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大曲ルート・・・2
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大曲ルートの中間部から下部の道跡は尾根の頂上部を通らずに、尾根の頂上部からやや南側に逸れて道跡が残っていました。その道跡には古代官道をうかがわせるような様子は得られません。地元の人が話すように、かってこの尾根に畑が多く存在したというのであれば、この尾根の道跡は畑への農道か山道で、古道では無い可能性も考えられます。 |
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これも地元の人に聞いた話しなのですが、大曲ルートの途中には以前に火葬場があったそうです。火葬場といっても現在のものとは違い、焚き火で焼いた火葬場であったようです。昔は人が亡くなると大曲ルートへ担ぎ上げ、一晩かけて火葬にしたのだといいます。日本の民族学に「山中他界」というのがあり、死者の霊は高い山に集まるという信仰がありました。この大曲ルートに火葬場の施設があったとすれば、山の上ということから何らかの意味で古道との関係があったのかも知れません。 |
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大曲ルートの掘割道
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ここで気分転換に、有名な『万葉集』の足柄の防人歌を紹介します。
巻20-4423 足柄のみ坂に立って袖を振ったら、家にいる妻は、はっきり見てくれるであろうか。 巻20-4424 色濃くあなたの衣を染めておけばよかった。足柄の御坂を越えさせていただく時、あなたが袖振る姿がはっきり見られたであろうに。 |
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この二つの歌は防人として足柄の御坂を越える夫と、それを見送る妻の歌です。夫の名は藤原部等母麻呂(ふぢはらべのともまろ)といい、埼玉郡上丁(現在の埼玉県東端部で上丁は壮丁のこと)の人です。妻は物部刀自売(もののべのとじめ)といいます。当時は夫婦の苗字は異なっていたようです。「袖振る」とはその当時では、その場所に魂を留めることと、遠くから魂を招く二通りの意味があったようです。もちろん足柄峠から袖を振っても埼玉にいる妻には見えるわけはありませんが、この両歌は鎮魂・招魂の信仰的な立場で歌われたものです。現代人が別れのときに手を振り合うのは古代人の袖振り儀礼の名残だともいわれています。 |
大曲ルートも石尊松からだいぶ下って来て、そろそろ麓の気配も感じられてきた付近に、右手へ分岐する道があり、そのところの崩れた山側の地層に硬化層に似たものを発見しました。地山層とは明らかに違う灰色の大変に硬い土が見られます。ホームページ作者が各地の道路遺構で見てきているものと似ていて、思わず足を止めて観察をしてしまいました。考古学は素人なもので、これが道路遺構であるとは説明できるものではありませんが、それに似たものが大曲ルートにも一部ですが見られたことをお伝えしたかったのです。ただこの地層が仮に道路遺構だとすると現在残る道跡よりも、かなり高い位置に道があったと考えられ、現在見られる掘割道は本物の古道とは違うものということになりそうです。 | ![]() |
硬化層に似た地層があるところから右手に分岐する道は何処へ向かうのか探索してみることにしました。この道を進んでいくと、やがて向方ルート(沢沿いの道)に出ることがわかりました。分岐したこの道の途中に平場が連続してあり、一段上った平場の端には右の写真の神社祠があります。この付近の平場は地元の人がいう畑の跡なのかはわかりません。この祠は何をお祀りしているのか地元の人に聞いてみたところ知らない方が多く、ある人はお稲荷様だといわれましたが、正確には確認できませんでした。 | ![]() |
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道跡が分岐したところまで引き返し、尾根上の掘割道なりに直進すると、そこは麓へ下る急坂になっていました。掘割は深くV字状になり、また、かなり流出が激しいものと思われ、雨が降るとこの掘割道は川のようになるのではないかと想像されます。掘割底も人が一人、やっと通れるほどの狭さでっす。 |
かなり荒れ果てた道跡なので、ここがほんらいの大曲ルートでよいのか不安にもなってきました。木の枝や枯れ葉が道底を覆いつくし、足場は不安定で大変歩きずらいところです。現在ではこの道を人が通ることは少ないものと思われます。
下の写真は大曲ルートに残る道跡を麓へ下りたところで、ご覧のような小さな神社が建っていました。下りた付近は古地蔵(宝鏡路旧地)と呼ばれる辺りで、地蔵堂川が渓谷地帯に入る手前でもあります。 |
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さて写真の神社は何をお祀りしているのかと地元の方に尋ねてみると「おくまんさま」という答えが返ってきました。「おくまんさま」はどんな神様かと資料で調べてみると、熊野神社ではないかと思われます。地蔵堂川沿いは昔から修験者の修行の場所とされてきたようですから、ここに熊野神社があることから、この辺りが修験者の拠点であったのかも知れません。 ところで大正時代の地形図を見てみると、大曲ルートの尾根道はこの神社の前に下ってはいなく、現在の神田橋の前辺りへ下っていたのでした。 |
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足柄峠の古道探索 足柄峠西坂地図 |
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