遍昭 へんじょう 弘仁七〜寛平二(816-890) 俗名:良岑宗貞 号:花山僧正

桓武天皇の孫。大納言良岑朝臣安世の八男。素性法師は在俗時にもうけた息子。名は遍照とも書かれる。
承和十二年(845)、従五位下に叙せられ、左兵衛佐となる。蔵人・左近少将等を経て、嘉祥二年(849)、蔵人頭の要職に就く。翌三年正月、従五位上に叙されたが、同年三月二十一日、寵遇を受けた仁明天皇が崩御すると、装束司の任を果たさず出家した。この時三十五歳。比叡山に入り、慈覚大師円仁より菩薩戒を受け、台密の修行に励む。貞観十年(868)に創建された花山寺(元慶寺)の座主となる。また、貞観十一年(869)に仁明天皇の皇子常康親王より譲り受けた雲林院をその別院とした。元慶三年(879)、権僧正。仁和元年(885)十月、僧正。同年十二月、七十の賀を光孝天皇より受ける。寛平二年正月十九日、七十五歳で死去。花山(かざん)僧正の称がある。
六歌仙三十六歌仙。後世の他撰家集『遍昭集』がある。惟喬親王小野小町と歌を贈答している。古今集に十七首、勅撰集入集歌は計三十六首(連歌一首含む)。
付録:西本願寺本『遍昭集』全首

  5首  1首  4首  1首  2首  13首 計26首

西大寺のほとりの柳をよめる

浅みどり糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か(古今27)

【通釈】浅緑の糸を縒り合わせて、白露を数珠として貫いた春の柳であるなあ。

【語釈】◇糸よりかけて 糸を縒り合わせて。春風に揺れる枝が絡まりあった様。

【補記】詞書の「西大寺」は奈良のでなく、平安京羅城門の西にあった寺。朱雀大路を挟んで東寺に相対していた。その寺のほとりの柳を詠んだという歌である。春雨がやんだあとの景だろうか、枝垂れ柳の若枝にいくつも付いた露を、緒で貫いた宝珠に喩えている。詞書から、歌に釈教的な寓意を探る解釈もあるが、穿ち過ぎだろう。はなやかな都を背景とした属目の詠であること、また数珠と寺という取り合せの面白さを考慮に入れる程度でよいと思われる。

【他出】遍昭集、新撰和歌、和歌一字抄、秀歌大躰、桐火桶、歌林良材

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
浅緑染めかけたりと見るまでに春の柳は萌えにけるかも
  伝大伴家持「家持集」
青柳の糸よりかけて春風のみだれぬさきに見む人もがな

【主な派生歌】
あさみどり露の玉のをぬきもあへず柳のいとに春雨ぞふる(藤原定家)
あさみどり玉ぬきみだる青柳の枝もとををに春雨ぞふる(〃[続千載])
浅みどり柳の枝のかたいともてぬきたる玉の春のあさ露(藤原為家[玉葉])
今よりはみどり色そふ青柳の糸よりかけて春雨ぞふる(正徹)
露の色を玉にもぬける青柳の枝をもうつす花の匂に(後柏原天皇)
こぼさじと月かげながら白露を玉にもぬけるいとすすきかな(木下長嘯子)

春の歌とてよめる

花の色は霞にこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山風(古今91)

【通釈】花の色は霞にこめて見せなくとも、せめて香だけは盗んで運んでくれ、春の山風よ。

【補記】古今集の作者名は「よしみねのむねさだ」と在俗時の名を記しているので、若年期の作であろう。詞書からすると題詠らしい。「花」は古今集の排列では桜となるが、『遍昭集』では春の頭に置かれ、そもそもは梅を詠んだ歌だったかもしれない。色と香の対比という主知的な趣向、自然物の擬人化など、古今歌風の先駆的作品。下記参考歌の篁作とよく似ているが、「かすみにこめて」と言い「香をだにぬすめ」と言い、艶な風情では遍昭の作がまさっている。

【他出】遍昭集、寛平御時中宮歌合、新撰和歌、古今和歌六帖、和歌体十種(比興体)、新撰朗詠集、奥義抄、和歌童蒙抄、和歌十体(比興体)、隆源口伝、定家八代抄

【参考歌】小野篁「古今集」
花の色は雪にまじりてみえずとも香をだににほへ人の知るべく

【主な派生歌】
山風の花の香かどふ麓には春の霞ぞほだしなりける(藤原興風[後撰])
香をだにと思ひし花の霞より色をもおくる春の山風(慈円)

大和の布留(ふる)の山をまかるとて

いそのかみ布留の山べの桜花うゑけむ時をしる人ぞなき(後撰49)

【通釈】古い由緒を持つ布留の山の桜花、これらの木々を植えたのはいつのことか、その時代を知る人はいないのだ。

【語釈】◇いそのかみ 奈良県天理市、石上神宮周辺の土地の古称。「ふる」の枕詞でもある。◇布留の山べ 石上神宮が鎮座する山。「山べ」は「山辺」でなく単に「山」と言うのと同じ。

【補記】石上神宮は崇神天皇の創始と伝わるほどに古い由緒を持ち、大神神社とともに日本最古の神社とも言われている。だからこそ「古」との掛詞は言葉の遊戯を超えた重みを持つことになる。因みに布留の近辺には遍昭の母の家があり、また遍昭は石上神宮の神主の家の出である布留今道(ふるのいまみち)と親交があった。布留は作者にとっても古馴染みの土地だったのである。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、和歌一字抄、袋草紙、五代集歌枕、古来風躰抄、俊成三十六人歌合、定家八代抄、秀歌大躰、時代不同歌合、歌枕名寄、釈教三十六人歌合

【主な派生歌】
いそのかみふるの山べの桜花こぞみし花の色やのこれる(藤原季方)
昔誰かかる桜の花をうゑて吉野を春の山となしけむ(*藤原良経[新勅撰])
いそのかみ布留の山べの山おろし幾重の春の花さそひきぬ(後鳥羽院)
昔より植ゑけむ時を人しれず花にふりぬるいそのかみ寺(宮内卿)

やよひばかりの花の盛りに、道まかりけるに

折りつればたぶさにけがる立てながら三世(みよ)の仏に花たてまつる(後撰123)

【通釈】美しい花を仏にお供えしたいが、我が手で折り取ってしまえば花が穢れる。地面に生えて咲いている、そのままの姿で、三世(過去・現在・未来)の諸仏にさしあげます。

【補記】満開の桜のわきを歩いて行く時に詠んだ歌。「たぶさ」は手に同じ。不浄の我が身に対し、あるがままに咲いている花を無垢と見ているのである。

【他出】遍昭集、大和物語、宝物集、古来風躰抄、色葉和難集、六華集、歌林良材

【主な派生歌】
朝夕のなるるたぶさにささげても心のままに花たてまつる(藤原雅経)
このもとの紅葉の錦たてながら道のたよせに幣たてまつる(源家長)
たてながらみよの仏にたてまつる花かもをるな春の山人(後鳥羽院)
この心天つ空にも花そなふ三世の仏に奉らばや(道元)
この寺に三世の仏やすむ月もちらすひかりを花たてまつる(後花園院)
鉢之子に菫たんぽぽこきまぜて三世の仏にたてまつりてむ(*良寛)

志賀よりかへりける女(をうな)どもの、花山にいりて藤の花のもとにたちよりて、帰りけるに、よみておくりける

よそに見てかへらむ人に藤の花はひまつはれよ枝は折るとも(古今119)

【通釈】申し訳程度に眺めて帰ろうとする人に、藤の花よ、絡みついて引き留めよ、枝は折れようとも。

【補記】近江の志賀寺詣でをして都へ帰る女たち(顔見知りの女官たちであろう)が、遍昭の住持していた花山寺(元慶寺)に寄った。ところが藤の花を見物しただけで匆々に立ち去ってしまったらしい。そこで遍昭が女たちに贈った歌。女たちの無風流な振る舞い方を、ユーモアをこめて責めているのである。「よそに見て」は、枝を手折ったり、歌を詠んだりもせず、疎遠に花を眺めたことを言っているが、窪田空穂『古今和歌集評釈』が指摘するように、寺の仏を拝まなかった不満を言外に匂わせているのかも知れない。とはいえ、決して生真面目に怒った歌ではない。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、歌枕名寄、悦目抄

【主な派生歌】
みる人をなどやかへさぬ藤の花はひまつはれよとかばをしへし(源頼政)

はちすの露をみてよめる

はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく(古今165)

【通釈】蓮は濁った泥水に染まらぬ心で以て、なぜ露を玉と欺いて見せるのか。

蓮の葉の上の露
蓮の葉の上の露

【補記】「はちす」は蓮(はす)の古称。沼や湿田に育つ蓮は、泥水に染まることなく清らかな花を咲かせる。その葉に置いた水滴のきらめきは、玉かと見紛うほど美しい。それにしても、清浄な心を持ちながら、どうして人を欺くようなまねをするのか、と戯れた歌。蓮が仏教と縁の深いことは言うまでもなく、上句は法華経の湧出品を踏まえることが古来指摘されているが、釈教の寓喩をこめているわけではない。日頃見馴れた池の蓮に対する親しみをこめた、仏者らしい風流のまなざしであろう。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、和歌童蒙抄、和歌色葉、定家八代抄、八雲御抄

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻十六
ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む

【参考】「法華経・湧出品」
不染世間法、如蓮花在水(世間の法に染まざることは、蓮花の水に在るが如し)
  「白氏文集」巻十五「放言」(→資料編
荷露雖團豈是珠(荷露(かろ)(まどか)なりと雖も豈に是れ珠ならんや)

【主な派生歌】
心すむ池のみぎはの蓮こそにごりにしまぬ色も見えけれ(慈円)
露の身を玉ともなさむはちす葉のにごりにしまぬわが心より(〃)
夏の池にもとよりたねのあればこそにごりにしまぬ花もさくらめ(〃)
露をさへ玉とあざむくはちす葉のにごりにしまぬ夏の夜の月(飛鳥井雅経)
はちす葉の露のしら玉みがくれてにごりにしまぬ夏の池水(土御門院)
池水のにごりにしまぬ色みえてしげるはちすにみがく白玉(藤原為家)
暮るるまもたのまれぬ身の命にてなにかは露をあだに見るべき(宗尊親王)
みがきなす光もうれしはちす葉のにごりにしまぬ露のしら玉(洞院公賢[風雅])
蓮葉のかげにならびてたつ鷺もにごりにしまぬ雪の毛衣(木下長嘯子)
風こえてちるぞ涼しき蓮葉になにかは露を玉とのみ見む(本居宣長)

題しらず

名にめでて折れるばかりぞ女郎花われおちにきと人にかたるな(古今226)

【通釈】その名に興じて折り取ったばかりだ、おみなえしよ。私が墮落したと人に語るなよ。

【補記】女郎花(をみなへし)は万葉集では「姫押」「美人部師」「佳人部爲」などの字が宛てられているように、容姿の美しい女性に喩えられた花である。その名に愛(め)でて折り取ったばかりだが、僧たる私にはこれも罪であろうか。あいつは堕落したと人に話さないでくれ、と花に語りかける心。花を折ることは女との交情の喩えとされたから、女戒を犯してしまったと戯れたのである。『遍昭集』では花を折ろうとして馬から落ち、「臥しながら」詠んだとある。受けを狙った、後人の脚色であろう。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖

【主な派生詩歌】
きみをわれ恋ひそめしより名にめでてあふ坂山はゆかぬ日ぞなき(慈円)
名にめでてまよひもぞする女郎花にほふ宿をばよきてゆかなむ(二条為明[風雅])
名にめでて妻や恋ふらむ女郎花おほかる野べのさを鹿の声(藤原雅家[新拾遺])
手折るとも人にかたるな山吹の花にわけくる露はおちにき(正徹)
見るに我(が)も折れるばかりぞ女郎花(芭蕉)

仁和(にんな)のみかど、親王(みこ)におはしましける時、布留(ふる)の滝御覧ぜむとておはしましける道に、遍昭が母の家にやどり給へりける時に、庭を秋の野につくりて、(おほむ)物語りのついでに詠みて(たてまつ)りける

里は荒れて人はふりにし宿なれや庭もまがきも秋の野らなる(古今248)

【通釈】親王の御宿となります我が家ですが、すっかり荒れてしまって、住む人も年老いてしまった為でございましょうか、庭も垣根も秋の野となっております。

【補記】光孝天皇が即位以前、布留の滝を見物に行く道すがら、遍昭の母の家に立ち寄った。庭には季節の草花が植えられ、秋の野さながらに仕立ててある。遍昭は親王と四方山話に興じたが、その折に詠んで奉った歌。「さと」は土地でなく、私邸を指して言う。実際は手の込んだ庭造りをしたのであろうが、「寂れた家ゆえ手入れが行き届きませんで」と謙遜したのである。遍昭が母に代って挨拶を申し上げた歌と見るのが古来の説である。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、綺語抄、定家八代抄

【主な派生歌】
故郷の主の涙やおきつらむ庭もまがきも秋のしら露(慈円)
をぎのはに庭も籬もうづもれてあはれ荒行く風の音かな(藤原家隆)
ふるさとは庭も籬も苔むして花たちばなの花ぞ散りける(藤原定家)
声ばかり木の葉の雨はふる里の庭もまがきも月のはつ霜(藤原定家)
あだ人の心よりまづあれそめて庭もまがきも野べの秋風(藤原有家)
里はあれて庭も籬も秋の露やどりなれたる月の影かな(藤原俊成女)
心とめしかたみの色もあはれなり人はふりにしやどの紅葉ば(伏見院[風雅])
里は荒れ野となる露の深草や鶉がねやをてらす月影(*太田道灌)
なごりあれや野となりてだに菫咲く庭も籬も春のふるさと(十市遠忠)
きて見ればわが古里は荒れにけり庭もまがきも落葉のみして(*良寛)

雲林院の木の蔭にたたずみてよみける

わび人のわきてたちよる()のもとはたのむかげなくもみぢ散りけり(古今292)

【通釈】侘しく暮らす人がここと決めて立ち寄る木の下は、身を託す蔭もなく紅葉が散り敷いていた。

【補記】「雲林院(うりんゐん)」は京都紫野にあった寺院。もと淳仁天皇の離宮であったが、その後常康親王に与えられ、親王出家後は遍昭に付されて元慶寺の別院とされたものである。平安朝の歌集に「雲林院の桜を見てよめる」などの詞書が散見され、桜林のある広大な庭を有したらしい。そこの「木の蔭にたたず」んで詠んだ歌。遍昭がなぜ自身を「侘び人」と呼んだのか、背景に事情がありそうだが、よく分からない。ともあれ、なにか思い屈することがあって、ここはと思う木の下に立ち寄り、紅葉に心を慰めようとしたのだろう。ところが、雨が降るなり風が吹くなりして、残っていた紅葉もすっかり散ってしまった、という。「わきてたちよる」「たのむかげなく」の句に、人の世にかかわる感慨が籠められているように思われる。

【他出】遍昭集、定家八代抄、歌枕名寄

【主な派生歌】
梢さへたのむかげなく枯れにけり花の姿の根にしかへれば(崇徳院[新拾遺])
しぐれゆくかた野の原の紅葉がりたのむかげなくふく嵐かな(藤原家隆)
これまでもたのむかげなくなりにけり花にしほるる雨のゆふぐれ(藤原秀能)
秋かけてふりにしやどの村時雨たのむかげなくぬるる袖かな(実伊[玉葉])

題しらず

秋山のあらしのこゑをきくときは木の葉ならねど物ぞかなしき(拾遺207)

【通釈】秋の山を吹き荒す嵐の声を聞くときは、我が身は木の葉ではないけれども、なにか悲しい気持だ。

【補記】西本願寺本の『遍昭集』は詞書「もみぢを見はべりて」、第二句「あらしのかぜに」。

【他出】遍昭集、拾遺抄

ちりのこりたる紅葉を見て

唐錦枝にひとむらのこれるは秋のかたみをたたぬなりけり(拾遺220)

【通釈】美しい紅葉の錦が枝に一むら残っているのは、秋の形見を絶やさぬのであった。

【語釈】◇唐錦(からにしき) 大陸渡来の錦。紅葉を喩える。◇ひとむら 「むら」は布二反分を一巻にしたものを数える語。「群」の意を掛ける。◇秋のかたみ 過ぎてしまった秋を思い出すよすが。◇たたぬなりけり 絶やさぬのであった。「絶たぬ」に「裁たぬ」の意を掛け、錦の縁語とする。

【他出】遍昭集、如意宝集、拾遺抄、俊頼髄脳、定家八代抄

【主な派生歌】
唐錦君に見よとやまつら山のこるもみぢも枝に一むら(慈円)
唐錦秋のかたみをたたじとや霜までのこる庭のひとむら(後鳥羽院)
さを鹿の朝たつ野べの唐錦枝に一むら秋風ぞふく(順徳院)

題しらず (二首)

我が宿は道もなきまで荒れにけりつれなき人を待つとせしまに(古今770)

【通釈】わが家の庭は通り道もないほど荒れてしまった。無情な人を待つ気でいた間に。

【他出】古今和歌六帖、三十人撰、和漢朗詠集、三十六人撰、定家八代抄、八雲御抄、愚問賢註

【補記】女の立場で詠んだ歌。単純ゆえに余情をたたえた歌である。こうした歌をベースとして、後世複雑な情趣を競う恋歌が咲き乱れることになる。

【主な派生歌】
待つとせし人のためとはながめねどしげる夏草道もなきまで(藤原定家)
つれもなき人やは待ちし山里はのきの下草みちもなきまで(藤原良経)
都人まつとせしまに山里のみちもなきまで花ぞふりしく(正徹)

 

今来むと言ひて別れし(あした)より思ひくらしのねをのみぞなく(古今771)

【通釈】あの人が「すぐ行く」と言って別れた朝からというもの、思い悩んで日を暮らし、ひぐらしのように泣いてばかりいる。

【補記】これも女の立場で詠んだ歌。「思ひくらし」に蜩を掛けた言葉遊びがある。表現を凝縮する遍昭の技巧の冴えは、掛詞ばかりでない。むしろ上句にみごとに発揮されている。この句は息子の素性に引き継がれて、恋歌の不滅の名作を生み出すことになる。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、拾遺集(作者を壬生忠岑とする)、定家八代抄

【主な派生歌】
今こむといひしばかりに長月の有明の月をまちいでつるかな(*素性[古今])
またこむといひて別れしなごりのみながむる月に有明の空(藤原有家)
いまこむといひてわかれし雁がねの思ひ出でてや月に鳴くらむ(宗良親王)

仁和のみかどの親王におはしましける時に、御をばの八十(やそぢ)の賀に、しろがねを杖につくれりけるを見て、かの御をばに代はりてよみける

ちはやぶる神やきりけむつくからに千とせの坂もこえぬべらなり(古今348)

【通釈】この立派な杖は、神が伐って造ったのでしょうか。これを突いてなら、千年かかって登るような坂もきっと越えられるでしょう。

【補記】光孝天皇が親王時代(即位以前)、おばの八十歳の算賀に、銀で装飾した杖を贈った。それを見て遍昭が、親王のおばに代り、お礼として詠んだ歌。「御をば」は誰を指すか分からないが、光孝天皇の母藤原沢子の姉妹ということになる。杖には霊力が宿るという信仰が背景にある。「神が依り憑く」意を掛け、上句と下句を緊密につなぐ「つくからに」の句が素晴らしい。当意即妙のめでたい歌。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、奥義抄、定家八代抄、色葉和難集

【主な派生歌】
限なきはこやの山のかげなれば千とせの坂も猶こえぬべし(藤原範光[続拾遺])
老いらくの千とせの坂もこえぬべしはこやの山の月にまかせて(藤原家隆)
八幡山神やきりけむ鳩の杖老いてさか行く道のためとて(源家長[新後拾遺])
男山老いてさかゆく契りあらばつくべき杖も神ぞきるらむ(*後嵯峨院[続拾遺])

人の花山にまうできて、夕さりつかた帰りなむとしける時によめる

夕暮のまがきは山と見えななむ夜はこえじと宿りとるべく(古今392)

【通釈】薄明にまぎれて我が寺の籬が山に見えてほしい。夜は越えられまいと諦め、ここに宿をとってゆくように。

【補記】古今集離別歌。知合いが元慶寺に参詣に来て、夕方帰ろうとした時に、なんとか引き留めたいとの願いを詠んだ歌。いくら立派な垣根でも山と見間違えることはあるまいが、そうした誇張によって、無理を押しても泊って行ってほしいとの切なる願望をあらわしている。単に気の利いた洒落というのではない。

【他出】遍昭集、新撰和歌、古今和歌六帖、定家八代抄、和歌用意条々、井蛙抄

【主な派生歌】
まがきだに山かと見ゆる夕暮は尾上につづく庭の白雪(亀山院[続古今])
時鳥よそにはすぎじ卯の花のまがきは山と暮れば見えなむ(飛鳥井雅有)
夕暮は鳴くねもたかしきりぎりす籬は山と茂る草葉に(二条為藤)
うの花のさけるあたりや夕暮のまがきの山の月とみゆらむ(鷹司冬平)
とまるべき跡をもみばや夕ぐれのまがきは山とふれるしら雪(堯孝)

雲林院のみこの、舎利会(さりゑ)に山にのぼりて帰りけるに、さくらの花のもとにてよめる

山風にさくら吹きまきみだれなむ花のまぎれに立ちとまるべく(古今394)

【通釈】山風に吹かれて、桜が渦を巻くように散り乱れてほしい。花にまぎれて行く先を見失い、人が立ち止まってくれるように。

【補記】「雲林院のみこ」は常康親王の出家後の通称。比叡山の仏骨供養の法会からの帰り道、桜の花の下で親王と別れる時の歌。在原業平に「桜花ちりかひくもれ」と同趣向の歌があるが、常康親王の薨年からして、本作が先行することは明らか。耽美的な情景を描いて離別を惜しむ心を歌い上げている。

【主な派生歌】
山風の桜吹きまき散る花のみだれて見ゆる志賀の浦波(源実朝)
山風に桜吹きまきゆく春のしばしやすらふ谷の下道(藤原秀能)
山ふかき桜ふきまく風の音の花のまぎれに春や行くらむ(順徳院)
あかで散る花のまぎれに別れにし人をばいつの春か又見む(*宗良親王)

くたに

ちりぬればのちはあくたになる花を思ひしらずもまとふ(てふ)かな(古今435)

【通釈】散ってしまえば塵芥に変ずる花なのに、そうと悟らずしつこく纏いつき、心乱している蝶よ。

【補記】「くたに」を詠み込んだ物名歌。「くたに」は『童蒙抄』に「苦丹とかく、深山にある草の名也」とあるが、今の何にあたるかは不明。「思ひしらずもまとふ蝶」に俗世の人情を寓意している。諸注釈書は見逃しているようだが、「まとふ」は「纏(まと)ふ」「惑(まど)ふ」の掛詞。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、奥義抄、和歌色葉

深草のみかどの御時に、蔵人頭にて夜昼なれつかうまつりけるを、諒闇になりにければ、さらに世にもまじらずして、ひえの山にのぼりて、かしら下ろしてけり。その又のとし、みな人御ぶくぬぎて、あるはかうぶりたまはりなど、喜びけるをききてよめる

みな人は花の衣になりぬなり苔の袂よかわきだにせよ(古今847)

【通釈】服喪の年が明け春になって、人々は皆美しい衣に着替えたようだ。それなのに相変わらず涙に濡れ続けている我が僧衣の袖よ、せめて乾いてくれ。

【補記】蔵人頭(くろうどのとう)として親しく仕えた仁明天皇が崩じた直後、遍昭は比叡山で剃髪した。諒闇の年が明けると、臣下であった人々は喪服を脱ぎ、位階を賜わったりして喜んでいるという――そうした消息を聞いて詠んだ歌。「花の衣」は喪服に対して華やかな色彩の衣。位階に応じて色分けされた朝服・礼服のことでもあり、また春に着る花染めの衣の意にもなる。「苔のたもと」は、自身が着る僧衣の袖。苔は常に湿っているものだから、「かわきだにせよ」は無理な注文なのだが。

【他出】遍昭集、大和物語、曽我物語、宝物集、俊成三十六人歌合、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、時代不同歌合、十訓抄、沙石集

【主な派生歌】
すみ染を花の衣にたちかへし涙の色はあはれともみき(藤原定家)

五節の舞姫をみてよめる

あまつ風雲のかよひぢ吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ(古今872)

【通釈】天空を吹き渡る風よ、雲をたくさん吹き寄せて、天上の通り路を塞いでしまっておくれ。天女の美しい姿を、もうしばらく引き留めたい(舞姫たちが退出する道を閉ざしてしまってくれ。もう少しその姿を見ていたい)。

【語釈】◇五節(ごせち) 新嘗祭の翌日(十一月の中の辰の日)、豊明(とよのあかり)の節会に際して舞われた少女楽。公卿・国司の娘より美しい少女を四、五名選んで舞姫に召した。天武天皇の創始と伝わり、吉野行幸の際、天皇が琴を弾くと「高唐神女」の如き「雲気」が髣髴として曲に応じて舞い、天皇にだけそれが見えた。袖を五回挙げるので五節の名がついた云々(『年中行事秘抄』など)。現在この舞楽は大嘗祭においてのみ行なわれている。◇あまつ風 天つ風。天空を吹き渡る風。乙女が舞う宮廷の庭を天上になぞらえているために、そこを吹く風を「天つ風」と言っているのである。◇雲のかよひぢ 天空の通り路。「殿上をば雲の上と云へば、そのおりのぼる道を雲のかよひぢとは云也」(『顕註密勘抄』)。後世の諸注は「雲の中の通い路」で、天上と地上を往き来する道とするが、誤解である。雲や月、鳥など、空を往き来するものが通ると想定した、天上の道を「雲の通ひ路」と言う。宮廷を天上に喩えているので、舞姫の出入りする道が「雲の通ひ路」と見なされるのである。◇吹きとぢよ 「天つ風」に対し、「雲をたくさん吹き寄せて、天の通り道を塞いでしまえ」と願っている。◇乙女 五節の舞姫のこと。五節の時に歌われる「天人の歌」、「乙女子が 乙女さびすも からたまを 乙女さびすも そのからたまを」に由ってこう言う。◇姿 「ちゃんとした恰好。人ならば、きちんと着物を着た様子に多くいう」(岩波古語辞典)。舞姫の美しく装った様を言う。◇しばしとどめむ (去ろうとする天女――すなわち舞台を退出しようとする舞姫を)しばらくの間引き留めよう。

【補記】古今集は作者名を「よしみねのむねさだ」とする。遍昭の出家以前の作。

【他出】遍昭集、新撰和歌、古今和歌六帖、和漢朗詠集、綺語抄、古来風躰抄、定家八代抄、近代秀歌(自筆本)、百人一首、色葉和難集

【主な派生歌】
乙女子が雲のかよひぢ空はれて豊のあかりも光そへけり(藤原俊成[玉葉])
天つ風氷をわたる冬の夜の乙女の袖をみがく月影(*式子内親王)
あまつ風さはりし雲は吹きとぢつ乙女のすがた花ににほひて(藤原定家)
しろたへのあまの羽衣つらねきて乙女まちとる雲の通路(〃)
ふかき夜にをとめのすがた風とぢて雲路にみてる万代の声(〃)
天つ風をとめの袖にさゆる夜は思ひ出でても寝られざりけり(〃)
天つ風雲井の空を吹くからに乙女の袖に宿る月かげ(後鳥羽院)
忘れめや雲のかよひぢ立ちかへり乙女の袖を月に見し夜は(〃[続古今])
天津空雲の通ひ路それならぬ乙女の姿いつか待ち見む(八条院高倉[新勅撰])
天津袖ふるしら雪に乙女子が雲のかよひぢ花ぞ散りかふ(藤原家隆[新後撰])
月のゆく雲のかよひぢかはれども乙女のすがた忘れしもせず(西園寺公経[続後撰])
天津風雲吹きとづな乙女子が袖ふる山の秋の月影(津守国夏[続千載])
乙女子が雲の通ひ路ふく風にめぐらす雪ぞ袖にみだるる(二条為藤[風雅])
天津風なほ吹きとぢよ七夕の明くるわかれの雲の通ひ路(中原師員[続後撰])
あられふる雲の通ひ路風さえて乙女のかざし玉ぞ乱るる(足利義氏[続拾遺])
天津風いかに吹くらむ久方の雲のかよひぢ月ぞさやけき(二条為定[新後拾遺])
雁かへる雲のかよひぢ吹きとぢて花にとどめよ天つ春風(木下長嘯子)
きみとわれいかなる雲の末ならむ夢の切り口春吹きとぢよ(山中智恵子)

奈良へまかりける時に、荒れたる家に女の琴ひきけるを聞きて、よみていれたりける

わび人のすむべき宿とみるなへに歎きくははる琴のねぞする(古今985)

【通釈】侘び暮しをしている人が住んでいそうな家だなと思って見ていましたら、いっそう溜め息の重なる琴の音が聞こえてきました。

【解説】作者が奈良古京へ行った時、荒れた家で女が琴を弾いているのを聞いて、紙などに書き付けて家へ持たせたという歌。作者が感じた「歎き」は最初わびしい溜め息であったはずだが、それが茅屋に似合わしからぬ風流佳人を発見した嘆息にすり変わってしまうところに機知がある。伊勢物語初段「春日野の若紫の…」を思わせるシチュエーションである。古今集は作者名を「よしみねのむねさだ」としている。
なお、語句の類似から参考歌に大伴家持の作をあげておいたが、万葉集巻七にも「琴取れば嘆き先立つけだしくも琴の下樋(したび)に嬬(つま)やこもれる」という歌があり、「琴が嘆息を催す」といった諺があったことが窺われる。

【参考歌】大伴家持「万葉集」巻十八
我が背子が琴とるなへに常人のいふ歎きしもいやしきますも

【主な派生歌】
わび人のわが宿からの松風になげきくははるさをしかの声(藤原定家)
琴の音も歎きくははる契りとてをだえの橋に中もたえにき(藤原定家[新千載])
春ちかみあらばといとどしのばれて歎きくははる年の暮かな(木下長嘯子)

題しらず

秋の野になまめきたてるをみなへしあなかしがまし花もひと時(古今1016)

【通釈】秋の野に艶な姿で立っている女郎花よ、ああやかましい。花が美しく咲くのもただ一時のこと。

【語釈】◇なまめき 「なまめく」はほのかに色気などを漂わせるさま。◇をみなへし 「をみな」を連想させる。◇あなかしがまし ああやかましい。群がり立つ花が、秋風に触れ合ってさわさわ音を立てている様。若い女たちがあたり憚らずお喋りなどしている様を暗喩する

【補記】この歌は古今集では巻十九雑体に収め、誹諧歌に分類している。

【他出】古今和歌六帖、題林愚抄

【主な派生歌】
女郎花なまめきたてるすがたをやうつくしよしと蝉のなくらむ(源俊頼)
いつまでぞなまめきたてる女郎花はなも一とき露も一とき(慈円)

石上といふ寺にまうでて、日の暮れにければ、夜明けて、まかり帰らむとて、とどまりて、「この寺に遍昭あり」と人の告げ侍りければ、物言ひ心見むとて、言ひ侍りける   小野小町

岩のうへに旅寝をすればいとさむし苔の衣を我にかさなむ

返し

世をそむく苔の衣はただ一重かさねばうとしいざふたり寝む(後撰1196)

【通釈】法衣はたった一重、寒さをしのげないでしょう。かと言って貸さなければ冷淡だ。さあ、二人で肌を寄せて寝ましょう。

【補記】大和の石上寺に参詣した小町は、そこに遍昭がいることを知り、「心みむ」と歌を言い遣った。「石上ならぬ岩の上に旅寝をすれば、肌寒くてなりません。あなたの苔の衣を貸してください」。遍昭がそれに答えたのが上掲の歌である。小町の「心みむ」は、遍昭の道心を試したというよりも、出家後も風流心を失っていないかを試した、ということだろう。遍昭はみごとに期待に応えたわけである。歌仙同士、手練の贈答。『大和物語』などに説話化されている。

【他出】小町集、遍昭集、大和物語、俊頼髄脳、定家八代抄
(初句「山ぶしの」あるいは「山がつの」とする本もある。)

【参考歌】大伴坂上郎女「万葉集」巻四
玉守に玉はさづけてかつがつも枕と我はいざふたり寝む

【主な派生歌】
かさぬべき霞の袖もただひとへいかにやどらむ山の夕かげ(藤原良経)
岩の上の苔の衣もうづもれずただ一重なる今朝の初雪(西園寺実氏[玉葉])

山ぶみしはじめける時

いまさらに我はかへらじ滝見つつ呼べど聞かずと問はば答へよ(後撰1238)

【通釈】今更私は帰るまい。滝を見て心を澄ましていて、いくら呼んでも答えなかったと、誰かに問われたら答えてくれ。

【語釈】◇山ぶみ 仏道修行のため山を歩くこと。◇我はかへらじ 俗世に帰るつもりはない。◇滝見つつよべどきかずと 「滝を見て心を澄ましているばかりで、いくら呼んでも答えなかった」と。滝の音で人の声が聞こえない、という諧謔を含む。◇とはばこたへよ (誰かが遍昭はどうしていたかと)尋ねたら、そう答えてくれ。

初めて頭おろし侍りける時、物に書きつけ侍りける

たらちめはかかれとてしもむばたまの我が黒髪をなでずやありけむ(後撰1240)

【通釈】母は、まさかこのようなことになると思って、幼い私の黒髪を撫でたのではなかったろう。

【語釈】◇たらちめ 母親。「たらちねの」が母の枕詞であったことに由る。◇かかれとてしも まさかこのようなことになると思って。頭を剃り下ろしたことを言っている。◇むばたまの 「黒」にかかる枕詞。

【補記】嘉祥三年(850)、三十五の歳に比叡山で剃髪した時、メモしておいたという歌。幼少時、母がおのれの髪を撫でてくれた時のことを思い遣っての作である。鴨長明『無名抄』にこの歌をめぐる論議がある。藤原俊成に「この歌では、どの詞(ことば)がことに優れていると思うか」と聞かれた長明は、「『かかれとてしも』と言って、『むばたまの』と一息ついたあたりが、ことに素晴らしい」と答えた。俊成は肯き、最初の五七をよく続けて、第三句に「詞の休め」を置くと、「いみじう歌の品も出で来」る。こうしたことを心得ることが「歌の境に入る」ことだ、と言って長明を讃めたという。

【他出】遍昭集、三十人撰、和漢朗詠集、三十六人撰、今昔物語、古来風躰抄、無名抄、沙石集、井蛙抄、歌林良材

【主な派生歌】
あはれとてはぐくみたてし古へは世をそむけとも思はざりけむ(*行尊)
我が涙かかれとてしも黒髪の長くや人に乱れそめにし(今出河院近衛[新千載])
朝露はかかれとてしも消えざりし夕の風に散るさくらかな(正徹)
かかれとてたがたらちねの撫でつらむ尾花がもとに残る黒かみ(心敬)

夕暮に、蜘蛛のいとはかなげに巣かくを、常よりもあはれと見て

ささがにの空に巣かくもおなじことまたき宿にもいく世かはへむ(新古1817)

【通釈】蜘蛛が空に巣をかけるのと同じことだ。いくら完全な家でも、そこに何代住めようか。

【補記】蜘蛛がひどく果敢ないさまに巣を掛けるのを、普段よりあわれ深く見て詠んだという歌。人が立派な邸を建てるのも、はかないことは蜘蛛の巣がけと同じだ、というのである。このように自然から人事へ思いを馳せるのが、遍昭の発想法・作歌法の目立った特色である。なお第四句「またきやどりも」とする本もある。

【主な派生歌】
世の中はとてもかくても同じこと宮もわら屋もはてしなければ(蝉丸[新古今])

題しらず

すゑの露もとのしづくや世の中のおくれさきだつためしなるらむ(新古757)

【通釈】葉末に留まっている露と、根もとに落ちた雫と――人に後れたり、人に先立って亡くなる、この世の無常の例なのだろう。

【補記】「すゑの露」は辛うじて留まっている命の比喩であり、「もとのしづく」(根もとの雫)は「末の露」に先んじて消えた命の比喩。いずれ消えることに変わりはなく、わずかな遅速の差にすぎない、ということ。公任の『前十五番歌合』『三十六人撰』『深窓秘抄』といった秀歌撰に採られながら、新古今集に至るまで勅撰集入集に漏れ続けた作。新古今哀傷歌の巻頭。『遍昭集』には「世のはかなさの思ひ知られはべりしかば」との詞書がある。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、前十五番歌合、三十人撰、深窓秘抄、和漢朗詠集、三十六人撰、俊成三十六人歌合、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、時代不同歌合、別本八代集秀逸(藤原家隆撰)、平家物語(延慶本)、歌林良材

【主な派生歌】
風早み荻の葉ごとにおく露のおくれさきだつ程のはかなさ(具平親王[新古今])
ややもせば消えをあらそふ露の世におくれ先だつほど経ずもがな([源氏物語])
ちると見ればまたさく花のにほひにもおくれさきだつためしありけり(西行)
春秋もかぎらぬ花におく露はおくれさきだつ恨やはある(寂蓮[新古今])
末の露もとのしづくも鳥べ山おくれ先だつけぶりなりけり(藤原家隆)
六道の道の衢に待てよ君後れ先立つ習ありとも(弁慶[義経記])
露雫おくれさきだつもとすゑをひとつみ法の花にもらすな(藤原為家)
見てもしれいづれこの世はつねならむおくれさきだつ花ものこらず(良寛)


更新日:平成14年05月26日
最終更新日:平成21年03月27日