「道鏡」創作ノート5

2011年2月

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02/01
本日は歯医者に行っただけ。痛い、痛い。疲れ果てた。一昨日、大きなテレビが来たのだが、BSが映らないので工事の人に見に来てもらった。壁に設置したアンテナのコンセントが劣化しているとのことで、取り替えてもらった。問題解決。これでダイニングでBSが見られる。『道鏡』、前進している。

02/02
文藝家協会の合同委員会。グーグルの担当者に来てもらって電子書籍配信についてのレクチャーを受ける。出版社がまったく投資をせずに電子書籍配信ができるというのは、すごいビジネスモデルだ。三省デジ懇では、アマゾンやグーグルやマイクロソフトに対抗して国内産業を育成するという視点から議論が進んだのだが、議論しているうちに外国産業の攻勢が進み、結局、黒船の威力に負けてしまうのではないかという危機感を覚える。この議論の中で、グーグル担当者が言った「便利になって何が悪い」という言葉が胸に突き刺さっている。この発言は全面的に正しい。鎖国とか保護貿易といったものに意味も機能もない。便利な方に時代は傾いていく。で、わたしも文学の隆盛を計るためには、便利な方向に突き進むべきだと思っているのだが、文藝家協会という保守的な集団の中で同意を得るのは難しいようだ。『日蓮』を書いていた頃は、熱意をこめて折伏して回ったのだが、いまは『道鏡』なので、ややエゴイスティックに、無駄な努力はしないという方向に傾きつつある自分が不安だ。それでいいのかという思いもあるが、それでいいのだという思いもある。

02/03
M大学。来年度から専任になるので研究室が貰える。その部屋を見せてもらった。前任者がいてまだ本棚にぎっしり本が並んでいる。図書館が狭いので、日本文学科の共有の書籍が各研究室の本棚に並んでいるとのことだが、その本を見ると歴史書がずらっと並んでいる。これは歴史小説を書くわたしとしてはありがたい。そのままの状態でいいということにした。これでは研究費で新たな書籍を買う必要もないし、置く場所もないということになるのだが、まあ、それはあとで考えるとして、この本に囲まれた部屋で仕事ができるというのはありがたい。毎日来て本を読みながら仕事をするということも考えたい。『道鏡』。すごい勢いで進んでいる。ここから断章をコンパクトにして、スピード感を出して一気にエンディングに突入したい。

02/04
歯医者。親知らずを抜いた。この歳になって親知らずか。とにかく抜けた。今週はこれで終わり。

02/05
土曜日。歯医者。昨日親知らずを抜いたところを消毒。昨日は少し痛んだが鎮痛剤と肩こりの貼り薬でしのいだ。回復が少し遅いとのこと。老人だから仕方がない。

02/06
日曜日。まだ歯が痛い。『道鏡』最後の追い込み。だが書けば書くほど書き足りないところが出てきた。まるで蜃気楼のようにゴールにたどりつけない。

02/07
月曜日。今週は仕事を入れていない。本日、簡単な手術。病院に一泊。5章(最終章)のここまで書いたぶんをプリントしてもってきているのでチェック。

02/08
退院。まったく元気だが、簡単なはずの手術が簡単ではなかったようで、もう1回やることになった。わたしは多忙なのでスケジュールの調整が大変だ。とにかく今週は公用はすべてキャンセルしてあるので、この間に『道鏡』を完成させる。

02/09
仕事場に移動。病院では時間があったので、メモ貼にエンディングまでのメモをとる作業と、5章のプリントをチェックする作業を続けてきた。昨日は昼前に自宅に戻れたのでプリントにチェックを入れた部分を入力。メモもかなり入力できた。本日も明け方までがんばって、ゴール寸前のところまできた。

02/10
仕事場の寝室にはカーテンがないので朝になると起きてしまう。昼前についに完成。主な登場人物も整理して、すべて完成。いや、まだ「あとがき」が残っているが、とりあえず担当編集者にメールで送る。本日は木曜日だが、明日は祝日なので、このタイミングで送れば週末に読んでもらえる。実は担当者から、月曜日がリミットと催促されていたのだが、本日送れば週末に読めるので作業に余裕が出るはずだ。完成した感想。540枚になったので、4ヵ月かかったのはいいペースだと思う。エンディングもうまくいった。道鏡のイメージが時に少しぶれるのだが、パターン化すると小説が痩せるので、これくらいぶれた方が面白くなる。善人か悪人か、よくわからないところに奥行きが出る。わたし自身、ピュアな人間なので、よく三田は善人しか書けないと言われる。わたしが目指しているのはピュアな悪人なのだが。今回の道鏡も悪人にはなりきれていない。通説では悪人ということになっているので、ただの悪人にしてしまっては面白くない。ということで、結局はピュアな人物だということをやや強調しながら、それでも少しぶれるという感じで人物像を描いてきた。脇役が活きていると思う。『桓武天皇』では主人公だった山部王が今回も活躍する。和気清麻呂は『空海』にも出てきたおなじみのキャラクター。鑑真もちょこっと出る。藤原百川という人物が今回は活躍する。いい感じで悪人を演じている。脇役が活躍すると話が面白くなる。小規模なポリフォニーだ。歴史小説は必然的にポリフォニーになる。
この仕事場を建ててくれた大工さんが来てしばらく話していく。この仕事場は築30年になる。かなりガタがきている。木造なので耐用年数が来ているのかもしれない。建て替えるほどの気力はないので修理してしのぐしかないが、このところ多忙で仕事場としては機能していない。4月から大学に部屋を貰えることになっているので、そこで仕事できないかとも考えている。といってもここは景色がいいので気分転換にはなる。今回は入院後の1週間は療養せよということなので、療養のために来ているのだが、仕事が完成した。これから数日はほんとうに療養したいと思う。で、大工さんが帰ったあと、妻とドライブ。知らないショッピングセンターがあったので入ってみたが、巨大な施設だった。客は少ない。何か、寂れた感じ。まあ、のんびりと館内を散歩した。

02/11
金曜日だが祝日。雪という予報だったが雨。「あとがき」を書く。これですべての作業が終わった。このノートもタイトルを変えたいのだが、しばらくはこのままで行く。次の大きな仕事を決めていない。今年の後半は『新釈悪霊』と決めている。ウォルインスキーの『偉大なる憤怒の書』を読み返している。訳が埴谷さんなので埴谷節が聞こえてくる。18歳の時に埴谷さんの自宅に行って、5時間くらい話をさせてもらった。あの時の埴谷さんはいまの自分より若かったはずだ。初対面の高校生を相手に5時間もつきあってくれた。いま思えばすごいことだ。埴谷さんはわが姉の舞台を見ていた。姉は『カラマゾフ』のカチェリーナと、『白痴』のナスターシャを演じていたから、埴谷さんにも印象的だったはずで、弟だということで特別扱いしてくれたのだと思う。『新釈白痴』を埴谷さんに見せたかったと思うが、まあ、年齢からして無理だったろう。今年の前半の仕事は当面は『実存から構造へ/大江健三郎と中上健次』としている。軽い新書だ。それでも大切なことを書く。それでまだアキ時間があれば、児童文学をと考えているが、タイトルがまだ決まらない。『雪の王子と命の歌』といったタイトルを考えているのだが、もうちょっとピリッとしたタイトルはないか。タイトルが決まらないと先に進めない。

02/12
土曜日。次男の誕生日なので電話をかける。元気そうだ。仕事が忙しいらしいし幼児が2人いるので家庭もたいへんだろうが励みにもなる。仕事がない人もいる時代だから、仕事が忙しいというのはぜいたくな悩みだ。わたしも仕事が忙しい。ありがたいことだと思う。児童文学のタイトルはシンプルに『雪の王子』にした。これでスッキリした感じになった。この作品は詩を作る王子の話。宮澤賢治の『龍と詩人』がイメージにある。それからワグナーの『マイステルジンガー』のことも念頭にある。詩を詠むことに命をかける。現代ではあまり考えられない設定だが、古代の話だからそれでいいのだ。これは自分のライフワークだと考えているのだが、自信の不安が相半ばしている。半分くらい書いて手応えが出てくるまでは、担当者には言わないでおこう。途中で撤退することも念頭にある。締切なども設定せずにやりたい。

02/13
日曜日。『哲学で解くニッポンの難問』のゲラが届く。コンパクトな本なのですぐにチェック完了。明日、発送する。妻の指示で庭のキイウイの剪定を手伝う。たくさん実がなる楽しみな木なのだが、いささか伸びすぎた。隣の寒桜の幹にも絡みついている。すでに進行している『平安朝の悪女たち』に続いて、『難問』も進行しているので、脱稿したばかりの『道鏡』と併せて、今年はとりあえず3冊の本が出る。ここから先はこれから書くことになる。『実存と構造』は今年中に出るだろうが、児童文学『雪の王子』と、ドストエフスキー第3弾『新釈悪霊』は来年の出版になるだろう。完成するかどうかもわからない。そこで年内にもう1冊くらい本を出せないかと考えている。児童文学もドストエフスキーも、構想を練る時間が必要なので、並行して作業を進められるような軽いもの。まあ、できたら、ということでいい。文庫を出す計画もあるので、何とかなるだろう。作家は本を出さないと生活できない。仕事をしなければ失業者と同じだ。老人なので年金もあるし大学の先生もしているので生活の心配はないが、たえず本が出ていないと作家としてのアイデンティティーがなくなるようで、たえず本の企画のことを考えている。さて、入院のあとの療養ということで仕事場に来たのだが、『道鏡』の仕上げと、ゲラが届いたりしたので、しっかり仕事をしてしまった。あと緊急の仕事としては、M大学の講義要項の締切がある。新年度からはコマ数が増えるので、去年の使い回しができるものの他に、新たに原稿を書く必要がある。W大学は今シーズンで終わった。来シーズンからはM大学に週に2日出講することになる。午前中の授業もあるので生活を朝型にしないといけない。

02/14
月曜日。まだ仕事場で療養中。今日は本当にのんびりとした。妻に頼んでゲラを送り返す。河出の担当者よりメール。送った『道鏡』を週末に読んでよかったとのこと。これで入稿になる。10月から書き始めた。当初は鑑真との対話をファーストショットにする予定だったが、書き出してみるとイメージがうすいのでこれを2章に移し、1章は大仏開眼から書き始めることにした。これがよかったのではないかと思う。開眼会の夜、仲麻呂邸を訪ねて孝謙女帝と対面する。ここから話が始まっていく。手順としてオーソドックスで効果をあげている。山場は悪魔祓いと、戦のシーンだが、戦は直接の目撃ではない。そこで図上演習みたいなことをやってイメージ化した。エンディングが気に入っている。まあ、かなり面白い作品になったのではないかと思う。ゲラを見た『難問』も面白い本になっていると思うのだが、コシマキにかかっているような気もする。『平安朝の悪女たち』は装丁の見本もできているので、こちらの手は完全に離れている。本日は4月から担当する演習のためのテキストを考えた。学生にどんどん本を読ませるというのがコンセプト。といっても量が多すぎても学生が疲れる。前後期で10冊くらいが限度か。入手可能な文庫本であることが条件。アマゾンで調べると、昔、Wでテキストに使っていた本は軒並み品切れになっていた。時代が移り変わっていることを感じた。

02/15
三宿に戻る。M大学のシラバス(講義要項)を作成。新年度は4コマ担当する。いままでの2コマはほぼ使い回しができるが、新たな2コマはまったく新たな授業なので、コンセプトから考えないといけない。W大学でも4コマ担当していた時期が通算6年間あるのだが、昔は通年授業だったから、4コマだけでよかった。いまは前後期制なので8コマ書かないといけないし、16回ぶんの目次みたいなものも必要。これは最近のW大でもうるさくなっていた。文部科学省の通達らしい。授業計画というものを提示しないといけないのだ。しかも休むと必ず補講しないといけない。昔はその場の思いつきで授業をしていたし、皆勤を続ければ最後の2回くらいは休んだものだ。大学の先生も大変な仕事だが、モンスターペアレントにイジメられる小学校の先生よりはましだ。

02/16
書協で図書館関係者と協議。未来の図書館を想定して何が必要かを考えるプロジェクト。緊急の課題ではないがすぐ先に起こるであろう課題を先取りして議論を進め、問題提起をするというのがコンセプトだが、問題があまりに多様なのでいまのところ雲をつかむような話になっている。次回からは図書館側から少し緊急になるかもしれない問題を提起してもらって話を先に進めることにした。ひところよりは少し温かくなった。書協に向かう神楽坂の先を登っていると汗ばむ感じがした。終わって散歩。次の会合は飯田橋なので、1時間ほど空き時間を、飯田橋を中心にぐるぐる回っていたのだが、すると水道橋に出た。昔、勤めていた会社のあるビルの前に出た。何年前だろうと思ったがすぐには計算できない。そこに勤めていた時に次男が生まれたことを思い出した。次男は先週誕生日を迎えて35歳になった。つまり35年前に、わたしが勤めていた会社があった場所だ。会社はその後、青山あたりに引っ越したと聞いた。ビルはそのままそこにあった。最上階には大家さんが住んでいる。会社はそのビルの1階と2階を借りていた。その場所はいまは居酒屋になっていた。その居酒屋の前でしばらく佇んでいた。35年前に、わたしはここにいた。それだけのことだが。1階は1フロア全体が一つの空間になっていた。2階は小部屋に分かれていた。それでは不便だとわたしが言うと、社長が大家さんにかけあって、壁に穴をあけた。あの穴は引っ越す時にどうなったのだろう。
飯田橋に戻って教育NPOとの定期協議。このNPOとは設立時から関わっているが、ついに参加校が400校を越えた。めて゜たいことである。昨年は設立当初からの理事長の酒井さんが亡くなったのだが、NPOそのものはスタッフも増えてさらなる参加校拡大に向けて意欲をもって取り組んでいただいている。終わって軽く飲む、先週の月曜日に簡単な手術をしたが、酒を飲むのはそれ以来。手術から9日目ということになる。一週間もアルコールが入らなかったのは、大人になってから初めてではないか。そういうば大学生の頃に一週間入院したことがある。それ以来だ。帰ってネットでM大学のシラバスをチェック。教科書に指定した文庫本の値段などを確認する。読み返す度に少し書き換えたりもしているのだが、いつかは確定しないといけない。一度、確定のボタンを押すともう直せなくなるので、何だかドキドキするが、自分の仕事に集中するためには大学のことはしばらく忘れていたい。で、8コマすべてに確定ボタンを押す。それだけでかなり疲れた。

02/17
本日から週末まで公用がない。まあ、ここまでは療養中ということなのだが、昨日は酒を少し飲んでとくに問題もなかったので、これで大丈夫だと思う。本日は散歩に出ただけ。いつものコース。北沢川緑道を西に向かい、黒犬と白犬がいつも顔をのぞかせている某有名タレントの家の前を通ってから世田谷代田駅に向けて坂を登り、また下りてきて北沢川を戻る。ほぼ1時間の散歩コース。歩きながら、アイデアがひらめいた。児童文学『雪の王子』について。王子が歩いていると山賊が出てくる。これだけのアイデアだが、実は重要なひらめきだ。『青い目の王子』の時も、散歩の途中でさまざまなアイデアがひらめいた。小説というのはいつもそうなのだが、最初のプランだけではどこが面白いのかわからない。それでもいちおう枠組みを決めてスタートする。何かの拍子にアイデアがひらめいて、少しずつ奥行きが出てくる。これがないと小説は面白くならない。このことを学生にも教えたいと思うのだが、なかなか伝わらない。さて、いまは『雪の王子』と『実存から構造へ』とを並行して考えている。アイデアがひらめくまでには時間がかかるので、しばらくは並行して進めたい。あるところまで行ってから、たぶん『実存』の方を先に片づける。児童文学は時間をかけたい。『実存』が完了したら、児童文学を進めながら『悪霊』の原典を読んで構想を具体的に練り上げたい。
ここで『新釈悪霊』についてコンセプトを書いておく。「小説によるドストエフスキー論」というシリーズの第3弾になる。第1弾の『新釈罪と罰』では物語の視点を変えることで、新たな側面から物語を見ることになった。それで問題の中枢が解き明かせるということを読者に示したかった。『新釈白痴』では創作ノートの中の廃棄されたプランを復元するという試みに挑んだ。うまくいったと思う。廃棄されたプランでは、エゴイストがキリストになるというプロセスがよくわかる。なぜ突然にムイシュキン公爵が出現したのかという謎がこれで解き明かされる。ただしわかってしまうと面白くなくなるということはある。謎は謎のままにしておいた方が魅力的だ。しかしそんなふうにドストエフスキーをありがたがる崇拝者の視点ではなく、ある程度まで解明して、ドストエフスキーの偉大さを正確に認識するということも、21世紀の楽しみ方ではないかとわたしは考えている。わかりやすくて楽しいというのが、21世紀の文学の楽しみ方ではないだろうか。で、第3弾は『悪霊』の謎を解く。謎を解く鍵は簡単だ。原典では主人公ニコライが故郷に帰ってくるところから物語は始まる。ここには前史がある。主要登場人物の4人は、ペテルブルグの大学で知り合った。その4人がニコライの故郷で再会することになる。登場人物のセリフによって前史となっているペテルブルグでの物語が少しずつ明らかにされるのだが、全貌は最後まで見えない。そこに謎めいた魅力があるのだが、わたしの今回の試みは前史を書くことにある。原典で暗示されている物語を復元して前史を語り、原典で描かれている物語は最後にエピローグとしてダイジェストして結びとする。最後を飾る『新釈カラマーゾフの兄弟』はその逆で、原典の続篇を書けばいい。これは簡単で、原典そのものが、『偉大なる罪人の生涯』という大長篇の全篇として構想されたものだから、創作ノートや原典の内容から想像のつく後篇を書けばいいのだ。わたしは楽観している。『罪と罰』でも『白痴』でも、ドストエフスキーの霊が降りてきたすらすらと書けた。書き始めたら、あとは憑依したドストエフスキーに任せておけば、知らない間に作品が完成している。考えてみれば『道鏡』もついの間にか完成していた。主人公の道鏡だけでなく、鑑真とか、桓武天皇とか、和気清麻呂とかも、まるで実在の人物のように目の前にうかびあがった。目の前にあるものをそのまま書くだけで作品が完成した。小説を書くという作業はそういうもので、それほど難しいことではないのだ。『雪の王子』もあと少し書くと、ヒマラヤの山嶺が目の前にうかびあがり、主人公がひとりでに動き始める。その瞬間が来るのをいまは楽しみに待っているという段階だ。

02/18
歯医者。1時間ほどかかった。この前に親知らずを抜いて以来だが、親知らずを抜いたのは隣の歯の治療のため。その隣の歯、なかなかの難敵のようで、1時間かかってようやく削り終わった。型をとって、次回に歯が入る。またお金をとられる。昨年の夏頃、差し歯が抜けたのが始まりだったが、一度歯医者にかかるとなかなか抜け出せない。その間にひげ剃りが壊れたり、浄水器を入れ替えたり、テレビの配線を直したりと、何かと物入りであった。簡単な手術をしたがもう1回必要と言われたり、何かそういう巡り合わせのようだ。

02/19
土曜日。コーラス。八王子に出かけていく。出かける前に自宅で少し練習する。秋に発表会があり、オリジナルの作品3曲を練習している。知らない曲なので、事前に練習しておいた方がいい。いまはスペインにいる長男のレッスンルーム。もとはわたしの書斎だったのだが、改装して防音材を入れ、スタインウェイが入っている。長男はヤマハのグランドピアノももっていて、2台並んでいたのだが、ヤマハの方はベルギーに送り、そのまま息子とともにスペインに渡った。浜松の工場で息子が選んだピアノで、八王子から三宿、ベルギー、スペインと実に長い旅をした。スタインウェイを送ろうかとも思ったのだが、日本人だからヤマハをもっていくべきだという感じがしたのだ。で、残ったスタインウェイで音をとりながら歌ってみる。意外にいい声だと自画自賛。防音室なので思いきり声が出せる。で、練習に出かける。練習してあるので音をはずすことはない。気持ち良く歌えた。その後、飲み会。今日から、妻がいない。老父母の介護で実家に戻った。一人でいると、のんびりする。

02/20
日曜日。秋に早稲田でやった1回きりの電子書籍についての講義の速記をチェックする。ジャスラックの寄付口座みたいなもので、一昨年もやって、本に収録されている。今回は2回目なので手慣れた作業だ。が、自分のしゃべったことを読み返すのは精神的に疲れるし、しゃべり言葉は不完全なので、修正に手間がかかった。とにかく終わったので、通常の作業に戻れる。少し手がすいたので名刺を作った。いつも頼んでいた文房具屋が閉店したので、自分で名刺を作るようになった。ファイルが保存されているのでプリントするだけでいい。プリントはすぐにできるのだが、カードをばらすのが大変。メンデルスゾーン協会でチケットを印刷する時も、このカードをばらす作業が必要になるが、名刺は枚数が多いのでたいへんだ。こんな作業でも少しやっているうちに習熟してくる。さて、そろそろ『実存から構造へ』を動かしてみたくなった。水曜日に担当者と打ち合わせをするのだが、それまでに少し手応えを得ておきたい。

02/21
先週は公用が1日だけだったが、今週はハードで月曜から土曜までぎっしりスケジュールがつまっている。大学が休みのこの時期にぎっしりつまってしまうというのはどういうことか。年度末に向けて短期的な協議会が多いからか。本日は国会図書館だが、主催は三菱総研。アーカイブされた蔵書の版面をOCRソフトでテキスト文書にした上で読み上げソフトで音声化するというもの。どちらのソフトも第二水準の漢字までしか対応できないというところがネックだと考えていたが、本日は実証実験の成果を実際にパソコンで体験させてもらった。人間の校正者がチェックしているので、漢字も正しいものに直っている。旧字も旧仮名も正確にテキスト化されている。まだ校正ミスはあるものの、かなり使いやすいものになっている。ただテキスト化をパーフェクトにやると読み上げソフトが対応できなくなるのではと心配になるし、結局、人海戦術でやるしかないということになると、軽費がかかりすぎる。無償ボランティアにやってもらうということも考えるべきだが、ただで働く人がそれほどいるのか。時給500円で働いてくれるパソコンが使える高齢者……、そんな人が何千人もいるとは思えないが、ピラミッド造り(まさに知のピラミッド)にも匹敵する公共性の高い大きな事業に晩年を捧げるというのも、充実した人生の締めくくりになるのではないか。
今日もまだ妻がいない。冷蔵庫の中に残りものがあってそればかり食べている。手術の前後から食欲がなくなっている。酒を飲まなくなったせいだ。あと5年ほどは生きていたい。ドストエフスキーはあと2冊書けばいいだけだが、児童文学と歴史小説は先が長い。その児童文学だが、仏教でもう1冊書くということに、迷いが出てきた。こちらの書きたいというモチベーションは強いのだが、読者が読みたいと思ってくれるかどうか。ドストエフスキーの方はこちらのモチベーションだけで押し切っているので、児童文学は読者に歩み寄った方がいいのではという気もする。日本神話の方が冒険の要素が強くなる。まだしばらくは迷ってみたい。『実存から構造へ』の「まえがき」もそういう点ではモチベーションが強すぎる。少しトーンを下げた方がいいだろう。トーンが高いと読者が引いてしまう。難しい時代になったものだ。しかしアラブ諸国では革命が起きている。若者たちが熱い。日本の若者たちももっと熱くなってほしい。

02/22
品川の日立コンサルトでTTSの委員会。昨日の会議と似たような趣旨のプロジェクト。昨日のは画像はテキスト文書にしてから読み上げるというもの。今日のはテキスト文書の電子書籍を読み上げるというもので、こちらにの方が手順が少ないのでハードルが低そうに思えるのだが、画像をテキスト文書にする時に人海戦術でパーフェクトなテキスト文書にできれば、読み上げは容易になる。現在の電子書籍はフォーマットが統一されておらず外字が入っている場合もあり、TTSエンジンだけでは充分な読み上げができない。結局、人間が手を加えないといけないが、こちらは出版社が営利目的で販売する電子書籍なので、国会図書館のような人海戦術はできないだろう。ハードルが低いと思えたものの方が難しくなるかもしれない。ともあれ、本をロボットが読むという新しい試みに少しずつ近づきつつある現場に接していられるのは、なかなか楽しい体験だ。

02/23
病院へ行く。前回の手術の結果を聞く。とくに問題なし。次回の手術の説明を聞く。とくに問題なし。手術は手術する人に任せるしかない。午後、『実存から構造へ』の担当者と自宅で打ち合わせ。こちらの構想を話す。他の仕事の話もする。編集者がいるので仕事ができる。こちらは構想を述べ、実際に仕事をし、あとは編集者に任せるしかない。こうやって編集者がいて仕事ができるのはありがたい。このところ自宅のダイニングルームで仕事をしている。妻と二人きりの生活をしているので、一箇所にいれば暖房の効率がいいい。季節のよい時は、リビングルームに移動したり、自分の作業場にこもったりもするのだが。今年は寒い日が続く。まだしばらくはこの状態だ。こんなにダイニングルームに居座っているのは今年が初めてだ。この部屋のテレビを大きくしたのと、アンテナ線のジャックを修理して衛星放送が見られるようになったせいかもしれない。

02/24
凸版印刷で外字異体字の研究会。この問題を解決しなければ電子書籍に未来はないとわたし一人で主張しつづけているテーマ。経済産業省がわずかな研究調査のための費用を出してくれて凸版印刷が請負い、わたしが座長になって3回だけ会議を開くという試みの2回目。このインターバルの間にスタッフが調査してくれて、わが国における漢字使用の現況がわかった。広辞苑が2万字弱。大漢和辞典が5万字、今昔文字鏡やトロンはもっとあるが、最低5万字、できれば10万字ほしい。広辞苑だけなら2万字あればいい。5000円の電子辞書にも広辞苑は入っていて第四水準までの文字が表示できるのだから、パソコンなら5万字はほしい。というようなことは夢のような希望だと思っていたのだが、凸版さんに集めていただいたメンバーはそれぞれに熱意と見識をもった人々で、議論が白熱した。見識をもった人々と話すのは楽しい。何となく方向性と希望が見えてきた気がする。このメンバーが日本の電子書籍の基礎を築くのだという実感をもった。
午前中の会議が終わり、次は午後3時からの寺島アキ子さんを偲ぶ会。自宅に帰るほどではないので、飯田橋界隈を散歩する。歩いているうちに小川町まで来る。次の会場の東京会館は、ここから地下鉄に乗るのが最短。と思っていたらルノワールがあったので入る。昼食を食べるほどの食欲はないが、何か胃に入れておいた方がいいので、チーズケーキとコーヒー。1時間ほど『実存』のメモをとる。それから東京会館。寺島アキ子さんは日本脚本家連名の大御所。著作権の牢名主のような人。わたしはいろいろとお世話になった。ものすごい人数の人々が集まっていた。偲ぶ会なのでしめやかにやるのかと思ったら、酒と料理が用意されていた。このところ酒は断っているのだが、故人を偲んでウイスキーを2杯飲む。著作権関係のいつものメンバーと会って近況報告。午前中の会議のある日は疲れる。

02/25
本日の仕事は宴会だけ。貸与権センターの理事会兼懇親会。わたしは設立の時から「顧問」ということになっているのだが、ふだんの理事会には出ない。時々開かれるパーティーに出るだけで、顧問として何かをしているわけではないのだが、このセンターも仕事が軌道に乗って、理事と顧問を増員することになったそうで、まあ、慰労会のようなものだろう。大手出版社の社長が並んでいるめったにない機会なので、電子書籍がらみでわたしが体験していることを報告したり、著作権問題について提言したいという思いがあったが、そういう話に水を向けるのは難しいかとも思っていた。が、同席された里中さんが最初に問題提起をされたので、話題がそちらの方に向いていき、その流れにのってこちらも発言できたので、有意義な会となった。こちらの提言に関心をもっていただいた某社の社長とは二次会にずれこんで議論をすることとなった。本日の仕事はこれだけ。『平安朝の悪女たち』の見本届く。表紙が楽しくいいパッケージになっている。組みもいいし系図が入っているところが息抜きになる。まあ、わかりやすい読み物になっていると思う。

02/26
江戸川区で講演。江戸川区へ行くのはこれで2度目。新小岩まで迎えに来ていただくという手順も2回目なので慣れている。帰りは駅まで歩いてみた。それほどの距離ではない。前回は錦糸町で半蔵門線に乗り換えたのだが、今回は東京駅まで行ってみた。この電車で東京まで行くのは初めてかもしれない。

02/27
日曜日。今週は土曜も仕事があったので、ようやく休み。ハードな一週間だった。しかしこの間に、少しずつ問題が解決する方向に進みつつある。『実存から構造へ』序章のところで行きづまっていたのだが、序章をカットして第1章に入ることにした。第1章は少し書き始めていて、いきなりパスカルの話から始まるので、少し実存についての説明が必要かと思ったのだが、こういう細かい説明はなるべくカットした方が流れがよくなる。読者は実存主義を勉強するつもりはないはず。解説ならネットを見ればわかる。ドラマが必要なのだ。小説のように話を展開しないと面白くならない。ということで、いきなりパスカルの話から始めることにした(パスカルの前にガリレオも出てくるのだが)。

02/28
月曜日。歯医者に行って、メンデルスゾーン協会の運営委員会。それで今月も終わった。今月は簡単な手術などもあったが、年度末の会議が多く、多忙であった。2つの大学の成績入力と、『道鏡』の完成など、なすべきことを果たした。さて、これから先のことだが、今年の仕事の中心は『新釈悪霊』である。来月からはそのためのノートを開始するが、まだ助走という感じなので、しばらくは他の仕事をする。『道鏡』を仕上げたあと、少し気が抜けて『実存から構造へ』は試行錯誤が続いているが、昨日あたりからエンジンがかかってきた。このまま2カ月くらいで仕上げ、その間に、『悪霊』の準備もする。そんな感じで、このノートは閉じたい。とにかく『道鏡』は終わった。心残りのようなものはない。主人公のイメージがぶれているのだが、それは承知で書いている。道鏡という人物がピュアな魂をもっていることは確かだが、野心をもっていた側面もある。それがちらちらとのぞけるように書いたので、イメージが揺れている。それが道鏡という個性の面白さだろう。ということで、ゲラで読み返しても大きな直しはないだろう。ゲラでは単純なミスのようなものを見つけて修正するにとどめる。いい作品になったと自負している。


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