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番外編−交響曲第7番ハ長調 op.60 「レニングラード市に捧ぐ」
last updated: 2002.8.25

第一楽章 第ニ楽章 第三楽章 第四楽章

このページは、2000年春あるMLに、“21世紀にはずっと演奏頻度が上がるであろう曲”として書いたメッセージをweb用に整理したもの。

この曲の人気(演奏頻度)が上がるであろう理由

作曲の背景

プラウダ紙による批判とジダーノフ批判の間の時期に作曲。交響曲第五番の成功でとりあえず窮地をかわしたものの、当局の公式評価はまだで、その後の第六番は不評だった。ピアノ五重奏曲のスターリン賞第一位で少し安心した後の作品。

スターリンが戦争で忙しく、音楽は後回しになったので多少気が楽になっていたはず。社会主義国家において悲劇はありえないはずとされ、悲劇的作品を書き難かったのが、戦争さえ題材にすれば悲劇も許されるという、戦争によって心の自由が増す皮肉な時代でもあった。そんな中、レニングラードで空襲や食糧難の中で書きはじめられた。

関連略年表

出来事 創作活動
1938 息子マクシム誕生 交響曲第6番ロ短調op.54
1939 レニングラード音楽院教授
レニングラード市議会議員候補に推薦される
ボリス・ゴドゥノフの管弦楽編曲(op.58)
1940 労働赤旗勲章受賞 ピアノ五重奏曲ト短調op.57
劇音楽「リア王」op.58a
映画音楽「コルジーンキナの出来事」op.59
1941 3.16 スターリン賞第一位(ピアノ五重奏曲)
6.22 ヒトラーのソ連侵攻開始(サッカーの試合が中止になる)
8.29 最後の鉄道が切断され、脱出が困難になる。(900日に及ぶ包囲戦の開始)
9.4 レニングラードへの砲撃開始
9.25 35才の誕生日
10.1 防衛本部によりモスクワに(軍用機で)強制疎開
10.15 さらにクーイヴィシェフに疎開
7月末 作曲に着手(構想は5月という説もある)
9.3 第一楽章完成
9.17 第二楽章完成
レニングラード・ラジオでこの曲の話をする。
(アシュケナージのCDでそのときの録音が聞ける。)
9.29 第三楽章完成
12.27 全曲完成
1942 3.5 クーイヴィシェフで初演(ソ連国内と英米に中継)
3.6 プラウダ紙で絶賛「ソヴィエト芸術の偉大なる日」
3.29/30 モスクワで演奏会
3.30 プラウダ紙他で大絶賛(註1)
6.22 イギリスで初演(放送)
7.19 アメリカで初演(放送)(註2) 
8.9 レニングラードで初演(註3)
 
1944 1月 レニングラード解放  

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