「桓武天皇」創作ノート3

2003年11月〜

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11/01
現在のところ「桓武天皇」は100枚以上書けていて、順調に進んでいる。ただし、「小説論」は草稿チェックの最後のところが終わっていない。「団塊老人」は草稿の編集者チェックも終わっているが発売時期が少し先なので入稿せずに手元に置いている。最後にもう一度チェックしたい。そういう状況だが、今月は著作権関係の仕事が忙しい。スケジュール帳がびっしり埋まっている。明日、明後日は出張。週の後半は世田谷文学の選考、文芸家協会の理事会、高松での講演、ペンクラブのシンポジウムがある。週の前半に「小説論」を仕上げて、これは郵送して担当編集者に読んでもらおう。

11/02
大阪ライトハウスの依頼で明日講演とシンポジウムに出席するので大阪へ。正確にいうと近畿視覚障害者情報サービス研究協議会の30周年記念大会。協議会関係者と打ち合わせを兼ねた飲み会。ライトハウスの人とは以前に日本点字図書館関係者との飲み会で会ったことがある。その日本点字図書館関係者も東京からかけつけて、楽しい飲み会になった。この種の会で楽しみなのは盲導犬の活躍する姿が見られること。本日は一名参加。隣の席なのでわたしの足もとでじっとしていた。偉い。

11/03
近畿視覚障害者情報サービス研究協議会30周年記念大会で講演。午後はシンポジウム。打ち上げの飲み会。大阪では阪神のパレードをやっていたらしい。御堂筋方面に向かう道路が遮断されていた。視覚障害者にとっては迷惑な事態だったが、会場を満員だった。図書館関係者はたくさん来ていたようで、三田誠広が図書館の敵ではないことをご理解いただけたと思う。

11/04
本日は公用は休み。「小説論」のプリントチェックはエンディングのところがまだスッキリしていないのだが、入力を始める。本日で入力はすべて終わる。明日、しめくくりの部分をワープロで仕上げれば完成ということになる。
さて余談だが、昨日、講演とシンポジウムをやった会場のあたりは、わたしにとっては懐かしい場所だった。小学生の頃、朝日放送の児童劇団というものに入っていた。ラジオで朗読をしたり、テレビに出たりする子役を訓練するところで、週に2回か3回、レッスンがあった。中之島にあった放送局ではなく、交差点をわたって少し道を入ったところにある寮でレッスンがあった。寮というのは、アナウンサーやスタッフが泊まり込む施設で、小さな旅館のような感じで、二階の和室か、一階の広い洋室で、放送台本を読んだり、朗読の練習をした。標準語というものをそこで習った。わたしは姉二人が演劇をやっていて、家の中で朗読の練習をしていたので、自然に標準語はしゃべれるようになっていたが。学校の帰りに肥後橋まで市電に乗って通った。亡くなった女優の中島葵さんや、寅さかのシリーズに出ていた佐藤蛾次郎さんなどが先輩だった。そこで宮沢賢治の詩や童話を朗読した。ふつうの子供とは違う奇妙な体験をしていたと思う。街の様子はすっかり変わっていたが、道路の交差している様子はまったく変わっていない。いろいろな記憶が甦ってきた。考えてみると、そのあたりの道を歩くのは、40年ぶりくらいだ。40年ぶり、レッスンに通い始めた頃から数えると、45年前のことということになる。45年前の自分が、そこにいた。それは何だか、信じられないようなことだ。

11/05
明日は世田谷文学館の応募原稿の選考を終えてから文芸家協会の常務理事会/理事会に出席するという強行スケジュールでだが、理事会の発表で何を発表するかを考えるだけで疲れた。発表すべきことが多すぎる。頭の中が混乱している。文化庁/貸与権協議会/図書館協議会/福祉関係/教育機関/ドリル業者これにNPO関連が加わる。「小説論」のエンディングもまだ完成していない。「桓武天皇」は中断したままだ。やれやれ。

11/06
世田谷文学館で、青山光二さんと、世田谷文学賞小説部門の選考。今回はわたしの評価では横並びだった。傾向の違う作品を比べるのも難しい。難航するかと思っていたが、青山さんと話しているうちに、すっきり決まった。早く終わったので、のんびりと文芸家協会へ。わたしの発表があまりに長すぎて、何人かの理事が帰ってしまった。仕方がない。どうしても説明しなければならない項目が多すぎるのだ。

11/07
高松に日帰りの講演。中学校の国語の先生の大会だが、生徒との交流の場も設けてもらったので楽しかった。少なくとも教科書に掲載されている「いちご同盟」は全員が読んでいるという状況で話すのは気持ちがいい。ふつうの講演だと、聴衆の大半がわたしの作品を読んでいないという状況だし、わたしの名前も知らない人が混じっていたりするのだが。明日はシンポジウム。疲れがたまっている。

11/08
ペンクラブのシンポジウム。去年のシンポジウムは図書館側は観客動員していて、殺気立った雰囲気の中で大論争になったのだが、一年経過して、図書館関係者の理解も進み、著作者側も図書館側の立場をある程度認めるようになったので、対立点はあるものの、充分にかみ合った議論になったと思う。具体的にどうするかということにると、まだ煮詰めなければならない点は多いが、ひたすら対立していた時期が終わって、歩み寄りの可能性を模索すべき時期に来ていると思う。打ち上げの飲み会にも図書館関係者が参加してくれて、意見を交わし、理解がさらに深まった。実りのある一日であった。
ということで、ハードな3日間が終わった。さあ、自分の仕事だ。

11/09
昨夜は次男が帰ってきた。べつに親に会いに来たわけではない。東京で飲み会があったので、泊まりに来ただけだ。本日は昼過ぎまで寝ていて、昼飯を食べて帰っていった。上野まで車で送っていった。彼は無口で、ほとんど情報を発しない。まあ、元気そうなので安心している。選挙。東京六区は補欠選挙をやったばかりだ。選挙は必ず投票する。姉が来たので軽く飲む。「小説論」まだ完成していない。担当者が火曜日にとりにくるので、明日が最終締切。

11/10
前夜は仕事をしながら選挙速報を見ていた。高校の同窓生が大阪3区から出馬していて推薦人になっていたからだ。公明党の強い地域で苦戦。比例区にも重複して登録しているのだが、他の地域の候補者の惜敗率が高く、これはダメかと思っていた。そこから仕事に集中したので、選挙速報は見ていなかったのだが、今朝、新聞を見ると、ビリから二番で当選していた。辻君。おめでとう。
「小説論」草稿完成。最後の部分がかなり手間取った。精神論みたいなものになってしまったが、単なるハウツーものにしたくないという思いが強く、余計なものを書いてしまった。しかしこういうものが必要な読者もいるはずだ。

11/11
貸与権に関する打ち合わせ。金曜日の文化庁の会議に備えての最終打ち合わせだが、状況を確認するということで、大きな変更はない。出版社の人々が、著作者のためにいろいろと実務を担当してくださることを、ありがたいと思う。それが営利のためかといえば、こういう時代だから、必ずしも営利のためとはいいきれない。義のために、多くの人々が、せいいっぱいに作業を進めているのだ。こういうことを、一般の人々は知らない。文化庁や図書館関係者など、公務員の人々は、自分たちの生活が保証されている立場でありながら、営利企業に対して、蔑視というか、一種の敵意のようなものを感じているのではと思われる。いまのこの世の中では、「営利企業」などというものは存在しない。従業員の生活を守るために営利を度外視しているというのが民間企業の実態だと思う。
自宅に帰って、光文社の担当者に、「小説論」の原稿を渡す。近所の鶏料理屋で祝杯をあげる。2ヶ月ほどで仕上げた。この期間、公用で多忙だったことを思えば、よく書けたと思う。ただ「桓武天皇」の作業が遅れている。昨日、久しぶりに「桓武天皇」のファイルを開けると、何を書いたという記憶が完全に欠落しているので、知らない作品を読むような感じで、なかなかいい作品だと思った。ただ、藤原仲麻呂という人物についてのイメージが鮮明に出ていない。ここは工夫しないといけない。

11/12
本日は休み。下北沢まで散歩。ようやく昨日、光文社担当者に原稿を渡せたので、「桓武天皇」に集中できる。一週間以上、「桓武」から離れていた。和気清麻呂が何か言いかけたところで話がストップしている。何を言いたかったのか忘れてしまった。まあ、この人物は陰陽師みたいな感じで使いたいので、何か不思議なことを言うことにしよう。明日も公用がないので仕事に集中できる。

11/13
本日も休み。下北沢まで散歩。「桓武天皇」進んでいる。ようやく道鏡が出てきた。「天翔ける女帝」では道鏡は主人公だった。今回は桓武天皇のストーリーの中を、ほとんど背景に近い感じで通り過ぎるだけなので、あまり深いキャラクターにするのも読者にとって煩雑だろう。ということで、水戸黄門の悪代官みたいなややパターン化した設定で切り抜けたい。ただし、「天翔ける女帝」の読者もいるので、あまりイメージに開きがないように、本当はいい人なんだという感じも漂わせておきたい。さて、明日は恐怖の、一日に三つ公用のある日だ。ふつうのサラリーマンで営業の仕事をしている人にとっては、一日に何件も人と会う用があるのは当たり前だろうが、人見知りしがちな作家にとって、一日に三つも用があるのは大変に疲れるのである。午前中の文化庁の会議でも、貸与権がテーマなので発言し、議論に参加しなければならない。午後の文芸家協会は書記局に指示を出すだけだが、状況を報告してもらって考え、必要なことを伝えなければならないので頭を使う。夕方は矯正協会。これは矯正中の人の作文のコンクール。選考はすでに終わって選評も届けてあるのだが、予備予選を担当してくださった児童文学者の中島その子さんと対談して、全体の感想を話さなければならない。自分の選評はプリントしてあるので、それを見ながら記憶をたどることになる。何とか無事乗り切りたい。

11/14
文化庁の法制問題小委員会。必要な発言はできたと思う。とくに反対する委員もなし。ほっとしていると、次の議題、レコードの輸入をめぐる問題で紛糾した。自分には関係のない問題ではあるが、著作権に関わる問題なので短く発言した。邦楽のの輸出は奨励されるべきことで、アジア各国の生活レベルに応じて、定価を低く設定することも当然で、それを逆輸入して安売りする業者もそれ自体は当然の商行為であるが、それでレコードが値崩れすれば、録音設備への投資などが不充分となり、品質の悪化を招く。作詞、作曲家にとっても、レコード制作のコストが下がれば、不本意な音質の製品が出回ることになる。レコードが不当に高いということが問題となるなら、国内価格について議論すべきで、逆輸入の安売り業者をはびこらせることとは、まったく別の問題である。
紛糾したために会議の時間が延び、弁当を食べていると時間がなくなった。あわてて文芸家協会に向かう。18日にやる業者説明会のための打ち合わせ。われわれの協会は、営利目的のための組織ではなく、著作者の権利を守りながら、利用者の利便性を確保するのが目的であるので、そのことを説明して、協力を求めることになる。話せばわかるということを期待している。
夕方は矯正協会。これは毎年の仕事なのである程度、慣れている。予定どおりに終了する。やれやれ、長い一日だった。

11/15
めじろ台男声合唱団。練習に参加する前に世田谷文学賞の選評を書く。これで一仕事。あとは飲み会。

11/16
「桓武天皇」進んでいる。昨夜、八王子からの帰りの電車の中で、大伴家持を登場させないといけないと思った記憶がかすかに残っていた。一昨日書いた原稿では、登場人物の語りの中に名前が出てくるという設定だったのだが、それではイメージがうすい。ここで本人を登場させてキャラクターを読者に見せておきたい。酔って帰る電車の中でも、それくらいのことは考えているのだ。で、今日は起きるとすぐにワープロに入力しようと思ったのだが、ワープロを起動すると、ちゃんと大伴家持が登場していた。酔って帰って少し仕事をしたらしい。そのことが記憶から欠落しているから怖い。しかし知らないうちに原稿が先へ進んでいたので、少し嬉しい。どうでもいいことだが、家持という名前、登録したわけでもないのにワープロで変換される。やはり有名人だからか。ちなみにわたしはワープロはワードだが、変換ソフトは一太郎のエイトックを使っている。天皇の名前や日本の年号が全部出るからだ。

11/17
天体写真家/天文ジャーナリストの藤井旭さんから手紙。わたしの略歴に次のように明記せよとのこと。「2003年9月、国際天文学連合(命名委員会アメリカ)は火星と木星の間を回る小惑星11921番に著者の作家活動を讃えてMitamasahiro(三田誠広)と命名している」。ということなので、ホームページのプロフィール欄に上記の文言を加えることとした。ヒマな人は見てください。藤井さんには大変にお世話になった。昔、対談の本を出したことがある。白河にある藤井さんの私設天文台にも2回行ったことがあるし、藤井さんが出される年鑑や図鑑も送ってもらっている。わたしも浜名湖の仕事場には望遠鏡を置いているのだが、最近はあんまりのぞいていない。古いので動きがわるくなっていることもある。最近は百武彗星やヘールボップ彗星を双眼鏡で見たくらいだ。どうもわたしの名前のついた星は、素人の望遠鏡くらいでは見えないようだから、「星の王子さま」のように、夜空を肉眼で眺めて、どこかに自分の星があるのだと思っていたい。
すばる新人賞のパーティー。すぐ帰るつもりだったが、菊田均、山崎行太郎ら、純文学の懐かしい人に会ったので二次会まで行く。すばるのパーティーは大昔、九段下のグランドパレスでやっていた頃はすばるだけだったのだが、帝国ホテルでやるようになってからは、小説すばると合同になって、エンターテインメントの関係者が増え、会場で純文学関係者を見つけるのが難しくなった。それで主催者側が純文学だけで二次会をやってくれる。教え子4人が受賞した時は二次会まで行ったと思うが、ふだんは行かない。何か、久しぶりで二次会まで行った気がする。そういえば石和鷹が生きていた頃、三次会まで行ったことを思い出した。グランドパレスでやっていた頃も二次会があって、ホテルの向かいの喫茶店みたいなところだった気がする。はるかな昔だ。

11/18
文芸家協会は文春ビルの中にある。文芸春秋社のご厚意によって、文春西館の会議室も使わせてもらっている。本日は西館の地下の大会議室。地下にこんなものがあるとは知らなかった。国語問題集や模擬試験を作る業者を集めて説明会。保護同盟からの引継でいくつか問題が生じているので理解と協力を求める。ご理解はいただいたと思う。
いま書いている「桓武天皇」は作品社から出す予定なのだが、担当編集者とちゃんと話をしていない。「釈迦と維摩」の校正をやっている時に、ビアホールで「桓武天皇を書きたい」という話をしただけだ。書きたいという話をしただけで書き始めるのは、昔、河出書房から本を出していた時のやり方で、実は作品社の担当者は元河出の人なので、このやり方でいいのかとつい思ってしまう。しかし担当者が突然左遷されたり、いなくなったりということも、これまで体験してきたことなので、大丈夫かなとは思っていた。しかし昨日のパーティーで、くだんの担当者の元気そうな姿を見かけたので、まあ大丈夫だろう。わたしの本は、基本的に売れない。とくに小説は売れない。小説を書かせてくれる出版社を見つけるのに苦労する。実はいま、多くの作家が、同じように苦労しているのだろうと思う。売れているのは一部の作家だけだ。昔は、売れている作家の儲けで、売れない作家の本を出すということが可能だったのだが、いまは売れている作家の売れ行きが落ちているので、そういうわけにもいかなくなった。しかし、いまは売れている作家も、新人賞でいきなり大ヒットを出した人の他は、売れない作家の時代があったはずなので、売れない作家の本を出すということを出版社が怠ると、売れる作家も出現しなくなる。これは文芸文化の衰退を招く。だから出版社は、売れない作家の本を出さないといけない。

11/19
書協で貸与権連絡会議。この問題は文化庁の審議も順調に進んでいるし、実務は出版社側でやってくれるので問題はない。昨日の文芸家協会の会議に、書協関係の人も何人か来られていた。こちらの説明、おおむねご理解いただけたことを確認した。明日は公用は休み。やれやれ。

11/20
公用ナシの日。仕事。今日は妻が出かける日だったのだが、相手のつごうでキャンセルになったというので、三宿でピザを食べる。この店は前から存在は知っていたのだが、ただのピザ屋だと思っていた。しかし知人から、都内屈指のピザ屋だと知らされたので、行ってみた。確かに、ただのピザ屋ではなかった。和気清麻呂がまた出てきた。この人物はなかなかいい。一週間前に出てきた時より、かなり時間がたっているし、枚数も進んでいる。いい感じで前進している。

11/21
午前中は高田馬場の日本点字図書館、午後は茅場町の日本図書館協会。それで一日つぶれる。「桓武天皇」も少し進む。いやに暑い日だった。

11/22
浜名湖(三ヶ日)の仕事場に移動。三連休で混んでいたが、何とかたどりつく。久しぶりでハンドルを握ったので疲れた。五月の連休に次男が来たときにくれた焼酎が残っていたので、軽く呑んで寝る。

11/23
三ヶ日では朝型になる。朝からひたすら仕事。連休中は公用がないので、自分の仕事に集中する。瀬戸の船着場まで散歩。昨日は寒かったが今日は暑い。三ヶ日みかんソフトを食べようと思ったら、230円しかもっていない。いいかげんにコインをポケットに入れてきたのがよくなかった。ソフトは250円。くやしい。

11/24
雨。夕方、急に晴れたので、また船着場をめざす。今日はちゃんと250円もって出る。しかし自転車用のトンネルの直前で、日が暮れてきたので、そこで引き返す。湖岸に沿った自転車道なので、街灯がまったくない。夜は真っ暗闇になる。

11/25
暑い。ティーシャツに軽い上着をはおって散歩。ついに250円もって船着場に辿り着く。しかしソフト売場に人がいない。二人づれの若者も売場の前をうろうろしている。少し先まで行って引き返してくると、さっきの二人が、二人で一つのソフトをなめあって歩いている。何だかくやしいが、一人でソフトを食べる。うれしい。

11/26
毎日、すごい勢いで仕事をしている。散歩の1時間半(1万歩!)を除けば、ひたすらワープロを叩いている。主人公の山部王がいい感じで動き始めた。気の遠くなるような人数の登場人物も、何とかうろうろと動いている。誰が誰か読者にはわからないだろうが、それでいい。いろんな人がいてなかなか大変だ、というくらいの気持ちで読んでほしい。何しろ京都の街を造った桓武天皇である。京都人は全員必読である。

11/27
百済王明信との再会のシーン。この作品の山場の一つであるが、うまく書けた。少し抑制気味かもしれないが、過剰よりはいいだろう。本日も瀬戸の船着場へ行く。外にあるみかんソフトの店が閉まりかけていたので声をかけると、機械を止めてしまったという。店の中の喫茶店でも売っているというので、船着場(ハマナコスタという名前)の建物の中に入る。値段は外の店と同じだが、こちらは抹茶ソフト。お茶も静岡の名産だが、ここは三ヶ日だから、みかんソフトを食べたかった。仕方がない。お茶ソフトを手に引き返す。本日は新たな道を発見した。この地に仕事場を築いてから22年になるが、まだ発見がある。

11/28
静岡の商工会議所で開かれた図書館大会の著作権問題部会にパネリストとして出席。図書館問題は繰り返しやってきたので、手慣れたトークといえるが、いつまでたっても解決のきざしの見えない問題である。本日はこれで一日つぶれたが、仕事場に帰って少しだけワープロに触った。

11/29
吉備真備が入京し、いよいよ仲麻呂が追討されることになる。歴史小説ではあるが、源平合戦や戦国時代、幕末などと違って、戦闘シーンはまったくない。面白くないといえば面白くないが、戦記物ではないので仕方がない。唯一、戦闘があるのが、この仲麻呂追討の場面。緊迫感を出したい。三ヶ日での一週間が終わった。朝から晩までワープロを叩いていたので、驚くべき量が書けた。ようやく登場人物のキャラクターが確立され、資料も読み込んで歴史的背景も頭に入ったので、いくらでも書けるという状態になった。ただし三宿に帰ると、さまざまな雑用がある。雑用に時間をとられるのは作家としてはマイナスかもしれないが、著作権に関する仕事も戦争であり、一種の政治なので、そういうものを体験できるのは、小説を書く上で役に立っていると思う。

11/30
荷物を積み込んで三ヶ日を出発。仕事ばかりしていてどこにも行楽に行かなかったので、紅葉の山岳ドライブをしながら帰ることにした。三ヶ日のオレンジロードから奥山、蓬莱、設楽、稲武、根羽、飯田というコースで、飯田から中央道に入った。途中、以前、亡き愛犬リュウと歩いた道の駅の近くの土手の散歩道を見て、懐かしさがこみあげてきた。出発前、少しワープロを叩いた。仲麻呂と主人公が対面して、実に奥の深い会話をする。朝、布団の中で思いついたアイデア。


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