寂蓮 じゃくれん 生年未詳〜建仁二(1202) 俗名:藤原定長 通称:少輔入道

生年は一説に保延五年(1139)頃とする。藤原氏北家長家流。阿闍梨俊海の息子。母は未詳。おじ俊成の猶子となる。定家は従弟。尊卑分脈によれば、在俗時にもうけた男子が四人いる。
官人として従五位上中務少輔に至るが、承安二年(1172)頃、三十代半ばで出家した。その後諸国行脚の旅に出、河内・大和などの歌枕を探訪した。高野山で修行したこともあったらしい。建久元年(1190)には出雲大社に参詣、同じ頃東国にも旅した。晩年は嵯峨に住み、後鳥羽院より播磨国明石に領地を賜わって時めいたという(源家長日記)。
歌人としては出家以前から活動が見られ、仁安二年(1167)の太皇太后宮亮経盛歌合、嘉応二年(1170)の左衛門督実国歌合、同年の住吉社歌合などに出詠。出家後は治承二年(1178)の別雷社歌合、同三年の右大臣兼実歌合に参加した。また文治元年(1185)頃の無題百首、同二年西行勧進の二見浦百首、同三年の殷富門院大輔百首、同年の句題百首、建久元年(1190)の花月百首、同二年の十題百首など、多くの百首歌に参加し、定家・良経家隆ら新風歌人と競作した。建久四年(1193)頃、良経主催の六百番歌合では六条家の顕昭と激しい論戦を展開するなど、御子左家の一員として九条家歌壇を中心に活躍を見せる。後鳥羽院歌壇でも中核的な歌人として遇され、正治二年初度百首・仙洞十人歌合・老若五十首歌合・新宮撰歌合・院三度百首(千五百番歌合)などに出詠。建仁元年(1201)には和歌所寄人となり、新古今集の撰者に任命される。しかし翌年五月の仙洞影供歌合に参加後まもなく没し、新古今の撰集作業は果せなかった。家集に『寂蓮法師集』がある。千載集初出。勅撰入集は計百十六首。

「風体あてやかにうつくしきさまなり。よわき所やあらむ。小野小町が跡をおもへるにや。美女のなやめるをみる心ちこそすれ」(歌仙落書)。
「寂蓮は、なほざりならず歌詠みし者なり。あまり案じくだきし程に、たけなどぞいたくは高くはなかりしかども、いざたけある歌詠まむとて、『龍田の奥にかかる白雲』と三躰の歌に詠みたりし、恐ろしかりき。折につけて、きと歌詠み、連歌し、ないし狂歌までも、にはかの事に、故あるやうに詠みし方、真実の堪能と見えき」(後鳥羽院御口伝)。

  5首  1首  10首  3首  5首  11首 計35首

摂政太政大臣家百首歌合に

今はとてたのむの雁もうちわびぬ朧月夜の明けぼのの空(新古58)

【通釈】今はもう北の国へ帰らなければならない時だというので、田んぼにいる雁も歎いて鳴いたのだ。朧ろ月の春の夜が明けようとする、曙の空を眺めて…。

【語釈】◇たのむ たのも―田の面(も)―の転。ここでは単に田を指す。

【補記】詞書の「摂政太政大臣家百首歌合」はいわゆる六百番歌合。藤原良経主催。建久三年(1192)出題、翌四年披講・評定。この歌は春中、三十番右持。歌題は「春曙」。

【他出】六百番歌合、自讃歌、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、六華集

【参考歌】「伊勢物語」
み吉野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる
  源俊頼「千載集」
春くればたのむの雁も今はとてかへる雲路に思ひたつなり

和歌所にて歌つかうまつりしに、春の歌とてよめる

葛城かづらきや高間の桜咲きにけり立田の奥にかかる白雲(新古87)

【通釈】葛城の高間山の桜が咲いたのだった。竜田山の奧の方に、白雲がかかっているのが見える。

【語釈】◇葛城や高間の 「葛城」は奈良県と大阪府の境をなす金剛葛城連山。「高間の山」はその主峰である金剛山(標高1100メートル余)の古名とされる。◇立田 龍田山。奈良県生駒郡三郷町の龍田神社背後の山。葛城連山は龍田山の南に列なる山脈であり、京都や奈良から見ると「立田の奧」が葛城にあたるのである。◇白雲 山桜を白雲に喩える。

【補記】建仁二年(1202)三月の三体和歌六首の一。主催者の後鳥羽院より「ふとくおほきによむべし」と注文されて詠んだ春の歌。『後鳥羽院御口伝』に「寂蓮は、なほざりならず歌詠みし者なり。あまり案じくだきし程に、たけなどぞいたくは高くはなかりしかども、いざたけある歌詠まむとて、『龍田の奧にかかる白雲』と三躰の歌に詠みたりし、恐ろしかりき」の評がある。

【他出】三体和歌、自讃歌、定家十体(長高様)、時代不同歌合(初撰本)、歌枕名寄、六華集、心敬私語

【参考歌】紀貫之「古今集」
桜花咲きにけらしもあしびきの山のかひより見ゆる白雲

千五百番歌合に(二首)

思ひたつ鳥はふる巣もたのむらんなれぬる花のあとの夕暮(新古154)

【通釈】谷へ帰ろうと思い立った鶯は、昔なじみの巣をあてにできるだろう。馴れ親しんだ花が散ってしまったあとの夕暮――。しかし家を捨てた私は、花のほかに身を寄せる場所もなく、ただ途方に暮れるばかりだ。

【補記】千五百番歌合巻四、二百八十一番右勝。

【参考歌】崇徳院「千載集」
花は根に鳥はふる巣にかへるなり春の泊りを知る人ぞなき

 

散りにけりあはれうらみのたれなれば花の跡とふ春の山風(新古155)

【通釈】桜は散ってしまったよ。ああ、この恨みを誰のせいにしようとして、花の亡き跡を訪れるのだ、山から吹く春風は。花を散らしたのは、ほかならぬお前ではないか、春風よ。

【補記】千五百番歌合巻四、二百五十三番右持。『自讃歌』に所収。

【主な派生歌】
けふのみと思ふか春のふる郷に花の跡とふ鶯のこゑ(藤原信実[続後拾遺])
暮るる野に残るもさびし秋萩の花のあととふさを鹿の声頃(*千種有功)

五十首歌奉りし時

暮れてゆく春のみなとはしらねども霞におつる宇治の柴舟(新古169)

【通釈】過ぎ去ってゆく春という季節がどこに行き着くのか、それは知らないけれども、柴を積んだ舟は、霞のなか宇治川を下ってゆく。

【補記】建仁元年(1201)の老若五十首歌合、四十五番左持。右は宮内卿「花も散り惜しみし人も今はとて思ひたちぬる春の木のもと」。

【他出】寂蓮集、定家八代抄、時代不同歌合、歌枕名寄

【本歌】紀貫之「古今集」
年ごとに紅葉ば流す龍田川みなとや秋のとまりなるらむ

【主な派生歌】
春風を滝つ岩ねにせきかねて霞におつる花の白波(西園寺公経[新千載])
朝日山まだ影くらき曙に霧の下ゆく宇治の柴舟(藤原資明[風雅])
伏見山裾野をかけて見渡せば遥かに下る宇治の柴舟(永福門院内侍[新後拾遺])

摂政太政大臣家百首歌合に、鵜河をよみ侍りける

鵜かひ舟高瀬さしこすほどなれや結ぼほれゆく篝火の影(新古252)

【通釈】鵜飼船がちょうど浅瀬を棹さして越えてゆくあたりなのか、乱れて小さくなってゆく篝火の炎よ。

【語釈】◇鵜かひ舟 飼い慣らした鵜を使って魚を獲る舟。◇結ぼほれゆく 「むすぼほれ」は、緩い状態にあったものが束ねられて固くなること。水なら凍ること。炎が「結ぼほれ」とは珍しい言い方だが、盛んに立っていた火立ちが収束し火の勢いが弱まることを言うか。◇篝火(かがりび) 松明。鵜飼は夜に行なうので、船中で篝火をたいて水面を照らすのである。

【補記】六百番歌合夏上、二十四番右負。左は顕昭の「夜川たつ五月来ぬらし瀬々をとめ八十伴の男も篝さすはや」。寂蓮の歌は左方人より「火のむすぼほるる、心えず」と難ぜられ、判者藤原俊成は「むすぼほれゆくかがりびのかげも、高瀬さしこさん程はさも見え侍りなん」と弁護しつつも負をつけた。

鹿の歌とてよめる

尾上より門田にかよふ秋風に稲葉をわたるさを鹿の声(千載325)

【通釈】峰の上の方から門前の田に吹き寄せる秋風――その風に乗って、稲葉の上を渡って来る牡鹿の声よ。

【補記】『先達物語』(定家卿相語)によれば、この歌は寂蓮の自讃歌で、千載集選集の際、撰者俊成に「まげて入るべき由」請うたが拒否され、結局定家の推薦で入集を果したという。

【他出】寂蓮法師集、定家八代抄、題林愚抄

題しらず

なぐさむる友なき宿の夕暮にあはれは残せ荻の上風(三百六十番歌合)

【通釈】孤独を慰める友もなく庵で過ごす夕暮時、私を気の毒に思うくらいの気持ちは示していってくれ、荻の上葉をざわめかせてゆく秋風よ。

【語釈】◇友なき宿 歌の主人公は出家して山里の庵に住んでいる、という設定。◇あはれ 慈悲。孤独を憐れむ気持ち。◇荻の上風 荻をざわめかせる風は擬人化され、訪問者の暗喩として用いられた。

【補記】建仁元年(1201)三月以後成立の歌合形式の秀歌撰『三百六十番歌合』より。『御裳濯和歌集』には詞書「二見百首歌中に、荻の心を」で括られた歌中にあり、文治二年(1186)頃西行が勧進した二見浦百首で詠まれた歌らしい。

題しらず

さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮(新古361)

【通釈】なにが寂しいと言って、目に見えてどこがどうというわけでもないのだった。杉檜が茂り立つ山の、秋の夕暮よ。

【語釈】◇色 目に見える様子。◇槙 杉・檜などの針葉樹。

【補記】出典は建久二年(1191)の左大臣(良経)家十題百首。西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」、藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」と共に「三夕の和歌」と称される。

【他出】寂蓮集、自讃歌、定家十体(事可然様)、定家八代抄、詠歌大概、三五記、桐火桶、釈教三十六人歌合、六華集

【主な派生歌】
とへかしな槙たつ山の夕しぐれ色こそ見えね深き心を(土御門院[続古今])
あはれさもその色となき夕暮の尾花が末に秋ぞうかべる(京極為兼[風雅])
さびしさはたがよそめにも知りぬらむ我がゐる山の秋の夕暮(冷泉為相[新千載])
さびしさはなれぬる物と思へども又今さらの秋の夕暮(冷泉為尹[新続古今])

月前松風

月はなほもらぬの間も住吉の松をつくして秋風ぞ吹く(新古396)

【通釈】住吉の浜の松林の下にいると、月は出たのに、繁り合う松の梢に遮られて、相変わらず光は木の間を漏れてこない。ただ、すべての松の樹を響かせて秋風が吹いてゆくだけだ。

【語釈】◇月はなほ… この「なほ」は「相変わらず」ほどの意。月はとっくに出たのに、ぎっしりと繁る松の枝のために、いつまで経っても月光は木の間を漏れてこない、ということ。◇住吉 今の大阪市住吉区あたり。昔は白砂青松の浜があった。地名に「(月の光が)澄み」を隠している。◇松をつくして すべての松にわたって。「松」には「(月の光を)待つ」を隠している。

【補記】建仁元年(1201)八月十五日夜、後鳥羽院の御所で催された撰歌合、題「月前松風」、十一番左勝。

【他出】寂蓮法師集、歌枕名寄、六華集、題林愚抄

百首歌奉りし時

野分のわきせし小野の草ぶし荒れはてて深山みやまにふかきさを鹿の声(新古439)

【通釈】私が庵を結んでいる深山に、今宵、あわれ深い鹿の声が響いてくる。先日野分が吹いて、草原の寝床が荒れ果ててしまったのだ。

【語釈】◇野分 秋の強風・暴風。◇草ぶし 鹿や猪の草の上の臥処(ふしど)

【補記】正治二年(1200)秋の後鳥羽院初度百首。

【他出】寂蓮法師集、定家八代抄

【参考歌】藤原定家「拾遺愚草」(正治二年二月左大臣家歌合)
思ひ入る深山にふかき槙の戸のあけくれしのぶ人はふりにき

【主な派生歌】
神無月またで時雨やふりにけむ深山にふかき紅葉しにけり(源実朝)

百首歌たてまつりし時

物思ふ袖より露やならひけむ秋風吹けばたへぬものとは(新古469)

【通釈】物思いに涙を流す人の袖から学んだのだろうか、露は、秋風が吹けば堪えきれずに散るものだと。

【語釈】◇たへぬものとは 「絶えぬものとは」とする本もある。

【補記】正治二年初度百首。

【他出】自讃歌、定家十体(有心様)、三五記、題林愚抄

摂政太政大臣、大将に侍りける時、月歌五十首よませ侍りけるに

ひとめ見し野辺のけしきはうら枯れて露のよすがにやどる月かな(新古488)

【通釈】このあいだ来た時は人がいて、野の花を愛でていた野辺なのだが、秋も深まった今宵来てみると、その有様といえば、草木はうら枯れて、葉の上に置いた露に身を寄せるように、月の光が宿っているばかりだ。

【語釈】◇ひとめ見し 人の姿を見た。秋の花が咲き乱れていた頃、人々が遊びに来ていた、ということ。◇うら枯れて 草木の枝先や葉尖が枯れる。◇露のよすがに 露を拠り所として。「露」には「かろうじての」「いささかの」と言った意味を籠めている。

【補記】詞書の「摂政太政大臣」は九条良経。「月歌五十首」とは、建久元年(1190)の花月百首を指す。

五十首歌奉りし時

むらさめの露もまだひぬ槙の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮(新古491)

【通釈】秋の夕暮、俄雨が通り過ぎていったあと、その露もまだ乾かない針葉樹の葉群に、霧がたちのぼってゆく。

【語釈】◇むら雨 集中的に降ってすぐ止む、一団の雨。夏や秋に降る俄雨を言う。◇ひぬ 「ひ」は「自然に水分が蒸発する」意の上一段動詞。◇槙の葉 槙は杉檜の類の針葉樹。◇立ちのぼる 自然と高いところへ上がってゆく。月・雲・煙などについて言うことが多い。霧に用いる例は万葉集に見えるが、王朝和歌では稀。

【補記】詞書の「五十首歌」とは建仁元年(1201)二月、後鳥羽院主催の老若五十首歌合。作者を左方老・右方若とに分けた、未曾有の歌合であった。作者は慈円・定家・家隆らと共に「老」の方人。掲出歌は百二十五番左勝。

【他出】寂蓮法師集、自讃歌、定家十体(見様)、定家八代抄、百人一首、三五記

【参考歌】作者未詳「万葉集」
天の川霧たちのぼるたなばたの雲の衣のかへる袖かも
  道綱母「蜻蛉日記」「後拾遺集」
消えかへり露もまだひぬ袖のうへに今朝は時雨るる空もわりなし
  藤原俊成「続古今集」
いつしかとふりそふ今朝の時雨かな露もまだひぬ秋のなごりに

【主な派生歌】
春雨の露もまだひぬ梅が枝にうは毛しをれて鶯ぞなく(源実朝)
五月雨の露もまだひぬ奥山の槙の葉がくれなくほととぎす(〃)
夕ぐれの山もまがきとなりにけり霧たちのぼる峰の遠かた(飛鳥井雅世)

題しらず

野辺はみな思ひしよりもうら枯れて雲間にほそき有明の月(新拾遺445)

【通釈】野辺はどこもかしこも、思っていたよりも早く枯れてしまっていて、雲の間にほっそりとした有明の月が出ている。

【語釈】◇有明の月 夜遅く昇って、明け方まで空に残る月。ふつう、陰暦二十日以降の月。

【補記】正治二年初度百首。

摂政太政大臣、左大将に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに

かささぎの雲のかけはし秋暮れて夜半よはには霜やさえわたるらむ(新古522)

【通釈】カササギが列なって天の川に渡すという空の橋――秋も終り近くなった今、夜になれば霜が降りて、すっかり冷え冷えとしているだろうなあ。

【語釈】◇かささぎの雲のかけはし 『淮南子(えなんじ)』などに見える中国の伝説に由る。◇さえわたるらむ 「さえ」は冷たく凍る意。「渡る」は「橋」の縁語。

【補記】建久二年(1191)、良経主催の左大臣家十題百首。家集では第五句「霜のさえまさるらん」。

【本歌】大伴家持「新古今集」
かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける

五十首歌たてまつりし時

たえだえに里わく月の光かな時雨しぐれをおくる夜はのむら雲(新古599)

【通釈】月の光が、途切れ途切れに里の明暗を分けているなあ。時雨を運び地に降らせる、夜半の叢雲の間から、月の光が射して。

【語釈】◇里わく 月の照っている所と照っていない所に里を分ける。◇時雨 ぱらぱらと降ってはやむ、晩秋から初冬にかけての通り雨。

【補記】老若五十首歌合。百六十五番左勝。

入道前関白、右大臣に侍りける時、家の歌合に雪をよめる

ふりそむる今朝だに人の待たれつる深山の里の雪の夕暮(新古663)

【通釈】雪が降り始めた今朝でさえ、やはり人の訪問が待たれたよ。今、山奥の里の夕暮、雪は深く降り積もり、いっそう人恋しくなった。この雪では、誰も訪ねてなど来るまいけれど。

【補記】詞書の「入道前関白」は九条兼実。この歌合は治承三年(1179)十月十八日の右大臣家歌合。題は「雪」、十七番左勝。

【他出】寂蓮法師集、六華集、落書露顕、題林愚抄

土御門内大臣家にて、海辺歳暮といへる心をよめる

老の波こえける身こそあはれなれ今年も今は末の松山(新古705)

【通釈】寄る年波を越え、老いてしまった我が身があわれだ。今年も歳末になり、「末の松山波も越えなむ」と言うが、このうえまた一年を越えてゆくのだ。

【語釈】◇末の松山 陸奥国の歌枕。所在地は諸説あり未詳。年の「末」を掛ける。

【補記】土御門内大臣すなわち源通親の邸で催された歌会に出された作。

【他出】自讃歌、定家十体(事可然様)、歌枕名寄、桐火桶、耕雲口伝、題林愚抄

【本歌】よみ人しらず「古今集」
君をおきてあだし心を我がもたば末の松山波もこえなむ

歌合し侍りけるに、夏の恋の心を

思ひあれば袖に蛍をつつみても言はばや物をとふ人はなし(新古1032)

【通釈】昔の歌にあるように、袖に蛍を包んでも、その光は漏れてしまうもの。私の中にも恋の火が燃えているので、胸に包んだ想いを口に出して伝えたいのだ。この気持ちを尋ねてくれる人などいないのだから。

【語釈】◇思ひあれば 恋の想いがあるので(第四句の「言はばや」にかかる)。オモヒのヒに火を掛け、蛍の縁語になる。◇言はばや物を 「物を言はばや」の倒置。口に出して想いを告げたい、の意。ただし「物を」は第五句の「とふ」にも繋がり、平兼盛の名歌の下句「物や思ふと人の問ふまで」を響かせている。◇とふ人はなし 「恋に悩んでいるのか?」などと親切に問うてくれる人はいない。だから一層、自分から想いを告げるしかない、ということ。

【補記】『寂蓮法師集』の詞書は「左大臣家歌合、夏恋」。定家の『拾遺愚草』によれば正治二年二月に催された歌会。

【他出】寂蓮法師集、自讃歌、定家八代抄、時代不同歌合、十訓抄、詠歌一体、題林愚抄

【本歌】よみ人しらず「後撰集」
つつめども隠れぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり

摂政太政大臣家歌合によみ侍りける

ありとても逢はぬためしの名取川くちだにはてね瀬々のむもれ木(新古1118)

【通釈】生きていても、思いを遂げられない例として浮き名を立てるだけだ。名取川のあちこちの瀬に沈んでいる埋れ木のように、このままひっそりと朽ち果ててしまえ。

【語釈】◇名取川 宮城・山形県境の山地に発し、名取市で太平洋に注ぐ川。「名を取る」(良くない評判を得る)意を掛ける。◇埋れ木 水中や土中に永く埋もれていて、変わり果ててしまった木。

【補記】建久四年(1193)に披講・評定された、九条良経主催の六百番歌合。恋七、十八番右持。歌題は「寄河恋」、河に寄する恋。

【他出】定家八代抄、歌枕名寄

【本歌】よみ人しらず「古今集」
名取川瀬々の埋れ木あらはればいかにせむとか逢ひ見そめけむ
  壬生忠岑「古今集」
みちのくにありといふなる名取川なき名取りては苦しかりけり

建仁元年三月歌合に、遇不遇恋の心を

うらみわび待たじ今はの身なれども思ひなれにし夕暮の空(新古1302)

【通釈】あの人のつれなさを恨み、嘆いて、今はもう待つまいと思う我が身だけれど、夕暮れになると、空を眺めて待つことに馴れきってしまった。

【補記】建仁元年(1201)三月、後鳥羽院主催の新宮撰歌合、三十二番左持。題「遇不遇恋」(あひてあはざる恋)は、逢瀬を遂げたのち、相手の心変わりなどで逢うことが難しくなった恋を詠む。『正徹物語』に「ことば一句を残す歌」の例として業平の「月やあらぬ…」と共に引かれ、「夕暮の空をばさていかにせん、といひたる歌なり。さていかにせんの一句をのこしたるなり」と説かれている。

【補記】女の身になって詠んだ歌。

【他出】自讃歌、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、時代不同歌合(初撰本)、詠歌一体、和歌口伝、三五記、桐火桶、正徹物語、題林愚抄

和歌所にて歌合し侍りしに、遇不遇恋の心を

里は荒れぬ空しき床のあたりまで身はならはしの秋風ぞ吹く(新古1312)

【通釈】あの人の訪れがさっぱり絶えて、里の我が家は荒れ果ててしまった。むなしく独り寝する床のあたりまで、壁の隙間から秋風が吹き込んで来る――身体の馴れ次第では、気にもならないほどの隙間風が…。

【語釈】◇和歌所にて歌合 建仁二年(1202)五月の影供歌合。◇身はならはしの秋風 下記【本歌】参照。本歌の大意は「恋人と二人で寝ている時は、秋の隙間風など気にならないのに、独り寝の今は寒く感じられる。風の寒さも身体の馴れ次第なのだ」。なお「秋」に「飽き」を掛けていることは言うまでもない。

【他出】寂蓮集、自讃歌、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、六華集

【本歌】よみ人しらず「拾遺集」
手枕のすきまの風もさむかりき身はならはしの物にぞありける

題しらず

涙川身もうきぬべき寝覚かなはかなき夢の名残ばかりに(新古1386)

【通釈】恋しい人を夢に見て、途中で目が覚めた。その儚い名残惜しさに、川のように涙を流し、身体は床の上に浮いてしまいそうだ。なんて辛い寝覚だろう。

【語釈】◇涙川 流れてやまない涙を川に喩えて言う。◇身もうきぬべき 「うき」に「憂き」を掛ける。

八月十五夜、和歌所歌合に、月多秋友といふことをよみ侍し

高砂の松も昔になりぬべしなほ行末は秋の夜の月(新古740)

【通釈】高砂の老松も、いつかは枯れて昔の思い出になってしまうだろう。その後なお、将来にわたって友とすべきは、秋の夜の月だ。

【語釈】◇和歌所歌合 建仁元年(1201)八月十五夜の撰歌合。◇月多秋友 月ハ多秋(タシュウ)ノ友。月は永年の友。◇高砂の松 高砂は播磨国の歌枕。今の兵庫県高砂市。松の名所。

【他出】寂蓮集、歌枕名寄、題林愚抄

【本歌】藤原興風「古今集」
誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに

前参議教長、高野にこもりゐて侍りけるが、病限りになりぬと聞きて、頼輔卿まかりけるほどに、身まかりぬと聞きてつかはしける

尋ねきていかにあはれと眺むらん跡なき山の嶺のしら雲(新古836)

【通釈】遠く高野までたずねて来て、どんなに悲しい思いで山の景色を眺めておられることでしょう。亡き兄上は煙となって空に消え、ただ山の峰には白雲がかかっているばかりです。

【語釈】◇参議教長 藤原教長(のりなが)。保元の乱に連座して出家、常陸に流された。その後召還され、高野山で亡くなった。◇高野 和歌山県伊都郡の高野山。空海が開いた真言密教の霊場。高野山真言宗の総本山、金剛峰寺がある。◇頼輔卿 藤原頼輔。教長の弟。

【補記】藤原教長が高野山に参籠中亡くなったとの報を聞いて詠んだ哀悼歌。兄の臨終を見舞った頼輔の心を案じた。治承四年(1180)頃の作。

【他出】頼輔集、寂蓮法師集

円位法師がよませ侍りける百首歌の中に、旅の歌とてよめる

岩根ふみ峰の椎柴しひしばをりしきて雲に宿かる夕暮の空(千載544)

【通釈】ごつごつとした岩を踏み越え、峰を登って来て、さて日も暮れた。椎の小枝を折ったのを敷いて、雲の上に仮の寝床を作るのだ。

【補記】円位法師すなわち西行が文治二年(1186)に勧進した二見浦百首。

左大臣家十題百首内

牛の子に踏まるな庭のかたつぶり角のあるとて身をば頼みそ(寂蓮法師集)

【通釈】牛の子に踏まれるなよ、庭のカタツムリ。角があるからって、自分は強いんだなんてアテにするんじゃないよ。

【補記】建久二年(1191)閏十一月、藤原良経邸で披講された十題百首。この歌は「虫」を題とする十首のうち一首であろう。

題しらず

さびしさに憂き世をかへて忍ばずはひとり聞くべき松の風かは(千載1138)

【通釈】厭なことの多い俗世間での生活を、出家という孤独と引き換えに棄てて、ひたすら寂しさに堪えて生きてきた。だからこそ、たった独りで聞くことにも耐え得るのだ、松の梢を吹きすぎる、この凄絶な風の音を。

【語釈】◇さびしさに憂き世をかへて 憂き世(辛いことの多い俗世間)での生活の代わりに、寂しい出家の生活を選択した、ということ。◇ひとり聞くべき松の風かは 「かは」は反語。ひとりで聞くに耐える松の風の音だろうか、いやとてもそんなものではない。孤独に馴れたからこそ、この凄絶な風の音にも耐えられるのだ、ということ。

【補記】家集では初二句「さびしさを憂き世にかへて」。制作事情などは不明。 賀茂重保撰の私撰集『月詣和歌集』に採られているので、寿永元年(1182)以前の作。

【他出】月詣集、寂蓮集、定家八代抄、三百六十人歌合、時代不同歌合、詠歌一体、三五記

山家送年といへる心をよみ侍りける

立ち出でてつま木折りし片岡のふかき山路となりにけるかな(新古1634)

【通釈】庵を立ち出ては薪を折って来た丘は、住み始めた頃に比べると、すっかり木深い山道になったものだ。

【語釈】◇山家送年 山家ニ年ヲ送ル。山里の庵で永年過ごしてきたこと。◇つま木 爪木。薪などに用いるため、手で折り取った木の枝を言う。◇片岡 山へとつながっている傾斜地。◇ふかき山路と… 雑木が深く繁る山道になったことだ。山住いして多くの年を経た感慨である。

【補記】文治三年(1187)頃、右大臣九条兼実より与えられた百首題の一。

【他出】寂蓮結題百首、玄玉集、寂蓮集、定家十体(濃様)、三五記、題林愚抄

賀茂社の歌合に、述懐歌とてよめる

世の中の憂きは今こそうれしけれ思ひ知らずは厭はましやは(千載1146)

【通釈】俗世間での生活が辛かったこと――それが今は、むしろ嬉しいのだ。厭というほど思い知らなかったとしたら、世間を厭って出家などしただろうか。

【語釈】◇賀茂社の歌合 治承二年(1178)三月十五日、賀茂別雷社歌合。

【他出】月詣和歌集、宝物集、寂蓮集、定家八代抄

題しらず

数ならぬ身はなき物になしはてつがためにかは世をも恨みむ(新古1838)

【通釈】物の数にも入らない我が身は、この世に存在しないものとして棄て果てた。今はもう、誰のために世を恨んだりするだろうか。

【語釈】◇誰がためにかは… 誰のために…しようか。「かは」は反語で、「いや、誰のためにも世を恨む必要などない」という強い否定をあらわす。

【他出】寂蓮集、定家八代抄

出雲

やはらぐる光や空にみちぬらむ雲に分け入る千木ちぎの片そぎ(夫木抄)

この歌は出雲の大社に詣でて見侍りければ、天雲のたなびく山の中までかたそぎの見えけるなむ、この世のこととも思ほえざりけるによめると云々

【通釈】仏がわが国の神として垂迹(すいじゃく)した、その知徳の光が、空いっぱいに満ちているのだろうなあ。出雲大社の神殿の千木は、高々と天に聳え、雲にまで突き入っているよ。

出雲大社
出雲大社

【語釈】◇やはらぐる光 和光垂迹を言う。仏が光(知恵の象徴)を和らげて、煩悩の塵に交わり衆生を救済する、とした「和光同塵」の考え方を敷衍し、本地垂迹(ほんじすいじゃく)・神仏同体をこのような言い方で現した。◇千木の片そぎ 千木は屋根の両端の材木が棟で交差して高く突き出した部分(右写真参照)。片そぎは千木の片端を縦に切り落としたもの。寂蓮が訪れた頃、出雲大社の神殿は千木の先端までの高さが48メートル程あったという。

【補記】建久元年(1190)頃、諸国行脚の旅の途中、出雲大社に寄った時の作。出雲大社は島根県簸川(ひかわ)郡大社町にあり、祭神は大国主命。古くは「杵築(きつき)の宮」と呼ばれた。

摂政太政大臣家百首歌に、十楽の心をよみ侍りけるに、聖衆しやうじゆ来迎楽らいがうらく

紫の雲路くもぢにさそふ琴のにうき世をはらふ嶺の松風(新古1937)

【通釈】浮世の迷妄の雲を払う峰の松風が吹き、紫雲たなびく天上の道を極楽浄土へと誘う琴の音が響きあう。

【語釈】◇十楽 極楽にあると言われた十の快楽。◇聖衆来迎楽 臨終の時、阿弥陀仏と浄土の諸菩薩が来迎してくれる喜び。◇紫の雲路 「紫の雲」は紫雲(しうん)の訓読語。往生者を、極楽へ送るために来迎する雲。その雲の中を通る天上の道。

【補記】建久二年(1191)の十題百首。『寂蓮法師集』、第二句は「雲路にかよふ」。

【他出】寂蓮集、定家八代抄、六華集

蓮華れんげ初開楽しよかいらく

これや此のうき世のほかの春ならむ花のとぼそのあけぼのの空(新古1938)

【通釈】これこそが、現世とは別世界にあると聞いていた極楽の春なのだろう。美しい浄土の扉を開くと、曙の空に蓮華の花が咲き満ちている。

【語釈】◇蓮華初開楽 十楽の一つ。極楽浄土に往生して、初めて蓮華の花が開く時の喜び。◇花のとぼそ 浄土へと通ずる美しい扉。◇あけぼのの空 「(とぼそを)開け」の意を掛ける。

【補記】左大臣家十題百首。

【他出】寂蓮集、六華集

【主な派生歌】
西になる光もあかずすむ月の花のとぼその明けがたの空(三条西実隆)


更新日:平成15年03月01日
最終更新日:平成23年02月15日