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このページは、2000年春あるMLに、“21世紀にはずっと演奏頻度が上がるであろう曲”として書いたメッセージをweb用に整理したもの。
この曲の人気(演奏頻度)が上がるであろう理由
作曲の背景 |
プラウダ紙による批判とジダーノフ批判の間の時期に作曲。交響曲第五番の成功でとりあえず窮地をかわしたものの、当局の公式評価はまだで、その後の第六番は不評だった。ピアノ五重奏曲のスターリン賞第一位で少し安心した後の作品。
スターリンが戦争で忙しく、音楽は後回しになったので多少気が楽になっていたはず。社会主義国家において悲劇はありえないはずとされ、悲劇的作品を書き難かったのが、戦争さえ題材にすれば悲劇も許されるという、戦争によって心の自由が増す皮肉な時代でもあった。そんな中、レニングラードで空襲や食糧難の中で書きはじめられた。
関連略年表
年 | 出来事 | 創作活動 |
1938 | 息子マクシム誕生 | 交響曲第6番ロ短調op.54 |
1939 | レニングラード音楽院教授 レニングラード市議会議員候補に推薦される |
ボリス・ゴドゥノフの管弦楽編曲(op.58) |
1940 | 労働赤旗勲章受賞 | ピアノ五重奏曲ト短調op.57 劇音楽「リア王」op.58a 映画音楽「コルジーンキナの出来事」op.59 |
1941 | 3.16 スターリン賞第一位(ピアノ五重奏曲) 6.22 ヒトラーのソ連侵攻開始(サッカーの試合が中止になる) 8.29 最後の鉄道が切断され、脱出が困難になる。(900日に及ぶ包囲戦の開始) 9.4 レニングラードへの砲撃開始 9.25 35才の誕生日 10.1 防衛本部によりモスクワに(軍用機で)強制疎開 10.15 さらにクーイヴィシェフに疎開 |
7月末 作曲に着手(構想は5月という説もある) 9.3 第一楽章完成 9.17 第二楽章完成 レニングラード・ラジオでこの曲の話をする。 (アシュケナージのCDでそのときの録音が聞ける。) 9.29 第三楽章完成 12.27 全曲完成 |
1942 | 3.5 クーイヴィシェフで初演(ソ連国内と英米に中継) 3.6 プラウダ紙で絶賛「ソヴィエト芸術の偉大なる日」 3.29/30 モスクワで演奏会 3.30 プラウダ紙他で大絶賛(註1) 6.22 イギリスで初演(放送) 7.19 アメリカで初演(放送)(註2) 8.9 レニングラードで初演(註3) |
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1944 | 1月 レニングラード解放 |
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