ご案内 | この城は私を中世城館の楽しみへと誘ってくれた思い入れ深い城で、多くのみなさんにも見に来ていただきたいと思っています。『埋もれた古城』の越後ノ丸さんその他の方々が各人のページ上で素敵な紹介をされているので、私は地元民としての地の利を活かして少し違った角度からこの城を紹介しようと思います。城域は30町歩(約30ha)と広いですから、機会があれば二度三度とお越しになって本丸(城山公園)、二の丸以外の遺構も見て下さい。薮の中に中世がそのまま眠っています。 |
本丸と二の丸間の堀 |
[資料] (1)概略 木原城について (2)古絵図 近世末期天領検地絵図 (『美浦村誌』口絵より) (3)年表 江戸崎土岐氏年表 (4)伝承 美浦村周辺に残る伝承 (5)木原城討論会 木原城の謎に関するログ [所在地] 稲敷郡美浦村木原。本丸部分は城山公園として整備されている。その他、二の丸は畑地、三の丸は木原小学校および宅地、大手郭は個人宅、寺郭は永厳寺、さらに南の森の中には巨大な二重掘や出丸、物見台などが残っている。 [参考書] 『美浦村誌』、『御茶園遺跡』、『木原城記』(美浦村史研究創刊号)、『木原城址IおよびII』、『美浦の文化財』(以上、美浦村の出版物)、『図説茨城の城郭』 |
木原城縄張復元図 下図をクリックすると拡大します |
[写真] 見出しの番号は左の縄張図の番号と対応します 1本丸 もとは枡形になっていたと思われる本丸大手側虎口 土塁解説 本丸土塁、幅広の馬踏 本丸内からは縄文以来各時代の遺構が出土している 西方、眼下にきぜ郭(帯郭)、根堀跡、1km先に舟子城を望む 搦手側土塁 搦手側土塁上から本丸内を見渡す 北側から稲荷郭を見上げる 駐車場脇の窪みは武器などを放り込んだ「納め井戸」といわれる 2二の丸 本丸土塁上から二の丸を臨む 二の丸北側に残る水堀 本丸と二の丸間の堀(稲荷郭の下) 3三の丸 二の丸と三の丸間の空堀は木原小学校通学路 県道美浦栄線が通る南虎口の現況 藪の中には遺構がしっかり残っています 4大手郭 大手虎口 5寺郭 寺郭には木原城主近藤氏菩提寺曹洞宗永厳寺がある 境内片隅にある近藤氏の墓石・供養塔七基 永厳寺に伝わる近藤氏の木造 [掲載を許可して下さった永厳寺さん、ありがとうございます] 6出丸 神田畝堀を土塁上から見る 畝 出丸の東側にある清月二重堀虎口付近(ムービー) [QuickTimeムービーなので重いです(約630KBでわずか9秒)] 清月二重堀は今も泥田堀 7物見砦 あるいは木原旧館 慈眼院普賢菩薩堂周囲には台郭の遺構と思われる土塁が残る 台と呼ばれる物見砦西側地区もかつては郭だったといわれる |