者が2人も出るものであった。渋谷のガード下が水没するなど大変な事態だったらしい。こちらはディズニーシーの火山の下にいたのだった。本日は、青山の推理作家協会で図書館問題について協議。推理作家と一般の作家との間には、考え方や立場の違いがあることは事実だが、何とか歩み寄れる部分があると思う。いちおうの合意が得られたのでよかった。しかしこれからも調整の必要がある。

10/15
本日は著作権分科会。法制問題小委員会の報告などがあったのだが、福祉問題について、わたしの意見が充分に反映されていなかったので、補足説明をした。わたしはとくに視覚障害者の「読む権利」(録音図書を聞くという意味)は、著作者の私的な権利(財産権など)を上回っていると考えている。ただ一方的な権利制限の拡大(著作者の権利の剥奪)については、慎重でなければならないという基本姿勢をもっている。そういうことを説明した。
そろそろ矯正協会の創作コンクールにとりくまないといけない。毎年、この時期になると、矯正協会と世田谷文学館の仕事で、生原稿を読むことになる。大学を辞めてからは、ふだんは生原稿を読むことがなくなったので、緊張するし、疲れもするが、いい刺激にはなる。矯正協会の方は、原理的にワープロが使えないので、すべて手書きの原稿である。大学で教えていた頃も、手書きの学生は少なかったから、手で書いた文字が新鮮だ。
一昨日、ディズニーシーへ行ったことで、いろんな思い出がよみがえった。初めて子供たちをディズニーランドにつれていった時のこととか(オープンした直後で子供たちは小学生だった)、なぜか大人になった長男と二人で行ったこととか。最後に行ったのは、ブリュッセルに留学していた長男が夏に戻っていた時で、大学院にいた次男もいっしょだった。「夫婦の掟」という本を講談社で出したら招待券をくれたので、家族4人で行ったのだが、大人ばかり4人というのは、何だかへんな感じだった。あの頃、ディズニーシーがあったらビールが飲めたのにと思う。講談社の隠し部屋みたいなところでお茶を飲んだ記憶がある。そういう記憶の集積の果てに、いまの自分がある。記憶をひきずりながら、人間は死ぬまで生きていくのだろう。いくつかの、楽しい記憶がある。これは自分にとっての財産だと思う。楽しくない記憶は忘れるようにしているし、実際にどんどん忘れていく。例えば、昨日の推理作家との話し合いは、あまり感じがよくなかったのだが、いまはもう忘れている。忘れているといっても、記憶はあるのだが、話し合いの結論だけがあって、感情的なものはきれいに消えている。こういうものを引きずっていると、体調を崩すことになる。できる限り楽観的に、楽しく生きなければならない。ということで、書き下ろしの締切については、まったく気にしていないのだが、「小説論」はようやくゴールが見えてきた。本一冊ぶんの分量はクリアしているので、あとは着地の決め方だけだ。
本日、天体写真家の藤井旭さんから、Mitamasahiroという星が誕生したという頼りが届いた。これは新発見の天体に名前をつける申請の時に、わたしの名前で申請したいという話が以前にあって、ほんまかいなと思いながら、よろしくお願いしますといったのだが、申請が受理されたらしい。そのうち正確な位置などの情報も届くらしいが、とりあえず、読者の皆さま、星空を見上げたら、その星々のどこかに、マタマサヒロという星があるのだと思ってください。

10/16
辻恵氏を励ます会に出席。同氏は高校の同級生。大阪3区に民主党から立候補することになった。しかし本人は大阪にいるので現れない。同級生と交歓した。

10/17
天体写真家藤井旭氏から、小惑星命名の額が届いた。これは小惑星センターというところからの正式の証明書らしい。この小惑星のデータなども書き込まれているのだが、何だかよくわからない。しかし立派な額なので、自分の名前を冠した星があるということの実感がわいてきた。
三田和代さんの芝居を観る。今回は井上ひさし氏の新作。台本の完成が初日の4日前ということで、役者もまだセリフが充分に入っていないところもあるが、とにかく上演できただけですごい。
「小説論」は最後の章に入った。プリントして読み返すのに数日かかるだろうが、ゴールは見えてきた。矯正協会の応募原稿はすべて読み終えて、選考も終わった。あとは短い選評が書くだけ。そろそろ「桓武天皇」に集中できそうな状況に近づいてきた。

10/19
学芸大学駅まで歩く。1万歩突破。1万歩にこだわっているのは、庄野潤三さんの作品の中に、毎日2万歩歩いていると書いてあったからだ。2万歩は無理だが、1万歩は歩かないといけない。

10/20
本日は世田谷代田駅まで歩いたが6700歩だ。小田急だとどこまで歩けばいいのだ。昨日、「小説論」の草稿完成。集英社文庫の講義録3冊ぶんの内容を進化させたもので、少なくとも1冊にまとまっているので、凝縮されていると思う。ただ講義録には教室に臨場感やユーモアがあった。これからプリントして読み返すことになるが、何とかより読みやすいものにしたい。「桓武天皇」を最初から読み返している。冒頭はお父さんが出てくる。これがかったるいようではあるが、やはりお父さんを登場させたい。少し書き加えて、大きなドラマがこれから始まるというムードを盛り上げたい。場面展開の切れ味をもっとよくしないといけない。

10/21
上智大学の学生のインタビュー。表現の自由について。代田八幡まで散歩。9300歩。「桓武天皇」これまで書いた部分をチェックしている。時代状況を語らないといけない。とくに渡来人や銅の採掘にあたった民衆の視点が必要である。百済王の長老に語らせた。うまくいった。うまくいくとは思っていなかったので、少し嬉しい。実は、しばらくやめていたウィスキーを少し飲んだ。べつに禁酒していたわけではない。缶ビールは飲んでいた。缶はデジタルで数えられるが、ウィスキーはグラスの大きさや濃度によって異なるので数えられない。しかしまあ、数えていても仕方がない。よい小説を書くことを優先させなければならない。少しずつ気分が盛り上がってきている。

10/22
図書館との協議会。図書館貸出の実態調査の結果が出た。実際に複本があるということがわかったし、短期的なベストセラーだけでなく、ロングセラーの場合も、図書館で読まれる率が高い。逆に少部数の良書が小さな図書館には置かれていない。わたしが「図書館への私の提言」で問題提起したことが、実際の調査で実証されたといえるだろう。

10/23
自宅で日経新聞のインタビュー。図書館問題と仏教問題。どちらもわたしの書いた本の宣伝になるのでありがたい。今日は祐天寺駅まで行くつもりで出発したら、ものすごい夕立。三宿の交差点から引き返してしまった。「小説論」のプリントのチェックを始める。大きな問題はないが、少しまじめになりすぎている。それもわるくない。無理にギャグを入れると文体が崩れる。世田谷文学の原稿もぼつぼつ読み始めている。

10/24
ドリル業者の団体との協議。過去20年ぶんの補償についてどうするか。20年ぶんの補償を求めると倒産する会社が出てくる。著作権を無視した転載は犯罪ではあるが、その不当な掲載で利益が出たわけではなく、定価の低減ということで、ドリルを利用した生徒や教育現場に還元された部分もある。この問題はわたしが同時並行的に関わっている諸問題の中で、いちばん解決が難しいものだ。帰りに知人の親族の通夜に回る。9500歩。

10/25
八王子で友人のご子息の一周忌の会。ご子息の友人がたくさん集まって、盛大な会だった。だが、それだけに悲しみがつのる。酒を飲んだはずなのに全然酔わない。小説論のプリント、半分以上読んだ。うまくいっている。講義録よりも内容が濃くなっている。

10/26
本日から妻が実家に帰った。べつにケンカをしたわけではない。親の家の片づけにいったのである。子供も犬もいないから、妻がいなくてもとくに支障はない。いつもどおり三軒茶屋に散歩し、昨日の残りメシを食べ、夜中はいつものように一人で仕事をする。それだけ。日本シリーズを見ながら「小説論」のプリントチェック。よくできているので直すところはあまりない。何かが抜けているかもしれないが、話に流れがあるので、無理に追加することもないだろう。夜中は「桓武天皇」。大仏開眼のところまでチェックが終わった。ここまでで政治状況、時代状況、主要登場人物の配置などが終わった。これから井上内親王に迫られるシーンになる。女性の艶やかさを出すために、描写を追加したい。

11/27
三軒茶屋へ散歩した以外はひたすら仕事。日本シリーズ、ダイエーの勝ち。当然、わたしは早稲田の和田くんを応援している。べつに阪神がキライというわけではない。好きでないことは事実だが、中日が優勝した時にキシメンを送ってきた担当編集者への憎悪のようなものは感じていない。とにかく最後に和田くんが完投して勝ったのでよかった。「小説論」のプリントのチェック。もうすぐ終わる。「桓武天皇」も進んでいる。最初の100枚くらいは仕上がった。短い序章と、1章が終わった。2章は少し年月が経過した時点を描くので、時の経過をどのように表現するかを、考えないといけない。1章は大仏開眼。2章は藤原仲麻呂の滅亡と、道鏡の台頭、孝謙天皇の死、といったところまでになるだろうと思う。しかしそのテンポで進んでいくと、なかなか平安時代に到達しない。まあ、平安京遷都までに400枚以上費やしてもいいと思う。遷都以後は、エピローグのようなかたちで収めたい。ヒロインの百済王明信が死ぬところで、物語は終わってしまうはずだ。来週はものすごく忙しいので、体調の維持に気をつけたい。

11/28
雨。床屋へ行く。それから部屋の片づけ。わたし6畳の和室で仕事をしているのだが、机、棚、こたつのテーブルの上に書類と資料が山積みになり、畳の上にまで積み上がっていた。これはまずい。小説論もそろそろ終わる。団塊老人の資料も片づけないといけない。図書館論どころかその前の仏教関係の資料も、書類の山の下に埋もれている。すべて片づけた。別当、地下、二階に、本を置くスペースがある。別当へ行くのは大変なので、使わないけれども捨てられないというものだけを運ぶ。すぐ使うものは仕事場の本棚、その中間のものを地下と二階に運ぶ。地下は満杯なので、まずそこにある本で使わないものを別当に運ぶことにした。吉本隆明の本とか、そういうものだ。捨ててしまいたい気もしたが、いちおう別当に運んだ。もはや触れることはないだろう。妻は時々、死ぬまでに必ず整理しろという。息子たちに迷惑はかけられない。自分でもそう思うが、生きている間は捨てたくないというものも多い。しかしいつかは突然、死ぬかもしれない。死なないまでも、死にそうになった時には、自分では片づけられなくなっている。いま妻が実家に帰っているのも、家の片づけが老人たちだけでは不可能になっているからだ。親の家の片づけをする立派な娘だ。しかしわが息子二人を見ると、スペインと茨城にいて、親の家の片づけなどしてくれないだろう。といったことを考えながら作業を終えた。仕事をする座椅子の周囲がすっきりして寂しくなった。落ち着かない。

10/29
図書館との協議。今回は日本図書館協会のご協力で実施された実態調査の結果を踏まえての会議。推理作家協会から東野、楡、ペンクラブから猪瀬、篠田、松本郁子というメンバー。これに出版社が加わり、対する図書館も同じだけ人数がいたので、一人一回くらいしかしゃべれない。わたしの司会進行だったのであまり発言できなかったが、何とか最低限の言いたいことは言えた。参加者が多すぎる。また機会をみてもう少し内容のある会議をやりたい。11/08午後1時、日本プレスセンターホールで同じようなシンポジウムをやる。こちには少し人数が少ないので、もう少し内容があるのではないかと思う。ようやく妻が帰ってきた。やれやれ。妻がいないと、荷物が届いたり、ゴミを出しにいったり、何だか落ち着かない。「小説論」の草稿チェック、いちおう終わったが、何か足らない気がするので、あと数日、ねばってみたい。

10/30
午前中の会議があると、一日が長い。昼過ぎに自宅に帰ってきて仕事を続ける。散歩に出る必要もない。「桓武天皇」かなり進んだ。登場人物が一挙に増えた。藤原一族がドッと出る。みんな藤原さんだし名前も似ているので、読者がついてこれるか心配だ。何度も読み返してチェックしたい。いちおう、南家、北家、式家、京家という区別はしているのだが。「小説論」やはりエンディングが盛り上がっていない。とにかくチェックしたところを入力して、最後にワープロで仕上げることにしよう。

10/31
本日は雑用なし。三軒茶屋へ散歩。旅行用の目覚まし時計を買おうと思ったが、電波時計がずらりと並んでいる。999円。「桓武天皇」は進んでいる。橘奈良麻呂の乱、主人公が間接的に関わるという設定にして、時代状況を提示する。その関わり方が難しいが、何とかうまくいきそうだ。この続きは11月のノートへ。


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