「桓武天皇」創作ノート4

2003年12月〜

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12/01
著作権白書の委員会に出席。去年から続いている会議だが、まだ終わらない。しかし白書の草案のようなものはできているので、あとわずかだ。午前中の会議なので一日が長い。三ヶ日で、思いの外、原稿がたくさんかけて、話は先に進んでいるのだが、道鏡が孝謙上皇を治療するシーンをとばしていた。「天翔ける女帝」から引用というか、かっぱらおうと思ったからだ。自分の作品の一部をひっぱってくるのだから、盗用ではない。「頼朝」にも「清盛」のシーンが重ねられている。ただし、今回は、道鏡のイメージが少し変わっているので、完全に重なることはない。ただセリフなどは、なるべく同じものを用いたいと思う。その調整が大変だ。このシーンは、一種の悪魔祓いで、「天翔ける女帝」を書いた時にも、シャーマンのドキュメントなどを参考にしたように思うのだが、昔のことなので忘れてしまった。最近、昔のことをどんどん忘れてしまう。自分が何を書いたのかも憶えていない。今日、「天翔ける女帝」を少し読み返したら、文章がずいぶん甘いので驚いた。昔はこんな文章を書いていたのか。そのぶん、読者を遠ざけているのかもしれないが、いま書いている文章は格調がある。それでいいと思っている。

12/02
本日は公用なし。ひたすら自分の仕事。仲麻呂の乱が終わり、一段落。道鏡と女帝については、すでに一度扱った材料なので、あまり深入りせず、時間を飛ばしてしまいたい。全体の半分は越えていると思うが、予定していた3カ月のうち、2カ月を費やしたので、進行が遅れている。ただ量的にはよく頑張って書いていると思う。

12/03
文化庁の会議が午前中だと一日が長い。午後と夜中に自分の仕事ができるからだ。ところが本日は午後の会議。夕方から仕事をしたが、何だかあせってしまう。桓武天皇にもう一人弟がいるということが、突然、判明した。資料をよく読んでいなかったせいだが、いまごろ弟が出てくると困ってしまう。稗田王という人物で、しかもこの「稗」には草冠がかぶさっていて、JISでは字が出てこない。稗田で押し通そう。すぐに死ぬのでストーリーに影響は出ない。

12/04
文芸家協会理事会。何か今日はとても疲れた。疲れて三軒茶屋(急行が来た)から帰る時に、そうだ今日は木曜日だから、「マンハッタンカフェ」と「魁クロマティー学園」があると思ったら元気になった。テレビを見て元気になるなんて寂しい人生だ。どうも今日は落ち込んでいる。

12/05
本日は公用なし。主人公が永遠の恋人明信の妹恵信を妻とするシーン。姉への思いが捨てきれない状態で、複雑な思いを抱きながら妹に対する、そのあたりをコンパクトに描いた。じっくり書くともたれるしテンポが乱れる。桓武天皇は三十人以上妻がいる。その第一番なので、さらっと書かないと先へ進めない。桓武天皇は妻が多いため、多情で精力絶倫といったイメージがあるのだが、そうではなく、明信を永遠に追い続けるロマンチストとして設定した。明信以外はすべて同等に扱うために妻の人数が増えたのである。少し強引だが、多情な人間は、わたし自身が好きになれない。英雄は禁欲的でなければならない。

12/06
妻と下北沢まで散歩。あとはひたすら仕事。和気清麻呂が宇佐八幡の神託を奏上する。戦前の人なら誰もが知っている物語だ。ここはべつに山場でもないのでさらりと先に進みたい。今週は公用はあったが一日に二つ会議があるというようなことはなく、落ち着いて自分の仕事ができた。いいピッチで前進できている。今週はコサギを二回見た。池尻大橋へ向かう緑道にカルガモの一家が暮らしている。いつもそこど立ち止まってカモの様子を見るのだが、ふと上の方を見ると木の上にコサギがとまっていた。北沢川緑道には毎年、コサギが来る。テリトリーがあるのか必ず1羽だ。サギは白くて美しい。カラスとはえらい違いだ。北沢川緑道は暗渠になって川は地下を流れているのだが、人工の川があって、なぜかドジョウなどもいる。それをサギが食べている。ザリガニも食べる。人工の川であるということをサギは理解していないだろうが、とにかくサギは白くて美しいので見飽きることがない。1羽しかいないというところも貴重である。カルガモは7羽くらいいるのでありがたみがない。

12/07
妻と三軒茶屋へ散歩。ウイスキー2本買う。しばらくウイスキーを飲んでいなかった。とくに理由はない。ウイスキーはカウントできないので、少しずつ酒量が増えているのではという気がして控えていたのだが、どうも元気が出ない。缶ビールだと数が数えられるという利点はあるが、数を数えてもその数が増えていけば同じことだ。酒はつきあいで必要なので、体を壊して酒が飲めなくなるという事態を避けたいと考えているだけで、とくに酒が好きというわけではない(言い訳しているみたいだが)。酒は安い酒を飲む。これは口が驕ることを怖れているからで、よい酒ばかりを飲んでいると、安い酒をまずいと感じてしまう。まあ、貧乏だということもあるが、2倍の値段の酒が2倍おいしいかというと、そうでもない。本日は公用で「協定書」の文面を考えていた。何でこんなものをわたしが考えないといけないかとも思うが、自分にしかできない仕事であるし、この仕事は世のため人のためになるので、やらないわけにはいかない。わたしはべつに世のため人のために生きたいと考えているわけではないのだが、結果としてはかなりの時間を世のため人のために生きている。まあ、命がけでやっているわけではないので、大したことではない。

12/08
著作権分科会。書籍の貸与権に関わる法律の改正のための重要なステップ。貸与権については質問も出なかったが、レコードの輸入権について紛糾。これについての私見を述べれば、レコードが何となく高いという感じはわたしももっている。これは再販制度の問題で今回の輸入権とは別。日本の楽曲を中国などでライセンス生産すると、おそらく十分の一くらの価格で販売されるだろう。これを逆輸入すれば歌詞カードは中国語だが、音そのものは国内版とまったく同じものが安価に入手できる。そこでこの逆輸入を規制してほしいというのがレコード会社の要望。これが規制できなければ、ライセンス生産ができなくなる。となると中国の人は、自分の月収くらいの輸入盤を買うか、音質の悪い海賊版を買うしかない。規制に反対している消費者運動の人々は、アジアの消費者のことをまったく考えていないようだ。この規制が実現しなければ、日本のメーカーはライセンス生産をしないことになり、結果として、レコードはべつに安くはならない。ただ日本の音楽文化が海賊版というかたちでしか伝えられないという文化的鎖国状態が続くだけだ。ただ安ければいいという硬直した消費者運動には疑問を覚える。

12/09
岳真也氏の同人誌「21世紀文学」の鼎談。岳さんとは古いつきあいである。ある意味いでマイナーな作家のつきあいといっていい。純文学というのはもともとマイナーなもので、純文学として脚光を浴びているのは、はやりものにすぎない。純文学の世界で長く生きていくためには、マイナーな作家として生き延びるすべを心得ていなければならない。その意味では、岳さんや、笹倉さん、それから評論家の山崎行太郎さんなど、学ぶべきことは多いし、とにかく何とかして生き延びていかないといけないという点では、わかりあえる仲間だ。出かける前に仕事も少しした。和気清麻呂が神と遭遇するシーン。考えようによってはこの作品の最大のハイライトともいえるシーンだが、オカルト小説ではないので、可能な限り抑制して書いた。そうでないこの作品のバランスが崩れてしまう。これは別に、たとえば「陰陽師和気清麻呂」というようなタイトルでオカルト小説で書けば面白いものになるが、今回のリアルな歴史小説なので、深入りはできない。

12/10
本日は公用はなし。道鏡が失脚した。光仁天皇の時代が始まる。この期間がいちばん面白くないところ。テンポを上げて話を進めたい。女帝毒殺説というものがあるが、示唆するにとどめる。井上内親王の追放も含めて式家百川が暗躍する。暗躍する割りに肝心のところでいなくなってしまう人物であるが、主人公山部王が天皇になるためには必要な人物である。いまのところ種継の影がうすい。このあたりからイメージを強化したい。2日続けて宴会だったので、胃腸が疲れている。明日も宴会だ。それで今年の宴会は終わりになる。コーラスの忘年会が残っているが。

12/11
早稲田文学の宴会。まあ、楽しかった。

12/12
文芸家協会で業者との話し合い。実に長期間、解決のいとぐちが見つからなかった問題だが、本日は、短時間に話がついた。時間をかけたので、煮詰まってきたということだろう。やれやれ。桓武天皇はようやく皇太子になった。いよいよ終盤に近づいてきた。

12/13
来週に予定されていた文化庁の著作権分科会が中止になったので、仕事場に行くことにした。三ヶ日の仕事場にこもると集中力が出る。そのため、必要なメールを昨日のうちに発信し、点字図書館との交渉は書記局に任せた。これで来週は公用からは解放される(はずである)。この前、同じように土曜日に仕事場に向かった時、東名が混んでいたので、中央高速に乗る。河口湖インターで下りて、富士山の裏を回る。朝霧高原の道の駅で休み、そこから運転を交代する。富士インターから東名に入る。ここから先はいつもすいている。気分よく運転できた。

12/14
日曜。鷲津に行く。この前見つけたピザ屋。いいピザが出る。イオンで買い物。鷲津はスズキの工場があるのでブラジル人が多い。交わされるポルトガル語はスペイン語に似ているので、何だか懐かしい。仕事は順調。桓武天皇即位の直前の政治状況をしっかり押さえておく必要がある。

12/15
ひたすら仕事。ようやく和気清麻呂が再登場した。ここから新たな登場人物が揃う。桓武天皇のすごいところは、前半部の登場人物が和気清麻呂以外はほとんど死んでしまうのに、桓武天皇は最後まで生きているということだ。主人公なのだから最後まで生きているのは当然だが、もっと生きていてよさそうな主要登場人物が次々に死んでいく。天皇になれたのは長生きのせいかと思うほどだ。しかしそれでは話が面白くないので、なぜ天皇になれたかを検証しないといけない。

12/16
長い一日だった。今回は三ヶ日でのんびりしたいという妻の提案で、こちらに来たのだが、ふだんは義父母が来るので出来なかったプランがあるようで、朝からテーブルの表面を削る作業を始めた。この家を建てた大工さんが道具を貸してくれて、結局、共同作業みたいになったようだ。こちらは書斎にこもって仕事をしていた。本日は水道工事もあって、断水していたのだが、断水解除の後、温水器が作動しなくなった。汚水でフィルターが詰まったのか。風呂に入れなくなったので、同じ別荘地内にある郵便簡易保険の保養施設に行く。ここは700円で風呂に入れる。温泉ということだが、ただの塩水みたいだ。それでも露天風呂があって、ものすごく冷たい風が吹いていて快適だった。桓武天皇はいよいよ桓武天皇になる。わたしが書いているのは、どうも政治小説のようだ。王子さまの物語という点では、ハムレットに似ているのだが、挫折の話ではなく、権力者になる話だ。いちおうタイトルは「平安の覇王/桓武天皇」ということにしてあるのだが、「平安」と「覇王」とが矛盾した表現であることはわかっている。そこがこの作品の面白いところだと思っている。桓武天皇が天皇になったというのは、奇蹟に近い。天武王朝の全盛期にあって、はるか昔の天智天皇系の皇族に起死回生のチャンスがあるとは誰も考えなかった。藤原仲麻呂、道鏡という独裁者がいた。その独裁政権の直後の空白期間に、偶然のごとく台頭したのが、桓武天皇だ。しかしただの偶然ではない。桓武天皇には資質がある。勝利するハムレットという感じだ。それから膨大な人数の後宮の妃たち。好色な人物ではないということを強調しておきたい。むしろ桓武天皇は禁欲的である。それをとりあえず、初恋の女性、百済王明信への思慕のゆえだと設定したのだが、すでに子供が二、三、生まれ始めているので、禁欲的ともいいがたい。精神的には禁欲的なのだが、仕方なくセックスしているうちに、子供だけは生まれていく。そんな感じをきれいに書くことは難しいが、試みたい。いよいよ即位の時が近づいているが、ちょっと待て、母親と再会させなければならない。いつまでたっても、お母さんは怖い。わたしの母はまだ健在で、姉もいるし、妻もいるし、怖いものはたくさんあるのだが、母というものは、ありがたいものであっても、男にとってはいつまでも頭の上がらぬ、厄介な存在だ。父は、意見が合わなければ、「敵」ということにしてしまえばいいのだが、母の場合はそういうわけにもいかない。突然、話は変わるが、今日、作業中に、突然パソコンが、ハードディスクの容量不足で作動が不安定になるかもしれない、などと言いだした。保存文書は別領域(D)に入れているので、ウィンドウズの入っている領域(C)の方には、新たなものは入らないはずなのだが、とにかくパソコンが、何か削れと言ってきたので、使ったことのないソフトをどんどん削ることにした。去年だったか、同じような状況で、どんどんソフトを削ったあげく、ディスクの圧縮までやって、そのあとでフォントが消滅していることに気づいた。作業画面の右上にある□や×までが文字化けしているし、チェックを入れるレ点も空白も文字化けしているので、チェックが入っているのかどうかもわからなくなった。仕方がないので初期化したのだが、えらい時間がかかった。そのあとで、フォントが消えただけなら、セーフモードで起動すれば復活する可能性があるということがわかった。実は半月ほど前に、一部のゴシック体が消えてしまったので、セーフモードで起動したら、消えていたフォントが復活した。それにしても、フォントが消えてしまっては困るので、今回は慎重にソフトを削っていった。いずれにしろパソコンと格闘すると、胃が痛くなる。そういう状況で、やって何とか問題をクリアーしたと思ったら、お湯が出なくなるなどという現実的なトラブルが生じたので、何だか疲れてしまった。昨日、この仕事場に置いてあるパソコンでメールをとろうとしたら、何とも怪しげな音がして、インターネットにつながらなくなってしまった。再起動してもダメだったのだが、終了して時間を置いてから起動したらちゃんとつながった。理由はわからない。パソコンには、理由のわからないことが多すぎる。給湯器も理由なく壊れてしまう。水道工事などするからよくないのだ。この仕事場にこもるために、実はいくつかの作業から逃げてきている。世のため人のための仕事も、長く無償でやっていると疲れてくる。自分の仕事をやりたい。この自分の仕事というのも、実は世のため人のためのもので、それほど儲かるものではない。出版社にも迷惑をかけ、誰にも誉められないというものかもしれない。しかしこの作品を書くことが、世のため人のためになるという信念はある。この信念は、時々ぐらつく。自分の書きたいものを書いているだけではないかという疑念が浮かぶからだ。カラオケでひとりよがりに絶叫している中年のオヤジを見る度に、自分もそうではないかと不安になる。そうではない、と思っている。読者の支援がないと、だんだん不安に負けそうになる。

12/17
朝、給湯器の修理の人が来た。やはりフィルターがつまっていたのだが、ゴミがつまっていたというよりも、空気が入って、それで水が流れなくなったようだ。わたしの仕事場は高いところにあるので、水道管が長く、空気もたくさん入っていたらしい。大工さんに来てもらって、雨漏りの修理をやっているのだが、シロアリに食われているところを発見。築22年だからいろいろなことがある。妻はテーブルの塗り替えをやっている。こちらはひたすらパソコンのキーを叩く。第七章に入った。といっても、全体が何章になるのかわからない。三分の二くらいのところまで来ているのか、それとも半分くらいなのか。予定では年内に完成するはずだったが。いよいよ桓武天皇即位というところだが、その前に酒人内親王との再会を描く。桓武天皇の妻は30人以上いる。全員を描くと源氏物語みたいな長大な作品になってしまう。皇后乙牟漏、妃酒人内親王、夫人吉子、同じく夫人旅子、それに尚侍(ないしのかみ)の百済王明信。この五人ははずせない。ちゃんと書いていると、どんどん話が長くなる。

12/18
三宿に戻る。いい天気で富士山がきれいであった。三ヶ日ではひたすら仕事をした。このペースを三宿でも持続できるか。カーラジオで小田急高架の裁判、住民敗訴を知る。ある程度は予想していたが、ラジオでチラッと聞いた限りでは、住民に裁判を起こす権利がないとか、そんなことを言っていた。どういうことだ。

12/19
久しぶりに三軒茶屋を散歩。昨夜は、少しアラスジだけになっていたところを、壱志野王、神王というコンビを登場させて、セリフで語らせることにした。セリフでストーリーを語ってはいけないというのは、学校で教えていた頃、よく学生に話していたことだが、今回は長大な作品なので、こういうやり方でないと間がもたない。次から次へと現れては消えていく登場人物の中で、この二人だけはいつもそばにいる親友であり、従兄弟である側近である。さて、ようやく桓武天皇の即位にこぎつけたので、最初から少し読み返してみたいが、テンポよく語れている。最初に主要登場人物の一覧表をつけようと思って、書きながらリストを作ってきたのだが、それだけで数ページになりそうだ。これだけの人物が自分の頭の中に入っているのはすごいことだが、これと同じ状態を読者の脳に要求するのは無理からもしれない。こちらは書くことに命をかけているが、読者はそうではないからだ。もう少し楽に、気軽に読めるように書かないといけない。

12/20
コーラスの練習のはずだったが、中止になったので、妻と散歩。三宿のバス停で最初に来たバスに乗るということにしたら、田園調布行きだったので、自由が丘で降りた。三宿のバス停には、成城学園行きも来るし、祖師谷行きも、等々力行きも来る。いちばん遠いのは調布行きか。で、ぶらぶらして帰ってきた。下北沢より少し上等の街であった。

12/21
昨夜は早良親王と主人公のやりとのを描いた。仏門に入っている弟を還俗するように説得するのだが、どうやって説得すればいいのか作者にもわからないので困った。が、主人公になりきって必死で考えれば、言葉が出てくる。これは著作権をめぐる会議で人を説得することには慣れているが、そういう世俗の会議ではなく、少し哲学的にレベルの高い会話を小説で描くのは楽しい。

12/22
仕事は順調に進んでいる。だが、タイムリミットが近づいてきた。1月はスケジュールのある仕事が入っていて、「桓武天皇」に集中できる状態ではない。予定では、今年中に草稿を完成する、という段取りだったのだが、少し時間が足りない。しかし即位はしているので、何とか長岡京の失敗と弟の死までを描き、いよいよ平安京遷都、というところまでを仕上げてしまいたい。その後は、エピローグ的なものしかないので、いちおうと草稿完成と考えて、しばらく寝かしておきたい。1〜2月のスケジュールをこなした上で、時期を見て(何を書いたか忘れて頃に)、最初から読み返して、読者にどの程度、届くかどうかを検証する。その上で、エピローグを仕上げる。そう考えると、完成はずっと先になるような気もする。で、このノートはさらに続くことになる。

12/23
妻と下北沢まで散歩。3日ほど前に自由が丘へ行った時に、ヴィリッジヴァンガードという雑貨屋のような本屋があった。面白いものがいっぱいあったのだが、この店は下北沢にもあるらしい。ということで、どこにあるのか知らなかったのだが、ぶらぶら歩いているうちに見つけた。駅の近くで何度も通ったことのあるところだ。本多劇場のビルの裏側から入ったところで、昔は雑貨屋が入っていた。それで自分とは縁のないところだと思って、それ以後は素通りしていたのだ。前を通っていても先入観があるので、店が変わっていることに気づかなかった。仕事の方は、桓武天皇と早良親王の論争が続いている。ここは作品の山場かもしれない。思想小説みたいな感じになっている。理屈っぽい。困ったことだが、京都という街が出現するためには必要な議論なのだ。音信不通だった次男からようやく電話がかってきた。まじめに会社で働いているようだが、かなり忙しいみたいだ。スペインにいる長男からはよく電話がある。年内に奥さんと、ハカというリゾート地でコンサートをやるらしい。聴きに行きたいが、スペインは遠し。

12/24
クリスマスイブ。今年はどこへも行かない。家で妻と二人ですごす。年賀状をプリント。名簿の整理。それだけで疲れた。名簿の追加訂正とオモテのプリントは明日にする。七章完成。どうやら全体は九章になるようだ。まだ長岡京に行っていない。弟も死んでいない。これであと2章で終わるのかどうか。エンディングに近づくにつれて時間のスピードが早くなる。晩年はあまり書くことがない。というか、書くと膨大なものになるが、面白くない。天皇になるまでが面白いのであって、そこから先は権力者の話になってしまう。空海をちゃんと出したいが、うまく行くか。タイムリミットが近づいている。今年いっぱい「桓武」に取り組む。来月は少し忙しくなるので、「桓武」は寝かせておくことにする。

12/25
公明党が説明に来てほしいというので、議員会館で貸与権と公共貸与権について説明。20分で説明しろというのは無理な話だが、とにかく20分しゃべり質問してもらった。的確な質問が多く、合計1時間の間に必要なことはすべて話せたと思う。さて、これで今年の公用はすべて終わり。今年は著作権をめぐる問題が同時多発的に発生して、生涯でいちばん忙しいかと思うほどだったが、無事に終わった。来年は少しは楽になるだろう。年賀状のオモテをプリント。これで年が越せる。

12/26
クリスマスプレゼントに妻が腕時計をくれたのだが、わたしの腕はチョー細いのでサイズが合わない。で、渋谷まで行って、サイズを合わせてもらった。帰りは歩いて帰った。渋谷から片道歩くと、下北沢へ往復するのと同じくらいか。往きに電車に乗ったといっても、駅までも相当の距離がある。渋谷まで歩いて往復しても大したことはないが、とくに渋谷に行きたいと思わないところが、老人になったということか。帰りに、学生時代に住んでいたアパートの前を通った。アパートはそのままあった。神泉の駅からすぐのところだ。神泉の駅は新しくなっているが、周囲のひなびた感じはかわらない。ここに住んでいたのは何年前かと考えて、わッと思った。35年前だ。それにしても町の感じがあまりかわっていないのは面白い。年内に平安遷都を果たしたい。大伴家持が仇役になってしまった。

12/27
長岡京遷都の前に少し会話がほしい。しかしそうなると、桓武天皇の側近、一人一人の考え方を書かないといけない。テンポが遅くなるが、式家種継の出番はこれが最後になるので、死ぬ前に何かセリフを言わせておきたい。好感のもてる人物ではないが、それなりに頑張って生きているので、何かよいことを言わせてやりたい。寒くなった。大きな家に二人だけで暮らしているので、よけいに寒々しい感じがする。

12/28
早稲田の文学部の仲間と同窓会。一年、二年の教養課程のクラスで、当時は全共闘運動が盛んな時代であったから、毎日、クラス討論をやっていた。毎年、この時期に同窓会をやる。カラオケなどもやる。懐かしい仲間である。

12/29
妻の運転で早朝に出発。三ヶ日の仕事場へ向かう。掃除などしているうちに義父母も到着。次男も来る。次男と会うのは実に久しぶりだ。元気そうで何よりである。ふだんは息子のことなど忘れている。昔はうちにも子供がいたなと、時々、思い出すことはあるが、懐かしく思い出すのは、子供が本当に子供だった時のことだ。この三ヶ日の仕事場でも、プールにつれていったり、海へ行ったりした。久しぶりに次男と会って改めて感じるのは、子供だがもう大人だということだ。次男は大学院に通っていた頃は自宅にいた。冷蔵庫から勝手にビールを出して飲み、こちらが見ているテレビのチャンネルを断りもなく変え、インターネットにつながるパソコンを独占するやつであった。そういうことはきれいに忘れて、子供たちが可愛い幼児だった頃の思い出だけが残っている。

12/30
ひたすら仕事。ここの書斎からは浜名湖が見える。対岸の舘山寺温泉のそばにある大草山のなだらかなスロープを眺めながら仕事をする。ようやく種継、早良親王が亡くなって、予定していたところまで来た。この弟の死は、作品の山場である。作品はすでにエンディングに向けてスピードを上げつつあるので、コンパクトに通り過ぎることにした。文体の密度が高くなっている。
12/31
8章が終わった。平安遷都の直前である。遷都のあとは、もはやエピローグになるのかもしれない。ということは、あと1週間くらいで草稿が完成するのか。長岡京が終われば、一段落して、しばらく別の仕事に取り組もうと思っていたのだが、あと1週間くらい粘ってもいいなと思っている。緊急に必要なのは、NPOの原稿だけなので、どこかでこれを20枚くらい書くことにして、それ以外の仕事は先に延ばすことにしよう。さて、大晦日。今年は文芸家協会の仕事があって、生涯で一番忙しかったのではと思われるほどだった。保護同盟が解散ということになって、文芸家協会が引き継ぐことになり、その手続で文化庁との交渉などがあった。これに図書館問題とレンタルショップの問題に、教育機関のガイドライン作りと、さまざまな問題が今年に集中した感じがする。来年はもう少しひまになるのか。そうあってほしいと思う。


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