「道鏡」創作ノート1

2010年10月

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10/01
まだ『平安朝の悪女たち』を執筆中だが、ノートのタイトルを変える。『道鏡/悪業は仏道の精華なり』(仮題)の執筆をスタートさせる。これまでにもオープニングの文章をメモなどに書き付けてきたのだが、まだ集中力がないのでピリッとしない。本気でやらないといけない。冒頭に鑑真を出すというところまでは決まっている。だからファーストショットは唐招提寺だが、まだ細かいことを調べていない。この寺は末弟子の如宝の長期間の活動で伽藍が完成した。鑑真の生存中にどこまでの建物があったのか。本堂はすでに出来上がっていたはずだが。唐招提寺のホームページを見ればわかるか。とにかく鑑真と道鏡の対話から話を始める。というと『日蓮』のオープニング(親鸞と対話する)と同じになってしまうが、これ以外のアイデアを思いつかない。まあ、決めてしまうのはよくない。たとえば大仏開眼の日とか、もっと華やかなシーンを冒頭に置くのもいいだろう。数日、試行錯誤してみる。『平安悪女』は紫式部が終わって白河天皇になっている。ここから先は『西行』などで扱った年代だから一気に書けるはずだ。

10/02
土曜日。金曜に公用がなかったのでわたしにとっては3連休だが、連休というのは自分の仕事に専念できる日ということで、ひたすら仕事をする。少し妻との対話が減っているかなと反省して、いっしょに散歩に出ることにした。下北沢。わたしは毎日散歩に出るのだが、妻は久々の散歩。下北沢の街を歩くと、店が様変わりしていると妻が驚く。そういえば有名なつけ麺の店が喫茶店に変わっている。列ができる店だったのにどうしたのか。中華料理屋で生ビール2杯飲む。さて、『悪女』は待賢門院璋子のところまで。このあたりは去年、『西行』で書いていた時代だから、もうゴールは見えている。わたしは『桓武天皇』『空海』『なりひらの恋』という、平安初期を描いた作品と、『清盛』『頼朝』『西行』『日蓮』と、平安後期から鎌倉にかけての作品はあるが、平安中期、道長や紫式部のあたりに空白がある。いつか『紫式部』を書きたいと思っているのだが、このあたりは政治的な安定期で事件に乏しい。『道鏡』についても考えている。オープニングは大仏開眼にする。それから鑑真との対話に移る。時間の順序として大丈夫か。大仏開眼の時点ではまだ鑑真は渡航していない。鑑真は吉備真備とともに来朝した。そのあたりの出来事の順番を確認しなければならない。

10/03
日曜日。『白痴』のゲラを仕上げてから、10日ほど経過した。何か思いつくことがあったら修正しょうと思って手元に置いていたのだが、何も思いつかない。よくできた作品だという印象が強く、何も心にかかるものがない。ということで、ゲラを担当者に送り出した。これで手が離れた。『悪女』は美福門院得子が終わった。だんだん章が短くなっているのではと心配だが、この時代は登場人物が多いので、人物一人あたりの言及が少なくなるのは自然の流れだ。系図なども入れないといけないので、なるべく原稿はコンパクトにした方がいいだろう。『道鏡』は年表を作り始めた。とりあえずの展開としては、大仏開眼のオープニング、吉備真備の帰朝と鑑真の渡来、鑑真と道鏡の対話、といった手順で話が進んでいくことになる。登場人物を一人ずつ紹介していく必要があるので、出だしのところはゆったりとしたペースで話を進めたい。それでいてじわじわと緊張感が高まるような流れがほしい。

10/04
月曜日。今週は比較的ヒマ。本日はW大学だけ。散歩のつもりで西早稲田の駅から歩く。副都心線ができて便利になった。学生時代も文学部の前の道を現在の西早稲田の駅の方に向かうことが多かった。学生は熱心に聞いてくれる。『悪女』の池禅尼。ここで清盛という人物について概略を記さなければならない。コンパクトに書くというのは意外に難しい。ゲラは作品社に届いた。最高が月末に出るとのこと。それまでには『悪女』は完全に手が離れているだろう。すでに『道鏡』が始まっているはずだが、『白痴』と『道鏡』は主人公のキャラが似ているので、精神状態を切り換えなくていい。

10/05
医者と歯医者のダブルヘッダー。医者は月に一度の検診。血圧と鼻炎の薬をもらっている。歯医者にも通っているので、健康保険は元がとれる。本日はインフルエンザのワクチンも打ってもらった。三種混合ワクチン。去年大騒ぎした新種のワクチンも入っているらしい。あれは老人はかからないということなのだが。大学二つに通っているので、いちおう予防接種を受けることにしている。歯医者は歯科衛生士のチェックと診断。今日はかなり痛かったぜ。池禅尼の章が終わる。

10/06
文藝家協会で打ち合わせ2件。空き時間にポメラで仕事。著作権の仕事はわたしの本来の仕事とは関係がないのだが、現実と関わるという点で重要だ。決断力が試される。電子図書に関して、いまが重要な時だ。なるべく皆さんと協調しながら、時期が来れば闘う必要があると感じている。まあ、全共闘みたいな無謀な闘いではなく、粛々と必要な主張をするということなのだが。

10/07
M大学。今日は往復とも武藏境から歩いた。快適な散歩。建礼門院徳子については語ることが何もないので、平家滅亡の経緯を追った。悪女はあと2人。ゴールが見えてきた。

10/08
本日は歯医者に行っただけ。夏に抜けた差し歯がようやく修復された。丹後の局が終わった。最後は北条政子。これは会議の合間などにポメラで半分くらい書いてあるので、もうゴール寸前なのだが、全体のまとめとなるような文章も必要なので少し長くなるかもしれない。ここまで充分にコンパクトに書いてきたのでここはじっくり書きたい。系図なども必要なので原稿の枚数は少なめでもいいだろう。

10/09
土曜日。日本メンデルスゾーン協会の例会コンサート。この詳細はこのサイトのインデックスページからメンデルスゾーン協会のサイトに飛んで、「理事長のページ」を見てください。理事長なので早めに会場に着いたのだが、することもないのでメモ帳(昔ながらの紙のメモ帳)に『道鏡』のファーストショットをメモしてみたのだが、どうもうまくいかない。理屈っぽくなってしまう。ファーストショットはイメージだけで押し切りたい。大仏開眼の段階では、道鏡も肚が据わっていないと思われる。でもそれでは主人公として魅力がない。この時点で何か目標が設定されているということがあるだろうか。というようなことをこの時点で考えていていいのだろうか。まあ、ぼつぼつと構想を練りたいと思う。

10/10
日曜日。『平安朝の悪女たち』草稿完了。1ヶ月半くらいかかったが、間に『白痴』のゲラが入ったから仕方がない。まあ、いい感じで前進できてきた。読み返してチェックし、系図などを加える作業が残っているが、あと数日で完了するだろう。とにかく紙にプリントして赤字を入れていくことにする。

10/11
月曜日だが祝日。W大は登校日なのだが、文学部は創立120年記念イベントなので授業は休み。そういえば20年前の100周年の時は歌舞伎座を借り切って文士劇をやった記憶がある。高橋三千綱が助六で、わたしはその兄の甘酒売り、栗本薫が揚巻だった。栗本さん、亡くなりましたね。年下だったのに。三千綱は生きているけど、立松和平は死んでしまった。あれ、立松はどうしてあの劇に出演しなかったのだろうと、ふと考えたが、あいつは文学部ではなかったのだね。さて、本日は『悪女』の草稿チェックと『道鏡』を並行させている。『道鏡』のファーストシーン。大仏開眼。なるべくイメージだけで、理屈を排除することにした。いい感じですべりだした。このまま行けそうな気がする。

10/12
火曜日。今週はウィークデーの始まり。総務省で会議。秘密の会議なので内容については言えない。とにかく必要な仕事は果たした。少し疲れた。ふだんの会議とはメンバーが違っていたせいだろう。三省デジ懇談以来、この種の会議が増えた。『道鏡』進んでいる。まだ試行錯誤だが。オープニングはいつも苦労する。読者は何の情報も与えられていない。主人公のキャラクターも与えられていない。そのままストーリーを急ぎすぎると、わけがわからなくなる。その点、『白痴』は奇跡的にうまくいった。イッポリートという視点となる人物が充分に機能したからだ。主人公のややセンチメンタルな視線で主人公を外部から描くことができた。主人公の内面はいっさい語られない。ただ台詞だけで表示されるので、本当なのか嘘なのか肚の中が見えない。そこが白痴という人物の魅力になっている。『道鏡』の場合、道鏡が単独で行動する場面が多く、視点となるワトソン役を設定できない。『西行』も『空海』も同様だったのだから、主人公に寄り添って話を進めていくしかない。内面をなるべく描かないように、つかず離れずといった距離感を確立したい。

10/13
伝統工芸の中学生作文の選考。もう数年担当している仕事だが、池袋でやるのは初めて。山手線に乗るのは好きではないのだが、副都心線ができたので楽だ。が、副都心線の駅は池袋のかなり西に寄っている。急行に乗ったので早く着きすぎるかと思ったのだが、歩いているうちにちょうどよい時間となった。『道鏡』進んでいる。まだ試行錯誤。とにかく前進していくしかない。並行している『悪女』チェックは、微調整のみだが、系図をどう置いていくかで悩む。主要登場人物は天皇家と藤原北家だから、全部が一つにつながっている。巻末に一つの系図をドーンと出せばいいようなものだが、それでは見にくいので、当該ページに小さな系図を出すことになる。手間はかかるがそれが最良だろう。

10/14
M大学。後期3回目。ようやく慣れてきた。武藏境から歩いていくのだが、まだ少し汗ばむ。10月にしては暑い。猛暑のなごりがまだ続いているようだ。客員教授室に行くと、去年まで客員教授の避暑をやってくださった女性が、遊びにきていた。お子さんが産まれたので見せにきたようだ。六ヵ月とのこと。わたしの5人目の孫が五ヶ月なので、似たような感じで親しみがもてる。この女性が辞めたあと、補充の要員がないので、客員教授室は寂しい。大学も経営が苦しいようだ。

10/15
自宅でインタビュー。高校時代について。わが同級生2名にすでに取材済みとのことで、懐かしい思い出がよみがえってきた。『道鏡』まだ手探りの状態。夜中、テレビで「クリミナル・マインド」を見ていたら、何と3本立てだった。これは異常心理犯罪を専門とする捜査チームの話で、わたしはこういうものはわりと好きなのだが、異常心理が3本連続となると、気分が悪くなった。アメリカってこんなに異常犯罪が多いのかと思った。アメリカには行きたくない。

10/16
土曜日。今週は多忙だったので休日はありがたい。『道鏡』冒頭のシーン、ようやく終わる。少し理屈っぽくなったが、純文学としてはこれでいいだろう。ただ純文学を書くつもりはない。筆が伸びれば面白くなっていく。そういう自然の流れが大切。出だしから読者に媚びる必要はないので、少し硬い感じで始めてみる。光明皇后と藤原仲麻呂のイメージを読者に定着させたいので、次のシーンは仲麻呂邸。一つのシーンで一人ずつ、登場人物のイメージを固定していく。これからイメージが必要な人物としては、吉備真備、妹(娘?)の由利、藤原良継と大伴家持、山部王、そして鑑真といったところか。登場人物が出揃ったところで、一気にストーリーの速度を早めたい。

10/17
日曜日。プロ野球をやっているのだが、こちらの気分はアメリカン・フットボールに傾いているので、どうでもいいと思っている。それでも仕事をするかたわら、テレビを見ていた。昨日はNHKの衛星が104チャンネルどやると新聞に出ていたけれども、そんなチャンネルがあったかといぶかったのだが、リモコンの矢印キーを押すとちゃんと放送されていた。奇蹟の逆転勝ち。どう見ても阪神の方が実力が上。で、今日は捨てケームで明日にかけるのだろうと見ているうちにずるずると失点を重ねた。本日は夕方に飲み会が設定されているが、テレビ放送はBSということで、とりあえずラジオをもって家を出た。東京駅で待ち合わせなので、早めに丸ノ内に着いてラジオを聞くと、一点差に迫っているとのこと。でも藤川が出てきて2アウトになってので、反撃もここまで、かと思ったら何とそこから逆転した。すごいことだし、申し訳ないが期待していなかったので、とても疲れた。楽しく飲み会。自宅に返ってネットとテレビで確認。確かに逆転してそのまま勝っていた。これでドラゴンズ戦も見ないといけないのだが、まあ、がんばってほしいが、投手陣が手薄だ。ひやひやしながら見守ることになるだろう。

10/18
月曜日。今週もハードなウィークデーが始まった。本日はW大学の講義だけ。著作権の話は自分でも話していて面白いと思う。学生たちの反応もよい。この世で著作権ほど面白いものはないと感じるほどだ。本日は文芸賞の盗作問題と、カラオケ発明者の著作権登録をめぐるトピックスについて話したが、何とも面妖な話題だ。夜は衛星放送の『天平の甍』を見た。鑑真と普照の話だ。道鏡とも関わりのある話なので、イメージを確認しながら見た。その後、コルツ対レッドスキンズ戦を見る。マニング兄とマクナブの対決。微妙な接戦。マニングも絶好調とはいえないが、マクナブは明らかに全盛期を過ぎている。コルツのランニングバック、アダイーが負傷したようで心配。わたしはコルツのファンだったのだが、今年のスーパーボウルでは、判官贔屓でセインツを支援していたので、マニング兄は敵役になってしまった。兄弟対決でもジャイアンツを応援してしまう。マニングは完璧すぎて憎たらしいところがある。しかしマニング兄は全盛期を過ぎつつあるのではという気配がするので、これからはコルツを応援したい。

10/19
本日は歯医者だけ。いつものように歯科衛生師の女の子に拷問されて冷や汗をかく。『道鏡』と『悪女』、並行して進める。系図がだんだん複雑になっていく。とにかく系図は必要だ。どんなに文章で説明してもわからないことが、系図があると一目でわかる。待賢門院璋子のところに到達した。『西行』の世界だ。去年の夏は『西行』を書いていた。今年の夏は何をしていたか、もう思い出せない。

10/20
三菱総研で会議。夜は時代小説作家の会。軽く飲んで帰る。全体の作業がやや遅れ気味なので取り返さないといけない。頭がボケていて明日、大学が休みだということを忘れていた。そのかわりに朝9時からの会議が入っている。今週もハードだ。

10/21
朝9時から国立国会図書館、書協と打ち合わせ。一度自宅に帰ってから、日本点字図書館理事会。今回も議長。話をちゃんと聞いていなければならない。きっちり時間どおり終わることができたし、必要なことは話せた。

10/22
世田谷文学館で世田谷文学賞とアワードの選考。青野聰さん、菅野昭正館長と、ほぼ見解が一致したので問題なく選考を終えた。今週もハードな日々だった。『悪女』のチェックはほぼ完了したが、かなり赤字が入ったので入力がたいへんだ。

10/23
土曜日。コーラスの練習。引き続き飲み会。わたしは飲んでも飲み過ぎなければ仕事はできるので、とにかく入力作業を続ける。赤字は多いがとにかく入力していけばいいので単純な作業だ。それよりも系図が問題だ。いちおう下書きはできているのだが、複雑になりすぎている。これをシンプルなものにまとめるのは至難の作業だ。まあ、明日の日曜があるので、じっくりと考えたい。

10/24
日曜日。『平安朝の悪女たち』チェック完了。やれやれ。面白いものになるはずだという直観はあったのだが、実際にやってみると手間がかかった。小説ではなく、歴史を整理して語っただけの本だが、その整理を通して、平安朝というものの構造が浮かび上がるようになっている。まあ、面白い本になったと思う。

10/25
W大学。一人でしゃべっているだけの授業なので、あっという間に時間がたつ。頭の整理に役立つ。「悪女」の系図は、17枚必要だと考えていたのだが、これをレイアウトするのは大変なので、5枚くらいにまとめたいと思う。ところがこの作業が大変だ。2〜3日かかりそうだ。『道鏡』についてもいよいよ気持が前向きになっている。すでに30枚くらい書いていて文体はこれでいいという感じがする。プランを立てている段階では鑑真と道鏡の対話から始めることにしていたが、何の説明もなく哲学的議論をしても読者が戸惑うだろう。ファーストショットは大仏開眼のセレモニーとする。鑑真はまだ日本に着いていないので、代わりにここに道センを出す。このセンという字はユニコードでないと出さないのでここではカタカナにしておく。この人は大仏に目を入れた婆羅門僧正といっしょに来日した唐僧だ。あまり難しい会話はせずに、一言、大仏の無意味さを指摘させる。それがのちに出てくる鑑真の布石になる。道鏡はとりあえず正義の味方みたいな人にする。しかしやや怪しいところもある。そうでないと話が面白くならない。とはいえ活躍する始まりの時点ですでに初老といっていい年齢なので、ロマンスにはならない。吉備真備の娘を脇役として配置する。この女性は魅力的に描きたい。孝謙女帝は魅力的というわけではない。超わがままな女の子という設定だ。最後は毒殺される(史実)。現在のところ、大仏開眼、田村宮で藤原仲麻呂、光明皇后、孝謙女帝と言葉を交わす。回想シーンとして玄ボウ(この字もユニコードでないと出ない)が聖武天皇の母の宮子を治療するところを入れる。これがのちに孝謙女帝の治療につながる。やや暴力的でエロチックなシーンとしたいが、下品にならないように注意したい。次は帰朝した吉備真備、由利と話し合うシーン。ここまでで状況設定がすべて明らかになるだろう。それから聖武上皇の崩御によって光明皇后の独裁が強化される。ここまでが1章かな。2章になると、いかにしてクーデターを起こすかという話になる。ここでは孝謙女帝の治療のシーンが山場になる。このシーンはすでに2回にわたって描いている。『天翔ける女帝』と『桓武天皇』だ。同じようなシーンになると思うがより過激でスリリングなシーンにしたい。基本として悪魔祓いをすることになる。全体がリアリズムで書かれることになるので、このシーンにもリアリティーが必要だ。しかしキツネ憑きの話なので、体がキツネになっている必要がある。歌舞伎の『狐忠信(四の切)』の衣装のイメージ。白くなっている。そういうこともあるのではないかと思う。細かいことにはこだわらない。本当に狐が憑いていると思ってもらってもいい。ここがうまく書ければこの作品は一挙に高みに昇っていくだろう。書くのが楽しみだが、少し気が重い。ものすごく高い跳び箱の前で、ほんとうに跳べるのかと躊躇しているような気分だ。

10/26
昔、まだインターネットが普及していなかった頃は、作品が完成すれば、目の前に原稿があって、これを編集者に手渡すなり、郵便で送るなりといったことが必要だった。完成してから、原稿がなくなるまでの間に、タイムラグがあって、目の前に作品の現物がある。それは静かな達成感をともなう楽しいひとときだった。いまは、メールに貼り付けて原稿を送る。今回はプリントして赤字を入れて再入力したので、赤字の入った下書きは残っているが、完成したものをプリントすることはない。自分のパソコンの中に完成品のファイルは残っている。同じものがメールに貼り付けて送信された。何だか、達成感がない。系図は手書きで、これもスキャニングして画像のまま送信した。6枚だけだから、PDFデータにすることも、ZIPデータにすることもない。まあ、とにかく送ったのだが、何となく達成感がない。とにかく、担当編集者から届いたという返信は来た。これでしばらくゆっくりできかと思ったら、『白痴』の再校がドサッと届いた。こちらは宅急便だ。校正ばかりはパソコンというわけにいかない。昔ながら現物の移動だが、それも宅急便のおかげで便利になった。昔は必ず、編集者と会って手渡しをした。手で渡すだけでは寂しいので、酒を飲んで意見交換をした。思えば非効率なことをしていたものだ。わたしは酒は好きで宴会には出ていくが、酒は楽しくのみたい。仕事のこみいった話は素面でやりたい。わたしは一人で飲むのも好きなので、本日はゲラはそのままにして、一人で『悪女』が完成したことを祝いたい。ちょうどテレビでジャイアンツ対カウボーイズ戦を夜中の1時からやる。これを見ながら祝杯だ。ネットでジャイアンツが勝ったことは確認している。日本のジャイアンツは敗退してしまったが、アメリカのジャイアンツは野球もアメリカンフットボールもがんばっている。

10/27
昨日は歯医者の日だったが、今日は何もない日。妻を誘って押上に行った。工事中のスカイツリーを確認しておきたかった。あとはアンテナをつけるだけになった立派なタワーを見てから浅草まで歩いた。地下鉄で銀座まで行って三越の新しくできたレストラン街を見た。裏にあった駐車場ビルをそっくり売り場にして、広々とした感じになっている。人は少なく、まるでスペインのデパートのようだ。夜中、『白痴』を読み始めた。すごい小説だ。書き上げてから3ヵ月経過しているので、自分が書いたものとは思えなくなっている。まるでドストエフスキーが書いた未発表の作品が発見されたといった感じで、わくわくしながら読んでいる。主人公の白痴が第一章には出てこない。そこのところがいい。第二章になって出てくるファーストショットもいい。主人公としての魅力をたたえている。この主人公を好きになるかどうかは、読者によって異なるだろうが、『地下生活者の手記』の主人公、『罪と罰』のスヴィドリガイロフから、次の『悪霊』のスタヴローギン、そして『罪と罰』の続篇の主人公と、一貫したキャラクターで、現存の『白痴』の主人公とはまったく異なる、ミッシングリングのような人物だ。この主人公を描くことで、ドストエフスキーが仕掛けた謎が解ける。その意味では、ドストエフスキーの解説書としても役立つ作品になっている。というようなことはともかく、小説の主人公としてこの人物は魅力的だ。実は未完のわたしの大作『帰郷』の主人公もこのタイプの人物なのだが、三千枚書いても完成しなかった。今回の作品はわずか千二百枚で、その魅力的な人物を余すところなく描ききっているという感じがする。自分が書いたものとは思えないので、この作品を読めるだけでも幸せだと思える。まだ2章の途中までだが、ここまで読んだだけでもわくわくして、気分が高揚してしまう。まったく楽しい作品になっている。

10/28
M大学。2コマやるので半日仕事になる。夜はひたすら『白痴』の再校ゲラのチェック。ただ読んでいるだけで大きな直しがあるが、校正ミスとこちらのミスが時々見つかる。2章が終わった。

10/29
国会図書館で会議。あまりにも会議が多いので今日が何の会議なのかわからない。先日は三菱総研で国会図書館の人と会ったばかりだ。あれとは違う会議のようだ。行ってみたら新しいワーキングチームの第一回ということだが、メンバーはおなじみの人々。何だかよくわからないが、与えられたテーマについて議論をする。実はこの会議はたいへんに難しいことをやろうとしている。どうやってもダメなのではないかということで議論をしている。いくつかの選択肢を示して、どれでもどうぞ、でもどうやってもダメだよね、という報告書を作ることになるのではないか。わたしはこういう会議が大好きだ。何となく楽しくなってくる。人が集まり、議論をする。そのことが楽しいなのだ。成果のある会議よりも、むだにした時間の長さだけ人は親密になれる。これ、『星の王子さま』の「愛」の定義と同じなのだけれど。
本日は夜中にテレビで「クリミナル・マインド」をやるので早めに仕事をスタート。『白痴』の第3章が終わる。全体が10章で1200枚の作品だから、1章が120枚。3章では360枚となり、もう本1冊ぶんくらいのところに達しているわけだが、これで物語の中では、1日が終わった。本1冊ぶんで1日しか時間が流れていない。これをドストエフスキー的時間と呼ぶ。書いたのはわたしだが、ドストエフスキーの霊が憑依しているので、物語の中ではドストエフスキー的時間が流れている。

10/30
土曜日。W大学法学部で著作権についての講演。W大学は毎週通っているのだが、いつも行くのは戸山キャンパスの文学部・文化構想学部。本日は本部キャンパスの法学部8号館。初めての建物で、なかなか立派な教室があった。台風接近にも関わらず大勢の人が聴きにきてくれて充実した講演になった。業界の人も来ていたので、慎重に話さなければと思っていたのだが、話し始めるとそんなことは忘れて、いつもどおり言い過ぎたと思うこともあったが、まあ、面白い話になったと思う。文学のファンが2人ほどいたので嬉しかった。
『マルクスの逆襲』(集英社新書)の増刷見本が届いた。「大学生が読んでいる新書ベスト10冊」というコシマキがついている。ありがたいことである。わたしはプラトンが考えた哲人政治の支持者だ。しかし民衆というものは愚かで、勘違いのカリスマを評価しがちだ。マルクスは冷静な科学的分析で経済学を展開して、一つの目標を設定したのだが、その一部は誤解されている。それにしても、社会主義というものは基本的には正しい。実際に社会主義が実施されたソビエトロシアや、東欧や、中国や、北朝鮮では、社会主義という理念だけが一人歩きして、ファシズムに移行し、一党独裁の弊害ばかりが目立つことになった。だが自由放任の社会システムでは貧富の格差が拡大することは目に見えている。社会というものは一定範囲内で社会主義的でなければならない。だから必要なところに補助金を出すということはまさに必要なことで、無制限の自由を束縛する規制も必要だとわたしは考えている。アメリカのティーパーティーという白人保守層の主張は、安易な自由という概念で、貧しい白人が自分で自分の首を締めようとしている試みだろう。やがてアメリカではすべての工業が衰退し、広大な貧しい農業国になる。日本も工業が衰退することは避けがたいが、狭い国土で農業国として生きる道はないから、下手をすれば餓死者が出ることになる。とりあえずいまのままではダメだということを、若者たちに訴えたい。多くの学生諸君がこの本を読むことを期待したい。

10月31
日曜日。6章が終わった。半分を越えた。この作品は6章に大きな山場がある。そこがピークで、ふつうならそこから一気にエンディングに入るところだが、この作品はそこからまた大きな展開が始まる。すごい作品だ。いったい誰がこんな作品を書いたのかという気がするが、もとのプランはドストエフスキーの創作ノートにあるので、ドストエフスキーがすごいのだろう。わくわくしながら読み進んでいる。15歳くらいで小説を書き始めたのは、ツルゲーネフの作品を読み尽くしたので、自分でツルゲーネフのような作品を書き始めたのがきっかけだった。その頃は、ドストエフスキーのような作品を書くのは大変だと思っていたのだが、いまはドストエフスキーも手の届くところにある。『カラマーゾフの兄弟』の続篇を書くというのは、途方もない夢と感じられていたし、そんな夢を見る気もなかったのだが、あと何年かかければその地点に到達できる。体調に気をつけて、それまでは生きていたい。


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