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番外編−交響曲第7番ハ長調 op.60 「レニングラード市に捧ぐ」
last updated: 2002.8.25

交響曲第7番概説 ▼第二楽章

第一楽章概説

●形式=破壊されたソナタ形式

限り無く反則(反則が言い過ぎだとしてもほとんど一発ネタ)に近い構成だと思う。すなわち、ソナタと見せかけてそれを破壊する。

呈示部

堂々とした第一主題に続いて、穏やかな第二主題が提示されるところまでは、全く普通のソナタ形式だが、展開部となるべきところに、全然別のテーマに基づく変奏曲が割りこむ。(ハムサンドだと思って噛み付いたら飴玉が挟まっていた、みたいな感じ。SBC同音反復が含まれるこの旋律は、最初聞いたとき、妙に人をばかにしたように響いた。 )

それを(ボレロのように)オーケストレーションだけ変えてひたすらくり返す。最初は音が小さいので 「妙な旋律じゃなぁ」くらいに思っていると、そのうち耳も慣れて(交響曲の途中だということも忘れ)自分でも頭の中で(CMに使用されて以来「ちーちん ぷぃぷぃ」と)くり返すようになる。が、さらにだんだんうるさくなってきて、しまいには「やめてくれ〜!」といいたくなるような、「時計仕掛けのオレンジ」を思い出させる暴力音楽。 音楽でこれほどみごとに暴力の内面を描いたものは他にないだろう。そういう変奏曲で、りっぱなソナタとして始まった第一楽章はずたずたにされてしまう。

中間部

この中間部では、終始一貫して小太鼓の軍隊調リズムがくり返される。それが、単に戦争を意味する のか、別の意味−(インバルのいうような)第四番以降で要所に現れる「党官僚の象徴」等−なのか?「ちーちん ぷぃぷぃ」のリズムが、ものすごく耳につくので執拗にくり返しているように聞こえるが、「ぷぃぷぃ」が8回含まれる20小節あまりの旋律を12回繰りかえしている。

いわゆる「侵入」の動機

mid
  • 1回目  ピアニッシモで、小太鼓のリズムだけではじまり、第一バイオリンが普通に演奏、第二バイオリンはコル・レーニョ(弓の木の方で弦をたたく)、ヴィオラがピチカート(指で弦をはじく)。最近のCDはダイナミック・レンジを広くとっているので、まともな音響装置でないと聞き取れないことがある。
  • 2〜4回目  チェロのドローンのついたフルートのソロ。そこにピッコロが加わり、オーボエとファゴットの掛け合いにかわる。
  • 5〜12回目  ショスタコーヴィチの楽器=ピアノがリズム楽器として入り、旋律が金管に移る。8回目にティンパニ、9回目に木琴が入るともういけない。別働隊のホルンまで旋律に加わる。10回目には弦と木管はだだ悲鳴をあげ、11回目は逆に金管に脅迫されて必死で旋律を演奏。ちゃんとした旋律が演奏されるのは12回目が最後。

13回目以降 しだいにグロテスクな姿になっていき、15回(?...もう数を数えるのが難しい)目には金管のfrullato(ブルブルと震わす)に続いてお得意の木管の速いパッセージが吹き荒れる。限界に達した所でソナタの第一主題が(ハ長調ではなく)ハ短調で総奏で現れるが、それも嵐の中に飲み込まれてしまう。 全てが散り散りになって消えていき、最後は弱々しい木管...フルート、オーボエ、またフルート、そしてクラリネットに引き継がれ、ファゴットの長いモノローグになる。(僕はショスタコーヴィチの弓形形式の楽章の最後にあらわれるファゴットのモノローグで、たいていいつも黒沢の「乱」、あるいはコージンツェフの「リア王」のラスト近くのような光景を思いうかべてしまう。)

再現部 第一主題は冒頭とは対照的に静かに短調で現れ、第二主題は弱音器がついて遠い回想のように響く。 コーダで再び小太鼓のリズムが(ピアニッシモで)戻り、弱音器つきのトランペットで「ちーちん ぷぃぷぃ」が(遠くに)聞こえ短く終わる。

●引用

この曲の初演は反ファシズムの象徴としてアメリカ全土でラジオ放送された。亡命中のバルトークがこれを聴き、管弦楽のための協奏曲(1943年)の第四楽章 「中断された間奏曲(Intermezzo Interrotto )」で引用する。直前の美しいメロディーを邪魔する形で挿入し、直後には金管楽器で笑いが入る。 熱烈なショスタコーヴィチ支持者であった(当時彼の庇護者でもあった)指揮者のクーセヴィツキーに向けてのなんらかのメッセージが込められているものと思われる。

バルトークが引用した部分は、(バルトークと同じハンガリーの作曲家)レハール の「メリー・ウィドウ」にでてくる旋律(註1)でもあったため、いろんな想像を楽しむことができる。 註1:秘書のダニロという人物が、「マキシム」という店で夜通し遊ぼうと歌う場面。この歌のくり返し部分「彼女達は親愛な祖国を忘れさせてくれる」という歌詞。

  1. (当時ハンガリーはドイツの一部であり)ヒトラーが「メリー・ウィドウ」が大好きだったから。
  2. 5月末から疎開のため一時的に離れて暮らしていた(週末毎に合いに行っていた)当時2才の息子マキシムのことを考えていたから。
  3. 人々の苦しみをよそに、祖国を忘れて遊ぶ党の官僚批判。

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