「道鏡」創作ノート4

2011年1月

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01/01
新年。毎年と同様、次男一家とともに仕事場で迎える。風は強いが天気はよい。去年と同じだが今年は孫が1人ふえた。のんびりとした時間。『平安朝の悪女たち』のゲラを少し見る。『道鏡』はエンディングに向けて新たな展開になるところだが、孫2人いる正月はパソコンが使えないので、この期間にゲラの作業をする。「平安朝」というタイトルだが、奈良朝の光明皇后から始まっているので、道鏡も出てくる。この道鏡の部分を書いている時は、まだ『道鏡』を書き始める前だから、道鏡のイメージが違っているのだが、こちらの方が歴史に近いだろう。平安朝についてはこれまで何冊も小説を書いてきた。孝謙女帝、桓武天皇、空海、在原業平、菅原道真、西行、清盛、頼朝……7冊も書いている。これらは小説だから自分なりのイメージで書いているのだが、こんかいの「平安朝」の本は、なるべく歴史に忠実にイメージを展開しているので、小説とは少しずつ違っている。ところで現在書いている道鏡は、少し悪いやつにしている。まじめな僧侶なのだが、権力を握るとその権力が身にしみついてくる。そこがこの小説の面白さなのだが、その部分はこれから書くことになるので、うまくいくかどうかはわからない。まあ、うまくいくまで修正を続ければ何とかなるだろう。わたしはふだんの生活や公用においては「いい人」でありたいと思っているのだが、人間には必ず悪の部分がある。悪を強調しすぎると作品が浅くなる。可能な限り「いい人」を描きながら、どうしようもなく悪の部分があふれ出るといった感じでなければならない。

01/02
孫たちはみかん刈りに行った。こちらは仕事。『道鏡』は道鏡を大臣禅師にするという女帝の詔勅を言葉を少し変えて引用する。念のため宣命体の原文にあたる。こういう時ネットは便利だ。原典がテキスト文書でアップされている。できれば書き下し文もアップしてもらえると浅学の身にはありがたいのだが。この時代は正史では『続日本紀』にあたる。講談社学術文庫の宇治谷孟さんの口語訳を愛読している。夕食は近くのレストランへ行く。のどかな正月の時間が流れているようだが、みかん刈りのおかげで仕事ははかどった。道鏡と真備の議論も必要となる。ここが一つの山場になるか。じっくりと考えたい。ゲラも並行して進めている。『平安朝の悪女たち』には系図のページが6箇所ある。この系図(自分で作ったもの)は何度見ても見事としか言いようがない。平安朝は皇室と藤原一族が二重の編み目となって重なり合っている。その二重の編み目の感じを系図で表現したかった。本来は立体的なものを一枚の系図に入れるためにトポロジーのような概念を用いたところもある。兄弟の序列を無視して順番を入れ替えたところもあるし、時代的な上下関係が崩れたところもあるのだが、それでも線と線がなるべく交差しないように全力を傾けた。系図を見ているだけで平安時代の全容がわかるようになっている。

01/03
正月なので曜日の感覚がない。孫たちがイチゴつみに行ったのでパソコンを開けて、フットボールのサイトで予想でも見ようかと思ってつないでみたら、もう結果が出ていた。今日は月曜日なのだ。ジャイアンツは最終戦に勝ったものの、パッカーズも勝ったのでプレーオフ進出を逃した。残念。優勝した時もワイルドカードからスタートしたので、ビリでもトーナメントに出場できていればチャンスがあると思っていた。まあ、仕方がない。今シーズンはディフェンスが機能しなかった。セインツが負けていたのは意外だが、トーナメントには出場できる。結果としてはイーグルスと違う山になった。これでNFCの山は、セインツとイーグルスが緒戦に勝って、ファルコンズ対セインツ、イーグルス対ベアーズになるだろう。もちろん、勝ち上がった両チームに勝ってほしいが、今シーズンのファルコンズは異様に強い。しかし前年度覇者のセインツも調子に乗れば勝つ可能性はある。ベアーズは波がある。イーグルスも波がある。ビックのコンディションにもよるがイーグルスが勝つのではないか。イーグルスがスーパーボウルに進出することを期待する。AFCの方は、シードされたペイトリオッツとスティーラーズが強い。今年のコルツは波が激しく勝っても僅少差だ。往年の圧倒的な強さがなくなっている。コルツは最終戦の終了間際に3点入れてようやくプレーオフ出場を実現した。このツキというか、勢いで調子を上げていけば面白い。ただコルツがスティーラーズの山になってしまった。これでペイトリオッツはカンファレンス決勝までは楽勝だ。スティーラーズとコルツの勝者と当たるのだが、今年のペイトリオッツは負けない。まったく負けない時期のペイトリオッツに勝ったのがジャイアンツだった。それだけにジャイアンツがプレーオフ進出を逃したのは残念だ。予想。スーパーボウルはペイトリオッツ対ファルコンズでペイトリオッツの勝ち。希望、スティーラーズ対イーグルスで、結果はどうでもいい。2年前のスティーラーズ対カージナルス戦、カージナルスの奇跡的な逆転に思わずカージナルスを応援してしまったが、最後にスティーラーズが再逆転した。とはいえわたしはもともとスティーラーズのファンだ。最終戦も開始早々にポラマルのインターセプトが出て快勝した。スティーラーズのディフェンスがペイトリオッツのパスオフェンスを防げるか。ポラマルが活躍すればチャンスはある。孫たちがイチゴつみに出てくれたおかげで『道鏡』は進んだ。ゲラも半分を越えた。

01/04
次男一家が四日市に帰った。急に寂しくなるのはいつものことだが、こちらは黙々と仕事をこなすだけ。この正月三が日、孫たちがミカン刈りやイチゴ摘みに行ってくれたので、仕事ははかどった。本日で4章のおわりの直前、女帝と道鏡の関係が深まっていくシーンを描かなければならないのだが、女帝は時々しか出てこないので、イメージに連続性と一貫性があるか、確認する必要を感じた。その流れの中で4章のエンディングを盛り上げたい。ということで、最初から読み返すことにした。この作業をしておけば、草稿完成のあとで改めて最初から読み返す必要がなくなる。ということで、少し時間を置くことにする。『平安朝の悪女たち』のゲラが半分を越えているので、これを一気に最後までやることにする。

01/05
三宿に戻る。30年前に築いた仕事場であるが、役に立っている。当時は幼い子どもたちから逃れるために設置した仕事場だが、いまは孫と遊ぶための場になっている。まあ、気分転換には役立っている。自宅に帰って、忘れ物がないかチェック。とりあえずパソコンとゲラがあればいい。本日から週末まで、ゲラに専念する。それから最初から読み返し、とくに女帝のキャラクターを確認しながら修正していく。まだ公用は始まらない。とりあえず明日のM大学だけで、来週の月曜日は祝日でW大学の授業もない。『道鏡』のラストスパートに集中したい。届いた年賀状を読む。もう『新釈白痴』を読んだ人がいる。感謝!

01/06
正月一日から仕事をしているのだが、外出が必要な仕事としては、本日が今年の仕事始め。まずはM(武蔵野)大学の出講日。今年度は文部科学省の通達で半期で16回の授業が必要で2月第一週までコマがある。2年生は村上春樹訳のレイモンド・カーヴァー傑作選を読んでいる。涙なくしては読めない子どもが死ぬ話。学生たちには少しわかりにくいテーマかもしれない。必要はことは話した。わたしは2年生と3年生を担当しているので、3年生はあと何回かでつきあいが終わる。それで自分がこれまで考えてきたことをこのラストスパートの時期に話そうと思っている。本日は維摩経の話などした。往路、武藏境の駅から大学に向かう道を歩いていると、急にひらめいた。雲をつかむような感じだった『新釈悪霊』の前途が急に明確に見え始めた。まさに一瞬の閃きだったのだ。本日、この徒歩の道程の途上で、書けそうだな、という気分になった。これはすごい瞬間だ。まだ1行たりとも書いていないのだが、いまならいくらでも書けそうな気がする。とはいえ原典を読み返す作業もまだ取りかかっていない。『道鏡』が終わったら取りかかりたい。ゲラに集中しようと考えていたのだが、夜中はパソコンを抱きたい心境になったので『道鏡』を最初から読み返すことにした。冒頭の大仏開眼のシーンは何度見ても素晴らしい。青空のもと、上半身だけ鍍金された黄金の大仏が目に浮かぶ感じがする。

01/07
床屋へ行く。ゲラ完了。さて、『道鏡』を最初から読んでいく。ちょっと重いか。文学だから仕方がない。『平安朝の悪女たち』がやや軽い文章なので、文学の重さが気にかかる。『新釈白痴』の文章は重くない。日本の古代の話なので、少し重くしてあるのだが、この程度の重さは格調を保つためには必要だろう。

01/08
土曜日。妻とともに小田急に乗って玉川学園前に行く。作曲家の古曽志洋子さんの教え子たちのミニコンサート。わが長男の聴音の先生で、作品の本邦初演の演奏をさせてもらったこともある。この時代にクラシックの作曲をするということは、情熱と見識がなければできないことだ。帰りに下北沢でビールを一杯飲む。このところ自宅ではほとんど酒を飲んでいない。体重を少し落としたいと思っている。

01/09
ゲラを発送。これで手が離れた。『道鏡』は最初から読み返している。道鏡と女帝が言葉を交わすファーストショット。ここは重要だ。動きのないシーンなので、照明でごまかす。映画なら自由に光を当てることができるのだが、そういう感じを小説にも採り入れる。小説だからできることもある。切り取り方で意味が変わるということもある。抑制しながらしかも印象的なシーンを読者の胸に刻みつけなければならない。描写力が試される。この作品はややオカルト的なものを入れているので、通常の純文学ではできないような描き方も可能だ。全体に抑制して書いているのだが、ここだけは少しトーンを高くしたい。

01/10
妻がどこかへ行こうというのでお台場あたりでぶらぶらする。妻が買い物をしている間にメモをとる。これで4章の終わりの目途ができた。最初から読み返す作業は慎重に進めている。小説はある時点から話が始まる。歴史小説の場合、必ず前史というものがある。大仏開眼から始まるのだが、その背後には大化改新や壬申の乱などの前史に、長屋王暗殺から孝謙女帝の即位に到る経緯がある。読者はそういう前史を知らないという前提で情報を提供しなければならないが、情報量が多すぎるとストーリーの流れを削ぐ。その加減が難しい。読者の気持になって読み返すしかない。この作品はややハードな文体を用いている。読者を限定することになるが、ある種の格調がないと信用されない。格調のある文体でわかりやすく説明するのであれば、じゃまにはならないだろう。むしろ何もわからない状態の置かれると読者の気持が離れていく。そういう加減を測りながら読み返していかなければならない。
ところで、本日は月曜日。フットボールの結果がわかる日だ。すでに明け方の時点で2試合の結果がわかっていた。起きてからネットにつないで残りの2試合の結果を知った。トーナメントの緒戦。ワイルドカードと呼ばれる試合だ。シードされた4チームに挑戦する対戦相手4チームが決まる。この予備予選に出場する8チームの中に、わたしが愛するチームが3つあった。セインツ、コルツ、イーグルスだ。セインツは昨シーズンのチャンピオン、コルツはそのセインツにスーパーボウルで負けた準優勝チーム、イーグルスはQBビックを擁したダークホース、まさかこの3チームが全滅するとは思いもしなかった。日本がヨルダンと引き分け(負けなくてよかった)、サウジアラビアがシリアに負けたことよりも驚くべき天変地異だ。で、わたしは落胆している。あとの希望はシードされているスティーラーズだけだ。まあ、仕方がない。

01/11
火曜日だが、祝日があったので本日からウィークデー。世の中が動き始めた。『一個人』からゲラが届く。「超訳般若心経」というのを頼まれて原稿を書いた。改めて読み返してみると、なかなかにいい訳になっている。超訳といわれているものは原文の意をくんで自由に翻案したものが多いのだが、般若心経の場合は写経をする人も多く原文の文脈を正確にたどらないと意味がない。語句の解釈は意訳であるが文脈は原文に正確に翻訳することをこころがけた。歯医者に行く。担当医が辞めたので新しい先生。これから先も長いつきあいになる。

01/12
『道鏡』の読み返し。この作品では悪魔祓いの儀式が二度出てくる。その一度目。迫力がある。このシーンは『天翔ける女帝』と『桓武天皇』でも描いているので今回が三回目となるのだが、今回が決定版だ。夜、メンデルスゾーン協会運営委員会兼新年会。少し寄ったので夜中の作業は進まず。

01/13
M大学の授業のあと、写真家瀬尾太一さんの個展パーティーに出席するため、銀座に向かわなければならない。時間までにたどりつけるか心配だったのだが、何と三年生の授業で誰も来ない。昨年もこのようなことがあった。同じ時間に就活の説明会でもやっているのだろう。ようやく一人学生が来たので15分だけ雑談。それからバスで三鷹。快速が混んでいたので荻窪で下りて丸ノ内線に乗る。銀座に着いたら1時間以上も間がある。スタバかドトールに寄ろうかと思ったが、三越の9階のテラスがすいているのではとひらめいた。思ったとおり実に快適な1時間をすごせた。たっぷり仕事ができた。瀬尾さんは写真家協会で著作権の責任者をつとめているので、月に何度も顔を合わせる。写真も撮っています、と言って個展の案内状をもらった。写真は被写体がないと撮れないないから大変だ。小説の場合は会議中にも内職できる。もっとも最近は議長とか座長とかの仕事が多いのでそうもいかないのだが。パーティー参加者のほとんどは著作権関係者だったので、新年会みたいなもの。これではわれわれが主催する著団協の新年会をやらなくてもいいかなと思うほど。

01/14
金曜日。まだ世の中が動き出していないので公用はない。『道鏡』の読み返しの作業を続けている。韓国のオーストラリアのサッカーの試合など、どうでもいいのだけれども音だけ聞いて作業。「クリミナルマインド」が終わったらすぐにチャンネルを替えてNFLの番組へ。応援している3チームがワイルドカードで負けたので、ネットのダイジェストビデオを見ていないが、とりあえずこの番組でなぜ負けたかを確認。イーグルスが負けたのはキッカーの責任だ。失敗した2本のキックが決まっていれば勝っていた。終了直前のビックのパスも、レシーバーがラインを踏み込むうっかりミスで不成功になった。このミスがなければ勝っていた。だからビックの責任ではない。まあ、来年に期待したい。

01/15
土曜日。来週からはまた多忙な日々になるので、この週末は貴重だ。散歩に出ただけでひたすら仕事をする。『道鏡』。最初から読み返している。この作品には悪魔祓いの儀式が二度出てくる。宮子夫人と孝謙女帝。ここで悪霊が出てくるのだが、宮子夫人の場合と比べて、女帝に憑いている悪霊がパワーアップしていない。これでは小説としての面白さが中途半端なものになってしまう。女帝の悪霊を祓う場面では、もっとスリルが必要だ。
妻が電話でスペインにいる長男と話していた。長男のところの長女(孫の第1号)が今年はカトリックの重要な儀式を受けることになっている。すでに赤ん坊の頃に洗礼は受けているのだが、自分の意思でカトリックを受け入れる儀式があるらしい。これは日本の七五三とか十三参りみたいなもので、形式にすぎないのだが、とにかく親族が集まって宴会をするらしい。初孫でもあるし、その儀式に参加するのは有意義であると思っていたのだが、新年度からは大学の仕事が忙しくなる。コマが増えることになっているし、責任も重くなる。大学側から要請があったことだが、著作権関係のさまざまな会議も、社会の要請によって議長とか座長とか委員長とか、責任が増大している。来るものは拒まず去るものは追わずというスタンスで生きてきたのだが、誠実に要請に応え、社会のために尽くしている。大学での仕事が増えるのも社会の要請であるから応えないわけにはいけない。で、孫よ、ごめんね。今年はスペインに行けないよ、という話になっている。まあ、仕方がない。

01/16
日曜日。フットボールは通常は日曜にやるので結果がわかるのは月曜日だが、ポストシーズンは土曜日にもやる。で、わたしが支援する最後の望みのピッツバーグ・スティーラーズの試合、朝6時からやっているはず。恵比寿ゼストでパブリックビューなどという情報もあったのだが、まあ、そこまでのファンではない。で、昼過ぎにパソコンをネットにつなぐと、勝っていた。逆転勝ちだし1タッチダウン差の辛勝だった。とにかく勝てばいい。午後7時からのテレビ放送で経過を確認。ポラマルがベストの状態ではないようだ。ロスリスバーガーはほぼ回復している。怪我人が続出しているけれども、他のチームも同様だ。ファルコンズがパッカーズに負けたのには驚いた。『道鏡』は2度目の悪魔祓いのシーンを書き直しているのだが、まあ、少しはよくなったか。ここからの女帝のイメージをしっかりと追いかけていかないといけない。

01/17
自宅で「日刊ゲンダイ」のインタビュー。『新釈白痴』を採り上げていただく。読んでいただけただけでもありがたいことである。まあ、読み始めるとけっこう面白いのではないかと自負しているのだが、19世紀後半のペテルブルグという場所が、一般の読者にはなじみのうすいものだけに、このようにご紹介していただけるのは、ほんとうに嬉しい。夕方はW大学。非常勤9年、専任の客員教授6年、それから著作権のの講座を3年、何と18年も早稲田に関わり続けたのだが、あと1回でおしまいである。M大学の方はまだ続ける。さて、フットボール。昨日のファルコンズの敗戦にも驚いたが、本日はもっと驚き。ペイトリオッツが負けた。わたしはベルチックという監督が好きでもあり嫌いでもあるのだが、とにかく今年はペイトリオッツの優勝だろうと思っていた。それがプレーオフの初戦で負けるというのは、まったく思いもしないことだ。いったい何が起こったのか。ペイトリオッツがプレーオフでジャイアンツに逆転負けしたゲームは、わたしのベストの記憶になっている。今年はペイトリオッツが勝つところを見たくなかったので、スーパーボールの日にスケジュールを入れてしまっているのだが、これは大失敗かもしれない。

01/18
文藝家協会理事会および新年会。軽く飲んだだけ。夜中も仕事をする。『道鏡』前進している。女帝のイメージを強化している。深くなりつつある。

01/19
著団協新年会。和やかな会であった。必要な話はできた。

01/20
M大学。今シーズンも残りが少なくなっていた。宿題の小説がドサッと出た。この感じ、毎度のことなのだけれど、楽しみのような気が重いような。年末に書いた短い原稿のゲラが出たので読み返してみると、訂正が必要が箇所が一つ。この短い期間に一歩前進したところがある。電子書籍がらみの問題。なさねばならぬことがたくさんあって、すべてが並行で進んでいるので、どれもが亀の歩みのように見えるのだが、それでも少しずつは前に進んでいる。

01/21
TTS協議会。視覚障害者のアクセスビリティーのための音訳システム開発のためのプロジェクトチーム。営利を求めるためではなく、世のため人のために協力しようという人々が集まっている。これがすごいところだ。点字図書館をはじめ、社会のためにほとんど無償で貢献しようという人々との多くの出会いは、わたしの人生の財産だと思っている。こういうことにまったく無関心な人には理解しがたいことかもしれないが、こういう人々が確かにいるということが、わたしの人生に元気を与えてくれている。とはいえここは某企業の会議室。技術開発が企業にとっても財産になるという側面もある。営利目的かそうでないかの境目が見えにくいというところが、最先端の技術開発の面白いところだ。

01/22
土曜日。コーラス。このところ飲まない日が多いので酔いの回りが早い。

01/23
日曜日。何もなし。妻と世田谷公園を散歩。

01/24
外字異体字委員会。場所はトッパン印刷。ここは初めての場所。妻に車で送ってもらうと早く着きすぎた。わたしが座長なので内職ができない。必要な話はできたし活発な議論が交わせたので会議としては充実していたが、もともと困難なテーマに挑んでいるので前途多難。解決は至難なのだが、解決しなければならない重要な問題がここにあるということは共通認識として共有できたと思うし、少しずつでも世の中全体にこの問題を波及させていければと思う。この外字異体字の問題が完全クリアーしない限り、電子書籍の普及ということはありえない。
月曜日はフットボールの日。午前中の会議があったので、昼に自宅に戻り、祈りながらネットをつなぐ。期待はピッバーグ・スティーラーズだけ。負けていたら今シーズンのわたしの興味は切れる。だが、勝っていた。よかった。スーパーボウルの対戦相手はグリーンベイ・パッカーズ。第6シードから勝ち上がった勢いのあるチームだが、QBのロジャースは後半に失速したようだから、運も実力も下り坂ではないか。スティーラーズもオフェンスラインのセンターが負傷した。QBに球を出す役目の重要な選手だ。だがスーパーボウルまでに2週間あるので、負傷が回復することもあるし、別の選手でも練習をすれば大丈夫だろう。

01/25
著作権分科会。日本版フェアユースの導入はかなり制限を加えて法改正されることになりそうだ。本日はテレビのクルーも来ていた。著作権者としては拡大解釈のおそれのあるこの改正には反対の立場をとってきたが、利用者の立場を考えると単純に反対を続けるわけにもいかない。今後も権利者を守る法改正を検討していただきたいと発言した上で、今回の改正の意義を認めることとした。こういうものは多数決で決めるものではなく、最後まで反対するということに意味があるわけでもない。午後は歯医者。痛かった。『道鏡』は最初からの読み返しの作業が終わって最終章に突入した。ゴールまで一気に進みたいのだが、ここからがこの作品の山場なので慎重に前進したい。

01/26
休み。『平安朝の悪女たち』の再校が届いた。400年の歴史を語った作品なのでチェック箇所が多く、再校でもまだ疑問点がたくさんある。

01/27
M大学。授業は来週まであるが、いちおう今日でスケジュールを終える。一つのシーズンが終わった。2年生のクラスは来年もまだ続きがあるのだが、3年生とはこれでお別れである。この大学の学生はかなり真面目だ。小説を書くというのは、繊細な感性と同時に図太いエゴイズムが必要なので、どこまで伝えられるかと考えることもあるが、とにかく何か伝わっているという手応えはある。

01/28
午前中に文化庁で会議。午後国会図書館で会議。夜、高校の同窓会。そのあいま、昼は思いつきで銀座三越のテラス。ここはなぜか仕事ができる。午後の会議が早く終わったので、夜の宴会の会場近くの喫茶店。ここでも1時間ほど仕事ができた。自宅ではこれほど集中できない。なぜか。ネットとつながる環境だと気が散るのだ。結論、ネットとつながる端末をもっていると仕事ができない。というか、つねにネットとつながっているとバカになる。

01/29
土曜日。大阪で講演。母校の追手門学院。新しいホールができて、催し物が増えた。これで4回目ではないかと思う。講演のあと関係者と懇親会。気持よく酔って新幹線に乗る。サッカー中継に間に合った。アジアカップの決勝。オーストラリアは難敵だと思われたが、キーパー川島の奇跡的な美技によって得点を防ぎ、延長で代わったばかりの李のボレーシュートが決まって優勝した。

01/30
日曜日。秋の終わり頃に注文したテレビがやっと届いた。3台目の地デジ対応テレビ。1台目はリビングルームにある古いテレビ。まだNHKしか地デジを放送していなかった頃に購入した。民放のBS放送が始まったので購入したのだが、液晶がまだ普及していなかった頃で、昔ながらのブラウン管のテレビだ。2台目は還暦祝いに子どもたちが買ってくれたものでダイニングで見ていたのだが、小さな画面なので、ここに大画面テレビを置くことにした。で、その小さなテレビは、わたしの仕事をする部屋に置くことにした。BSも映らない古いテレビにビデオデッキをつないでBSを見ていたのだが、このビデオも古くて、スイッチを入れてしばらくしないと画像が出てこない欠陥品だった。『道鏡』。ゴールに向かってピッチが上がっている。月末に完成という目標の達成は難しいが、あと数日でゴールインできるのではないかと思う。

01/31
後期1コマだけ担当している早稲田大学文化構想学部の最終講義。とびとびではあるがトータルで18年間関わった母校早稲田大学における最終授業である。専任扱いの客員教授の任期が切れた時に、最終授業という思いがあって、その後もとびとびで大学に通って、ずるずると延ばしてきたのだが、これで完全に縁が切れるだろう。学ぶことの多い仕事であった。貴重な体験になった。その意味では感謝している。まだM大学での講義は続けるので、大学の先生という仕事と縁が切れるわけではない。
浄水器を取り替えた。10年以上使ったものが挙動がおかしくなったので、もっとシンプルなものにかえたいと思ったのだが、水道管のサイズが合わなかったり、けっこうたいへんみたい。おじさんが苦労しているところでこちらは大学に出かけたのだが、帰ってみるとちゃんと取り付けが終わっていた。レバーをひねると水が出る。当たり前のことだが、嬉しい。さて今月も月末になった。『道鏡』まだ完成していないが、ゴールは見えている。ただゴールに到るプロセスで登場人物の心の動きをしっかりフォローしたいのでまだ少し時間が必要だ。今年は1ヶ月が経過した。『道鏡』が完了したら、新書1冊。児童文学。その次が『悪霊』かと考えている。それで1年は終わってしまう。あとは持続的に仕事をしている編集者と次の打ち合わせをして、あまの間を置かないように継続的に計画を立てていきたい。慣れた編集者と長期的展望で仕事をするというのが理想の状態だし、それほど長生きするわけでもないだろうから、いい仕事を集中的に積み上げていきたい。






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