「道鏡」創作ノート2

2010年11月

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11/01
W大学。本日は短縮授業として急いで文藝家協会理事会に駆けつけたのだが、すでに審議すべきことがなくなって、ペンクラブの阿刀田会長がペンクラブ東京大会の成果を報告していた。30分遅刻しただけなので、まだ審議は続いていると思っていたのだが、考えてみると文藝家協会の理事会の大半はわたしが一人でしゃべっているので、わたしがいないと30分以内に終わってしまうのだ。例によってわたしの報告は長くなるのだが、とくに今日は、協会に着いた途端に書記局から渡された課題があったので、必要なことを報告するだけでせいいっぱいだった。文藝家協会の理事会には取材の記者も来ておられるので、あまり紛糾したところを見せたくないので、理事会の席では控えめに発言したのだが、実は重大な問題が起こりつつある。これは自分一人で処理しようと、帰りの電車の中で決意して、自宅に帰ってからメールで必要な発信をした。こういう緊急事態が起こることをわたしは楽しんでいるし、小説を書く上でも大いに役立っている。わたしは本来は引きこもり状態で小説を書いていたいタイプなのだが、それでは歴史小説や現代小説は書けない。現実の問題に対処する実務能力がないと、小説は書けないと痛感している。しかし現実の問題に必要以上に手間をかけてはいられないので、メールで相手に問題を投げかけただけで、すぐに頭をきりかえて自分の仕事に集中する。
『新釈白痴』の再校。8章まで来た。読みながら、ポロポロ泣いてしまった。ストーリーとしては重要なところではない。何十年も会っていなかった兄と弟が再会して、さりげなくタバコの火をつけているシーン。わたしはタバコは吸わないし、兄とは時々会っているのだが、それでも兄と弟のくだりには何だか涙が流れた。そこだけでなく、8章は、涙腺を刺激するポイントがいくつも仕掛けられている。ここで泣くのはわたし一人かもしれないが、わたしが泣ける小説をここにあるということが素晴らしい。誰が書いたんだ? と思うと、わたしが書いたのだけれど、こんなに感動できる作品を読んだことがない。自分で書いたのだから自画自賛なのだが、書き手としては最高に幸福な瞬間だ。この作品、ドストエフスキーの霊が乗り移って書いたという気がしたのだが、この8章を読むと、書いているのはドストエフスキーではないと感じた。登場人物のすべてが、いい人だ。これはわたしの特質である。わたしは17歳の時に屈折して、その屈折をバネにして書き続けてきたのだが、しかしそれはわたしの内部の屈折であり、実際は両親をはじめ、兄や姉や、現在の妻など、多くの人々に支えられて今日まで生きてきた。担当編集者にも恵まれた。だから、自分の周囲にいる人はすべて「いい人」だと考えている。ドストエフスキーはそうではない。父親が悪辣な人物だった。その血が自分の体内にも流れているのだと恐怖していた。その恐怖と屈折が、ドストエフスキーの文学をふくらませている。わたしはドストエフスキーの文学から、人間の邪悪と美しさを学んだ。『新釈白痴』という作品は、悪魔めいたキリストという、ドストエフスキーが追求したキャラクターを自分なりに再生産したものなのだが、わたし自身の資質のせいか、あまり悪魔っぽくないかもしれない。でもそこがうるわしいと、いまわたしは感じている。これはまぎれもなくわたしの作品で、そのことを素直に喜びたい。でも、このままでは「新釈カラマーゾフの兄弟」は書けないなと危惧してもいる。「悪霊」は書ける。「悪霊」で悪魔じみた人物として登場する主人公ニコライ・スタブローギンは本当は善意の人だ。ここまでのドストエフスキーも善意の作家だ。だが、「カラマーゾフの兄弟」の父親は、かなり悪にそまった人物で、ここにはドストエフスキーの父親のイメージと、ドストエフスキー自身の自己批判が投影されているのだろう。これはもしかしたら、わたしには手の届かない領域なのかもと、少しいま、弱気になっている。しかしとにかく、次は『新釈悪霊』だから、これを書いているうちに、もっと悪の領域に接近できるのではないかと希望をもっている。ところで、『道鏡』についても、善意の人がしだいに悪に染まっていく過程をとらえるというのがコンセプトなのだが、どこまで実現できるか……。さあ、がんばろう。

11/02
品川駅。新幹線から乗り換えることはあるが、下りるのは久し振りだ。というか、この前がいつだったか記憶がない。品川プリンスとか、高輪プリンスとかに行った記憶はあるのだが、ずいぶん以前だった気がする。東口に行くのは初めて。何だか未来都市のようなところだ。毎日のように会議があるので、今日は何の会議かと思う。とにかく品川のビルだということだけ頭にインプットしてきた。ビルのエントランスに行くと、何か紙をもった案内人がいる。その人から入館証をもらってエレベータで17階へ。受付で「会議」というとまた何かカードをくれた。大きな会議室で、わたしの席はいわゆる「お誕生日」の席。委員長ということになっている。出席者の話を聞いているうちに、自分が言わなければならないことはわかってきたので、必要な発言をする。視覚障害者のアクセシビリティーといったテーマなので、何人か障害者がいる。数年前に会った人がいて挨拶に行く。以前はアンドリューという黒ラブをつれていたのだが、今回は代替わりして白ラブになっていた。名前はロミオ。おお、ロミオ……、あなたはなぜロミオなの。盲導犬は寡黙だ。立派だ。たいていの人間より尊敬できる。3時間半の長丁場の会議を終えて駅に戻ると何か事故があったようで、山手線のホームにぎっしり人がいた。電車は止まっている。混雑はきらいなので、さて、どうするかと考えた。京浜急行で大門乗り換え、大江戸線で青山一丁目、というコースが浮かんだが、思い直して東海道線にした。東京行きだからすいているし、新橋に停まるだけなので速い。丸ノ内まで来れば慣れたコースで自宅に帰る。しかしかなり遠回りしたことは確かだ。まあ、とにかく帰れた。今日の会議にも国会図書館の人がいて、何かお詫びのようなことを言っていたので、メールでの抗議が届いていることは確かなようだ。説明にうかがいたいというような話だったが、こちらはスケジュールがぎっしり埋まっているし、口先で弁解してもらっても仕方がないので、文書での回答を求めた。まだこちらの気持はかたくなになっていて、場合によっては国会図書館とは縁を切ることも考えている。何の利益もないボランティア活動なので、縁を切ってもわたしには何も不利益はない。利用者の利便性が損なわれるということはあるだろう。だから最善を尽くしたいという気持はあるが、このままでは最善を尽くす環境にないということで、こちらの要望が実現されなければその最善の環境が実現できないので、最善は尽くせないということになる。だから国民の利便性が失われたとしてもわたしの責任ではない。

11/03
文化の日。世の中は休日だが、わたしは八王子市で講演会。八王子はわが第二の故郷みたいなところで、友人が何人か聴きにきてくれた。講演のあと、その友人たちと飲み会をしたので、いい休日になった。講演そのものは、知っている人が聴いていると思うと、いつもより力が入った気もする。今週は土曜日にも講演がある。

11/04
教育NPO酒井理事長の葬儀に参列。教育NPOとは定期的に協議を続けてきた。その度に軽く懇親会をしてきたので、酒井理事長ともずいぶん親しくなっていた。それだけに突然の訃報に驚いているし、教育NPOの今後についても心配している。酒井理事長は東京女子学院の校長先生でもあるので、葬儀は学校に隣接した寺院で行われた。こちらは大学の出講日なので、車で行って妻に待っていてもらい、車の中で喪服から普段着に着替えて大学へ。東京女子学院から武蔵野大学(武蔵野女子学院)までは車だと5分くらい。すぐ近くだ。もしかしたらライバルかもしれない。
夜中。『新釈白痴・書かれざる物語』再校のチェックを終えた。これで完成だ。エンディングには感動した。こんな美しいエンディングの作品が他にあるだろうか。しかしそれほどの喜びはない。自分が書いたという感じがしない。書いていた7ヵ月間は何ものかが乗り移ったような感じになっていたのだが、いまは憑きものがとれているので、同じものを書けといわれても書けない。ゲラを読みながら、書かれていることに驚き、すごい、すごいと思いながら読み終えた。著者校正というよりも、誰かが書いた作品を校正係として文字の間違いをチェックしているという感じだった(文字の間違いはかなり見つかった)。とにかく無事に作業が終わった。週末になるから、発送は日曜日でいいだろう。あと何日か手もとに置いて、パラパラとめくったりすると、幸福な気分になるだろうか。しかしこの勢いで『道鏡』を進めないといけない。まあ、経は一人で祝杯を挙げたい。

11/05
本日は文化庁の委員会のはずだったのだが急に中止になった。ちょっと気分的に疲れていたのでいい休みになった。『道鏡』、これまで書いたところをチェック。これで先へ進める。ここまでの密度がかなり高いので、これを持続させたい。ワンランク上の作品を目指す。

11/06
土曜日。福岡で講演。いつもは妻の車で羽田に行くのだが、電車で行くことにした。ところが田園都市線がストップしている。あわててバスで渋谷へ。飛行機に乗る時はかなり余裕をもって出かけるので問題はない。この前、飛行機に乗ったのはいつだったか。スペインに行ったのは別として、国内線で飛行機に乗ることはめったにない。この前に福岡に行った時は文藝家協会の仕事だったので書記局で切符を手配してもらったら、二次元バーコードの入ったカードだった。今回は妻に頼んだらネット予約のチケットレスで、どうすればいいのかわからない。要するに、ポイントカードをタッチすれば飛行機に乗れる。これは便利だ。切符はどのポケットに入れたか忘れてうろうろすることはあるが、カードはパスモの入っているカードケースに入れるから迷わない。講演は1時間と短い時間なので、かなり急いでしゃべった。福岡での滞在時間が短い。大半が往復の時間だ。疲れたのでウイスキーを飲みながらフットボールを見ることにした。『道鏡』、ちょっと行きづまっている。出だしの密度が高いので持続するのが大変だ。まあ、そのうち調子が出るだろう。

11/07
日曜日。今日は休みだ。『道鏡』。少しエンジンがかかってきた感じがする。

11/08
W大学。本日の仕事はそれだけ。今週は公用が少なく楽。先週とはえらい違い。『道鏡』、前半の山場、悪魔祓いの直前まで来た。あとは明日だ。

11/09
人間ドック。40歳代は毎年、検診を受けていた。その歳で死にたくないという思いがあった。50歳代になると、検診を受けなくなった。もう死んでもいいだろうという気持がどこかにあった。持病があって近くの医院で血液検査などするので、ドックはもういいかと考えていたのだが、今年はドックに行くことにした。胃カメラ初体験。待っていると出てくる人がすべてアウトで、2週間後の精密検査を予約していた。こちらは無事。何もなかった。実に多忙な仕事をこなしているのだが、ストレスが全然ない。まあ、やりたいことしかやらないからだろう。あとは血液検査の結果だけだが、すべての数字が注意信号といったところだろう。しかし検診は疲れる。プレッシャーがある。

11/10
本日は歯医者だけ。これはストレス。疲れた。

11/11
M大学。いい天気。武藏境からの三十分ほどの散歩が快適。

11/12
初台の著作権情報センターで研究会。主にパロディーについて話し合っている。本日は研究員の女性研究者の詳細な報告があって勉強になった。

11/13
土曜日。姉の三田和代を夕食に招いて雑談。夜中は仕事。主人公の道鏡、まじめな人なのでキャラクターとしての幅がない。もう少し悪いやつにしたい。少し修正。

11/14
日曜日。少し調子が出てきた。キャラクターに幅ができてこちらの気分が主人公に寄り添えるようになった。

11/15
W大学。久し振りの雨。どうも月曜日は雨が多いようだ。

11/16
歯医者。夜、PHPの担当者と打ち合わせ。すでに完成している『平安朝の悪女たち』の発売時期などについて打ち合わせ。PHPは新たに文芸文庫を出したので、そことの調整について意見を交換。とりあえずこちらからの提案をした。まあ、原稿はできているのでこちらとしては手が離れている。とにかく本が出ればいいという気持だ。近所の店で軽く飲む。本日は三省デジ懇の成果となる補助金が仕分けされる日。これもこちらとしては手が離れていて、手は尽くしたという気分でいたのだが、帰るとメールが届いていて、仕分けはされなかった。出版社やメーカーや配信業者など、あらゆる業界のトップを集めて決めたことだから、これが仕分けされるようでは話にならないと思っていたのだが、迷走している民主党は何をするかわからないと危惧していた。利用者に安価な電子書籍を提供し、検索の精度を上げ、障害者の利便性を高めるという提案だから、これが仕分けされたら仕分け制度そのものに疑問が生じるところであった。とにかく、この補助金で一歩前進できることになった。
『道鏡』は第1章が終わった。90枚。全体が5章で、450枚になる予定。今年は1200枚を7ヵ月で書いたので、450枚の作品は軽い。ここまでは文体に密度があり、何かが起こりそうだというサスペンスがあって、いい出来だと思う。この密度を最後まで持続できれば最高レベルの作品になる。楽しみだ。

11/17
文藝家協会で教科書協会の人々と打ち合わせ。あとはひたすら『道鏡』。第2章になって少しトーンが変わるかもしれない。この作品は内乱が全体の中ほどの山場になるのだが、道鏡自身が戦争をするわけではないからあまり盛り上がらないかもしれない。ただ戦術の面白さは伝わるはずだ。さて、ヒロインを登場させたい。女帝ではない。女帝は悪魔的人物だ。それとは別に彩りとして女性を置きたい。これがうまくいくかどうかで、作品のれべるが決まる。これからが勝負だ。

11/18
M大学。いい天気。寒くなったが耐え難いほどではない。授業の前に先生方と打ち合わせ。来年のことなど。頭がぼうっとしてそこまで頭が回転しない。とりあえずいまは『道鏡』のことしか考えていない。明日は名古屋だ。とりあえず自分の体を運ぶことが仕事だ。

11/19
名古屋で講演。自分の体を会場に運ぶだけの仕事。地図を見て名古屋駅から歩けると思ったのだが、縮尺の把握が充分ではなかった。歩いているうちに地下鉄の駅を二つ通り過ぎた。歩いていけたことは確かだが。まあ、新宿から御苑前、という程度の距離だ。帰りは地下鉄に乗った。考えてみると名古屋で地下鉄に乗るのは初めてだ。大阪で地下鉄の切符を買うのは難儀なのだが、名古屋はわかりやすかった。夜中、またクリミナルマインドの3本立てをやっていた。見入ってしまうので仕事が進まない。この作品には強い意志をもった殺人犯が出てくる。犯罪人でも強い意志をもっているという点で評価できる。FBIの側の天才少年みたいなキャラクターが好きだ。

11/20
土曜日。今週もハードだったから休みはありがたい。自分も六十歳をすぎて無理はできないという心境になってきた。今年はすでに二千枚を超える原稿を書いている。生涯でいちばん多忙ではないかという連日の会議の中でこれだけの原稿を書いているのは心身ともに元気であるからだが、どこまで続くか。無理はできない。来年は少し仕事を整理したいかなと考えている。でも、どうやって整理するんだ。さて、妻が四日市に行った。孫2名の顔を見に行ったのだ。うらやましい、とは思うものの、孫というのは遠くにありて思うものだということはよくわかっている。スペインの3人娘と、日本男児の兄弟と、どちらが可愛いとかそんなことではなく、5人も孫がいるのはありがたいことだ。できれば自分の観念の中に孫がいて、写真や動画だけ見ていたという思うのだが。『道鏡』。第2章になって急に行きづまった感じがしたので、最初から読み返している。勢いが止まったら最初に戻る。これが鉄則だ。すでに100枚ほどになっているので、ここまでは完璧でなければならない。読み返して仕上げながらそこから先に勢いをつける。読み返すと、少し無駄があるという気がした。テンポが削がれている。必要な説明でもあとになって追加で説明できるものはカットして、流れを重視したい。

11/21
日曜日。北沢川を散歩しただけ。あとは『道鏡』。とにかくこれを仕上げなければならない。最初から読み返して部分的な補修。これで少し流れがよくなった。まだ流れが良くない気はするのだが、重厚であることも必要なのでよしとする。ただ女帝のファーストショットだけはもっと充実させたい。何といっても本篇のヒロインだから出だしから印象的に描きたい。こういう点、映画や漫画は映像で見せるので、見ただけで美人に描くことができるのだが、小説はそうはいかない。女帝、という記号だけで登場すると、そのまま記号なような存在になってしまう。少女としての魅力が必要。実際はこの冒頭場面の女帝は三十五歳なのだが、男を知らない処女だ。少女のような輝きがほしい。
明日到着するはずの孫たちが夜中に来てしまった。飛び石連休の隙間なので必ずしも道路がすくとは限らないので深夜に走行したらしい。眠っている孫2人と対面。黙って寝ていれば、可愛い。

11/22
起きると孫がいる。何やかやと遊びの相手をする。幸いなことに本日はW大学の出講日。大学で1コマしゃべって帰宅すると孫たちは寝る準備になっている。ネットの速報によるとニューヨーク・ジャイアンツがフィラデルフィア・イーグルスに逆転負け。わたしはジャイアンツファンだが、ことしはイーグルスのビックのプレイを楽しみたい。ビッグは信じがたいプレーヤーだ。もともとパスを投げるより自分で持って走るのが好きなプレーヤーだが、今年はパスが正確になった。がまんをしてパスコースを探す。そうなるとディフェンスはレシーバーをカバーするしかない。すべてのレシーバーがカバーされているのを確認すると、ビックは嬉しくてたまらないといった感じで走り出す。レシーバーがすべてカバーされているということは、自分がフリーになっているということだ。今年はビックのプレイをスーパーボウルで見てみたい。『道鏡』いい感じで修正できた。明日は新たな領域に進みたい。

11/23
本日は休日。何の休日かと思ったら勤労感謝の日だ。わたしは実によく勤労していると思う。しかも著作権に関する無償ボランティアが多い。文化庁の委員とかさまざまな会議の中には日当をくれるところもあるし、大学の先生も日当をくれるのだが、これらはお金のための仕事ではなく、自分ではボランティアだと思っている。今年の自分の仕事の最大の成果は『新釈白痴』なのだが、これは大幅に売れるような仕事ではなく、ほとんど自分の道楽に近いと思っている。その後に書いた2冊の本はいまだ入稿すらされていない。双方とも新書、文庫として書いたものだが、単行本にできないかと検討していただいているようなので、ありがたいことだと思っているのだが、すぐに本が出ないところは最近の傾向で、それだけ本が売れなくなっているのだろう。それでもわたしが作品を書くというのは、自分が書きたいから書いているのであって、売れ行きなどといったものは実は眼中にないのだが、それでもまったく売れないと次の本が出せない。トレーナーでありコーチである編集者とつきあうためには、本はある程度、売れてくれないと困るのである。それにしても、これほど勤勉に働いているのに、収入は少なく、とくに感謝されているようにも思えない。まあ、それでいい。書きたいものを書くという環境が与えられているだけでこちらから感謝しなければならない。勤労を感謝されるのではなく、勤労させていただけることをこちらが感謝するということではないだろうか。『道鏡』ここまでのチェックを終えてようやく新たな領域に進めそうだ。吉備由利という第2のヒロインの登場シーン、もっと思わせぶりに書かないといけない。この作品、女性の出番が少ないかもしれない。『西行』も『新釈白痴』も魅力的な女性たちが作品を引っぱっていく。『道鏡』には孝謙天皇と吉備由利しか出てこない。女帝については修正によって少し魅力が出てきた。吉備由利はファーストショットで魅力をアピールしないといけない。この由利という女性、真備の妹なのか娘なのかよくわからない。わたしの作品では真備が留学中に唐の女性との間に生まれたハーフという設定にしてある。そこを魅力的に描きたい。今日は休日なので、孫と遊んだ。孫1号は明るく脳天気によく遊ぶ。孫2号は生後半年、ハイハイするだけでなく自分で座った状態になれる。でも、そこからゴロンと転がって床に頭をぶつけることもある。だからずっと見張っていなければならない。早く自立してほしい。孫1号は今年の3月にウェスカに行った時の、孫娘3号と同じ年齢なのだが、スペイン娘の方が自立していたように思う。気が強くて自立心が強いのがスペインの3女で、通い始めた幼稚園でもガキ大将になっているようだ。そこにいくと日本男児の方は少しぬけている感じがする。

11/24
今週もハードな日々が続く。本日は文藝家協会で打ち合わせ3件。電子書籍協会と契約書について意見交換。それから文藝家協会の合同委員会。その後、国会図書館との打ち合わせ。自宅に帰ると孫たちがいる。33年ほど前もこんな感じだった。芥川賞をもらった頃だ。長男が3歳、次男が1歳だった。その長男はスペインで3人娘の父となり、次男は四日市で日本男児2人の父となった。何だかわからないがすごいことだと思う。わたしは100冊以上の本を出しているはずだが、そんなものよりも2人の息子と5人の孫がいることの方がすごいことだ。といいながら、いまは『道鏡』だ。道鏡は2人の女性に支えられる。孝謙女帝と吉備由利。そしてその由利が晩年の女帝を支えることになる。不思議な関係だ。それがこの作品の魅力になるはず。いまはこの作品に集中したい。

11/25
木曜日はM大学の出講日。帰途、いつものように武藏境まで歩いて新宿へ。タカシマヤで買い物をしている孫たちと合流。新宿駅が見下ろせる店で夕食。電車が見えるので孫1は興奮。孫2はまだ離乳していないのだが、人々が何か食べているのを見て不満げ。スペインに行くと娘3人と食事をすることになる。男の子2人はまだ静かだ。

11/26
国立国会図書館で定例の協議。この1ヶ月、ずっと国会図書館とケンカをしていた。メールでのやりとりなのだが。で、この協議に先だって、国会図書館側から謝罪の言葉をいただいた。これで水に流すというわけにはいかない。わたしだけの問題ではなく、書協など出版社が関わる問題だからだが、わたし自身としては、自分にできる抗議はしたと思うので、あとは書協に任せるしかない。いま『道鏡』を書いているので、わたしの体内の80%は道鏡になっているので、国家を独裁しようというような気分になっている。だから著作権のごとき小さなテーマで頭を使いたくないので、論争をするつもりはないのだが、気に入らないことがあればいつでも手を引くといった恫喝はした。ボランティアでやっている活動なので、モチベーションがなくなればすぐにでも手を引く。わたしが気分よく著作権問題に関われるような設定をしてもらわないと、皆さん、困ったことになりますぞ、といった態度を最近とっているのは、すでに道鏡が乗り移っているのだ。『日蓮』を書いている時にもそういう状態になっていた。まあ、昔の偉い人の業績を学んでいるうちに、一種のノウハウを学ぶことになる。道鏡もすごい人物なので学ぶところはあるだろうと考えているが、道鏡は女性に慕われるタイプなので、すべてを学ぶことはできないと考えている。今日も、孫と遊んだ。今日が最後のサービスかな。次は年始年末ということになるか。スペインに行って3人娘の相手をしている時は、自宅ではないのでこちらが奴隷になった気分なのだが、自宅や浜松の仕事場にいる限りはこちらのペースで孫と関われる。そこがスペインとの違いだ。

11/27
土曜日だが休みではない。世田谷美術館で世田谷区の若い芸術家を育てるためのアワードの授賞式。宴会もあったのだが途中で抜け出して、さてどうするか。コーラスの練習は横浜線の長沼というところ。とりあえず世田谷道路に出て調布行きのバスと思ったのだが、成城学園行きが来たので小田急で町田乗り換えで横浜線。大旅行した気分になった。コーラスの人々と宴会。「道鏡」も少し進んだ。

11/28
日曜日。ようやく休み。ひたすら「道鏡」。吉野の山中で二人の禅師が交わす会話。少し哲学的。しかし小説などで深入りはしない。この作品は、というよりもわたしが書くすべての作品は、一種のエンターテインメントだと考えているが、ただの娯楽作品ではない。哲学的深さがなければならないと考えている。ただ難しい理屈を並べるのが哲学ではない。言葉を超えた感動がもたらす自然な人間観こそが本物の哲学だと思っている。なめらかな会話の中に静かにあふれだすものが、読者の胸に伝わればと願いながらいまこのくだりを書いている。何だか調子が出てきたように思う。いまは禅師二人の会話だが、さらに桓武天皇が出てきたり、鑑真と対話したり。重要人物との対話を重ねていくことで物語も展開するし、哲学のレベルアップしていくことになる。楽しみだ。

11/29
近くの病院。前に受けた人間ドッグの結果について医師からアドバイスを受ける。酒控えめ、動物性脂肪控えめ、総カロリー控えめ、こうして人間の楽しみを奪われてまで長生きしても仕方がない。検査のうち1項目再検査。予約をして、W大学へ。これで今日はつぶれてしまう。明日は午前中の会議に歯医者がある。昨夜、かなりピッチが上がった。いい感じで前進できている。少し哲学的になりすぎているかもしれないが、ただのエンターテインメントではないので、深くなることを避ける必要はない。いい感じでスピードがあがってきた。

11/30
三菱総研で国会図書館協議会。2回目の会合だが、前回は大手町の旧社屋だった。キャピトル東急ビルの本社に行くのは初めて。初めてのところはどうやって入るのか、行ってみないとわからない。最近のビルは必ず駅の改札口みたいなゲートがある。地下のロビー階に行くと、大きな受付がある。窓口がいやに大きいだけで受付の女性は一人しかいない。首からぶらさげるカードホルダーをくれる。それでゲスト用のゲートから入れる。帰りはホルダーからカードを抜き取って、ホルダーはゴミ箱みたいなところに入れ、カードは改札口に切符を入れる要領で、脱出できる。この最後にカードを入れるスタイルは経済産業省と同じだね。出入りの方法が気になって、会議の内容は忘れてしまった。何をやろうとしているのかがよくわからない会議だ。画像になった文書を解析して、それを読み上げようという試みだが、それって無理ではないかという気がする。解析ソフトが第二水準の漢字にしか対応しないなどといっているのだから。それで戦前の書物が読めるとこの人たちは本気で考えているのだろうか。結局のところ、音訳ボランティアの朗読を貼り付けた方が早いだろう。一度帰宅してから歯医者。さて、『道鏡』に集中しなければ。


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