「桓武天皇」創作ノート5

2004年01月〜

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01/01
新年である。わたしの書斎からは初日の出が見える。が、毎年のことなので、今年は寝ていた。義父母は見たらしい。快晴であったから、地平線から陽が昇るところが見えただろう。浜名湖の対岸は舘山寺温泉で、その向こうは浜松で、ずっと先は遠州灘だから、山脈はない。ぼぼ地平線といっていい低い丘陵地があるだけだ。次男が東京へ帰るので浜松まで送っていく。3日ほど次男とすごせてよかった。正月であるが仕事はする。「桓武」の草稿完了までは一気に行きたい。

01/02
散歩で都筑神社というところへ行く。東名高速の横から285段の石段がある。たぶんそうだろうと思ったが、上がった先に駐車場があった。眺めは格別である。浜名湖と猪鼻湖が一望できる。三ヶ日に仕事場を造ってから22年になるのだが、こんなところに神社があるとは知らなかった。鳥居があることにも今年初めて気づいた。犬がいた頃は、散歩のコースが決まっていたのだが、いまは知らない道を歩くのが楽しくなった。思い出のある道を避ける傾向もある。

01/03
ひたすら仕事。終章に書くべきことは、造宮、東征、遣唐船、および皇子たちの未来といった事柄だが、年代順に書くと話が錯綜するので、項目別に書く。そのため年代は前後することになる。終章なのでこういう書き方も許されるだろう。ただ量的には、ふつうの章より長くなるかもしれない。

01/04
日曜。今日まで世の中は休み。世の中がスタートすると、緊急の情報が飛び込むことがあるので、要注意だが、文化庁の会議までは公用はないはずだ。NPOの原稿を早く書かないといけないが、「桓武」はあと3日ほどで完了するのではないか。最澄が登場して理屈っぽいことを語った。次に空海が登場することになる。思想ドラマではあるが、相手が桓武天皇なので論争にはならない。最澄と空海が出会うシーンは、史実としてもないし、そこまで書くと話が長くなる。いつか「空海」を主人公にした作品を書きたいと思う。

01/05
義父母が関西へ帰る。やれやれ。ようやく静かになる。空海の長い台詞。思想的レベルが高く一般読者にどうかと思うが、何しろ終章だから、何でもアリだ。ここまで読んできて読むのをやめるということはないだろう。いよいよエンディングにさしかかっている。死の前年、従者の和家麻呂が死に、親友の壱志濃王が死に、桓武天皇も死期を悟っている。そして、若者たちの台頭が始まる。何とも哀しい展開だが、それが人生だ。ここは粛々と語るしかない。たぶん、明日、エンディングということになるだろう。9月から始めて、たかだか4カ月の期間だったが、桓武天皇の人生に寄り添って生きてきた。まだ草稿の練り直しがあるが、とりあえず、壮大にして哀しい人生を伴走することができて、作家としては充実した日々であった。

01/06
昨日は近くのイタリア料理店へ行った。前から湖岸にイタリア国旗の出ている店があることは知っていたが、車で行くのがめんどうで行かなかった。義父母がいることが多いので行かなかったということもあるが、昨日、義父母が帰ったあとで行ってみた。シェフはイタリア人で、よくデザインされた都会的な料理が出てきたが、値段も都会的だった。本日は自宅から見えている喫茶店へ行ってみた。自宅から見えているのだが、車でないと行けないという複雑な状況になっている。本日のランチ、1300円。これはリーズナブルであった。何とか歩いて行きたいと思う。わたし一人なら、どこまででも歩いて行けるのだが、妻が一緒だと、わずかな距離でも車で行くことになる。さて、昨日は空海だったが、今日は坂上田村麻呂の台詞。というか、桓武天皇が一人でしゃべっているのだが。登場する若者たちの今後のことなどを書いているうちに、突然、書くことがなくなった。ということは、終わりか。しかしエンディングらしい盛り上がりがない。どこかで手順を間違えたようだ。一つは、最愛の女性、明信との盛り上がりがなかった。どこかに一つ、山場が必要だ。南家継縄の葛野の別邸で再会するシーンが弱い。ここに山場を作りたい。もう一つは、清麻呂が死んでしまって寂しくなったこと。死んだあとでも、天皇はくりかえし清麻呂に語りかけるという設定は考えてあったのだが、ストーリーを急ぎすぎて忘れていた。これは全体を見渡した上で、効果的に語りかけを追加していきたい。修正ポイントはその2点だけ。ということは、明日には草稿が完成する。ありがたい。これでしばらくはほっとできる。

01/07
清麻呂への語りかけを増やした。エンディングへの流れがよくなった。明信はもっと出したかったが、ストーリーの流れをそぐので、いじらないことにした。恋愛小説ではなく、やはり政治ドラマだ。で、直すところは、もう何もない。草稿の完成である。水道工事をやっていてうるさいが、完成してよかった。昨年、水道工事のあとで湯沸かし器が作動しなくなったので、今回は工事の人に確認するように言ってあったのだが、工事の最後にガス抜きをしてくれたようで、無事だった。NPOの原稿もほぼ完成。で、明日から何をするか。「犬との別れ」をいってみようか。これを書くのは辛いが、いずれは書かねばならぬ。楽しい思い出だけを語っていきたい。

01/08
今日はものすごい風で目が覚めた。丘の上にあるので風当たりが強い。暗いうちに起きたので、今日は初日の出を見た。いや、初日の出ではないが、一週間しかたっていないから、似たようなものだろう。快晴であった。対岸の舘山寺の建物がくっきりとシルエットになるくらい、地平線から太陽が昇ってきた。さて、本日は近くの料理屋で昼食。料理屋としか言いようがない。寿司屋と蕎麦屋を兼ねている。ここのお昼はAランチとBランチがある。わたしはAランチ、妻はBランチ。わたしは方は、上握りとソバ、妻はネギトロ丼と湯豆腐とウドン。この店の怖いところは、ランチでなくても、必ず寿司系とウドン・ソバ系がセットになっていること。夜のフルコースは、海藻サラダ、マグロの丼か寿司、ウドンかソバ、これにデザードがつくという、ものすごいものである。寿司だけ、とか、ウドンだけを注文することは可能だが、店の人に、それだけ? という顔をされる。ところでわたしは、子供の頃、サカナが嫌いだった。大人になって酒を飲むようになると、寿司なども食べるようになったが、いまだに、酒がないと寿司は食べられない。という理由で、今日は中ジョッキを一杯。本日は、「犬との別れ」をスタート。私小説みたいなものだが、私小説と銘打つと売れないので、軽いエッセーという感じにする。実際は、重い私小説である。

01/09
三宿に戻る。本日から夜型の生活になる。帰ってすぐにすること。年賀状をざっと見る。郵便物を見る。少し気が滅入っている。「桓武天皇」の草稿が終わって少しテンションが落ちている。結局、「団塊論」「小説論」「桓武」と三つ、草稿ができたが、どれもまだ本になっていないという状況なので、落ち着かない気分だ。とりあえず、「団塊論」の入稿を目指して、再チェックを始めたいと思うのだが、「犬との別れ」の文体を確立しておかなければならない。昨日から試みているのだが、どうもうまくいかない。気持ちがすっきりしていないと、再チェックに集中できない。10ページくらい書いておけば、文体という感じになるのだが。

01/10
昨日は三ヶ日から帰って疲れていたが、夜型に変えるために4時くらいまでは起きていた。三ヶ日で書き始めた「犬」の冒頭部がどうにも気に入らない。ビールを飲んだところで気がついた。センチメンタルなものが不足している。文豪のエッセーみたいに淡々としていた。文体の密度を厚くし、具体的な細部を描きながら、感情をこめる。犬が死ぬときの様子をかなり長く書いてから、子犬の時からの年代記に移る。その導入部が30枚くらい必要だろう。ということで、この導入部がいきなりこの作品の山場になることになる。全然、関係ないが、「桓武天皇」をプリントする。早く読み返したいという気持ちと、読むのが怖いという気持ちがある。せっかく書いたのに、読み返してみるとつまらないということもあるが、かんり理屈っぽい作品なので、読者がついてこないということが判明するのが怖い。つまらない作品なら、面白くなるように修正できるが、読者がついてこないということになると、どうしていいかわからなくなる。読者のために「主な登場人物」というのも作ったのだが、数えてみると主な登場人物だけで80名ほどいる。これが頭の中に入っていないと小説が読めないということでは、誰も読めなくなってしまう。だから、読むのが怖いのである。まあ、そのうち読むことにしよう。

01/11
『すばる』の今月号(2月号)に掲載されている森富子の『森敦との対話』という作品を読み始めたらやめられなくなった。すごい作品だ。作品というか、実録というか、でも、読ませるパワーがあるから文学作品といっていいだろう。森さんのところに怪しい養女がいる、ということは編集者の間でも話題になっていた。そのことに関するリアルな状況がここに書かれているが、まさに小説より奇なりという感じの物語になっている。仏教と数学に通じているという点において、森敦はわたしの先駆者というべき作家で前から気になっていた。生前の森さんから電話をいただいて励まされたこともある。森さんの『意味の変容』はいまでも日本文学の最高峰だと思っているが、誰もこの作品を評価しないという点において、これと同じものを書いてもダメなのだということもわかっているが、そういうことも含めて森敦は孤高の作家であった。とはいえ晩年の森さんは、六十歳の芥川賞作家として話題になり、流行作家でもあった。この作品は、芥川賞で有名になる以前の森敦のきわめて個性的な人柄を見事に描ききっている。この作品に出会えてよかったと思う。

01/12
「犬」出だしの部分、まだ細部が不足している。書き始めた時は簡単な導入部を置いてから、犬との出会いを出発点に年代記ふうに書くつもりであったが、「犬との別れ」というタイトルなので、別れの部分をしっかり書いてから、回想に移行したい。そのために、必要なことはすべて書ききってしまわないといけない。これはかなり大変な作業だ。

01/13
衆議院議員辻恵氏と打ち合わせ。名前はケイと読み、男である。大阪府立大手前高校の同窓生である。弁護士であるが、去年の選挙に突然立候補して、惜敗率でギリギリで当選した。わたしは推薦人に名を列ねていたので、著作権問題について支援していただけるように陳情しにいったのである。

01/14
著作権分科会。文化庁は文部科学省とともにどこかに引っ越したらしいが、会議はいつものように霞ヶ関ビル。書籍の貸与権が認められるかの重要な審議であるが、貸与権については法制問題小委員会においてまったく異議か出なかったので、分科会においても誰も何も言わなかった。もう1つのレコードの輸入権について消費者代表の委員から疑義が出て紛糾したが、ものすごく紛糾して動議がいくつか出たにも関わらず、結論はまったく変わらなかった。これで今シーズンのこの種の会議は終わった。あとは国会の審議を待つばかりである。自民党には以前から話を通してあるし、去年、わたしが出向いて公明党に説明したので、問題はない。昨日、友人の衆議院議員にも文書を渡しておいた。ようやく公の仕事が始まったが、去年のように忙しくはならないと思っている。自分のペースを守って自分の仕事に集中したい。

01/15
文芸家協会で打ち合わせ。NPO法人日本文芸著作権センターを作ったものの、著作権管理の作業が忙しくて、ボランティア活動ができなかった。ボランティアといえばすべてボランティアなのだが。本日、長いつきあいのT氏に、「広報部長」を引き受けてもらえることになったので、書記局と打ち合わせ。専従職員がいないので、文芸家協会の一部に、ささやかな独立地帯を作ることになる。予算はあるので、まず年度内に「通信」という機関誌を2回発行、この内容をホームページに載せる。これでとにかく、いくらかは予算を消費できるだろう。
芥川賞。19歳と20歳の女の子が受賞。よいことである。これで若い人たちが、文学に興味をもってくれるだろう。文学は筆一本でできるので、貧乏な人に向いている。いま若い人が貧乏なので、文学が盛んになる下地はあると思う。わたしの「小説論」もいいタイミングで出せると思う。

01/16
「犬」何か調子が出ないと思い、迷っていたのだが、結局、犬の死から始めるという構成に問題がある。どんな犬なのか、読者は知らないわけだから、書き手だかけで犬の死にうろたえていても、読者には伝わらない。やはり時間を追って、子犬の時から話を始めるべきだろう。それだと、以前書いた「吾輩はハスキーである」と同じなのだが、しようがない。時間の展開に沿って、前著をダイジェストしながら、晩年の犬を描くことにしょう。そう思って書き始めたら、一挙に文体が確立できた。犬が来たばかりの頃は、わたしも若く、子供たちもいて、家の中も明るい。だから文体がはずんでいく。犬が死に、老夫婦だけの生活になった時点から話を始めると、暗くなってしまう。問題が解決したので、元気が出てきた。
本日は妻が切符を買った芝居の日なので、歩いて見に行く。三軒茶屋にはパブリックホールとトラムシアターというのがあって、ここで芝居を見ると歩いて帰れるのが嬉しい。下北沢にも本多劇場やスズナリ、タウンホールなどの劇場がある。劇場から歩いて帰れるというのは、とても楽しい。妻と感想を語りながら、車の来ない緑道を歩く。といっても、感想はほとんどない。古く懐かしい前衛劇みたいなものであった。わたしは早稲田の演劇科であるから、演劇についての教養はいちおうある。20世紀前半には、前衛劇とか、不条理劇といったものが流行した。チエホフのようなコテコテのリアリズム劇に反抗するかたちで現れた前衛劇だが、これは一部のブルジョワジーのための知的なゲームのようなもので、飽きやすい現代の大衆には受け入れられない。不条理劇でもミュージカル仕立てにするとか、何らかの工夫が必要である。しかし本日のこの芝居は、古典的な不条理劇であった。こういうものを評価する土壌がヨーロッパにはあるのだろう。豊かで知的なサロンといったものだ。日本の大衆文化はある意味でとても貧しい。日本の大衆には教養がない。それはわたしが早稲田で教えていた文学部の学生のレベルを見ても明らかである。子供の頃からオペラを見て育ち、お茶の時間には家族で古典文学について語る、といった家庭が、日本にはない。寂しいことだが、それでいいという気もする。何を言いたいかというと、わたしも頭の中が大衆レベルになっていて、この芝居はあまり楽しめなかった。

01/17
本日はコーラスの日だが、先生のつごうがわるくパート練習になったというので、こちらは欠席。天気予報で雪が降るといっていたので、八王子に行くのは危険である。「犬」の文体が確立できたので、「団塊世代論」の仕上げに集中する。今月中に仕上げる。何をすべきかはわかっている。冒頭の部分で問題提起をしなければならない。草稿は手探りで書いていて饒舌である。あとはギャグを増やしたいのだが、これは難しいかもしれない。冷笑的になってはいけないし、ふざけた感じになってもいけない。上品でやや自虐的なユーモアといったものを目指したいのだが、文脈があるのでなかなかうまくいかない。とにかく、饒舌な部分を削って、読者が楽しみながら読んでいける展開にしたい。

01/18
「団塊世代論」進んでいる。これはひたすら読んでチェックを入れていくだけの作業だ。「桓武」についても時々考えている。蝦夷征伐についての記述が少なく、覇王という感じがしない。百済王敬福や坂上田村麻呂との対話を増やしていきたい。電器屋に来てもらって、アンテナの点検。うちのテレビは1チャンネルの映りがわるい。テレビを買い換えたいと思っているのだが、アンテナも買った方がいいか。こういうことを業者に聞くと、買えというに決まっているのだが、ブースターも換えた方がいいといわれた。仕方がない。プラズマテレビを買うのをやめて、ブラウン管にしたので、少しは余裕がある。アンテナに投資をしたい。

01/19
『創』の篠田編集長来訪。篠田さんはペンクラブの言論表現委員会の副委員長で、月に一度は会う。自宅に来ていただくのは初めて。わたしはいつも、純文学作家がいかに貧乏かということを話しているので、いい家に住んでいるじゃないかと言われたが、はっきり言って、はるか昔に、純文学が売れた時期があったのである。「団塊論」のチェック。出だしの総論は全面的に書き換えた。後半の各論については、あまり直すところはないのだが、ギャグを加えてテンポを出したい。ただし、不真面目な感じになってはいけない。へたにいじると悪くなるので、細心の注意で手を加えたい。

01/20
バジリコ出版の中村くん来訪。『犬との別れ』の打ち合わせ。犬の写真を見せる。表紙に写真を使うか中に入れるか。ピザ屋でビール二杯とハウスワイン、二人で二本。それからすぐそばの女の二人でやっているバーへ。中村くんはこのバーが気に入ったみたいだ。リュウの思い出を書くのはつらいが、子犬の頃から順番に思い起こしていけば、楽しく書けるだろう。

01/21
ひたすら仕事。「団塊論」前半の経済や年金についての部分の書き換えがほぼ終わった。後半はわずかな修正で進みたい。

01/22
「小説の書き方」(光文社)のゲラが届いた。いまは「犬との別れ」を書き始めたばかりで、作業を中断して「団塊論」の仕上げに入っている。「桓武天皇」も草稿を書いたまま寝かせてある。これにゲラが届いたので、本4冊が同時進行という状態になった。流行作家ではないので、あまりこういうことはやったことがないのだが、書き下ろしの本というのは、書き上げてから本が出るまでにタイムラグがあるので、必ず仕事は重なっていく。とりあえず優先順位としては、仕上げにかかっている「団塊論」が先だろう。ゲラはまだ時間があるので、次に「桓武天皇」を読み返したい。それからゲラ、次が「犬」という順番になるだろう。それでもすべての作業を3月末から4月初めくらいに完了させたいが、「桓武天皇」の草稿がどの程度、使えるものになっているかがポイントになる。読み返してみないとわからない。書き終えた手応えでは、大幅に書き直す必要はないと思うのだが、時間が経過してから読み返すと、違った印象になるかもしれない。そのために時間を置いているのだから、不備があれば書き直す。いずれにしても、この4冊、どれも大切なものなので、ベストを尽くしたい。

01/23
電器屋が来てアンテナを付け替えた。デジタルテレビを買ったのである。世間ではプラズマテレビが話題になっているが、こちらは貧乏なので、ブラウン管式にした。有料テレビも見ない。それでもチャンネルが少し増えて嬉しい。それと、いままでリビングに置いていたテレビを、仕事場に移動した。これもかなり大画面で、仕事に活気が出る。この家に引っ越してから、ずっと1チャンネルが映らなかったのだが、アンテナを換えたので、ちゃんと映るようになった。それが嬉しい。「団塊論」中盤はほとんど直すところがなかった。最後のところで少し文章が緩んでいる。これをチェックすれば完成だ。

01/24
テレビが入って嬉しいので、昼間からエルトンジョンのコンサートなどを見てしまった。「団塊論」は9章まで終わった。あと1章。ここは大幅に削って、宗教についての部分だけ残したいが、そこに行くまとめの文章が必要だ。たぶん今日中に完成するだろう。

01/25
あと一章と思ったのだが、草稿の文章がややレベルが低い。これは全面的に書き換えた方がいい。ということで、少し時間がかかる。2〜3日かかるかもしれない。時間はあるから、あせらずに最後の盛り上がりを作りたい。全然、関係ないことだが、ふと思い出したこと。先日、阪神の岡田新監督が、生まれ育った「玉造」について、大阪城の城内で鉄砲のタマを作っていた、と話していたが、冗談を言っているようにも見えなかった。わたしも玉造の出身であるが、徒歩1分のところに玉造稲荷というのがあって、そこには勾玉の博物館がある。玉造で作っていたのはマガタマである。
大阪の女子マラソンを真剣に見ていた。後半の重要なところで、このコースは玉造口から大阪城内に入って内堀に沿って、退手門から追手門学院の前に出る。これはわたしが自宅から中学校に通っていたコースだ。徒歩で20分。高校は大手前高校になったので、馬場町の方に回るようになったが、中学の時はまさにマラソンのコースを歩いていた。で、ふと、それは何年前のことかと考えると、40年も前のことだ。やれやれ。

01/26
「団塊論」あとわずかというところで立ち止まっている。ここまでのところはワープロの入力も終えているので、エンディングができれば、すぐにプリントして完成できる。
と書いてから数時間。完成してプリントも終わった。最終章の宗教について書いた部分はそのまま使えることがわかったので、意外に早かった。かなりの文章を削り、書き足したので、ボリュームは草稿と変わらない。それだけ中身が濃くなり、流れがよくなったはずだが、二歩進んで散歩さがっているかもしれない。

01/27
昨夜は「桓武天皇」の序章のチェックを終えた。このプロローグは何度も読み返したところなので完璧かと思っていたのだが、読み返してみると文章の流れのよくないところがあるし、不備もある。しかしわずかな手直しで先へ進めた。よかった。本当は読み返すのが怖かった。全然ダメかもしれないと不安だったが、とにかく出だしの部分はいい文章だ。まだ何も始まらない。主人公の父親しか出てこない。導入部としては格調があり、魅力的だ。読みにくくはないと思う。
さて本日はひさしぶりの公用。図書館との協議。公貸権、複本の縮小、貸出猶予と、要望を続けてきたが、こちらは小休止。ケンカばかりしていても仕方がない。図書館とは仲良くしないといけないし、こちらから図書館に対してできることは、やらないといけない。障害者向けの音訳図書の作成に関して、一括許諾を出せるシステムをいま作っている。わたしの頭の中にプランは前からあったのだが、実際にどうするかということになると、困難がある。人手がかかることはできない。お金もかけられない。手数料の入る管理業務と違って、こちらはタダの仕事だからだ。図書館協会と話し合って、何とか当初の計画を実現したい。
駅前の本屋でプーサンのバッグを売っていたので購入したら、チャックが壊れていた。中に小さなぬいぐるみが入っていて、福袋みたいなものだが、同じものが重複していて、内容がよくない。本日は図書館協会へは妻の車で送ってもらったので、散歩の歩数が不足しているので、ただちに駅までいって、交換してもらった。その場でチャックが壊れていないことは確認したのだが、帰ってあけてみると、中身もよくなっていた。
桓武天皇に早良親王と他戸親王の他に、もう一人、稗田親王という弟がいる。そのことに書き初めてから気づいたのだが、心配したとおり、第一章の大仏開眼の時点で、すでに稗田親王は(まだ親王ではないが)2歳になっている。そのことを言及しておかないと不自然だが、するとその母親も登場させなければならず、話がややこしくなる。しかし、修正しないわけにはいかない。こういう修正が増えていくと収拾がつかなくなるので、何とか最小限度にとどめたい。

01/28
「桓武」草稿のチェック、順調に進んでいる。行基についての具体的な言及が必要なので、行基の堤を主人公が見るシーンを挿入した。その直後に大仏開眼となる。大仏開眼はイメージ豊かなシーンなので、その前にあまり理屈っぽいことを入れたくなかったのだが、大長編だから、プロローグがあっていいだろう。広隆寺の弥勒菩薩から、鷹狩りのシーンがあって、ヒロインの百済王明信が登場する。それから行基の堤があって、大仏開眼という手順はわるくない。さていよいよ、大仏開眼の法会の席になる。このシーンの皇族の会話は、草稿の段階では稗田王の存在を考慮していなかった。尾張女王という、光仁天皇の妃にも言及しないといけない。ここは緊張してリライトしないといけない。

01/29
理事会。例年1月は新年会を兼ねる。いつもはウナギなどの出前が夕食として出されるのだが、新年会は中華料理なので、食べながら議論するわけにはいかず、早めに会議を終えなければならない。しかしわたしの担当の著作権問題は問題山積で簡単に済ませるわけにはいかない。とにかく10分ほどのオーバーでクリアーしたが、疲れた。疲れてはいるが、帰って「桓武天皇」の続きが読めると思うと元気が出た。大仏開眼は終わった。それから井上内親王との対面。ここまで、かなり修正をしたが、プリントほとんどが用意の余白に書き込むだけで済んでいる。新たな用紙を挟み込んで書き足した箇所は3ポイントだけ。第1、主人公が行基の堤を見る場面(行基の土木工事というイメージを早い段階で出しておきたかった。平安京建設という巨大な土木工事のための伏線であり、桓武天皇が空海に期待したこともそのあたりにある)。第2、大仏開眼を見ながら従兄弟と語る場面で、父の側室の尾張女王について言及する。第3、その尾張女王と語るシーン。すべてうまくいっているし、主人公の心理を追いながらストーリーが進行している。これが中盤以降はうまくいっていないのではと危惧するが、出だしがうまくいっているので、あとはそのトーンに沿って修正していけばいい。

01/30
いつもは明け方に寝酒を飲んで寝るのだが、酒を飲まずに起きていて、妻を箱崎に送っていく。まだ暗い。行きの運転は妻に任せる。わたしはもう長い間、都心で運転したことがない。仕事場のある三ヶ日ではドライブするのだが。要するに、片側二車線の道路は怖いのである。いや、そうでもないか。東名は運転しても平気だ。都心の二車線が怖いのである。それで、箱崎で妻を降ろしてから、どうやって帰ろうかと思ったが、とにかく都心で二車線でないところはない。それにしても六本木通り経由、渋谷から246といういつものコースで帰る自信はなかったので、アークヒルズの前から麻布十番の方に進み、明治通りで天現寺から恵比寿。そこから駒沢通り。これが旧山手通りと分かれると、ようやく一車線になる。五本木で右折して、下馬から三宿、この交差点は246と直角になっている。そしていつも飲みに行くゼストの前まで来ると、ほっとした。これからしばらくは一人きりの生活である。
妻はスペインに孫を見にいった。わたしは仕事を抱えているので、行けなかった。仕方がない。

01/31
明け方、スペインの長男から電話。妻はバルセロナには着いたらしい。ホテルで一泊して、ウェスカに向かう。ウェスカは遠い。「桓武」の草稿チェックは順調に進んでいる。大きな問題はないが、細かい直しはかなりある。前半は手探りで書いているので、人物像が揺れていることがある。主人公はしっかりしているが、逆に後半はイメージがうすくなっているのではないかと思う。一人でいると、家の中が寒い。自分のいる部屋だけ暖房しているからで、たまにキッチンに行くとものすごく寒い。さて、NPOのホームページを作らないといけないので、原稿を書かないといけないが、これまで書いたものをつぎはぎすれば何とかなると思う。


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